提督をみつけたら   作:源治

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ぴゃあっ!? ぴゃん♪ ぴゃーあ! ぴゃぴゃぴゃ~ん♪
↑ 阿賀野型 4番艦 軽巡洋艦『酒匂』(さかわ)特有のなき声、超かわいい。

本編ではあまり入れられなかったので……。
 


『整備士』と『軽巡:酒匂』

 

 我が輩は長10cm砲ちゃんである。

 

 種族名はあれど、個体名称は特にない。

 

 はるか昔、秋月型の艦娘に愛称をつけられたことがあった気もするが、思い出せない。

 だが問題はない、なぜなら我が輩は艦娘の艤装であるのだから。

 

 大事なのは名よりも役目。

 

 艤装に属する者は、その機能こそが存在の全てである。

 

「……」

 

 だが現在、我が輩は存在の全てである機能が、一切発揮できない状況にあった。

 

 というのも、ここは艦連軍基地の一角にある、旧航空兵器保管庫。

 さらにその最奥の棚だからだ。

 

 至極当然のことではあるのだが。

 我が輩は長10cm砲ちゃんであり、艤装である。

 

 つまり使うものがいなければ、存在する意味を果たせぬ。

 

 そしてこの旧航空兵器保管庫には、そういった者たちが数多くいた。

 少しまわりを見れば、珍しい艦上戦闘機や偵察機に、『基地航空隊』として運用されていた陸軍戦闘機、陸上攻撃機、局地戦闘機などなど。

 

 それら航空機がずらりと並んでおり、それらに乗り込んでいつでも出撃できるように備えているパイロットの妖精たちがいた。

 あのものたちもまた、我が輩と同じく存在する意味を果たすため、いまでもこの場所で待ち続けている。

 

 いつかまた、奴ら深海棲艦と戦うそのときのために。

 

 ところで我が輩は高角砲の艤装である。

 正確には『小口径主砲 10cm連装高角砲+高射装置』と呼ばれる艤装から派生した、防空駆逐艦である秋月型の艦娘に搭載される艤装生物である。

 

 が、なぜかこの旧航空兵器保管庫にいる。

 

 その昔、我が輩は激戦の最中に相棒の艦娘から離れ、何年も海に漂っていた……ところを、別の艦娘に拾われた。

 そしてなんの因果か、その後もなぜか消えずに顕現し続けている変わり種なので、置く場所がなかったのかもしれないのだが……我が輩、決して航空機ではない。

 

 とはいっても、もう百年近くここにいるので、今更ではあるのだが。

 

 そんなことを考えていたら、ざらついた足音が、保管庫のコンクリ床を撫でるように響いた。

 現れたのは、グリーンのつなぎを着た、首に傷がある20代くらいの精悍な男。

 

 こやつは整備士の男である。

 名は知らぬ、声も聞いたことはない。

 

 兵器を格納する、頑丈な金属製の棚の間を縫い、彼は黙々と歩く。

 

 そして、棚に格納された10~30センチほどの航空機たちを、一つ一つ丁寧に整備していく。

 その手つきは、我が輩らにとって、ひとつの風のようであった。

 

 我が輩もまた、2~3日に一度、彼の整備を受ける。

 

 男がここに現れたのは数か月前。

 

 いままで我々は、こんなに頻繁に整備を受けることはなかった。

 もとよりここは忘れられた者たちの墓場。

 

 数年に一回、ホコリを落として回ってもらうのがせいぜい。

 それだけでも、充分だった……のに。

 

 この整備士が来てからというもの、我々は随分と贅沢になった。

 最初はなれない整備で大丈夫なのかと思ったが、いまとなっては至福のひと時に感じられる。

 

 おっと、どうやら今日は我が輩の番のようである。

 

 鉄と油の匂いに包まれた指先が、我が輩に触れる。

 棚から取り出されるでもなく、すっとそのまま、埃を落とす柔らかな刷毛が宙をなぞり、次いで、少し硬めの布が我が輩の表面を磨き上げる。

 

 ぬぐわれる、煤と塵と時間。

 

 ざらついていた装甲の隙間に、点検用の光が差し込む。

 錆はないか、継ぎ目に変形はないか、彼の指が確かめていく。

 

 ふと、どこかがきしんだ音を立てたときは、黙って小瓶を取り出し、油を一滴、二滴。

 それがまた、絶妙な位置に注がれてゆくのだ。

 

 くすぐったく、温かい。

 にゃあ、と声が出そうになるのを、ぐっと我が輩はこらえる。

 

 だが、それを見ていた周囲の妖精たちは、にこにこしていた。

 

 パイロットの妖精たちは、整備士に見えぬことを承知のうえで、彼に深々と敬礼し、感謝の言葉を述べる。

 

 ──いつも、ありがとう。

 

 ──また飛ばしてくれる日まで、待ってる。

 

 そんな声が、金属と空気の隙間に満ちていた。

 それらが、彼の耳に届かぬことを、我が輩も知っている。

 

 だがそれでも、この静かな保管庫のなかで、彼の手だけは、ひとつひとつに答えているようだった。

 

 

 

 そんな穏やかな日々が、十年ほど続いた。

 

 変わらぬ空気、変わらぬ棚の高さ、変わらぬ彼の手のぬくもり。

 無口な整備士はほぼ毎日保管庫を訪れ、今日もまた同じように、布を静かに滑らせていく。

 

 ──はずだった。

 

 だが、その日は来なかった。

 

 次の日も、その次の日も。

 一週間が過ぎ、十日が過ぎ、とうとう半月が経った。

 

 気づけば、保管庫の空気が、少しずつ変わっていた。

 

 埃っぽさが戻りはじめた金属の匂い。

 妖精たちの動きも、どこか落ち着かない。

 

「……」

 

 我が輩は、棚の上からそっと周囲を見渡した。

 誰の声もなく、ただ静けさが積もってゆく。

 

 小さなパイロットの妖精たちは、整備士が見えぬのに、扉の方角に向かって小さく敬礼を繰り返していた。

 

 皆が、案じている。

 

 あの男がここを離れる理由など、我々には思い当たらない。

 正確には、我々には外の事はなにもわからない。

 

 だが、これだけはわかる。

 

 ──なにかがあったのだ。

 

 我が輩は、覚悟を決めた。

 

 この保管庫にある航空機たちは、いずれも自ら動くことはできぬ。

 そして動かすことができる妖精たちは、航空機から離れられない。

 

 条件がそろえば、航空機に乗って飛び立つことも可能だろうが、現状は見ての通りだ。

 

 だが我が輩だけは、例外だ。

 

 燃料さえあれば、短い距離ならば、自ら歩を進めることができる。

 

 整備士を探すという意志は、やがてひとつの小さな奇跡を起こした。

 妖精たちは互いに相談し、小さな容器をいくつも並べて、かき集めた。

 

 飛行機の燃料タンクをひとしずく、予備の潤滑油から数滴、忘れられた部品の噴射口から、わずかに抽出された液体。

 それらを集め、丁寧に我が輩の燃料ポートへと注いでくれた。

 

「……」

 

 身体を動かすなどと言うのは、何十年ぶりだろうか。

 全長40センチに満たぬとはいえ、鋼鉄の塊であるこの身。

 

 ──はたしてうごいてくれるのか。

 

 百年以上ぶりの行為を前に、身体が固まる。

 

 が、いまはそんな心配をしている場合ではない。

 うごかねばならないのだ。

 

 その強き意志が伝達され、我が輩の鋼鉄の身体が、足が、棚から一歩を踏み出す。

 

 自然落下。

 

 ゴン、と大きな音を立てて、旧航空兵器保管庫の床が我が輩を迎えた。

 痛みはないが、起き上がるのに苦労する。

 

 低い姿勢で、金属の脚を一歩、また一歩と前へ出す。

 長い時間、棚の上から見てきた場所──今度はそこを、自分の意思で歩くのだ。

 

 そして現れたのは、大きな鉄の扉。

 さらにそこから少し離れた場所に、小さな勝手口があった。

 

 この扉の向こうに、あの男が去った理由があるのかもしれない。

 

 我が輩は力をこめて、勝手口の扉に身体をぶつける。

 何度も、何度も身体をぶつける。

 

 結果、比較的脆くなっていたのか、扉の一部をぶち破ることに成功した。

 

 そして、そこに──

 

 広がっていたのは、澄み渡る青空だった。

 あの日、かつての相棒だった艦娘と一緒に見た、赤く濁った空とは大きく違う。

 

 周囲には立派な建造物が並び、海の方からは、演習と思わしき砲撃の音も聞こえてくる。

 

 ここは、この基地はまだ生きている。

 この世界は、まだ──生きている。

 

 深海棲艦に負けることもなく、存在し続けている世界。

 

 わきあがる感傷に浸っていたかったが、自らの目的を思い出す。

 

 ──ふむ……行くか。

 

 我が輩は、砲身をほんの少し持ち上げて、前を向いた。

 しっかりと地面を踏みしめ、一歩を踏み出す。

 

 整備士を探すために。

 

 この、広い基地のどこかにいる、無口なあの男に──再び出会うために。

 

 

 

 人目を避け、物陰から物陰へと、我が輩は静かに基地内を進んでいた。

 とはいえ、影一つ跨ぐのも一苦労である。

 

 なにしろ我が輩の脚部は艦娘や人類に比べれば、速度も静音性も赤子同然。

 

 だが、それでも我が輩は進んだ。

 あの整備士を探すために。

 

 しかし、広すぎるのである、我が輩にとってはあまりにも広い。

 

 このままでは──燃料が尽きる。

 

 そうなれば動くだけでなく、我が輩の存在を保つ最低限の機能さえ危うい。

 

 そのときだった。

 ふと、我が輩の上に、影が落ちた。

 

 見上げる。

 そこには、一人の少女がいた。

 

 艶やかに紫がかった黒髪のショートカット。

 少女は折り目の綺麗な水兵服を身にまとい、ひざを折って、こちらをのぞき込んでいた。

 

「……あれ? どうしてこんなところに、長10cm砲ちゃんがいるの?」

 

 まっすぐに、我が輩を見ている。

 きょとんとした目だが、どこか芯のある声音だった。

 

 我が輩は、言葉を持たぬ。

 ただ、黙って見つめ返すだけ。

 

 少女はふっと微笑むと、軽く胸に手をあてた。

 

「ぴゃん♪ わたしは、阿賀野型軽巡四番艦、酒匂だよ。よろしくね!」

 

 艦娘『酒匂』(さかわ)

 

 我が輩の記憶領域にある情報の中でも、その名は確かに刻まれている。

 

 だが、いまここにいる彼女は、戦場に立つ艦娘ではなく。

 幼げな、ただの少女のようだった。

 

「ねえ、どこから来たの?」

 

 我が輩は、黙って腕を持ち上げ、旧航空兵器保管庫の方向を指し示す。

 

「へえ、あんなとこから……」

 

 酒匂と名乗った艦娘は驚いたように目を丸くし、それからふと、真剣な顔つきになった。

 

「じゃあ、どこに行きたいの?」

 

 我が輩は、静かに手を首もとにやる。

 指先で傷をなぞるような仕草をする。

 

 彼女は数秒黙り、それから小さく息をのんだ。

 

「……首に傷のある人を探してるの?」

 

 そのとおりだ。

 さすが艦娘、艤装の“声”を聞くことに長けている。

 

 我が輩たちの整備士。

 あの男の首には、大きな古傷があった。

 

 作業服からちらりとのぞくそれを、我が輩は整備のたびに見ていたのだ。

 

 酒匂は、ふうっと息をつき、それからそっと我が輩に手を伸ばす。

 

「……もう、あんまり燃料ないんでしょ?」

 

 その声は、どこか優しかった。

 次の瞬間、我が輩の視界が持ち上がる。

 

 軽やかに、だがしっかりと、両腕に抱えられたのだ。

 

「わかった、一緒に探してあげる。整備士さんだよね?」

 

 そう言って、彼女はゆっくりと歩き出す。

 水平線のように広がる基地を背景に、我が輩はその胸の中で、わずかに身じろぎした。

 

 胸が、少しだけ、熱い。

 こんな感覚は、いつ以来だったろうか。

 

 

 

 酒匂“殿”は我が輩をしっかりと両腕に抱えたまま、気ままな足取りで基地の通路を歩いていた。

 

 ぶらぶら、という表現がまさしくふさわしい。

 目的はあるのだが、焦るでもなく、ただ風に乗って歩いているかのようである。

 

 あと酒匂殿に敬称をつけるのには、当然だが理由がある。

 我が輩のために骨を折ってくれる相手だ、せめて心の中では敬わねば失礼というもの。

 

 そう考えれば、整備士の男も、整備士殿と呼ぶべきかもしれぬ。

 

「ねえ、じつはね、あたし、この基地に来たばっかりなの」

 

 不意に酒匂殿がそう言った。

 

「今日が、着任してから初めてのお休みなんだ~」

 

 我が輩は、その言葉を聞いて、内心で「そうかそうか」とうなずいた。

 もちろん声にはならぬが、酒匂殿の抱える腕の中で、わずかに身を揺らしてみせた。

 

「だから、早くこの基地のこと、いろいろ覚えたくってね。ちょっと一人でぶらぶらしてたの」

 

 それで我が輩を見つけたのか。

 なるほど、偶然とはいえ、この巡り合わせには、なにか意味があるようにも思えてくる。

 

 彼女はそれから、あれが第二電波塔だよ、あそこが艦娘兵舎、こっちはPXっていって、売店なんだよ──と、復習のように各施設を指さして教えてくれた。

 

 そのたび、我が輩は軽く腕の中で反応する。

 なんとなく、教えてもらえることがうれしい。

 

 誰かと一緒に、世界を見ることが、こんなにも穏やかで心地よいものだったとは。

 

「こっちも見てみようか?」

 

 気づけば、いつしか足は、旧航空兵器保管庫とはまた雰囲気の異なる場所に至っていた。

 どこか人の気配が薄く、鉄製の柵が張られ、入り口には厳重な扉がある。

 

 その門の上に、無骨な鋼鉄板でこう記されていた。

 

『戦中遺物保管庫』

 

 名前を見るに、かつての時代──我が輩がまだ、誰かの艤装であったころ。

 戦いの時代の名残を、保管している場所なのだろう。

 

「ここもちょっと覗いてみようか?」

 

 酒匂殿はそう言って、そっと我が輩に視線を落とす。

 もちろん我が輩に返答はできない。

 

 だが、彼女の足取りに、我が輩は微かに重心を預けることで、答えとした。

 

 静かに、扉が開かれる。

 

 戦中遺物保管庫──そこには、いまでは忘れ去られた、かつてなにか用いられた装置や機械、記録が、まるで時間の中に凍りついたまま眠っているようだった。

 

 中に入ろうとしたところで、「なにか御用ですか?」と、低く落ち着いた声をかけられる。

 

 見ると、いつの間にやら倉庫内の管理室から、制服をきちんと着こなした青年たちが姿を現していた。

 憲兵と思しきその二人は、中への立ち入りをやんわりと制してくる。

 

「あの、ここって、入っちゃいけないんですか?」

 

 酒匂殿は、我が輩を片腕に抱え直しながら首を傾げて聞いた。

 警戒の色はなく、興味半分といった声音。

 

「いえ、立ち入り自体はそこまで厳しく制限されていません。ですが保管品を見るためには最低限、艦娘であることの確認と、目的の申告が必要です」

 

 憲兵のひとりが静かに応じる。

 もうひとりは携帯端末を操作しながら、酒匂の顔をじっと見ていた。

 

「……酒匂様ですね。阿賀野型四番艦、着任記録があります。問題ありません」

 

「うん、ありがと。あのね、ちょっと中が気になっちゃって」

 

「ここには、戦中に使われた特殊な兵装や装置、未使用の開発資材、建造関連の資料、記録媒体などが保管されています」

 

 酒匂は、目を丸くして頷いた。

 

「そうなんだ……あたし、こういうの見るの初めてで……あれ? あそこに沢山ある、大きな筒ってなんですか?」

 

「ああ……あれはまだ艦娘の皆さまが建造で産まれてこられていた時代、起動前に一時的に収められる“艦桶”を転用した、冷凍睡眠装置ですね」

 

「冷凍睡眠装置……?」

 

 酒匂殿の眉がぴくりと動いた。

 どこか耳慣れない言葉を聞いた子どものように、すこし身を乗り出す。

 

「ええ。終戦間際、対深海棲艦戦争の勝利が難しいと判断された時期に立案された計画です。人類の生存が絶望的となったり、あるいは提督適性者が枯渇した場合に備え、人類を眠らせて時を稼ごうというものです。一種の冬眠に近い状態にする装置で、長期間の眠りにつき、戦争の収束を待ち、復活させる……いわば最後の保険ですね。装置自体は戦争初期から研究や簡単な運用はされていたようですが、終戦間際に量産体制が確立され、あのように大量に存在しているようです」

 

「へえ……そんなのが……あっ」

 

 酒匂殿は、じっと我が輩を見つめるように視線を落とした。

 そして、不意に思い出したように顔を上げる。

 

「あ、あのね……首に、傷がある整備員さん、知らない?」

 

 質問の切り替わりに、憲兵は一瞬まばたきをした。

 

 そして、思い出したように小さく「ああ」と呟く。

 

「ええ、いますよ。確か、喉の手術を受けて、現在は第三医療棟に入院中です。半月ほど前に処置を受けたと聞いています」

 

 酒匂殿の表情が明るくなった。

 

「ほんと? ありがとう!」

 

「ご親族かなにかですか?」

 

「ううん、探してるだけ。でも、ありがとね!」

 

 そう言って、酒匂殿は再び我が輩を抱え直し、軽い足取りで方向を変えた。

 

 第三医療棟。

 ようやく、長く探していたその手がかりへ、道筋がつながったのだった。

 

 

 

 病棟の廊下は、無機質で静かだった。

 

 案内された第三医療棟の二階。

 目的の病室の前で、酒匂殿は担当医と小声でなにやら話していた。

 

 言葉の端々が「声帯」だの「安静」だの「完全な回復は難しい」と聞こえるが、我が輩はもう、それどころではなかった。

 

 ──おるんじゃろ? その中に。

 

 気がつけば、酒匂の腕の中から、我が輩は飛び降りていた。

 着地のときにちょっとゴトンと音が鳴ったが、気にしない。

 

 ガチャ、ガチャと金属音を立てながら、まっすぐ病室のドアに向かう。

 

 ──おるんじゃろ。

 

 横滑りのドアの隙間に身体をねじ込んで開く。

 そして病室に入った瞬間、やわらかな光が、病室の奥からこちらへと差してきた。

 

 窓辺のベッド、そこに座るひとりの男。

 白い病衣を着て、身体を起こし、窓の外──雲の浮かぶ空を、ぼんやりと眺めていた。

 

 音に気づいて、彼はこちらに目をやる。

 

 目が合った。

 

 彼のまなざしが、わずかに見開かれた。

 

「……ヵ……ジュ……セン……ホウ」

 

 整備士の口から、蚊のなくような音が漏れる。

 

 我が輩は、止まることなくそのまま彼のもとへ進む。

 彼はベッドからゆっくりと足を下ろすと、しゃがみこみ、我が輩をそっと迎える。

 

 ああ、やっぱり──おぬしだ。

 

 無口で、不器用で、でも誰よりもやさしい整備士殿。

 かつて毎日、我が輩たちのほこりを払ってくれた手が、いままた、そっと我が輩の砲身に触れていた。

 

 ごしごしとこするのではなく、ゆっくりと布で、なでるように。

 袖の端で、歩き回ってこびりついた泥を、ていねいに拭いてくれる。

 

 我が輩は、その仕草をじっと見つめる。

 

 言葉はいらぬ。

 

 ただ、確かめたかった──この手に、また会えたことを。

 

 部屋の空気がやわらかくなって、静かな時間が流れる。

 

 ふいに、ドアのほうから声が聞こえた。

 

「……あっ」

 

 短く、吸い込まれたような声。

 

 振り返ると、そこには酒匂殿が立ち尽くしていた。

 肩がわずかに震えている。

 

 瞳を大きく見開き、唇を動かしながらも、言葉が出てこない様子だった。

 まるで、雷に打たれたかのように。

 

 彼女の視線の先には──整備士殿がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『整備士』と『軽巡:酒匂』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 整備士殿が、戻ってこられた。

 

 旧航空兵器保管庫の扉が開かれ、ひなたのような光が差し込む中、静かに歩みを進めるその姿を見たとき、我が輩たちは心の中で快哉を叫んだ。

 もちろん声にはならぬが、装甲の奥で、カチリと、なにかがきちんと嵌る音がした気がした。

 

 おかえりなさい──と。

 

 そして、である。

 以前と変わらぬ手つきで、我が輩や仲間たちを整えてくださる。

 

 ──ああ、なんとありがたいことだろう。

 

 古き機械にとって、手入れというのは、ただの修理ではない。

 存在を認められ、いまも必要とされている証なのだ。

 

 誰にも触れられず、見向きもされぬ日々を思えば、整備士殿の手は、神の手にも等しい。

 

 それにおまけといってはなんだが、いまでは艦娘の酒匂殿も整備に加わるようになった。

 はじめはやや騒がしいと感じたが、気がつけばその朗らかな声に耳を傾けることが多くなった。

 

「この部品、錆びかけてるよ。あたし、磨いていい?」

 

 酒匂殿はそんなふうに、嬉しそうに問いかける。

 整備士は無言でうなずき、道具をひとつ手渡す。

 

「ね、長10センチちゃん、気持ちいい?」

 

 そう言って、我が砲身を磨いてくれる手つきも、日々上達している。

 

 うむ、なかなかに心得ておる。

 あと十年もすれば、整備士殿にも引けを取らぬ整備艦娘になるやもしれぬな。

 

 そしてしばらく様子を見ていたが、どうやら酒匂殿は、整備士殿に惚れ込んだらしい。

 

 惚れる、という言葉が、我が輩のような存在と酒匂殿で同じ意味かはともかく。

 彼女は毎日ついて回り、はしゃぎ、笑い、質問し、時に叱られ、そしてまた笑う。

 

 その姿は、ひとことで言えば、明るい。

 じつに、明るい。

 

 整備士殿が以前と変わらぬ手つきで整備を行うそばで、酒匂殿は真似をしながら、我が輩の砲身をぬぐう。

 

「はい、長10センチちゃん。ちょっと冷たいよー」

 

 などと言いながら、油布を巻いてくれるのだ。

 

 うむ、まだまだ荒削りだが、筋はよい。

 いずれ一人前になるやもしれぬ。

 

 未来は明るい。

 

 ……しかし、気がかりなこともある。

 

 整備士殿の声だ。

 

 手術は済んだと聞いた。

 聞けば、少しは声が出るようになったらしい。

 

 が、それはほんのささやかな囁きのようなもので、以前のように──いや、以前だって聞いたことはないのだが──いまだ、はっきりと話すことは難しいらしい。

 

 リハビリすれば、元に戻るかもしれぬとのことだが……。

 しかし整備士殿の様子は、どこか、あきらめておられるようにも見える。

 

 完全に治らなかったことが、よほどショックだったのだろうか?

 

 無理もない。

 言葉は、便利だ。

 

 我が輩もまた、声を持たぬ身ではあるが、それを知っている。

 

 けれど、整備士殿──我が輩は知っておるのだぞ。

 あなたが、どれほど丁寧に、一種“同情的”なほどに我らを見てくださるか。

 

 その手つきこそが、なにより雄弁に語っておられる。

 声なき声で、我らに伝えてくださっているのだ。

 

 ……ならば、我が輩もまた、声なき声で、お応えしよう。

 

 今日も、ピカピカに磨かれた砲身で、ぴしりと立ってみせようではないか。

 それが、我が輩なりの──感謝の形、であるのだから。

 

 

 

 ある日の晩、我が輩は静かに物陰から見守っておった。

 

 整備士殿と酒匂殿が、旧航空兵器保管庫の片隅。

 整備台の近くに座って話しておられたからだ。

 

 灯りは落とされ、薄明かりの中、二人の影だけが揺れていた。

 声は、ほとんど聞こえない。

 

 というのも、整備士殿の声は、まだ弱い。

 少しずつ搾り出すような声で、ぽつりぽつりと語っておられた。

 

 けれど、我が輩にはその構造上、よく聞こえる耳が付いている。

 ゆえにその内容や思いは、はっきりと聞こえてきた。

 

 整備士殿は、元・強襲陸戦隊。

 憲兵軍の最前線に立つ、選び抜かれた兵士だったという。

 

 だが、ある日彼は、戦場で首を撃ち抜かれた。

 奇跡的に一命はとりとめたものの、治療を受けるのが遅れたせいか、声を失ったという。

 

 戦場において、声が出ないというのは、致命的であるらしい。

 指示も、警告も、掛け声も発せられない。

 

 それは、兵士として「戦えない」のと同義だという。

 

 だから彼は──整備士殿は──傷が癒えたあと、「除隊しろ」と言われたのだ。

 一生分の年金が保障される、医療除隊。

 

 普通なら、それを選んだだろう。

 けれど彼は、それを選ばなかった。

 

「まだ、終……わり、たく……なかった、ん……です」と、かすれた声で語る整備士殿。

 

 戦いに戻る希望を胸に、整備士の資格を取り、誰にも注目されないこの倉庫の管理人として働き始めた。

 整備、警備、記録、清掃、パトロール、また整備──くり返し、くり返し、くり返し。

 

 十年。

 

 誰にも褒められず、誰にも知られず。

 ただただ黙々と、過去の骨董品である我々を整備し続けてこられた。

 

 その間、整備士殿はいつか前線部隊に戻るためのトレーニングを欠かさず。

 また喉を治すため、食事のたびに発声訓練を重ね、リハビリも地道に積み重ねてこられた。

 

 それでも──ようやく受けた手術の結果は、「前線部隊に戻るには不十分」。

 

 例え再度手術を行い完治したとしても、歳月は過ぎ、最前線に立つにはもう遅すぎた。

 

 そもそも十年、前線から離れていたのだ。

 いまさら戻ったところで、実戦に出ることも、キャリアを積むことも、もうできない。

 

 戦場に戻る夢は、泡のように遠ざかっていた。

 

「気がつ……いた、んです……自分が、もう、戦え……ない、こと」

 

 整備士殿が、そう言った。

 

 その言葉の後、ふと、酒匂殿は整備士殿の手を取られた。

 整備士殿は、なにも言わずに酒匂殿の手を握り返しておられた。

 

 そして涙を流された。

 

 我が輩は、その涙を、正面からは見ぬようにした。

 妖精たちもまた、そのときばかりは目をそらしていた。

 

 男の涙を、真正面から眺めてよいのは、その男に愛され、愛した者だけである。

 それが、我が輩たちにできる、ささやかな礼儀なのだ。

 

 酒匂殿はまるで、幼き日の面影を抱く誰かのように、整備士殿の背を抱き、頭を撫でておられているようだった。

 

「よしよし」と、あの優しい声が、夜の保管庫に響く。

 

 しばらく、二人はそうしていた。

 

 そして、静かな間をおいて、今度は酒匂殿の声が聞こえてきた。

 整備士殿の肩に顔をあずけるようにして、ぽつりぽつりと、自らのことを語り始められたのだ。

 

「酒匂もね、戦ってみたかったんだ」

 

 その声は、どこか遠く、まるで波の音にまぎれてしまいそうなほどに、静かだった。

 

 酒匂殿はかつての軍艦、軽巡洋艦『酒匂』の名を受け継ぐ艦娘である。

 だが、その酒匂という艦は──出撃らしい出撃もないまま、終戦を迎え、

 そのあと、原爆実験の標的艦として沈められた、悲劇の船だった。

 

「戦いたかったの。守りたかったの。でも、わたしの“もと”は、それをする前に、終わっちゃったの……」

 

 整備士殿は、その言葉に、なにも返さなかった。

 

 言えなかったのかもしれぬし、言わなかったのかもしれぬ。

 ただ、そっとその手を、酒匂殿の背にまわし、静かに寄り添っておられた。

 

 ──その姿が、我が輩には、戦友のようにも、家族のようにも見えた。

 

 我が輩は、そっと目を閉じた。

 

 

 ──この保管庫は、今夜も静かだ。

 

 

 そして翌朝、整備士殿はいつものように工具箱を開け、我が輩を点検してくれた。

 酒匂殿は、笑顔で整備記録をつけながら、我が輩の砲身をふきふきしておった。

 

 日常は、また巡ってくる。

 でも、少しだけ違う日常。

 

 あの晩の涙と告白のあと、整備士殿の目は、ほんのわずかに晴れやかになっていた。

 声はまだ出ぬようだが、たぶんそれでいいのだ。

 

 言葉より大切なものを、整備士殿は持っておる。

 

 我が輩は、ぐっと砲身を引き締める。

 そして、黙々と仕事をこなす整備士殿に、こっそりウインクしてみせた。

 

 さて、今日も一日、頑張るとするかの。

 

 まあ……我が輩、特にすることないんじゃが。

 

 

 

 それから、いくばくかの月日が流れた。

 春が過ぎ、梅雨が来て、夏の日差しが差し始めた頃──

 

 ある日、旧航空兵器保管庫に、見慣れぬ艦娘が三人、揃ってやってきた。

 その名は、『大淀』『あきつ丸』『サラトガ』。

 

 会話から察するに、『大淀』殿*1は、この基地の司令官を務める艦娘らしい。

 また『あきつ丸』殿*2は、副司令官でありながら、やや、大淀殿と仲が悪いように感じられる。

 

 そしてもう一人。

 赤毛を風に揺らす正規空母艦娘の『サラトガ』殿*3は、戦史時代博物館の館長にして、古き艦載機に目がない大の飛行機マニアであるとか。

 

 本来の用事は、あきつ丸殿とサラトガ殿が、保管庫に眠る艦載機をいくつか回収しに来るというものだったらしいのだが。

 そこにたまたま予定が空いたという理由で、基地司令官の大淀殿まで同行されることとなったらしい。

 

 ……だが、司令の大淀殿と、あきつ丸殿は、過去にいろいろあった気配を漂わせている。

 隣にいるサラトガ殿のにこやかさで中和されてはいるが、なかなかにぴりついた空気。

 

 しかし酒匂殿は、そんな気配をものともせず、笑顔で三人を出迎えられた。

 

「ようこそいらっしゃいました、ようこそようこそ~♪」

 

 穏やかな声。

 その微笑みは、誰にも区別なく、やさしかった。

 

「酒匂殿……! いつもと変わらず接してくださる……感涙であります……!」

 

 あきつ丸殿が、ぐすぐすと鼻をすすりながら、袖で目元をこすっていた。

 どう見ても嘘泣きであったが、その奥には、ほんの少しだけ、本音が混じっているように見えた。

 

「そんな芝居、真に受ける必要はありませんよ」

 

 と、大淀殿は冷たく告げる。

 無表情。完璧な塩対応であった。

 

「ああっ……酷いでありますなぁ……自分、ほんとうに傷ついたでありますぞ……」

 

 あきつ丸殿が両手で顔を覆い、震える真似をしてみせる。

 演技であるのは明白だが、どこか憎めぬ。

 

 酒匂殿は、そんなあきつ丸殿の頭をぽんぽんと撫でる。

 

「はいはい、よしよし。泣かないの」

 

 と、まるで小さな子どもにするように優しく接しておられた。

 

「うう……恐縮ですなぁ……」

 

 と、あきつ丸殿はばつが悪そうに頬を掻く。

 それでも、まんざらでもない顔をしておられたのは、我が輩の目にもしっかりと映っておった。

 

 やがて、保管庫の奥から、整備士殿が姿を現された。

 その腕に抱えられていたのは──妙な形をした、小さな艦載機であった。

 

 それは、我が輩も初めて目にする代物であった。

 

 円盤のように平べったく、翼と胴体の境が曖昧で。

 まるで空飛ぶ饅頭のような、妙ちきりんなシルエット──。

 

「……あっ、それは!」

 

 サラトガ殿が目を輝かせ、ぱん、と両手を打ち鳴らされた。

 見目麗しき赤毛の艦娘が、少女のように喜ぶ姿は、少々くすぐったいものである。

 

「XF5U……! ほんとうにあったんですね、フライングパンケーキ!」

 

 その名を耳にして、我が輩も合点がいった。

 

 なるほど、あれが噂に聞く、試作艦載機XF5U。

 かの時代、戦いの空を舞うこと叶わず消えた、幻の飛行機である。

 

 ただし、ここにあるそれは──艦娘用に調整された兵装型で、いわば「大型模型」のような大きさだった。

 それでも、滑らかな曲面と精緻なリベット、妖精たちの働きが宿る小さな機体は、ひとつの宝石のように見えた。

 

 その機体のコクピットに、ふと、動きがあった。

 小さな影──妖精たちが、並んで座っていた。

 

 サラトガ殿は、わずかに目を見開いた。

 

 ──妖精たちが、コクピットから整備士殿に向かって、きちんと敬礼をしていたのだ。

 

 我が輩のような存在とは違い、妖精の姿は、普通の人間には見えぬ。

 たとえ提督適性を持つ者でも、彼らが自ら姿を現さねば、その存在に気づくことすら叶わぬ。

 

 にもかかわらず、妖精たちは、整備士殿に向かって、まるで当然のように敬意を示していた。

 

 ──いまさらではあったが、やはり整備士殿は、妖精らに信頼され、愛されておるのだ。

 

「Thank you…… so much. Truly, thank you」

 

 サラトガ殿が、静かに整備士殿に頭を下げた。

 その声には、心からの感謝と敬意が滲んでいた。

 

「随分と……素晴らしい整備士さんのようですね」

 

 その眼差しは、ただの感嘆ではなかった。

 艦娘として、いや、一人の歴史を生きる者として、深い畏敬の光を湛えていた。

 

 整備士殿は、やや照れたように軽く目礼されると、かすれた声で応じられた。

 

「……声が……不自由、ですので……きち、んと、礼を返せず、申し訳……ありま……せん」

 

 それは、聞き取りづらく、かすれた声であった。

 けれども、その言葉には、どこまでも誠実な温もりが宿っていた。

 

「このひとが、酒匂の提督だよ♪」

 

 と、酒匂殿が、整備士殿の隣に立って、しっかりと告げられた。

 恥ずかしそうでもあり、けれど誇らしげでもあった。

 

「あらあら……」

 

 サラトガ殿は口元に手を添え、くすっと笑った。

 それはからかいではなく、どこか微笑ましく、幸せを願う者の微笑であった。

 

 整備士殿は一礼し、他の装備を探しに保管庫の奥に姿を消す。

 当然のように酒匂殿も、彼の後を追った。

 

 それを見届けた後、大淀殿がふと、横目をあきつ丸殿に向けた。

 

「……わかってるとは思いますけど、酒勾さんの提督適性者に手を出さないでくださいね」

 

 その口調は平坦だったが、言葉には薄氷のような冷たさが滲んでいた。

 

「ううっ……信用ないでありますなあ……」

 

 あきつ丸殿は、げんなりとした顔で肩を落とす。

 そして、まるで冤罪でも受けたかのように視線を下げた。

 

「あるでしょうが、前科が」

 

「さぁて、それは昔の話でありますので……」

 

 と、あきつ丸殿は涼しい顔でスルリと受け流す。

 まるでどんな重い事実も、口笛ひとつで吹き飛ばすような軽やかさだ。

 

 大淀殿は、こめかみに手を当てる。

 

「はあ……いい歳なんだから、そろそろ引退すればいいのに……。あれだけ降格されても、なんでまたよりによって、この基地の副司令官にまで出世してるんですか……そのバイタリティ、どこから湧いてくるんです?」

 

「そりゃまあ、優秀な上司と、可愛い同僚、そして愛すべき提督どのからでありますよ」

 

 冗談めかして言ったつもりだったのだろうが、場に微妙な沈黙が走った。

 

「……は?」

 

 大淀殿が目を丸くする。

 

「ちょっと待って。あなた、いつの間に提督を……?」

 

「秘密でありますよ〜。自分、敵が多いので~」

 

 あきつ丸殿は、おどけるように両手をひらひらと振った。

 だが、その冗談がさらに火に油を注ぐ。

 

「まあまあ」

 

 サラトガ殿が微笑んだ。

 

「あきつ丸さんと波長が合うなんて、きっと素敵なイマジナリー提督さんなんですね♪」

 

 その声音には、さりげない皮肉が軽やかに混じっていた。

 

「まさかとは思いますが」

 

 大淀殿が淡々と続けた。

 

「あきつ丸さんの提督とは、空想上の産物ではないですよね? そうであるなら、あなたは、なにかしらの精神病の可能性があります。至急、医療班に相談を──」

 

「ちょっ、ちょっと待つでありますっ!」

 

 あきつ丸殿が、たまらず声を上げた。

 

「いるでありますー! ちゃんと! イケメンじゃないでありますが、どこまでも男らしくて! 憲兵軍相手に“艦娘のことを考えろ”と啖呵を切れる、無職の一般成人男性提督がいるでありますーっ! ……まぁ、向こうは知らないでありますが

 

 その叫びは、ほとんど悲鳴だった。

 けれど、その場にいた誰ひとり、本気で信じているような顔はしていなかった。

 

 ニコニコとサラトガ殿は肩をすくめ、大淀殿は静かに頷きながら、メモを取っているふりをしていた。

 

「……お酒、飲んでますか?」

 

「飲んでないでありますーっ!」

 

 我が輩は思う。

 艦娘というのは、時に残酷で、時に愉快で、時に手のつけようがない。

 

 ──だが、それでも我が輩は、彼女らを見ていて飽きないのである。

 

 

 

 必要な装備をひと通り回収し終えたはずの一行は、なぜかその場を立ち去ろうとはせず、保管庫の中で自然と立ち話を続けていた。

 

 冷たい金属の匂いと、倉庫特有のほこりっぽい空気。

 そのなかに、少しだけ火照った笑い声が混ざっていた。

 

 あきつ丸殿は、手に持った烈風〈六〇一空〉の機体を眺めながら、ふと視線を大淀殿へ向けた。

 

「そういえば今回の観艦式──ずいぶんと力を入れた防空演習が行われるとか。なにか理由があるでありますか?」

 

 大淀殿は、軽く眼鏡の位置を直すと、真面目な口調で答えた。

 

「……ええ。艦連本島から、艦連軍総司令官の大和様*4が直々に視察に来られるんです。今回の観艦式には、そのお相手の意味も含まれています」

 

 それを聞いたあきつ丸殿の眉が、ぴくりと動く。

 

「なるほど……。それで実戦並みの演習、というわけでありますな」

 

「はい。そして」

 

 と、大淀殿は意味ありげに微笑んだ。

 

「その総司令官、直属の防空特化部隊──四十五名の艦娘たちも同行されるそうです。かなり規模の大きなものになりますよ。あきつ丸さんには、彼女たちの“目標”となる航空隊の指揮を、お願いしたいと思います」

 

「うへぇ……」

 

 あきつ丸殿は顔をしかめた。

 

「そんな大役、自分の器じゃないでありますよ……。まあ……今代の総司令官殿は、空になにか怨みでもあるのかというくらい、防空戦力の育成に執念を燃やしているでありますからな」

 

「ええ。わたしも聞いてます」

 

 大淀殿は表情を崩さずに言った。

 すると、あきつ丸殿が、ぽつりとつぶやいた。

 

「……まあ、わからんでもないでありますよ。あの方は、昔──」

 

 そこまで言いかけて、言葉を濁した。

 妙に含みのある語り口だったが、大淀殿は追及せず、ただ小さく頷くだけだった。

 

 その空気をすっと切るように、酒匂殿が声を上げた。

 

「あの、それなら──ここにいる艦載機のみんなや、基地航空隊の飛行機のみんなも、防空演習に参加できませんか? ほら、艦載機でも基地から飛ぶことができるんですよね?」

 

 一同が一斉に彼女に振り返る。

 

「……この子たち、ずっとここに置かれたまま。出番なんて、もう来ないと、どこかで思ってて。でも、妖精さんたちは、いまでも飛ぶつもりで、待ってる気がするんです」

 

 酒匂殿の声はやわらかく、それでいてどこか、遠くを見つめるような響きだった。

 

 整備士殿が、隣で小さくうなずく。

 古びた機体を、毎日磨き続けていた男の肯き。

 

 それは、誰よりも確かな肯定だった。

 

「……なるほど」

 

 大淀殿は考えるように腕を組んだ。

 

「確かにいつまた基地航空隊が必要になるとも限らない……。練度や整備状況によるとは思いますが……もし妖精さんたちにその意思があるなら。試験的に、第二目標部隊として演習への参加を検討しても、いいかもしれませんね」

 

 その言葉に、酒匂殿はぱっと笑みをこぼした。

 

「ありがとう、大淀さん!」

 

 思わず大淀殿に抱き着く酒匂殿。

 突然だったせいか、好意をぶつけられることに慣れていないせいか、大淀殿は驚いたような表情を浮かべ、顔を赤くする。 

 

 あきつ丸殿は苦笑しながら、手にした烈風をひょいと肩に担いだ。

 

「こりゃあ、ますます忙しくなるでありますなぁ……。ですが、悪くない。昔の陸軍所属機がまた空を舞う。それを見られるなら、陸の艦娘としては大変喜ばしい……自分も賛成するであります。……くくく、久しぶりに、自分の烈風拳をお見せするでありますかな?」

 

 サラトガ殿がくすくすと笑う。

 

「じゃあサラも、そのときは酒匂さんの護衛空母を務めさせてもらいますね。歴史になるかもしれないんですもの──お蔵入りの名機たちの、最期じゃない、再起飛行」

 

 ギギギ、と我が輩は右の砲身。

 そして、右手を高々と掲げた。

 

 ──我が輩も! 我が輩も参加したい!

 

 ……と言いたい気持ちを、動きで目一杯アピールしたのだ。

 その動作に、最初に気づいてくれたのは酒匂殿だった。

 

「……一緒に行く? わたしと」

 

 にこやかに、けれどどこか本気の色を帯びたまなざしで、我が輩に問いかけてくれる。

 

 我が輩は、嬉しくなって両手をパタパタと振った。

 文字通りの喜びの信号である。

 

 大淀殿が、その様子を見てふぅと小さく笑い、一歩前に出る。

 

「……仕方ないですね。明石さんに、この子専用の固定機構を準備させておきます。酒匂さんに装備させるための、特注で」

 

 その言葉に、酒匂殿もやや頬を赤らめながら、ふふっと小さく笑った。

 大変うれしそうな様子である。

 

「酒匂殿は“たらし”でありますなぁ……あの鬼の基地司令がメロメロじゃあありませんか……まあ自分も人のこと言えんでありますが」

 

「わかります。酒匂ちゃん、素直でかわいいから……つい守ってあげたくなるのよね♪」

 

「……聞こえてますよ」

 

「ぴゃぴゃぴゃ~ん♪」

 

 そのやりとりを、整備士殿は黙って見守っておられた。

 道具にも兵器にも、そして艦娘にも、言葉以上に温かなまなざしを向ける御仁である。

 

 やがて整備士殿は、ゆっくりと歩み寄り、我が輩の目の前で膝をついた。

 そして、かすれた声ではあるが、確かな響きで言った。

 

「……酒……匂、を、頼ん……だ」

 

 その声音に、我が輩の心はビリビリと震えた。

 言葉の重み、願いの真剣さ。

 

 そこに、誰かを信じる想いが込められていた。

 

 ──任せよ!

 

 我が輩は胸板──というか装甲──をドン、と力強く叩いた。

 

 もとより、我が輩は空の脅威から船を守る砲である。

 そしていま、我が輩には、守るべき艦娘(ふね)ができた。

 

 そのことが、なによりも誇らしいのであった。

 

 

 

 

 

 

 観艦式の前半は、つつがなく終わった。

 

 空には人間のパイロットたちが乗った航空機で、白煙の絵が描かれ。

 艦娘の航跡によって波がたった海面は、日の光を浴びてキラキラと光っている。

 

 それを見て高揚した人々の拍手と歓声が、遠く響いていた。

 

 だが、ここからが本番。

 

 我が輩と酒匂殿、そしてサラトガ殿は、演習海域の一画に配備された。

 ほかにも民間所属の艦娘たちが、同じように海上で待機していた。

 

 緊張で硬くなってる者もいれば、ふぅ、と伸びなんかして余裕のある者もいたり。

 

 酒匂殿はといえば、姿勢こそ静かで整っておったが──

 

「……撃ちたかったんだぁ」

 

 ぽつりと、そんな言葉を漏らした。

 

 その声には、期待と覚悟が詰まっていて。

 胸の内の火花がちらりと見えた気がした。

 

 その様子が、なんともまあ、ええなぁって思ったのであります。

 我が輩、ほっこり。

 

 砲塔の中から小さく笑ってしまった。

 と、そんなとき。

 

「……ッ!」

 

 急に、ブツ、という電子音が鳴り、海域全体に一斉に流れる通信が始まった。

 

 全周波数対応の緊急無線──どの部隊も、どの艦娘も、いっせいに耳を澄ませた。

 

 我が輩も、そして酒匂殿も。

 

『──こちら、元艦連軍総司令、日向。第十二代艦連軍総司令、日向。──艦夢守市に展開中の全艦娘に告ぐ』

 

 無線ごしにも伝わる、深刻な声色。

 我が輩の砲塔の中で警報がぐるぐる回る。

 

 無線は続いた。

 

『現在、敵性存在の超巨大飛翔体が一体、艦夢守市に向けて接近している。対象は深海棲艦の赤界粒子散布兵器、交戦回避不能の可能性が高い。市内すべての艦娘に告ぐ。これよりすべての行動を中止し、直ちに“実戦”の準備へ移行せよ』

 

 実戦、その部分に重みを含ませる無線は続いた。

 

『市内全ての艦娘、応援を求む。繰り返す。市内全ての艦娘、応援を求む』

 

 風が、ざわりと吹いたように思えた。

 

 我が輩の身に走ったのは、冷たい電流──けれど、それ以上に、火花のような緊張。

 

 反面、酒匂殿は静かに、まっすぐに、空を見つめていた。

 

 遠い、もう思い出せない過去。

 そんな目をしたかつての相棒である、秋月型の艦娘の姿がおぼろげに浮かぶ。

 

 怯えもなく、高揚もなく、ただ自らの使命と向き合おうとする瞳。

 

 ──その眼差しをみて、なぜか我が輩は、涙が流れそうになった。

 

 

 

*1
・登場『芸術家』と『潜水艦:伊168』

*2
・登場『二人の男』と『潜水艦:まるゆ』等

*3
・登場『僕』と『正規空母:Graf Zeppelin』

*4
・登場『弟子』と『戦艦:日向』




 
『僕』と『正規空母:大鳳』前編 に続きます。
 
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