ナリタでの過酷な戦いを終え、トウキョウの総督府へと帰還したスザクは罵詈雑言が待っているとばかり思っていたが…思ったよりも遥かに少なかった。コーネリアやダールトンの部下の水準が高いからこそ、無駄な罵倒などはしないというだけなのだが。
罵倒がないからこそ、ランスロットの機体損傷チェックと補給命令を終え、重い足取りで薄暗い廊下を歩くスザクの胸中に渦巻いていたのは、猛烈な葛藤と苛立ちだった。
ゼロの手によって引き起こされた地滑り、犠牲になった無数の命、そして何より——自分自身が戦場で何も成し遂げられず、あの赤いナイトメアの機体に完敗を喫したという惨めな事実。
「…くそっ」
自分が目指す「正しい方法での変革」は、ただの青臭い理想に過ぎないのだろうか。拳を強く握り締め、己の無力さに歯噛みしていたその時。
「どうした?枢木スザク。随分と思い悩んでいるな」
最も会いたくない男が前方から近づいてきた。
「ヴァインベルグ卿…」
ブリタニアから派遣されてきたナイト・オブ・スリー、シン・ヒュウガ・ヴァインベルグ。肩書きだけを見れば誰もが憧れる騎士の中の騎士。
だが、その男から感じるのは、立ち込める硝煙の匂いと、生物として本能的な恐怖を覚えるほどの刺すような死の気配。
上官にも関わらず、スザクはその瞳に敵愾心を募らせる。ナリタの戦場を文字通り灰燼に帰し、自軍の仲間の命すらゴミのように投げ捨ててみせた男。
そして、何より、シャーリーの父親を、無関係な人々を殺した張本人。
胃の奥から激しい吐き気と憎悪が競り上がってくるのを、スザクは歯を喰いしばって必死に押し殺し、頭を下げる。
敵であるゼロですら、無関係なブリタニアの人たちを殺さないように気を配っていたというのに、この男は躊躇なく巻き込んだのだ。
だが、隠したつもりでも、そんなスザクの心中を見透かしたシンはオモチャを見つけた子供のように内心で面白がると、薄く笑いながらスザクに語りかける。
「ナリタの戦果報告書を目にしたよ。あの赤いナイトメアに敗れたとはいえ、君の技量は相当なものだ」
「…ありがとうございます」
地形を利用した紅蓮に敗れたとはいえ、スザクの技量は見るものが見れば、すぐに判明する。これは嫌味でも何でもなく、心からのシンの言葉だった。
だが、褒められたにも関わらず、スザクの心には全く喜びの感情が浮かばない。喜びよりも嫌悪の感情が圧倒的に上回っていた。
そんなスザクの心中を知ってか知らずか、シンは言葉を続ける
「しかし、解せないな。そこまでの実力がある君が随分と熱心に、土砂に埋もれた市民の救助に奔走していたことは」
「救援隊の指示に従い、人道的な処置を行ったまでです」
コーネリアの指示により、ユーフェミアが主体となって、ナリタでは、かなり大掛かりな救援活動が実施されていた。もちろん、これは、黒の騎士団の暴挙によって犠牲になった市民をブリタニア側が助けるというプロパガンダでもあったのだが、命を助けられるのであれば、どんな理由があっても構わないと考えていたスザクにとってはどうでも良いことだった。
「何、随分と無駄なことに時間を費やすと思ってな」
反射的にスザクの瞳に怒りが灯るが、なけなしの理性で必死に押し留める。
「…誰かを助ける行為が無駄と仰られるのですか」
「ああ。もちろん、コーネリア殿下の考え通り、ブリタニアの正義を見せるためのプロパガンダとしてであれば、無駄ではない。だが、明らかに君の行為はそれではない。だから、無駄と言ったのだ」
「仰っている意味がわかりません」
「わかりやすく言ってやろうか?君が汗を流して掘り起こした命の半分以上は、搬送途中で息を引き取ったそうだ。瓦礫の隙間から這い出そうと足掻き、苦痛に顔を歪ませながら、結局は泥を吐いて死んでいった。君の差し伸べた手は、彼らにほんの少しの延命と、より長い絶望を与えただけだったというわけだ」
スザクの息が止まる。シンは美しい仕草でスザクの肩に手を置いた。
「命とは尊いものだよ、枢木スザク。だからこそ…苦痛の中で足掻かせるのは酷いことだとは思わないか? 最初から一瞬で、苦しみも無く終わらせてやるのが慈悲というものだ。君の行為はただの自己満足だよ」
「…貴方がそれを仰るのですか…」
スザクの全身が細かく震え始める。命を救おうとした行為を無意味と言うのか。それも、あの惨劇を引き起こした張本人が。
「私は本当の救済の話をしているんだよ、枢木スザク。死こそが等しく訪れる唯一の平穏だ。彼らは泥の中でもがき続ける苦しみから解放された。君やユーフェミア副総督が中途半端に生かそうとしたから、余計な苦痛を味わったのだ」
「黙れ!」
スザクの理性のタガが飛んだ。スザクの手は反射で腰の剣の柄を握り締め、そのまま振り抜いた刃がシンへと向かう。
だが、シンは笑みを浮かべながらその剣を自身の剣で受け止める。スザクの瞳には明確な殺意が宿っていたが、対するシンの瞳には愉悦だけが浮かんでいた。
厳かな雰囲気の総督府は一瞬にして戦場の様相を呈した。数合打ち合った後に距離を取った両者が再び距離を詰めんと踏み込もうとした瞬間に怒号が鳴り響く。
「そこまでだ、枢木スザク少尉!」
大声とともに割り込んだのは、コーネリアの側近であるギルフォードであった。
ギルフォードは即座にスザクの手首を掴み、強引に刃を鞘へと戻させる。
「総督府内での私闘、ましてやラウンズに対する刃傷沙汰など断じて許されん! 控えよ!」
「ギルフォード卿! しかし、この男は!」
「慎め! 貴官の行動は軍規違反にとどまらず、即刻不敬罪に問われる代物だぞ!」
ギルフォードの厳しい一閃に、スザクはハッと息を呑んだ。
胸を上下させ、殺意に満ちた眼差しでシンを睨みつける。だが、シンは顔色一つ変えず、乱れた装束を上品に整えると、ギルフォードに向かって優雅に一礼してみせた。
「いや、構いませんよ、ギルフォード卿。ナリタでの過酷な任務で、少尉も少々神経が過敏になっているのでしょう。若き騎士の情熱に免じて、私からも不問にしていただきたい」
そう言うとシンは一礼して、その場を去ろうとする。だが、去り際、シンはスザクの耳元に微かな囁きを残していった。
「良い目だ、枢木スザク。…理想に押し潰されるその日まで、精々その綺麗な芽を育てるといい」
影のように去っていく背中を、スザクは固い拳を握り締めながら睨み続けるが、そんなスザクに怒るでもなく、ギルフォードは言葉を投げかける。
「落ち着け、枢木スザク少尉。アレは貴様の行動を面白がっているだけに過ぎん。反応して相手を喜ばせてやることもない」
「ギルフォード卿…申し訳ございません…」
ギルフォードの言葉で多少、頭が冷えたのかスザクはギルフォードに頭を下げる。
「分かっているのであれば良い。それよりも、コーネリア殿下がお呼びだ。すぐに行くぞ」
「はい!」
不快感と激しい焦燥感を抱えたままではあるが、スザクはギルフォードに促され、コーネリアの元に向かった。
「遅いぞ、枢木スザク」
「申し訳ありません!コーネリア殿下」
深々と頭を下げるスザクにコーネリアは視線を向けるが、それ以上は言及せず、本来の要件に話を戻す。
「ナリタでの報告書は読んだ。ランスロットの損害、そしてお前自身の戦果についてもな」
「面目次第もございません。ゼロの策略を阻止できず、返り討ちに合うとは」
自らの無力さを恥じ入るスザク。あの赤いナイトメアの前に勝つことができなかった自分の不甲斐なさに声が沈む。
そんなスザクの打ちひしがれた様子を、コーネリアは見つめていたが、やがて小さく鼻で笑った。
「勘違いするな。お前の無能さを責めるために呼んだのではない。それに、戦果が無かった訳ではない。お陰で奴等の実力を十分に知ることができた」
絶対に言わないが、スザクの実力をコーネリアは高く評価している。そのスザクと互角以上に戦えるナイトメアパイロットが居ると知れただけでも十分に価値があった。
「ありがとうございます!次こそは必ず、期待に応えてみせます!」
「それで良い。最終的に勝つのは我等だ」
それに、とコーネリアは言葉を続ける。
「ゼロを倒す方法は、実は、簡単なんだ」
「…え?」
思わず、スザクは声を漏らした。
負けるとは思っていないが、ナリタでは、ブリタニア軍の本陣を壊滅寸前にまで追い込んだゼロを「簡単」と言い切るコーネリアの言葉に、スザクは驚愕と同時に、敗北を誤魔化すための虚勢ではないかという疑問を抱く。
「疑問を抱いているようだな?」
心中を見抜いたように、コーネリアがギロリとスザクを鋭く睨みつける。
「い、いえ! そのようなことは!」
「下手な嘘など不要だ。貴様の言わんとすることは分からんではない。ナリタの戦いを踏まえればな」
コーネリアは立ち上がり、大きな窓へと歩み寄った。
ナリタの戦いでは自軍も相当程度に追い詰められた。親衛隊すら散々になり、コーネリア自身も直接命の危険に晒されたのだ。
とてもではないが、ゼロは簡単な相手とは言えないはずだった。
「確かに、黒の騎士団の強さは大したものだ。全軍でなかったことや奇襲を考慮に入れても、我が軍を相手に五分に戦えるとはな」
事実を認めるコーネリアの言葉に、スザクは固唾をのむ。
「騎士団の拠点も分かっていない。それに加えて、あの強さ。ゼロの戦略。まともに戦うには少々、骨が折れる」
負けるとは思っていない。だが、それだけの軍を磨り減らして得られるものが一つのテロリストの首だけでは割に合わないというのがコーネリアの本音だった。
「は、はい。私もそう思います」
スザクも同意する。だからこそ「簡単」という言葉の真意が読めない。
コーネリアは振り返り、冷徹な視線をスザクに向ける。
「だとしたら、どうやって勝つ?そもそも、この場合において、「勝利」の定義とは何だ」
「それは…ゼロを倒して、エリア11の情勢を安定させることだと考えております」
「成程、模範的な解答だ。だが、その解答では合格点はやれんな」
後は自分で考えろと言い残し、コーネリアはスザクに退席するように命じる。
だが、退席するスザクの背中にコーネリアは言葉を投げかける。
「一つだけヒントをやる。どうして、このエリア11において、ゼロが短期間で力をつけたのか考えてみろ。それが答えだ」
扉の閉まる音を確認するとコーネリアはため息を漏らす。
(全く…簡単とは言ったが、キーパーソンとなり得る枢木スザクがアレでは多少骨が折れるな)
スザクには言わなかったが、黒の騎士団を潰すのに最も手っ取り早い方法は、ゼロの物語を壊すことだ。
ゼロの本質は軍事指揮官ではなく『物語の紡ぎ手』。絶望したイレブンに『希望』という幻影を見せている。逆に言えば、物語が瓦解すれば、烏合の衆など勝手に崩壊する。
ゼロの物語を壊す方法は大きく分けて二つ。一つ目はゼロの正体を白日の元に晒すこと。
(ゼロの正体は不明だが、ブリタニアに恨みがある人物であることは間違いない。そして、あそこまで正体を隠すということは、正体がバレること自体がゼロという存在に支障を与えると考えて良い。そうなると、正体は没落したブリタニアの貴族か、皇位継承者だった者か…どちらにせよ、該当者が多すぎる。絞ることはできんな)
最重要事項として調べさせているが、そもそもが調査対象が明確でない上に、数が多すぎる。そこからゼロを割り出すことは難しいだろう。
ブリタニアの皇位継承者でエリア11に縁がある者と言えば、コーネリアの脳裏には二人の兄妹が浮かび上がる。調査の結果として、二人のことが何かわかるかも知れないと考えたが、死んだ可能性が非常に高いため、淡い希望はすぐに捨てた。
(もう一つの方法は枢木スザク次第で方向性は変わるが…あの様子では楽観するのは危険だな)
全くもどかしい。自身の本質で言えば、ランスを持って戦場を駆け回っている方が、遥かに性に合っている。
だが、今のエリア11の情勢がそうさせてはくれない。ゼロに全戦力を向けるわけにもいかないのだ。
コーネリアの脳裏に一人の男の姿が浮かぶ。
シン・ヒュウガ・ヴァインベルグ。
初めて会った瞬間から、コーネリアは本能で感じていた。
アレは危険だ、と。
(正直、今でも父上の考えは理解できん。何故、あのような怪物をナイトオブラウンズに任命したのか…)
コーネリアの拳が固く握りしめられる。ナイトオブラウンズでさえなければ、何かしらの理由をつけてコーネリアは既にアレを処刑していた。
(立場は違えど、ゼロの考えは理解できる。ブリタニアの治世に不満があるのなら、あのような行動に出る者もいるだろう。…だが、アレはダメだ)
ゼロにあるのは『変革』の志だが、シンにあるのはただの『破滅』。味方の命すらゴミのように捨て流すあの狂気を、野放しにしておくわけにはいかない。
(それに敵はゼロだけではない。E.U.のレイラを筆頭に厄介な奴等が湧き出している)
E.U.のレイラ。コーネリア自身も戦ったことがあるが、生涯で最もやり難い相手と言っても過言ではない厄介な敵だった。
コーネリアが最も尊敬するシュナイゼルでさえ、「全く、困った女性だね」と何処か楽しそうに言っていた姿は記憶に新しい。あのシュナイゼルにそこまで言わせる人間がどれ程いるだろうか。
(流石にゼロがレイラに匹敵するとは思わんが、厄介な芽は早めに叩くに越したことはない)
コーネリアは一人、机に向かうと再度、戦略を練り始めた。