提督をみつけたら   作:源治

53 / 58
 
※『二人の男』と『潜水艦:まるゆ』 後編 になります。
前編 を未読の方はご注意ください。
 


『二人の男』と『潜水艦:まるゆ』 後編

  

 

 

■おおさわぎの日■

 

 

 

 

 まるゆは夢を見た、自分が目覚めるずっとずっと前。

 おそらくまだ世界に深海棲艦がいて、仲間と自分の提督が戦っていた時代の夢。

 

『ようやくお会いできましたな、まるゆ殿。もう少ししたら提督殿が起こしてくれるであります、多分』

 

 意識はないけど、確かに誰かにそう言われた言葉。

 でも、まるゆは棺のようなものの中にいて、目を開けることも返事もできない。

 

『まるゆ殿とリンクを繋げておいて、起こしもせず自分に丸投げとはひどい提督ですなぁ。まあ事情があるのでしょうが、多分』

 

 毎日来ては、自分に語りかける誰かの言葉が聞こえる。

 そしてもう一つ。誰か、恐らくリンクを結んでくれた提督から流れてくる温かいなにか。

 

『……最終作戦が開始されたであります。我々は留守番のようですな。ですがもうすぐでありますよ、まるゆ殿。もうすぐこの戦いは終わるであります。そしたら……外に出られるでありますよ、多分』

 

 慌ただしい外の気配、でも、それでも聞こえる誰かの言葉。

 まるゆは、起こして欲しい、自分も戦うと声に出したいが、それは叶わない。

 

『ちょっと騒がしいですが、すぐ片づけてまいります。なに、自分がいれば深海棲艦など恐るるに足らずであります、多分』

 

 どこかに、自分を運んでいる、誰かの――最後の言葉。

 ゆっくりと、ゆらゆらと、どこか、高い場所に――

 

『さようならであります、まるゆ殿。別れはつらいでありますが、また別の自分が貴方に会いにくるであります……必ず――』

 

 それから、どれくらいの月日が流れたのか。

 誰かが、自分の入っていた棺のふたを開け――

 

 

 

      ※ ※ ※

 

 

 

「は、はえ?」

 

 夢から目覚めたまるゆは、どこか違和感を覚えながら、まずは立ち上がろうとして転がった。

 そこではじめて、自身が太い鎖でぐるぐるに巻かれていることに気がつく。

 

「な、なんですかこれ?」

 

 見回してみると、そこは窓のない小さな倉庫のような部屋だった。

 おそらく旅館にある布団などを仕舞っておく、リネン室と呼ばれる場所。

 そして近くには鎖ではなく縄で、手首と足首の二カ所を縛られた、火野と前島が床に転がっている。

 

「ひ、火野さんと前島さん!? 大丈夫ですか!?」

 

「……あたまがいてえ」

 

「っく、母に睡眠薬を飲まされたときと、同じ感覚がしますね……」

 

 まるゆの大声に反応したのか、火野と前島がうめき声を上げながら目を覚ます。

 

「あっ……よかった!」

 

 火野と前島は自分たちが縄で縛られていることに驚くも、身体をなんとか起こして座る姿勢をとった。

 

「くそっ、多分寝る前に持ってきた酒だ……アレになんか入ってたな」

 

「油断しましたね……まさか先輩の言うとおりだったとは」

 

「……あれ、なんで酒飲んでないまるゆまで、つかまってるんだ?」

 

「艦娘であるまるゆさんには薬が効かないはずなので、普通に眠られていたんだと思いますが」

 

 火野が微妙に非難がましい目でまるゆを見ると、まるゆは気まずそうに目をそらす。

 

「しっかしカモっつっても、せいぜいぼったくられるくらいだと思ってたが。まさかここまでされるとは思わんかったな」

 

「……いや、やはりおかしいですね。ならなぜ、まるゆさんだけ鎖で縛られているんでしょうか?」

 

「んあ? そりゃお前、よく知らんが艦娘なら縄ぐらいちぎれるからじゃねえのか?」

 

「そこです。まるゆさんが艦娘だと知っていなければ、鎖で縛ろうなどとは思わないはずです」

 

 艦娘であるまるゆにとって、鎖を引きちぎるのはさすがに機関に火を入れないと難しいが、ロープであれば素の状態で引きちぎれる可能性がある。

 親が艦娘である事から、そのあたりの知識がある前島は、その事について疑問を持った。

 

「あー……じゃあなんで追いはぎ宿のやつらは、まるゆが艦娘だって知ってたんだ?」

 

「……わかりません」

 

「おいまるゆ、お前なんか恨まれるようなことでもしたのかよ?」

 

「先輩じゃあるまいしそんなわけ無いでしょ……。推測ですが、艦娘図鑑にはまるゆさんの写真が載ってるかもしれないので、それで知った可能性があります」

 

「お前、見覚えないって言ってなかったか?」

 

「私も人間です。見落としが無かったとは言いきれません」

 

 二人の話を聞いて、なにか不安そうに顔を曇らせていたまるゆが、恐る恐るといった様子で口を開く。

 

「まるゆは……少し前に人を傷つけてしまいました。そのせいかもしれません……」

 

「なんだ、カツアゲでもしたのか?」

 

「だから先輩じゃあるまいし……って、え、それは本当ですかまるゆさん?」

 

「まるゆは――」

 

 まるゆがなにかを言おうとしたその時、部屋の扉が開く。

 部屋に入ってきたのは、顔に傷のある蛇のような目つきをしたスーツ姿の男と、旅館の従業員の服を着た男。

 

「こちらです支部長。判断がつきかねたので、同じ部屋にまとめておきましたが……」

 

「ふむ、連絡を受けたときはまさかと思ったが……大当たりだ。よくやった」

 

 部下と思われる従業員の服装の男が、顔に傷がある男に説明をする。

 支部長と呼ばれた男は、まるゆの姿を確認し、口をゆがめて嬉しそうにそう言った。

 

「おいお前ら、こちとら貧乏旅行中の学生だぞ。金が欲しいならハゲでデブのおっさん狙えよ。……まさかホモでロリコンだとか言うんじゃねえだろうな」

 

「……ふん」

 

 火野の言葉を聞き、支部長と呼ばれた男は火野の顔を蹴る。

 縛られた状態で受け身のとれない火野は、その蹴りを受けて床に叩き付けられた。

 

「先輩!?」

 

「火野さん!!」

 

「軽口は慎むんだな」

 

 支部長と呼ばれた男は、ゴミを見るような目で倒れた火野を見る。

 その様子を見ていた前島が、相手を刺激しないようにゆっくりと口を開く。

 

「……あなた方は、こちらの方がどなたかご存じなのですか?」

 

 前島はチラリと、鎖で縛られたまるゆに視線をやる。

 そして不安そうなまるゆと目が合い、再び入ってきた男たちを険しい表情でにらみつけた。

 

「当然知っている。でなければこんなまねはしないさ。くく、くくく……このような僻地にまわされたときは我が身を呪ったものだが、まさかこんなチャンスが回ってくるとはな」

 

 支部長の男は、喜びを抑えられないといった表情で、前島の疑問に答える。

 そして大げさに両手を広げ、言葉を続けた。

 

「しかし貧乏旅行中の学生がこれを拾っていたとはね、見つからんわけだ。まぁもうすぐ我々の仲間がここに到着する。それまでちゃんと大人しくしてたら、その艦娘を引き渡した後に解放してやろう。我々も無益な殺生をする気はないんだよ」

 

「仲間……ですか」

 

「ああ、そういえば彼女を見つけたという者たちも一緒に来るそうだ。なんでもつかまえようとした時に突き飛ばされた傷が痛むとかで、お礼がしたいそうだが」

 

 まるゆが先ほど言おうとしていた、人を傷つけたというのはその事かとピンときた火野が、呆れた表情を浮かべる。

 

「なんだそりゃ、自業自得なマヌケの逆恨みかよ」

 

「まあ、私もそう思うが。それはそうと艦娘、変な気は起こさないほうがいいぞ? ここは三階で下はホールだ。うっかり艤装を展開して鎖を引きちぎろうとすれば、床が抜けて君は大丈夫でも、そこの二人や無関係の宿泊客たちが無事ではすまないだろう」

 

 支部長の男の忠告を聞き、まるゆはビクリと震える。

 そして心配そうに火野と前島を見た。

 その表情には、後悔と罪悪感がありありと浮かんでいる。

 

「ああそうだ、念のため本当に艦娘かどうか確かめておこう……おい」

 

「はっ!」

 

 まるゆが大人しくなったと判断したのか、支部長が部下の男に指示を出す。

 部下の男は短く返事をすると、ナイフをとりだしてまるゆの手を掴もうとした。

 

「いやぁ!」

 

 だが、男がその手を掴む前に、前島がその間に割り込み、身体を張って阻止する。

 

「……どけ。邪魔立てしても得にはならんぞ?」

 

「得かどうかは私が判断します。まるゆさん、念のためお聞きしますが、この方たちはお知り合いでしょうか?」

 

「し、知ってますけど、知らない人です! この人たちは、前からまるゆを捕まえようとしてる人たちなんです!」

 

「なるほど」

 

 その言葉だけで全ての答えを得てしまった前島。

 少女の守護者である彼は、縛られた状態で器用に立ち上がり、まるゆを守るように部下の男の前に立ちふさがる。

 

「そちらの事情は存じませんが、あなた方にまるゆさんを触らせるわけにも、お渡しするわけにもいきませんね」

 

 丁寧な言葉でありながら、恐ろしく冷たい口調。

 おまけに全身から強い威圧感を発するその姿は、縛られているにもかかわらず、仁王像のような恐ろしさ。

 その迫力に男たちは一瞬たじろぐも、部下の男は持っていたナイフを前島に向ける。

 

「貴様、大人しく――」

 

 だが男は型どおりの脅し文句を言い切る事もできず、後ろから膝裏を蹴られて体勢を崩す。さらに後ろ襟を掴まれ、そのまま壁に叩き付けられた。突然の攻撃によるダメージ。男はその混乱から立ち直る前に、追い打ちで顎を蹴り抜かれて意識を刈り取られる。

 そして支部長と呼ばれた方の男は、突然攻撃を仕掛けてきた相手の正体を確認しようとする、も。その前に首にラリアットを綺麗に入れられ、勢いよく床に叩き付けられる。さらにおまけのような追撃で、下段のかかと蹴りを顔面に入れられ、同じく意識を失った。

 

「たいそうなこと言ってた割に、あんま強くねえなぁ」

 

「ひ、火野さん!?」

 

 その喧嘩慣れという域を超えた、えげつない攻撃を目にしたまるゆが思わず叫ぶ。

 一瞬で二人を片付けたのは、前島が二人の意識を引きつけている間に、関節を外して縄の拘束から抜け出した火野だった。

 だが外した場所が少し痛むのか、火野は親指根元の関節部分を軽くさすっている。

 

「相変わらず躊躇がないですね先輩、昔を思い出します」

 

「別にお前だってこれくらいできるだろうが、ったく。それにどうせ、まるゆ渡せば逃がしてやるって言うのも嘘だろうからな、手心なんざくわえられるか」

 

「え、えっと火野さん、あんな素早くえっと、な、なんだったんですか!?」

 

「おいおい、聞きたいことがあるのはこっちだっつーの」

 

 火野はぶつくさと文句をたれながらも、先ほどまで自分を拘束していた縄で、倒した二人の身体をお互いに縛って身動きがとれないようにする。

 

「アレはなんと言いますか、私の母の趣味に巻き込まれたと言いますか……少し護身術をですね。母は足柄*1という艦娘なのですが、その、眉唾ですが昔は戦いを生業にしていたようでして……」

 

 いつの間に手に取ったのか、前島は部下の男が持っていたナイフで縄を切りながら、なんとも言えない表情でそう口にした。 

 

「まぁなんでも暴力で解決できると思ってた、アホだった頃の話だ。喧嘩に負けたのが悔しくて、コイツのクソおっかないお袋さんに、ちょっと鍛えてもらったんだよ。つっても控えめに言って地獄みたいなしごきで、頼んだことを後悔したけどな……」

 

 普段あまり弱音を吐かない火野の言葉に、前島もトラウマが蘇ったのか、片手で顔を覆い表情を隠す。

 

「ったく、それにしても、こういうのはガキの時に卒業したつもりだったんだがな」

 

 苦々しい表情を浮かべながら、頭をガシガシとかく火野。

 そして芋虫のように鎖で縛られたまるゆを見て、前島に声を掛ける。

 

「おい、そいつらまるゆの鎖留めてる、錠前の鍵とか持ってないか?」

 

「……ありませんね。ただ拳銃を所持しているようです」

 

「はぁ? てっぽうなんざ持ってたのかこいつら?」

 

 火野が聞く前から倒した男たちの持ち物を探っていた前島が答える。

 二人の息のあった動きに、まるゆはポカンと見守ることしかできない。

 

「聞きたいことは山ほどあるが、こりゃとっととずらかった方がいいな……確かこいつら三階って言ってたよな。て事は、ここは俺らの泊まってた部屋があった階か」

 

「ええ、浴衣姿で動き回るのも厳しいですし、なにより車の鍵を取りに行かなければ」

 

「だな。幸いまだばれてねえだろうから、こいつらが騒ぎ出す前にとっとと取りに行くぞ」

 

 てきぱきと計画と行動の予定を立てる二人。

 まるゆはそんな二人の姿を見て、生まれてはじめて感じる類いの思いが湧く。

 それは……仲間、戦友、そう呼び合える相手に抱く、信頼の感情。

 

「あの……なんだかお二人とも、すごいですね……」

 

 だからなのか、鎖で縛られて、得体の知れない相手に追いかけられているという状況。

 例え艦娘だったとしても、心穏やかではいられない状態だというのに、まるゆはまったく不安を感じなかった。

 

「まぁ、ガキの頃から色々あって慣れてるからな」

 

「私もそれに付き合わされたので、慣れてるんですよ……」

 

 黒歴史を思い出すかのような、なんとも言えない表情を浮かべる二人の男。

 その様子がなぜかおかしくて、まるゆは小さく吹き出してしまった。

 

 

 

      ※ ※ ※

 

 

 

 幸いなことにリネン室から脱出した三人は、誰とも出遇うことなく部屋に戻る事ができた。

 そして無事着替えと荷物の回収をすることができたのだが、部屋を出てすぐに何人もの人間がこちらに向かってくる足音が聞こえてくる。

 とっさに廊下の角に身を隠していると、宿の従業員らしき男たちが慌ただしげに目の前を走りすぎていった。

 

「……不味いな」

 

「このままでは外に出る前に見つかってしまいますね……」

 

 鎖で縛られて身動きできないまるゆを抱えた状態で、追手に見つからずに宿の外に出るのは困難。

 即座にそう判断した火野は、まるゆを抱えた前島をチラリと見る。

 

「火でもつけるか?」

 

「一般の方に被害が出ますので、さすがにそれはどうかと……」

 

「だ、だめですよ火をつけるなんて!?」

 

「冗談だよ冗談……しょうがねえ、ジャンケンで決めるか。負けた方が囮だ」

 

「……こういう派手さが求められる役回りは、先輩の方が向いてそうですけど」

 

「あ、あの! まるゆが囮になります!」

 

 不安そうに前島にお姫様だっこされた状態のまるゆが、声を上げる。

 その大声に、火野は「しーッ!?」と、大きな声を出さないように注意すると、まるゆは慌てて口をきつく結んだ。

 

「……お前さらうのが目的なのに、お前が囮になってどうすんだよ」

 

「それにジャンケンしようにも、まるゆさんその格好では手が出せませんよね」

 

「鎖切る道具をどっかで調達してやるから、いまはそのままで我慢してろ」

 

 そして火野がグッと右手を前に出し、前島もそれにならう。

 小さなかけ声のあと、グーとグーを出す二人。

 そして何度かあいこが続いたあと、火野のチョキに対して前島が出したのはパー。

 

「私の負けですか……」

 

「けけけ、派手に頼むわ」

 

「しょうがありません、では玄関前で」

 

「遅れんなよ」

 

 前島はまるゆを火野にそっと手渡し、鞄からなにかとりだしたあとに飛び出す。

 そして近くの火災報知器のボタンを押しこむと、先ほど鞄からとりだした丸い玉を床に放り投げる。

 

「火事だああアアアアアアああ!! にげろおおおおおおおおお!! 焼け死ぬぞおおおおおおおおお!!」

 

 前島が叫びながら、大きな音を立てて廊下を走りだした直後、丸い玉から大量の煙が噴き出した。

 丸い玉の正体は、旅立つ前に前島の母親(元傭兵)が持たせてくれた、お手製の煙玉である。

 妙高型重巡の艦娘である足柄が、イイ笑顔で親指を立てている光景が目に浮かぶが、まさか本当に使うことになるとは本人も思っていなかっただろう。

 やがて廊下を白い煙が満ち、朝方で目が覚めていた客たちが騒ぎ出す。

 さらに非常ベルの音も合わさって、騒ぎが大きくなるのにそう時間はかからなかった。

 

「文句言ってた割にノリノリじゃねえか。ったく、火つけるより派手だな……うし、いくぞまるゆ」

 

「はっ、はい!」

 

 部屋から出て我先にと非常階段に向かおうとする人混みに紛れて火野は二階に降り、駐車場に面した窓を近くにあった消化器でたたき割る。

 そしてそこからまるゆを抱えて、躊躇なく飛び降りた。

 

「よいしょぉおお!」

 

「ひゃああああ!?」

 

 ドカンと音を立てて火野が着地したのは、誰のものともしれない車の上。

 大した高さではないものの、大人一人と子供一人分の重さの衝撃を吸収したボンネットがべしゃりと凹む。

 

「保険に入っててくれよ!」

 

 火野はまるゆをわきに抱え、着地してすぐの場所に駐めてあった車に乗り込む。

 縛られた状態で後部座席に放り込まれるまるゆが、受け身をとれずに短い悲鳴を上げるも、火野は運転席に乗り込み車を急発進させた。

 そして、宿の出入り口のすぐ側に急停車。その勢いで、まるゆが後部座席から転がり落ちる。

 

「ぴゃん!?」

 

「おら前島! 早く乗れ!」 

 

 火野が叫ぶと、ちょうど宿の入り口から飛び出してきた前島が、慌てて助手席に乗り込む。

 前島が車内に入ったのを確認すると、火野はアクセルを全開に踏み込んだ。

 急発進の勢いでまるゆは再びシェイクされ、前島は慌てて開けっ放しだった、車のドアを閉める。

 

「きゅう……」

 

「せめてドアが閉まるまで待って欲しいのですが……」

 

「ちんたらしてたら追手が来ちまうだろ!」

 

 そう言って火野は、運転をしながら片手で煙草を取りだし火を点ける。

 そして苦々しい表情を浮かべながら、バックミラーを確認して少し速度を落とした。

 特に後ろから追ってくる車両が、見当たらなかったからだ。

 

「で、まるゆ隊員よ。賭けで負けといて聞くのもあれなんだがな。さすがにそろそろ話してもらおうじゃないの。なーんで君は、あんな物騒なやつらに狙われとるのかね」

 

「えっと、その、えっと……」

 

 まるゆはなにかを伝えようと口を開くが、グッと我慢するように黙り込む。

 その様子に火野は特に催促せず、まるゆが自ら語り出すのを待った。

 

「まるゆさん、大丈夫ですよ。どんな理由であれ、私たちは必ず貴方をお守りします」

 

「俺、は、時と場合と理由によるがな」

 

 ひとくくりにされたことが不満なのか、そう口を出す火野。

 そんな言葉は聞こえませんと言わんばかりの、穏やかな表情を浮かべる前島。

 まるゆは、厄介ごとに巻き込まれたにもかかわらず、自分の味方であり続けてくれる二人を見る。

 そして先程から感じる、いままで湧いたことのない『仲間』に抱くような感情。

 その気持ちを噛みしめるように、軽く目を閉じる。

 やがてすっと目を開いたまるゆは、決心したような様子で、ゆっくりと語り出した。

 

 

 

      ※ ※ ※

 

 

 

 まるゆは生まれたとき、とある洞窟の中に置かれていたらしかった。

 置かれていた、というのは。『艦桶』と呼ばれる、特殊な箱の中に入っていたからだという。

 現代に存在する艦娘は、人から生まれてくる、いわゆる『人造』の艦娘が大半だ。

 だが、その昔。まだ妖精炉と呼ばれる設備によって艦娘が『建造』されていた頃。

 彼女たちは『艦桶』に格納された状態で、生まれてくるものだったらしい。

 しかしなんの因果か、まるゆは戦中に建造されたものの、なぜか艦桶から出されなかった。

 そしてそのまま一世紀以上の期間、その場所に安置されていたらしいのだ。

 

 だがそういった戦中に建造され、艦桶から出されることなく戦後になっても長年放置されていた艦娘がいなかったわけでもない。まるゆのように月日が過ぎてからようやく開封され、目を覚ましたという事例も、珍しいがゼロでは無かった。

 

 ただ、問題だったのは――

 

 

「まるゆは……艦娘、潜水艦の艦娘なんです」

 

「ッ!? そうか、どうして気がつかなかったんだ……まるゆ、そうだ、潜水艦まるゆ。間違いありません、艦娘ですよ!」

 

「うるせえ、艦娘だってのはわかってたことだろうがよ」

 

「問題なのは潜水艦の、というところです!!」

 

「んぁ?」

 

 前島はゴクリと唾を飲み込み、なんとか心を落ち着けて説明を続ける。

 

「過去の大戦で人類は、提督と呼ばれた人々と、艦娘のおかげで深海棲艦に勝利しました。ですが大きな犠牲もあったんです……その一つが、潜水艦と呼ばれた艦種の艦娘たちです」

 

「潜水艦?」

 

「艦娘たちの中にも駆逐艦、軽巡洋艦、重巡洋艦、航空母艦、戦艦などの種類があって、潜水艦はその一つです。当時存在した全ての潜水艦の艦娘たちは、潜水艦を率いることに長けた提督と共に深海棲艦の本拠地に突入し、敵を打ち倒しました。ですが……誰一人として戻ってはこれなかったと……伝えられています」

 

「……つまりなんだ、まるゆは絶滅危惧種っつーか、絶滅動物みたいなもんなのか?」

 

「艦連的にはそんなレベルじゃないんですが……概ねその認識であってます」

 

 いまいちわかってなさそうな火野の解釈に、前島は曖昧な肯定を返す。

 まるゆは前島の説明が一区切りついたのを感じて、続きを話す。

 

「まるゆを起こしてリンク……えっと、提督と結ぶ繋がりのようなものなんですが。それを結んでくださった方を、まるゆは提督として認識するはずだったのですが……まるゆはどうも起こされる前に提督とリンクを結んでいたみたいなんです」

 

「現代では廃れてしまった方法ですね」

 

「はい……本来建造された艦娘は、起きた後じゃないと提督とリンクを結べないはずなんですが……多分、そういうことが可能な提督だったんだと思います。……おぼろげなんですが、リンクを結んだ感覚は残ってるんです。とても温かくて、提督と他の潜水艦のみんなと繋がったような、すてきな感覚で……そして、とても薄くなってしまったんですが、まだそれが残ってることを、少し前に気がつけたんです。だから海の向こう、その先にみんなが待ってるってわかったので……だからまるゆは、そこに行きたくて……」

 

「……おいまて、そのなんだ。戦争ってもう百年以上前の話なんだろ? いっちゃなんだがお前となんだ、リンク? を結んだその提督は、とっくにくたばってるんじゃないのか?」

 

「そのはず……なんですが、確かに感じるんです。その先に提督や……みんなが、いるんだって」

 

 まるゆは自信なさげだが、どこか確信を持ってもいるような表情で、二人にそう伝える。

 

「……まあ、スピリチュアル的な話はよくわからんからおいとこう。それでまるゆ、じゃあお前の母親ってのはいったい何者なんだよ?」

 

「まるゆをたまたま洞窟で見つけて、そして艦桶を開けてくれたお年寄り……その人がまるゆがお母さんと呼んでた人なんです。起きたばかりのまるゆはなにもわからなくて……お母さんはそんなまるゆの手を取って、一緒に暮らそうって。それから山奥のお母さんしか住んでいなかった集落で、まるゆは何年も、お母さんと二人で暮らしました……」

 

 まるゆの穏やかな声色が、その日々が穏やかで幸せなものだったことを感じさせた。

 

「お母さんはまるゆが潜水艦の艦娘だと承知で、とても優しくしてくれて……。いまの世の中のことや、色々沢山のことを教えてくれました。でも、高齢だったお母さんは、ある日眠るように亡くなってしまって。まるゆは、お母さんを土に埋めて……その時、気がついたんです」

 

「それがさっきの感じるってアレか?」

 

「はい。とても細い、けど確かに繋がってるなにかがあるって気がつきました。漠然とした感じなんですが、でもそれはきっと海に行けばもっとはっきりわかるって感覚もあって……だから、まるゆは海に向かうことにしました」

 

 そうして漠然とした不安、焦燥、そして期待。そんな気持ちを抱いて、まるゆは旅に出た。

 

「でも、山を下りたところにあった村を通ったとき、まるゆを見た人が……すごい顔でまるゆを捕まえて……本部に連絡しろ、潜水艦の艦娘を捕まえたって。まるゆは怖くなって、その人を……傷つけて、すぐに逃げ出しました。それから山の中を一週間くらい彷徨って……多分、もうあきらめてくれたんだろうと思って道路に出たんです。そこをちょうど通りかかってくださったのが……」

 

 まるゆは顔をあげて、前の座席に座る二人に目を向ける。

 

「俺たちだったってわけか……しかしなんだ、その突然まるゆを捕まえようとしたアホやさっきのやつらはなにか? 前島のご同類かなんかか?」

 

「そんな人の風上に置けないような汚物と一緒にしないでくださいよ……。おそらくですが、あの男たちは『大本営の残党』と呼ばれる、戦後に世界を手にしようとした組織の生き残りの可能性が高いですね。もしまるゆさんが彼らの手に落ちれば、艦連との取引材料や組織再興の旗印にするなど、最低な言い方になりますが、かなりの利用価値があると思うので」

 

「おっふ、思ったよりやばそうなやつらだなオイ。知らん間に巨大な陰謀に巻き込まれた気がするぜ。このままじゃ犠牲者が出そうだわ」

 

「実際巻き込まれてますし、もう出てますよ……」

 

 世界的に重大な事件のただ中にいる。

 だというのに変わらない二人の様子に、まるゆは嬉しく思うのと同時に、無性に申し訳なくなった。

 

「あの、やっぱりまるゆをここで降ろしてください。このままだと本当にお二人にご迷惑を――」

 

「なにを言ってるんですかまるゆさん。言ったでしょ、必ず貴方を海までお連れすると」

 

「なんでお前はいつも一秒で覚悟を完了するんだよ……」

 

「……先輩?」

 

「そんな目で見るな、わあってるよ。こうなった以上、最後まで付き合ってやる。いくつか借りもできちまったからな」

 

 火野は吸い終えた煙草を灰皿にねじ込み、再び煙草をくわえる。

 

「そういや昔の映画でこういうのあったな。アウトローの男二人が銀行強盗しながら、途中で女一人拾って旅するってやつ。配役的に俺はタフでハゲのほうなのが気に食わんが」

 

「ああ、あの映画ですか。さしずめ私はあの痩せた神経質男のほうですかね」

 

「じゃあまるゆはえっと、も、もしかしてヒロイン……」

 

「うるせえちんちくりん、お前なんざペット枠だ」

 

「も、もぐらじゃないもん!?」

 

 ぷんすかと怒るまるゆを見て、ケラケラと笑う火野。

 少し暗い雰囲気になっていたまるゆが、元気になった様子に前島の頬も緩む。

 

「面白い映画だったんですが、続編が出ないのはその男二人が蜂の巣になったからなんですよね……」

 

「この状況で縁起でもねえこと言ってんじゃねえよ馬鹿……しっかし、そうなるとこれからどこに向かえばいいんだ?」

 

「そうですね……やはり海でしょうか。海に出てしまえば、艦娘、特に潜水艦であるまるゆさんを追うことも見つけることもできなくなると思いますので。ですが……あった、昨日旅館の方に地図を用意していただいたのですが、艦連軍のレーダー基地が、ここからそう遠くないところにありますね。ええと、あれだ。あの山の上にうっすらと見える、あれです」

 

 前島が指さす先にある山の上に、遠くからでもその形がわかる大きなパラボラアンテナが三つ並んでいる。

 

「艦連軍ねぇ……大丈夫なのかよ」

 

 そのアンテナの巨大さに、艦連という組織の力を重ねて感じたのか、火野がボソリとこぼす。

 

「大丈夫に決まってますよ。艦連軍、特にそのなかの憲兵軍にとって、艦娘の守護はその存在理由ですので」

 

「そりゃまあ、お仲間だったらそうなんだろうけどよ。個より組織っつーか、まるゆが絶滅動物なら逃がさないように閉じ込められたりしないのか?」

 

「あっ……」

 

 火野のまさかとも思われる考え。だが前島はその可能性がゼロではないと思い、眉をひそめる。

 

「じつはお母さんもその事を心配していました。だからまるゆも、その事が少し気になって……そもそもまるゆを仲間と思ってもらえるのかわかりませんし。だから一人で海まで行きたかったんです」

 

「つっても艦娘にとっての味方には変わりないんだろうから、一時的に助けを求めるとかはできないもんかね。憲兵だっけか、あいつらの仕事のことはよく知らんが。問答無用で捕まえられたりとかはせんだろ?」

 

「まるゆさんを害するという意味では絶対にしないはずです。ただ……私たちの方が艦娘を害する存在である可能性が僅かでもあると判断されたなら……その瞬間、彼らはその排除を行うための装置と化す。特にまるゆさんが潜水艦の艦娘だと知ったなら、彼らはなんとしてでも保護しようとするはずです」

 

「お母さんも、まるゆが潜水艦なら艦連がどういう対応をとるのか……それは全く予想できないって、そう言ってました」

 

「なんか俺はお前のお袋さんが、なにもんだったのかのほうが気になってきたぞ……」

 

 まるゆが母と呼んだ女性の言葉、それは危機感に慎重さ、そして知識がないと出てこないものだ。

 だが、火野がそれを詳しく聞こうとしたところで、サイレンの音が後ろから聞こえてくる。

 ハッとなって三人が後ろを確認すると、警告灯を光らせながら追ってくる警察車両が見えた。

 

「やべ、ちょっとスピード出しすぎてたか?」

 

 バックミラーに映ったパトカーの姿を見て、各々が微妙に違う反応を浮かべる。

 普段の素行の悪さもあって、何度か世話になったことのある火野はビクリとし。

 現状自分たちだけでは手に負えないと思っていた前島は、どこか安堵の表情を浮かべる。

 そしてまるゆは、どこか不安がっている様子。

 なぜなら、いま現在の状況でまるゆにとって信用できるのは、火野と前島の二人だけだからだ。

 

「まるゆは警察さんにはじめて会うんですが……大丈夫なんでしょうか?」

 

「ここで振り切ってもしゃあない。ひとまずとぼけて、あれなら正直に言って助けてもらうか」

 

 火野は路肩に車を寄せて停車し、慌てず警官が降りてくるのを待った。

 パトカーは三人が乗る車の少し後ろに停車。そして助手席に座っていた警官が降りて、前島が座る方の窓を叩く。

 運転席ではなく助手席の窓を叩いたのは、三人が乗った車のハンドルの位置が、一般的な車とは逆についていたためだ。

 

「スピード違反です、免許証のご提示をッ!?」

 

 その事を伝えようと、前島が窓を開けた瞬間。言いかけた言葉を中断した警官の顔が目に見えてこわばった。

 そして運転席に残っていた警官にむけて、大声を上げる。

 

「応援を呼べ! 少女を鎖で縛って誘拐しようとしている凶悪犯だ!」

 

「あっ」

 

「あっ」

 

「ふぇ?」

 

 そこで三人はようやく、まるゆがまだ鎖で縛られたままだったことに気づく。

 確かに後部座席に鎖でぐるぐるに巻かれて座るまるゆの姿は、どう見ても誘拐された女児にしか見えない。

 想像の斜め上をゆく事態の悪化に、思わず一行は硬直してしまう。

 

「ちょうど近くで検問をしていた機動隊が、全員連れて駆けつけてくれるそうです!」

 

「ちょ! おま! ばっ!?」

 

 さらに追い打ちを掛けるように、パトカーに残った警官が増援の連絡を伝える。

 それを聞いて、火野が言葉にならない声を上げた。

 

「いたいけな少女を拘束し誘拐するなどと…… ゆ る さ ん !! 観念しろよ貴様ら! 逃げても無駄だ! はやく車から降りろ!」

 

「前島のご同類かよ!?」

 

「誤解です! ちゃんと説明しますから――」

 

「あっ、やべ」

 

 まるゆに協力してもらいながら、正直に説明しようと前島が窓から身体を乗り出す。

 が、なにかに気づいた火野が、慌てて車を急発進させる。

 そして運悪く、窓から出していた前島の腕が、警官にクリーンヒットして吹き飛ばした。

 

「ごふぁ!?」

 

 華麗な三回転半を決めて、地面に崩れ落ちる警官。

 そして彼が地面にキスをする瞬間を見届ける前に、一行が乗った車はその場所から遠ざかる。

 

「あっ!?」

 

「あっ」

 

「ふへ?」

 

 前島は警官の顎に勢いよく当たった自らの拳と火野に、何度も視線を往き来させる。

 あまりの出来事に、思考の整理が追いつかないのだ。

 

「……なにしてくれてはるん」

 

「こっ、こっ、こっ……こっちの台詞ですよぉおおおおおお!?」

 

 混乱して火野につかみかかる前島。

 運転中にもかかわらず高速で揺さぶられる火野。

 

「い、いや、しょうがねえんだよ。後ろ見てみろ」

 

 言われて振り返ると、何台もの車とバイクが向かってくるのが見える。

 そしてその先頭を走る車には、旅館で支部長と呼ばれた男の喚き散らしている姿があった。

 

「あれは……」

 

「てっぽう持ってるやつらが、あの数の車に乗ってるなら、多分警官にかまわず撃ってくるぞ」

 

 例え状況を説明し、助けを求めたところで警察車両一台に警官二人。

 だが追手は複数台の車に、頭に血が上った武装テロリストの集団。

 ぶつかればどちらが負けるかは、子供でもわかる。

 

「まさかカーチェイスすることになるとはな……振り切るのはちと自信がねえが、まあなんとかなるだろ」

 

「火野さん……」

 

「あとな前島。言っとくが俺は正直、追ってきてるやつらも、まるゆが抱えてる事情がどれだけヤバイかもよくわかってねえ。でもな、もう引き返せないところにいるってのはなんとなくわかる。だからアクセルをべた踏みしてるわけだ、後に引けないなら、突っ切るしか道はねえからな」

 

 火野はくわえていた煙草を灰皿にねじ込み、両手でしっかりとハンドルを握る。

 そして、頼れる父親が子供にそう教えるような声色で、前島に向けて言葉を投げかける。

 

「だけどな、お前は俺よりいまの状況がどれだけヤバイかってのがよくわかってるんだろ。なら、警察ぶん殴ったくらいでおたおたしてないで、とっとと腹くくれ」

 

 その火野の言葉で、前島はハッとなる。

 本能で動く火野にはわかっていたこと、この状況の深刻さ。

 前島の脳裏に、つい昨日のまるゆの言葉が蘇る。

 その言葉に、どれだけ自身が救われたかを思い出す。

 ならば、今度は自分が……。

 

「……いえ、まるゆさんを守るためならば、誰が相手だろうと戦います。先輩も力を貸してください」

 

「そうかよ。まぁ俺は成り行きじょうしゃーなしだが、お前にそうご丁寧に頼まれちゃ断れんな」

 

 先ほどまでと違い、明らかに覚悟が決まった前島の顔。

 それを見て、火野は楽しそうな子供のように笑った。

 

「でも警官を殴ってしまった件の釈明には、必ず付き合ってもらいますから」

 

「お、おう」

 

 

 

      ※ ※ ※

 

 

 

「来てるか!?」

 

「いえ、大分引き離せてるようです!」

 

「うっし、このままぶっちぎってやる」

 

「す、すごい速いです!」

 

 タイヤが焼ける匂いが車内に漂ってくるほどのコーナリング。

 フロントガラスから見る景色が横に滑るような、激しい運転のかいもあってか、一行は追手から距離を離すことに成功していた。

 

「この先にある、山間にかかった橋をわたってしばらく行くと、艦連軍の基地と海に続く分岐があるみたいです!」

 

 窓の上についたアシストグリップを片手で握り、必死に身体を支えながら、もう片方の手に持った地図を確認していた前島が叫ぶ。

 

「もう一回確認しとくが、海にさえ出ちまえば、誰もまるゆを追えないんだよな?」

 

「ええ。海で艦娘と渡り合えるのは同じ艦娘か、もう滅んだ深海棲艦くらいですよ」

 

「よし、ならこのまま海まで突っ切ってやる! それにしてもクソッたれ。アイツらがいなきゃ、廃墟じゃない本物の遊園地に連れてってやりたかったんだけどな!」

 

「火野さん……」

 

 ギリギリの状況で火野がこぼした言葉に、まるゆが目を潤ませる。

 もっとも、蓑虫のようにグルグルに鎖で巻かれて、揺れる車内でシェイクされている状態なので、その目の潤みがどういう意味なのかは判別がつかないのだが。

 やがて車は長い直線道路に入り、前方に橋が見えてくる。

 そこそこ大きな橋らしく、遠くの方はかすんでよく見えない。

 

「コイツが例の橋か?」

 

「はい、大きさ的にも間違いないかと」

 

 が、橋に進入してしばらく、真ん中を越えたあたりで前島が異常に気がつく。

 壁。そこに有ってはならないもの、それが橋の先にあったのだ。

 

「あれはまさか……警察の検問です!」

 

「え? え? え?」

 

「ハァ!? さすがに対応早すぎるだろ!?」

 

 壁の正体。それは橋の出口を封鎖する、警察車両や装甲バスだった。

 しかも道には、タイヤをパンクさせるスパイクがついたものが設置されている。

 

「ふざけんな!?」

 

 いち早く気付いた火野がブレーキを踏むも間に合わず、ニードルを踏んだ四つのタイヤ全てがバースト。

 コントロールを失いながらも、火野はなんとか車を停車させる。

 

「……おい、平気か?」

 

「なんとか……」

 

「は、はい!」

 

『連絡は受けている! いたいけな少女を誘拐した犯人ども! 大人しく車から降りて少女を解放しろ!』

 

 全員の無事を確認したのもつかの間、拡声器を使っての警告が聞こえてくる。

 声が聞こえてきた方向には、装甲バスの前に駐められた警察車両を盾に、銃をこちらに向けている多数の警官。

 人質と思われているまるゆがいるので撃ってはこないだろうが、威嚇としてはこれ以上ないほどの状況。

 

「この地域の警官ってのはどいつもこいつも前島のお仲間なのかよ……どうりで対応早いわけだクソッタレ。で、どうするよ、大人しく投降するか?」

 

「あの、まるゆが正直に話せば許してもらえないでしょうか?」

 

「この状況をうまく切り抜けられるなら、嘘ついても許されそうだけどな。ほら、嘘も方便っつーだろ」

 

「なるほど。こういう時は嘘をついてもいいんですね!」

 

「……いえ、状況が状況です。我々の立場がどうなるかはわかりませんが、まるゆさんの安全を考えるなら、素直に投降した方がいいかもしれません」

 

「まあなんにせよ、しばらく俺らは牢屋入りだろうけどな」

 

「ろ、牢屋!? ま、まってください、まるゆに考えがあります!」

 

 ドアを開けてくれとお願いされ、前島は迷うように火野に目配せし、少し悩んだ末に後部座席の扉を開けた。

 まるゆは転ばないよう、ゆっくりと車を降りる。

 

『よぉし! 素直に人質を解放するとはいい心がけだぁ!』

 

「違うんです! 火野さんも前島さんも……えっと、この人たちは悪い人たちじゃないです!」

 

『大丈夫だから! 嘘をつく必要はない! ゆっくりこっちに来なさい!』

 

 予想に反して、あっさり人質を解放したと思った警官隊隊長。

 だが、その隊長を真っ直ぐにみつめて、まるゆは声を上げる。

 

「ホントに違うんです!」

 

『鎖で身体を縛られてるというのに、なにが違うというのだね!』

 

「えっと、これはえっと……まるゆの”性癖“なんです!!」

 

 まるゆがそう叫んだ瞬間、緊迫状態だった橋の上が一瞬で凍り付いた。

 え? 性癖? 鎖で自分の身体を縛るのが性癖?

 警官たち全員の頭の中に、グルグル回る銀河が浮かぶほどの混乱が生じた。

 まるでそれは、なぜか宇宙の広さを認識してしまったネコが、なにがなんなのかわからず、魂がどこかに飛んで行ってしまっているような状態。

 

「……誰だよ、アイツに性癖なんて言葉教えたの」

 

「その、私が……口にしてしまった気がします」

 

「……どうすんだよ、この空気」

 

「先輩が時には嘘をついていいなんて言うからですよ……」

 

『ななななっ!? つ、つまりそれはお嬢さんと、そこの二人の趣味と言うことかね!?』

 

「そ、そうです!!」

 

 そうしてちょっとだけ混乱が収まった隊長が、声を震わせながらまるゆに問いかける。

 まるゆはその問いかけに対し、微妙にどもりながらもはっきりと答えを返した。

 

『う……うらやまけしからん!! わ、ワシだってッ!!』

 

 えっ、そっち?

 と、突っ込みたくなるイケナイ願望を抱えた隊長が、顔を赤くして叫ぶ。

 他の警官たちも頷きながら「じつは俺も興味があって……」「俺はあの眼鏡に縛って欲しい」「俺はあっちのワイルドな方だな」「はぁはぁ、俺はあっちのお嬢さんに」「俺は……縛りたい」と、イケナイ欲望を口々に呟く。

 そんな警官たちを、どこか哀れむように見る前島。

 

「まったく、度しがたい人たちですね。少女の願いならともかく、成人した男女の歪んだ願いを我々が叶える理由など、一欠片だってありはしないでしょうに」

 

「巻き込まないでくれ。頼むから、俺を巻き込まないでくれ……」

 

 ただでさえどうしようも無い状況だというのに、追加で別の意味で絶望に襲われた火野が顔を伏せた。

 だがその混乱した状況に、さらなる混乱が来襲する。

 

「おいおい……」

 

 火野がバックミラーに目をやると、迫り来る大本営の残党の車両が映っていた。

 彼らは前方に展開する警官隊のバリケードに気がついたのか、急ブレーキをかける。

 複数台の車から焼けたタイヤの煙が立ち上り、あたりを包む。

 

『なんだぁ!? 誘拐犯どもの新手か!?』

 

 ちょうど警官隊と火野たちの車の距離と同じくらい離れた場所で停車した、追手の車両。

 車から降りてきたのは、それぞれ拳銃などで武装した大本営の残党たち。

 

「あ、あの人たちこそが、まるゆをつかまえようとする悪い人たちなんです! 本当はこの鎖も、あの人たちがえっと、とにかく火野さんと前島さんはわるくないんです!」

 

『むむむ!?』

 

 まるゆの言葉に、現状の把握が追いつかない隊長。

 警官隊が混乱する中、最後に車から降りてきたのは、火野に顔を蹴られた支部長と呼ばれる男。

 支部長は鼻を押さえながら、顔を真っ赤にして叫ぶ。

 

「やっと追いついたぞきさまらぁ! 大人しくソイツを渡せ!!」

 

『なんだとぉ!? このお嬢さんをどうするつもりだぁ!!』

 

 支部長の叫びと共に、武装した大本営の残党たちは、車を盾にして銃を構える。

 だが前方の集団を、まるゆ(少女)にとっての脅威と判断した警官隊も、いっせいに銃を大本営の残党に向けた。

 山間部に架かったのどかな橋の上が、一瞬で銃弾が飛び交うキルゾーンになりかねない状況に変わる。

 

「ああもう、めちゃくちゃだよ……」

 

「ど、どうしましょう?」

 

「どうにもならん。ほんと、今日は朝からずっと最高の日だな」

 

 焦る前島を横目に、火野が煙草を吸いながら天を仰ぐ。

 そして一呼吸おいて窓を開け、まるゆに声を掛ける。

 

「おいまるゆ。とにかくお前はあっちの警察に保護してもらえ。俺らはここで蜂の巣になる」

 

「……それが、最善でしょうね」

 

「蜂の巣、ですか?」

 

 いまがどういう状況か、いまいち把握できていないまるゆ。

 そんなポンコツ具合に、どこか穏やかな気持ちになった火野は、わかるように言い直す。

 

「いま俺らが外に出ればドンパチが始まるかもしれん。そんで位置的に撃ち合いになれば、俺らは助からん。だからまぁ、お前だけでも逃げろって事だ」

 

「え……? そ、そんなの絶対駄目です!!」

 

「いや、でも、そうはいうがなぁ」

 

「駄目です!!」

 

 絶対にそんなことはさせない。

 そう感じさせる強い意志をもった叫びをあげるまるゆ。

 瞬間、まるゆの立っている場所が少し陥没し、橋がわずかに揺れる。

 

「まるゆだって、やればできるんです!」

 

 まるゆはそう叫び、鎖を引きちぎった。

 まわりが唖然として見つめる中、まるゆがドスンドスンと音を立てながら、火野と前島が乗った車の下に潜る。

 そしてまるゆは……二人が乗った車を、持ち上げた。

 

「お、おい。この車、浮いてるぞ」

 

「これは……まるゆさんが持ち上げてる!?」

 

 視界が、子供一人分高くなった事に驚愕する二人。

 そしてそれを外から見ている者たちは、か弱い見た目の少女が乗用車を両手で持ち上げているという、現実離れした光景を目の当たりにして、二人以上に驚愕した。

 

『か、艦娘か!?』

 

「しまった!? やつら逃げるぞ!!」

 

 警官隊隊長と支部長、二人がそれぞれ叫びをあげると同時に……まるゆは車を持ち上げた状態で”ジャンプ“する。

 そうして高く飛び上がったまるゆは、警察のバリケードを文字通り飛び越えた。

 

「うっそだろおい!?」

 

「んなぁ!?」

 

 そして車内の火野と前島は、子供一人分どころか。

 警察の装甲バス以上高さになったフロントガラスからの視界に、驚愕の叫びをあげる。

 遅れて橋が大きく揺れ、橋を出た場所にまるゆが着地する大きな音が響く。

 

「なんじゃこりやああああ!?」

 

「ぐふぉ!?」

 

 着地の衝撃を辛うじて座席のクッションで吸収するも、揺れは止むこと無く、さらに続く。

 

「おっ、おいおいおい、どうなってんだおい!?」

 

「ま、まるゆさんです! まるゆさんが車を持ち上げた状態で走ってます!」

 

「はぁ!? 押すのと持ち上げるのじゃ全然違うだろ!? とんでもねえなアイツ!!」

 

 火野の驚愕の叫びと同時に、後ろから複数の銃声が響いた。

 おそらく、驚きのあまり追手側が発砲し、それに警官隊が反撃を開始したのだろう。

 

「うっほ、あっちは大騒ぎみたいだなオイ」

 

「ホントに映画さながらですね……」

 

 火野は開いた窓から顔を出し、外の状況を確認する。

 位置的にまるゆの姿は見えないが、ドスンドスンと重い音が響いていた。

 

「おいまるゆ! やるじゃねえか!」

 

「えへへ! 缶に火を入れるのは初めてなんですけど、うまくいきました!」

 

 火野がご機嫌そうに大声を車の下に投げかける。

 嬉しそうなまるゆの声が、車体の下から返ってきた。

 

「スゲえな艦娘ってやつは……うっし、このまま海まで――」

 

「いえ、これは……マズイかもしれません」

 

「なに?」

 

 前島は火野の言葉を、深刻な表情でさえぎる。

 

「母に聞いたことがあります、陸上での艤装展開は非常に燃費が悪く、おまけにコントロールが難しいと。もしまるゆさんが、陸上で缶に火を入れるのが初めてなら……燃料だけでなく、身体に不調が出る恐れがあります」

 

「つまり、どういう事だ?」

 

「例え海に出たとしても、燃料がなければ艦娘は艤装の展開も出来ませんし、そうなると動くことも出来ません。おまけに、まるゆさんの身体に異常をきたすのであれば……修理が必要になる可能性もあります」

 

「よくわからんが、それ駄目じゃねえか。海に行っても逃げ切れねえだろ」

 

「……はい」

 

 深刻そうに前島が頷いたところで、後ろから迫ってくるエンジンの音。

 二人が慌てて後ろを見ると、猛スピードで追いかけてくる一台のオフロードバイク。

 

「あのバイク、例の人さらいどもの仲間か?」

 

「どうでしょうか……ッ!?」

 

 瞬間、バイクに乗った人間が、車に向かって銃を構える。

 そして銃口が二回火を噴き、発砲音が一行の耳に届いたと同時に後部座席の窓が割れた。

 

「撃ってきやがった!!」

 

「だ、大丈夫ですか火野さん!?」

 

「いいからまるゆ! このまま道の真ん中を真っ直ぐ走れ!!」

 

「はっ、はい!」

 

「……おい、わかってるな?」

 

「母になんと言われるか……」

 

「一緒に殺されてやるから、タイミング合わせろ。どっちから来てもいいようにな」

 

 威嚇射撃にも動じず走り続ける車(まるゆ)に、バイクの運転手は車の前に出ようとスピードを上げる。

 

「せーのッ!!」

 

 そして道路中央を走る車の脇を通り抜けようとした瞬間。

 タイミングよく二人が車の左右のドアを開くと、火野が開けた方のドアに追手がぶつかり、ドアが吹き飛ぶ。

 ちょうど開いたドアの高さが顔のあたりだったため、追手は頭を軸に派手に回転しながら道路に落ちて転がった。

 

「ああ……ドアが……」

 

「いまは忙しい、お袋さんへの言訳は旅行が終わってから考えるぞ」

 

「警察への言訳より遙かに難しいですよ、それ……」

 

「あの……すみません、もう持ってられなくて」

 

 火野の企みがうまくいったのもつかの間。まるゆはつらそうな声でそう言ったあと、ゆっくりと道路の脇に車を下ろす。

 地面に下された車から前島があわてて降りると。まるゆが辛そうに足を押さえ、車脇の地面にうずくまっていた。

 

「ま、まるゆさん! 大丈夫ですか!?」

 

「あの、はい……でも、なぜか足がうまく動かなくて……」

 

「動かさないでください、艤装を地上で展開した反動の可能性があります」

 

「まるゆ、よくわからなくて……これは、治るんでしょうか?」

 

「……わかりません。ですが、こうなったら艦連軍の基地に向かうしかないかと。それにまるゆさん、燃料の残量はわかりますか?」

 

「え? ……あ、あれ? 半分以上減ってます……」

 

「やはりですか」

 

 前島がまるゆの状況を確認する中、火野はバイクに乗っていた追手が気絶しているのを確認し、念のため銃を遠くに投げ捨てる。

 そして転がったバイクをなれた手つきで起こし、勢いよくまたがった。

 

「よし、まだ動くな……ともかくここを離れるのが先だ! 早く後ろに乗れ!」

 

「そのバイクに三人で乗るんですか!?」

 

「まるゆを間に挟んで、お前がしっかり支えりゃいけるだろ。早くしろ!!」

 

「わっ、わかりました! まるゆさん、失礼しますね!」

 

「え? あっ、わわわ!?」

 

 前島がまるゆの両脇を抱え、バイクにまたがる。

 体勢的にはまるゆを火野と前島がサンドイッチしている状況。

 一瞬前島の脳裏に、圧倒的役得!!という文字が浮かぶ。

 

「まるゆ、俺の腰に手を回して離すな」

 

「はっ、はい!」

 

「……先輩、運転を代わりっぐ!?」

 

 そっちのポジションも良いかも……と、思った前島がうらやましそうに呟きかけた瞬間、急発進するバイク。

 

「わっ、わっ、わっ!?」

 

 風を切って高速で移動するという、はじめて体験する状況におどろくまるゆ。

 剥き出しの身体で感じる、流れる景色に大気、そして空気を震わせるエンジン音、すべてが未知のもので頭の処理が追いつかなかった。

 だがしばらくしてなれはじめると、そのどれもが、とても刺激的な感動に変化してゆく。

 その溢れ出る感動を抑えられないというように、まるゆは火野に聞こえるよう、嬉しそうに声を張り上げる。

 

「こ、これがバイクなんですね!」

 

「どうだサイコーだろ!!」

 

「はいっ! すごい風です!」

 

 やがて三人の乗ったバイクは交差点にさしかかった。

 標識には大きく『艦連軍レーダー基地』と書かれ、その下に書かれた矢印が左を指している。

 

「別れ道か、どっちだ前島!?」

 

「左です! 艦連軍の基地に向かってください!」

 

「いいんだな!?」

 

「こうなった以上、まるゆさんの修理と燃料の補給をするためには、それしかありません!」

 

「わあったぁ!!」

 

 前島の返事を聞き、火野は左に進路をとった。

 そして平坦な道路をしばらく走った後、山道に入る。勾配の付いた道で速度が落ちるのを感じた火野は、さらにアクセルを開けた。

 物資の輸送のためにトラックなどの大型車両が走ることも想定されているためか、山道の幅はそれなりに広い。

 だが、その為緩やかな上り坂が続き、思った以上に登るのに時間がかかる。

 一行が乗ったバイクが、何度か折り返しを繰り返して山道を登ったところで、火野が声を張り上げた。

 

「半分くらいは登ったな、下の方見えるだろ」

 

「はいっ! 橋も見えます」

 

「追手は見えるか!?」

 

「いえ、さすがに見えません。あきらめてくれてるといいんですが……」

 

 前島がそう答えた瞬間、一行が走る前方の道。

 眼前になにかが横切ったのを火野が感じた瞬間。

 閃光、ほんの僅かに遅れて爆音が空気を震わす。

 そして最後に爆風が広がり、三人とバイクを吹き飛ばした。

 

 

 

      ※ ※ ※

 

 

 

「にっ、逃がすな!?」

 

 とっさに出た支部長の指示に、いち早く反応した一台のバイクが警察車両をジャンプ台にし、バリケードを突破。

 そして大本営の残党の一人が、車を抱えて宙を飛ぶまるゆに向けて発砲する。

 それにたいして、誰よりも先に反応したのは警官隊の隊長。

 

『我々ならともかく、少女に向けて発砲するとは……ゆるさん!! 全員構え、以後の発砲は任意、てぇ!!』

 

 それを皮切りに、橋の上で西部劇のような銃撃戦が始まった。

 お互いの車両に穴が空き、ガラスやランプが割れる。

 お互い死者は出ていないが、それ故に完全な膠着状態におちいっていた。

 

「支部長撤退しましょう! このままではやられてしまいます!」

 

「できるかぁ! ここまで派手にやって対象を確保できなければ、私はおしまいなんだぞ!?」

 

 進言してきた部下の襟を掴み、血走った目で叫ぶ支部長。

 事実、これだけのことをしてなんの成果もえられなければ、彼の未来には破滅しかない。

 

「増援が到着しました!」

 

 が、天はまだ支部長を見放していなかったらしく、大本営の残党側に響き渡る起死回生の報告。

 その報告とともに後方から姿を現したのは、大きなタイヤを八個つけた装甲車。

 しかもその上部には、戦車に搭載される巨大な砲が備わっていた。

 

「まにあったか!!」

 

 まるゆという存在の重要性を強く説き、捕らえた後の護送に必要になるだろうと考え、本部に要請していた虎の子の装甲車。

 その反則ともいえる増援車両に、支部長は急いで乗り込む。

 

『戦車だとぉ!? 馬鹿な、退避、退避だぁ!!』

 

 一方の警官隊は、隊長の指示で慌てて逃げ出す。

 さすがの警官隊も、戦車のような装甲車の相手は専門外だ。

 速度の乗った戦車の突撃によって警官隊のバリケードは破壊され、その後に残りの大本営の残党たちも続く。

 

「アイツら……絶対にゆるさん!」

 

 支部長は、痛む鼻を押さえながら憤怒の感情を爆発させる。

 自らのキャリアに砂を掛けたあの男二人、特に顔を蹴った方の男は絶対に許さないと心に誓う。

 

「見えました! レーダー基地に続く山道を登っているようです」

 

 その願いがなにかに届いたのか。

 装甲車に搭乗していた目のいい人員が、一キロほど先の山道を走るバイクをみつける。

 

「よしッ! 撃て!」

 

「は? 正気ですか!? 艦連軍の基地が近くにあるんですよ!?」

 

「艦娘ならこの程度では死なん! それにアイツを確保できなければ全て無駄になる! 偉大なる大本営復活のためだ、いいからやれ!!」

 

「はッ、はい!」

 

 正気を疑う命令だったが、よく訓練されているのか、砲手はバイクの前方に向けて榴弾を発射。

 砲撃音が響いてしばらく、双眼鏡を覗いていた搭乗員が報告する。

 

「着弾確認! 目標は爆風で吹き飛ばされた模様!」

 

「よくやった! 他の車両はいまのうちに追いついて確保だ!」

 

 支部長は装甲車から顔を出し叫ぶ。

 指示を伝えられた他の車が、速度を上げて鈍足の装甲車を追い抜いてゆく。

 だが装甲車の力に酔い、冷静さを失った支部長は気がつかない。

 艦連基地の近くに砲撃を撃ち込むという、その致命的な過ち。

 そして自分がどんな巨大な相手に牙を剥いているのかを。

 

 

 

      ※ ※ ※

 

 

 

「いってえ……」

 

「火野さん! よかった!」

 

 どれだけ気を失っていたのか、火野はぼやける頭と痛む腹部を押さえながら身体を起こす。

 あたりを確認すると、崩れた山道に倒れた木々、いまだにくすぶる土煙。

 そして這いながら火野に近づいてくる、まるゆの姿が見えた。

 

「なにが、起きた?」

 

「……多分、砲撃を受けたんだと思います」

 

「砲撃ぃ!? マジかよ……まったく、なんなんだよ今日は……まるゆ、お前大丈夫なのか?」

 

「はい、足はまだ動かないんですけど、なんとか」

 

「そうか……くそっ、腹がいてえ……。まるゆ、前島が大丈夫か見てこい」

 

「えっ、あ、はい!」

 

 火野はうめき声を上げながら立ち上がると、砲撃によって倒れた木を掴み、道路をふさぐように動かす。

 そして前輪が無くなっているバイクを、道をふさぐ木の近くまで引きずって動かし、ガソリンタンクのフタを外した。

 タンクに残っていたガソリンがこぼれだしたのを確認し、火野は少し離れるとライターに火を点けて、バイクに投げる。

 少し間を置いて、火がついたガソリンが一気に燃え上がった。

 

「あー……砲撃ってなんだってんだおい。つーか、なにやってんだろうな俺は。いくら前島がどうこう言ったっつっても、こんなガキ拾って、なんの得があるってんだ……。まったく、馬鹿みたいだ……でもな、会いたいっていわれちゃ、な……」

 

 着弾の衝撃が抜けきらず、いまだに意識が混濁している火野が、ボソボソと呟きながら燃えさかる炎を見ていると、湿った木とガソリンの燃える匂いが満ち始めた。

 しばらく燃え続けそうな状態になったのを確認し、火野は前島を揺さぶっていたまるゆに声を掛ける。

 

「おい、そっちはどうだ?」

 

「えっと、お身体は大丈夫みたいなんですが、まだ起きられなくて……」

 

 まるゆに揺さぶられても起きない前島。

 だが大きな傷も無いその状態を見て、火野は軽く安堵の息をつくが、危機的な状況は変わらない。

 

「……まずいな、俺もちっとキツイみたいだわ」

 

「火野さん?」

 

「……まるゆ、這うぐらいなら出来るだろ。一人で先に行け」

 

「い、嫌です! お二人を置いてなんて行けません! それにまるゆだってやればできるんです!」

 

「そりゃ知ってるよ。だけどな、いまはちょっとでも早く逃げろ」

 

「いーやーでーす!」

 

「お前も前島に似て頑固だな……なら前島だけ連れていけ」

 

 そう言い終えると火野は疲れたのか、その場にへたり込む。

 

「ひどいです火野さん!? いまのまるゆにそんなこと出来るわけないじゃないですか! 立ってください!!」

 

「一緒に行けるなら行ってやりたいけどな。おりゃもう疲れたんだよ」

「なに言ってるんですか! ならこのまま引っ張っ……え?」

 

 そう言って火野の手を掴むまるゆ。

 だが押さえていた手をどかすと、血のにじんだ腹部があらわとなる。

 恐らく砲弾の破片かバイクの金属片が、腹部に突き刺さったのだろう。

 服越しで傷の様子はわからないが、決して浅いものではないことを、出血の多さが物語っている。

 

「な……なんですかこれ?」

 

「……よく聞けまるゆ。ひとまず道はふさいだが、どけりゃあ直ぐに車で追いつかれちまうし。それにあいつらも馬鹿じゃない、その気になりゃ車から降りてでも追ってくる。このままじゃ全員捕まっちまう」

 

 だから行け。そう訴えかける火野の目。

 

「嫌です……火野さんは……なんの得にもならないのに、まるゆを助けてくれました。だから今度はまるゆが助けます!」

 

「そりゃただの気まぐれだ」

 

「ならまるゆもそれです!」

 

「はは……お互い損な性格だな……」

 

 火野は軽く息を一つ吐くと、まるゆを真っ直ぐと見つめる。

 

「なあまるゆ、こんな状況になって俺も後悔がないって言ったら嘘になるけどな。人生ってのは……大体悪い方に転がるもんだ、だからそれは気にすんな。でもな、お前はまだまだ転がる方向を変えられる、会いたいやつにだって会いに行ける、だから――あきらめ……る……な」

 

 出血のせいか、力なくそう呟くと火野は意識を落とした。

 まるゆは何度も呼びかけるが、火野は目を覚まさない。

 腹部から流れる血、人の身体のことはわからないが、とてもとても苦しい状態に違いないことは、まるゆにもわかった。

 

 この人は、こんな状態になっても……最後まで自分の為を思ってくれていた。

 

 まるゆのなかでなにかがこみ上げ、やり場のない感情が暴れ出す。

 それはやがて一つの決意へと変わった。

 助ける……そう決心したまるゆは、泣きながら缶に火を入れる。

 だが本来艦娘は陸上で、力を発揮できる構造をしていない。

 それでも……ここで彼らを見捨てるという選択を選ぶくらいなら、まるゆは死んだ方がましだった。

 

「できます、まるゆは……まるゆなら、できます!」

 

 まるゆは機関の力を使い、動かない足を無理矢理動かすような状態にすると、火野と前島の襟首を掴んで引きずるように歩き出す。

 決して速くはないが、一歩一歩を踏みしめ、少しでも遠く、長く進むための歩み。

 だが百メートルほど進んだところで、まるゆの身体から力が抜ける。

 

「なんで……なんで! 動いて、動いてッ!!」

 

 おそらく限界を迎えたであろうまるゆの身体は、足だけでなく、腕すらまともに動かすこともできなくなる。

 

「こんなところで……動かないと二人が……動いて、動いてッ!!」

 

 何度も何度も動けとまるゆは叫ぶも、彼女の身体はもはや殆ど動かない。

 だが、その悲痛な叫びが届いたのか、前島がうっすらと目を開ける。

 

「うぐっ……まるゆさん……先輩?」

 

「ま、前島さん!? よかった……すみません、まるゆは動けなくて。それより火野さんが大変なんです! はやく、はやく助けないと!」

 

「先輩が……?」

 

 ふらつく頭を押さえながら、前島は立ち上がる。

 腹から血を流して気を失っている火野。

 こちらを見て泣きながらなにかを叫ぶまるゆ。

 

「これは……」

 

「前島さん! 火野さんを助けて……お願いします!」

 

 瞬間、前島は思考が一気に覚醒していくのを感じた。

 状況が全て把握できたわけではない。

 だが、いま自分がなにをすべきかを一瞬ではじき出す。

 バイクは使えない、道は恐らく火野がふさいだ、火野とまるゆは動けない。

 だが、自分はまだ動ける。そして走れる。

 

「ここからなら走ってでも充分たどり着けるはず……安心してください、まるゆさん」

 

「ふぇ?」

 

 前島は負傷した兵士を運ぶように、火野を肩に担ぐ。

 そしてまるゆを脇に抱え、一歩一歩、足に掛る負荷を確かめるように歩き出す。

 まるゆと火野、二人の重さを合わせると八十キロ近い。

 それは前島自身の体重より重い。

 だが、この状態でも自分であれば走れる。

 そう判断した前島は、ゆっくりと速度を上げて走り出す。

 

「ま、前島さん!?」

 

「頑丈な身体に産んで、鍛えてくれた母にいまは感謝ですね」

 

 マラソンのような速度だが、悪くない走り出し。

 だが、道をふさいだ木の向こうから、車が急停車する音が聞こえる。

 そして複数の追手が、車から降りてなにかを叫ぶ声。それは間違いなく、大本営の残党の追手。

 

「追手がきましたね……急ぎましょう、少し揺れますよ」

 

「ま、前島さん! まるゆはいいですから、火野さんを!!」

 

「ここでまるゆさんを置いていくという選択肢はありませんよ。それより口を閉じていてください、舌を噛みますので」

 

 前島はまるゆの言葉をさえぎり、走りながら森の中に逃げ込むことを考える。

 が、この状態では舗装された道を走るほかない。

 それに追手との距離はそれなりに離れている。ならそう簡単に捕まる距離ではない。

 しかしそれは、追手よりも速く走り続けられればの話だ。

 何人かの追手が、燃える木を飛び越えて遠くを走る前島たちに気がつく。

 静止を迫る声が聞こえてくるが、それを聞くつもりは当然前島にはない。

 しびれを切らした追手が、走って追いかけながら拳銃を発砲した。

 銃弾が地面にあたって跳ねる音が、前島とまるゆの耳に届く。

 

「あぶない!」

 

「大丈夫です、そう簡単に当たるものではないはずです」

 

「でも当たったら前島さんも、火野さんも!」

 

「大丈夫ですよ」

 

 そして例え当たったとしても、いまの自分なら走り続けられる。

 なぜかそんな確信が前島にはあった。

 だから身体と魂を燃やし、疾走する感覚、衝動。

 それに身をゆだねて前島はただ走る、走る、走る。

 

「……まるゆはわかりません。どうやって、なにをしてお二人に報いればいいのか」

 

 まるゆは感じる。火野も前島も、命を、命そのものを。

 ただ自分のために燃やしてくれていることを、確かにそう感じるのを。

 そして自分は、それに対してなにも返すことができない。

 まるゆは悔しさと一緒に、とめどなく涙がこみあげるのを止められない。

 そんな涙を流しながらまるゆがこぼした言葉を聞き、前島は笑みを返した。

 

「でしたら私には不要ですよ。もうすでに返しきれない素晴らしいものをいただきましたので」

 

「へ?」

 

「牛を見ていた時に言ってくださった言葉……運命について、ですよ」

 

「え、運命……あっ」

 

「ずっと……水の中で生きているような息苦しさをどこかで感じていました。ですが、まるゆさんのおかげで世界がかわったんです。貴方の言葉は、まるで私にとって太陽のように暖かく素晴らしいもので、あの言葉だけで私は生まれてきた価値があったんだと、そう確信できました」

 

 前島は笑う、それはなにかが可笑しくてではない。

 嬉しいから、いまこの瞬間が嬉しくてしょうがないから。

 

「そしてわかったんです。まるゆさんがおっしゃってくれたように、人には運命があるのであれば……きっとこれが、私の選んだ運命です。私がこう生まれて、こうなるように育って……そして大切に思えるまるゆさんを安全な場所までお連れするのが……私の運命なんです。ええ、間違いありませんよ」

 

「前島さん……」

 

 怖れるものなどなにもない。

 そんなどこか嬉しそうな表情の前島の様子に、まるゆは自分でもわからない感情があふれ出す。

 だがその瞬間。

 追手が発砲した一発の銃弾が、前島の背中に突き刺さった。

 

 

 

      ※ ※ ※

 

 

 

 艦連軍レーダー基地。

 戦後、電波の常識が崩れたこの世界において、正常に電波を中継、発信するための重要拠点。

 艦連及び国家のインフラや防衛をになう、非常に重要な施設であるこの場所は、艦連軍によって厳重に警備されていた。

 

「あきつ丸基地司令官殿! 先ほど山道に向けて砲撃してきた何者かが、この基地に向かって来るようです!」

 

「こんな僻地のレーダー基地を襲撃する気でありますかな? まったく、めんどくさいでありますなぁ」

 

 巨大組織『艦娘連絡会』

 かつてその内部監査組織の長官であったあきつ丸。

 いろいろあって*2降格&降格、および転職するはめになった彼女は、いまでは辺境にあるレーダー基地の司令官となっていた。

(※『憲兵軍』は艦娘のみが所属する『艦娘軍』の下部組織。両軍を併せて艦連軍と呼ばれている。また、艦連軍内で呼称される『憲兵』は、人間の兵士全てを指す言葉であり、実際にはあらゆる軍務を遂行する)

 実際立場としては充分上の方ではあるのだが、本人的には左遷されて辺鄙な基地に収まった程度の認識である。

 

「この国で艦連に真正面から喧嘩を売るような馬鹿はいないと思うでありますが。見張り台及び外周警備に連絡、警戒レベルを上げておくでありますか。あとこの件の関与について、国への確認を急ぐでありますよ、戦争したいのかとね」

 

「了解です!」

 

「まぁ、訳ありの難民が亡命でも求めて逃げたのを、国境警備の部隊が追っているとかでありますでしょうが」

 

 警戒開始からしばらく、確認のために外壁の上にある通路に移動したあきつ丸は、基地に続く道から現われた、逃げているように見える民間人らしき存在を確認。

 遅れて、それを追っているらしき銃器で武装した集団が姿を現す。

 

「あー、やはり訳ありの亡命者と、その追跡部隊と言ったところですかな?」

 

「基地までたどり着いてくれたなら、一時的に保護はできますが。あの様子では厳しいかもしれませんね」

 

「そうはいっても、我々の立場的にはこの基地だけが治外法権。こちらから出向いて迎えに行くわけにもいかんですからなぁ」

 

 副官は通信兵に警戒及び、危険があれば任意での発砲を許可する内容の命令を出す。

 そして出した命令の内容を改めてあきつ丸に伝え、大きめの双眼鏡で基地に向かって走ってくる男の姿を確認する。

 

「どうも大人一人を肩に担いで、脇に子供を抱いているようです……おまけにずいぶんと負傷しているようですね。しかし……その割によく走る」

 

「それはまた、ずいぶんと体力がある難民のようですなぁ……ん、子供?」

 

 あきつ丸は、出力を調整して自らの身体性能、そのごく一部を海上戦闘状態まで引き上げる。

 強化されたのは『目』の部分。焦点を追われている男、その脇に抱えられている少女に合わせた。

 その少女の顔を確認した瞬間、あきつ丸は頭に砲弾をくらったような衝撃を受ける。

 それはかつて存在した、あきつ丸と同じ陸軍に所属していた潜水艦を祖とする艦娘。

 

「……まるゆ……殿?」

 

「は? いまなんと?」

 

「そんなはずは……いや、あれは……ま、まるゆ殿で、あります……っ! 撃つな! 彼らを撃ってはならんであります!!」

 

 瞬間、副官は迅速に動き、命令を発する。

 

「ッ、伝令!! 本基地に向かってくる難民を絶対に撃つな! 現在基地に向かっている中の一人に、保護を求めていると思われる所属不明の艦娘がいる模様! 機動戦車部隊を出せ! 命令は艦娘と思われる女児とそれを抱いている男たちの保護! 及びその後ろを追う武装集団の排除だ、急げ、急げええッ!!」

 

 副官が命令を発すると同時、あきつ丸が五メートル近い高さの外壁から飛び降りる。

 さらに十数秒遅れ、外周を警備していた兵士と待機していた兵士たちが乗った装甲車両が、一斉に基地を飛び出した。

 

(くっ、急がなければ!)

 

 あきつ丸が焦るのは、もし、もしも本当に彼女がまるゆであるなら、その装甲は艦娘の中でも最も薄く、弱いものだと知っているからだ。当たり所次第では、ただの小銃でもダメージが通ってしまうかもしれない。

 陸上での高度な出力調整訓練を受けたあきつ丸は、常人よりも遙かに早く地を駆ける事が可能だ。が、いまはその一秒一秒がひどく遅く感じられた。

 

 そして、あと数秒走れば届く距離まで来たとき。

 初めて見るし会ったこともない、だけど記憶には確かに存在する同胞の姿を見てあきつ丸は確信する。

 ああ、間違いない、これはやはり――

 

「まるゆ殿!!」

 

「あ、あきつ丸さん!?」

 

 その呼び声に、前島を励ますように叫び続けていたまるゆがあきつ丸を見て、その名を呼ぶ。

 まるゆもまた、初めて会うはずのあきつ丸の名を知っていた。

 

 彼女たちがお互いが呼び合う声を聞き、もはやどうして走っていられるのか、どうして立っていられるのか……いや、なぜ生きているのかもわからない傷だらけの前島は足を止めた。

 そして肩に担いでいた火野が、ドサリと地面に落ちる。

 遅れて追従していた複数の装甲車両があきつ丸に追いつき、まるゆを抱えている前島の盾になる位置に停車。

 さらに車両から一騎当千の兵士たちが降車し、左右を固める。

 

「信じられない……ほ、ほんとうにまるゆ様なのか……」

 

「お、俺は夢でもみてるのか……まさかそんな……」

 

 訓練されたはずの憲兵軍兵士たちの一部から、私語に近い言葉が口々に漏れる。

 無理もなかった。

 なぜならそれは、いまではもう存在しないはずの、かつてその身と引き替えに世界を救った潜水艦の艦娘。

 憲兵たちは皆その身に刻む。彼女たちへの感謝、そしてそうさせてしまった人類の無力さを。

 故に二度と繰り返すまいと、そう心に誓って生きると決めた日のことを。

 そんな憲兵たちに見守られ、意識が残っているのかも怪しい、まるゆを抱えた前島は再び歩き出す。

 そして、あきつ丸の前で止まり、ゆっくりと膝をつく。

 

「……この方を、どうか……まる……さんを……」

 

 前島は満身創痍であるにもかかわらず。

 自身にとって、なによりも尊い存在を扱うような優しい動きで、まるゆをあきつ丸の前に掲げた。

 あきつ丸は震える手で、火野と前島の血に濡れたまるゆを受け取る。

 

「前島さん! 前島さんしっかりしてください!」

 

 まるゆは必死に声をかける、それにこたえるように前島は微笑み……崩れ落ちた。

 その男がどういう存在で、どういう人間なのかは、あきつ丸にはわからない。

 だが、おそらく千鬼衆でもなく、ましてや憲兵でもないただの一般人。

 だというのに、もう助からない、そう思えるほどの傷を負ってなお……それでも男はここまで走った。

 左右を固めていた兵士たちの幾人かが、前島に向けて無意識に、胸に手を当てる敬礼の姿勢をとる。

 

「た、助けてください、前島さんを! 火野さんを助けて! お願いですあきつ丸さん、この人たちを、助けて!!」

 

 涙ながらにそう叫ぶまるゆ。

 

「――……お任せください、まるゆ殿」

 

 あきつ丸の鋭い目が、追手の歩兵と遅れて現われた、支部長が乗った戦車の姿を捉える。

 追手の部隊は艦連軍の姿を確認するも、止まることなく進んでくる。

 その様子はまるで、この数の戦力と装甲車があれば勝てる、そう確信しているような動き。

 それを見てあきつ丸はほほが裂けるような恐ろしい笑みを浮かべ、自身の能力である陸戦用の艤装を展開した。

 出現した複数台の『戦車』の兵装が、まるゆを確保しようと迫ってくる追手に照準を向ける。

 それに続くように歴戦の憲兵たちが一斉に射撃姿勢に移行。

 

「舐められたものでありますなぁ? たかがその程度の兵力と戦車一台で、このあきつ丸を……そして、我ら艦連軍をどうこうできると思ってるのでありますかなぁ?」

 

 瞬間。あきつ丸と憲兵隊が、向かってくる追手に向けて一斉に攻撃を開始した。

 放たれた銃砲弾は正確に追手たちに着弾。特にあきつ丸が放った砲弾は、周囲を巻き込む爆風を発生させて、追手の大部分を吹き飛ばす。

 冷静さを失っていた支部長が、艦娘に真正面から武力で挑むという自分の過ちに気がついたのは、あきつ丸が放った砲撃を受けて、乗り込んだ戦車が身動きのとれない鉄の棺桶へと変わったあとだった。

 

「もう大丈夫、大丈夫でありますよ。まるゆ殿」

 

「あきつ丸さん……」

 

 あきつ丸は前島から受け取ったまるゆを抱えたまま、基地に向かって走り出す。

 そして傷だらけになった火野と前島と一緒に、急ぎ基地に運び込まれた。

 

  

 

 

■たびだちの日■

 

 

 

 

『おはようございます、あきつ丸』

 

『どうも姉上、お久しぶりでありますな』

 

 艦桶の外に出て、あきつ丸がまず目にしたのは、神州丸と呼ばれる艦娘。

 同じ軍を祖とする姉の姿に、あきつ丸は頬を緩める。

 

『して、早速でありますが現在の状況を教えていただけますかな?』

 

『はい、こちらに』

 

 生まれたばかりでも、既に戦えるのが『建造』で生まれた艦娘だ。

 だが、生まれた場所や時代に適応するためには、やらなければならないことも多くある。

 その一つが、既に持っている記憶や知識、それと現在の状況をすり合わせること。

 

『いやはや、しかし寝起きに姉上の顔を拝見できるとは、なかなか幸先がいい。贅沢ついでに、まるゆ殿にも早くお会いしたいですなぁ』

 

『それは……難しいでありますね』

 

 前を歩いていた神州丸の足が止まる。

 なにか不味いことを聞いてしまったのかと、あきつ丸は不安に思いながら問いかける。

 

『は? それはどういうことでありますか?』

 

『すべて説明するでありますよ。自分がこの時代で目覚めたあの日に……貴方ではないあきつ丸が語ってくれたことを。今度は自分が、そのまま伝えるであります』

 

 神州丸はフードを脱ぎ、振り返って真っ直ぐにあきつ丸の目を見る。

 あきつ丸を見つめる神州丸のその表情は、鉄仮面で知られる彼女のものとは違い、とても……深い悲しみをにじませるものだった。

 

 

 

      ※ ※ ※

 

 

 

 ただひたすらに白い部屋。

 目を覚ました火野は、あらゆる光を反射する、そのまぶしさに目をしかめた。

 

(なんだこりゃ?)

 

 火野は自分が、薄い緑色の液体に満たされた浴槽の中に入れられ、固定されている事に気がつく。

 徐々に視界と思考がはっきりとしてきたが、のどに挿入されているチューブのせいで、声が出せない。

 

「ああ、おはようございます先輩。すぐに誰かが来ると思うので、動かないでください」

 

 首を振り、身体の拘束を剥がそうともがいている火野に気づいたのか。

 隣で同じように緑の浴槽に入れられ固定されていた前島の声が部屋に響く。

 

「ばえじばおばえばるびゅはごほごほ!!」

 

「……あと喋らないでください。というかなんでのどにチューブが挿さった状態でしゃべるんですか」

 

 非難するような目で、前島をにらみつける火野。

 前島はその視線を受けて、やれやれといったふうに状況を語りだす。

 

「私もしっかりと状況を把握できているわけではないのですが、まるゆさんは無事ですよ。ここは艦連軍の基地、その医療施設のようです」

 

 前島の言葉を聞き、火野は安心したのか、それともあとからきた激痛を自覚したのか。

 緑の液体に沈みこみ、再び意識を落とした。

 

 

 

 火傷に骨折に裂傷、そして銃傷。

 実際のところ二人の傷は、そのままにしておけば確実に命を落とす深さだった。

 だが幸いだったのは、基地には世界でも最高レベルの医療設備が備わっていたことだ。

 艦連のみが保有する移植技術や、強制的に新陳代謝を進ませ、傷を治癒するといった応急再生治療技術。

 それはある程度の寿命(老化が進む)と引き替えではあったが、何ヶ月もかかるような傷の治癒を、僅か数日に短縮することができるものだった。

 そういったことを医療担当の兵士から聞かされた二人だったが、彼らがもっとも知りたかったまるゆの状況に関しては、その質問に答えられる権限がないと、教えてもらえずにいた。

 

「せっかく地獄から帰ってきたってのに、することねえな」

 

「帰ってこれたあたり、随分近いところにあったんですね」

 

「おう、そんなに遠くなかったぞ。なあ、それよかあいつどうなったと思う?」

 

 のどのチューブを外されて、自力で呼吸が可能になった火野。

 もっとも傷はまだ癒えておらず、引き続き身体を固定されて動くことができない彼は、暇ですることがないことも相まって、そんな質問を前島に投げかける。

 

「悪い状況になることはまずないでしょう。ただのレーダー基地といっても、ここは艦連軍の兵士、そして艦娘が詰めていますから。大本営の残党が幾ら数をそろえたところで――」

 

「アホ、そう言うことを聞いてんじゃねえよ。聞いてるのはアイツがちゃんと海まで行けるかどうかだ。なんつったか、確か珍しいなんかの艦娘なんだろ。そうなりゃ一生モルモットとか監禁されたりとかあるかもしれんだろうが」

 

「いや、さすがにそれは――」

 

「まさかのまさか、それは考えすぎでありますよ」

 

 前島の言葉をさえぎったのは、いつの間にか医療室に入ってきていた黒い軍服姿の女性。

 まったく気配を感じなかった火野と前島は、驚いた表情をうかべる。

 その様子を見て女は、どこか作り物めいた笑顔を貼り付けながら、二人がつかる浴槽の前に立つ。

 

「こうしてきちんとお目にかかるのは初めてでありますな。自分はこの基地の司令官であるあきつ丸であります。まあ気軽にあきちゃんとでも呼んでいただいてけっこうでありますよ」

 

 嘘か本当か判断が付かないような言葉。

 そしてあきつ丸はかぶっていた帽子を脱いで手に持つと、肩口まである長さの黒髪を垂らしながら、深々と頭を下げた。

 

「あなた方のことは、まるゆ殿から聞かせていただきました。お二人とも。我々の同胞を救っていただき、そして……自分のとても大切な友人を守っていただいたこと、誠に……感謝するであります」

 

 人を食ったような言動そのものだった相手がみせた、心の底からの感謝。

 その様子を目の当たりにして、前島は思わず固まった。

 それはその相手が、艦娘の中でも特殊な存在である揚陸艦だと気がついたからだ。

 揚陸艦、正確には『陸軍の艦娘』と分類される艦娘は、総じて特殊な役職や立場に就く。

 その事を含め、母親から『くれぐれも陸軍の艦娘にはかかわるな』と強く言い聞かされていた前島は冷や汗を流す。

 

「ああ、まあその辺は気にすんな。それであきちゃんだっけか、アイツは無事なのか?」

 

 が、それを欠片も知らない火野は、冗談で言ったであろう呼び名をあっさりと使う。

 まさか本当にちゃん付けで呼ばれるとは思わなかったあきつ丸は、ポカンと口を開け一瞬固まった。

 が、すぐに気を取り直し、ニヤニヤとしながら動けない火野の医療浴槽の縁に腰掛けた。

 

「まるゆ殿は自分にとっても大切な友人でしてな。ご心配なさらずとも、無事は保証するでありますよ。あと地元の警察相手への大立ち回りの件も、取りはからっておきましたのでご安心を。まあ向こうも自分らの管轄に、大本営の残党の拠点があったとなれば、それどころではないでしょうが」

 

「さよか、なら腹に穴空けたかいがあったってもんだよ」

 

「……火野殿、でしたかな? 貴殿らには艦連にとっても個人的にも、返しきれないほどの借りができてしまったでありますので、いずれお返しさせていただきますが。急ぎなにか要望などはありますかな?」

 

「あー、俺らが乗ってた車はどうなった? あれ借りもんなんだわ、コイツのお袋さんの」

 

「そちらはまるゆ殿にもお願いされておりましたので、既に回収済みであります。今頃はうちの腕利きが修理と整備を終わらせているはずですな」

 

「そりゃ助かるわ、コイツのお袋さんに殺されずにすむ」

 

 火野はゆっくりと浴槽に沈み込み、目を閉じる。

 

「この医療室を出られるくらいまで回復するのは、もう数日とかからんでしょうな。医官もお二人の回復力にはビックリしておりましたでありますよ」

 

「そりゃありがたい、退屈でしょうがなかったんだわ」

 

 動けない日々に鬱屈としていた火野は、それを聞いて嬉しそうに浴槽から身を起こす。

 が、遅れてやってきた傷みに悲鳴を上げて再び浴槽に沈みこんだ。

 あきつ丸はその様子を、とても好ましいものを見るような目でみつめていた。

 

「いてててて、クソッ! あー、そういやあきっちゃん。煙草あるか?」

 

「傷に障りますぞ?」

 

 そう言いながらも、あきつ丸は内ポケットから煙草をとりだし、火野にくわえさせライターで火を点ける。

 が、火野の呼吸能力が落ちているためか、うまく煙草に火が点かない。

 あきつ丸は、火野がくわえていた煙草を手に取り、自分でくわえ火を点ける。

 そして、自分の口を火野の口元まで近づけ、ゆっくりと吐き出した。

 

「傷が治るまではオアズケでありますな」

 

「この程度の傷で情けねえ……治ったらカートンで吸ってやる」

 

 この程度って、先輩は私よりも重傷だったんですよ!?

 と、前島は心の中で叫ぶも、声に出せず口をぱくぱくとすることしか出来ない。

 あきつ丸はそんな火野の言葉を聞いて、愉快そうに口元をゆがめる。

 

「くくっ……火野殿はなかなかにいい男でありますなぁ。どうでしょう、いっそ憲兵軍に入って、自分の提督になりませんかな?」

 

「んあ? ああ、悪いけど余所で内定もらってるから遠慮するわ」

 

「……そうでありますか、それは残念であります」

 

 嘘か本当かわからない、残念そうな表情を浮かべるあきつ丸。

 

「そういや、俺らの着てた服はどうなった? ポケットの中に財布とか煙草とか入れてあるんだが」

 

「ああ、残念ながら服については、治療の際に全部切り裂いてしまったようでしてな。ですがここから出る時に、着替えを用意しますのでご安心を。あとポケットの中身に関しては、そこの棚に置いてありますが……煙草など駄目になった幾つかのものは廃棄しているかと」

 

「そうか、まあその辺はしゃーない……あー、写真は残ってるか?」

 

「写真でありますか?」

 

「旅行の目的地がそこなんだわ。つっても詳細不明で、どこの海岸かもわからんのだけどな」

 

「それはまた、ずいぶんと若者らしいと言うかなんというか」

 

 だが、少し興味が湧いたのか。あきつ丸は火野の了承をとって、棚からトレーに入れられた中にある写真を手に取った。

 

「……この写真、どこで手に入れられたので?」

 

「なんか古い蔵を壊すバイトで、床下にあった箱の中にあったんだよ。あんま褒められたもんでもないんだが、なんか気になってな、持って帰っちまった」

 

「なるほど……」

 

 あきつ丸はじっと写真を見つめ、咳払いを一つする。

 そして少し真面目な表情で、火野に視線を向けた。

 

「さすがに詳細な場所まではわかりませんが、生えてる木やら海の透明度を見るに、これは南方……その昔にパラオと呼ばれた地域かもしれませんな」

 

「パラオ?」

 

「国外にある、遠い異国の群島地域でありますな。この写真の端っこに写っているのは”潜水艦の艦娘“であります。つまり戦史時代、それもおそらく末期……だとしたら、パラオ泊地の可能性が非常に高い。末期のパラオ泊地には、当時最強の潜水艦艦隊と、彼女らを率いる提督の拠点があったと伝えられてましてな。一昔前ならこの写真は艦連機密に抵触したでありますが……まあ、それはいいであります」

 

「さよか、その写真がなかったらこんな事にもならなかっただろうが……まあ、まるゆもどうなってたかわからんのを考えると、アイツのお仲間が俺らを助っ人によこしたのかも知れんな」

 

 なんてな、と笑い飛ばす火野。

 だがあきつ丸はその言葉を聞いて、驚いた表情を一瞬浮かべた。

 

「……おやおや、火野殿は中々にロマンチストでありますなぁ」

 

 が、すぐに人を食ったような笑みを浮かべ、くっくっくと笑いながら、あきつ丸は写真をトレーに戻す。

 そして「仕事がありますので、今日はこの辺で」と言い残し、部屋から去って行った。

 

「なーんか顔はいいけど、胡散臭いヤツだったな」

 

「艦連軍の基地司令官に、しかも陸軍の艦娘に……い、胃が痛い……」

 

「なんだお前も腹に穴空いてたのか、風呂にちゃんとつかっとけよ」

 

 

 

      ※ ※ ※

 

 

 

 二日後。

 ほぼ傷もふさがり、暇をもてあましていた二人の元に、まるゆがやってきた。

 旅の途中に着ていた、薄汚れた白いシャツと半ズボン姿ではなく、おろしたての白いワンピース姿。

 一瞬それが誰だかわからず首をかしげる火野と、恍惚の表情を浮かべる平常運転の前島を見て、まるゆはクスリと笑う。

 

「あの、遅くなってすみません。ようやくお二人にお会いする許可が出たので。その、お加減はいかがですか?」

 

「お前、まるゆか!? いい服着てるから、一瞬誰だかわからんかったぞ。こっちは心配すんな。明日にはこの風呂から出られるってよ」

 

「その服、とても似合ってますよまるゆさん。あと私の方も体調は問題ありません、もうほとんど治っていますので」

 

「つかまるゆ、お前こそ大丈夫なのかよ。足プルプルしてなかったか?」

 

「えへへ、その節はご迷惑を。大丈夫です! 燃料ももらったので、いまのまるゆは元気いっぱいです!」

 

 二人の変わらない笑顔に、まるゆはホッとした表情を浮かべ、笑顔と言葉を返す。

 だがその表情が、すぐに少し沈んだものに変わる。

 

「今日は最後にお別れを言いに来ました」

 

「んあ?」

 

「明日、まるゆは艦連の一番大きな基地に連れて行ってもらえることになったんです」

 

「さよか……。最後まで送ってやれんかったのは心残りだが、まあその方がいいかもな。当然だが、ちゃんとその基地に着いたあと、お前のなんか大事なヤツのところに、連れて行ってもらえるんだよな?」

 

 そこだけは確認しておかなければならない。

 火野が念を押すように確認をする。だがその言葉を聞いて、まるゆの表情が目に見えて曇った。

 

「……あきつ丸さんは、正直に言ってくれました。まるゆはその基地に連れて行ってもらったあと……ずっと、守ってもらえるって……でも、外に……海に出るのは、難しいだろうって……」

 

「は? そりゃどういうことだよ、お前の会いたいヤツはその基地にいるわけじゃねえんだろうが、なんでそこから出れないって話になるんだよ?」

 

「先輩、まるゆさんは世界でただ一人の潜水艦の艦娘なんです。これは彼女たち、艦娘全体に関わる難しい話で――」

 

「うるせえ、そういうこといってんじゃねえ! おいまるゆ、お前それでいいのかよ?」

 

「え?」

 

「会いたいヤツらがいるんだろ、だからいままで頑張ってきたんだろうが」

 

「……まるゆは……まるゆ……は……」

 

 火野の真っ直ぐな言葉が、まるゆの心に刺さる。

 その問いになにも答えられないまるゆ。だが……心の奥に閉じ込めていたものが、その言葉であふれ出してしまったのか、まるゆの頬を伝って涙がこぼれた。

 

「会いたいん……です、会ったことはなくても、いえ、会ったことがあるはずなんです。まるゆの、まるゆの提督と……仲間たちに……会いたいんです」

 

 やがてようやく心から絞り出された、まるゆの本当の気持ち。

 それを伝えられた火野は、無言で身体中に刺さていたチューブや点滴を引き抜き、拘束を無理矢理外す。

 前島もそれに続くように、同じように力尽くで拘束を外し、身体に刺さった針や線を引き抜いた。

 

「ふぇ? あ、あの……だ、ダメですよじっとしてないと!?」

 

「いでで、おい前島、そっちの棚にガムテープかなんかないか」

 

「そんなものあるわけ……ダクトテープがありましたね、なぜでしょう……」

 

「うし、それでちょっと穴空いてるとこふさいでくれ。んでまるゆ、お前はそこに掛けてある医療リュックの中身全部だぜ。そんでもってそん中入れ」

 

「え、え、えええええ!?」

 

「もっとこう、ましなプランをですね……」

 

「ぐちぐちうるせえ、こういうのはどれだけ早く動くかの方が大事なんだよ」

 

「あ、あの! ど、どうしてですか!?」

 

「んぁ?」

 

「はい?」

 

 動揺を隠せないまるゆの大声に、火野と前島が同時に振り向く。

 だがまるゆは、自分でもよくわからずに「どうして?」と、聞いてしまったことに、遅れて気がつく。

 どうして、なぜ……この二人の男はどこまで……。

 うまく言葉に出来ない疑問の意味を、まるゆは必死に考える。

 

「あんな……あんなにいっぱいご迷惑を掛けたのに、どうしてまた……助けてくれるんですか?」

 

 きっと二人はわかっている。

 まるゆの願いをきけば、またしても困難な状況に直面することを。

 下手をすれば、また命が危うくなるだろうことも。

 

「ああ……いまさら水くさいことを言わないでください。それに、ここでなにもしないのは児童性愛者の名折れです」

 

「俺、は、コイツみたいにたいそうな理由じゃなくて。遊園地で助けてもらった借りと、飴もらった礼と、ボロ負けした賭けの約束があるからってだけだけどな」

 

「それだけあれば、先輩のも充分たいそうな理由だと思いますが」

 

「そうか?」

 

 だというのに二人は二人にとっての理由を軽く口にし、お互い顔を見合わせ愉快そうに笑い合う。

 まるゆはそんな二人を見て、涙があふれ出し、ついには泣き出してしまった。 

 

      ※ ※ ※

 

「よし、人影はないな……いくぞ」

 

「ちなみに先輩、出口がどっちかは……」

 

「知らん、が、多分こっちだ」

 

「……そうで、す、か……」

 

 基地の冷たい廊下を、裸足で歩く病衣姿の二人の怪しい男たち。

 先頭を歩く火野が、あたりを見渡しながら歩を進め、後ろにまるゆが入っているリュックを背負った前島が続く。

 

「あの、そっちであってます」

 

 リュックの隙間からひょっこり顔を出して、小声でまるゆが伝える。

 

「ああそうか、泣き虫まるゆは知ってたんだっけか。よし、しっかりナビ頼むぞ」

 

「は、はい! でも泣き虫は余計です!!」

 

「ちょ、うるうせえ静かにしろ!」(そこそこ大声)

 

「あの……二人とも頼みますから静かにしてください……」

 

 抜き足差し足忍び足のつもりで歩きつつも、明らかに声が響いている。

 そんな三人が無事、基地から出られるはずもなく……。

 

「どーこに行かれるのでありますかな?」

 

 すっと彼らの前に立ちふさがる、あきつ丸と十人ほどの憲兵たち。

 さらに火野たちが通ってきた後ろの通路から、別の憲兵たちが現われ逃げ道をふさぐ。

 完全な挟み撃ち状態、逃げ場はない。

 

「あー、あきちゃん。世話になったな、俺らはそろそろお暇するからよ、そこをあけてくれ」

 

「そんな格好ででありますかな?」

 

「ナンパでもしようと思ってな、セクシーだろ?」

 

「……火野殿。まあ、自分と火野殿の仲でありますから、どうしてもこの基地を出たいというのであれば、やぶさかではありません……が。前島殿が背負ってらっしゃる、そのリュックの中身を置いていっていただけますかな?」

 

 ピクリと、カバンの中のまるゆが震える。まるゆがリュクの隙間からそっと外を見ると、あきつ丸と目があった。

 あきつ丸は優しい目でまるゆに向けて手を軽く振る。そこにいるのはお見通しだと言わんばかりのいい笑顔だ。

 

「……断る」

 

「どういうつもりかは知らないでありますが。いいですかな火野殿。自分は艦娘、そしてまるゆ殿も艦娘。つまりはまるゆ殿は我々の保護下、いえ、我々と共にあるのが正しいことなのであります。ですから――」

 

「断わるっつってんだろ」

 

「……火野殿。あなたは自分がなにを言っているのかわかっておられるので?」

 

「くどいんだよ」

 

「……わからんでありますなぁ」

 

 繰り返される火野の明確な拒否の言葉を聞いて、あきつ丸の笑顔が固まる。

 そして夕日が沈んで夜の闇が満ちてゆくように、ゆっくりと感情の無い表情に変わった。

 

「前島殿、あなたがそこまでまるゆ殿に肩入れされるのは、なんとなくわかるであります」

 

 かちゃん、かちゃん、と。

 腰に差した軍刀を軽く叩いて音を立てながら、前島をじっと見つめるあきつ丸。

 

「貴方の目は憲兵、しかも千鬼衆のそれに近い。恐らくなんらかの信念に基づいて行動された結果なのでしょうな。なればこそ、自分の言うことの正しさは理解していただけるかと思うのであります」

 

 あきつ丸の言うとおり、この方法が正しいのかという疑念が前島の頭にはあった。

 それを鋭く指摘され、前島は思わず視線をそらす。

 あきつ丸はすっと視線を隣の火野に移し、刺すように見つめる。

 

「ですが火野殿、貴方に関してはわからない。我々に対する知識はほとんどなく、かといって命の足し算引き算の勘定ができないほど馬鹿というわけでもない。だというのになぜそこまでされるのですかな? 重ねて言うでありますが、まるゆ殿にとってなにが幸せかなど、普通に考えればわかるのでありましょうに」

 

「はっ、それはどうだかな」

 

 火野は強い口調で否定しながら、床に血の混じった唾を吐く。

 

「言っとくと、俺は間違っちまった決断や、引いちまった貧乏くじから逃げるような男じゃない。そりゃ世の中の賢いヤツは、オレみたいなのを、おめでたい馬鹿だって思うんだろうさ、それは自由だ。……だがな、俺が言いたいのは、そんな馬鹿な俺でもこれは間違ってるって思うことだ。なんで間違ってるかなんざ聞くなよ? それくらいわかれ」

 

「申し訳ありませんな、聞き分けのいい大人になるには世界を見過ぎたのでありますよ。なのであえてお聞きするであります。”なぜ“それが間違っているのかという根拠を、ご教授願えますかな?」

 

 あきつ丸が鳴らし続けていたかちゃんかちゃんという、軍刀を叩く音が止む。

 それは、これが最後に許される答弁だという無言の圧力に感じられる空気。

 前島とまるゆ、そして回りの憲兵ですら。その重いタールのような殺意の籠もった重圧に、本能的に息を止める。

 自分の存在を少しでも消さないと、この恐ろしい強者の意識から消えないと命がない。

 そう感じるような、本能的な防衛行動。

 

「……昔な、結婚したいくらい惚れた女がいたんだよ」

 

 だが、その間違った返答が許されない状況で、火野だけが。

 

「昔! 結婚したいくらい惚れた女が! いたんだよ!」

 

 火野だけが烈火のように息を吐き、声を上げた。

 

「――……二度言わんでも、聞こえてるでありますよ」

 

 なにを言っているんだ?

 あきつ丸だけでなく、その場にいた全員が火野の叫びを聞いてそう疑問に思った。

 この状況で過去の色恋の話など持ち出してどうしようというのか。

 だが火野はお構いなしに叫び続ける。

 

「その人は誰もいない館でずっと、庭の手入れをしながら誰かを待ってた……はじめてその人と会ったとき、アホな俺でもわかったよ。この人はすごくつらいことがあって……でも、弱音なんか見せないすげえ強い女なんだって……」

 

 火野は拳を握りしめながら、昔を思い出すように目を閉じる。

 あの日に見た、奇跡のように美しい庭が火野の脳裏に蘇る。

 それはもう取り戻せない青春の日々。

 もうなにも手につかないほど、誰かに恋をした火野の思い出。

 

「だがな、俺はある日そんな人が泣いてるのを見ちまった。『会いたい会いたい』ってこぼしながら……泣いてたんだよ……まるゆも同じだ! 会いたくてしょうがねえのに、なにか大事なものを守らなきゃいけないから、動けなかったんだ! あきつ丸! それに図体のでかいお前らのことが大事だからって、それを隠してやがる。でもやっぱ会いたくてしょうがないから、また俺らを頼って! だからいま逃げようとしてんだろうがよ!」

 

 初めて会ったときから、火野はまるゆが言った『会いたい』という言葉に引っかかりを覚えてしょうがなかった。

 それが無意識にいらだちになり、前島に当たっていた部分もあったのかもしれない。

 だったからこそ、見ず知らずの少女だったまるゆの為に命を張れたのかもしれない。

 火野はその引っかかっていたなにかが、いまようやくわかった気がした。

 だからこその、いまの、この状況なのだと。

 

「なあ……行かせろよ。別に世界を滅ぼしたいとか、そいうこと言ってんじゃないんだよ。まるゆは会いたい奴がいて、俺らはこいつをそいつに一日でも早く会わせてやりたいだけなんだ。お前ら軍人だし頭いいんだろうが、なのになんでそれがわからねえんだよ……」

 

 火野の言葉は、あきつ丸の問いかけに対する反論にすらなっていない。

 だというのに……だからこそなのか。

 誰もがその言葉に心を打たれてしまう。

 

 その場にいる誰もが、火野よりも艦娘のことを想っていたし、知識を持っていた。

 

 あきつ丸はまるゆが自分の側にいることがなによりも安全で、幸せなことだと信じて疑わなかった。

 憲兵たちは、大恩ある潜水艦の艦娘であるまるゆを、今度こそ自分たちが保護し、生涯をかけて護ると心を震わせていた。

 艦娘を親に持つ前島は、艦連に保護してもらうことが、まるゆにとってなによりもためになるとわかっているつもりだった。

 

 だが、そのどれもが正しくはあったが、間違っていた。

 

 この中で火野だけが、誰よりも艦娘に対して知識を持たないはずのこの男だけが。

 まるゆの望みを正しく理解していた。

 

 そして全員が火野の言葉を聞き、そのことに気付いてしまったゆえに、動くことができなくなった。

 己の使命、果たすべき命令、なにより望み。

 その全てが否定されたような心境。

 火野はその隙を見逃さず、瞬時に動き、あきつ丸の腰のホルスターから拳銃を奪う。

 そしてその銃をあきつ丸の背中におしつける。さらに後ろからあきつ丸の首に腕をまわし、軽く締めた。

 

「こうなったら手段なんざ選んでられるか。おい、こいつの命が惜しかったら道を開けろ」

 

「あ、あの先輩ですね……」

 

 艦娘に拳銃を向けるという無意味さ。

 発砲したところで、撃った方が暴発か跳ね返った弾で怪我をする。

 そのことを当人である火野だけがわかっていない、おかしな状況。

 

「前島! 持ってきたダクトテープがあっただろ、それでこいつの手を縛れ!」

 

「……えーっと」

 

「なにぼさっとしてやがる! 早くしろ!」

 

「わ、わかりました……」

 

 前島はあきつ丸と憲兵たちを交互に見ながら、あきつ丸の手をダクトテープで縛る。

 その様子を見て、さすがに幾人かの憲兵が取り押さえようと動く、が。

 

「……動くな、で、あります」

 

 憲兵たちは最初、その言葉が自分たちに向けられたものだとわからなかった。

 なぜならその言葉を発したのは、単身で戦車だろうが、完全武装の憲兵軍一個大隊だろうが相手にできる、数百万を数える艦連軍の中でも最上位に位置する陸上戦闘能力を持つあきつ丸。

 いまこの瞬間に、自分に向けられている銃を奪い取り、赤子の手をひねるように取り押さえることなど、あきつ丸には瞬きする間に、一呼吸以上の余力を残して行えるはずだ。

 

 そのあきつ丸が──

 

「自分は死にたくないであります、お前たち、そこを動くなであります。彼らを刺激せず、言う通りにするであります」

 

 まるで、無様に命乞いをする小悪党のように、震えた声でそう言ったのだ。

 

 それは、間違いなく演技だ。

 その場にいる憲兵の誰もが、そう確信していた。

 だからこそ戸惑う。

 それはいったい、どういう事なのかと。

 

「ええい、この間抜けどもめ! いいからそこを退くであります。責任は全て自分がとるでありますから、そこを退いて、彼らの車がある格納庫までの道をあけるであります! これは命令であります!」

 

 その言葉を聞いて、憲兵たちは今度こそ正確にあきつ丸の意図を理解した。

 あきつ丸は、まるゆを、彼らを行かせるつもりなのだということを。

 

「……司令官殿の命令だ。いいから全員道を開けろ」

 

 あきつ丸を除き、その場で一番階級の高い副司令官が道を開けるよう指示を出す。

 その命令に、その場にいた憲兵たちは強く胸を押さえながら従った。

 

 

 

      ※ ※ ※

 

 

 

「お、着替えあるな。よし、まるゆちょっとコイツ見張っててくれ」

 

「あの先輩、その……」

 

「おら前島、とろとろしてんじゃねえ。いつまでもノーパンでうろうろしてられるか」

 

「はぁ……」

 

 車両の格納庫につくと、まず火野が車のトランクを開けて、中の荷物が無事かを調べはじめる。

 幸い着替えと予備の靴を発見し、あきつ丸の見張りをまるゆにまかせ、いそいそと着替え始めた。

 一方の前島は、チラチラとあきつ丸の方を確認する。

 あきつ丸はそれに対し、あきらめたような表情でぴらぴらと手を振った。

 前島はその姿を見て、軽く一礼し、自身も着替え始める。

 

「自分はなにをしてるんでありますかなぁ……」

 

「えっと、その……ごめんなさい、あきつ丸さん」

 

 まるゆはあぐらをかいて地面に座るあきつ丸に近づき、ぺこりと頭を下げる。

 

「まるゆ殿、いまからでも考え直しませんかな? 他の艦娘は勿論のこと、自分も姉上も、陸軍の者たちは皆、あなたに会えるのを……いえ、正直に言うなら、自分はずっとまるゆ殿に会えるのを、そしてまた共に生きられるのを夢見ていたのであります」

 

「……まるゆも、あきつ丸さんには会いたかった、そんな気がします。まるゆがこれまで生きていられて、目を覚ませたのはきっと、あきつ丸さんのおかげだって……おぼろげなんですが、そんな記憶があるんです」

 

「まるゆ殿……」

 

 あえぐようにまるゆの名を呼ぶあきつ丸。

 離れたくない。ただその想いが溢れる。

 

「でも、まるゆは行かなきゃならないので……みんなと、提督が待ってますから」

 

「――……まったく、まるゆ殿の提督に嫉妬してしまいますなぁ」

 

 感情を隠し、軽口を叩くあきつ丸。

 彼女は弱々しさを見せないように、素直な笑みを浮かべる。

 

「まるゆ殿、自分が言えた義理では無いかもしれませんが。もし、我々艦娘に神が存在するなら……まるゆ殿の旅路の幸運と、そしてその先で、まるゆ殿が無事提督殿と出会えることを祈らせていただくであります。どうか……お元気で」

 

「……きっと、また会えます。昔、あきつ丸さんじゃないあきつ丸さんが、言ってくれたような気がするんです。自分ではない自分かも知れませんが、きっと、きっとまた会えますって。だから、まるゆじゃないまるゆかもしれませんが……またきっと会えます」

 

 まるゆはそう言って膝をつき、あきつ丸を抱きしめた。

 あきつ丸もまた、手を縛られたまま器用にまるゆを抱きしめる。

 

「よしっ、行くぞまるゆ!」

 

 そんなしんみりとした空気を吹き飛ばす、火野の大声。

 それを聞いて、先ほどまで浮かべていた穏やかな表情とは一転し、拗ねた表情になるあきつ丸。

 

「火野殿ぉ~。今生の別れだというのに、無粋でありますぞ?」

 

「うるせッー! こっちは見た目どおり一杯いっぱいなんだよ! あとあきちゃん、煙草!」

 

「あー、はいはい。持ってくでありますよ」

 

 あきつ丸は手の拘束を紙をちぎるように外し、ポケットから煙草とライターをとりだす。

 そしてライターを煙草の包装紙にねじ込むと、火野に放り投げた。

 内心かなり焦っていた火野は、あきつ丸の一連の動作に違和感をもつことなく、投げられた煙草をキャッチする。

 

「ありがとな!」

 

 律儀にお礼をいう火野に、あきつ丸は思わず吹き出してしまった。

 

「まったく……大した男でありますなぁ」

 

 そして三人が乗り込んだ車が動き出し、格納庫から出て行く。

 あきつ丸はそれを見送るとため息を一つ吐き、格納庫内にある連絡機器を手に取って基地正面入り口に繋いだ。

 

「こちら基地司令のあきつ丸であります。いまそちらに向かっている緑の乗用車でありますが、通してかまわないでありますよ。ええ……では――」

 

「よかったのですか?」

 

「今更、階級が二つ三つ降格したところで気にせんでありますよ」

 

 受話器を置き、去って行く車を見つめていたあきつ丸の背後から、いつの間にか立っていた副官の声がかけられる。

 それに驚くこともなく言葉を返すあきつ丸。

 

「……艦連本部にはなんと?」

 

「誤報であったと、連絡を入れておくようにであります。くれぐれも自分、あきつ丸が確認を怠り、手柄を焦って連絡を急がせた。本人が確かにそう認めていると、伝えておくように」

 

「本当によろしいのですか? 恐らくいま向こうは大騒ぎですよ。唯一生存する潜水艦の艦娘、そしてキング・ジョーの手がかり、当然元老院も太宰府の神州丸様も動かれているかと」

 

「よろしいでありますよ。何度も言うように責任は全て自分がとる、そう言っているであります」

 

「……了解です」

 

 副官は伝令の一人に指示を出し、走らせる。

 あきつ丸はその指示を聞き流しながら、空に立ち上る入道雲を見上げる。

 

「別れは告げられましたので、後悔はないと……。ですが、いざとなると……想いがつまってしまいますなぁ……」

 

 両掌で、涙が流れないよう目元を押さえ込むあきつ丸。

 副官はその様子をしばらくそっと見守ったのち、声をかける。

 

「あきつ丸様とまるゆ様ほどの縁あらば、因果の果てに必ずや再び会えましょう」

 

「……ふん、知った風なことを言うでありますな」

 

「ええ、知った風に物事を述べるのが副官でありますので。それで、これからいかがされますか?」

 

「それはもう、決まっているでありますよ。我々を散々コケにしてくれた二人を、地の果てまでこっそり追跡してやらねば」

 

 そう言いながら振り向いたあきつ丸は、いつもの副官が知る彼女の表情。

 聖人だろうと悪鬼羅刹だろうと、だまくらかして食い殺しかねないような笑顔だった。

 

 その様子に副官はニヤリとした笑みを浮かべ、背筋をただす。

 

「……了解であります。実は独断ではありますが、既にとびきりの精鋭による追撃部隊の編成と出撃準備が完了しております」

 

「それはまぁ、ずいぶんと手回しがいい」

 

「処罰は後日いかようにも。なにせ、天下の艦連軍を相手にしての大脱走を行い、我ら憲兵軍相手に艦娘のことを考えろと啖呵を切った傑物が相手ですからな。あの二人には相応の礼をしてやらんとなりませんので。して、現場指揮官は……」

 

「当然、自分がやるでありますよ。汚名返上のチャンスであります、ククク」

 

 そう言って、いままで副官が見たことがないような、愉悦に満ちた笑みを浮かべるあきつ丸。

 砲弾の着弾にも動じない副官だが、その笑顔を見て背筋に経験したことのない震えが走る。

 そして数分後。あきつ丸と精鋭の追撃部隊が、三人のあとを追うため出撃した。

 

 

 

      ※ ※ ※

 

 

 

「念のため確認させていただきたいのですが……」

 

「なんだよ」

 

「方向はこっちでいいんでしょうか」

 

「おう、多分あってる」

 

「なんでわかるんですか?」

 

「カモメが飛んでるだろ」

 

 火野が指さす方向を前島とまるゆが見ると、カモメが二羽ほど気持ちよさそうに飛んでいた。

 そのある意味いつもどおりな火野の適当さに、なぜかとても心が安らぐのを感じた前島とまるゆが軽く微笑む。

 そうして一行が基地を出て山道を下り、大きな通りを走ることしばらく。

 ようやく三人は、太平洋に面した浜辺に到着した。

 

 浜辺に車を止め、三人は無言で車を降りる。そして浜辺の砂を踏みしめ、そこでようやく海に着いたことを、全員が実感した。

 三人の目の前には静かな太平洋の海が広がっており、夏空の蒼穹に負けないくらい、青く輝いている。

 

「あの防波堤の先っぽあたりまで歩こうぜ」

 

 火野の提案に、静かに頷く前島とまるゆ。

 砂浜から伸びる防波堤に向かって火野が前を歩き、その少し後ろを前島がゆっくりと歩く。

 その姿を見て、思わずまるゆは立ち止まる。

 

 空の入道雲を背景に前を歩く、二人の男の後ろ姿。

 それが……なぜかこの世界で一番美しい光景に思えて、ずっと見ていたくなったから。

 

 

「どうしましたまるゆさん?」

 

「なんだ、便所か?」

 

「いえ……なんでもありません」

 

 立ち止まっていたまるゆに気がついた前島と火野が振り返る。

 少し惜しい気もしたが、まるゆは二人に駆け寄った。

 そして防波堤に到着し、海に向かって突き出ている先に向かってまた歩く。

 夏の日射しに照らされて熱くなったコンクリートの上を二十メートルほど歩き、防波堤の先にたどり着く三人。

 そこから使われているのか怪しいぼろぼろの灯台の近くを、カモメが飛んでいるのが見えた。

 静かな波の音と、きらきらと光る海が、ただただ美しかった。

 しばらくその風景を眺めていた三人だったが、火野が煙草を取り出し、火を点けようとする。

 が、使い慣れていないあきつ丸のライターではなかなか火が点かず、カチカチという音が何度も響く。

 まるゆはその音を聞いて少し微笑み、振り返って二人と向かい合う。

 

「本当にありがとうございました、お二人が居なければたどり着けなかったと思います」

 

 ようやく火が点いた煙草をくわえながら、火野が笑う。

 

「ハハッ。いまだから言うが、まさかあの時お前が車のドアをたたくとは思わなかったよ」

 

「自分で言うのもなんですが、まともな見た目ではありませんからね、私たちは」

 

 確かに二人の見た目は、背の高いチンピラとインテリヤクザだ。

 苦笑しながらまるゆが口を開く。

 

「確かに初めてお二人を見たときは、少し怖かったです。でも……いまなら、いまだからこう思えます……本当に、あのとき止まってくれたのがお二人でよかったって、ドアを叩いてよかったって」

 

 まるゆの脳裏に、この数日の思い出が蘇る。

 はじめて目にした二人の男、そのあとのイノシシとのカーチェイス。

 母の話を聞き、いつか見てみたいと思っていた静かな遊園地の風景。

 たき火を囲んで話をした星座のこと、その星空の美しさ。

 のどかな農村の風景、初めて見る牛という動物。

 少し怖かった二人の喧嘩、そして宿について三人で遊んだ花札のこと。

 宿からの脱出劇、そして警察との問答、やって来た大本営の残党。

 持ち上げた車の重さ、はじめて乗ったバイク。

 そして……自分のために、最後まであきらめなかった二人の男の姿。

 まるゆは一つ一つの出来事を噛みしめるように、脳裏に焼き付けてゆく。

 決して、決して忘れないようにと。

 

「いままで生きてきて、最高の出会いが三度ありました。目が覚めて最初に出会えたお母さんと、あきつ丸さんと出会えたこと、そして……この旅でお二人に出会えたことです。われながら……われながらいいことを言いました……」

 

 泣きそうになりながら、なんとかそう口にするまるゆの言葉を聞いて、二人の男が笑う。

 

「そりゃ光栄だな、でも涙は四度目の最高の出会いのためにとっとけ」

 

「貴方の提督や仲間に出会えるのを心から祈っていますよ、まるゆさん」

 

 そう言って、ぼろぼろになった二人の男が笑う。

 縁もゆかりもなかったまるゆを、命を賭してここまで連れてきてくれた二人の男が笑う。

 

 たった数日の、長い人生のごく短い一時期。

 だが間違いなくまるゆにとって、そして男たちにとって。

 それは、とても濃密で深い、忘れ得ぬ日々だった。

 

 まるゆは、例えこの旅の果てになにが待っていようと。

 二人との日々と、その笑顔を決して忘れないと心に誓う。

 

 そしてきっと、かならず――

 もし自分の提督に会えたら、この男たちの話をしようと――

 

 まるゆは、気を抜けば溢れそうになる涙をこらえ、笑い返した。

 

「はい! それではさようならです!」

 

 まるゆは元気よく返事をして二人に背中を向け、防波堤から飛び降りた。

 そして艤装を展開しながら海に飛び込む。

 着水し、振り向きたくなる気持ちをまるゆは抑え込む。きっと、いま振り返れば自分は泣いてしまう。

 別れは済ませた、なら最後に彼らの思い出に残るのは……自分の笑顔がいい、自然とそう思ったのだ。

 

「まるゆ、もぐります!!」

 

 そして二人に出港を知らせるかのように声を張り上げ、まるゆは青い海の中へと消えた。

 

 

 

 

 

 

 まるゆの去って行った方向をただ静かに眺める二人。

 そうして一時間ほど海を眺めてから、火野がボソリと言葉をこぼす。

 

「あいつ、本当に艦娘だったんだな」

 

「そのようですね」

 

 それはいまさらな事ではあったのだが、前島は素直に頷いた。

 

「……腹も減ったしそろそろ行くか、焼き肉でも食いに行こうぜ」

 

「目的の海岸を探さなくていいのですか?」

 

「さすがに海外まで行く気にゃならんわ。それにな、こんな海を見といて、他の海を探そうなんてのはアホらしいだろ?」

 

 ああ、その通りだ……と、前島は思う。

 寄せては返す波の音、火野が吸う煙草の匂い。カモメの鳴き声、潮の香りが舌のうえをなぞり、のどを通る感覚。肌を焼く太陽の光に、それを反射して輝く波のきらめき。身体で感じる感覚全てが、どれも最高に鮮やかだった。

 いまの自分にとって、この海岸よりも美しく感じられるものなど、世界のどこにもありはしない。

 確かにそう思えた。

 

「そうですか……いえ、そうかもしれません」

 

「さてと……俺はもう一生分運転した気がするから、次はお前が運転しろ」

 

「せっかく直したばかりですからね、異存はありませんよ」

 

 二人は車に乗り込む、運転席には前島。

 そして助手席に座った火野は、大きく足を広げて伸びをする。

 

「窓を開けてラジオをつけろ、アイツに聞こえるくらいにな」

 

「……了解です」

 

 すべての窓を全開にして、前島がラジオのスイッチを入れる。

 途端、デデンッ! で始まる、国民的演歌が鳴り響く。

 

「……よりによってこれかよ」

 

「まあいいじゃないですか」

 

 苦笑いを浮かべる二人の男。

 まだ旅は途中だ、ならどんな曲が流れても不思議ではない。

 

 まるゆは陸を離れ、航海をはじめたばかり。

 男たちも、これからの道中になにが待っているかわからない。

 

 そしてこの曲が終わっても、また次の曲が始まる。

 またその曲が終わり、旅が終わっても、また次の旅が始まる。

 

 それこそ、生まれてから死ぬまでが旅なのだとしたら。

 これからも三人は行く先々で、色々な誰かと出会うだろう。

 そう、まるゆの旅も、男たちの旅も

 

 ――まだ、これからなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『二人の男』と『潜水艦:まるゆ』 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ど~こに、行くでありますかなぁ?」

 

 と、言いながら。

 いつの間にか後部座席に忍び込んでいたあきつ丸が、二人の肩を叩く。

 飛び上がるほどというか、実際飛び上がって驚く火野と前島。

 それは二人の男の旅に、新たな仲間が加わった瞬間だった。

 

 

 

ほんとにおわり   

 

 

 

*1
・登場『絵描き』と『重巡:足柄』等

*2
・参照『芸術家』と『潜水艦:伊168』




 
素晴しいファンアートいただきました

【挿絵表示】
※作:パテヌス様


あとがき

当初は同人誌に載せたあとがきをそのまま貼り付けようかとも思ってたのですが、せめてあとがきくらいは新規でこさえねばという気持ちも少しあったので書いてみます。

ただ、あとがきの内容は同人誌のあとがきとかぶってる部分もあるので、ご存じの方はフフフと笑いながら流してくださいおねがいします。


さて、えっと、なんでしたっけ。
そうそう、あとがきあとがき。

この話は元々同人誌にするために書いたもので、(前編)の前書きに書いてあったように『提督をみつけたら』の四周年記念として投稿いたしました。
年に数話しか投稿しないタイトルで四周年もなにもと思われるのも、ごもっともなのですが。「今年なにもしてねぇ……」という人にだって誕生日というものは毎年きてしまうもの。(うッ)
そしてきてしまったからにはお祝いはしたい気がするので、販売して一年くらいたったこともあり、再録させていただいた次第でございます。

また、同人誌の内容はあとがき以外大して変わらないので、気になってた方はご安心ください。

ただそれとは別に、随分長い文量を読んでいただいてアレなのですが。
そもそも結局のところ、まるゆの提督ってなんなの?とか。
まるゆはどこに向かったのとか、だから大本営の残党ってなんなんだよとか、二人の男のこの後はどうなったのとか(多分基地にお持ち帰りされて、副官に「お前も憲兵にならないか?」とか言われたか、そのままあきつ丸をくわえて旅行を続けた)色々とあるかとは思うのですが。
正直書いてる人はノリで書いてる部分が多すぎるので、なんか、そのへんは読んでいただいた方のご想像にお任せしたいなと。

ですが、私はこの話を書くにあたって、二人の男が一人の少女の為に魂を燃やすラブコメが書きたいという強い目的があって、そこだけはけっこうがんばれたなと思わなくもないので、読んでいただいた方にとってもそこのところは「まあ、そう言われればまぁ……」と言う感じになって貰えると嬉しい、です、はい。

とりあえず本編も進めずにあとがきばかり書いていてもしょうがないのでこの辺で。


最後に、元になった同人誌を出すにあたっても出したあともお世話になった皆様、こうして読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
これからもボチボチと書いてるかと思いますので、気が向かれましたら覗いていってください。
 

※別サイトになってしまうのですが、今回のまるゆのイラスト含め、沢山のファンアートを描いてくださったパテヌス様のイラストをまとめたページのリンクを下記に記載しておきますので、是非堪能していってください。

ファンアートまとめページ
 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。