記念すべきな気がしなくもない四十話目ということで、ビッグネーム二人(三人とか四人という説も)の長編を平行して書いていたのですが、百年かけても書き上がる気がしなかったので、平成最後ということもあり、別の意味でもビッグな方に来ていただきました。
職が無いと書いて無職と読む。
正確には無い、職がな気もする。
どうでもいいけど、それより風邪ひいたわ、くそぅ。
陽炎や不知火には水に突き落とされ、磯風の家の屋根を寒空の下で修理し、舞風のダンスに付き合い、秋雲の漫画を徹夜で手伝って、時津風を抱えて全力で走って汗だくになり、ヒーロ―ショーでは頭から落下する。
陽炎たちと出会ってからというもの、いい歳して結構無茶なことをしてきたが、なにげにあいつらと出会ってから風邪をひいたのは初めてな気がする。
それなりに頑丈な身体だという自覚はあって、でかい病気なんかはしたことがないし、怪我の治りも早い……のだが、時々思い出したかのように風邪をひくことがある。
つまりいま、まさにそれ、俺、風邪ひいた。
鼻水が放水車レベルにブリブリ出て、咳が不審者百人に囲まれた番犬が吠えるスパンで出る。
なんて考えてるそばから鼻水が垂れてきた。
枕元においたトイレットペーパーで鼻をかむ、箱ティッシュは甘え。
実際コスト的にも補充的な観点から見ても、トイレットペーパーは優秀な気がする。
見た目最悪だけどな、部屋にトイレットペーパーのロールがあったら微妙な気分になるヤツもいるだろう。
ちなみに今日は陽炎たちとの草野球の日で、審判のバイトの予定だったがさすがに休ませてもらった。
電話口で微妙に焦った口調で看病に行くと言われたが、風邪がうつったらどうするんだと言って止めさせた。
真面目に、時津風とかちっちゃいヤツらが風邪になったら大変だし、そうじゃなくても貴重な学生時代の夏休みを風邪で潰すとか最悪だろ。
そんなわけで、少しきつめに念押ししたので、多分陽炎たちはこないはずだ。
まぁ、風邪なんてひいてしまうと心細くなって、人恋しくならないでもないんだけど、な。
無職で、風邪とか、もう、フルコンボだけどな……ゴホゴホ。
あーくそ、咳がひどい。
ちくしょー、くそー、さすがに死なないよな?
夏場に自室で孤独死とかもう、色んな意味できつすぎるよな。
冷房はかけっぱにしてるけど、止まったら悲惨なことになるだろう。
渡す遺産なんざ無いけど、遺言状とか用意しといた方がいいのかな。
あと遺品整理というか、生前整理みたいなのもやっといた方がいいかもしれん。
ずいぶん乗ってないバイクとか修理用の工具とかどうしよう。
この前のバイトで知り合った原とかにやってもいい気もするが。
物はあんまり持たない主義なので、処分に困りそうなのはそれくらいだろうか。
ああでも、微妙に本やらなんやらも結構あるな。
まぁ賃貸だし、管理会社か家主が勝手に処分してくれるだろう。
ただ、もしもの場合、俺の腐乱死体を発見するのは、恐らく陽炎姉妹の誰かになりそうな気がする。あいつらちょくちょく来るからなぁ……。
そう考えると、いい加減あいつらとの関係を見直さなければならないかもしれないと、今更ながら思う。
陽炎姉妹には感謝しかないところがあるんだが、さすがにうら若き女学生たちがいつまでもこんな無職のおにいさん……いや、いい加減認めねば、あいつらから見れば俺は十分におっさんだろう。
こんな無職のおっさんにかまったり、かまわれたりしてるわけにもいかんだろに。
そうだな、ああそうだ、そうと決まればいまからでも電話で……。
なんてこの世でも終わるのかよってレベルの考えが頭に浮かんだので、慌てて振り払う。
アホか、いくらなんでも弱りすぎだろ、俺。
取りあえず風邪を治そう、でも遺言状くらいは書いといたほうが……アカン。
なにも考えるな、寝ろ、寝ろ俺。
寝よう、起きればまた面接にいけるから―――
なにかを煮ているような音が聞こえ、目が覚めた。
痛む首を動かし、横になったまま音の聞こえてきたキッチンの方に目をやる。
そこにはセーラー服の上から黄色のエプロンを掛けた、セミロングで銀色の髪の女の姿。
その女はまるで親の敵でも見るような目つきで、火にかかった鍋をにらみつけていた。
えーっと、誰だっけかこの女、確か陽炎姉妹の一人だよな。
短いスカートから伸びる足には夏場用の薄い黒タイツ。
確かいつ見ても黒タイツはいてるイメージ有るな、こだわりでもあるんだろうか。
とりあえず身体を起こして、トイレットペーパーで鼻をかむ。
その音に反応したのか、少し慌てた様子でこっちに振り向く陽炎姉妹の一人。
「あっ、おはようございます。いま栄養のつくものを作っていますので、もう少しお待ちください」
なんかここにいるのが当然みたいな空気で、無駄にキリッとしたどや顔。
長い前髪のせいか、片方の目が隠れてるけど、それちゃんと見えてるんだろうか?
というかなんだろ、真面目な磯風っぽい感じだな。
なんか色々と突っ込みたい気がするんだが、寝起きではっきりとしない頭では、この女がなに言ってるのかいまいちよくわからん。
いや、多分様子を見に来てくれたんだと思うけど。
じっと見られているのが恥ずかしかったのか、目をそらすように鍋の方に視線を戻す陽炎姉妹の一人。
今更だがこの部屋はワンルームで、風呂とトイレの入り口も、キッチンも同じ部屋にあるから料理をしてるっぽい姿がよく見える。
なので匂いの強い料理は危険だ、まぁ、そもそもいうほど自炊せんけどな。
「それはいいが、どうやって入って……そう言えば鍵掛けた記憶がないな。つーか、陽炎に言っといたはずなんだが、駄目だろ風邪ひいた男の家なんぞに来ちゃ……えーっと、マシュ風だっけか?」
「浜風です!!」
強烈に気合がのった声で否定される。
触れてはいけないなにかだったようだ。
「お、おう。すまゴウェッホゲホ!」
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄ってくる浜風。
でかい声でびびったかもしれんが、ただの咳だよ。
と、言いたいが咳がなかなか止まらん。
浜風はそんな俺を心配そうに見ながら、背中をさすってくれる。
近くで見るとよくわかるんだが、胸がでかい。
多分陽炎姉妹の中でも一二を争う発育の良さ。
でも確か姉妹の中じゃ結構下の方だったはずだよな。
よく見れば、身体に比べて顔は年相応の幼い感じがする。
そう考えればこの女この女っていったけど、この子っていうべきだよな。
頭に巻いてる黄色い三角巾のせいもあるが、その姿は調理実習中の女学生そのものだ。
「あの、本当に大丈夫ですか?」
「そう心配するな。あんまり大丈夫ってわけでもないが、まぁ死ぬこともないだろう」
寝る前まで遺言状書こうとしてた男の言葉だが、あまり心配を掛けるわけにもいくまい。
実際起きる前はヤバイくらい咳と鼻水が出てたけど、だいぶマシになってるし。
「それより、罰ゲームか貧乏くじひいたかは知らんが、風邪がうつる前に帰ったほうがいいぞ、というか帰れ」
「だ、大丈夫です! 私その、えっと、風邪ひいたことないので!!」
んなアホなと思ったが、もしかしたらそういう人間もいるのかもな。
どうやらこの子は体型に恵まれてるうえに、超健康優良児だったらしい。
「そりゃなんというかまぁ、羨ましい限りだな。だけどもしなにかあったら陽炎に申し訳が――」
「私がここに来たのは姉妹たちの総意であり、また自ら志願したからです!」
「アッ、ハイ」
気迫的な迫力と胸部装甲の質量的な迫力におされて、ついつい頷いてしまった。
まぁ腹も減ったし、飯くらいは甘えるか。
「ところであの鍋、大丈夫か?」
「は?」
浜風が振り向いた先には、火に掛りっぱなしだった土鍋。
フタがタップダンスでもしてるのかってくらい、パタパタと音を立てている。
つかうちに土鍋なんてあったっけか?
浜風は慌てて立ち上がり、鍋のもとに駆け寄ろうとして―――
「きゃあああっ!?」
俺がなんとなくしかけた泥棒対策用のトラップに引っかかって転けた。
あ、すまん。
「……大丈夫、まだ、行動可能です……!」
いや、なんか、ほんとすまん。
■□■□■
「あの、どうでしょうか?」
床に直敷きしたマットレスの寝床から身体を起こし、木の器に盛られた微妙に焦げてる気がしなくもないおかゆをすくって食べる。
調理方法がいいのか、品種がいいのか、コメの舌触りのよさがヤバイ。
なんか高級な料亭で使ってるんじゃないかと思うレベルだ。
「うまいんじゃないのか、多分。味はよくわからんけど」
「え? ど、どういうことですか?」
「人によるかもしれんが、風邪ひくと味覚が狂うんだわ。塩味くらいならわかるけどな」
などと言ってみるが、正直煙草で365日舌が駄目になってるので、風邪をひいていなくても味覚は多分狂っている。
おそらくグルメな人間に料理を作れば、この料理を作ったのは誰だぁ!? ってマジギレされること間違いない。
しかし、風邪ひいて女学生に看病してもらうとか、またしても叶わなかった青春イベントを回収してしまった気がする。
最初、浜風に一口分のかゆを口元まで持ってこられたときには、どうしようかと思ったが。
さすがにそこまで弱ってなかったので断った。まぁ、ちょっと惜しかった気もする。
食い終えたあとの食器は浜風が手際よくかたづけてくれた。
器用なのか不器用なのかよくわからない子だな。
「他になにかご用命はありますか? この浜風になんでもご命令ください」
「いや、特にないが」
ご命令ってオイ。
強いていうなら就職先を紹介して欲しい。
なんて言葉がふと浮かんで泣きたくなる。
子供になにを頼もうとしてるんだ、俺は。
「あの、元気がないようですが大丈夫でしょうか? その……オッパイ揉みますか?」
なんて悩んでたら、浜風の口から衝撃的な言葉が飛び出してきて、一瞬思考が停止する。
反射的に『うん、揉む』と答えそうになった自分を殴りたい。
「……どこでそんな言葉を覚えた」
「秋雲の描いた漫画の中にこのようなシーンがあって、元気のない異性を励ます方法としてかなり効果的なように見受けられましたが……なにかおかしかったでしょうか?」
なに見せてんだぁ、秋雲ォ!!
と、一瞬思ったが。
思春期に仲間内でエロ本のまわし読みをするなんてのは、よくやることか。
しかしながら、厄介な性癖を背負い込んでしまうのはいただけない気もする。
いや、問題なのはそれが普通だと信じてしまう純粋さか。
「例えばだが、お前は俺のオッパイ揉んで元気が出るのか?」
質問に質問で返すのはアホだと思うことがあるが、これは確認しておかんといかん。
浜風の将来がとても心配だ、性癖云々もあるが、悪い人間に騙されかねない。
「え……?」
我に返ったかのように表情が固まる浜風。
男と女のオッパイが等価値かどうかという難しい問題はおいておいて、自分が言ったことのアホさに気がつい――
「あの、あ、あのっ! その……はい、元気出ると思います……」
真っ赤な顔になってうつむきながら、恥ずかしそうに言う浜風。
よほど恥ずかしかったのか、最後のほうは蚊の鳴くような声だった。
もう一度いうが、この子の将来がとても心配になってきた。
そして思春期の少女に性癖についてカミングアウトさせてしまった罪悪感がすごい。
どうしよう、こんなときどんな顔をすればいいかわからないの。
『先輩助けてくださいこのままだとケッコン(ガチ)してしまいます』
なんか変な電波が飛んできた気がする。
ええいくそう、役にたたない前島め。
「……なんなら試してもいいが、絶対元気なんか出ないぞ」
「いいんですか!?」
なんで食い気味なんだよ。
ああ、うん。という俺の生返事を聞いて、浜風は床に座ったまますりすりと移動し、ゆっくりと俺に接近して、寝ているマットレスの上にぽすんと乗り上げる。
そしてそのまま俺の伸ばした足にまたがり対面状態になると、顔を真っ赤にしてじっと俺の胸元をにらみつけてきた、心なしか鼻息も荒い。
「相手にとって、不足なしです!」
いや、不足しかないし、問題だらけだろ。
何度もいうがこの子の将来がとても心配である。
そして浜風は、意を決したようにそっと両手を俺の胸元に伸ばし……そのまま脇の間に手を入れて抱きついてきた。
揉むんじゃなかったのかよ、いや、揉まれても困るんだが。
浜風はそのまま俺の胸元に顔を埋め、擦りつけるように顔を左右に振った。
なんだろう、なんというかもしかしてこの子も例のごとく複雑な家庭環境で、父性に飢えてるような感じなんだろうか?
難しい陽炎姉妹の家族問題、なんだかんだで未だに聞けていない。
しょうがない、せめてできることをしてやるか。
「よしよし、どうだ、元気なんか出ないだろ?」
サラサラの銀髪を指ですくように撫でてやる。
しかし根元まで綺麗に染まってるな、よっぽどまめに染め直してるんだろうか。
最近の子……いや、昔からか。女のおしゃれにかける情熱はすごいな。
「クンクン、ハァハァ……汗の臭い、すごいです……いいかも……しれない」
父性全開の気分で撫でてたら、なんかすごい言葉が浜風から飛び出した。
思えば風邪をひいてから、夏場だというのに一度もシャワーを浴びてない。
そう考えたらなんだかとても恥ずかしくなってきた。
お父さんクサイ、洗濯物別にして、お風呂は一番最後に入ってよね。
そんな幻聴が聞こえてきそうで泣きたくなる。
「おい、もういいだろ」
涙をこらえて引きはがそうと、しがみつく浜風の頭を掴んで顔をあげる。
……浜風はなぜか恍惚の表情を浮かべ、ヨダレと一筋の鼻血をたらしていた。
「ぎゃー!? おま、ちょ、おまっ!!」
慌てて引きはがすが、両腕でがっちりとホールドされているせいか、ピクリともしない。
「くっ! まだ、嗅げます! ああ! あと少し、あと少しだけ!!」
「HA☆ NA☆ SE!!」
なけなしの体力を振り絞って立ち上がるが、浜風は俺の体にへばりつき続ける。
お前、忘れてるかもしれんが、俺、風邪ひいてるんだぞ!!
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「すみません、見苦しい姿をお見せしました」
「はぁはぁ……ゴホゴホ。まぁ、別にいいけどな」
あれからしばらく、もみ合いの末になんとか浜風を引きはがした。
浜風も冷静になったのか、いまは恥ずかしそうに床の上に正座している。
しかし、真面目そうな子ほど性欲が強いとは聞いたことがある気もするが、思春期の暴走って女でもあるんだな。
そしてすまん陽炎、お前の妹の性癖矯正は俺には荷が重すぎる、後は任せた。
「なんかもう、ちょっと疲れたから煙草吸ってくる」
体力の消耗が激しいので、ニコチンを補給する必要に迫られる、カラータイマーなってるわ。
机の上においてあった煙草を手に取り、よっこらせっくすと言いながら立ち上がってベランダに向かう。
夏場や冬場にベランダに出るのは地獄なので、室内で吸うことが多いんだが、さすがに浜風がいるからな。
「なに言ってるんですか!? 駄目に決まってます!!」
「ごふぁあ!?」
瞬間、腰にとんでもない衝撃が走る。
後ろからタックルを食らったんだと気がついたときには、浜風もろとも床に転がっていた。
「かっ、風邪ひいてるのに煙草吸うなんてなにを考えてるんですか!! 死んじゃいます!!」
「アホか!! いくら風邪引いてるからって煙草吸ったくらいで死にゃしねえよ!!」
コイツの中で風邪は一体どんな恐ろしい病気という扱いなのだろうか。
いや、それよりも一緒に倒れ込んで絡みつかれているせいか、でかい胸が体に押し当てられて複雑な気分になってきた。
「いいえそんなことはないはずです! それにいい機会です、いっそもう禁煙して長生きしてください!」
「バカかお前、無理にきまってんだろなに言ってんだバカなのかバッカじゃないのか常識で考えろよ、そりゃ俺だってできるなら雨にも負けず風にも負けず、情緒不安定にもならず、タバコも吸わず、むかつくやつにも優しくして、日々清潔な格好をして、よこしまな視線で女を見ず、誰からも尊敬される落ち着いた紳士に俺はなりたいって思わんでもないけど、そんなの常識で考えて無理だろ! それに禁煙ならしてるよ、俺もうかれこれ六時間も禁煙してるぞ!!」
「それは禁煙とはいいません! 皆が貴方の意思を尊重してなにも言いませんが、貴方の身体を心配して泣いてる姉妹もいるんですよ!」
「それは申し訳ない気がしないでもないが、俺から煙草を取り上げたら遅かれ早かれどのみち死ぬよ!」
ギャーギャーと言い合いながら、さっきと同じように立ち上がって引きはがそうとするが、浜風は先ほどと違い今度は一向に諦める様子がない。
むしろ陽炎姉妹特有のクソパワーと軍隊格闘技みたいな謎の動きで体勢を変えて、俺の頭を太ももで挟み込むと、そのまま俺をひっくり返してマットレスの上に落とす。
そこからさらに、太ももによる拘束を一瞬解いたと思ったら、今度は両手で俺の頭を太ももに押さえつけて、強制的に仰向けで寝かせつける姿勢に持っていった。
訳もわからずなんとか抵抗しようと身体を動かしたが、ツボでも押さえてるのかと思うような、よくわからない押さえ込み方をされてピクリとも身体が動かない。
え、なんだこれ、なにが起こったんだ?
傍から見たら女の子座りの女学生に、膝枕をしてもらってる感動的な状況だが、そこに持って行かれるまでの経緯がアグレッシブすぎる。
薄いタイツの感触が肌をくすぐるが、こちらを見下ろす浜風の表情がめちゃくちゃおっかなくてそれを楽しむ余裕もない。
「とにかく、いまは寝てください。どうしても煙草が吸いたいなら、風邪を治してください。それまでは絶対に離しません」
「アッ、ハイ」
別にびびったわけじゃないが怖かったので、大人しく従うことにした。
てか、君ら姉妹ほんと、力強いな……。
■□■□■
どれくらい時間がたったのか。
なんか、鼻歌が聞こえてきて目を覚ます。
なんとか隙を見て逃げ出そうともしたが、疲れて眠ってしまったらしい。
しかしなんだっけかこの鼻歌、泣かないで提督ってところのリフレイン、昔聞いたことがあるような。そのときにこの歌を歌ってたのは誰だったっけか。
あー、正直心が死んでるときは、なに聴いてもダメでどうしようもないと思うんだが、なんか、悪くないな。
「なぁ、その歌……」
「あっ、すみません起こしてしまって」
「いや、気にすんな。ただ、その歌どこかで聞いたような……」
「これはえっと、昔の子守歌のようなものですね。艦娘ならだれでも知って……あっ、えっと、もちろん艦娘じゃなくても知っている、とは思います」
「そっか、艦娘か……」
「その、もしかして艦娘のお知り合いが?」
「ダチのお袋が足柄サマっていう艦娘だったな。揚げもんばっかりだったけど、よく飯食わしてもらったもんだ。内地に来てからは新聞やテレビ以外で見てないけど……あー、そういえば他にも昔……まて、いま何時だ?」
今更だが明らかに部屋が暗い、っていうか夜だ。
部屋を照らしてるのは、豆電球のオレンジの灯りだけである。
「ええと、フタサンマルマルを少しまわったところです」
「ふたさん……ああ、二十三時か。変な言い方するなってか、さすがにもう帰れ。家のヤツが心配するぞ」
「ええと、その……今日は泊まっていっては駄目でしょうか?」
「……お前それ」
「お願い……します」
いつの間にか握られていた手を、ぎゅっと握りしめる浜風。
家に帰りたくない事情でもあるのだろうか、コイツもコイツで大変なんだな。
「……わかったよ。けど、いっとくが予備の布団なんざないからな」
「なら、今晩はずっとこのままでいます。抜け出して煙草を吸われてはたまりませんから」
そりゃ厳しいこって。
頑固なのが多いな、陽炎姉妹は。
ふっと暗い室内に、軽い風が入り込む。
浜風がいつの間にかエアコンをとめて、部屋の窓を開けていたようだ。
「いい風ですね」
「五階だからな、数少ないこの部屋のいいところだよ」
日中はさすがに暑いが、夜は多少はマシだな。
少し蒸し暑いが、まぁ、自然な気温ってのは身体にいい気もする。
知らんけど。
浜風の太ももの柔らかさを感じながら、夏夜の空気を吸ってると、また眠くなってきた。
このまま寝てしまってもいい気がするが、それじゃ浜風が可哀想なので、少し喋ることにする。
風邪のせいか眠さのせいか、頭がボケッとしててまともに話せるか自信ないけど、さすがに暇だろうし。
「なぁ浜風。今更だけどお前らって野球好きなのか?」
「……どうでしょうか、好きな子もいるとは思いますが。私は別に好きでも嫌いでもないですね。いえ、むしろ胸の固定が面倒なので嫌いなほうかもしれません」
「え、そうなのか?」
意外ではあるが、まぁ、確かに大人数でできるスポーツってそう多くもないからな。
ここに来て衝撃の新情報ではあるが、消去法で野球になった説が浮上した。
「もっとも、好き嫌い以前に私たちは皆、ただ現実逃避する為だけにあの河原で遊んでるにすぎませんでしたので」
「なんだそれ、暇つぶしってことか?」
「暇、というのも変なのですが、大切なものがない状況、それを暇というのなら……そうなるかもしれません。暇は精神をむしばみます。暇な時間を持ってしまうと別のなにか、生きる意味を無理矢理考えて……そんなものなんてないのに、そんなものを考えて考えて……心配と不安を膨らませてしまう。だから私たち……いえ、私は仕事に熱中して人生の退屈さを紛らわす大多数の大人のように、あの河原で遊んでたんです」
どこか遠くを見るような目で、窓の外に視線を向ける浜風。
窓から入ってきた風が、銀色の髪を揺らす。
「本当に必要なのに手に入らない大切なもの、それから目を逸らして生きなきゃいけないんですから……それを直視してしまいかねない暇な時間というのは毒だったんです、私たちには」
「そりゃまぁ、なんか打ち込めるもんでもあれば別だろうけど、お前らの年頃にとって暇ってのは天敵みたいなもんだろうからな……いや、大人になっても状況によっては暇な時間は敵だよ、嫌なことことばっかり考える」
暇になると大体ろくでもないこと考えてしまって、メンタルが下降するからな。
将来の不安とか、というか、いまの無職のこの現状についてとか、もう、ほんと色々。
「はい、でもいまは野球好きですよ。提督とする野球は、ですけど。ですのでこれからもずっと提督と一緒に、ぁ……いえ、なんでも」
「なんだそりゃ。まぁ……俺もお前らと野球するのは嫌いじゃない……よ……バイト代もでるから……な……ふぁ」
なんだか妙に穏やかな浜風の声を聞いていると、段々意識が怪しくなってきた。
おまけに浜風は俺の頭を優しいテンポで撫ではじめたので、さらに睡魔が加速する。
「ふふ、はい。私も……好きです」
どこか年齢不相応な、儚げな笑みを浮かべる浜風。
その顔を見てなにか不思議な感情が浮かんだ。
が、それがなにかわかる前に、俺の意識は睡魔に負けて落ちていった。
■□■□■
うるさい蝉の声と、強い朝日で目が覚める。
この部屋は東向きなので、夏だと寝ている時間帯から日射しが強く、朝日がえぐい。
まぁ、目覚まし代りにはちょうどいいんだが。
どうやら一晩中俺を膝枕してくれていたらしい浜風は、その姿勢のまま固まるように眠っている。
しまった、さすがに悪いことしちまった。
そっと抜け出して、シャワーを浴びる為に立ち上がる。
風邪以来初めて落ち着いて立ってみたが、不思議なことにモチベーションにあふれている。
身体はとても軽いし、咳も鼻水もなし、どうやら風邪は完治したらしい。
よし、これで煙草が吸えるな、シャワーよりも煙草が先だ。
いま、俺は煙草を吸うというモチベーションが過去最強に高い。
だが肝心の煙草が机の上にない。
焦って辺りを見回すと、床に落ちていた。
そういえば昨日浜風にタックルされたときに落としたんだよな。
拾う為に煙草に近づいて……なんとなくしかけた泥棒対策用のトラップに引っかかって転けた。
俺はアホなのか?(正解)
そして不幸にも転げた先には、布団の上に座っていた浜風。
「……あ、あの、おはようございます」
「ああ、うん、おはよう」
結果、浜風を押し倒す体勢になってしまった。
さすがに不味いので、すぐにどこうとしたのだが、なぜか身体が動かない。
「もしかして……煙草を吸う気だったのですか?」
チラリとファインプレーで転げながらつかみ取った煙草に視線を向けたあと、ハイライトの消えた瞳でこちらを直視してくる浜風。
怖いンゴ!
身体が動かないのは、どうやら浜風が足で俺の腰をホールドしているかららしい。
なんか腰の重要な場所を押さえられてるからなのか、ピクリとも動かない。
てか浜風って、力も強いがやたら近接格闘技に長けてる気がするんだが。
「オイ待て、誤解だ。いや、誤解じゃないけどもう風邪は治ってる、だから吸わせろ」
「駄目です、なに考えてるんですか、それが本当だったとしても病み上がりなんですよ? あと百年は駄目です」
「百年もたったら死んでるよ!! そんなに吸えなかったら死んじゃうよ!!」
「駄目です、提督の健康は私が守り抜きます!」
俺のことを思ってくれてるのはわかるんだが、それとこれとは話が別だ。
なぜなら俺は、いま、煙草を、吸いたいんだよ!!
「ええい、離せ! いいから吸わせろ!!」
「いいえ離しません!!」
浜風はさらに俺の頭を胸元に抱え込んで拘束を強める。
んがっ、息が苦しい!!
顔全体が柔らかな感触と仄かな香りに包みこまれる。
つかコイツ、ほんとに胸がでかいなオイ!!
「おはよう提督、調子どう? あと昨日浜風が来たと思うんだけど帰ってきてないみたいなの。もしかして泊まって―――」
拘束から抜け出そうと足掻いていたら、部屋のドアが開いて陽炎が入ってくる。
そして俺たちを見て固まった。
「な、な、な、な、な……なにやってんの浜風ーーーーーーー!!!!!」
うるせえ。
いや、確かに見た目的にも体勢的にも、だいぶ不味いのはわかるんだが。
現状、腰に足を絡められて、頭をがっちり抱え込まれて浜風の胸に押さえ込まれてる体勢だ。
でもちゃんと見ればどっちが加害者なのかは明らかだろうに……多分、恐らく、メイビー。
「あ、あ、あ、あんたもしかして、それ、す、吸ってもらってるの?」
「ぷはぁ! 頼んでるのに(煙草を)吸わせてくれないんだよ」
何とか拘束から抜け出して、浜風に代わって答えてやった。
一方の浜風は、どれだけ恥ずかしい体勢なのか気がついたのか、顔を真っ赤にして固まっている。
「ぎゃあああああああああああ!!!」
ツインテールをグワングワンと振り回しながら、頭を抱えてシェイクする陽炎。
うお、なんだそれ、面白いな。
「……脱ぐわ」
「は?」
唐突に叫ぶのを止めた陽炎が、なんかガンギマリな感じのやばい表情になったかと思ったら、唐突に上着を脱ぎ出した。
オイ、なにやってんだオイ。
「おいまて、なんで脱ぐ!?」
「長姉たるもの、妹に先を越されるわけにはいかないのよ!!」
「なにのだよ!?」
さすがに色々と誤解がやばそうだったので、無理矢理力を入れて立ち上がり、陽炎の手を掴む。
ちなみに浜風はいつの間にやら体勢を変えて、俺の背中にへばりついている。
「離して提督!!」
「とにかく落ち着けって、ぎゃあ!!」
そしてなぜだか陽炎はジャンプして俺の顔に胸を押しつけてきた。
「どう提督、私だってそれなりにあるでしょ!! さあ吸って!!」
「なにをだよ!!」
「っふ、どうやら吸うものとして認識されてないみたいですねぇ」(勝ち誇った顔)
「浜風ええええ! それをいったら戦争でしょうが!!」
こいつらは一体なにを競ってるんだよ!!
「ヌィッ!! っは、心配できてみればなんて羨ましい状況に、加勢します!!」
そしてなぜだか唐突に現れた不知火が、さらに追加で絡みついてくる。
「んがー!!いい加減に離れろー!!」
さすがに我慢ならず、三人を引きはがす為に振り回す。
それでも離れずにしがみついてる三人、おいやめろ、腰にくるだろ。
お前ら知らんかもしれんが、俺、病み上がりなんだよ!!
オマケ - 陽炎会議録NO.5 -
(※NO.は掲載順の番号となり、時系列とは一致しません)
薄暗い部屋、円卓を囲む二十人近い少女らしい者たちがいた。
らしいというのは、なぜか全員が顔を隠すための先の尖った白い被り物をかぶっていて、その顔がよくわからないからだ。
そして被り物の額部分にはそれぞれ番号が振ってある。
あと因みに時間軸的には彼女たちの提督が、風邪で草野球の審判にいけなくなったという連絡を受けた当日である。
「今回の緊急議題は提督が風邪をひいちゃった件よ」
その中で『1』と額に書かれた数字の被り物をかぶった少女が、被り物の上からでも感じることのできる、本気オーラを放出しながら議題を提示する。
「知ってのとおり私たちの魂のルフラン、生命のカーニバルともいえる週に一度の草野球に提督が風邪をひいて来られないという超弩級のアクシデントに見舞われたわけだけど……それよりも重大なことがあるわ。提督の看病に……行くか、行かないかよ」
神妙な顔(被り物で見えない)で頷くメンバーたち。
普段は余裕を崩さないメンバー含め、誰もがガチな真剣フェイスである。
「提督には家に来ないようにって言われたけど、それは私たちに風邪がうつらないようにっていう提督の気づかいから。でも私たちは風邪なんてひかない。なら、負担にならないよう一人だけでも看病の為に行くべきなの。提督の命令に逆らうのは身が引き裂かれる思いだけど、提督の身を案じるなら提督の為に料理したり、おでこの濡れタオルを替えてあげたり、膝枕してあげたり、子守歌を歌ってあげたり、着替えを手伝ってあげるついでに引き締まった身体の汗を拭く手伝いをじゅるりするのはなんらおかしいことではないしハァハァ、むしろ推奨されるべき行動だわ」
途中からものすごく早口になる『1』の少女の言葉、心なしか息も荒い。
最も室内にいる全員の息も心なしか荒い、なんでですかねぇ……。
「で、問題は……誰が行くかよ」
だが『1』の少女がその言葉を発した瞬間、先ほどまで上昇していた部屋の空気が凍る。
そして次の長姉の発言次第では、この場が戦場になるであろうことを感じさせる空気に変化した。
普段は魂と絆で結ばれた姉妹たちだが、誰もが席から立ち上がってお互い微妙に間合いをはかり始め、一部のものは缶の火を入れる準備まで始める。
そんな一触即発な状況。
「落ち着きなさい、誰が行くかは公平に決めるわ」
その言葉に、ふっと力を抜いて椅子に座るメンバーたち。
さすが長姉、威厳がパナイ。
「方法は投票にするわ、一番提督の看病に適しているメンバーをよく考えて、各々が票を入れなさい。ただし、自分以外に投票すること、いいわね?」
異存はない、というふうに頷く一同。
そして投票用紙が一人一枚用意され、配られる。
事前取引ができない、ある意味公平でもある状況。
だが、それでも瞬間的に、それぞれのメンバーの間で激しいアイコンタクトが行き交う。
『ねぇ舞風、実は陽炎会議提督規約の⑤に違反したでしょ?』
『そ、そういう萩風だって提督のスプーンを!!』
『秋雲、この前提督が使ったカップで、コーヒー届けてあげたわよね?』
『初風ぇ、帰り際にあの非売品同人誌持って行ったでしょぉ……』
『なぁ嵐、提督がおいていった下着に興味はないか?』
『ばっ、ばっか磯風、っく、卑怯だぜ!!』
誰もが視線を交わしあい、海戦並に激しい火花が散り、牽制と交渉が行われる。
嘘、駆け引き、交渉、共闘、敵対、思考能力を限界まで駆使した、なんでもありの、目に見えない仁義無き工作戦が室内のあちこちで行われる。
その結果、なぜか不思議なことが起った。
『まぁ、みんな長姉である私を選ぶのはわかってるんだけどね―、どうせだし一票も入らなそうな子に入れておいてあげようかしら……』
『スポーツ医学を修めているこの不知火が選ばれるのは間違いないわ、くくく、今回のことに関しては誰よりもこの不知火が最適! そうね、おこぼれはあのなんちゃって駆逐艦に……』
『まぁうちの料理の腕前は皆知ってるやろうから、うちが選ばれるのは間違いないやろうけど、もしものことがあるさかいな……』
なんて感じで自分が選ばれると信じて疑わなかったメンバーが、なぜか消去法で胸部装甲の豊かさ故に微妙に嫉妬を集めていたナンバー『13』に投票してしまったのだ。
結果、一番多く票が集まったのはナンバー『13』。
ちなみに二番目はナンバー『11』、皮肉にも質量はパワーというのを証明してしまった。
「ふ、ふふふ、ふふふ……っは!? しょ、勝利に浮かれるほど素人ではありません。勝って兜のなんとやら、です。ふ、ふふふふ……」
うれしさが限界突破してしまったのか、テンションがおかしいほうに振り切れてしまったナンバー『13』。
このあと勝利確定BGMが流れる中、拳を掲げたナンバー『13』の胸が揺れ、なんとしてもその座を奪おうとする勢力と、おこぼれに預かろうとする勢力がぶつかるというカオスな状況になり、ナンバー『13』が「さぁ、始めます。駆逐艦浜風、突撃します!」と叫びながら窓を突き破って逃げ出し。
それをナンバー『12』と『16』の即席タッグが追ってきて、それを阻もうとするナンバー『7』と『19』とバトルになったり、ナンバー『3』と密約を結んでおかゆを用意してもらったりと、ドッタンバッタンなアクションが巻き起こる……のだが。
文字数の関係で詳細は省く。(メタイ)
あと当然っちゃ当然なのだが。
そのどったんばったん劇の果てに、浜風があのキッチンに立っていた事実。
それを彼女たちの提督は知るよしもないのであった。
風邪をひいて浜風に看病してもらいながら、甘えたり甘えられたりしたいだけの人生だった。
※舞風の陽炎会議提督規約「⑤二人だけの状況で名前を呼んでもらえるまで、提督を提督と呼ばない。理由はわかれ」違反については、読んでいただいた方からのたれ込みがあった模様。ミスだったけど面白そうだったのでそのまま採用させていただきました。
超ウルトラスーパーミラクル時間があれば『無職男』と『駆逐艦:舞風』にて舞風がやらかしてるシーンを探してみてください。