提督をみつけたら   作:源治

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史実はともかく、ゲームにおいての『瑞雲』という飛行機は本当に強くてですね。
通常の艦娘の装備は基本、砲、砲、飛行機なのですが、飛行機にも種類があって。

観測機 → 着弾観測や連撃などの発生や確率を上げる。
水戦機 → 敵戦闘機と戦い、制空をとる確率を上げる。
対潜機 → 敵潜水艦への攻撃ができるようになる。
水爆機 → 航空戦(開戦時)で敵に爆撃ができる。

と、いった感じなのですが、なんと瑞雲は。

瑞雲   → ↑全部できる。
夜間瑞雲 → ↑全部できる+夜戦における様々な機能が使える。

……すごいね瑞雲。

ただ特化してなかったり、全撃墜されて何もできなくなることもあります。
が、その辺考慮しても、ほんと強い。まさに艦これ界のオーパーツ。

いえ、なんで今回そんなことを長々と前書きに書いているかと言うとですね。
その瑞雲を最もうまく使える艦娘の一人が、今回登場する『日向』なのです。

※ちょい長め、2万3千文字くらいあります。
 



『弟子』と『戦艦:日向』

 

 最強の艦娘は誰か?

 

 それは艦娘という存在を知る者なら、一度は抱いたことがある疑問だろう。

 

 あるときは子供たちが公園の片隅で。

 またあるときは大人たちが酒の席で。

 ときには識者たちが大きな会議室で。

 

 老若男女場所を問わず、一度は誰かとそんな話をしたことがあるはずだ。

 

 しかし当然ではあるが、その答えが出ることはない。

 

 なぜなら前提条件によってその答えが変化するためだ。

 

 例えば最強の格闘技とはなにか? という問題があったとしよう。

 だがその答えは、同じ体重なのか、同じ身長なのか、同じ筋肉の付き方をしているのか、骨密度は、場所は、時間は、人数はなどなど、前提条件の数だけ存在する。

 

 そのため前提条件を決めなければ、最強の艦娘は誰かという答えを出すことは不可能である。

 

 ……だが、たとえその前提条件を決めていなかったとしても。

 最強に『近い』艦娘であれば知る方法がある。

 

 簡単だ、ある立場についている艦娘の名前をあげればいい。

 

 旧ハワイ諸島に本拠を構え、世界各国の都市を運営する巨大組織。

 艦娘たちが運営する『艦娘連絡会』、通称:艦連。

 

 そしてその巨大組織が抱える、強大な力を持つ艦連軍。

 憲兵軍を隷下に置き、自身らも一騎当千の力を持つ艦娘軍人で構成された艦娘軍。

 

 その頂点に立つ艦娘の名前を───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『艦連軍総司令官 航空戦艦:日向』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあ……そうなるな」

 

 艦連元老院からの辞職願い却下の通知書を確認し、艦連軍総司令官である、伊勢型二番艦『日向』は力なく呟く。

 

 日向はこう思っていた。

 

 

 なんか……総司令官辞めたい。

 

 

 先日、はっとそのことに気がつき、辞職願を出した。

 が、返ってきたのは「ダメです」のお言葉。

 

 艦連元老院としても、まあ希望を聞いてあげたい気もしたのだが。

 辞職理由が『なんとなく』で、辞められるのはさすがに困る。

 

 正直なところ、日向自身、仕事内容には特に不満はない。

 

 艦連軍総司令官と言っても、基本の運営は元老院や参謀本部が行っているため、日向の仕事は多くないのだ。

 国家クラス相手の戦争でも起きない限り、大きな仕事は精々が観艦式などの式典に参加するくらいで、普段は大層な部屋の椅子を温めたり、趣味でありライフワークでもある瑞雲(艦娘としての装備の瑞雲)を整備するのが本業になってるくらいはのんびりしたものだ。

 

 そして給金や待遇。

 言うまでもなく超高給とりである。

 

 休暇も前述の通りしっかりとれる。

 コネだってその気になれば使い放題だ。

 

 先日は夕張重工に無茶振りして、高性能な着ぐるみを思いつきで作らせて遊んだりもした。

 

 意味不明に高機能満載な着ぐるみのオーダーだったが、相手は天下の艦連軍の総司令官。

 まず断ることはできない。

 

 スゴイよ権力、ザッツビューティフル権力。

 

 だけどなんとなく辞めたかった。

 

 羨ましいと思うならいつでも変わる。

 そう思ってはいるものの、中々条件を満たす艦娘は現れなかった。

 

 艦連軍の総司令官になる条件?

 

 簡単である。

 現職の総司令官よりも強ければいい。

 

 それが条件だ。

 

 が、それがなによりも難しい。

 

 なぜならこの現職である日向。

 単純に強すぎたのだ。

 

 あまりに強すぎて、気がつけばもう二十年近くも総司令官をやっているくらいに。

 

 当然その座を奪わんと、多数の挑戦者が現れた。

 しかし、その全てを完膚なきまでに退けている。

 

 わざと負けようとしたことも何度かあったが、実力差がありすぎて無理だった。

 絶対わざと負けたとバレるくらいに差があった。

 

 総司令官の座をかけた戦い、その条件は幾つがあるが、演習形式での一対一での海戦が基本だ。

 しかし、その時点でこの日向に勝つ可能性がほとんどの艦種から失われる。

 

 例えば駆逐、軽巡、重巡などの艦娘では、どんなに素早く動き正確な射撃をしようと、どんなに巧妙に魚雷をまこうと、空の目である瑞雲により観測されてかわされる。

 

 なまじ当たったとしても、相手は戦艦。

 一撃でその装甲を貫くには、威力がどうしても足りない。

 

 おまけに先制射撃や雷撃を外そうものなら、その僅かな姿勢の崩れを狙われ、瑞雲立体砲撃による攻撃で撃沈不可避。

 

 水雷戦隊お得意の夜戦?

 それが通用する可能性があったのは、夜間瑞雲が登場するまでである。

 

 ならば空母の艦娘がアウトレンジから雷撃に爆撃をしかければと思う。

 が、ほとんどの航空攻撃は特殊な対空手段である噴進弾幕によって無力化される。

 

 そのうえ、場合によっては瑞雲(超高練度)によって、それら艦載機がことごとく墜とされる。

 結果、艦載機のない空母VS航空戦艦の図式が出来上がり、空母はくっころ状態。

 

 であれば、白兵戦艤装を装備した艦娘の出番だ。

 死中に活を求める覚悟の開幕ダッシュで超至近距離からの戦いを挑めば……その考えは甘い。

 

 なぜなら日向は刀の白兵戦艤装を所持しており、彼女自身の技術も相まって無双の強さを誇るからだ。

 ぶっちゃけ白兵戦なら、それなりの実力者が相手でも、六対一までなら勝てるため、一番勝ち筋が薄い。

 

 ゆえに彼女に一対一で勝つ可能性があるのは、必然的に同種の戦艦による砲撃戦のみ。

 

 ……なのだが。

 

「艦連軍 副総司令官、高速戦艦大和! 推してまいります!!」

 

 バァンと音を立てて開かれる扉。

 現れたのは、最強と名高い大戦艦大和(改二)。

 

「推して参ったか」

 

「はい! 今日こそはこの大和が、その座を奪わさせていただきます!」

 

「元気があって大変よろし。で、今回のハンデはどれくらい欲しい?」

 

「日向師匠は瑞雲なしの陸上スタートお願いいたします!!」

 

「わかった」

 

 余談だがこの大和、生きてこの世界に存在する戦艦艦娘の中でも、十指に入る強さである。

 

 その大和が師匠呼びをし、恥も外聞も放り投げてハンデを要求する相手。

 それこそが第12代艦連軍総司令官日向なのであった。

 

 

 

 

 

「ううう……今回も勝てませんでしたぁ」

 

「まあ、そうなるな」

 

 そしてこの有り様である。

 

 とんでもないハンデをもらっても勝てなかった。

 こんなんチートや、チーターやと言いたくなる。

 

「まあ、最初の砲撃は良かったぞ。こちらが海に飛び込んで着水直前に艤装を展開した瞬間を“ねらえる”ようになったとは、腕を上げたじゃないか」

 

「最初というか。最初の一斉射の直後に撃破判定されてしまったんですが……」

 

「なに、あの条件でも砲撃後に撃たれることがわかったんだ。つぎはそれにあわせて、こちらの砲撃を回避できるようになればいい」

 

「……精進します」

 

「うむ」

 

 そう返した日向は、それきり訓練場に吹く風の音に耳を傾けていた。

 が、ふと気配に気づいて視線を向ける。

 

 大和が、珍しく項垂れていた。

 精進すると言ったくせに、精進する気配がない。

 

 これは相当へこんでいるなぁと、日向は心の中でため息をつく。

 

「……まあ、そう落ち込むな。勤務時間が終わったら、いいところに連れていってやる」

 

「え?」

 

 大和が顔を上げる。

 驚き半分、警戒半分という顔をしていた。

 

「心配するな、ただの気分転換だ」

 

「……は、はあ」

 

 首をかしげる大和に、日向は意味ありげに微笑むだけだった。

 

 

 

 

 

 日が傾く頃、艦連本部の駐車場を軍用の軽車両が一台、静かに出発した。

 

 運転席には日向、助手席には大和。

 アカシ製最新式の静音駆動ユニットを搭載した軍用車は、滑るように海沿いの道路を進んでゆく。

 

 夕暮れの光が金色に街路を染め、車内にも赤く差し込んでいた。

 

 大和の膝の上には、紙袋がふたつ。

 温かい湯気が、ほんのりと袋の口から漂っている。

 

「……これはなんですか?」

 

 そう問う大和に、ハンドルを軽く切りながら日向が答える。

 

「いまから行くところに持っていく土産の真珠焼きだ」

 

 ※真珠焼き(しんじゅやき)

 真珠湾の形から名前をとった、艦連の伝統的なあんこ入りの焼き菓子。

 丸くてふっくらとした形をしており、直径7〜10cm程度のものが多い。

 外側は小麦粉の生地、中には主に甘い小豆あんが詰まっていて、広く親しまれている。

 別物扱いされることもあるが、カスタードやチョコクリームが入っているものもある。

 

「……ああ、艦連焼きでしたか」

 

 微妙な間。

 

 車内の温度が一度下がったような気がした。

 

「真珠焼きだ」

 

「はい、艦連焼きですね」

 

 きっぱりと言い切る大和に、日向の額に一筋の静かな怒気が走った。

 

「名前の由来はな、いまでも残る真珠湾の地形から取った、由緒正しき──」

 

「それは承知していますが、アメリカ艦の皆さんの心情にも配慮して、公式には艦連焼きと呼ばれるようになったのが、現行の通例です」

 

「……」

 

「……」

 

 再び沈黙。海に沈む夕陽だけが静かに移ろう。

 

「いいや、真珠焼きだ」

 

「いいえ、艦連焼きです」

 

 静かなる、しかし一歩も引かぬ火花の応酬が助手席と運転席のあいだに散る。

 その独特の緊張感は、なぜか目的地に到着するまで続いた。

 

 

 

 

 軍用車は、やがて舗装の剥げた山道を抜け、小高い丘の上へとたどり着いた。

 

 眼下には海。遠くにちらちらと灯る艦連本部基地の明かり。

 その反対側に、ぽつんと佇む白い建物があった。

 

 円筒形のドームを抱いたその建物は、周囲の暗がりのなかで不思議に静まり返っていた。

 夜を迎える準備をしているような雰囲気だった。

 

「ここは……天文台、ですか? こんな基地のすぐ近くに?」

 

「そうだ」

 

 日向はエンジンを止め、車を降りながら短く答える。

 

 砂利を踏みしめる音をさせて二人が近づくと、自動ドアが開いた。

 中は意外なほど整っており、古めかしい外観に似合わぬ最新鋭の設備が静かに光を灯している。

 

「あ、日向様。おつかれさまです」

 

 管理室の奥にいた、白衣姿の若い女性が頭を下げる。

 日向は軽く手を挙げてそれにこたえ、持ってきた紙袋を机の上に置いた。

 

「土産だ、一袋は職員の皆に。もう一袋はアイツに渡しておいてくれ」

 

「あっ、艦連焼きじゃないですか。ありがとうございます、うれしいな」

 

「……」

 

 日向はなにも言わなかった。

 大和がそっと笑った。

 

 ふたたび無言のまま通路を歩くふたり。

 やがて望遠鏡のある観測室へとたどり着く。

 

 観測のためか、ドーム部分の天井が開いている。

 そこから入る冷えた空気が、澄んだ夜の匂いを運んでいた。

 

 日向は慣れた様子でコントロールパネルに向かい、椅子をひとつ引き寄せる。

 

「座れ」

 

「え?」

 

「いいものが見れる。見ておけ」

 

 大和は訝しみながらも、すすめられるまま椅子に腰を下ろした。

 日向が調整した大型の望遠鏡は、静かに動いて天を向いたまま停止した。

 

 無言で日向に促され、大和はおそるおそる、レンズをのぞき込む。

 

 その瞬間。

 

「……!」

 

 視界のなかに、音のない奇跡が広がる。

 

 漆黒の宇宙にぽっかりと浮かぶ、一つの惑星──土星。

 

 その輪は、光を弾く氷の粒が帯となり、淡く、やわらかく、途切れることなく広がっている。

 色彩のない存在のはずなのに、青とも金ともつかぬ、透明な光のグラデーション。

 

 輪の影が惑星の曲面に落ち、ゆるやかな陰影を描いている。

 その静けさ、その巨大さ、その圧倒的な──宇宙の美。

 

「これは……」

 

 言葉にならない言葉を、大和は喉の奥に飲み込んだ。

 目に映るものの美しさに、胸の奥がざわりと揺れた。

 

 なにかがほどけていくような感覚。

 なにかが自分の中で、音もなく変わっていくような感覚。

 

「……どうだ。悪くないだろ。これを見ても悩みがなくなるわけじゃないが、気はまぎれる」

 

 すぐ後ろから、日向の声がした。

 ささやくように、息をのせた声だった。

 

「……はい」

 

 大和はそのまま、望遠鏡をのぞいたまま答えた。

 意識の半分はまだ、宇宙の彼方に浮かぶ環のなかを漂っていた。

 

 やがて十分ほどして、大和は目をレンズから離し、視線を空に戻す。

 

 開いた天井から見えるのは、小さく輝く星々。

 そこから見た土星は、その中の数ある一つになっていた。

 

 二人は、ゆるやかに管理室へと引き返す。

 

 管理室に戻ると、白衣の老人が机に向かってもぐもぐと、なにかを咀嚼していた。

 先ほど置いた袋が開けられ、中身が半分ほど消えている。

 

「うまいな、この大文字焼き」

 

 老人が口を動かしながら呟く。

 

「真珠焼きだ」

 

 日向が即座に訂正する。

 

「艦連焼きです」

 

 大和もすかさず補足する。

 

 沈黙。

 

 三人の間に、またしても絶妙に微妙な空気が流れる。

 

「……この方は、えっと……こちらの職員さん、ですか?」

 

 堪えかねたように、大和が口を開く。

 

「そうだ。この天文台の所長で──あと、わたしの息子だ」

 

「よろしくな、副総司令官の嬢ちゃん。あんたのことはこっちの嬢ちゃん(日向)からちょいちょい聞いとる」

 

「……へ? む、息子?」

 

 大和は思わず声を上ずらせた。

 老人は軽く手を上げたまま、もぐもぐと頷いた。

 

「養子じゃがな。しかもわしのが年上、あとこっちに来てからの話じゃ」

 

「……?」

 

 大和は完全に思考を停止していた。

 日向は椅子に腰を下ろしながら、淡々と補足する。

 

「この艦連本島に入れるのは、基本的には艦娘と憲兵軍人、それにその関係者だけだ」

 

「はあ」

 

「で、この老人は『天文台を作らせろ』と島までヨットでやってきて直談判しに来た、星狂いだ」

 

 老人は気にしたふうもなく、もう一個焼きを取り出していた。

 

「追い返してもよかったんだが、面白そうだったからな。それに、なにかやらかしてくれたら辞任の理由にもなりそうだという考えもあった」

 

「……それで、養子に?」

 

「そういうことだ」

 

「職権乱用じゃないですかッ!?」

 

「まあ、そうなるな」

 

 日向はあっさりと認めた。

 

「だが、結局辞任には至らなかった。だから──無駄だった」

 

 ぽつりと、日向が言った。

 日向がぽつりとつぶやいた、その言葉を聞いた瞬間だった。

 

「無駄なものか!!」

 

 老人が唐突に声を張り上げた。

 

 驚いて思わず体を跳ねさせる大和。

 日向は平然とお茶をすすっている。

 

「天体の観測というものはの、複数の地点で同時に行うことが肝心なのじゃ! わしがここに来たことで、花山だけでは観測できなかった星々──特に南天の動きが、格段に精緻に捉えられるようになった! カカカ、地元の星仲間のなかで、ここで観測できるのはわしだけじゃからな。無駄どころか、やることが山積みじゃわい!!」

 

※花山 = 花山天文台

対深海棲艦戦争を生き延びた、京都にある天文台。

戦争で失われた天体資料も多く残っており、星狂いのメッカとも呼ばれている。

 

「ああ、はいはい」

 

 日向が片手をひらひらと振る。

 余談だが、この天文台の他の職員は憲兵軍人である。

 

 憲兵軍人のといっても、他の国の軍隊と異なり、彼らだけで国家に近い形態の艦連を維持している都合上、憲兵軍人らは様々な業務に就いている。

 たとえば軍務にあたるようなものだけでなく、建築、生産、サービス、研究等々、あらゆる職務が存在していたりして、中には天文台の観測員の資格をもつ憲兵軍人も存在していた。

 

「ま、星を眺めるって意味では……作ってよかったな」

 

 そう言って、何気なく大和に同意を求めるように振り返る。

 

「ええ、まあ……はい」

 

 大和は曖昧に頷いたが、その内心には疑問が渦巻いていた。

 

(でも……本当に意味があるんでしょうか? 赤界粒子で空が汚染されている、このご時世に)

 

 赤界粒子──それはかつて深海棲艦が戦争に用いた粒子。

 現在でも薄く大気中に漂っていて、様々なものに影響を与えている。

 また高層域の汚染はひどく、光や電波の直進性を狂わせる厄介な存在だった。

 おかげで、かつてのような鮮明な観測は望めなくなっている。

 

(星の位置や動きなんて、もう……)

 

 思わず口に出していた。

 

「そもそも……赤界粒子のせいで、正確な観測なんて、もう難しいですよね。弱い光は捻じ曲げられてしまうし……」

 

 少し言いよどみながらも続ける。

 

「艦娘として、星が方角を示す大切なものだってことは理解してます。でも、いまじゃせいぜい、たまに正しい方向を教えてくれる、北極星(二等星)の位置と意味を覚えておくくらいしか……意味がないんじゃないですか?」

 

 静かに言い切ったそのとき、老人の目がぎらりと光った。

 

「──そうじゃ。そのことで話があったんじゃ!」

 

 突然立ち上がり、白衣の裾をひらひらとなびかせながら、慌ただしく資料棚の方へ歩いていく。

 

「なんだなんだ……」

 

「えっ、なに? なにか大事な話でした?」

 

 日向と大和は、どこか呆れつつも、その様子を目で追っていた。

 

「これを見てくれ」

 

 老人が観測室の隅から、慎重に抱えるようにしてなにかを持ち出してきた。

 厚手の封筒から取り出されたのは、分厚い星空写真の束。

 

「これらは、わしが六年以上かけて撮影し続けた星の写真じゃ」

 

 そう言いながら、老人は机の上に一枚一枚を丁寧に並べていく。

 日向と大和は無言でその様子を見つめていたが、やがて視線を写真に落とす。

 

 星、星、星──。

 

 星しか写っていない。

 

「……で?」と、日向が気のない声を出す。

 

「いや、これ……ただの星空の写真ですよね?」と、大和も眉をひそめる。

 

「……けしからん!」

 

 老人が椅子を蹴立てて立ち上がり、拳を握りしめて天井を仰いだ。

 

「まったく最近の若いもんは……いや、若くはないか、どっちも」

 

「「……」」(ほのかな殺気)

 

 話が進まないことに業を煮やしたのか、老人は大きく息を吐き、再び椅子に座り直す。

 

「よいか、この写真はすべて、同じ日付、同じ時間に、年をまたいで撮影されたものじゃ」

 

 老人はそう言って、順に写真を時系列に並べていく。

 

「見るがよい。ここ、この星──毎年、必ずこの日、この時間だけ──写っておらん」

 

 日向が身を乗り出して写真に目を凝らす。

 

「……ん? たしかに、この場所にあった星が……なくなってる?」

 

「そうなんですか?」

 

 大和も写真を指差しながら確認する。

 確かに、星の配置がほんのわずかに異なる。

 

「これは“食変光星”じゃないか、と思ったか?」

 

 老人が得意げに尋ねる。

 

「いや、まったく……」

 

「そもそも、その……なんでしたっけ、“食”?」

 

 老人は目を丸くして絶句した。

 

「……星への無知が深刻じゃ……!」

 

「すみません……」

 

 頭を下げる大和に、日向も軽く肩をすくめる。

 

「これは“食変光星”などではない。これは赤界粒子の影響を受けにくい、通常の一等星じゃ。輝きに変化などあるはずがない」

 

 老人は机を指で叩きながら言う。

 

「それなのに、じゃ。なぜか毎年、同じ日、同じ時間だけ、その星が、短時間だけ消えとる。ご丁寧にうるう年の年もじゃ」

 

 部屋の空気がぴたりと止まった。

 

「雲……じゃないんですか?」

 

「気象記録を確認したが、すべて快晴の日じゃった。わずかな雲があったとしても、六年間すべての理由が雲の影というには不自然すぎる」

 

「じゃあ……飛行機?」

 

「星を隠せるようなサイズの機体が、毎年同じ時間に決まったコースを飛べるか? しかもそれがたまたま星の前を横切るか?」

 

「……確かに……」

 

「人工衛星……は?」

 

「記録にある人工衛星の軌道は全部洗いだした。じゃが該当する衛星はない。なにより、人工衛星の高度でこの星を隠すには、サッカー場よりでかい大きさが必要じゃ。そんなでかい人工衛星なんぞ、戦史時代前にだってありゃせんし、あればとっくにわしらが見つけとる」

 

「“わしら”って……なんか大袈裟ですね」

 

「そりゃあんたらに比べりゃ大げさじゃろうが。わしはこれでも世界天文台協会の元会長じゃ。世界中に教え子や弟子が仰山おるし、そいつらとはいまでも連絡を取り合っとる。その“わしら”が、なにかが星を隠しとるという結論を出したんじゃ」

 

 大和と日向は、顔を見合わせた。

 

「じゃあ……“なに”が、星を……?」

 

 沈黙が落ちた。

 老人はそっと、最後の一枚の写真を並べた。

 

「三年前から、この数分後の写真も撮るようにした、見て見ろ、この少し先の一等星。こいつも毎年同じ時間に消えとる」

 

 そこに写っているのは、たしかに星の数が足りない夜空だった。

 ほんの一角、ぽっかりと空白が生まれたように。

 

 その不自然な“空虚”が、じわじわと二人の背筋を冷たくする。

 

「……まさか」

 

 日向が低くつぶやいた。

 

「えっ?」

 

 大和が顔を上げる。

 

「特定の周期で、特定の空路を、特定の高度で……それも年単位で、正確に繰り返している……そうしないと、星全体に満遍なく散布がおこなえないから……」

 

 日向の声音が次第に硬くなっていく。

 その横顔を見つめながら、大和はゆっくりと息を呑んだ。

 

「散布……? え、それって……まさか……」

 

 老人が、小さく頷いた。

 

「そうじゃ。わしらから正常な星空を奪った、にっくき奴らの置き土産──」

 

 言葉の先を、大和は聞かずとも理解していた。

 

 それは、過去の戦争で深海棲艦が用いた、最悪の兵器。

 世界にばら撒かれた、視覚も電波も歪める赤黒い霧の粒子、赤界粒子。

 

「……赤界粒子の、散布兵器……だな」

 

「うむ。そいつらはいまもなお、高高度を飛び続けておる。雲の上で、地上のわしらから手の届かぬ場所で……赤界を作り続けておるんじゃ」

 

 老人の目が細められ、星を奪われた憎しみを引きずり出すように瞳が濁る。

 

「わしらよりもお前さんらの方がよく知っておろう。濃度の関係か知らんが、いまは青い空にみえとる。が、かつてはアレが空を赤く染め、空と大地を引き裂いとったことを。

 まずは人工衛星がつかえんくなり、方位も、航路も、通信も断たれ……戦況が悪化、その結果、人類は、滅びかけた。なによりアレのせいで宇宙望遠鏡も……」

 

 日向が眉間に皺を寄せ、口を開く。

 

「ここだけの話、こいつの存在は記録に残っていてな。戦史時代後期、発見できなかった散布兵器が、空を飛んでいたというのは、当時の提督たちもつかんでいたらしい。少し怪しいが、記録では“戦狂少佐提督”が、その一機を墜としたとある。だがそれきり、確実に存在するであろう、他の散布兵器の消息はつかめていない」

 

「百年以上も前の話です……本当にそんなものが、まだ飛び続けているんでしょうか?」

 

「墜としたのがたった一機ということは、嬢ちゃんが言うように、まだ“それ以外”が飛んでいるということじゃろ。何機いるかはわからんが、まちがいなくいまも空を飛んどる。でないと未だに空が赤界粒子で汚染され続けとる説明がつかん」

 

 うすうす感じていたとはいえ、深海棲艦の兵器がいまなお上空を飛び続けている。

 その現実を痛感してしまい、しばらく誰も口を開けなかった。

 

「数が減ったのか、ただ老朽化して撒けなくなってきたのか……空にある赤界の拡大は止まり、わずかに縮小しとる。しかし……」

 

 老人は静かに写真を見下ろす。

 

「この調子では、完全に消えるのに、あと数百年、いや、千年かかるかもしれんという研究結果も出とる」

 

「……人類も、艦娘も、もはや手出しできない場所に、憎しみの機械だけが飛び続けている……か」

 

 日向が、かすかに笑った。

 だがその笑みには、乾いた皮肉しか含まれていなかった。

 

 星を隠すのは、夜の雲でも、通りすがりの飛行機でもなかった。

 それは、過去の亡霊。

 

 人類をほとんど滅ぼしたあの戦争の、血に塗れた残滓だった。

 

「……まて、少し気になることがある」

 

 日向がふとつぶやき、写真の一枚を指先で軽く弾いた。

 

「なんでしょう?」

 

「艦連も戦後からいままでなにも調べてこなかったわけじゃない。この赤界粒子の散布兵器が、地上から見つけられない理由。それは、そいつらが光を歪める、もしくは自身の存在を無視して直進させる、特殊なシールドで覆われているからだとされてきた。だがな」

 

 日向は写真を一枚ずつ指し示していく。

 

「こいつは、“見えている”。六年間、同じ日、同じ時間、同じ星の位置で、星が隠れている──それはつまり、夜間飛行中の機体のうち、地上から視認可能なものが存在するということだ。少なくとも確実にこの一機はそうだろう」

 

「……昼間の機体はシールドで不可視でも、夜間のものは、なにかしらの理由で……」

 

「シールドを張っていない、あるいは張れない、そういう機体の可能性があるということだ」

 

 その言葉に、大和の胸がどくんと高鳴った。

 

「じゃあ……視認できるなら、その飛行経路と時間がわかれば……地上からは難しくても、例えば空からなら……」

 

「迎撃できる」

 

 日向の言葉に、老人が大きく頷いた。

 

「そうじゃとも。十分とは言えんかもしれんが、少なくとも六年分の記録がある。同じ空を、同じように、奴は飛んどる。軌道も、おそらく高度も、ほぼ変化なし。今日日、星だったとしても……これほど正確な予測ができるか怪しいほどにな」

 

「……ならそれを基に、一機でも墜とせれば」

 

「それは、空を取り戻す突破口になるじゃろうな」

 

 大和がそっと息を呑んだ。

 

 百年以上手を出せなかった存在に、ようやく手が届くかもしれない。

 空を取り戻す──それはただの浪漫ではない。

 

 航法、通信、天体観測、あるいは未来の宇宙開発すら……。

 すべてが、空の支配にかかっているのだ。

 

 老人が、くしゃりと皺の寄った顔で、それでも若々しい戦意を宿しながら、日向に問いかけた。

 

「どうじゃ。わしらの手で、こいつを墜としてやらんか?」

 

 しばし無言。

 やがて日向は、ふっ、と笑った。

 

「いいな。面白そうだ」

 

 その笑みに、大和もまた釣られて笑った。

 その顔には、艦娘としての誇りと──なにより、戦いに向かう高揚が現れていた。

 

 

 

 日向は作戦を立案し、自ら艦連元老院に提出した。

 赤界粒子の散布兵器を、空中で捕捉し、迎撃する計画だ。

 

 複数機だと発見される可能性があるので、たった一機。

 とびっきり強い飛行艇を一機つくり、それに乗り込んだ艦娘が攻撃を行う。

 

 資料は簡潔にして明瞭、そして大胆だった。

 元老院はその内容を慎重に検討した。

 

 反対もあった。

 

 まず別案、飛行艇を使わずとも、広範囲に高射砲陣地を構築して、砲撃を行う案も出た。

 だが散布兵器の飛ぶ高度が不明であり、おまけに耐久性能が未知数。

 だというのに失敗すれば、二度とチャンスはないかもしれない。

 

 そして予算の問題、作戦参加者の危険、政治的な問題。

 また、下手につついて、状況が悪化することを憂慮する者もいた。

 

 だが最終的に、かすかな可能性に賭けるべきだとの声が勝り、作戦の実行が正式に許可された。

 

 計画は直ちに実行段階へと移される。

 

 まず必要なのは、赤界粒子の影響に耐えられる高度まで到達できる飛行体。

 そのために選ばれたのは、かつての深海戦争時代に使われていた、特殊大型飛行艇だった。

 

 この機体は、現代の大型飛行艇よりもはるかに頑強にできていたものの、輸送量や速力などが現代のものより乏しく、逆に使い道がないものだった。

 

 そんなすでに退役していた機体を倉庫から引っ張り出し、現代技術で徹底的に改修。

 高高度対応のエンジン、強化された外殻、そして耐圧・耐粒子処理。

 

 赤界粒子による機体の腐食や機器への影響。

 そして乗員への影響を抑えるため、ギリギリの強化が施されていく。

 

 次に、上空で目標を捕捉するための装備。

 

 地上の観測情報では、散布兵器の大まかな経路しかわからない。

 そのため飛行艇には、暗視機能を搭載した、回転型の高倍率望遠鏡が複数取り付けられた。

 

 さらに、長距離広範囲を照らし出すよう設計された、強化サーチライトをありったけ搭載。

 闇を裂く光の槍で、敵影を炙り出すためである。

 

 また、砲塔などの設置も検討されたが、構造上の理由や優先すべき設備。

 速度や高度が関係する重量の問題から、最低限の対空機銃のみが搭載されることとなった。

 

 その対策として、乗組員はすべて艦娘があてられた。

 もっともこれは、攻撃面の問題を解決するためだけではない。

 

 そもそも赤界粒子が充満する高度では、人間の身体では数分と保たないからだ。

 

 例外として、提督適性を持ち、艦娘の加護を受けた人間なら生存は可能だが……。

 当然そんな死地に、自らの提督を送り込むことを良しとする艦娘は一人もいない。

 

 しかし今回、たった一人だけ、艦娘でない者の搭乗が特例として許された。

 

 天文台の所長である老人──日向の養子だった。

 

 彼は散布兵器の最初の発見者であり、その通過時間と経路を割り出した観測者でもある。

 なにより、六年以上に渡る記録を誰よりも理解しており、現場での判断を担える唯一の人物だった。

 

 本来なら、彼のような高齢の民間人が赤界に入るなど不可能だった。

 

 だが、かつて戦争末期に開発され、その後は製造法が失伝した「高濃度粒子対応スーツ」が艦連に十数着だけ保管されていた。

 資料上では重要戦中遺物扱いになっていたそのスーツは、日向(の職権乱用)によって「戦中遺物」の登録から外されていたらしい。

 

 冗談のような話だったが、そのおかげで老人は作戦参加の道を得た。

 

「この目で星を奪った連中の姿を見てやらんとな」

 

 そう言って笑った老人の顔は、星を語るときと同じだった。

 

 

 日向の指揮のもと、改造が進められる特殊大型飛行艇。

 

 その整備工場は騒がしく、熟練の工員たちの手によって飛行艇が改装されていく。

 鋼鉄の巨体が改造され、何度も金属音が響く中、大和は日向に向かって口を開いた。

 

「艦連……いえ、人類の悲願である空の奪還……うまくいくでしょうか?」

 

 彼女の瞳に浮かぶ不安が、日向に届いていた。

 

 日向はしばらく黙って考え込み、手を組みながら工場の中で続く作業を見守る。

 その視線の先に、飛行艇の姿があった。

 

 しばらくして、日向はぽつりと口を開く。

 

「砲撃を当てられるだろうか? と考えながら撃ってるうちは、まだ未熟だ」

 

 その言葉には実力者……艦連軍総司令官としての余裕と冷静さがにじみ出ていた。

 日向は大和の問いに対して、決して答えを急がず、実践を通じて学べと示唆している。

 

「当たるから、撃てるようにならんとな」

 

 その言葉に、大和は一瞬考え込み、次に口を開いた。

 

「大和だって撃つときはそう思って撃っています、だけどこれは違う話だと思うのですが……」

 

 彼女は少し強く言ったが、どうしてもその言葉の後ろにある不安を隠せなかった。

 

 日向は大和の反論を受け、苦笑いを浮かべながらも、乱暴に彼女の頭を撫でた。

 その動作は、弟子への励ましも兼ねた、優しさと強さが同居している。

 

 大和は反射的に頭を下げ、黙って撫でられるままにしていた。

 

 その手のひらに込められた力強さの中に、どこか安堵感が伝わる。

 しかし、それでも大和の表情には、まだ隠しきれない不安が色濃く浮かんでいた。

 

「……一緒さ、想いの強さが結果を引き寄せる」

 

 日向は言ったが、大和にはそれがどういう意味なのか、まだわからない。

 

 戦いの中で必死に撃つのは、なにも特別なことではない。

 それを当たり前にするためには、どんな苦境にも耐え、最善を尽くす覚悟が必要だということ。

 

 日向はそれを、言葉でなく行動で教えているのだった。

 

 

 

 あれよあれよという間に月日が流れ、特殊大型飛行艇の改造は完了し、ついに出撃の時が来た。

 その飛行艇には、散布兵器迎撃のため、対空戦闘に特化した駆逐艦や軽巡に重巡の艦娘たちが乗り込む。

 

 なお作戦の都合上、空母などの砲撃能力のない艦娘は除外されている。

 また戦艦についても、すでに乗り込む“二人”がいたことから除外された。

 

 そしてそこには、指揮を執るために乗り込む艦連軍総司令官である日向。

 さらに副総司令官である大和の姿もあった。

 

 しかし、この二人が同時に乗り込むことに、艦連元老院の重役の一人である大淀は、強い拒否感を示す。

 

「艦連軍総司令官と副総司令官が同時に出撃するなんて、あり得ません!」

 

 大淀は言ったが、日向は一切譲らない。

 

「自ら立てた作戦だからな。誰よりも現場で指揮を執るべきだ」

 

 日向は冷静に応じ、続けて大和に視線を向けた。

 

「わたしを一人で行かせられない、ということでだな」

 

「はい、大和もお供します」

 

 大和の声は揺るがない。

 日向は彼女の師匠であり、絶対に共に行くと決意していた。

 

 二人の実力者に、ため息をつきながらも大淀はついに折れた。

 

「……仕方ないですね。行くなら、最低限ちゃんと無事に帰航してきくださいよ」

 

「そう願いたいのぅ!」

 

 声の方向を見ると、宇宙服のような特殊なスーツを身にまとった老人が、ゆっくりと近づいてきていた。

 少し時間をかけて日向の前に立った老人が、「待たせたな」と、二人に声をかける。

 

 大淀は少し眉をひそめ、日向に向かって言った。

 

「このスーツ、中の人間はどうなっても構わないですが、必ず持ち帰ってきてくださいね。これに使われている部品は、もう生産できない代物なんですから」

 

 その部品は「赤界」の影響を受けた環境で生存できるように設計された、極めて貴重な技術。

 日向は軽く頷き、「善処するよ」と答える。

 

 老人はにやりと笑い、飛行艇に向かって進みながら言った。

 

「それじゃあ、わしらから正常なる星空を奪った不届きものを成敗しに行くかの」

 

 まるでひとかどの武将のようなふてぶてしい態度と言葉。

 だがここにいる誰よりも決意のこもった言葉に、日向と大和も自然と顔を引き締め、共にその思いを胸に抱く。

 

 そして、ついに特殊大型飛行艇が空へ向けて飛び立つ。

 

 大淀だけでなく、整備にかかわった者たちや多数の憲兵軍人。

 そして艦娘たちや提督適性者たちが見送る中、飛行艇は力強く空へと舞い上がり、見えなくなるまでその姿を追っていった。

 

 

 

 飛行艇は高空を飛び続け、数時間が過ぎた。

 日が完全に沈み、闇が広がる空の中、飛行艇の内部は静けさに包まれていた。

 

 砲撃の役割を担って乗り込んだ艦娘たちは、自らの役目が来るまで、黙って待機している。

 一方で操縦席や探照灯のための持ち場に座った艦娘たちの目は鋭く、しかしその表情にはどこか緊張の色が見え隠れしていた。

 

 この空間に漂うのは、ただの静寂ではなく、まるで嵐の前のような、ピンと張り詰めた空気だ。

 

 観測場所では、老人と数人の艦娘たちが必死に目を凝らしていた。

 その一人一人が、少しでも異常を察知しようと集中している。

 

 空を見上げ、目を細め、望遠鏡を覗き込み、また手元の地図を見直す。

 観測の役割を担う者たちの視線は、天空に吸い込まれるようだった。

 

 そんな中、日向が静かに老人に声をかけた。

 

「いま上空11,000メートルだが、もっと高度を上げたほうがいいか? 機体性能的にはすでに限界に近いが、まだ50メートル程度ならギリギリ上昇可能だ」

 

 老人は一瞬、わずかに思案した後、ゆっくりと答える。

 

「高く飛びすぎれば、散布兵器より上を飛ぶことになって、見つけられなくなる可能性もでてくる。この高度でいいじゃろ」

 

 日向は短く、でも確かに納得したように「そうか」と返した。

 

 その後、老人は再び地図とコンパスを取り出し、方角と位置を慎重に見比べる。

 その目は真剣そのものだ。

 

「うむ……高度はわからんが、おそらく半径3~4キロ以内にいるはずじゃ」

 

 老人は確信を持って断言した。

 

 大和が日向の隣で息を呑む。

 その言葉が意味するものの重さに、彼女は自分の胸の内で感じていた緊張感がさらに強くなるのを感じ取った。

 

 たった3~4キロ。

 

 すぐ近くに、滅んだはずの深海棲艦の兵器が潜んでいるという事実。

 この場にいる艦娘の誰もが厳しい訓練を潜り抜け、陸戦や海戦の実戦を経験している。

 

 だが現代において、深海棲艦との闘いを経験した艦娘は、ほぼ存在しない。

 

 そういう意味では、この場にいる誰もが実戦経験は皆無と言える。

 その事実を前に、心臓がわずかに跳ね上がるのを抑えきれなかった。

 

「いた……!」

 

 その瞬間、機内に緊張が走った。

 ストロベリーブロンドの髪を左右でくくった艦娘が、目を凝らしながら呟く。

 

 彼女は、防空巡洋艦の艦娘であるアトランタ。

 生まれ持って夜が怖いという特性を抱えながらも、いまだ空を飛ぶ深海棲艦の散布兵器をそのままにはしておけないという、防空巡洋艦としての強い使命感から今回の作戦に志願した艦娘だった。

 

 その言葉に、老人が一瞬で反応し、叫ぶように聞き返す。

 

「方角は!?」

 

 アトランタは手元の機器を確認し、正確に見えている方角、角度、距離を伝える。

 その声には、緊張と興奮が交錯していた。

 

 一瞬で、機内に張り詰めた空気が一層強くなり、だれもが息を呑む。

 老人は再度確認を始め、さらに驚くべき情報を伝える。

 

「確かに……高度約13,000メートル……この飛行艇から南西3500メートルほど先になにかどデカいもんが飛んどる……恐らくあれが赤界粒子の散布兵器じゃ」

 

 その言葉が確信に変わり、空間が静まり返る中、老人がさらに感嘆の声を漏らす。

 

「想像以上にデカい……全長300メートル以上、幅は6~700メートルはあるぞ……」

 

 その言葉を受けて、日向は速やかに老人と場所を交代し、観測を行う。

 

 日向は目を細め、慎重にその物体を確認した。

 そこには空を泳ぐマンタのような、巨大な散布兵器が静かに飛行を続けている。

 

 その翼が、まるで生物のようにうごめき、深海棲艦の兵器としての空気を感じさせた。

 だが、その存在感はただの物体とは違う、圧倒的なもので、どこか異質なものを感じさせる。

 

 日向の目は鋭く、そしてなにより、その兵器の形状を把握しようとする。

 ハッキリとした姿形は見えないが、翼が生物的に動く様子が強烈に印象に残った。

 

 じっさいその正体は、生物に近いものだろうと日向は瞬時に感じ取る。

 あれは恐らく、深海棲艦側の艤装生物なのだろう。

 

 規模はけた違いだが、艦娘側の連装砲ちゃんや長10cm砲ちゃんとよばれる存在に近い。

 

 さらに、側面に付いている複数の丸い物体が、星の色と同じような暗い黄色の光を淡く発していた。

 それは、まるで目のように見える不気味な光で、空間に存在するだけでその恐ろしさをひしひしと感じさせる。

 

 その光は、星のように静かで、しかしどこか不吉な予感を漂わせていた。

 

 大和は日向と場所をかわり、その様子を望遠鏡ごしに確認する。

 レンズを通して見えるその巨大な存在は、ただの兵器以上のものに見えた。

 

 それは、なにもかもを支配しようとするような、深海棲艦の恐怖そのもの。

 大戦艦の艦娘である大和にとってすら、確かにそう感じられる存在だった。

 

「どうする嬢ちゃん?」

 

 老人の問いかけに、日向はしばらく沈黙を守った後、再び視線を向けた。

 

「相手がこちらに気がついているかどうかが肝心だな」

 

 その言葉に、老人は地図と散布兵器の進行方向を見比べ、深い息をついた。

 

「おそらく、気づいとらんじゃろう。気づいとれば、通常の航路を外れるか、こちらに向かってきているはずじゃ……少なくともこの距離であれば気がつけんのじゃろ」

 

 日向はそれを聞いて、無言で再び望遠鏡を覗き込み、じっくりとその動きを追った。

 

「なら、こちらが先手を打てるわけだな」

 

 少し考えた後、日向は機内に向けて指示を出した。

 

「以後、散布兵器を『XB-マンタ』と呼称することにする。相手が巨大で未知の存在であっても、過去に撃墜された記録がある以上、わたしたちもあれを撃墜することができるはずだ」

 

 艦娘たちの間に静かな緊張が走り、皆が一層気を引き締めた。

 日向の冷静で力強い言葉に、すべての艦娘がその決意を共有し、次の動きに備えた。

 

 日向は指示を飛ばす。

 

「高度はこのままで、本機をXB-マンタの進路の5キロ先に移動させろ。なるべくゆっくり、慎重にだ」

 

 その指示を受け、艦娘たちは動き始めた。

 操縦士たちはすぐにその指示に従い、進行方向を変え、目標空域へと移動準備を開始する。

 

 

 

 

「日向ししょ……日向司令、目標の前方に移動するのはさすがに危険では?」

 

「だが攻撃を加えるには、前をとる必要がある、このまま進む」

 

 その言葉を確認した操縦士たちは、次の指示が出るまで再び沈黙の中で待機する。

 静寂が続く中、機内の全員が心の中で戦いの準備を整え、次の命令に備えた。

 

 大和が少し間を置いて、口を開く。

 

「この後、どうするつもりですか?」

 

 日向は、艦娘たち全員が聞こえるようにゆっくりと言う。

 

「正直、ほぼ未知の相手だ。普通なら、まずは情報を集めて少しでも有利に作戦を進めるべきだろう。だが、もしなにかしらのアプローチをした場合、来年また同じ場所に飛んでくる保証なんてどこにもない。だからこそ、いまここで仕留めるべきだと思っている」

 

 一度、言葉を区切ってから、日向は冷徹に続ける。

 

「やるなら、持てる最大火力を叩き込んで、必ず今回で撃墜しなければならない」

 

 その言葉を耳にした大和と艦娘たちは、無言でその決意を受け止める。

 日向は何事もなかったかのように、まるでいつものように言い放ったが、その背後には冷静でありながらも揺るがぬ信念が感じられた。

 

 大和は息を呑んだ。

 その決断がいかに重大で、かつ危険なものであるかを理解しているからこそ、その強さに圧倒される。

 

 日向は周囲を見渡し、冷徹に言葉を続ける。

 

「わたしを含めて47人。多くはないが、少なくもない。小国なら落とせる戦力だ。空を飛ぶ魚一匹墜とせないわけがないだろう?」

 

 その言葉に、艦娘たちは自然と戦意を燃やし、機内の空気が一気に引き締まる。

 日向の力強い言葉に、彼女たちの心は動き、戦う覚悟を固めていく。

 

 特殊大型飛行艇は慎重に飛行を続け、XB-マンタの進行方向に対して5キロ先の位置に接近する。

 幸い、XB-マンタがこちらに気づいた様子はない。

 

 自分が攻撃されるとは思ってもいないのか。

 それともなにかの理由で、その機能をカットしているのか。

 

 日向はしばらく大和やほかの艦娘と話し合い、作戦を決める。

 

 概要は、まず速度を徐々に落とし、可能な限り、理想をいえば500メートル圏内に接近。

 500メートル以内に近づくか、気がつかれた時点で、探照灯を照射してXB-マンタを照らす。

 

 と同時に、砲撃担当の艦娘たちが後部ハッチから飛び降り、空中で艤装を展開し、砲撃を行う。

 砲撃後、艦娘たちは艤装を格納の後、パラシュートを展開して地上に着地する。

 

 機体の操縦者と探照灯の照射担当、指揮を執る日向と大和を除く、37人の艦娘による集中砲火。

 たとえどんなに巨大な存在だったとしても、それを食らえば無事では済まない、そのはずだ。

 

 しかし……大和はどうしても不安がぬぐえない。

 日向を、仲間たちを信じていないわけではない。

 

 だが、どうしてもあの巨大な存在を墜とせるのだろうかという、疑念がぬぐえない。

 アレはたとえ空を飛んでいるとしても、かつて自分の祖となった軍艦よりも大きいのだ。

 

 そんな大和と同じく不安を感じているのか。

 老人は周りの慌ただしさとは無縁のように、静かにXB-マンタの観測を続けていた。

 

 

 

 約15分後。

 幸か不幸か、飛空艇はXB-マンタから500メートルの距離までの接近を成功させた。

 

 そして日向の合図で作戦が開始され、艦娘たちが後部ハッチから次々と飛び出していく。

 呼応するように探照灯が一斉にXB-マンタに照射され、その不気味な巨体が浮かび上がった。

 

 その姿は、まるで異次元から現れた怪物のように巨大で、降下を開始した艦娘たちの心に一瞬のためらいを生じさせる。

 だが、その躊躇はすぐに消え失せ、艦娘たちは気持ちを切り替え、落下しながらも砲撃を開始する。

 

 次々と放たれる砲撃の閃光が夜空を切り裂き、暗闇の中に一瞬だけ昼間のような輝きを放つ。

 空中での艤装展開、さらに落下する中で砲撃を放つというこのは、艦娘たちにとって本来想定されていない、かなり危険な行為だ。

 

 一発撃つごとに、砲撃の反動を受け、激しく切りもみしながら落下していく。

 だが、彼女たちは先に反動で落下していく仲間たちの姿が視界を横切っても、目標からは決して目を逸らすことなく、必ず命中させるという強い意志を込めて砲を構える。

 

 チャンスは一度きり、必ず当てなければならない──その緊張感を全身で感じながら、艦娘たちは砲撃を続ける。

 その結果、驚くべきことに、八割以上の艦娘たちが砲撃を命中させた。

 

「やった!」

 

 XB-マンタの機体下部に次々と直撃する砲弾を見て、大和が声を上げる。

 だが砲撃を受けたXB-マンタは、激しくうねりながら不気味な大声を上げた。

 その音は、深海に響く鯨のような重い響きで、冷たい金属的な響きが暗闇に響き渡る。

 

「……きいておらん」

 

 観測を続けていた老人が、無慈悲な戦闘損害評価を告げた。

 

 その報告と同時、XB-マンタはギロリと前を飛ぶ特殊大型飛行艇を睨みつけるような鋭い動きを見せ、急激に速度を上げる。

 その動きはまるで、巨大な体で飛行艇を押しつぶすかのような恐ろしい予兆を感じさせた。

 

「距離を詰めてきておる!!」

 

 老人の叫びが響く、機内には緊張が走り、艦娘たちの顔に不安が浮かぶ。

 

 全員がの視線が日向に集まる。

 指揮官としての冷静な判断力が求められるときが来た。

 

「全速で距離をとれ!!」

 

 すぐさま日向の指示が飛び、限界までエンジンが駆動する音が機内に響き渡る。

 だが、XB-マンタとの距離は中々離れず、戦況に変化はない。

 

「ヤツの下面は恐らく相当分厚い。あの量の砲撃を受けても、形を保っとる」

 

 その言葉を受け、日向はしばし黙って考え込む。

 老人は続ける。

 

「しかし、上部は薄いかもしれん。少なくとも太陽のエネルギーを吸収するらしき器官や、赤界粒子を散布する器官と思われるものが見受けられる。これらの器官は防御より機能を優先しているじゃろうから、薄いと考えられるが……。とはいえ、わしは専門外じゃからな、あくまで推測だが……」

 

 その言葉に、日向はじっと目を閉じ、再び冷静に状況を見つめた。

 そして、決断を下す。

 

「上部構造を狙おうにも、この機体では、XB-マンタより高い高度にはいけない」

 

 日向は低い声で呟く。

 

「だが……」

 

 続けて、日向は大和の方を見つめる。

 

「大和……わたしと一緒に飛び降りて、おまえが砲撃でわたしを撃ってくれ。その衝撃を利用して、XB-マンタの上を取り、奴の上部構造を砲撃する」

 

 その言葉に、大和は驚いたように目を見開く。

 

 いま大和の艤装に搭載されているのは、演習弾ではなく、実戦用の徹甲弾。

 しかも46cmを超える自身の砲で日向を砲撃するなんて──それは、あまりにも危険だ。

 

「まさか、師匠を実弾で砲撃するなんて──」大和は拒否の声を上げる。

「無理です」と。

 

 だが、日向はその拒絶に動じることなく、続ける。

 

「それしか方法は思いつかない。奴はこちらを押しつぶすために接近し、高度を下げている。危険な状況だが、チャンスでもある」

 

 日向の声は静かだが、確信に満ちていた。

 

「だから、やるんだ。わたしたちで空を取り戻すんだ」

 

 おまえとならできる、そう告げているような日向のまっすぐな目が、大和の心に直接届く。

 その視線を受け止め、彼女の心の奥でなにかが決まった。

 

 大和はしばらく無言で日向の瞳を見つめ、その後、ゆっくりと頷く。

 

「わかりました……師匠」

 

 

 

 エンジンの音が激しく響き、機体が限界に達しそうな速度で空を突き抜ける。

 特殊大型飛行艇は、XB-マンタから必死に距離を取ろうとしている。

 

 機体の金属が悲鳴を上げ、振動が激しくなっていくが、それでも飛行艇は速度を緩めることなく、ただひたすらに前進を続ける。

 

 後部ハッチが開かれ、そこから日向と大和が、ほぼ真後ろに迫るXB-マンタを正面からじっと見据える。

 飛行艇からの距離は400mもなく、高度はこちらより100mほど上。

 

 速度や風速、距離、細かな計算をしている余裕はない。

 すべてがすべてカン頼り。

 

 だというのに日向の目は、冷徹でありながらも決して揺るがぬ確信の光を浮かべていた。

 

「くれぐれも、飛行艇に当てるなよ」

 

 その声が、落ち着いて響く。

 大和は短く頷き、微笑みを浮かべながら、日向の言葉に応える。

 

「お任せください、師匠」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ためらいもなく大和は飛び降りる。

 空気がひとしきり押し寄せ、風が彼女の髪を揺らすが、その足取りは一切の迷いもなく、空へと舞い上がる。

 

 二秒後、日向がその後を追う。

 

 空中で二人は目を合わせる。その目の中に、互いの意思がしっかりと込められていた。

 

 大和は艤装を展開し、態勢を整え、正確無比な砲撃を放つ。

 それはまさに、なんの無駄もない一撃。

 

 日向はその砲撃を装甲の一番厚い部分で受け止める。

 命中する瞬間、彼女の身体を激しい衝撃が体を貫くが、日向はその衝撃を完璧にコントロール。

 

 空中で二人の動きが、まるでひとつの調和を成すかのように完璧にシンクロした瞬間。

 互いの信頼と、勇気と、覚悟があわさり、運命を切り開く。

 

 日向の体が吹き飛ばされながら上昇し、XB-マンタの上方に引き寄せられていく。

 

 数秒にも満たぬ時間、刹那のタイミング。

 それらを完璧に見極め、上昇の頂点をつかんだ日向は、砲を構え、目を鋭く凝らし、狙いを定めた。

 

 しかし、次の瞬間、XB-マンタがまるで怒りに満ちた獣のように咆哮を上げる。

 その音は、物理的に大気を大きく震わせ、周囲の空気が爆発したかのような衝撃を発生させた。

 

 咆哮による衝撃の突風が日向を襲い、ただでさえ不安定な体勢がさらに崩れる。

 

 刹那のずれの後に放たれる砲撃。

 赤界粒子の散布器官をねらった砲弾は、まるで蛇行するように軌道を外れ、XB-マンタの翼の一部をかすめる。

 その一撃は、期待した効果を得ることなく、空に消えていった。

 

 しかし、そのとき。

 砲撃の反動で体勢を崩しながらも、XB-マンタから目を離さなかった日向は気が付く。

 

(奴はまだ、飛行艇を落とすつもりだッ!!)

 

 その思考が脳裏をよぎる。XB-マンタは未だ、特殊大型飛行艇に迫ろうとしている。

 日向は冷静に判断する。

 

(させるかッ!!)

 

 日向は瞬時に決断を下し、パラシュートを展開して方向を調整しつつ、艤装を展開したままの状態で目の前の敵、XB-マンタに向かって滑空する。

 

 その光景を落下しながら目にした大和は、心の中で叫び声をあげるような思いで、ただただ見守るしかなかった。

 

 日向が、突如として突撃したのは、飛行艇を守るため。

 その判断は確かに正しい。

 

 だが……その瞬間、大和は気がつく。

 

「師匠……!?」

 

 日向は方向を調整するためにパラシュートを展開した。

 艤装を展開した、とてつもない重量の状態のままだ。

 

 当然パラシュートはびりびりに破け、ロープは切れる。

 そうなると当然、着地のためには使えなくなってしまう。

 

 このあとには避けられない現実、高度一万メートル以上からの落下が待っている。

 

 艦娘は頑丈だ、もしかしたら高度一万メートルの落下からでも耐えられるかもしれない。

 だがもし、海に落ちれば?

 

 意識を失い艤装の展開が行えず、海の底深くに沈んでしまった場合。

 それは艦娘にとって、死を意味する。

 

「ししょおおおおおおおおおお!!!」

 

 その声が、風を切る中で消えていく。

 

 大和の目には、XB-マンタに轟音を立ててぶつかる日向。

 そのあとに、どこか遠くに弾き飛ばされ、落下していく彼女の姿しか見えなかった。

 

 

 

 

 

 結果から言うと、日向の捨て身の体当たりは、XB-マンタの進路を変えた。

 

 手痛い衝撃を食らったXB-マンタはその巨体を翻し、どこかへと消え去った。

 

 そして、特殊大型飛行艇は激しい追撃の手から解放され、再びその飛行は自由となった。

 いまにも分解しそうな特殊飛行艇と共に、搭乗員たちは無事に基地に戻ることができたのだ。

 

 砲撃のために降下した艦娘たちも、無事に着地を果たし、無数の笑顔が交わされる。

 その安堵の表情の中に、戦いの終息を感じさせるものはあった。

 

 しかし、何日経っても、日向は戻らなかった。

 基地の空は、その静けさの中で重く沈んでいるように思えた。

 

 そして、さらに数日後。

 

 日向の行方不明が正式に報告され、MIA(Missing In Action 作戦行動中行方不明)の扱いとなった。

 基地内の誰もがその事実を受け入れなければならなかったが、ただ一人、大和だけはそれを信じなかった。

 

 日向が帰ってこないはずがないと、心の中で何度も繰り返し、自らを納得させようとしていた。

 

 だが、そんな大和の目の前に、大淀が静かに遺書を差し出す。

 その手紙は、日向が作戦の出発前に、もしものためにしたためていたものだった。

 

 大和は遺書を開く。

 そこには確かに日向の書いた文字が、綴られていた。

 

 書かれた文字を読み進めるうちに、大和の胸の奥に重圧が押し寄せ、呼吸が詰まった。

 遺書には自らの後継者として大和を推し、その信念を示すために、日向自身が管理していた装備である瑞雲を託す旨が書かれていた。

 

 そして、この作戦が失敗した場合。

 今度こそ大和が成功させるようにと。

 

 そう、記されていた。

 

 それを読んだ瞬間、大和の顔からすべての色が抜けた。

 彼女の手は震え、遺書を包んでいた紙が湿っていく。

 

 次第に涙が頬を伝い、大和はその感情を抑えきれずに声をあげた。

 

「うわああああああああッ!!!!」

 

 その叫び声は、基地中に響き渡るような、重い悲しみを含んでいた。

 

 このままずっと、泣き続けたい。

 だが日向の遺志を、ただの死者のものとして葬るわけにはいかない。

 

 日向の遺書を胸に抱きしめ、彼女は涙を拭った。

 

 

 

 数日が過ぎ、大和は艦連軍総司令官の引継ぎに向けた、慌ただしい日々を過ごしていた。

 

 その間、日向の不在がもたらした空虚さを胸に抱えながらも、彼女は忙しさの中で心を整理しようとしていた。

 しかし、その静寂は突如として破られることとなる。

 

 作戦に同行していた老人が、大和の前に現れたのだ。

 

 手には一袋の大文字焼きがぶら下がり、その甘い香りがふわりと漂ってきた。

 老人は、言葉少なにその袋を差し出しながら、大和に告げた。

 

「わしと同じくしょぼくれた顔じゃ。まずはこれを食え。重要な話がある」

 

 大和は静かに袋を受け取ると、その中から大文字焼きを取り出し、一口頬張った。

 その甘さが、無駄に張り詰めた神経をほんの一瞬、ほぐしてくれるようだった。

 

 老人も同じように大文字焼きをヤケクソ気味にほおばる。

 そしてのどに詰まった餡を、出された熱いお茶で流し込んだ。

 

 息を整え、老人はゆっくりと口を開く。

 

「おそらく、XB-マンタは今後、航路を変えるじゃろう。だが、それで終わりにはさせん。必ず、必ずわしが見つけ出す。わしが見つけられなくても、わしが志半ばでおっちんだとしても、教え子や弟子たちが必ず見つけ出す」

 

 大和はその言葉に耳を傾けながらも、なにも言わなかった。

 代わりに、老人の瞳を見つめ、その奥に感じる決意の強さを感じ取る。

 

「そして、次こそは”あんた”が奴を墜とせ。そのために、空を取り戻すために“わしら”は星を見続ける」

 

 老人はその言葉を力強く吐き出すと、しばらく沈黙の時間が流れる。

 大和は、その重みを感じ取るように、深い息を吐き出し、静かに顔を上げた。

 

「承知しました」

 

 その言葉には迷いがなかった。

 大和の瞳は決して揺らがず、ただひたむきに前を見据えている。

 

「必ず、必ず……」

 

 その言葉は、まるで決意の誓いのように、大和自身を奮い立たせた。

 日向の遺志を継ぐ者として、彼女は心の奥底から覚悟を固める。

 

 そして、その決意が大和の中でひときわ強く燃え上がった。

 

 大和は理解した。

 日向の……師匠の教えは、確かに自らの中に宿っていたのだと。

 

 こうして大和は日向の後を継ぐべく、航空戦艦として改装をおこない、艦連軍総司令官に就任することとなった。

 その姿は、まるで風のように凛としており、空を見上げるその瞳には、揺るぎない覚悟が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──XB-マンタ破壊作戦 翌日。

 

 早朝のジャングルの奥深く、湿気と熱気が渦巻く中、日向の姿があった。

 

 彼女は1万メートルを超える高度から落下中、艦船の艤装の一部である瑞雲を射出してフロート部分をつかみ、ギリギリのところでその浮力を頼りにして、なんとかジャングルのぬかるんで柔らかい地面に着陸したのだ。(※参考:『僕』と『正規空母:Ark Royal』)

 

「やはり瑞雲だな、瑞雲はすべてを解決する……」

 

 日向はひとり言をつぶやきながら、瑞雲を信頼している自分を再確認した。

 どんな困難な状況でも、瑞雲があれば、なんとかなる。

 

 どんな場所でも、どんなときでも、瑞雲は自分を助けてくれる。

 その信念が、心の奥底から湧き上がってきた。

 

 そうしてしばらく瑞雲に感謝をささげた後、日向は少し考え込むような素振りを見せた。

 

「だいぶ距離があるだろうが、自力で艦連本島に戻るとするか……いや、まあ、そうならないのもアリか?」

 

 その言葉は、どこか冷静で、少しだけ余裕を持った響きがあった。

 日向は一瞬空を見上げ、その後、もう一度ジャングルの奥へと目を向けた。

 

「ふむ……」

 

 彼女は静かに、そして確かな足取りで森の中へと消えていった。

 まるで何事もなかったかのように、日向はジャングルの深みに身を潜め、その姿を完全に消してしまった。

 

 なにかを追い求めるように、または、すべてを放棄したかのように。

 その心の中には、きっと誰にも計り知れない思惑があったのだろう。

 

 それでも、日向はただ自分の道を進み続けるのだろうと、彼女自身だけが知る確信を抱えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

── ?? 年後。

※『僕』と『正規空母:飛龍』の話の少し後の時間。

 

 その日、少年は森の中に隠された、ダムの近くにある大きな倉庫に連れてこられていた。

 

「あの、師匠……これは?」

 

 空母の艦種適性をもつ、提督適性者の少年が、日向に声をかける。

 

 彼の目の前には、緑色の大きなプロペラ機の姿があった。

 少年はその力強い航空機の形状、存在感に圧倒される。

 

「ふふふ、これはな。わたしがコツコツ作り上げた、1/1瑞雲・超高高度飛行型だ」

 

「これが特別な瑞雲、すごい……これが空を飛ぶんだ……」

 

 少年は、一歩、また一歩と近づいていく。

 瑞雲は動かない。

 

 だが、近づくほどに、圧力のようなものが肌にのしかかる。

 風も音もないのに、まるで機体そのものが、声なき語りを発しているようだった。

 

 わたしは、どこまでも高く飛べるのだ──と。

 

「この飛行機で、どこかに行くんですか?」

 

 少年の心ここにあらずといった問いに、日向は笑みを浮かべながら答える。

 

「なに、いつかこいつに乗り込んで、空を取り戻そうと思ってな」

 

 

 

『弟子』と『戦艦:日向』

おわり

 

 




 
瑞雲をあがめよ。
 
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