提督をみつけたら   作:源治

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※『僕』と『正規空母:大鳳』 中編 になります。
 前編 を未読の方はご注意ください。
 


『僕』と『正規空母:大鳳』 中編

 

 またあの夢を見た。

 

 夢の中の僕はどこかに向けて出発する覚悟を決めていて。

 現実の僕もまた、目的の場所を目指そうとしていた。

 

 あの夢はいったいなんなんだろう?

 

 もしかして僕の前世とかいうやつなのだろうか。

 でも普通は前世の夢なんて見る人はいないはずだ。

 

 じゃあなぜ僕は見てしまうのかな?

 

 そんな考えが浮かんでは消え、最終的にどうでもよくなる。

 いまの僕は、夢の中の僕ではないのだから。

 

 起き上がると、いつものように近くに座って僕を見ている大鳳さん。

 

 まるで僕が寝てる間、ずっと見張ってたみたいだ。

 まあ実際、僕が大鳳さんをおいていかないように見張ってたんだろうけど。

 

 信用ないなぁ。

 

 準備をして家を出る。

 いまは夏休みで、学校には行く必要はない。

 

 でも、行かなきゃいけない場所がある。

 

 今日行く場所と、しばらく留守にすることはみんなには伝えてある。

 なので留守中は、みんながこの家の管理をしてくれるらしい。

 

 だから、大丈夫だ。

 

 晴れてはいたけれど、どこか灰色がかった朝の光。

 そのせいか気温はいつもより低めで、ちょっと肌寒い。

 

 しばらく歩いて、路面電車に乗り込む。

 目的地の中継地点である、艦夢守市の中央駅に行くためだ。

 

 正面に座った大鳳さんは、黙ったまま僕を見つめていた。

 

 電車は、ゆっくりと朝の街を進んでいく。

 通勤中の人たちや、開き始めた商店街のシャッター。

 

 走る車の排気が、低く湿った音を立てる。

 ふと目に映った交差点に、記憶がよみがえる。

 

 あの道だ。

 

 加賀さんと出会った、あの道。

 翔鶴さんと出会った場所でもある、あの道。

 

 あのときは驚いたな。

 でもある意味、あの場所から僕の提督としての人生が始まったんだ。

 

 瑞鶴さんと模型を作った思い出、飛龍さんと大叔父さんの家で過ごした思い出。

 そして子供のころから蒼ねえちゃんと過ごした日々の思い出が、頭をよぎる。

 

 そんなとき、遠くに建つ白い建物が見えた。

 南雲病院……おばあちゃんを診察する赤城さんの姿が、窓の向こうに浮かんだ気がした。

 

 記憶の断片が、電車の振動に合わせるように、胸の中を柔らかく揺らしていく。

 

 ──おばあちゃん。

 

 まだ、おばあちゃんが生きていた頃。

 どこへ行くにも、僕の手を引いてくれた。

 

『大事な人とは、ちゃんと一緒に歩かないとね。置いてけぼりにしたら、可哀想でしょう?』

 

「……置いてけぼり」

 

 そう呟いたとき、大鳳さんがピクリと反応した気配がしたけど、僕は気がつかないふりをする。

 

 やがて、中央駅に着いた。

 駅の中は出勤ラッシュのせいで混み合っていて、構内アナウンスが何重にも重なり合っている。

 

 でも、僕の乗る列車の出発までは、まだ少しだけ時間があった。

 

 だから僕は、駅ビルの屋上に行くことにする。

 途中、僕を追い越して階段の途中で立ち止まった大鳳さんが、僕を見つめて言った。

 

「鐘?」

 

 僕は、頷く。

 

 屋上には、古びた真鍮の鐘が据え付けられていた。

 風が吹くと、からん、と微かに鳴ることもあるけれど、基本的には手動だ。

 

 紐を掴み、軽く一度──僕は鐘を鳴らす。

 

 ──かぁん……

 

 音が空に溶けていく。

 

 ウォースパイト様と、アークロイヤルさん。

 あの二人を見送りながら、この鐘を鳴らした日のことを思い出す。

 

 アークロイヤルさんは、大好きだったウォースパイト様をもう見送ったのだろうか?

 だとしたら彼女は、僕のように悲しみに暮れて、毎日つらい気持ちでいるのだろうか?

 

 あの頃といまとでは、随分いろんなものが変わってしまったけれど──

 

 もう一度、ゆっくりと紐を引く。

 

 こんどは、さっきよりも澄んだ音がした。

 鐘の音は、低く長く、朝の空に響き渡る。

 

 背後からの気配、微かに揺れる影。

 大鳳さんは一言も発さず、ただじっと、僕の姿を見ているようだった。

 

 

 

 予定の列車に乗りこむ。

 

 目的地は──まえに訪れたことのある、大叔父さんの家。

 そこには、僕の艦娘である飛龍さんがいる。

 

 そして師匠……戦艦の艦娘である日向さんも。

 

 まずは、日向さんに会いに行くこと。

 それが、いまの僕にとっての“すべきこと”だった。

 

 車両の中は空いていた。

 

 通学時間が過ぎて、通勤する人の波も引いたあとの、田舎に向かう車両だからだ。

 アナウンスが流れて、ゆっくりと出発する列車。

 

 シートの向かい側に座った大鳳さんは、いつものように僕を見ていた。

 

 やがて線路沿いの景色が、ゆっくりと、夏の山道に変わっていく。

 家々が減り、森が増える。

 

 緑のにおいが窓の隙間からわずかに入り込む。

 なんというか、自然と夏のにおいがした。

 

 夏休みにはいったことを、今更ながら実感する。

 今年は宿題もプールも、なにもかも全部後回しだけど。

 

 そんなことを考えていたとき、車内にアナウンスが響く。

 

『お知らせいたします。ただいま、前方の区間にて、がけ崩れによる土砂の流入が確認されました。復旧には時間を要する見込みです。お客様にはご迷惑をおかけいたしますが、次の駅にて全員のご降車をお願い申し上げます』

 

 ……思わず、窓の外を見る。

 

 確かに、遠目に山肌が削れたような箇所がある。

 列車は減速し、そのままホームにすべりこむように停まった。

 

 僕たちは降りるしかなかった。

 

 ホームに出ると、すでに数人の乗客が、戻りの車両に移動していた。

 静かな駅、辺りにはなにもない。

 

「どうするの?」

 

 と、大鳳さんが訊いた。

 

 たぶん、普通なら戻りの列車に乗って、家に帰るのが正解だと思う。

 

 でも──僕には、それができなかった。

 いま向かわなければいけない理由があるから。

 

 ──やるべきことを、やらないと。

 

 そうしないと、僕は、そうしないと……。

 だから僕は、小さく息を吸ってから言った。

 

「……歩いて行く」

 

 大鳳さんは、返事をしなかった。

 

 ただほんの一瞬、目を細めて僕の顔を見つめる。

 それから視線を落として、小さく頷いたようだった。

 

 否定でも、肯定でもない。

 ただ、ついていく──そんな気持ちが伝わってきた。

 

 改札を出て、目的地へと続く道路を歩き出す。

 

 後ろで、大鳳さんの足音が、控えめに響く。

 彼女はいつものように、僕のすぐ後ろから黙ってついてきている。

 

 風が、山の木々を揺らし、枝の隙間から夏の日差しが地面へ差し込む。

 何キロあるのか見当もつかない道を、それでも僕は、ただ前を見て進み続けた。

 

 

 二時間ほど歩いた。

 

 山の中なのに、セミの声があまり聞こえない。

 午後に入って暑くなったせいだろうか。

 

 熱い風が頬を撫でていった。

 もうずいぶんと長く歩いている気がする。

 

 だけど──まだ、着かない。

 

 目的地までは、無理な距離じゃないはずだった。

 

 でも、僕の足は子どもの足で。

 水筒に入れてあった飲み物は、もうほとんどなくて。

 背中にずっと陽が当たって、喉がひりひりする。

 靴も、もう土埃だらけで汚れていた。

 

 ──だめかもしれない。

 

 今日中には、たどり着けないかもしれない。

 

 このまま夜になって、山の中で立ち往生するかもしれない。

 その不安が、急に胸の奥で形を持ちはじめて、僕は思わず立ち止まった。

 

 呼吸が浅くなる。

 目の奥が熱くなる。

 唇が震えて、もうだめだ、という言葉がのど元までせりあがる。

 

 悔しくて、泣きたくなった。

 

 でも──。

 

 それでも、あきらめたくなかった。

 あきらめるわけにはいかなかった。

 行かなきゃいけない、たとえ、なにがあっても。

 

 だから、僕はもう一度、足を前に出そうとした……そのとき。

 後ろから、小さなエンジン音が聞こえた。

 

 ──ブウゥゥン……。

 

 振り向くと、原付バイクが近づいてきた。

 

 男の人かな? サングラスをかけてて、ヘルメットの隙間から金色の髪が見える。

 赤いワイシャツに白いハーフズボンで、なんというか、チャラい感じの雰囲気。

 

 その人は、僕らのすぐ手前でブレーキをかけ、バイクを止めた。

 

「おっと、迷子っすか?」

 

 僕は一瞬言葉に詰まったけど、息を整えながら答えた。

 

「……違います。列車が止まっちゃって……それで、歩いて目的地まで行こうとしてて……」

 

 男の人はサングラス越しに、ふうんと小さく相槌を打った。

 

 ちらりと、僕の背後にいる大鳳さんの姿も見て──なぜか、それについてはなにも触れなかった。

 大鳳さんも黙ったまま、男の人を見つめ返していた。

 

「そっかぁ……まあ、なんというか。えらいなぁ、それはそれで」

 

 男の人は少し考えるように顎に手をあて、それから言った。

 

「乗っていくっすか?」

 

 え? と僕は聞き返した。

 男の人は笑って、原付の後ろを親指で指した。

 

「気ままなドライブの最中で、この先まで行くつもりだったから。送ってくよ、途中まででも」

 

 突然の提案に、僕は戸惑った。

 

 知らない大人の人についていくというのは、なんというか、ダメである。

 とくに僕は子供で、相手は怪しい感じの男の人で、しかもここは山の中。

 

 だけど──。

 

「……お願いできますか?」

 

 なんというか、直感で、この人は大丈夫だとなんとなくわかった。

 僕がそう言うと、男の人はサングラスを指で持ち上げ、口元に笑みを浮かべた。

 

「いいっすよ~」

 

 男の人は原付のエンジンを一度切り、後部に座るよう手で合図した。

 

「名前はショウっす。気軽に呼んでくださいな」

 

 金髪が風に揺れた。

 どこか南国のリゾートが似合いそうな、明るい雰囲気。

 

 僕は大鳳さんと顔を見合わせた。

 大鳳さんはなにも言わず、小さくうなずいたように見えた。

 

 そして彼女は、ひらりとスカートを払って原付の足元に座る。

 不思議なほど、すっと収まりがよかった。

 

「よろしくお願いします、ショウさん。僕は空木って言います」

 

「ウッスウッス、よろしくね空木くん」

 

 僕はショウさんの後ろにそっと腰を下ろす。

 ちょっと重いかなと思ったけど、ショウさんの原付はブルルンとエンジン音を響かせて、軽快に走り出した。

 

「行き先は?」

 

「山の向こうにある村です」

 

「オッケーっす。あのへんか、懐かしいな~」

 

 ショウさんは軽く笑って、アクセルをふかした。

 彼の背中越しに、風がびゅう、と鳴った。

 

「昔、あの辺の森の中で住んでたことがあるんすよ。いまは街にいるけど、たまにこうやって、走りたくなるんすよね」

 

「……森の中に?」

 

 僕は思わず聞き返してしまった。

 

 でも、ショウさんはそれ以上話を広げようとせず、ただ「そうっす」とだけ言った。

 それ以上は聞いちゃいけないような気がして、僕は「そうなんですか」とだけうなずいた。

 

 山の道はくねくねと曲がり、木々がトンネルのように頭上をおおっている。

 その隙間から、まだ若い緑の光が差し込み、地面にまだらな影を落としていた。

 

 原付はそこを、気持ちよさそうに滑るように走る。

 

 ──ああ、いいなあ。

 

 そう思った。

 自分も、いつかこんなふうにバイクに乗って、風を切って走ってみたいなと。

 

 そうだ、僕はあの、艦夢守市でやってるバイクレースが好きで、いつもテレビで見てたんだ。

 おばあちゃんと一緒に、レースの結果を当てっこしたりして、笑って──。

 

 ……だめだ。

 

 思い出しかけた瞬間、胸の奥から、じわりと熱いものがせり上がってきた。

 懐かしさと、さみしさと、届かないものへの恋しさが一緒になって、襲いかかってくる。

 

 僕はぐっと唇を噛んで、景色に目を向けた。

 

 考えないように、思い出さないように。

 景色だけを見ていようと思った。

 

 そうして、山を越え、谷を渡り、小さな橋を二つ越えたころ。

 ようやく、目的の村が見えてきた。

 

 木々の向こうに、かやぶき屋根の家々。

 畑と、田んぼ、そして木材を加工する工場。

 

 原付はゆるやかに減速し、道端に止まった。

 

「着きましたよ、空木くん」

 

 ショウさんが笑って振り返る。

 僕は急いで降り、大鳳さんも無言で立ち上がった。

 

「……ありがとうございました。ほんとうに……助かりました」

 

 深くお辞儀をする。

 ショウさんは笑って、原付のハンドルを握り直しながら言った。

 

「いいって、気にしない気にしない。困ったときはお互い様っすよ。……じゃ、夜の仕事あるんで。またどこかで」

 

 そう言い残して、ショウさんは軽く手を振り、原付を発進させた。

 その後ろ姿は、木漏れ日の中を軽やかに滑るように、小さくなっていった。

 

 ──そこで、僕は思い出した。

 

 昔、おばあちゃんが話してくれたこと。

 僕が病院に担ぎ込まれたとき、慌てて飛び出したおばあちゃんを助けてくれた人のこと。

 

『助けてくれたかっこいいお兄さんがいたのよ。金髪で、古いスクーターに乗っててね……』

 

 あれは──ショウさんのことだったんだ。

 

 僕の中で、ひとつの記憶がつながった。

 どこか懐かしくて、でも不思議な縁のようなものが、胸の中に灯った気がした。

 

 

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 巨大な吹き抜けの窓から見下ろすと、眼下には灰色の装甲と翼を持つ、異形の飛行機の姿があった。

 でもその全貌はもはや飛行機と呼ぶにはあまりに巨大で、翼はジャンボジェットの倍以上で、サッカー場よりも広い発進ドックの、壁近くまで届きそうなほど。

 

 地下深くに設けられたその発進ドックにたたずむその姿は、空ではなく地に浮かぶ城のようにも見えた。

 

『……こんなに大きな飛行機が、本当に飛ぶんですか』

 

 僕は、思わず声をこぼす。

 隣に立つ虎瀬提督は、軍服の袖を指で整えながら、窓の外をじっと見つめていた。

 

『飛ぶとも。特殊大型飛行艇<オオトリ>だ』

 

 その言葉に、格納庫の空気が少しだけ冷たくなるような気がした。

 

『アレに積めるだけ艦娘を積んで飛び、奴らの本拠地(ハワイ)で一斉に投下する。そのための器だ。情けない話、(うち)にはもうまともな空母がいなくてな。お前の役割は、道中の迎撃と、本拠地の防空網の突破……ふん、言うまでもないことか』

 

 僕は唇を引き結んで、小さくうなずいた。

 

『……わかりました』

 

 沈黙のあと、重い足音が廊下に響き、黒く光る装甲を身にまとった男の人が現れた。

 

 呉鎮守府の陸戦隊隊長。

 強化装甲兵の筆頭にして、虎瀬提督と同じく、この戦争の最初期から生き残ってきた一人。

 

 彼の顔は傷だらけだったけど、無駄のない視線の動きに、歴戦の風格があった。

 

『二時間後に出立する。知っての通り行先は赤界のど真ん中だ。お前たちの出番はない』

 

 虎瀬提督は、それだけを淡々と告げた。

 

『はっ、ご武運を』

 

 陸戦隊の隊長もまた、迷いなく答える。

 短く、力のこもった声。

 

 しばし、誰も言葉を発さなかった。

 

 格納庫の下では、飛行艇に積み込まれる資材の音が断続的に響いていた。

 金属音が空虚に反響する。

 

『……息子は(ここ)に残す。残った艦娘たちは、あいつにリンクを繋いでおけ。俺が出た後の指揮は、全てお前に任せる』

 

『了解しました』

 

 その返答の中に、言葉にできないなにかが沈んでいた。

 理解とも、覚悟ともつかない、冷えた情のようなもの。

 

『それから、作戦が失敗しようが成功しようが、あとのことはお前が好きに判断しろ。成功しても俺はここには戻れん、呉鎮守府(ここ)をどうするかも、息子(あいつ)をどうするかも、お前の裁量に任せる』

 

 虎瀬提督の声には、少しだけ未練のようなものがあった。

 それを隊長はまっすぐ受け止めて、すこしだけ眼を細める。

 

『わかりました。私の息子にも、そう伝えておきます』

 

『好きにしろ』

 

 それだけを言って、虎瀬提督はまた黙った。

 隊長は虎瀬提督と同じ方向に目を向け、同じように黙っている。

 

 言葉はないけど、二人の間で、なにかが交わされているように思う。

 

 僕は、そのやりとりをただ見ていた。

 

 大人たちは別れの準備を始めている。

 僕の心は、なぜかひどく冷めていて、いま見ているこの光景が、まるで白黒映画のように感じられた。

 

 思い出すのは、燃え上がる佐世保鎮守府。

 あの難攻不落と思われていた佐世保でさえ、深海棲艦に落とされた。

 

 ──つまりは、呉鎮守府もおそらく陥落する。

 

 そして虎瀬さんも、ここにはもう帰ってこれないことを確信してる。

 これはきっと、この二人の別れの挨拶なのだろう。

 

 そう思っても、胸の奥には波ひとつ立たなかった。

 それはきっと、悲しみを使い果たした者が持つ、静かな虚無だったのだと思う。

 

 

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 目を覚ますと、障子の向こうから朝の光が滲んでいた。

 見覚えのない天井の木目をぼんやりと眺めながら、僕はしばらく身じろぎもせずにいた。

 

 頭の奥に、夢の記憶がまだ燻っている。

 飛行艇の巨大な威容、虎瀬提督の背中、そして沈黙の中で交わされた思い。

 

 けれどそれは、朝の光に溶けていくように、少しずつ遠ざかっていった。

 

 それと変わるように、昨日、遅くに大叔父さんの家に着いたときのことを思い出す。

 停まった列車の話をすると、大叔父さんは驚いたように眉をひそめた。

 

『歩いて……ここまで来たのか?』

 

『うん。途中で親切なお兄さんにバイクに乗せてもらえたから、そんなに時間はかからなかったよ』

 

 僕の言葉に、大叔父さんはしばらく難しい顔をしていた。

 怒られるかな? と思ったけど、大叔父さんはやがてふっと肩の力を抜いたように笑った。

 

『まあ、それでもよく来たな。大したもんだ』

 

 その声に、妙な緊張がふっとほどけていくのを感じる。

 

 家には、大叔父さんの孫娘──僕の艦娘でもある飛龍さんもいた。

 玄関まで迎えに出てきた彼女は、相変わらずの笑顔で『いらっしゃい』と言ってくれる。

 

 夕食はにぎやかだった。

 

 山菜と煮物の素朴な献立に、大叔父さんの話が交ざる。

 僕は湯気を前にしながら、どこか遠くへ旅をして戻ってきた気分だった。

 

 お風呂に入り、布団に入ると、疲れてたせいかすぐに寝てしまう。

 

 ──そして、あの夢を見た。

 

 敷布団から起き上がり、襖を静かに開けると、居間では飛龍さんが朝食の支度をしていた。

 気配を察したのか、彼女が振り返る。

 

「おはよう、提督。よく眠れた?」

 

「うん。ありがとう、飛龍さん」

 

 僕は一息ついてから、声を整えた。

 

「……日向師匠のところに行きたい。会って、話したいことがあるんだ」

 

 飛龍さんは少し驚いたように目を見開いたけど、すぐに優しく微笑んだ。

 

「うん、わかった」

 

 その笑顔に、少しだけ心が軽くなる。

 

 朝食を終え、靴を履いて玄関を出た。

 木々の青さが増す山道を歩く。

 

 飛龍さんは僕の少し前を歩いていて、背中に差す光が、どこかあたたかく感じられた。

 

 もちろん大鳳さんも、当然のようについてきてる。

 僕の右後ろ、肩の辺りには、彼女の気配が静かに流れていた。

 

 

 

 山道の傾斜がゆるやかになり、木々の隙間からダムの湖と、赤錆びたトタン屋根が見えてきた。

 そこが、日向師匠の家──いや、住居兼ガレージ。

 

「師匠ー、来たよー!」

 

 飛龍さんが声を張る。

 返事はすぐにあった。

 

「ガレージの方だ」

 

 低く、けれど朗らかな声だった。

 

 正面玄関の脇を抜けて裏手に回ると、鉄骨と波板で組まれた簡素なガレージがあり、その中に、翼を広げた不思議な飛行機が鎮座していた。

 機体の色は深緑で、小舟くらいある大きな二つの足に、前についた大きなプロペラ。

 

 それは師匠が造った特別な飛行機。

 

 ──瑞雲。

 

 その機体の腹に潜り込み、レンチを握る影がひとつ。

 しばらくすると整備を終えたのか、その人影──日向さんが、ゆっくりとこっちに向かって歩いてくる。

 

 一年くらいぶりに見た日向さんは、まず僕を見て、口の端を少し上げた。

 

「おお、久しぶりだ。……よく来たな」

 

 その声音には、少し驚きと、そして変わらぬ優しさがあった。

 

 次に日向さんは、僕の右後ろに目をやる。

 大鳳さんをじっと見てから、顎をひとつ引いて、聞く。

 

「ふぬ。君の艦娘かな?」

 

「はい……そうです。多分」

 

 僕が曖昧に答えると、大鳳さんが小さな声で補足した。

 

「……多分じゃない」

 

 その声に、飛龍さんがいつもの調子で被せるように声をあげる。

 

「わたしもわたしもでーす!」

 

 それには日向さんも少し眉をひそめて、軽くため息をついた。

 

「そっちは知っている」

 

 苦笑のような、どこかあきれたような響きが混じってる気がする。

 

 そして、日向さんの視線が再び僕に向く。

 今度はまっすぐに、真面目な色を帯びていた。

 

「……それで。今日はどうした?」

 

 僕は少し息を呑んで、胸の中で言葉を探す。

 けれど、それはすでに決まっていた言葉だった。

 

「日向師匠。お願いがあります」

 

「言ってみろ」

 

 整備用のグローブを外しながら、日向さんは静かに言った。

 

 僕は一歩踏み出して、瑞雲の機体を仰ぎ見た。

 

「僕を……この飛行機で、空に連れて行ってください」

 

 

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 呉鎮守府を発って、すでに数時間が過ぎていた。

 

 特殊大型飛行艇〈オオトリ〉は、敵の探知をかいくぐりながら、高度八千メートルの夜空を進んでいた。

 

 黒い海と雲の境目はすでに遥か下。

 静謐な暗闇を飛ぶこの飛行艇の存在は、夜に隠された秘密そのもののようだった。

 

 コクピットでは、虎瀬提督の部下である島提督が、無言で操縦桿を握っていた。

 その横に立つ虎瀬提督、そして彼の少し後ろに、僕は立っていた。

 

 ふいに、計器の針が大きく揺れる。

 

『……北西に上空に感知反応。なにか、大型の飛行物体が近くを飛んでます』

 

 計器を見ていた艦娘の報告に、虎瀬提督がすぐさま視線を上げる。

 

 僕たちも、揃ってその方向を見る。

 左斜め上、薄く広がる雲を突き抜けるようにして、なにか巨大な影が、悠然と数キロ先の空を滑っていた。

 

 機械とも有機ともつかないその形は、見るだけで嫌な予感を呼び起こす。

 

『あの大きさ……例の散布兵器か』

 

 虎瀬提督の声音は低く、そして怒気を含んでいた。

 

 それは、深海棲艦が飛ばした赤界粒子散布兵器──空を赤く染め、艦娘と提督適性者以外の生存を許さない、死の領域である赤界を生み出す無人の巨体だった。

 

『あれのせいで、貴様を起こす羽目になった』

 

 吐き捨てるように言って、虎瀬提督は額に手を当てる。

 

『これまでは、シールドを展開して俺たちの目から隠れていたはずだ。それがいまはどうだ……あんな堂々と姿を晒しながら、赤界粒子を撒き散らしている』

 

 高度八千メートル──この高度ならまだ赤界の端には届かない。

 けれどいずれそれは下へ、さらに世界全体へと広がっていく。

 

 じわじわと、確実に。

 

『このままいけば、いずれ世界そのものが赤界に呑まれる……わかりきったことだがな』

 

 虎瀬提督は背を向け、コクピットの後方の壁に手を置いたまま、かすかに声を落とした。

 

『どれだけいるかは知らんが、作戦が成功したら……アレはお前が墜とせ』

 

 淡々とした言葉。

 命令とも、願いともつかない声音だった。

 

 僕は短くうなずいた。

 言葉は要らない。

 

 理解していた、既にその覚悟はある。

 

 散布兵器は進路を変え、こちらとは逆の空へと離れていく。

 

 飛行艇はふたたび、静かな空を滑っていた。

 ハワイ──敵の本拠地までは、なお半日近くかかる。

 

 けれど、確かに。

 そのときは近づいていた。

 

 窓の外、雲の切れ間からのぞく空が、朝日と赤界のせいで静かに赤く染まり始めていた。

 

 

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 目を覚ましたら、部屋の中がひんやりしていて、どこか遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。

 窓から差し込む光はやわらかくて、朝だってすぐにわかった。

 

 昨日、日向師匠にお願いしたこと──

 あの飛行機に乗せてください、ってお願いは、ちゃんと聞いてもらえた。

 

 でも、すぐに「よし、乗せてやろう」ってわけじゃなかった。

 

『瑞雲に乗りたいなら、まずは身体を鍛えろ。それから知識を詰めろ。それと、整備も手伝え。それが条件だ』

 

 日向師匠は、そう言った。

 しかも、ちょっと怖い顔で。

 

 それからの毎日、僕は走った。

 朝早く起きて、村の周りをぐるぐる走った。

 

 あとは日向さんに教えてもらった、首を鍛える変な運動もやった。

 ぐるぐる首を回したり、ゴムみたいなので引っ張ったりして、なんだか目が回ることもあった。

 

 お昼ごろになると、飛龍さんが飛行機のことを教えてくれた。

 

 空を飛ぶしくみとか、飛行機の翼の名前や役割とか、僕にはむずかしいことばっかりだったけど。

 飛龍さんは、たもんまるという人のことを交えながら、面白おかしく教えてくれて、ちょっと楽しかった。

 

 ときどき、赤城さんとか加賀さん、瑞鶴さんに翔鶴さん、そして蒼ねえちゃんも来てくれた。

 そしてみんなにも手伝ってもらい、色々と教えてもらう。

 

 赤城さんは天気のこと、翔鶴さんは風の読み方、加賀さんは高い場所の空気や気温のこと。

 そして蒼ねえちゃんには、飛行機の歴史や、自分が使える艦載機、そして外国の艦載機のこと。

 あと瑞鶴さんは「サボっちゃだめだからね!」ってめげそうになったら励ましてくれた。

 

 15時くらいになると、日向師匠のガレージへ行って、整備を手伝う。

 

 レンチとかドライバーとか、名前も知らない道具がいっぱいあって、最初はなにがなんだかわからなかった。

 でも、日向師匠は少しずつ、この部品はこういう役目があって、このワイヤーは、こういう動きをするために必要なんだってことを、ちゃんと教えてくれた。

 

 そうやって過ごす毎日は、けっこう大変で、いつも晩御飯の前にはへとへとだった。

 でも……忙しいぶんだけ、僕は、おばあちゃんのことを考えずにすんだ。

 

 すっごく悲しいはずなのに、トレーニングやみんなと一緒に勉強する時間とか、飛行機のことを覚えるのに夢中になってると、少しだけその悲しみを忘れられた。

 

 なんとなく、火野さんのアドバイスのとおりだなと思う。

 

 誰かといる時間とか、一生けんめいやることって、心の中の痛いところを、ちょっとだけやわらかくしてくれるんだ──そんな気がした。

 

 

 

 ある晩のことだった。

 

 眠れなくて、ひとりで庭に出た。

 風が静かで、虫の声が遠くから聞こえてくる。

 

 空を見上げると、星がちらちらと光っていた。

 

 僕は、ずっと忙しくしてた。

 走ったり、飛行機のことを覚えたり、整備をしたり……だから、考えるヒマもなかった。

 

 でも、その夜は、なぜか急に、胸の奥がぎゅっとなった。

 おばあちゃんのことを思い出して、どうしようもなくなった。

 

 涙がこぼれそうだったけど、空を見上げてこらえる。

 そしてふと大鳳さんにバレるかもしれないって思って、急いで目をこすった。

 

 案の定、すぐ後ろから気配。

 大鳳さんが、黙ってそこに立ってるのがわかった。

 

 僕は、まだちょっと鼻声になりそうなのをこらえながら、そっぽを向いて聞いた。

 

「……なんで、いつもついてくるの?」

 

 それは、何度も聞いたことだった。

 けど、大鳳さんはいままで一度も答えてくれなかった。

 

 ただ無言で、近くにいるだけ。

 

 だけど、その夜だけは違った。

 

「……魂がそう覚えているから」

 

 大鳳さんは、そう言った。

 

 僕の頭の中に、ふっと前世の大鳳さんの姿がよぎる。

 彼女が、僕の隣にいたあの光景が、夢じゃなく、本当にあったように思えた。

 

「……そう」

 

 僕は短く答える。

 

「昔の君も、そんな感じだったよ。理由とか、ちゃんとは聞いたことないけど、いつもそばにいてくれた」

 

 大鳳さんはしばらく黙って、それからぽつりと聞いてきた。

 

「……昔って?」

 

 僕はちょっと戸惑いながらも、その質問に答える。

 

「最近……夢を見るんだ。昔、前の世界で、戦争をしてたころの夢。もしかしたら、僕の前世の記憶なのかもしれない」

 

 大鳳さんは、また少し考えるように黙ってた。

 でも、やがてぽつりと言った。

 

「……私も。あなたに会ってから、よく、私じゃない私の夢を見るの」

 

 その声は、いつもより少しだけ震えていた。

 

「私は……ずっと、眠ってる誰かを見てた。来る日も来る日も、その人が目を覚ますのを待ってた。今日は起きるかな、明日はどうかなって……何十年も、ずっとずっと……」

 

 僕は、それを聞いて少しだけ笑った。

 ほんのちょっとだけ。

 

「いまと、変わらないね」

 

 少し皮肉っぽく言ったつもりだったけど、本当はちょっとだけ、照れてたのかもしれない。

 

 大鳳さんは僕の肩を、ぽかりと軽く叩いた。

 

「いてっ……」

 

 僕はちょっとだけ痛そうなふりをして言った。

 

「優しくしてよ。僕は若いから打たれ弱いんだ」

 

 そう言ったら、大鳳さんはもう一度、ぽかりと軽く叩いてきた。

 さっきより、ちょっとだけやさしい手だった。

 

 夜空には、星が変わらず光っていた。

 

 少しだけ心があったかくなった気がして、僕はまた空を見上げた。

 

 

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 作戦領域に着いたとき、僕は機体の観測窓から外を見下ろしていた。

 

 海が燃えてる。

 

 あちこちで火があがって、黒い煙が空までのぼっていた。

 敵も味方も、ぐちゃぐちゃに入り交じっていて、どこを見ても弾と光で埋め尽くされてる。

 

 その真ん中で、ひときわ目立つ大きな構造物があった。

 

 メガロフロート、上堂薗提督の海上移動基地。

 

 その巨大さのせいか、海と空から、沢山の深海棲艦に集中砲火を浴びている。

 とくに攻撃を加えている深海棲艦の艦載機の数は、空を埋め尽くすほど。

 

 だというのに、まるで当然のように浮かんでいて、その異様さが目立っていた。

 

『上堂薗の海上基地はまだ落ちてないかッ!?』

 

 コクピットの司令席に立つ虎瀬提督の声が怒鳴り響いた。

 前に座っていた観測員の艦娘が、すぐに答える。

 

『無事です! 多数の敵に激しい攻撃をうけ劣勢なれど、いまだ健在!』

 

 そう伝える彼女の声は、喜びを抑えられないと言ったものだった。

 

『よしッ!!』

 

 虎瀬提督が笑った。

 その笑い方が、どこか壊れた人みたいで、僕は少しだけ背筋がぞわっとする。

 

 そして彼は、僕を見た。

 

 なにも言わない。

 ただ、じっと目を見てきた。

 

 その意味がすぐにわかった。

 僕は無言でうなずいて、後部ハッチへ走る。

 

 後ろの艦載デッキに行くと、そこには大鳳さんが待機していた。

 

 水を張ったような機内の浅いプールで、彼女は静かに立っている。

 非常灯らしき赤い光の反射で、艤装が淡くきらめいていた。

 

『出撃だ、大鳳』

 

 僕は、できるだけ落ち着いた声で言った。

 胸の奥が、少しだけぎゅっとなる。

 

 彼女はまっすぐ僕を見て、いつものように少しだけ笑った。

 

『了解です提督、あなたに……勝利を!』

 

 その瞬間、大鳳さんの艤装が作動して、足元の水が跳ねた。

 機体がガクンと揺れる。

 

 まるで、飛行艇の背中に巨大ななにかが乗ったような感覚。

 

 だけど、すぐに傾きが戻って、飛行艇は落ち着きを取り戻した。

 

 後部ハッチが、ゆっくりと開いていく。

 鉄の音が低く響いて、前方の視界が広がる。

 

 だけど外は──もう、空じゃなかった。

 

 敵の艦載機が、数えきれないほど飛び回っていて、まるでノイズだらけの画面のよう。

 その中の敵機の一部が、僕たちの飛行艇に気づき、まっすぐこっちに向かってくる。

 

 でも、大鳳さんは眉ひとつ動かさなかった。

 目だけが、真っすぐ前を見ていた。

 

 そして、叫ぶ。

 

『さぁ、やるわ! 第六〇一航空隊、発艦始め!』

 

 その声は、混濁した空に風のように響き渡り、赤い世界を裂くように広がる。

 

 大鳳さんの艤装──それは巨大なボウガンだった。

 いや、本物のボウガンよりもどこか神秘的で、光をまとうような艶がある。

 

 そのボウガンが、きらりと鋭く光る。

 

 直後、空気が震えた。

 

 ズババババッと、ボウガンから一斉に銀の軌跡が走る。

 それは爆発音にも似た、耳の奥を殴るような発艦音。

 

 矢の形から戦闘機に変形した烈風が、空に放たれていく。

 

 一機、二機、五機、十機……止まらない。

 止まるどころか、どんどん加速していく。

 

 それはもはや、戦闘機の射出というより、空へ矢を放つ神話の武器みたいだった。

 

 大鳳さんのボウガンから飛び立ったのは、僕の数えた限りで──約八十機。

 その数は、さすが正規空母といえる機数。

 

 でも、敵はそれ以上にいた。

 

 雲の下から、わらわらと黒い影がわいてくる。

 それも、数え切れないくらい。

 

 ざっと見て千か二千か……いや、遥かにその数を超えてると思う。

 

 赤く光る目、鈍くきらめく翼、異様な形の機体。

 全部、深海棲艦の艦載機。

 

 十倍以上の数、普通に考えて勝てるはずがない。

 

 思わず、僕は手すりを握りしめていた。

 手のひらに汗がにじむ、息が浅くなる。

 

 そんな僕の様子に気づいたのか、大鳳さんが振り向く。

 彼女はいつものように、まっすぐ僕を見つめて言った。

 

『提督。あなたに勝利をって言ったでしょう? 負けないわ!』

 

 その瞬間だった。

 

 彼女から撃ち出された戦闘機たちが、一瞬、ちらつくように揺れた。

 風の加減かと思ったけど、違う。

 

 まるで……分裂したみたいだった。

 

 目の前で、発艦した八十機が、何かの術でも使ったように、数を膨れ上がらせた。

 いや、正確に言えば──数が「重なって見えていた」ものが、重なりを解いた、みたいな感覚。

 

 気づけば、空には八百機近い味方の戦闘機がいた。

 

 しかもそれらの全てが、敵よりも高い位置にいる。

 

 その意味は、空戦を知っていればすぐにわかる。

 高度を取った側が、圧倒的に有利。

 

 戦闘が始まった。

 

 敵の艦載機たちは慌てて散開し、上を取ろうと機体を旋回させる。

 だけど、こちらの戦闘機の方が早かった。

 

 音もなく、翼を畳んだような滑空姿勢で一気に高度を落とし、敵編隊に突っ込む。

 

 

 ──空が破裂した。

 

 

 爆風が次々と生まれ、炎が花のようにひらいていく。

 

 ぱっと目についた一機が、斜め下に突っ込むのが見えた。

 それはまるで獲物にかぶりつく猛禽みたいに、敵の機体を一掃射で破壊する。

 

 機銃の火線が細く、鋭く、まるで光の糸みたいに空に編みこまれていく。

 それに触れた敵機は、火花を散らしてバラバラに砕けていく。

 

 そしてそれは一機や二機じゃない。

 

 まるで練度の極みに達した騎馬隊のように、八百の戦闘機がそれぞれの敵を捉え、逃さず、確実に墜としていく。

 深海棲艦の艦載機たちは混乱し、方向を見失い、互いにぶつかって墜ちる機体さえあった。

 

 それは、空の制圧というより──空の「浄化」だった。

 

 ほんの十数分ほどで、空域から敵の影が消える。

 いつのまにか空は、広く、味方の飛行機だけが飛ぶ空間になっていた。

 

 僕は、ただ見ていた。

 呆然と──というより、心の奥がしびれるような感覚で。

 

 大鳳さんは、僕に背中を向けたまま少しこっちに顔を向け、そっと口元だけを緩める。

 その笑みは、静かで、でもなぜか泣きたくなるほど綺麗だった。

 

 

『制空、確保ッ!!』

 

 

 大鳳さんの声が、空の向こうまで突き抜ける。

 それは空を統べる女王の宣言のようだった。

 

 そしてその一言が、僕になにをすべきかを教えてくれた。

 

 僕は駆け出す。

 機内を駆け抜けて、コクピットに陣取っている虎瀬提督の元へ。

 

『制空確保!!』

 

 息を切らせながら叫ぶと、虎瀬提督は片目を細めて笑った。

 口元に、いつもとは少し違う、ちょっと悪戯っぽい笑み。

 

『よくやった。あとは──任せろ』

 

 そう言って、彼はコクピットの通信機をがしっと握ると、マイクに声を叩き込んだ。

 

『──喜べ! スカイキャプテンが空を開いた!』

 

 その瞬間、機内の空気がビリッと震えた気がした。

 彼の声は、機械越しだというのに、熱を持っていた。

 

『ここから先は俺たちの仕事だ──呉水雷戦隊、総員降下ッ!!』

 

 その命令が機内に響き渡ると、重たい空気が一気に動き出した。

 

 金属音、艦娘たちの戦闘準備の掛け声、駆け出す振動。

 それが一斉に機内に響き渡る。

 

 コクピットにいた艦娘たちも、全て。

 僕の目の前を次々と走り抜けていく。

 

 呉の水雷戦隊──世界最強と名高い、艦娘の精鋭戦闘艦隊。

 

 中でも、ひときわ目を引いたのは──虎瀬提督の秘書艦である不知火さん。

 

 虎瀬提督のそばを離れ、無言で降下口へ向かう彼女の背中からは、無駄な感情がすべて削ぎ落とされていた。

 鋼鉄の冷気すら感じさせるほどの沈着さ。

 

 でも、知っている。

 

 あの背中が、どれほど多くの戦場を見てきたかを。

 建造から、すでに半世紀近く。

 

 常に最前線を生き抜いてきた、生ける伝説のような存在の一人。

 

『──降下開始』

 

 無線越しに、不知火さんの静かな声が響いた。

 

 機体の底と後部ハッチが開く。

 そこから次々と、数百の艦娘たちが空へ落ちていく。

 

 ひゅう、と風を切る音が、開いた後部ハッチの向こうからかすかに聞こえてくる。

 

 パラシュートが一斉に展開されていくのが見えた。

 空中にぽっと白い花が咲いたように、艦娘たちが空に散らばっていく。

 

 しかし、それもほんの一瞬の光景だった。

 

 艤装の展開と同時に、次々とパラシュートが切り離された。

 そして彼女たちは海面へと一気に着水していく。

 

 飛行艇の観測窓から見下ろすと、海面が激しく泡立っていくのが見えた。

 

 バシャァン、バシャァン──

 

 着水音が機体の中にまで届いてくるような錯覚を覚える。

 そのリズムが、まるで戦場の心臓の鼓動みたいだった。

 

 そして、彼女たちはすぐに動き出す。

 

 遠目にも、海面下から黒々とした影がいくつも浮かび上がってくるのが見えた。

 

 深海棲艦だ。

 棘山のような艤装をむき出しにしながら、艦娘たちに向かってくる。

 

 だけど、彼女たちは怯まない。

 

 むしろそれを迎え撃つように、編隊を保ったまま加速していく。

 彼女たちの中心──先頭には、不知火さんらしき艦娘の姿があった。

 

 先行した艦娘たちが、砲門を敵に向ける。

 

 次の瞬間、赤白い閃光。

 間髪容れず、続く艦娘たちの主砲も火を噴いた。

 

 海面と深海棲艦がはじけるように爆ぜ、あちこちに白い飛沫と爆炎が上がる。

 

 轟音は届かない。

 けれどその衝撃は、はるか上空にいるこの飛行艇にさえ届いてくる気がした。

 

 空が開かれ、海が燃え、水雷戦隊が進んでいく。

 

 僕はその光景を、ただただ、見下ろしていた。

 

 

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 夢を見ていた。

 

 降下する艦娘たち、火花のように咲く砲撃、水柱、進軍の航跡。

 それが、過去なのか、ただの幻なのか、もう僕には判別できなかった。

 

 目が覚めると、障子の隙間から薄い朝光が差し込んでいた。

 

 しばらく布団の中でじっとしていると、夢の断片が少しずつ輪郭を帯びてよみがえってくる。

 空の匂い、海の音、艦娘たちの気迫。

 

 現実と非現実の境界が、少しだけ揺らいでいた。

 

「……また、あの夢か」

 

 あれが前世の記憶なのか、ただの記憶が作り出した幻なのか。

 わからないまま、それでも僕は体を起こした。

 

 正直、もう夢はどうでもよかった。

 それよりも大事なことがあるから。

 

 ──明日は、空へ行く日だ。

 

 長く準備してきたその計画は、ついに明日、本格的に動き出す。

 僕は日向さんのところに行き、何度も手順を確認したり、機体の最終チェックを手伝う。

 

 空に行くため、そしておばあちゃんとの約束のために。

 

 その夜、大叔父さんの家に来客があった。

 

 囲炉裏の火が、ぱちぱちと小さく鳴っている。

 その周りには大叔父さんと大叔母さん、日向師匠。

 そして僕の艦娘さんたちが膝を折って座っていた。

 

 赤城さん、加賀さん、飛龍さん、瑞鶴さん、翔鶴さんに、蒼ねえちゃん。

 そして……大鳳さん。

 

「明日、観艦式に出るんです」

 

 一番に口を開いたのは翔鶴さんだった。

 

「ほら、正規空母っていえば私たちってところがあるじゃない? ……だから出ないわけには、いかなくってね~」

 

 瑞鶴さんが笑いながら言う。

 

「そうですか。頑張ってください」

 

 僕は静かに答えた。

 彼女たちはたぶん、“見に来て”と言いたかったのだろう。

 

 でも、それは言葉にはならなかった。

 僕には、明日やるべきことがあるからだ。

 

 その沈黙をやわらげるように、加賀さんが囲炉裏の向かいに座る日向さんに目を向けた。

 

「どうして、明日なのですか……別の日でもよかったのでは?」

 

 日向さんは、囲炉裏の炎を見つめたまま、少し口元をゆるめた。

 

「直感だよ」

 

「直感?」

 

 蒼ねえちゃんが問い返す。

 

「ああ。私は昔から、そういうふうに生きてきた。なんとなく、こっちがいいって感じて動く。理由なんて、後からついてくるものだ」

 

 大叔父さんが、炭をひとつ火にくべた。

 ぱち、と軽く爆ぜる音が響く。

 

「それで失敗したこともあるが……まあ、いい出会いもあった。それにやるべきことも出来た。だから、私はそれを信じている」

 

 日向さんの声は穏やかだったが、不思議な説得力があった。

 まるで、どこかの神社で託宣を受けてきた巫女のように。

 

「今回も、“その日”が明日なのだと、私の中のなにかが強く告げているんだ。だから、他の日じゃだめなのさ」

 

 誰も、もうなにも言わなかった。

 理由も根拠もないその言葉に、不思議と誰もが納得していた。

 

「……なんだか、そういうのって、日向さんらしいね」

 

 飛龍さんが静かに笑った。

 

 囲炉裏の火は、くゆるように天井へ煙をのぼらせていた。

 その夜、僕たちは多くを語らなかった。

 

 でも、皆どこかでわかっていた。

 

 明日は、それぞれの場所で、それぞれの空へ──

 誰もが、自分の役目を果たす日になるのだと。

 

 

 

 僕は布団に入った。

 隣には、同じ布団にくるまった大鳳さんがいる。

 

 火の落ち着いた囲炉裏では、まだ残ったみんなのが小声で話をしていた。

 

 そのやりとりが、襖の向こうからぼんやりと耳に届いてくる。

 薪がときおりはぜる音に混じって、誰かのため息のような声が揺れていた。

 

「……提督の様子は、どうですか?」

 

 誰かがそう尋ねる。

 声の主は加賀さんだったろうか。

 

 少し間を置いて、大叔父さんの低い声。

 

「来た頃よりは、ようなった。けど……時折、まるで沈んでしまいそうになる。あれは、わしには、どうしてやることもできん」

 

 囲炉裏の炎が、また小さく、ぱち、と音を立てた。

 

「提督のお気持ちは……想像できません。さぞ、おつらいだろうと……」

 

 翔鶴さんが言う。

 僕は目を閉じたまま、その言葉に心の中でそっと答えた。

 

 ──つらかったよ。いまでも、つらい。

 

 それは、たぶん誰にも言えない。

 でも、どこかで誰かが、代わりにそう言ってくれるのが、少しだけ救いだった。

 

 話は、おばあちゃんのことに移っていた。

 大叔父さんが語る声が、ふと懐かしさを帯びる。

 

「……姉さんの話をすると、あの子は不思議と、あの歳とは思えんような顔をするんじゃ。真剣に、言葉を逃さず聞いててな。まるで……一言一句逃さず刻み込むように……」

 

 囲炉裏の向こうから、加賀さんの静かな声が聞こえた。

 

「大切な人を亡くしたとき、大抵の人は……思い出を残したがるものです。たとえ痛みがあっても、無いよりは……いいですから」

 

 瑞鶴さんが続けた。

 

「提督さんはきっと、おばあさまとの思い出を、いま必死に集めてるんだと思う。前に進むために。……あの子、あんなに幼いのに、すごく……強いし、賢いから」

 

 その言葉が、胸の奥に染みてくる。

 

 おばあちゃんがいなくなってから、僕はずっと祈っていた。

 毎日、奇跡が起きないかなって、そう思っていた。

 

 でも、ときがたつにつれて、わかってしまった。

 

 祈っても、戻ってこないって。

 奇跡なんて起きないんだって。

 

 だから、僕は決めたんだ。

 

 この悲しみが、いつ終わるかはわからないけど……。

 それでも、おばあちゃんとした約束は、ちゃんと守ろうって。

 

「話す相手がいないと、記憶って……薄れていくんです。だからまた、話してあげてください。おばあさまのこと、提督の前で」

 

 赤城さんの声。

 

「……ああ、わしもそうしたいと思っとる」

 

 大叔父さんの声は、少しだけ掠れていた。

 その頃には、火の音さえ遠くなっていた。

 

 大鳳さんがするりと布団に潜り込んできた。

 

 その息が、頬の近くにふわりとかかる。

 そして、かすれるような声で尋ねた。

 

「……話す?」

 

 僕は答えなかった。

 ただ、そっと背中を向けて、目を閉じた。

 

 なにも言わずにいた。

 けれどその沈黙が、大鳳さんには伝わっている気がした。

 

 だから、僕はそれでよかった。

 

 

 

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 特殊大型飛行艇〈オオトリ〉は、作戦空域の端を旋回していた。

 

 海上基地への着陸も検討されたけど、まだ着陸できるほどの安全が、完全に確保できていない。

 そのため、上空で待機中だった。

 

 機体の観測窓から見下ろした海面は、赤黒く濁り、黒煙が漂っている。

 深海棲艦とこちらの艦隊は、互いに一歩も引かず、砲火の応酬を繰り返していた。

 

 虎瀬提督が歯噛みするように呟いた。

 

『……膠着状態だ。空は抑えてるが、数が違いすぎる。なにかの拍子で、すぐに崩れるぞ』

 

 そのときだった。

 操縦席の島提督から怒鳴り声が上がる。

 

『南南西の高高度より、正体不明の巨大飛行物体が接近!』

 

 切迫した声、僕の心臓が、ひときわ強く打つ。

 南南西を見ると、空を裂いて、巨大な影が近づいてくる。

 

『……例の忌々しい赤界粒子の巨大散布兵器か。だがあの機動だと墜落する──』

 

 音もなく滑空するその巨大な物体は、ゆっくりと高度を下げていた。

 それは、その巨体そのものをなにかにぶつけようとする機動。

 

 そして、その進路を確かめた虎瀬提督の顔が、蒼白になる。

 

『クソッ!! 狙いは上堂薗の海上移動基地だッ!!』

 

 沈黙が一瞬、艦内を包んだ。

 

『あそこがやられたら、この戦域はもう持たん……いや、作戦そのものが破綻する』

 

 虎瀬提督は、即座に無線で散布兵器に近い場所にいた、指揮下の艦娘たちに迎撃を命じた。

 

 だけど──

 

『効かない……装甲が分厚すぎる……本当に航空兵器か!?』

 

 艦娘の高射砲から放たれた砲弾が何発も当たったけど、散布兵器はびくともしない。

 さらに上堂薗提督側の空母が放った艦載機の攻撃も、まったく効いていなかった。

 

 焦りと絶望が入り混じる中、虎瀬提督は奥歯を噛み締め、そして……決断した。

 

『このオオトリを奴にぶつける。機体を捨ててでも止めるしかない』

 

 どよめきが機内に走る。

 

『待ってください!』

 

 声を張ったのは、大鳳さん。

 彼女は、虎瀬提督の前に進み出て言った。

 

『もう一度私が艦載機を飛ばします! 一斉にかかればたとえあの巨体だろうと──』

 

『オオトリはもう一度あれに耐えられん。次お前の艤装を展開すれば、機体が崩壊する』

 

 事実を伝える、冷たい声。

 

 妖精さんや明石さんの技術で作られたこの機体でも、1~2回の展開がギリギリ。

 そして計器をチェックした結果、次は無理らしかった。

 

 大鳳さんはそれを聞いて、食い下がる様子を見せず口を開く。

 

『なら私が行きます。あの散布兵器の上に飛び乗って、艤装を展開します。展開状態の重量であれば、あれを海に叩き落とせるはずです!』

 

 提案は過激だったが、可能性はあるように思えた。

 虎瀬提督が唸るように返答する。

 

『だが、飛び乗る精度が読めん。この飛行艇に残った艦娘は貴様だけ……ならば、この機体を奴にぶつけたあとに、貴様が艤装を展開したほうが確率が高い』

 

 大鳳さんはかぶりを振った。

 

『それでは……私の提督を巻き込んでしまいます。それはできません』

 

 その言葉に、僕は彼女の名を呼んだ。

 

『……大鳳』

 

 彼女は振り返る。目に宿る光が、震えていた。

 

『やってくれ。……君にしかできない』

 

『でも……あなたが……』

 

『君に託すよ。これが、僕の……最後の命令だ』

 

 その一言に、大鳳さんはしばらく動けずにいた。

 

『ですがッ!!』

 

『なんとかしますよ、ぶつけるんじゃなく、あのデカブツの上に着陸したらいいんでしょ?』

 

 操縦桿を握る島提督が、なんでもないようにそう言った。

 その言葉に戸惑う様子の大鳳さんの目を見つめ、僕はもう一度告げる。

 

『やるんだ、大鳳』

 

 大鳳さんは目を見開いて息を止める。

 そしてしばらくしてから深く息を吸い、そして一礼するように頭を垂れた。

 

『……了解しました』

 

 その背が、艤装展開区画へと駆けていくのを見送る。

 そして、オオトリの機体が静かに旋回を始めた。

 

 巨大な機体が唸りを上げながら急上昇していく。

 エンジンは金属を噛み砕くような咆哮を発し、外殻が低く唸っていた。

 

 視界の端で、外装が熱と圧力で微かにきしんでいるのがわかる。

 

 僕は近くの手すりに両腕を回し、牙を食いしばって体を支えた。

 

 何人かいたほかの提督たちも、床に膝をついて身体を壁に押しつけている。

 それでも振動の波は容赦なく襲いかかり、彼らの体を小刻みに揺さぶっていた。

 

『最大加速……あと四十秒で接近限界です!』

 

 島提督の声が響く。

 

 操縦桿を握るその指は白くなっていた。

 彼の額に浮かぶ汗が落ちるが、拭う余裕はない。

 

『いけるか……この角度、この速度なら……!』

 

 大型散布兵器は、進行方向少し先の下方に、その巨体を晒していた。

 空を切り裂くように降下しながら、赤い粒子をまき散らしつつ、海上基地その一点に向かって滑るように進んでいる。

 

『これを逃せば……終わりだ』

 

 虎瀬提督が唇を噛んだ。

 彼の視線の先、海上に浮かぶのは上堂薗提督の移動基地。

 

 その狙いを阻むため、オオトリはまっすぐに散布兵器の背を追っていた。

 

 だが相手もただの的ではない。

 奇妙な機動で、意図的にこちらをかく乱してくる。

 

『こいつ……避けてやがるか……!?』

 

 島提督が絞り出すように声を漏らす。

 

『だが機動に癖があるな……パターンに入ったら……──ここだッ!』

 

 次の瞬間、島提督の手が滑らかに動いた。

 

 急制動と散布兵器への接近に反応して、警報が作動する。

 艦内に警告音が鳴り響いた。

 

『全員、衝撃に備えろッ!』

 

 誰かの叫び声。

 瞬間、機体が突如として鋭く沈み、重力が一気に身体にのしかかった。

 

 機内に衝撃と金属同士が軋む音が反響する。

 全身を縫うような緊張が一気に走った。

 

『いけ……っ!!』

 

 急角度で降下していたオオトリが、ぎりぎりのタイミングでエアブレーキをかける。

 

 ドンッッ!!

 

 空間が上下に震え、全員が床から跳ねた。

 しかし、機体は崩壊しない。

 

 オオトリはかろうじて散布兵器の背に引っかかるようにして着艦した。

 

 島提督は操縦桿を握ったまま、動かない。

 まるでそこだけ時間が止まったかのような姿勢だった。

 

『……着陸、完了』

 

 島提督の絞り出すような声、誰かが息を呑む音がした。

 僕はあわてて、大鳳さんのところへと向かう。

 

『大鳳!』

 

『準備、できてます……艤装──展開ッ!!』

 

 その声は澄んでいた。

 

 淡い光がほとばしる。

 その光が一つに収束し、艤装が展開され、鋼鉄の重量が彼女の身体に集まっていく。

 

 そのまま、機体が音より早く沈み込む。

 

 ──34,200トンの重さが、散布兵器にのしかかる。

 

 オオトリの機体が、悲鳴のような金属音を上げた。

 二度目の艤装展開の重さに耐えきれず、内部構造が崩れ、装甲が裂ける。

 

 機体は歪み、僕は慌てて近くの手すりにしがみつく。

 

 大鳳さんの脚下の機体部分が裂け、彼女の身体が散布兵器の上部に突き刺さる。

 それがよほど痛かったのか、赤界粒子を撒く巨影は咆哮を上げ、海に墜ち始めた。

 

 特殊大型飛行艇と、正規空母一隻の超重量。

 

 その全てを背に、赤黒い海へ──まるで運命を呑み込まれるように。

 

 

 




 
次の話(後編)に続きます。

※虎瀬提督の息子については、また別の話のメインで書く予定です。
 
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