提督をみつけたら   作:源治

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鹿島のイメージを損なう可能性があります、ご注意ください。
……書いといてなんですが、鹿島のイメージってどんなのだろ。
 


『失恋男』と『練習巡洋艦:鹿島』

 

 恋人関係にあった二人が、顔を突き合わせて別れ話をすると大抵が修羅場になる。

 片方に未練がある場合なんかは特に。

 

 だからといって電話や手紙、言伝なんかですませるのはためらわれる。

 誠意とかの関係もあるし、なにより余計こじれる可能性が高い。

 

 まあ、それにあてはなまらない場合もあるけど。

 たとえばいま、この状況とか。

 

「別れて欲しいの」

 

「え?」

 

 いま現在ぼくは、恋人関係にある女性からそう切り出されていた。

 

「好きな人ができたの……向こうも、わたしのこと……好きだって」

 

 彼女は一度、ためらうように唇を噛んでから、ぽつぽつと言葉を継ぐ。

 当然ぼくの思考は置いてけぼり。

 

「正直に言うね。……いま、わたしの気持ちはその人に向かってる。だから……ちゃんと、きれいに清算してから、付き合いたいんだ」

 

 彼女は、ちらりとぼくの顔をうかがうように見る。

 

 ぼくはなにも返さなかった。

 正確には混乱してて、なにも返せなかった。

 

「勝手なのはわかってる。身勝手だって、自分でも思う。でも、でも……」

 

 震える声でそう言いながら、彼女はぎゅっと手を握りしめる。

 

「だから……別れてほしい」

 

 ファミレスの照明は、なぜだかやたらとやわらかく。

 こんなときに限って、誰の顔もきれいに見せる。

 

 彼女の許してほしそうな顔も。

 彼女のこの状況を一刻も早く終わらせたそうな顔も。

 

 ぼくは、ただ黙ってその顔を見ていることしかできない。

 

 だってなにか言葉を探そうとするたび。

 心の中にぐちゃぐちゃに渦巻く感情が、罵詈雑言となって喉から吐き出されそうだったから。

 

 彼女が好きな相手には心当たりがある。

 アルバイト先の洋菓子店の店長。

 

 まだ二十代半ばなのに才能にあふれていて、若いのに自信に満ちていて、しかもイケメン。

 おまけにいつも軽やかに冗談を飛ばして、だれかを笑わせられるような人だ。

 

 何度か店に足を運び、話をしたこともあった。

 いつか自分もこんな人になれたらと、そう思わずにはいられない大人の男性。

 

 ぼくと、あの店長。

 どちらが男として魅力的かなんて、比べるまでもない。

 

 ぐちゃぐちゃになった心を押し殺すように、ゆっくりと息を吐いた。

 この声が震えたら、たぶん、もう戻れなくなる気がする。

 

 ぼくは、彼女の伏目がちな顔を見る。

 そして「そっか」とつぶやき、小さく息を吐いた。

 

「……それなら、しかたないね」

 

 声が、かすかに掠れた。でも、笑ったつもりだった。

 

「わかった」

 

 それだけ言うと、彼女は少し泣きそうな顔をして、一回だけ「ごめんね」と口にする。

 そして自分の分の料金をテーブルの上に置くと、なにかを振り切るようにして席を立った。

 

 小さなベルの音がして、彼女はファミレスのドアを押し、外に出ていく。

 

 ぼくは、しばらくそのまま座っていた。

 冷めたコーヒーの匂いと、ざわめく店内の空気が、やけに遠く感じる。

 

 グシャリ、と、心のどこかが崩れる音がした。

 次の瞬間、ぼくの目から、ぼろぼろと涙がこぼれだす。

 

 手で顔を覆いながら、ぼくは必死で声を殺した。

 

 思い出す。

 

 製菓学校の初日、クラスでの自己紹介。

 あの日、緊張でぎこちなくなっていたぼくに、彼女は笑顔を向けてくれた。

 

 授業で一緒に組んで、課題に取り組んだ日々。

 ケーキのデザインについて、ああでもないこうでもないと議論したこと。

 

 理想のお菓子について、夢中で語り合った夜。

 彼女のセンスに、前向きなところに、自然と惹かれていった。

 

 自分から告白して、震える声で想いを伝えたあの日。

 彼女が驚いた顔をして、でもすぐに笑って「うん」と頷いてくれた、あの瞬間。

 

 いつか二人で、洋菓子店を開こう。

 人を幸せにするお菓子を作ろう。

 そんな夢を、真剣に語り合ったこと。

 

 全部、順調だった。

 少なくとも、ぼくにとっては。

 

 だけどある日、彼女は学校が掲示していた求人に応募した。

 

 過去の卒業生が独立して店を開いたらしく、学校もその支援のために、求人を出していた。

 同学年の中でもとりわけ優秀だった彼女は、迷うことなく応募して、そして採用された。

 

 それからというもの、授業が終わったあとや休日のたびに彼女は、その店でアルバイトに励んだ。

 

「すごくいい店長なの。ほんとうに勉強になるよ」

 

 たまに会えたデートの時間、彼女はきらきらした目でそんなふうに話していた。

 

 ぼくらの時間は少しずつ減っていったけれど、それでも仕方ないと思っていた。

 彼女の未来を考えれば当然だし、それは、ぼくらの未来にもつながっているはずだったから。

 

 ──その結果が、これだった。

 

 どうすればよかったのだろう、とぼんやり思った。

 

 けれど、どんなに考えても、きっと答えは変わらない。

 彼女はきっと、どんな道を辿っても、あの店長を好きになった。

 ぼくでは、どうしても埋められないものが、そこにはあったのだ。

 

 頭では理解できた。

 でも、心は全然ついてこなかった。

 

 悔しくて、悔しくて、

 悲しくて、悲しくて、

 涙が止まらない。

 

 顔を伏せて、ぐしゃぐしゃになりながら、ぼくはただ、静かに泣き続けた。

 

 一時間くらい、ぼくはファミレスの席にうずくまっていた。

 けれど、さすがに限界だった。

 

 周りの視線も気になって、ぼくは立ち上がり、重い足取りで店を出る。

 

 あてもなく夜道を歩く。

 自分がどこへ向かっているのかも分からず、ただぼんやりと。

 

 橋の上にさしかかったとき、ふと考えが頭をよぎった。

 

 ──ここから飛び降りたら、楽になれるかな。

 

 ぞっとして、慌てて頭を振った。

 ダメだ、ダメだ。

 

 そんなこと、絶対にしてはいけない。

 

 なんとか心を持ち直しながら、さらに歩き続ける。

 やがて、億劫な気持ちで途中の歩道橋の階段をのぼる。

 

 行き交う車のキラキラとしたヘッドライトが綺麗だった。

 このままその光にのって、どこか遠くに行きたくなる。

 

 なんてことを考えながら、くだりの階段を歩いているとき。

 

 カラン──と、なにかが転がる音がした。

 そして目の前に、小さな光の粒がコロコロと転がってくる。

 

 拾い上げてみると、それは一粒の真珠のイヤリングだった。

 周囲の明かりを受けて、ほのかに淡く光っている。

 

 戸惑っていると、背後から声が飛んできた。

 

「きゃっ!? すみません、そのイヤリングは──ッ!」

 

 振り返る。

 

 

 そこには美女がいた。

 

 

 ただの美女じゃない、たぶん、世界最高の美女。

 

 夜の闇に鮮やかに映える青い瞳。

 左右に揺れるツインテールは、月の光で編んだかのような銀色。

 

 なにより顔面が強すぎる。

 完璧すぎる顔立ちなのに、どこか優しげな柔らかさもあるってなんだ。

 

 おまけに身体のラインはまるで彫刻のようで、見る者を圧倒するほどの存在感。

 

 そんな彼女が、ぼくを見たまま、雷に打たれたように固まっていた。

 なんだろう、そんなにひどい顔してたかな、ぼく。

 

 ぼくは彼女に見とれながら、ぼーっとそんなことを考えていた。

 

 やがて時がゆっくりと流れだすように、彼女の目から涙がこぼれる。

 涙すら美しい、と感動しているぼくを見ながら、美女は口を開いた。

 

 

「提督さん……練習巡洋艦、鹿島、着任です!」

 

 

 それが、彼女──練習巡洋艦の艦娘『鹿島』との出会いだった。

 

 そのときのぼくは、まさか自分が提督。

 しかもその相手が鹿島様……あっ、いや、鹿島。

 

 様付で呼ぶと、ほほをふくらませて怒られるんだけど。

 彼女の提督だなんて、夢でも見ているようで実感が持てなかった。 

 

 その実感がわずかにもてたのは、鹿島に手を握られ、そのまま彼女にお持ち帰りされてしまった、その翌日。

 鹿島が色々と混乱から抜け出せないぼくを連れて、市役所の艦娘課に行き、その日に発行された『提督適性者免許』を握らせてくれたあと。

 

 提督適性者免許の裏に書かれた、鹿島の名前を見たときだった。

 

 

 

 そうして、鹿島とぼく……鹿島の提督としての日々が始まった。

 

 失恋で傷つき、絶望していたぼくを、鹿島は包み込んでくれた。

 染み入るような、やさしく、甘く、とろけるような日々。

 

 だけど、ときおり失恋の傷跡がうずくこともあった。

 夜中に目覚めて、叫び声をあげたことも一度や二度ではない。

 

 ……それでも、痛みはほんの少しずつ、鹿島と過ごす日々のなかで癒えていった。

 

 それは紛れもなく、そっと寄り添い、傷だらけの心を癒してくれた鹿島のおかげだ。

 

 そのかいあって、元恋人とのぎくしゃくした関係をのりこえ、なんとか無事に専門学校は卒業。

 卒業後は鹿島の伝手もあって、それなりに大きな洋菓子のチェーン店に就職することができた。

 

 学生時代とは違う、目が回るような忙しさ。

 覚えること、考えること、求められること、製菓を生業とすること。

 

 ほんとうに、やることが沢山あった。

 時には、心が折れそうになったこともあった。

 

 そんなとき、鹿島は献身的にぼくを支え続けてくれた。

 

 ときに彼女の……練習巡洋艦の艦娘としての厳しさを見せ。

 くじけかけるぼくを叱咤激励し、立ち上がらせてくれたこともあった。

 

 

 

 そして、時が流れ、ついにぼくは念願だった自分の店を持つに至った。

 

 当然のように、隣には鹿島がいてくれた。

 

 開店の日。準備に追われながらも、店のドアを開けたとき。

 鹿島はいつものようにやさしく微笑んでいた。

 

 温かいものが胸の奥で静かに広がるのを感じながら、ぼくも自然に笑みを返す。

 

 店を開いてからも、鹿島は変わらなかった。

 

 経営から実務に至るまで、あらゆる面でぼくを支えてくれた。

 公私にわたり、変わらぬ笑顔で、変わらぬ愛情で、ぼくのすべてを支え続けてくれた。

 

 提督と艦娘、その関係込みで。

 そしてその関係とはまた別にして。

 

 ぼくには、鹿島が必要だった。

 鹿島には、ぼくが必要だった。

 

 これまでも、そしてこれからも、ずっと。

 

 そう気が付いたぼくは、覚悟を決めて鹿島にプロポーズした。

 

「きみと幸せになりたい。きみと……これからもずっと、一緒にいたい」

 

 たどたどしくも、想いをいっぱいに込めた言葉。

 

 それを聞いて鹿島は、ぽろぽろと涙を流しながら「うれしい……ありがとう……ありがとうございます……」と、何度も何度も口にして、ぼくの申し出を受け入れてくれた。

 

 その後、結婚式をあげた。

 たくさんの祝福に包まれて、笑顔と涙が交じる、最高の日だったように思う。

 

 そしてまた時は流れた。

 

 忙しくも、幸せな日々。

 ふたりで支え合い、笑い合いながら、毎日を積み重ねていた。

 

 ある日、閉店後。

 

 店の入り口をふたりで掃除しているとき。

 ぼくはふと手を止め、天井に向かってつぶやいた。

 

「あの日、鹿島と出会わなかったら……きっと俺の人生、どうしようもないものになってたろうな。いや、もしかしたら……人生そのものが、遠からず終わってたかもしれない」

 

 とくに言うつもりのないことだったが、なぜかそんな言葉がぼそりと漏れた。

 

 だがそれを聞いた鹿島は、手にしていたほうきをポロリと落とす。

 そして、ぱたぱたと小走りでぼくに駆け寄ってきた。

 

「ごわいごどいわないでぐだざいよ提督ざぁん……っ」

 

 普段のほがらかで、気高く美しい姿とは似ても似つかない。

 涙ぐんだ顔で、しゃくりあげながら、必死にしがみつく鹿島。

 

 そんな鹿島を、ぼくはやさしく抱きしめる。

 そして、頭を撫でながら、静かに笑った。

 

「ごめん、ごめん……ありがとう、鹿島。愛してるよ」

 

 ぼくの言葉に鹿島は、ぱっと顔を上げる。

 

「はいっ! 私もです!」

 

 そしてうるんだ瞳のまま、まっすぐにそう……こたえてくれた。

 

 ──ああ、幸せだ。

 

 だけどいつか、この幸せが終わってしまう日が来るかもしれない。

 

 あのときのように。

 

 いや……だったとしても。

 

 いまはこの幸せをかみしめながら、日々を精一杯生きていこう。

 鹿島のおかげで、ぼくはそう思えるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『失恋男』と『練習巡洋艦:鹿島』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は深海棲艦との戦争が終結して百年以上たった頃。

 艦夢守市という艦連指定都市に、鹿島という艦娘がおりました。

 

 彼女は、目麗しい艦娘の中でもとびぬけた器量よしで、性格もよく。

 誰からも愛されるようなすばらしい娘でした。

 

 ですが、彼女は艦娘。

 

 いくら愛されようと、彼女自身が本当の意味で愛することのできる相手は、この世に一人だけ……。

 

 しかし待てども待てども、その運命の相手は一向に現れません。

 生まれていく年の月日が過ぎ、それでも鹿島は待って待って待ち続けました。

 

 そしてついにその日、彼女はみつけました。

 彼女が愛することができる、彼女だけの提督です。

 

 ですが、それは悲しい物語の始まりでもありました。

 

 

 なぜならその提督には、鹿島ではなく、すでに愛する他の女性がいたのです。

 

 

 その事実を知り、鹿島は途方にくれました。

 あの人は私の提督だ、でも、提督にはほかに愛する女性が、ああ、どうして。

 

 なぜ、私はもっと早く提督に出会えなかったのだろう。

 ここはおとなしく身を引くべきか……。

 

 ですが長年待ち続けた自分の提督です。

 そう簡単にあきらめることなんて、できるはずもありません。

 

 鹿島は考えて考えて、考え抜いた末に思いつきました。

 

 そうだ、提督の愛する人に、別の愛する人を見つけてあげよう……と。

 

 物理的にも精神的にも、鹿島にとって提督はこの世に一人しかいません。

 ですが提督の愛する人は、提督以外も愛することができます。

 

 むしろいまよりも幸せになることも可能です。

 

 

 なんてすばらしいアイデアだろう!! 

 

 

 鹿島はまず、二人の素性をもっとよく知るために、とても優秀な探偵を雇います。

 

 少し時間がかかりましたが、探偵は提督と相手の女性が製菓学校に通っていて、将来パティシエになりたがっているということ。

 その為にお互い切磋琢磨し、将来は二人の店を持ちたいと思っていることなどなどを調べ上げました。

 

 計画のために借りた部屋の壁に、鹿島は情報を張り付け、足りない情報と要素を書き出していきます。

 

 二人が付き合いだしたのは最近で、出会ったのも製菓学校に入ってから。

 若い男女の恋愛ですから、すぐ終わる可能性も当然あります。

 

 もっとも、いまの鹿島はそこまで楽観的ではありません。

 

 鹿島は計画や目的を、軍事の知識に置き換えて考えます。

 

 要は相手を二つに分けて、それぞれを別々の場所に誘導する。

 そしてその先で待ち構えて……各個撃破すればいい。

 

 だがその為には、こちらも別動隊がいる。

 

 ……これだ、と、鹿島はひらめきました。

 

 

 

 鹿島は伝手やコネを駆使して、独立を考えている男性パティシエを探しました。

 そしてその中で顔が良く有望そうな一人に狙いを定めます。

 

 鹿島は銀行を経由して、彼に融資の話を持ち掛けました。

 

 当然ながら銀行の担当は鹿島の手のものです。

 事が露見しないよう素性は隠しており、担当の認識で鹿島は、お菓子好きな投資家といった程度でしたが。

 

 そして鹿島が融資にあたっていくつか提示した条件。

 店の場所や大きさなどの中に、採用する従業員の選定や決定権をしれっと紛れ込ませることに成功しました。

 

 それと同時に、製菓学校に投資先の店の求人を学校で出す話を持ち掛けます。

 内容は給与面だけでなく、いくつか単位を免除するなど、かなりの好条件。

 

 学校側も熱心な行員の説明だけでなく、元々この手の取り組みに意欲的だったようで、大変乗り気です。

 

 あれよあれよという間に話がまとまり、すぐに学校側から希望者の書類が送られてきました。

 そして……その中には目論見通り、提督の恋人の名前がありました。

 

 鹿島はゴクリと喉を鳴らします。

 計画は始まったばかりですが、次の段階に進めばもう後戻りはできません。

 

 本当にいいのだろうか? そんな迷いが浮かびました。

 

 ですが同時に、艦娘教育の際に聞いた教官の言葉を思い出します。

 

『恋愛の世界には二種類のタイプがいる。狙いを定めたら真っ直ぐに突き進むタイプと、それ以外の腰抜けよ』

 

 提督と恋人や夫婦といった関係以外になることを好む者もいるでしょう。

 だけどいまは、提督と結ばれることが第一目標だと想定しなさい。

 

 と、前置きし、教官は話を続けます。

 

『女は純情で綺麗なものという幻想を男は抱いてる、それ自体はいいわ。むしろそういう部分だけを見せてあげなさい。でも自分の提督をほかの女にとられるのが嫌なら、法の範囲で手段を選ばずに戦いなさい。いいこと、生物界において、意中の相手を手に入れるために戦えない個体に未来なんてないのよ?』

 

 かつて真剣そのものの気迫をもって紡がれた教官の言葉。

 それを心の中で何度か繰り返したあと、鹿島の顔から迷いは消え去っていました。

 

 かわりにあったのは、無表情の瞳に宿した、怖気を感じるほどの覚悟のみ。

 

「提督を、他の女に渡すくらいなら……なんでもしてみせる」

 

 例えそれが提督を一時的に苦しめたとしても、一生をかけてでも償う。

 与えてしまった苦しみ、そのすべて塗りつぶすくらい、誠心誠意、自らのすべてをかけて幸せにする。

 

「鹿島の提督は生涯ただ一人、あなただけ……」

 

 ぽつりとつぶやかれた言葉にはある種、病的とも思えるほど重いなにかが滲み出ていました。

 

 

 

 鹿島は銀行の担当に連絡を入れ、提督の恋人を採用するよう伝えました。

 

 これで最低限のお膳立ては整いました、もう後戻りはできません。

 

 当然、それだけでなにもかもが思い通りに進むわけではありませんが。

 なにもしなくても、なにもかもが思い通りいってしまう可能性も生まれてしまったのです。

 

 採用された以上、提督の恋人は今後パテシィエとしても男としても経験豊富。

 つまり提督と比べて、人の女性基準で魅力的な相手と同じ職場で働くことになります。

 

 鹿島も実際に見て確認しましたが、事実パテシィエの男性(以後店長と記載)は好青年。

 おまけに製菓の腕だけでなく、人格面でも問題ない人物。

 

 経営に関しては未知数ですが、そこは銀行のサポートや融資があれば問題ありません。

 

 それに当分の人件費は、返済不要の融資として銀行側(鹿島)が出すので経営も楽なはずです。

 話がうますぎるとも思いますが、店長は受け入れの関係で、製菓学校側からリターンがあるのだろうと特に疑問は持ちませんでした。

 

 そしていよいよその日。

 提督の恋人は、店長の店で働き始めました。

 

 当分は小さな店で、二人で働いてもらいます。

 

 想定通りことが進めばそれでよし。

 後押しが必要そうであれば、迷わず動く。

 

 戦時の現場判断のごとく、楽観や思考停止は許されません。

 

 うまくことが進まなければ、どう次の手を打つか。

 それがうまくいかなければ、次はどうするか。

 

 それでも駄目なら次の手を、またその次の手を。

 

 失敗はできないし、後戻りもできない、する気もない。

 ただただ諦めず、次の手を打ち続ける。

 

 鹿島はどんな状況でも対応出来るよう、あらゆる想定をしていました。

 

 

 していました……が。

 

 

 運がよかったのか、鹿島の計画が完璧すぎたのか。

 それともやはり、そうなるのが自然な流れだったのか。

 

 拍子抜けするほどあっさりと。

 

 提督の恋人はその日。

 深夜のファミリーレストランに提督を呼び出し、別れ話をはじめました。

 

 

 

 今日あたり動きがあるかもしれない。

 見張っていた探偵から伝えられて、近くで待機していた鹿島は、連絡を受けてすぐにファミレスに駆けつけました。

 

 会話が聞こえるほど近く、されど姿は見えない位置に座り、鹿島は聞き耳を立てます。

 話はありきたりといえばありきたり、想定通りといえば想定通りの内容。

 

 好きな人ができた、向こうも自分が好きだ。

 正直自分の気持ちはその人に向いている。

 

 きちんと関係を清算してから付き合いたい。

 身勝手なのは承知だけど、別れてほしい。

 よければこれからも友人としてよろしく。

 

 じつに一方的な内容。

 ですが二股などをかけないあたり、彼女も相手もまだ誠実だと言えるでしょう。

 

 提督はなにか言いかけましたが、グッとこらえ、呑み込むように了承します。

 

 そして提督の恋人……いえ。

 提督の“元”恋人は席を立ち、店を出ていきました。

 

 

 ──勝った……勝った勝った!! 

 

 

 鹿島はあふれ出す喜びを押し込むように、あわてて口を押さえます。

 そう、大事なのはこれから。

 

 どう提督に声をかけるかです。

 

 想定していたように、いけそうならこのタイミングで優しく声をかける。

 一旦時間をおいたほうがよさそうなら、別のプランに切り替えて作戦を再考する。

 

 

 ともかくまずは落ち込んでるであろう提督の状態を確認し──え? 

 

 

 しようと立ち上がり、提督を見た瞬間。

 鹿島は凍り付いたように動けなくなりました。

 

 提督は声をかみころし、泣いていました。

 拳を握りふるわせて、ぼたぼたと机に涙を落としながら。

 

 鹿島は思わずストンと腰を落とします。

 

 あれ? 提督? なんで? 泣いて? 

 あれ? 誰? 提督を傷つけたのは? 

 あれ? あの女? パティシエの男? 

 

 ……あれ? ちがう、え、私? 

 

 提督にあんな顔をさせた、私……が? 

 

 あれ、だって私、覚悟して、して、して、して……た。

 してた、こうなるのは、わかって、望んで。

 

 そうだ、私がやったんだ。

 

 私、私、私、私が。

 鹿島が、鹿島が、鹿島が、鹿島が。

 

 あ──

 

 鹿島は覚悟していました。

 ですが、それは想定を超える衝撃でした。

 

 鹿島は頭が真っ白になり、まったく動けなくなります。

 

 十分、三十分、そして一時間。

 

 やがて、ありったけの涙を流し終えた提督は立ち上がり、会計を済ませて店を出ていきます。

 

 その姿を見て鹿島は──

 

 

(仕切りなおしね……)

 

 

 混乱する鹿島の頭の中で冷静な、ともすれば冷酷ともいえる部分がそう判断を下します。

 

 事態は次のステージに進み、動き出した。

 なら自分がすべきことは、完璧で最高の出逢いを演出すること。

 

 失意の提督を包み込む、砂糖菓子のような出逢いに……。

 

 だけどそのタイミングはいつ? 

 

 

 ……いまだ。

 

 

 提督はいま恋人に振られ、涙を流し、絶望して“最高に弱っている”。

 その弱った心につけ込める、いま、この瞬間こそが最高のタイミングだ。

 

 

 ……違う、ちがうチガウ。

 

 

 つけ込むのではなく捧げるのだ。

 鹿島のすべてを、あの人に。

 

 湧き上がる罪悪感を凍らせる。

 いまその気持ちは不要だ、邪魔になる。

 

 鹿島は会計を素早く済ませて店の外に出ます。

 あたりを見回すと近くに肩を落として歩く提督の姿。

 

 トクントクンとなる心音と歩く速度を合わせるテンポで、彼女は後を追います。

 

 落ち着きなさい鹿島、大丈夫、ずっと想定してきた。

 いまこの瞬間を、提督をみつける前からずっと……。

 

 そう自分に言い聞かせます。

 

 しばらく歩いたところで、提督は歩道橋をのぼりはじめ、鹿島も後を追います。

 そうして提督との距離がおよそ鹿島の歩幅で8歩まで縮まったところで、鹿島はイヤリングの片方を外しました。

 

 パキパキと、自分の心が凍るような幻聴が聞こえます。

 その音を無視して、鹿島はイヤリングを握りしめました。

 

 いまから行うことに不要な部分の気持ちは凍らせる。

 良心や正直さなんて邪魔でしかない。

 

 そして鹿島は階段をおりはじめた提督の足元に向けて、イヤリングを軽く投げました。

 

 丸い真珠のイヤリングはよく転がり、提督の足元を横切り少し前で止まります。

 ちょうど提督がかがんで拾いやすい、目論見通りの場所に。

 

「きゃ!? すみませんそのイヤリングは……ッ!?」

 

 と、口にしながら提督に駆け寄る鹿島。

 そしてイヤリングを拾い振り向いた提督。

 

 はじめて正面から見る、自らの提督の顔。

 その姿を見て鹿島は雷が落ちたように固まります。

 

 

 それはまるで“初めて提督をみつけた艦娘”のようでした。

 

 

 そう、これは演技です。

 ですが演技ではない部分も混じっています。

 

 事実それは初めて提督を見た過去の再現でもありました。

 だから自然、そして運命的な演出。

 

 これは提督を未来永劫欺き続けるその最初の一歩。

 提督を欺く、一生の思い出、その始まり。

 

 観客、そして共演はただ一人。

 自らの提督その人です。

 

 鹿島は精一杯の笑顔とうれし涙を浮かべ、口を開きます。

 

「提督さん……練習巡洋艦、鹿島、着任です!」

 

 こうして長い長い舞台の幕が上がりました。

 

 主演は失恋したパテシィエ志望の提督。

 そして提督のためなら、どんな手段もいとわない美しき悪女「鹿島」

 

 演目は喜劇か悲劇かそれとも──

 

 鹿島は心の中でつぶやきます。

 

 もう、なにがあろうと、誰が相手だろうと。

 絶対に、絶対に誰にも渡しませんから……。

 

 

 

 そして鹿島の……鹿島とその提督の日々が始まりました。

 

 失恋で傷つき絶望した男を包み込むような、染込むような、やさしく、あまく、とろけるような日々が──

 

 その後、鹿島は献身的に提督を支え続けました。

 

 ときに優しく提督を包み込み、傷ついた心を癒し、敵意や悪意から護りつづけ。

 またあるときには練習巡洋艦の能力を駆使して厳しく提督を叱咤激励し、鍛え上げました。

 

 そうして日々を紡ぎ、時が流れ、ついに提督は念願かなって自分の店を持つにいたりました。

 

 当然その隣には鹿島がいます。

 

 開店してからも彼女は店の運営から実務に至るまであらゆるサポートを行い。

 公私にわたって提督を支え続けました。

 

 もはや提督にとって、鹿島は絶対になくてはならない存在です。

 そして言うまでもなく、鹿島にとっても提督はなくてはならない存在。

 

 そのころには提督もその辺を理解できるようになっていました。

 

 この状況に葛藤が無かったのかと聞かれたら、有ったと答えるでしょう。

 自分のような人間に、どうして、なぜ鹿島のような素晴らしい女性が……と。

 

 ですが誠心誠意尽くし、そしてそれに喜びを感じる鹿島の姿を見て、そういった考えも消えていきました。

 

 自分には鹿島が必要で、鹿島には自分が必要。

 これまでも、そしてこれからもずっと。

 

 そして提督は鹿島にプロポーズをしました。

 

 きみと幸せになりたい、君じゃなきゃダメなんだ。

 きみと……これからもずっと、一緒にいたい……と。

 

 たどたどしくはありましたが、想いの詰まったプロポーズ。

 

 鹿島は涙を流しながら、うれしい、ありがとうと何度も口にし、プロポーズを受けました。

 

 その後、結婚式も済ませ、また時が流れ、忙しくも充実した日々を過ごしていたある日。

 閉店後、店の入り口を掃除していた提督が、ふと店の看板を見上げながら、おなじく掃除をしていた鹿島に言いました。

 

 あの日、鹿島と出会わなかったらきっと、ぼくのその後はどうしようもない人生だったろうな……と。

 いや、もしかしたら人生そのものが遠からず終わってたかもしれないな……と。

 

 その言葉を聞いて鹿島は手にしていたほうきをポロリと手放し、提督に駆け寄ります。

 

「ごわいごといわないでぐだざいよ提督ざぁん」

 

 普段のほがらかで美しい姿とは似ても似つかない様子で提督に抱き着く鹿島。

 提督はそれがおかしくて、はははと笑みを浮かべ、ごめんごめんと鹿島の頭を撫でます。

 

 そしてこう言いました。

 

 ありがとう鹿島、愛してるよ……と。

 

 その言葉を聞いて鹿島は「はいっ! 私もです!」と返します。

 

 

 ですが、その瞬間──

 

 

 パリン……と、鹿島は凍らせていた心の一部、いや……。

 そのすべてに突然ひびが入って、なにかがにじみ出すような感覚に襲われます。

 

 それは、きっと良心と呼ばれるなにか、罪悪感や後悔だったなにか。

 

 それに嫉妬や愛憎、独占欲。

 いえ、もっと暗いなにかがまざりあい、熟成され、力を増したナニカ。

 

 

「あっ──」

 

 

 鹿島の様子がおかしいことに提督はすぐに気が付きます。

 どうしたんだと、不安そうに鹿島の頬に手をそえて、彼女の名を呼びました。

 

 そして鹿島は……──

 

 

「……鹿島は幸せ者です」

 

 

 感極まって言葉につまったように“見せ”て、心配する提督の呼びかけに答える鹿島。

 そしてあふれ出そうになるナニカをグッとこらえ、提督に抱き着きました。

 

 なにをいまさら、楽になろうとしているのか。

 私はこの秘密を抱えて、一生提督のおそばにお仕えするのだ。

 

 暗いところなどなにひとつない、清純無垢な女を演じ続ける。

 それが提督さんへの償い、一生をかけてこの人にとって理想の女であり続ける。

 

 そんな覚悟を改めて誓い、罪悪感と幸福の狭間で鹿島は微笑みを浮かべます。

 

 提督はその表情を見て、鹿島の期待通り照れくさそうにほほを掻きます。

 

「ぼくもだよ鹿島……これからもずっとそばにいてくれ」

 

「はいッ!!」

 

 こうして、提督と鹿島は末永く幸せに暮らしましたとさ。

 

 

 

 めでたしめでたし。

 

 

 




 
これ……ハッピーエンドです。

あと、おいしいと評判の洋菓子店(皐月や狭霧の話で登場)は、こちらの提督のお店となります。
 

※追記
今回の話、この前と後で艦娘のイメージや見え方が変わってしまうので、投稿するか悩んだのですが。
提督を奪われることもあれば、奪うこともあるという感じで、綺麗なところも暗いところも含めて書いてみたくなり、投稿させていただきました。
ただ、やはり「見たくない」ところを書いてしまい、配慮に欠けた部分があったかもしれず……申し訳ありません。
 
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