提督をみつけたら四周年記念。
内容は『無職男』(火野)と『意識高い男』(前島)の学生時代の話です。
※注意
こちらは一年くらい前に出した同人誌『二人の男』と『潜水艦:まるゆ』の再録となります。
読みやすいように多少手は加えたものの、縦書きで読むことを前提にしている部分もあり、いつもと少し感じが違うかもしれませんが、ご容赦ください。
また、文量がとても多いので二つに分割して投稿する予定です。
あらかじめご了承ください。
あの笑顔を、忘れません。
彼らはあの旅を映画みたいだ、そうおっしゃってました。
アウトローの二人が、途中でヒロインを拾って旅をする、そんな内容の。
残念ながら、ヒロインはこんなですけど、えへへ。
でも、あの人たちは間違いなく、映画の主人公みたいでした。
とても、とてもすてきな……人たちでした――――
うだるような暑さの中、辺りには蝉の声が鳴り響き、空には噴煙のような入道雲。
まさに夏真っ盛りの季節の空、その下に広がる森に通った一本の道路。
その道路脇には緑の乗用車が停まっており、車の前には二人の男が立ち尽くしていた。
「おい前島、ここどこだよ」
「山道でしょう、どこか、見知らぬ土地の」
「つまりなんだ、迷ったってことか?」
「……その認識であっているかと」
「なーんでそんな事になってんだよ」
「火野先輩がかっこつけて、走行中の車窓から地図を投げ捨てたからですよ……」
「あれ、そうだっけか? つか、いちいち名字付けなくてもいいぞ、どうせ二人しかいないんだ」
言葉を交わし合う二人の男。
どちらも痩身長躯ではあるが、その印象はまったく違っていた。
火野*1と呼ばれた方は、おおざっぱさを絵に描いたような風体で、短くなった煙草を口にくわえながら、そこらの格安の床屋で雑に切りそろえられた髪をガシガシと掻いている。着ている服も薄手の黒のジャケットで、おまけに乱暴に袖をまくっているので皺だらけ。さらにその下は、よれて黄ばんだ白のTシャツだ。
よく言えばワイルド、悪くいえば無頓着といった着こなしである。
もう一方の前島*2と呼ばれた方は、綺麗に固められたオールバックの髪型に、品のあるメガネ。服装も丁寧にアイロンがけされた白のポロシャツに、色落ちのないジーンズと、爽やかなもの。だが、どうにも鋭すぎる目つきのせいで、ヤクザの若頭かなにかが避暑地で過ごしているようにしか見えない。
「そもそも、これじゃ目的地以前に、どっちに行けば海があるのかもわからん」
火野は古ぼけた写真を手に、そうこぼす。
写真にはエメラルドグリーンの海岸と、その近くに建つ灯台の風景。
そして砂浜に向かって歩いている、水着姿の少女たちが小さく隅に写っていた。
「せっかく母の車を借りたんですから、そのステキな眺めの海岸にたどり着きたいですね。古い写真に写った海岸をあてもなく探すという、正気を疑うような目的の卒業旅行ですが。せめてなにか思い出の一つでも作りたいものです」
前島がため息を吐きながら、そうぼやく。
先日、バイト先で見つけたという写真を持ってやって来た火野が「この海岸見つける旅にでようぜ!」と、言って前島の元にやって来た。
特に夏休みの予定も無かった前島は、そのどう考えても計画性ゼロの思いつき旅行に、無理矢理付き合わされた体である。
「しょうがねえだろ、国外や国内の名所旅行に行けるような金なんざねえんだからよ」
「だからって卒業旅行も兼ねる事は無かったでしょうに」
「つってもどうせお前、一緒に行くようなやついねえだろうが」
「……まぁ、そうですけどね」
因みに火野は一浪して大学に入ったため、二人とも今年卒業である。
苦虫をかみつぶした様な表情の前島、火野が吸い終えた煙草を地面に落として踏みつける。
「おら、次は俺が運転するから替われ」
「……ぶつけないでくださいよ」
火野は「さあな」と吐き捨てながら運転席に乗る。
前島は肩を軽くすくめて助手席に乗り込んだ。
火野は前島がドアを閉めるかどうかのところで、アクセルを踏み急発進。
シートベルトもしてない状況での急発進に、前島が顔をしかめる。
「せめてドアが閉まるまでは待って欲しいのですが……」
「うるせえ」
火野は前島の抗議もお構いなしに、片手で器用に煙草を取り出しくわえる。
そして使い捨てのライターで火を点け、車の窓を全開にした。
「おい、ラジオつけろ」
「じゃあ窓しめてください」
「は? なんでだよ」
「音が外に漏れて迷惑ですから」
火野は人っ子一人居ない森に囲まれた山道をちらりと見て、呆れたように「アホか」と呟く。
「迷惑って、狐や狸にか? お前いつのまに動物愛護団体に入ってたんだよ」
「基本的なモラルの話ですよ。それに誰かいるかもしれないでしょう」
頑なな前島に言う事を聞かせるのが面倒に思えた火野は、渋々煙草を消して窓を閉める。
だがどうにも釈然とせず、一言文句を言ってやろうと口を開いた。
「あのなぁ、こんな山道に……居たわ」
「は?」
火野が前を見る、つられて前島も。
進行方向の前方に見えるのは、山道の端で片手をあげてヒッチハイクをする、背の低い子供の姿。
運転していた火野は少し考え、前島に問いかける。
「どうする?」
「止めましょう、少女が助けを求めているなら応じるべきです」
火野はそれを聞いて「またいつもの病気だよ……」と、つぶやき子供が居る場所の二十メートルほど前で停車する。
サイドブレーキを引いて、エンジンを止めずに待つ火野に前島が問いかける。
「前に止めすぎでは?」
「いいんだよここで。お前の言うとおりさっきのが女の子なら、こんな怪しい男二人の車に乗るか迷うだろ。考える時間くらいやれ」
前島はバックミラーを見ると、がらの悪い二人の男が映っていた。
自分の姿ながら、随分と厳つい見た目だと前島は改めて思う。
「まあそれは否定できませんね」
「だろ。どうだ? あの子が乗ってくるか今日の昼飯賭けるか?」
「……じゃあ乗ってこない方に賭けます」
「この賭けは無しだな……」
苦笑する二人、そして火野はサイドブレーキを戻そうとしたが。
コンコン
車内に、運転席側のドアをたたく音が響く。
二人が窓に目をやると、ドアを叩いた人物の頭の部分だけが見えた。
背が低いので、頭の半分ほどしか見えないのだ。
二人はお互い少し戸惑った表情で顔を見合わせる。
少し間を置いて火野が窓を開けると、先ほどヒッチハイクをしていた、大きなリュックを背負った十歳くらいの小さな子供が立っていた。
所々に泥がついた白いTシャツと半ズボンの服装に、少し日に焼けて薄汚れた肌をみると、少年のようにも見える。だが、艶のある短い黒髪と大きくてぱっちりとした黒い瞳が、その子が少女である事を感じさせた。
火野をじっと見上げていた少女は、もごもごとなにかを言いたそうにしているが、火野のしかめ面に驚いたのか、うまく言葉を紡げずにいる様子。
「……どこに行きたい?」
しかめ面をしていた自覚があった火野は、なるべく優しい口調で少女に聞く。
その声に少しだけ緊張がほぐれたのか、少女はヨシっと聞こえてきそうな間を一拍置いた後、胸を張って口を開く。
「あ、あの……どこでもいいので、海まで乗せていってくれませんか?」
か細くかわいい声だが、どこか力強くもある不思議な声。
その言葉を聞き、前島をちらりと見る火野。その視線に力強くうなずく前島。
火野はため息を一つ吐くと、後ろのドアのロックを解除した。
「乗れよ、どうやら目的地は同じみたいだ」
「はい! ありがとうございます!」
火野の言葉を聞いて、少女は力強く返事をした。
この世界は一度滅びかけた。
その昔、深海棲艦という未知の生命体によって、人類が絶滅寸前に追い込まれた為だ。
だが、もはやこれまでと思われたそのとき。艦娘という麗しき少女たちが現われる。
かつての艦船の魂を宿し、勇ましく戦う超常の存在である彼女たちは、生き残っていた人類、その中に存在した『提督』と呼ばれる適性を持った人物たちの指揮下に入り、長きにわたる戦いの末に深海棲艦を滅ぼした。
そうして人類は救われたのでした、めでたしめでたし。
それはこの世界でおとぎ話のように語られる、現実に起こった昔話。
そして、その昔話には続きがある。
人を遙かに超越した生命体である艦娘たちはその後、提督と呼ばれた者たちとの間に数多くの子孫を残し、その子孫たちからも艦娘が生まれるようになった。
やがて世界は徐々に復興し、ようやく深海棲艦が現われる少し前ほどに文明も元に戻った現代。
深海棲艦が消え去ったその世界は、大きく分けて二つの種族によって成り立っていた。
―――人間と、艦娘である。
※ ※ ※
「海っつっても色々あるけどよ、どこら辺とか希望あるか?」
「えっと、できれば南の方、太平洋側だと助かります」
「おっ、いいね。あっちの方は海が綺麗だろうからな、んじゃまぁひとまず南に進路をとるぞ」
「ありがとうございます!」
少女の答えを聞き、火野は辛うじて車に残った最後の希望である、方位磁石を頼りに車を走らせる。
前島はその様子を見て、どこかあきらめたような表情を浮かべる。そして意識を切り替えるように、少女が座る後部座席に視線を向けた。
「しかし、どうしてあんな所でヒッチハイクしていらしたので?」
「はい! まるゆは海にいきたいんです!」
まるゆと自ら名乗った少女は、車の後部座席に座りながら力強く答える。
彼女の隣には、その小さな身体と同じくらいの大きさに見える、パンパンに膨れたリュックサックが置かれていた。
「いや、それはお聞きしましたが……あの、まるゆさんとお呼びしてよろしいでしょうか?」
「はい! えっと、おにいさんたちは……」
「俺は火野だ、よろしくな」
「私は前島と申します。よろしくお願いしますね、まるゆさん」
「はい!」
「それでその、まるゆさんは……」
少し探りを入れるような慎重さで話を進めようとする前島。
その言葉に純真な瞳で受け答えをするまるゆ。
火野はそんな二人を横目に、ラジオのスイッチを入れる。
ジジジっと、一瞬電波を受信するような音が鳴るが、どうもうまく周波数が合わない。
そのうち受信するかもしれないという一縷の望みにかけて、火野はスイッチを入れっぱなしにしておき、ひとまず運転に集中しようとした、が。
バックミラーに映る謎の物体を見て固まる。
「……おい、後ろのアレ、なんだ?」
「は?」
「はい?」
前島とまるゆの二人が同時に後ろを振り返る。
見ると三人が乗る車の後ろからすごい勢いで迫ってくる、黒いもやのようなものをまとった巨大な物体。
「田舎はすごいな、あんなのがいるのか」
「私もあのような存在を目にするのは初めてですね……しかしアレはいったいなんでしょうか?」
「なんだかブヒブヒ言いながら走ってます」
「ぶひぶひ?」
まるゆの言葉を聞いて目をこらす二人の男。
よく見ると確かにそれは、四足歩行で走るなにかの動物に見えた。
問題はそのサイズだ、明らかに三人が乗る車より大きい。
それはまるで、神話の時代に存在した森の主のような巨大さである。
「もしかしてあれ、イノシシかなんかか?」
「なるほど、確かにイノシシのようですね。サイズは規格外ですが」
「……なーんでそんなのが追ってくるんだよ」
「あっ、そういえば森の中で迷子になってた、この子を拾ったんでした」
まるゆはなにか思い出したように、リュックの中からボールくらいの大きさの、毛むくじゃらの物体を取り出す。
毛むくじゃらの物体は、ブヒ? と、一声鳴いて、つぶらな瞳で車内の三人をみつめてきた。
「お母さんを探してあげようと思ってたんですが……えへへ、すっかり忘れてました」
照れを隠すように、笑う少女。
全てのものを吹き飛ばす勢いで、走行中の車に猛追してくる巨大なイノシシ。
その勢いは、子を奪われた親のそれ。
男二人の脳内に、恐竜の玉子を奪った研究者が、その親に追いかけられる映画の映像がフラッシュバックした。
「あの先輩、私わかってしまったんですが……」
「言うな前島、俺もだ」
その瞬間、スイッチを入れっぱなしだったラジオが電波をキャッチ。車内に受信された音楽が、大音量で流れ始める。
デデンッ! と勢いのある入りで始まるのは、国民の九割以上が知っている伝説の演歌。
「なーんでこのタイミングで、これが流れるかねぇ」
「あっ、これお母さんが好きだった曲です!」
「そ、それより先輩早く振り切ってください! 追いついてきますよ!」
「え? あ、あの、この子を森に帰してあげたほうが……」
「賭けるか? 俺は車止めた瞬間に、三人ともスクラップにされる方に賭けるぞ」
「なにをのんきなこと言ってるんですか先輩!? ダメですまるゆさん! あの親イノシシは怒りで我を忘れています!」
「へ? へ? へ?」
「面白くなってきたなオイ。掴まってろ、舌噛むぞ!」
「頼みますから丁寧に扱ってくださいよ!? 傷でも付けたら母に殺されてしまいます!!」
どこか楽しそうな表情で、峠を攻める走り屋顔負けの運転をはじめる火野。
見た目の割に気が弱いのか、情けなく叫ぶ前島。
なにが起きているのかよくわかっていないまるゆ。
これが……これから始まる三人の旅。
その出会いと始まりだった。
※ ※ ※
「おい前島、ここどこだよ」
「廃園したテーマパークでしょう、おそらくですが」
「てーまぱーくですか?」
「なーんでそんなところに、俺らはいるんだよ」
「火野さんがすごい運転で、イノシシさんと追いかけっこしたからですね!」
「……ご解説どーも」
ちなみにイノシシからは辛うじて逃げ切った……というより。
開いた車の窓から、イノシシの子供であるうり坊が逃げ出したおかげで、なんとか見逃してもらえた形になっただけであるが。
だがその代償とでも言うべきか、土地勘の無い場所を地図もなしに逃げ回った一行は、見知らぬ場所に迷い込んでしまっていた。
「ところで先輩、ここは海からどれくらい離れてるんでしょうか?」
「知らん。が、多分近くはないだろうな」
「どうしてですか火野さん?」
「どうしてって、海の近くならカモメが飛んでるだろ」
めんどくさそうに煙草を吸いながら、空を指さす火野。
つられるように前島とまるゆが空を見上げる。
上空には、カモメどころか生き物がまったくいない夏空が広がっていた。
「しかし……よりによって遊園地かよ」
「えっ、ここって”遊園地“だったんですか!? まるゆ、初めて見ました!!」
「頭に”廃墟の“がつくけどな……」
げんなりとした火野と対照的に、目を輝かせて辺りを見回すまるゆ。
もっとも、廃園してずいぶんたつのか、遊具は塗装が剥がれ錆びだらけ。おまけにツタやその他の雑草に覆われているものもあり、当時の華やかさを感じさせる面影は一切ない。
だがそんな遊具でも珍しくてしょうがないのか、まるゆは近くで見ようと駆け出す。
「あ、まるゆさん。あまり大きな遊具や施設の近くに行くのは危ないですよ」
「おいおいおい、どこいくんだよ?」
あわててその後ろを前島が追う。
子供とはいえ、先ほど出会ったばかりの他人だというのに、本気で心配する様子の前島。
おまけに、これはなんですか、あれはなんですかと聞くまるゆに対し。一つ一つ丁寧な説明を嬉しそうにしている。
そんな前島を見て、火野が苦々しく愚痴をこぼす。
「ったく、あのロリコン……」
そう……なにを隠そう。前島という男は少女を神聖視する、基本『触れない、話しかけない、恐がらせない』が信条の、一部界隈では紳士と呼ばれ揶揄されることもある……清く正しい意識の高いロリコン(児童性愛者)なのである。しかも、かなり重度の。
あまり遊園地に良い思い出のない火野は、すぐにでもここから離れたかったのだが。まるゆが興味津々な様子であれこれ見て回っている後ろから、幸せそうについてゆく前島を見て、出発は当分先になりそうだなとあきらめる。
「つか、遊園地が初めてねぇ」
山道で一人、おまけに薄汚れた格好でヒッチハイクしていたまるゆ。
いかにも恵まれない家庭の、訳ありな子供という気配に、火野は面倒ごとはごめんという心境だった。
が、だからといってこんな場所に、一人置き去りにするような事もできない。
もやもやとした気持ちで、しばらく前島とまるゆの様子を見ていた火野だったが、付き合いきれないというように、二人から離れてあてもなく歩き出す。
「……観覧車か」
園内をしばらく歩いて現われたのは、小型の観覧車。
小型といっても25メートルほどの高さがあり、中心から伸びたアームの先には、色とりどりのゴンドラが取り付けられている。
もっとも、他の遊具同様にかつての面影はなく、塗装は剥げ落ち錆びだらけ。
おまけに風で揺れるたびに鳴る、キイキイときしんだ音が、閉園後の長い年月を感じさせていた。
「これは……なんですか?」
しばらくボケッと観覧車を眺めていた火野の後ろに、いつのまにかまるゆが立っていた。
火野は前島の姿を探すが、近くに見当たらない。
「……別になんでもいいだろが」
あまり深く関わりたくない火野は、まるゆの疑問にそっけなく返す。
その冷たい物言いに、まるゆは驚いた様子でキュッと口を閉じ、うつむいた。
それを見てどうにもいたたまれない気持ちになった火野は、ガシガシと頭をかきながら口を開く。
「観覧車っつってな。乗るんだよ、あのぶら下がってるカゴみたいなのに。んで、あれが水車や風車みたいにグルグル回るんだ」
「あ……そうなんですね、教えてくれてありがとうございます!」
素直な感謝の言葉に、自らの大人げなさが恥ずかしくなったのか、火野は周りに設置されている柵をくぐり観覧車に近づく。
「ほら、こっちこい。動かないけどゴンドラに乗れば、ちったあ気分が味わえるぞ」
「え、あ、はい!」
手招きする火野に、まるゆは嬉しそうに駆けよる、が。
「あぶない!」
急に火野の手を掴み、強い力で引っ張り寄せるまるゆ。
その直後、火野が立っていた場所に、アームの一部である短い鉄の棒が落ちてきた。
錆びてもろくなっていた鉄の棒は、地面にぶつかりカーンと硬い音を立てて跳ねる。
「……あっぶねぇ」
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……よく落ちてくるのがわかったな……てか、お前見た目の割に力あるな」
「えへへ……」
火野の言葉にまるゆは、心配と、気まずさが交じったような曖昧な笑顔を返す。
その顔を見て火野は、自分が素直に礼の一つも言えないことが恥ずかしくなり「アホか俺は……」と、小さくこぼす。
「車に戻るか……ったく、やっぱ観覧車はろくなことがねえ」
「火野さんは観覧車がお嫌いなんですか?」
「まーな。昔、観覧車の下で女に告って振られた……って、そんなのはどうでもいいんだよ。つーか、前島どこに行きやがった」
「前島さんなら飲み物を取ってくるって、車のほうに行かれました」
「はぁ? 子供ほったらかしてなにやってんだよアイツは……」
火野がイライラとしたふうに頭をかく。
その不機嫌そうな火野の様子に、ビクッとしたまるゆ。
彼女は慌てたようにポケットに手を入れ、透明な包装紙にくるまれたなにかをとりだした。
「そ、そうだ火野さん、お礼にもならないかもしれませんが……これ、どうぞ! 甘くて美味しいですよ!」
突然差し出された贈り物に、火野はしばらく戸惑うような間をあけたあと、それを受け取る。
包装紙を開くと、サイコロくらいの大きさの、黄色がかった透明な飴らしきものが出てきた。
火野がポイと口に入れると、シンプルな砂糖の甘みが口の中に満ちる。
「べっこう飴か、また懐かしい味だな」
「おいしいですか?」
「ああ、甘いよ」
「えへへ、お母さんが作ってくれたんです」
「……さよか」
無垢なまるゆの笑顔。それを見ていたたまれない気持ちになった火野は、車に向かって早足で歩き出し、まるゆは、あわててその後を追う。
しばらく歩いていると、二人の前方に水筒を抱えた前島が、焦った様子で走り回っていた。
「こっちです!」
まるゆが声を掛けると、それに気がついた前島が、慌てて二人に駆け寄ってきた。
「よかった、一緒だったんですね」
「お前、子供から目を離すなよ。怪我したらどうすんだ」
駆け寄ってきた前島の頭を、火野が軽くはたく。
「そうですよね……すみませんでした、まるゆさん」
「い、いえ! まるゆも勝手に動いてしまって、すみません!」
お互いに対して何度も謝罪を繰り返す二人。
いつまでも終わらないその行動にげんなりとした火野は、いい加減にしろと言ってやめさせた。
「んで、これからどうするよ」
「えっと……あ、ままごとをしてみたいです!」
「わかりました」(即答)
「なんの遊びをするか聞いたわけじゃねえ! つかままごとぉ!?」
「こんなこともあろうかと、シートも持ってきました」
「えへへ、じゃあまるゆがお母さん役やりますね!」
「では私はお父さん役を、ふふふ、まるゆさんと夫婦ですね」(恍惚)
「もしもーし! 聞いて! 俺の話を聞いて!!」
「え、やらないんですか?」
「なんでそんな信じられない……みたいなツラしてんだよ!? やらねえよ!!」
まるゆと前島に突っ込みが追いつかない火野の叫びが遊園地にこだました。
火野は呼吸を落ち着け、咳払いを一つする。
「とにかく……もう遅いしあれだな、今夜はここでキャンプするか」
「もう十六時ですか……確かに、夜の山道をあてもなく彷徨うのは危険ですからね」
「そんなわけでまるゆ、たき火に使うから、その辺探して乾いた木を集めてこい。ただしデカイ施設には近づくなよ」
「あっ……はい! まるゆ、了解です!」
火野に頼られたのが嬉しいのか、まるゆはニッコリと笑みを浮かべて返事をする。
「あと危ないから前島も連れてけ」
「当然かと……っぶ!?」
当然のように当然だと言う前島に微妙にイラッとした火野は、前島の頭を強めにはたいた。
※ ※ ※
「アレわかるか?」
「あれははくちょう座です!」
日が沈み、夜の帳が下りる頃。
夜の山道は危険だったので、適当な空き地に車を駐めてキャンプをすることにした一行。
レトルトの夕食をとったあと、三人は満天の星々を眺めながら会話をしていた。
「正解ですね。まるゆさんは星座にお詳しいので?」
「はい、星座は方角を見るための基本的な知識として備わってますから」
「備わっている? あの……それはどういう意味で?」
「はい! じつはまるゆは艦、あ、いえ、それは違って……」
「おいまるゆ、アレ何座かわかるか?」
「あ、あれはわし座です! その隣のこと座と、さっきのはくちょう座を合わせて、夏の大三角形と呼ばれてるんですよ」
「あー、なんか名前だけは聞いたことがあるな」
火野はまるゆの説明を聞いて、ふむふむと興味深そうな様子で頷く。
「でも前島さんすごかったですね! ポケットや荷物からいっぱい道具が出てきて驚きました!」
「ふふふ、それほどでもありませんよ」
「ニンジャみたいだろ? コイツのお袋さんの教育でな、馬鹿みたいになにかとポケットに入れてるんだよ」
「備えあれば憂い無しといいまして、まあ、日常生活ではそうそう使うものでもないのですが」
「まあ、お前がいるとキャンプが楽でいいよ」
昼間の遊園地でのこともあり、やや打ち解けた様子の三人。
そのあたりの空気を読んでか、火野は気になっていたことを切り出した。
「で、今更だがお前、なんであんなところでヒッチハイクなんざしてたんだ。そもそも親はどうした?」
「お母さんは先日亡くなったのでもういません、だから海に行くことにしたんです」
「いないって、いや、それより……」
火野は気まずそうに前島をチラリと見る。
続きはお前が聞け、そう言わんばかりの無茶振りを確かに感じ取れてしまった前島は、これまた気まずそうに口を開く。
「あの、その年齢で保護者無しに外を出歩く、しかも旅をしているというのはさすがに危ないかと……」
「え、まるゆに保護者はいませんよ? でも提督はいます。海に行くのは提督やみんなに会うためです!」
「て、提督……ですか?」
「はい、まるゆは艦娘なので。あ、これは言っちゃ駄目なんでした……え、えっと、心配されてたなら大丈夫です! まるゆはこう見えても強いんですから!」
小さな手で握り拳を作るまるゆ。
二人の男の心に、それぞれの思いが湧いた。
火野の感情は、厄介なやつを乗せてしまったという後悔と、さっさと警察に預けてしまいたいという思い。
これは普通の人間であれば真っ先に浮かぶ、一般的な感情だろう。
なぜなら話を総合すると、この少女は母親が死んで、身寄りが亡くなったことで、どこかがおかしくなって自分が艦娘だと思い込んでいる。しかも最悪、海に行って身投げする危険をはらんだ厄介な少女だ。
一方、前島の感情は火野と似ているようで、まったく違っていた。
それはこのかわいそうな少女を、一刻も早く安全な場所に連れて行かなければという、誓いにも似た使命感だった。
「そうですか、それは心強い。安心してください、必ず私たちがまるゆさんを目的地まで連れて行ってあげますよ」
「私、たち、ねぇ……」
幼い頃より、艦娘である母親から受けてきた愛情深い教育。
危険から身を守れるよう、前島は特殊部隊の兵士も逃げ出しかねない、地獄の訓練をたたき込まれてきた。
その反動で、前島が幼い少女しか愛せない性癖になってしまったことを知る火野は、げんなりした表情を浮かべる。
「なあまるゆ、ほんとにお前を探してるやつってのは居ないんだよな? 実は家出でしたってなると、俺らが誘拐犯扱いになってやばいんだが」
「えっと、はい、いないはずです……だ、大丈夫です!」
火野の問いかけに、微妙に目が泳ぐまるゆ。
「まぁまぁ先輩、まるゆさんも大丈夫だと言ってることですし」
「ありがとうございます!」
「……わあったよ。ほらまるゆ、もう眠いだろ。車の後ろの席で寝とけ」
「は、はい。ではお言葉に甘えて……」
まるゆは疲れていたのか、車の後部座席に乗り込み横になると、すぐに眠りについた。
たき火を囲んでいるのは、火野とその対面に座った前島の二人だけになる。
ちなみに二人は、車の近くに設置したテントで寝る予定である。
「で、どうする。明らかに怪しいけど。お前のアレ的に、アイツを安全なとこまで連れて行くのは決定事項なんだろうがよ」
「そうですね……事情はわかりませんが。どのみち、いまこんなところで放り出すことはできません。せめて大きな街の警察組織、理想を言えば艦連指定都市にある保護施設、そこに連れて行くべきでしょう」
前島は火野の問いかけにしばらく考え込んだ後、強い断言口調でそう答える。
艦連、正式名称は『艦娘連絡会』と呼ばれる、艦娘たちの相互扶助組織。
もっとも、愛らしい名称とは裏腹に、その実態は国家より強大な軍事力と経済力を有し、それを背景とした政治的な影響力を持つ巨大組織である。
そして艦連指定都市とは、その艦連の影響力が強い各国に存在する都市の呼び名であり、無用の争いを避けるために、各国の艦娘たちは基本的にそこで生活をしていた。
艦連指定都市は基本的に他の都市より、行政サービスの質が良い。
訳ありの子供であれば、親身になって面倒を見てくれる行政機関も存在するだろう。
前島の発言は、それを知ってのことである。
「俺はとっとと、地元の警察に引き渡したほうがいいと思うがな。……それにしてもアイツ、本当に艦娘だと思うか?」
「……おそらくはそう思い込んでいるだけかと。名前はわかりませんが、あのような容姿の艦娘は、私の知る限りではいなかったはずです」
艦娘に対して理解の浅い火野と違い、前島は自身の親が『足柄』と呼ばれる重巡洋艦の艦娘であることもあって、艦娘の知識に関して自主的に勉強する機会が多かった。
特に艦娘百科事典と呼ばれる、艦連が発行する存在する艦娘たちを記した書籍を何度も読み返していたことから、大体の艦娘の容姿に関しては見分けられる自信があった。
もっとも、変装などしていなければ、という前提ではあるが。
「あの歳で自分を艦娘だと思い込まないとやってけなかった状況か。どんなだったかあんまり想像したくはねえな」
「ええ、どこまでが本当のことなのかはわかりませんが、必ずやしかるべき安全な場所に届けなければなりません」
「旅行一日目にしてトラブル発生とはな、まいったぜ」
「いえ、むしろまるゆさんに出会えたのは、あらゆる意味で幸運だったかと」
前島の言葉に、火野はロリコンに付ける薬はないなと、諦めに似た表情を浮かべ、軽く天を仰ぐ。
それからしばらく、二人は無言でたき火を見ていた。
「なんでアイツ、海に行きたいんだろな」
追加の枯れ木をたき火にくべながら、火野がボソリとこぼす。
「まるゆさんの言葉を信じるなら、提督に会いに行くため、ということですけどね」
「提督に”会いたい“か……」
火野は、会いたい、という部分になにか思うところがあったのか、重い感情がこもった声色で呟く。
ときおり過去の艦娘と提督たちの子孫から生まれる艦娘。
そんな現代を生きる艦娘である彼女たちは、一つの運命を抱えて生きている。
それは、艦娘一人に対して、たった一人の提督適性者としか恋に落ちることができないという運命。
生物学的な話をすれば、会えるかどうかもわからない、世界のどこにいるかもわからない、波長が一致したたった一人の人間との間にしか子供を作れないという特性である。
その波長が一致する適性を持った者こそが、現代における『提督』と呼ばれる存在であった。
これもまた、この世界における一応の一般常識である。
それは幼い少女たちが一度は憧れる、運命の相手と結ばれる物語。
その物語のヒロインになりきっている様子のまるゆ。
幼い少女の背景を改めて想像し、二人はまた胸が締め付けられる思いに駆られる。
「なにか、まるゆさんのためにできることは無いのでしょうか?」
「俺らにできるのは、せいぜいアイツを途中の街まで乗せてってやるくらいだ」
「本当にそれだけでしょうか?」
「なにを期待してるのか知らんがそれだけだよ。むしろ他になにかできることがあるか?」
「……自分の無力さを痛感します」
前島は悔し涙がこぼれないよう空を見上げ、つられるように火野も顔をあげる。
どんよりと雲のかかったような二人の心とは対照的に、夏の夜空には満天の星々が輝いていた。
『会いたい……』
そうこぼしながら泣く、赤い目をした金色の髪の女性。
初恋の人であるその女性が泣いているのに、火野はなにもできない。
会いたければ、会いに行けばいい。
その言葉を呑み込む。
なぜなら彼女はここを動けない、いや、動かない。
それはこの庭園も、彼女にとって大切なものだから。
だから彼女は今日も待ち続ける。
帰ってくるかもわからない、誰かを。
『会いたい、会いたいなぁ……』
火野は、唇が切れるほど強く噛みしめる。
自分の無力さが、悔しくてしょうがなかった。
※ ※ ※
「朝だー! もぐもぐもぐ……zzz」
「オイ前島、後ろの幸せそうに寝てるアホをそろそろ起こせ」
「無理です」(まるゆの寝顔をガン見中)
紳士のボーナスタイムである、まるゆの寝顔に、前島の意識が釘付けになってしまったため、寝起きで運転する羽目になった火野。
こうなった前島がテコでも動かないことを知っている彼は、あきらめて煙草を一本取りだしくわえたが、ちらりと眠っているまるゆが視界に入り、ため息を一つはいて煙草を戻す。
せめて眠気覚ましにと思い、火野が軽く窓を開けると、朝の日射しと一緒に夏の朝風が車内に吹き込んできた。
いま一行が走っているのは、山を下りて平野となった農村部。
もっとも、山道を走っていたときから見える風景は、相変わらず緑一色だ。
「ちっ、売店の一軒もねえのかよ」
「このあたりは山間部ですからね、おそらく移動販売に頼っているか、あっても小さな雑貨屋程度でしょう」
「なーんでそんな田舎道を俺らは走ってんだよ」
「先輩が地図投げ捨てて迷った話、もう一回しますか?」
「……だからこうやって必死に、地図売ってそうな店探してるんだろうがよ!」
「逆ギレで大きな声出さないでくださいよ……まるゆさんの眠りの妨げにな――」
キキッー! っと前島の抗議の声をさえぎるように、急ブレーキの音が響く。
と同時に急停止の反動で、首をひねって後ろを見ていた前島の首が面白い方向に向き、後部座席で寝転んでいたまるゆが悲鳴を上げながら転げ落ちた。
「はわ、はわわ!?」
「ぐっ、ぐびが……先輩……なんですか急に……」
火野は無言で、うんざりしたような表情でフロントガラスの先を指さす。
前島とまるゆがその先を見ると、道路に牛が多数寝そべっていた。
「なーんでこんな所に牛が居るんだよ」
「種類的に食肉用の牛ではないでしょうか?」
「あれ……牛さんですか?」
「おはようございます、まるゆさん。ええ、おそらくあれはアンガス牛の一種でしょう」
「あんがす?」
前島がまるゆと楽しくおしゃべりを続けるのを尻目に、火野は外に出て近くで牛の様子を見ている老人に話しかける。
火野は老人としばらく話した後、あきらめた様子で車に戻ってきた。
「午前中から昼まではここから動かないんだとさ、クソッタレ」
「足止めですか」
「ったく、これだから田舎はいやなんだよ」
火野はふてくされたように座席を倒し、身体を横にする。
「寝る、牛がどっかに行ったら起こしてくれ」
「まあ、この状況では仕方ありませんね」
「あ、あの! まるゆ牛さんを見てきてもいいでしょうか?」
「あ? ああ、好きにしろよ。食われんようにな」
「え、ええ!? う、牛さんまるゆを食べちゃうんですか」
火野はまるゆの言葉には答えず、グースカといびきをかき始めた。
反応のない火野、まるゆはすがるように前島を見つめる。
「食べませんよ、牛は草食動物ですから。ですが身体が大きくて危ないので、私と一緒に見に行きましょう」
そうまるゆに向けて言った前島の表情は、まるで守護天使が浮かべるようないい笑顔だ。
つまり今日も前島のロリコン信仰は絶好調の様子。
だがまるゆはその微笑みを見て、前島がどうして自分にそこまで優しくしてくれるのか、そんな疑問が湧く。
「あの……どうして前島さんは、まるゆに優しくしてくれるんですか?」
「はい?」
自身にとって『なぜ息をするのか?』に近い質問。
そんな質問になんと答えを返したら良いものかと頭を悩ませる前島に、まるゆは言葉を続ける。
「あの、失礼かも知れないんですが、普通はその……火野さんみたいに迷惑そうというか、損だなって思われるのがあたりまえなのかなって……。でも、前島さんは最初からずっと、まるゆの為に色々してくださって、とっても親切で。それがちょっと気になってしまって……」
まるゆの疑問を聞き、前島は思わず黙り込む。
そしてしばらくして、辛そうに口を開いた。
「私は……児童性愛者、俗に言われるロリコンと呼ばれる性癖を抱えているんです」
幾らでも言い様はあった、家訓だとか、人には親切にするのが当然だとか。
だが、真っ直ぐとこちらを見つめてくるまるゆの無垢な瞳に、前島は嘘をつけなかった。
「ロリコン……ですか?」
「はい、まるゆさんのように、幼い少女にしか魅力を感じられない、そういった人間のことです」
「あっ、えっと、それはその……」
「身も蓋もない言い方をすれば、その。まるゆさんに優しくしているのは、下心というものです」
驚いた様子のまるゆ、それを見て前島は慌てて言葉を続ける。
「も、勿論、なにかを要求したり、怖がらせるつもりはありません。それに普段は、なにかを求められない限りはあまり近づかず。そっと遠くから見守る程度なんですが……それでも、褒められたものではありません。あっ、まるゆさんを目的地まで安全にお連れするのはその、当然なにか見返りを求めるつもりもなくてですね、ただ、一緒にいられるだけで充分こちらにとっても益があると言いますか、その……」
なにを言っても言い訳にしか聞こえないことに気がつき、前島は口と目を閉じて軽く頭を振る。
どんなに言葉を尽くしても、きっと自分はまるゆを怖がらせてしまうだろうと後悔するように。
「正直、このような性癖を抱えてしまった自分を、恥ずかしく思います」
そう言って、前島は地面に腰を下ろし、顔を下げる。
まるゆは自分より遙かに大きな身体の前島が、まるで泣きそうな子供のようにうつむくのを見て、その手を取った。
「えっ?」
驚いた前島が顔をあげると、そこには優しい表情を浮かべたまるゆの顔があった。
「恥ずかしがる必要なんてないと思います。だって、好きな人には……優しくできます。なら前島さんがそういうえっと、性癖なのは……きっと、まるゆみたいな小さい人に優しくなれる、そういうすてきな人になるためで。そして、将来前島さんが愛する人がそうであるから、そうなった。そういう、運命みたいなもののためなんだと思います」
「運命……ですか?」
「はい。だからそれを恥ずかしいだなんて、思う必要はないとおもいます! ……あっ、なんだか偉そうなこと言ってしまってすみません」
パタパタと手を振りながら紡がれたまるゆの言葉は、空気を伝い前島の耳に入る。
そしてその言葉は彼の身体中を駆け巡り、最後に心に届いた。
前島は心を覆っていた重い雲が晴れてゆくように、気持ちが晴れやかになってゆくのを感じる。
「…………いえ、そう言っていただけて、楽になりました」
それは、まるゆにとってはなんでもない、ただの慰めだったのかも知れない。
「ありがとうございます、まるゆさん」
だが前島にとってその言葉は、彼のその後の人生を決める言葉となった。
それほどまでにその言葉は、前島の人生の全てを肯定してくれるような、優しく燃える炎のような熱さを持っていたからだ。
前島は、ひざまずき、すがりつきながら感謝を叫びたくなる衝動を必死に抑えながら、努めて短い言葉で感謝を述べる。
馬鹿みたいに叫び、涙を流しながら感謝を述べれば、きっとまるゆを怖がらせてしまうと知っていたから。
「あっ、そうだ。前島さんにも。これをもらってください!」
「これは……飴でしょうか?」
まるゆはポケットから、火野に渡したものと同じ飴を取り出す。
前島は差し出されたそれを、震える手で受け取った。
「はい! お母さんとまるゆの手作りです!」
「……ありがとうございます。大切にいただきますね」
「えへへ、前島さんみたいなステキな人に食べてもらえたら、おかあさんも喜ぶと思います」
「……しかしこんなに素晴らしいものをいただいてしまっては、まるゆさんを必ず海までお連れしなければなりませんね、ハハハ」
わずかに震える前島の言葉に、まるゆはニッコリとした笑顔を返した。
※ ※ ※
「クソッ! 今年もユーリーの独走かよ」
年季の入ったテレビに映っているのは、世界的に有名なバイクレースの模様。
その中継を、食い入るように見ていた火野が悪態をつく。
牛のストライキから脱出した一行だったが、脱出したからといって特に向かう当てがあるわけではない。
そもそも、この小さな農村を抜け出す道もよくわかっていないのだ。
だがそんななかで奇跡的に存在した、小さな食堂を見つけた一行は、そこで遅めの昼食を摂ることにした。
「先輩。それは悪態をつくようなことなんですか?」
「ユーリーも嫌いじゃねえけど、俺は島のファンなんだよ! ほら、あのKUREって書いてあるチーム、あのチームのレーサー!」
「はぁ。しかし点数表を見るに、ずいぶんとポイントが離れてるように見えますが?」
「いや、まだシーズンも前半だ。島なら後半で追いつく」
テレビには、二位を圧倒的に引き離してゴールした夕張重工所属の選手であるユーリーが、チームのメカニックである女性と抱き合っている様子が映し出されていた。
ちなみにKUREは、艦連指定都市である艦夢守市を拠点とするチームである。
レースが終わり、内容が表彰式や解説に切り替わって興味をなくした火野は、前島の質問に投げやりに答えると、すっかり伸びた蕎麦をすすり始める。
「……ほら、隣町までの地図描いてあげたわよ。あと、そこに書いてある宿の予約もしといてあげたから、感謝しな」
店の奥から出てきた、恰幅の良い中年の女性が、火野に手描きの地図と宿の連絡先が書かれた紙を手渡す。
「おお! サンキューなおばちゃん」
「知り合いがやってる宿をわざわざ予約してあげたんだ、必ず行くんだよ」
中年の女性は、火野の感謝に抑揚のない念押しで返し、のっしのっしと奥の厨房へと戻っていく。
「……地図描いといてもらってあれだけど、愛想の無いおばちゃんだな」
「田舎の食堂ですし、よそ者は警戒されるんでしょう。ですが宿の予約までしていただけた以上、根は親切な方なんだと思いますよ」
「いや、ありゃ馬鹿な旅行者をカモってやろうって腹かもしれねえぞ」
「警戒しすぎですよ……」
「あ、あの。火野さんはあのバイクって乗り物がお好きなんですか?」
先ほどから珍しそうにずっとテレビを見ていたまるゆ。
彼女は興味津々といったような、キラキラとした表情で火野に聞く。
「んぁ? まぁな、バイクはいいぞまるゆ。一度乗っかって走れば、自分が最高に格好良く思えるからな」
「すごい!? バイクに乗れば、まるゆもかっこよくなれるんでしょうか!」
「オメーの短足じゃ、まず乗れるバイクが……あーいや、夕張重工のバイクでなんかちっちゃいのがあったな」
「危険な乗り物をまるゆさんに勧めないでくださいよ……まるゆさん、大人になってから乗るなら、車の方がいいですよ。まだその方が安全ですので」
「はー、これだから浪漫のないヤツは。おいまるゆ、お前将来コイツみたいなつまんないヤツになるなよ」
「前島さんは優しくていい人ですよ? さっきも牛さんのことを沢山教えてくださいました!」
「まるゆさん……」(チョロトクゥン)
前島とまるゆのやりとりを聞いて、火野は眉をぴくりと動かし、おもむろに告げる。
「……まるゆ、お前便所行っとけ。これからまたしばらく走ることになるからな」
「へ、あ、了解です!」
まるゆは少し強引な火野の言葉に驚くも、素直に従って席を立った。
火野はまるゆがトイレに行ったのを確認し、前島の目を真っ直ぐ見て話し出す。
「前島、お前アイツにこれ以上入れ込むのは止めろ」
「は? 別にそんなつもりは……」
「入れ込んでんだろ、どう見ても」
「……だとしてもなにか問題が?」
「いい機会だからこの際だからはっきり言っとく。お前それ治せ、じゃないといつかえらい目に遭うぞ」
「それは……どういうことでしょうか?」
前島の性癖を昔から知っているのは、前島の母親と目の前の火野だけだ。
火野はそれを知った上で、前島の性癖を尊重してきた。
だからこそ彼らは友好関係を保ってこれた部分がある。
その火野が、珍しく真剣な目で前島のその部分に踏み込んできたのだ。
「いいか、お前と、いつかできるかもしれないお前の家族のために言うんだぞ。人間ってのは、社会的にこうあるべきって外せないもんがある。それに逆らうと幸せには生きられねえ。ロリコンってのは生物学的には正しいのかもしれんが、いまの社会的ルールだとアウトだ。どんなに気をつけてても、一歩間違えりゃ犯罪者になっちまうかもしれん。そうなれば家族にまで被害がいく。運が悪けりゃ村八分だ、嘲られ、虐げられる。お前の周りを巻き込んでな」
「……例えそうなっても後悔はしませんよ。それになにかを愛せる人生は幸せです」
「頼むから愛についてごちゃごちゃ言うな。そもそも定義が曖昧なものを押しつけりゃ戦争が起きるのは当然だろうが」
火野はガシガシと頭をかきながら、感情を抑えるような表情で、言い聞かせるように言葉を続ける。
「アイツを保護してもらえるとこに送り届けるのは、まあお前のそれ抜きにしても納得してやる。だけどお前はアイツに対してある程度ドライに接しろ、じゃないと別れがつらい」
「……ですが」
「代わりに俺が適当に相手してやる。向いてないだろ、お前はそういうの」
「私が先輩とは違うタイプだからですか?」
「ああ、そうだ」
前島は苦虫をかみつぶした様な顔をしたが、意を決したように口を開く。
「お断りします。私はせめてまるゆさんを安全なところに送り届けるまでは、楽しい思い出を作っていただきたい」
「……なぁ、おい。わかってると思うが俺らは卒業したら、そうそう顔を合わせることもなくなるだろ。いままで色々とお前の尻ぬぐいをしてやってきたが、これからはそうもいかなくなる。お節介は重々承知だが、俺が一緒にいられるうちはそれを治す手伝いをしてやれる。だからな、黙っていうこと聞いと――」
「お断りします」
「……俺の忍耐にも限界があるぞ」
「お断り――」
火野は前島の襟首を掴み、にらみつける。
普段のいい加減な様子と違い、本気で怒っている、そうわかる表情。
前島はそれに怯むことなく、真っ直ぐににらみ返す。
「あ、あの! ただいま戻りました。えっと、その……」
どのあたりから見ていたのかわからないが、トイレから戻ってきたまるゆが二人の争いを止めるようなタイミングで声をかける。
火野はまるゆをチラリと見たあと、乱暴に前島の襟首から手を離した。
「行くぞ。代金払っとけ」
「……」
まるゆはどこか険悪な二人の様子を見て、なにかを言おうとする。
だが、なにを言えばいいのかわからず、結局なにも口に出せなかった。
※ ※ ※
「そこ、真っ直ぐです。しかし今日も暑く――」
「そうか、いいからナビ以外は黙ってろ。お前の声聞いてると耳が腐るよ」
「……」
食堂を出て車を運転することしばらく。
目に見えて不機嫌な火野のせいもあり、車内には険悪な空気が満ちていた。
そんな険悪な空気の発生源である火野は、タバコを取り出して吸おうとする。
が、車内にいるまるゆをチラリと見て、ため息を吐くと煙草をしまう。
そして路肩に車を停め、サイドブレーキを引く。
「ちょっとションベンとタバコ吸ってくる」
火野は短くそう言い残して、車外に出る。それを無言で見送る二人。
昨日なら気さくに話しかけてくれるはずが、今日、というより先ほどからずっと黙っている前島。
恐らく自分が原因なのだと察していたまるゆは、そのことに罪悪感のようなものを感じる。
「……あの、ごめんなさい」
「はい?」
「まるゆのせいなんですよね。その、火野さんと前島さんがギクシャクしてるのって」
「ああ、まあ、先輩はしょっちゅうああなるので、あまり気にされなくても―――」
「いえ、気にします! あの、まるゆはここからでも歩いて海まで行けますので。どうかお気になさらず置いていってください!」
まるゆの決意のこもった言葉。
それを聞いて前島は少し驚くも、眼鏡を外して心を落ち着けるように軽く目を揉み、ゆっくりとかけ直す。
そして深呼吸を一つ置いて、微笑んだ。
「……それは難しいですね、私がどうこうと言うより、先輩的に」
「へ?」
「先輩はまあ、あの通り粗暴で短慮なところもありますが。それ以上に親切で心優しい人なんですよ。実際私の様な人間と友人でいてくださっているのが、なによりの証拠です」
まるゆはその言葉を聞いて不思議そうに首をかしげる。
前島は少し昔を思い出すように軽く顔をふせて、再びまるゆを見た。
「昔、先輩の友人の妹さんが、難しい病気になったことがありました。あとから聞いたんですが、先輩だけだったようです、毎日お見舞いに行ってたのは」
「難しい病気ですか?」
「はい、少し説明が難しいのですが、細菌性の要因による病気だったんです。つまり妹さんと接触する人間は、特殊なワクチン接種を受ける必要がありまして。先輩はわざわざそれを受けてまで毎日、お見舞いに行っていたそうです」
前島は無意識に自分の手を握りしめる。
当時、話を聞いたときの感情がそのまま蘇ってきたのだ。
「そのおかげで先輩の友人は、つきっきりで看病する間の休憩が取れて、食事したりトイレに行くことが出来たと言ってました。ですが容態が急変して、その妹さんが亡くなったとき、友人の方は家で休んでらっしゃったようで。代わりに妹さんのそばには先輩がいて、最後までずっと手を握っていたと―――」
前島は語っているうちに、自分が感傷的になっていることを自覚し、ハッとした表情を浮かべる。
そして一回咳払いをして、微笑みを浮かべた。
「まあその、なにが言いたいのかというとですね。大丈夫ですよまるゆさん、先輩は一度決めた以上、なにがあろうと貴方を海に連れて行ってくれます。無論、私も全力を尽くしますよ」
無論、という部分を強調するロリコン紳士前島。
色々と理由はあるが、結局のところ前島にとって大事なのはそこだった。
「それに、先輩が怒っているのはまるゆさんのことではなく、私の……まあ、性癖のことですので。何度も言いますが、まるゆさんはなにも悪くありませんよ。むしろ私たちの方こそすみません、まるゆさんに気を使わせてしまって」
前島がそう言い終えたところで、火野が車に戻ってくる。
そして二人をチラリと見て、ため息を一つはいた。
「……待たせたな」
「いえ……あの、どうされました?」
だがいつまでたってもエンジンをかけない火野に、前島が声をかける。
「やらかした、ガス欠だ」
「は?」
「微妙に残っちゃいるが、このままだと村境の峠あたりで切れる。くそッ、ガソスタの場所も聞いとくんだった!」
「……戻ってガソリンを分けてもらいますか?」
「考えて物言えよ、戻る距離考えたら進む距離の方が近いだろが!」
「……なら、私が車を押しますよ」
「言ったなオイ。おら、ニュートラルにしてやったぞ、ほら、とっとと表出て押せ――」
「あ、あのっ!! まるゆにおまかせください!!」
言い争いを始めた二人の言葉をさえぎるように、まるゆが声を上げる。
「んあ? なんだよ、そのリュックの中にガソリンでも入ってんのか?」
「い、いえ。まるゆがこの車を後ろから押しますので!」
「は? お前なに言って――」
火野がどういうことか聞き返すよりも早く、まるゆは車の外に飛び出す。
そして「行きます!」と、掛け声を響かせ車を押し始めた。
火野たちが乗る車は、確かに押せば前に動かすことはできる。
だが、それはある程度力や体重がある男性だったらの場合。
当然ながら、まるゆの体重や力では少し進ませるくらいがせいぜいだ。
火野と前島は、慌ててまるゆを止めるために車から降りようとする、が。
驚くことに、車がゆっくりと、そして徐々にスピードをあげて動き出す。
流石にエンジンがかかった状態とまではいかないが、それでも大人が走るくらいのスピード。
車が曲がりそうになったため、火野は慌ててハンドルを握る。
そして前島が後ろを振り返り、後部座席の窓から外を確認した。
「お、おい、どうなってる? もしかして昨日のイノシシが後ろにいるのか?」
「……いえ、まるゆさんが、車を押しています」
「はぁ!? なに言ってんだお前!?」
「私も自分の目を疑いたくなりますが、間違いありません」
火野はチラリとバックミラーで後ろを確認する。
見ると確かに、まるゆのものと思わしき、黒い髪の頭が揺れているのが見えた。
「……どういうことだよ」
「もしかすると、いえ、間違いありません。まるゆさんは……艦娘です。そうであれば、艤装を展開せずとも、普通の成人男性より強い力やスタミナを持っているはずなので。車を押して走るくらいは可能なはず……です」
「……マジか、てことはなにか? アイツはお前のお袋さんと同じってことか? 漬物石でお手玉するようなあのお袋さんと?」
「まあ、母のアレは缶に火を入れた状態でもあったので」
艦娘の陸上での性能は、艦種や個体で大きく差があるのだが。総じて缶と呼ばれる、艦娘独自の機関に火を入れることで、数トン以上の重さの艤装と呼ばれる兵器を背負って、海の上で戦うことができる。
ただしそれは海の上で浮力を発生させることができる、水上靴と呼ばれる艤装を装着した上での話だ。
その状態でないと、陸上では増加した自重を支えることができない。
もし訓練を受けていない未熟な艦娘が、陸上で缶に火を入れれば、爆発的に増加する出力に応じた分、体重が増加し、最悪脚が壊れる。
また、それによる身体への反動で行動不能に陥るのだ。
熟練の艦娘であれば、一キロ単位で出力を調整するなどして、身体への影響が出ないレベルで身体強化が可能なのだが、普通の艦娘ではそれが難しい。
「あー、その艤装やら缶やらはよくわからんが。つまりなんだ、やっぱりアイツはマジでそのアレなのか?」
「……はい、艦娘です」
自分を艦娘だと思い込んでいる、頭が少しおかしくなった気の毒な迷子の子供。
そう思っていた相手が、本当に艦娘だった。
想像もしていなかった衝撃の事実に、いつの間にか車内の険悪な空気は消し飛んでいた。
※ ※ ※
途中で見つけた民家でガソリンをわけてもらい、なんとか目的の旅館にたどり着いた一行。
だがガス欠のトラブルもあり、町外れにあった小さな旅館に着いたのは、辺りが暗くなってからだった。
一行が旅館に入って予約の件を伝えると、男二人に子供一人という組み合わせが珍しいのか、じろじろと受付に見られる。
火野と前島は、受付の一人がどこかに電話したように思え、通報されたかと心拍数が一瞬跳ね上がった。
が、どうやら杞憂だったらしく、特に問題なく宿泊の手続きを終えると、三人は十畳ほどの広さの客室に案内される。
そこでようやく三人は、腰を落ち着けてくつろぐことができた。
「おいまるゆ、お前本物の艦娘なんだろ?」
そんな穏やかな空気だったところに、火野はまるゆの不意を突くように質問を投げかけた。
その内容に、まるゆはビクリと震える。
「そそそそそそ、そんなことないですよぉ?」
目に見えて動揺するまるゆを、じっと見つめる火野。
「あの、まるゆさん。さ、さすがに車を何キロも押して走り続けるのは、まるゆさんくらいの年齢の方には不可能なのですが……」
「じ、実はまるゆは見た目より若いので、それくらい平気なんです!」
「アホ。お前の体格で車押して走るなんざ、若かろうと歳食ってようと関係ねえよ」
「ふぇ!?」
「……別に、だからってお前をとって食いやしねえよ。このままお前を海、それかお仲間のところまで連れて行ってやるのはまぁ、いいんだよ。ただなんだ。艦娘だってのを隠さにゃならん事情やら聞いとけば、その辺に配慮してやれるって話だ」
「……言えません。言えばお二人に迷惑をかけてしまいます」
「まるゆさん……」
黙り込むまるゆ。
部屋に重い沈黙が流れる。
「……まるゆ、お前トランプか花札できるか?」
「え、は、花札ならできますけど」
「よし。じゃあ賭けといこうじゃねえか。もし俺か前島が勝ったら、事情を話せ。俺らが負けたらなにも言わなくていいし、お前を行きたいとこまで連れて行ってやる。いまなら大サービスで勝負を受けるだけで、旅の旅費は全部俺ら(前島九割)が持ってやる。どうだ、受けるか?」
突然の提案にポカンとするまるゆ、と、前島。
「わかり……ました。その勝負受けます!」
だが勝負事には慣れているのか、まるゆはふんすと気合を入れるポーズをして、その勝負を受けた。
「よし。前島、フロントで花札貸し出してないか聞いてこい、んで借りてこい」
「え、は、はい……あの、まるゆさんをいじめないでくださいね?」
渋々という風に部屋を出ようとして、立ち止まった前島が振り返る。
火野はその背中に「はやくいけ!」と、大きな声を浴びせかけた。
「……ごめんなさい。まるゆのせいでお二人の仲を悪くしてしまって……」
「あ? ああ、別にあんなのはいつものことだよ」
「でも……あの、いまからでも遅くありません。まるゆは一人でも海にいけると思いますから――」
「無理だな、お前の短い足で何日かかんだって話だ。つーか、そんな泣きそうなツラでなに言ってやがる」
「ふぇ?」
「それにな、俺がはいそうですかって納得したところで、前島のヤツが絶対納得しねえ。うすうす気がついちゃいると思うが、あのアホは子供(少女)が困ってるのをほっとけねえんだよ。病気みたいなもんだから、なんとかしてやろうと思ったこともあったが……多分ありゃ死んでもなおらんだろうな。つまり……俺がどうだろうと、アイツがお前を死んでも海まで連れてく、だから運がよかったか悪かったと思って最後まで付き合え」
「ですが……」
火野は煙草をとりだし口にくわえ、火を点ける。
そして大きく一回吸い込み、机に置かれた大きなガラスの灰皿に灰を落とした。
「そういや昔な、大雨が降って地元の川が増水したことがあったんだよ……。雨は止んだが、次の日も川の水は引かなかった。で、俺と前島が橋を渡ってたときのことだ。上流からお前くらいの歳のガキが流れてきた、多分足を滑らしたんだな。いまにも溺れそうだったが、川の流れがやばすぎて俺たち……いや、俺にはどうしようもなかった。情けない話、俺はブルってなんもできなかったんだよ。
でもな、あいつは一瞬だよ、なんの躊躇もなく川に飛び込みやがった。信じられるか? めちゃくちゃ増水してて流れも速くて、茶色く濁った川だぞ?
そしてあいつはそのガキを掴んで、なんとか中州に生えてた細い木に掴まって、ガキを抱きながらずっとその木にしがみついてやがった。俺が助けを呼びにいって、消防隊が到着して救出されるまでの間……なん時間もずっと、ガキを励ましながら木にしがみついてやがったんだ」
火野は煙がまるゆにかからないように吐き出し、もう一度吸って吐く。
「だからな、あんま気にするな。そういうやつなんだよアイツは。多分俺らが理解できる損得勘定じゃねえところがあるんだろ……。そんなわけで何度も言うが、お前にどういう事情があろうと、俺がどうだろうと、アホで頑固なアイツが海まで連れて行ってくれる。だから勝負がどうなろうと、安心して後ろに乗ってろ」
「……ふふふ」
「あぁ? なんか変なこと言ったか?」
まるゆは軽く口に手を当てて、年不相応な、大人びた優しい笑みを浮かべる。
そんな優しい表情を、久しく誰からも向けられた記憶が無かった火野は、思わず尻の据わりが悪くなった。
「いえ、前島さんも同じようなことをおっしゃってました。自分がどうだろうと、火野さんが絶対海まで連れて行ってくれるって」
「そりゃあのアホの妄想だ。俺は最初から、なんかあったらお前を捨ててくつもりだったっつーの」
「はい、まるゆもそれが当然だと思います」
再びどこか落ち着きのある、まるゆの言葉に、火野はまたしてもいたたまれなくなり、頭をガシガシとかく。
「でも、そんなお二人の関係がなんだかおかしく、いえ、うらやましくて。ステキなお母さんはいてくれましたけど、まるゆにはそういう人が……近くにいませんでしたから」
「……それはお前のお仲間……艦娘のことか?」
まるゆは少し考え込み、軽く首を縦に振る。
「ここは楽園だと思ってました。深海棲艦の存在しない平和な、一見満ち足りた世界。でもまるゆには大事なものが欠けていました……仲間たちと提督です。一緒に寄り添って、日々を生きようと思える大切な人。まるゆにはその人が必要なんです、だからまるゆは……」
後悔の入り交じった表情を浮かべ、うつむくまるゆ。
その握られた手は少し震えており、火野はそれに気がついた。
「……助言だ、若気の至りでなにしたか知らんが、重荷は下ろせ。この先の人生、重くなるばっかりだからな」
「……はい」
「戻りました。すこし古いですが借りられましたよ」
話の区切りがついたタイミングに合わせるかのように、手に花札を持った前島が戻ってきた。
「よし、覚悟するんだなまるゆ。いっとくが俺の花札の腕前は名人級だぞ?」
「先輩、それ初耳なんですが……」
「ふふふ、負けませんよ! 花札はお母さんと沢山しましたから!」
まるゆは前島から花札を受け取り、慣れた手つきで札を配り始める。
その様子に、火野は少し冷や汗を垂らす。
「おい、俺らどれくらいカモられると思う?」
「先輩が名人級なら、大丈夫ではないでしょうか。ちなみに私はルールを知っているくらいです」
「……よし、やるぞ」
結果からいうと二人は、この後めちゃくちゃ敗北した。
※ ※ ※
「くそ、ほんとにケツの毛までむしり取られるところだったぜ。ありゃ幸運の女神かなんか付いてるな」
「そういえば艦娘は、艦によって自身の運が数値でわかっていたと聞きますね」
「げ、マジかよ……なんで黙ってやがった」
「名人級なら大丈夫だと思いましたので。じっさいあれはまるゆさんの腕がよかったからかと思いますが」
宿の露天風呂につかりながら、愚痴をこぼす二人。
結局二人は、まるゆにすってんてんになるまでボロ負けしてしまった。
「まあ負けは負けだ、だからアイツは海まで連れてってやる。それでいいんだろ」
「別に賭けに負けなくても連れて行くのが当然だとは思いますが、ええ。あれだけ負けてしまった以上当然かと」
「ったく……まぁ、しょうがねえ。ついでだし、途中に観光地でもあったらぶらつくか」
「……私がいうのもなんですが、あまり長いことまるゆさんを連れまわすのはリスクがありますよ? もし職務質問でも受ければ、お互いせっかく決まった内定が取り消しになるかも知れません」
「アホ、内定取り消しが怖くて卒業旅行ができるか」
「いや、できるでしょ、普通」
呆れたように火野の言葉に突っ込みを入れる前島。
だが、その目はどこか嬉しそうだ。
「男が細かい心配してんじゃねえよ。まだ夏休みはアホほど残ってる。お前の言うとおりになるのはしゃくだが、まるゆにちっとは楽しい思い出つくってやりたいなら、もうちょっとくらいのんびりしてもいいさ。それにお前もアイツと仲良く遊びながら旅ができるなら、願ったり叶ったりだろ?」
「まぁ、そうですね……しかし、いいんですか? 先輩の言うところの入れ込むことになりますし、私の性癖のことでいっておられた、社会的なルールとしては間違っていますよ?」
「あほ。ルールってのは、自分で判断できない馬鹿野郎が縋るもんだ」
「言ってたこととまったく違いますが……」
「俺がなんか間違ったことを言ったらな、それはジョークだと思え。そして笑え」
「……ハッハッハー」
棒読みで笑う前島の頭を、火野はパチンと一発はたく。
「……お前、まるゆになんか言われたのか?」
まるゆへの親切に対して、自分のことのように喜ぶ前島。
その事に、いつもと違うなにかを感じた火野が聞く。
「トゲのように心に刺さっていたものを、まるゆさんに抜いていただけました。例え児童性愛者だろうと、ありのままの自分でいいと、その事にはきっと意味があるからと……そう、教えていただいたんです」
「……押し込んだの間違いじゃねえのかそれ」
「だったとしてもですよ。だからまるゆさんには返しきれない恩ができました。……そういうことですから先輩。私の希望を聞いていただけたこと、感謝します」
「お前のためじゃねえ、賭けに負けたからだよ」
「それでもです、ありがとうございます」
「……そうかい」
前島の真っ直ぐな感謝と褒め言葉に、火野はばつが悪そうに頭をかく。
「まぁ、こっちも今更だがなんだ、こんな思いつきの旅行に付き合ってくれて……ありがとよ」
「は、いまなんと?」
「………………ありがとよって言ったんだよ」
「やはり、そうでしたか」
「あ?」
「すみません、二度聞きたかったもので」
先ほどより強く、火野は前島の頭をはたいた。
次の話(後編)に続きます。