やはり俺の魔法はどこまでもチートである。   作:高槻克樹

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入学編#7  気づかぬうちに壬生紗耶香は渦中に引き込まれていく。

 

 

 有志同盟とやらが放送室を占拠した、という前代未聞の事態は、しかし機転を利かせたというよりは悪知恵を働かせた? 司波の功績で解決することになった。

 学校側に待遇改善を要求する同盟員は風紀委員に拘束された。

 それで解決、よかったよかった。めでたしめでたし。働かなくて済んだ、また来週――とほっと一息つく間もなく。

 七草会長が何を思ったのか、同盟側と交渉に応じようと言い出した。今回の件をすべて引き受けるとして学校側と調整、風紀委員会に対して拘束済みの同盟員の解放を指示。

 そして交渉のための打ち合わせをすべく彼らを生徒会へ招き入れた――というのが現状である。

 俺の怠惰な放課後を返してほしい。

 ……まぁ、この件がなくても、きっと仕事が待っていただろうことくらい予測はできるが。いいじゃないか。夢くらい見たって。

 そもそも何故、俺が付き合わされるのか。市原先輩、服部先輩はまだいい。生徒会正規メンバーだもの。だが中条先輩と司波深雪改め司波タツヤスキーはどこ行った? 

 ちらりと市原先輩を見ると、質問の意図を察したらしい彼女はいつものポーカーフェイスを保ったまま、一言「帰らせました」と言った。人数の都合らしい。生徒会全員がそろってしまうと同盟側に圧力をかけているように見られるからだと。

 なるほど。なら俺も帰っちゃだめですかね? と目線で訴えたがスルーされた。

 そんなこんなでこちらの不平不満などどこ吹く風で七草会長と同盟員たちの打ち合わせは進んでいく。ちなみに、同盟員たちの不平不満すら、このひとたちにはのれんに腕押しだ。

 というか、連中は先ほどから文句しか言ってない。どうしたいのかと聞かれても言葉を濁し、問題をすり替えようとする。

 その自覚すらないのかもしれないが。

 カフェで見た壬生先輩と同じような思考回路だ。不満はある。改善してほしい。改善しろ。だがどう改善するべきなのかはわかっていない。どうしたいのかが見えていない。これは催眠による弊害だろうか?

 七草会長の問いかけに対して答えず、質問を質問で返す。これでは会話は終わらない。無限ループである。って、ちょっと待て。やめてくださいね? エンドレス残業タイム突入とか、マジで勘弁願いたい。

 しかし、その押し問答になりかけた空気を、七草会長はやんわりと軌道修正した。

 

「貴方たちの要求が一科生と二科生の平等な待遇であることはわかりました。

 ですがそのための改善策については、やはり今すぐ詰め切れるとは思いません。また、もし詰め合わせが出来てたとしても、この場で決定することは後々のしこりを残してしまいかねません。

 皆さんは待遇改善を希望する同盟の代表者でしょう? であれば、きちんと同盟員全員の前で、説明をすべきだと考えます」

「それはもちろんです」

 

 同盟員の男子が鷹揚に頷いて見せる。だがわかっていない。お前は自分で考えて同意していると思っているかもしれないが、完全に七草会長に誘導されている。

 

「ですから――そうね、明後日の放課後、講堂で公開討論会を行いたいと考えていますが、いかがでしょうか?」

「……討論会、ですか?」

「ええ。同盟員でないけれど学校側に不満を抱く生徒たちもたくさんいるでしょう。学校側がすべての生徒たちの要望に十全に対応できているわけではないですからね」

 

 それは一科生であってもです。

 七草会長は口にはしなかったが、そう言いたげな間を開けた。

 

「ですから、彼らにも伝わるように話し合いをしましょう。貴方たちの不満も、要求も、学校側や生徒会側の不備も、そしてそれらを解決するための議論も。

 きちんとみんなの前で」

「なるほど。学校がどうあるべきかは生徒全員の問題です。異論はありません。生徒たち全員に伝えたい思いは我々も同じです。隠し事をされたくありませんしね」

 

 最後のは嫌味っぽく笑んだつもりかもしれないが、七草会長に届いたとは思えなかった。服部副会長の空気が少しだけ剣呑になったがそれだけである。この人、意外に短気なのか?

 それが決まれば後はすぐだった。時間、場所、討論会進行に関する簡単な方向性、壇上に上がる人数は五人程度、同盟員以外の勧誘は問題ないか? もちろん問題ありませんよ。そちらは生徒会全員で? いいえ、私一人の予定です。あ、服部副会長には司会進行役で壇上に上がってもらいますが、よろしいですか? もちろんです――等々。

 その会話を聞きながら、もしかすると会長たちは最初からそのつもりだったのかもしれないと思った。

 同盟は生徒会を表舞台に引きずり出したと考えるかもしれないが、それは逆だ。討論会という形で、生徒会は同盟の不平不満を受け入れ、理解を示し、解決する姿勢があることを示すことが出来る。

 そのうえで、同盟員どころか生徒全員を納得させられたら完勝だ。

 この人ならそれくらいのことはやってのけるだろう。

 七草会長はあざとい小悪魔で、実は計算高い腹黒だったりする――というのは、討論会を明後日の放課後に行うという提案からしても明らかだ――が、やはり基本は高スペックなお方なのである。けど最初から決まっていたのなら、中条先輩の代わりに書記をしている市原先輩や補佐の服部副会長はともかくとして、本当に、俺はいらなくないですかね?

 とか胸中で愚痴っている間に打ち合わせは終了。

 鼻息荒く明後日の討論会に向けて意気込んでいる同盟員が生徒会室を出ていく中で、少しだけ彼らと温度差があるように見えた壬生先輩を七草会長が呼び止めた。

 

「壬生さん、少しだけお話がしたいのだけれど、いいかしら」

「……あたしだけ、ですか?」

「そう警戒されなくても大丈夫ですよ。ちょっと個人的に貴女に興味があって。お話ししたいなって思っただけですから。女の子同士っていう意味でもね。ではリンちゃん、後の手続きお願いできますか?」

「了解しました。では服部副会長、行きますよ」

「え? いえ。自分は残り……というか、比企谷は?」

「お願いね、はんぞーくん」

「お任せください、会長!」

 

 軽い。軽すぎる。なにがとか聞かないでね? 悲しくなるから。服部副会長が。

 では俺もこの辺で。声に出さないのは鉄則である。ぼっち認定テストに出るので覚えておくように。

 

「八ちゃんは残ってね」

 

 八幡は逃げ出した。しかし回り込まれてしまった。

 

「…………」

 

 何故だ。服部副会長の後ろを、さも金魚のフンみたくステルスモードでついていこうとしたはずなのに。

 

「というか、残ってもらった理由はもう察しているでしょうに。意地が悪いわよ、八ちゃん」

「…………」

 

 そりゃまぁ? 壬生先輩と俺を残す意味なんて、少し考えればわかることではありますが。

 

「あの?」

「ああ、ごめんなさい。座ってください。紅茶淹れ直すわね。私は深雪さんみたいに美味しく淹れられないけど……」

 

 ちらりとこちらを見やったので、首を横に振って否定した。

 

「紅茶はちょっと……コーヒーなら何とか?」

 

 パックのでよければ淹れられるが、生徒会室にあるのはみんな上質なものばかりだ。もうちょっと庶民に優しくしてください。

 

「そう? 壬生さんは? 何か飲みたいものありますか?」

「……では、紅茶で」

「了解よ。ちょっと待っててね」

 

 先輩に働かせるのは心苦しいが、俺が動いてまずいものを出すわけにもいかない。ここは適材適所だ。いい言葉だ。

 会長がお湯を沸騰させ直している間、壬生先輩と二人で対峙することになったわけだが、俺に会話スキルなんてあるはずもなく、ただ無言で会長のお帰りを待つ。しばしの沈黙が下りるのは当然だった。

 だが問題ない。俺は沈黙すら楽しめる男なのだ。なんなら黙したままですらある。

 

「あの……」

 

 だがぼっち慣れしていない壬生先輩は違ったらしい。耐えかねたというよりは、どこか不安気に眉を寄せている。そんなに俺と二人でいるのが気に入らないのでしょうか? と思ったが、どうも違うらしかった。

 

「大丈夫?」

「……? 何が、ですか?」

「えっと、顔色は悪くなさそうだけど、目が? 死んでるって言うか、その……疲れてるんなら早く帰って休んだほうが…………」

「ぷっ!」

 

 背中で聞いていた七草会長が噴き出した。肩震わすほどおかしかったですかね? 受けたようなら身をネタにしたかいがあったというものだ。

 

「……いえ、この目は、デフォなので?」

「……え? デフォ? デフォルトってこと? 普段から? え? なんで?」

「い、いや、なんでって聞かれても……」

 

 え? 何? この人、俺に黒歴史をここで暴けとでも仰りたいんですか? 違うな。違うね。あのなんで? は『何故目が死んでいるのか』と聞きたいわけではない。『何故目が死んでいるような奴がここにいるのか?』だ。

 意訳すると、さっさとどっかいけってことですね。

 

「駄目よ」

 

 八幡は逃げ出そうとした。しかし回り込まれてしまった。っていうか、会長背中に目でもついて……ああ、そう言えば、この人はついてましたね。

 マルチスコープ。会長の得意な知覚系魔法。実体物をマルチアングルで知覚する、多元レーダーのようなものだ。

 要はこの人に死角なんてない。後ろ側のことなんて見てなくても容易に把握できる。つまり覗きし放題。俺の魔法より質が悪い気もするが、誰からもそういう疑惑を持たれないあたりは人望の差という奴だろう。

 

「……ま、まぁ、体調が悪いわけじゃないならいいんだけど……」

 

 俺は壬生先輩のことなど知らない。彼女が本当に心配してのことなのか、実は本気で俺のことをキモイと思っているのかはわからない。けれどそれを隠すことが出来るくらいには、良識と常識を持っているということだ。

 プライドばかりの一科の連中も見習ってほしいものである。

 世の中、建前って大事だからね。

 

「さ、どうぞ」

 

 会長に礼を告げて口を付ける。苦い。砂糖ほしい。

 

「それで、会長? お話って?」

「昨日、達也くんと話をしたと伺いました」

「……そのことですか」

 

 何故か、壬生先輩の感情に波が生まれた。怒りではない。けれど苛立ちにも似た何か。何だ?

 

「達也くんには詳細は聞いていません。でも、というのは変だけど。壬生さんの個人的な見解を聞いてみたかったの」

「あたしの?」

「ええ。どうして達也くんを同盟に誘おうと思ったの?」

「それは……彼は二科生ですし……。剣道部と剣術部のトラブルを収めてくれたところも見て武道の心得があるのは知ってましたし……その……」

 

 ああ。わかった。なぜ司波が選ばれたのか。最初は部活間トラブルのお礼とか、顔だけかと思ったが。そうじゃない。今年度新入生主席である妹の存在を知ったからだ。

 優等生、それも最優秀な妹。対して劣等生の兄。兄妹であるからこそ、比較は必ず生まれる。年の差があったって少なからず比較されるのだから、まして同じ学年であるなら避けて通れない道だ。

 そして壬生先輩は、妹と比較されて侮辱される司波達也を見たのだ。だから自分たちに共感してくれるはずだと踏んだのだろう。

 壬生先輩はその先を言いよどんだが、七草会長もその黙した先を追及することはしなかった。俺と同じ結論に達したからだと思ったが、壬生先輩の見解は違ったらしい。

 

「司波君も学校側には不満があると言ってましたよ」

 

 声に攻撃的な色合いが強くなった。そもそも、今の答えは七草会長の問いに対してのものではなかったのだが、壬生先輩は気づいていない様子である。

 

「ですが勧誘は断った、と聞いています」

「それは……そうですが。でも! 彼は学校側に期待してないって言ってました」

「期待していない?」

「ええ。ただ魔法大学系列でのみ閲覧できる非公開文献の閲覧資格と、卒業資格さえもらえればいいと。教育機関としては期待していないと言っていました」

 

 それはきっと、司波が言った言葉そのままなのだろうとは予測できた。言いそうなことだし、ここで壬生先輩が嘘をついてもすぐに露呈する。

 

「それに――」

 

 特に反論も意見も言わない七草会長をやり込めていると思っているのか、壬生先輩の声にさらに熱が帯びる。

 司波の言葉を借りているだけの、子供じみた反論だ。いや、司波が七草会長や生徒会への文句を言うために口にした言葉ではないから、冷静になってみれば攻撃にすらなっていない。

 だが七草会長を攻撃することで夢中になっている壬生先輩は気づいていないらしかった。

 

「学校側が禁止する隠語を使って二科生を見下す一科生のことを幼児的だとも言ってましたね」

「……残念ながら、現状では反論できませんね」

 

 七草会長が悲しみのこもった息を吐いた。確かに、生徒会長として学校側の意向を汲んでいる――汲むことの出来る、汲まざるを得ない彼女はそう答えるしかない。

 家の立場やらなにやら抱え込むことが多そうな彼女とは違い、俺の方はそこに対して忖度(そんたく)する必要はない。

 だからこそ俺は司波の意見――正しくは、その意見を会長への攻撃に使う壬生先輩を否定できる。

 司波がそう言ったこと自体は意外ではない。一面から見れば事実だからだ。では一科生を幼稚と評した奴は、果たしてどんな意図でその言葉を口にしたのだろうか。

 司波は確かに大人びている。視野も広い。客観的に物事を捉え、感情を理性で整理することが出来る。だが一方で、高校生らしくないとも言える。よく言えば達観している。悪く言えば、若者らしさがない。

 学校に期待していない、諦めている、というのは、ただ割り切っているだけだ。それもまた大人として社会を渡っているために必要なものなのかもしれないが、その結論に至った理由があるはずだ。俺が友達を作ることをあきらめたように。

 その理由は、俺には知る由もない。

 けれど司波が学校側に期待しない理由は、そこにはないと俺は踏んでいる。一科生が幼稚であるからとは何も関係ない。二科生に対する学校側の待遇がよくないから、でもない。司波はきっと、その程度のことは些事にしか感じていないのではないだろうか。

 俺の勝手な思い込みかもしれないが、そう感じたからこそ、司波の言葉を自分の言葉として七草会長への攻撃に使っている壬生先輩の言い分は腑に落ちなかった。

 

「幼児的、ねぇ……」

 

 壬生先輩の言動に対する違和感が、自然と否定的なニュアンスを含んで声に出た。予想通り、先輩二人ともが怪訝そうな顔をした。

 

「違うと言いたいの? えっと、そう言えば名前……」

「1ーAの比企谷八幡です」

 

 もう自己紹介で躓かなくなったのは進歩と言っていいかもしれない。

 

「いえ、一科生が幼稚だっていうのは俺も賛成ですよ。でも、ねぇ。あれです。なんですか? 俺は二科生も大概だと思ってますけど」

「あたしたちも同じだって言いたいの?」

「まぁ……そうですね……」

「比企谷くん」

 

 ずっと自分の目の前にある紅茶に目を向けていたから、七草会長に呼ばれてそちらを向くと、目線で静かに「やめなさい」と言われた。

 そうか。それはそうだ。俺がここででしゃばる必要はない。決着は明後日、会長がつければいいのだから。

 別に壬生先輩をやり込めたくてここに残っているわけではないのだ。

 

「…………すんません。忘れてください」

「いいえ、会長。彼の意見も聞かせてください。貴方は一科生よね?」

「…………」

 

 ちらりと七草会長を見る。彼女は軽く息を吐いた後、しぶしぶ認めてくれた。意に沿わない会話だということはわかったが、俺もここで黙りたくはなかった。何故だろう。「いじめ」という負の部分に関しては俺のほうが一家言あるからだろうか。

 我ながらいやな一家言だ。

 

「単に、視点と物差しの違いだと思って聞いてください」

「え? ええ……」

「俺には妹がいて、そいつは魔法の素養は一切ないんですが、その妹に、うちの学校で一科と二科の軋轢があって、今回のような差別撤廃? みたいな運動が起こっているのを話したんですよね。そしたらこう言ったんです。

 なんでその人たち、普通科に行かなかったの? ――って」

 

 間接的な小町からの問いかけに、壬生先輩は即答した。

 

「それはもちろん、魔法師になるためでしょ?」

「そうっすね。ここって魔法科の高校ですからね。ってことは、全ての評価が魔法で判断される業界に進もうとしているってことでしょう? なら、魔法師としての評価基準で語られても当然じゃないですか?」

「魔法の実技が劣ることについては、そう評価されることは仕方ないと思っているわ。

 でも高校ってそれだけじゃないでしょう? これは司波君にも言ったことだけど、魔法の腕が劣るからって、侮辱されたり無視されたり、否定されるのは間違っているわ。少なくともあたしは耐えられない。他の二科生だって同じはずよ。そんなことを強要してくる一科生を幼稚だと言った司波君には同意見だわ」

「そうっすね。その点については俺も賛成です。でも高校ってそれだけじゃない、っていうのは違うと思います」

「比企谷くん?」

 

 その真意を問うように聞き返してきたのは七草会長だったが、俺は壬生先輩のほうを見て続けた。

 

「例えばここが調理の専門学校ならどうですか? デザイナーや芸術系、そのほかの専門的な技術分野の学校ならどうですか?

 壬生先輩って剣道部ですよね?

 例えば剣道部でどれだけ成績を残したところで、調理の腕が上がらなかったら評価されないのは当たり前じゃないですか? むしろ剣道に力を入れる余力があるなら、調理の上達に時間を割くべきだって考えませんか?」

「そ、それは…………」

 

 案の定、彼女は言葉に詰まった。

 

「もちろん、それだけで人間性や他の能力が決まるわけじゃないっていうのは当然のことです。その人を侮辱したり無視したりしていい理由にはなりません。言い訳にもなりません。でも、先輩が今言った通り、高校なんですよね、ここって」

「そうね?」

 

 相槌は打ってくれたが、俺が何が言いたかったのか伝わらなかったようだ。

 

「中学上がって、最高学年ですらたった三年しか年を重ねていない未成年です。社会からすればガキです。幼稚で当たり前でしょ?」

「それはそういう視点から物を見ればそうなるけど」

 

 だから最初に言ったはずだ。

 

「そういう幼稚な部分が抜けない、大人になり切れていない高校生を、きちんと指導しないのは明らかな学校側の怠慢だと思うんですよね?」

 

 ちらりと七草会長を見やる。

 …………あ、私、ちょっと怒ってるモードに入っていらっしゃる?

 続けるべきか否か。どうしよう? とか迷ってたら、七草会長にコクリと頷かれた。続けてもいいらしい。「任せるわ。あ、でも後で説教ね?」 みたいに微笑みを浮かべるの怖いのでやめてください。

 

「だから、一科生が幼児なままなのは学校の所為だと、俺は思います。指導する教師が、一科生をきちんと指導しないってことですから」

 

 指導する教師にそのつもりがないのか、その能力がないのか。どちらかと言うと前者のようである。

 一科と二科の溝を改善する気がない時点で学校側の職務怠慢以外の何物でもないのだ。競争意識を煽りたい? それこそナンセンスだ。同じ舞台にすら立てていない者同士で、どうやって競争しろというのか。

 しかし、一方の二科生側のほうには違う問題が孕んでいると思う。

 

「では二科生は? 彼らは指導する教師がいませんよね? でもそれは、入学前からわかっていたことです。

 そして最初に云いましたけど、ここは魔法科高校で、魔法の技量という物差しで評価される場所です。それらを知っていたうえで、二科生として入学したんですよね? 先輩も、二科生のみんなも」

 

 一科と二科の関係だって同じだ。

 冷遇されている。厚遇されていない。差別されている。下に見られている。侮辱される。無視される。少し学校の校風を調べたら、それくらいのことはすぐにわかったはずなのに。

 そういうことを調べなかったのか。それとも知っていたけど、取るに足らないことだと思って気にしなかったのか。

 どちらにしても――

 

「二科生にも他の学校に行くという選択肢があったのに、それを蹴って魔法科高校に入学したはずです。

 魔法という完全実力主義の世界に自ら足を踏み入れたのに、入学してみたら自分と思っていたのと違ったからって文句を言うなら、それは単に大人に甘えたいだけでしょう。それを幼稚って言わずになんて言いますか?」

「…………そ、それは………」

 

 きっとその程度のことも想像しなかったのだ。出来なかったのだ。学校側に声高らかに文句を口にした同盟の連中は特に。

 現在校生で、入学前に一高の学風を調べた人間が何人いただろうか。絶対的少数派に違いないという確信がある。

 何故ならこの学校は、日本に九か所しかない魔法師育成高校、その中でもさらにトップクラスの成績を誇る魔法師の卵が集まる場所だ。そこに入学できること自体がすでにエリートの証である。

 そう――二科生の彼らだってエリートだ。

 入学前はそういう立場だった。だから知らなった。知ろうとしなかった。

 きっと信じたくないのだ。世界には自分よりも上が大勢いて、そしてその上に自分たちが上がれないことを考えたくないのだ。

 それは彼らの弱さだ。けれどそれは原因ではない。弱さが悪いこととは思えない。

 魔法の技量が優れていることは正義ではない。

 魔法の技量が劣っていることが悪であるはずがない。

 

「でも、まぁ、さっきも言った通り、高校生は所詮ガキですから、俺はそれでもいいと思います」

「「はい?」」

 

 ん? あれ? なんで二人とも目を鳩のようにしていらっしゃいますかね?

 というか、俺の言ったことは議論のすり替えでしかないのだ。問題解決出来るようなものではなく、問題解消するものですらないのだから、そう驚くこともないと思うのだが。

 

「比企谷くんは一科生も、二科生も幼稚だって言いたいのよね?」

「そうっすね」

「なのに、それでいいの?」

「ええ。別に悪いことじゃないでしょ? 高校生っすよ? ガキですよ? 幼稚で当然でしょ?」

「じぃーーーー……」

 

 擬音を言葉に出すのはやめてください、会長。あざといから。

 

「い、いや、別にだから、幼稚なままでいいとか、そういうことじゃなくてですね。幼稚をさも悪いとかいうことが間違っているって思うんですよ。子供なんだから。けど肯定するだけじゃ、甘やかしているのと同じになる。だからほら、ちゃんとダメなところは叱って、いいところは褒める。当たり前だけど当たり前にできてないのが一高の問題なんじゃないんですか?」

 

 知らんけど。

 後、沈黙が怖いですよ、会長。

 

「だから、高校生のそういう弱さもちゃんと肯定してやらないといけない。綺麗な部分だけが人間じゃないって、きちんと理解しなくてはならない。一科生は教師が教えるべきだし、二科生は大変だけどそれを独力で理解しないといけない」

 

 わかった気になって、わかった様な口を利く。それはきっと俺も同じなのだ。

 今だって変わらない。俺は俺の中にある、俺がわかっているつもりになった俺の考えを押し付けているだけに過ぎない。

 

「みんな、言葉や口では知っている、わかっているって言いますけど、たぶん、きちんと実感を伴っている人間なんてほんの少数でしょう。壬生先輩だってそうじゃないですか?」

 

 けれどそこに、わずかにでも共感が得られたなら。そこに、微かにでも感情を揺さぶられる何かを見つけてくれたのなら。

 後で思い返して悶絶しかねない恥ずかしい俺の話も、きっと報われるはずなのだ。

 

「…………そうね。この学校に来て、自分が虐げられる立場になってわかったことって、少なからずあるわ」

「なら、先輩は一足先に、そういう部分も知れたってことです。良かったじゃないですか。社会に出る前で」

「なるほど、そういう物の見方や考え方もあるのね」

 

 深く息を吐き出した壬生先輩の顔から、少しだけ険しさがとれたように見えた。

 ふう……とその様子を見て軽く安堵の息を吐いた七草会長に、壬生先輩には聞こえないように小声で進言する。

 

「こう言う考え方が出来る俺は超大人だと思うんですよね。だからそろそろ帰ってもいいですか?」

「いいわけないでしょ!? 今までの会話の流れ、全部台無しにする気?」

 

 さすがに物言いが入った。やはりだめか。

 

「……まぁ、あれですね。後、俺から言えることがあるとすれば、壬生先輩が気にしてる一科から二科への侮辱とか無視とかなんて、ただの雑音でしょう。俺は温いって思いますけどね」

「ざ、雑音?」

「ぬ、温い?」

 

 何故か七草会長まで驚いていた。何故に?

 

「え? 違います? 実力で二科生を排除したり、陰険なことして追い詰め自主退学させたり、屈服させたり、下僕扱いしたりするような奴がいないじゃないですか」

「え、いや、でも、そこまでいったらいじめでしょ?」

「今の状態がいじめじゃないって思っているなら、その認識も温いと思いますが」

「うっ」

 

 だが実際問題、一科生が二科生を侮辱しようと無視しようと、それで二科生の進路や課外活動に影響があるとは思えない。生徒会や風紀委員会、部活連からの指示であれば別だが、それにしたって学生に出来ることなどたかが知れている。影響すると思うこと自体が間違っている。影響すると思ってしまうのは、やはり俺たち高校生がガキだからだ。

 

「エリートだから、もう少し陰険ないじめとかあるのかなと思ってみてたんですが、そういうのもなさそうですし。ネチネチ悪口言われるくらいなら雑音程度に聞き流せばいいんじゃないかって俺は思うんですが……」

「それって陰険じゃないんだ?」

 

 壬生先輩はそう言うが、その程度で陰険っていうと本物の陰険な連中に失礼である。

 

「これはあくまで一例ですけど」

 

 と、断りを入れてから続ける。

 

「まず持ち物を捨てられる、隠される、燃やされるの基本は外せませんね。

 代表格は上履きとか、鞄、教科書、弁当とかです。持ち物は学校に置かず、常に所持するべきでしょう。

 上履きを入れる靴箱や、教室の机の中にごみや虫の死骸を捨てられるのは、少し手間がかかるし、誰かに見られる確率が高くなるので、最初は続きますがすぐに廃れます。

 その辺を耐えきると次は直接攻撃に移行します。校舎のそばを歩くと上からごみが降ってきたり、唾を吐きかけられます。

 ただこれもよけることが可能なので、あまり効果はありませんけどね。

 美術の授業で絵具で誤って汚れた水をかけられたり、トイレに個室に入ると上から水をかけられるようになります。なのでトイレは学校では行くのをやめましたし、美術の授業は全部さぼって補習で乗り切るのが最善策です。

 学業方面で言うと、提出したはずのプリントやら宿題を捨てられたり、データを壊されたりしますね。連絡網でうちにだけ連絡がこないってこともありました。

 それから……」

 

「待って! ちょっと待って! えっと……その……比企谷くん?」

 

 止めたのは七草会長だが、二人そろって顔を青くしていらっしゃる先輩方に、俺のほうは至極淡泊な反応しか返すことはできない。

 

「はぁ、何ですか?」

「さも当然のように口にしているけどそれって……」

「俺の実体験ですが」

 

 何か?

 

「「…………」」

「二人とも引いていらっしゃいますけど、まだ序の口ですよ? こんなのはいじめに慣れていない素人の手口です。陰険というには全く足りてません」

 

 何故なら、その程度であれば犯人特定がそう難しくないからだ。

 

「「……………………」」

 

 さらに顔色が悪くなった二人に、本命を告げる。

 

「さて、少しこなれた中級者になると、自分では手を下さず仲介業者を雇って――」

「だから待って、比企谷くん、ごめんなさい、謝るからやめて。ちょっと人間不信になりかねないから、それ以上は言うのはやめてください! お願いだから!」

「ごめんなさい! あたしが悪かったです。世間知らずでごめんなさい。所詮あたしは甘ちゃんでした」

 

 何故、二人が謝るのか。

 いえ、別に先輩方が俺をいじめたわけではないので、謝ってほしいわけではないですよ。

 そうは言っても、俺も自分の暗い歴史をあえて暴露したいわけではない。俺がその入り口を微かにでも口にしたのは、壬生先輩に言いたかったことがあるからだ。

 

「だから無視とか侮蔑とか、嘲笑とかで済んでいるうちは、本当の意味ではいじめにすらなってません。気にするところはそこではないんです。無視されたり、侮蔑されたり、嘲笑されたりすることが問題なんじゃないんです」

 

 見下すことが悪なのか。違う。

 見下されることは悪なのか。それも違う。

 理解されないことが悔しいわけじゃない。

 認められないことが惨めなわけではない。

 確かに理解されたい、認められたいと思う気持ちは誰にだってある。けれどその本質は――その根幹はある欲求は何なのか。

 

「きっと、今の自分に満足してないんです。それがどういった形なのかはわかりませんけど……」

 

 充足していないのだ。だからその埋め合わせを他者に求めてしまう。

 友達がいて、恋もして、ひょっとしたら恋人もいて、リア充でありながらも、充たされていないこともあるのだろう、きっと。

 贅沢な連中である。誰にも期待も迷惑もかけないエコな俺を見習えと言いたい。

 

「学校側に差別をなくすよう待遇改善を要求して、それを叶えてもらえれば、先輩は満足できますか? それが先輩のしたいことですか? 先輩のしてほしいことですか? 俺は、そうは思いません」

「比企谷くん……」

 

 それは少なくとも、他人に求めるものではないと思う。

 けれどもし分からないというのなら、探せばいいのだ。壬生先輩の思う、壬生先輩が満足できる、本物の高校生活と言うものを。

 

「そうか。そうだね……」

 

 そう頷いた壬生先輩は力なく息を吐いた。

 司波を勧誘した時のように、自分の意志を持たないような空虚さは感じられない。放送室を占拠した時のように周囲への反発から生まれる荒々しさもない。ただ今の自分の感情をようやく受け止められたような、ほっと一息付けた表情だった。

 

「……一高に入学して、思うように魔法の技量が伸びずに悩んでいるところを侮辱されたの。

 あたしのこれまでの全部が否定された気がしたわ。手を伸ばしても届かなくて、伸ばした手は振り払われて……たくさん悲しんで、泣いて、怒って……最後にその怒りで我を忘れていたのかな、あたし」

「さぁ、どうでしょう……怒るのもパワーが要りますから、それはそれで持続していたならすごいとは思います。少なくとも俺は嫌ですね。面倒なんで」

「あははは。怒るのが面倒って初めて聞いたよ」

「そうですか? ……ところで、七草会長、もう終わりましたよ?」

「え? 何が?」

 

 何がって、いや、あんた、()()()()()を忘れとるんかい。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………うん、忘れてないよ、ありがとう、八ちゃん」

 

 忘れてやがったな。

 

「え? なんのこと?」

 

 まぁ、当然ながら壬生先輩はそうなりますよね。

 

「そのことはこれから説明しますね」

 

 そして七草会長は事実だけを淡々と、出来るだけ端的に告げていく。そのことに思い当たることがあったのか、壬生先輩の表情が青くなっていくのが手に取るように分かった。

 そこからの会話の流れは速かった。

 壬生先輩が催眠暗示を受けていたこと。

 その暗示を施したのが、おそらくは剣道部の主将・(つかさ) (きのえ)の異母兄である(はじめ)であること。

 主将に紹介されたセミナーに参加してからというもの、時折自分の意識が混濁することがあったのだという。

 催眠で混濁させられ、記憶をすり替えられたようだが、異常を取り除けばきちんとその齟齬を認識できているらしかった。既にイエローになった壬生先輩のステータスを俺は見れていないが、それは彼女が正常に戻った証拠だろう。

 催眠下にあっても、その間に得た記憶は消えたりしない。自我を取り戻した彼女が掘り起こした記憶では、第一高校の有志同盟同志たちに決起を促したのも、(はじめ)の指示だという。

 近いうちに第一高校を襲撃する予定だとも。

 

「……明後日の討論会はもしかしたら……」

 

 七草会長の懸念はアタリかもしれない。

 討論会で生徒が一堂に介している状態は、魔法師の卵を排斥するという意味ではとても効率的だろう。

 

 と、そこで壬生先輩が口をはさんだ。

 

 襲撃の計画は時期だけの問題で、作戦や役割は既に決まっているらしい。(はじめ)の部下たちを一高の図書館内の特別閲覧室に案内することが、鍵の入手も含めて壬生先輩に与えられた指示なのだそうだ。

 

「むしろそちらが本命かしらね」

 

 特別閲覧室から引き出せる情報は、すべてが非公開の魔法研究の最先端資料だ。それら秘匿情報を公開することで差別撤廃を目指すことがお題目らしい。なんともおためごかしの綺麗ごとだと思った。

 そして肝心の目的達成の為の人員と手段は用意されている。今夜、今日の同盟決起の結果報告のために一度集まりがあるそうだ。

 討論会の報告をすればきっと高い確率で襲撃日に決定される、というのは壬生先輩の予測だが、会長も俺も異論はない。

 

 ちなみに、図書館担当には対魔法師用にアンティナイトが手渡されるのだそうだ。

 

「アンティナイトなんてものまで用意できるってことは、その連中の目的は、ただ研究資料を盗みたいだけ、ではないわね」

「何故ですか?」

「今回の件については(つかさ) (はじめ)が黒幕なのでしょう。彼はブランシュの人間とみて間違いないだろうけど、でもデータを盗むことが反魔法師の目的につながるとは思えないわ」

 

 反魔法国際政治団体ブランシュ。司甲や壬生先輩が所属するエガリテが、その下部組織であり、ブランシュ自体も裏でテロ行為を行う非人道的な集団だと聞かされると、壬生先輩の顔色が今度こそ真っ青になった。

 

「あたしはなんてことを…………」

「あなたに罪はないわ。壬生さん。実際、まだ何も犯罪行為をしてないでしょう?」

 

 それもその通り。彼女はまだセミナーに参加しただけだ。一高の内部事情を多少漏らしたのかもしれないが、そんなものは部外秘扱いですらない取るに足らないものなのだから、それで犯罪に問われることはない。

 

「それに司がブランシュの人間だとしても、簡単にアンティナイトを手に入れられるとは思えません。さらに後ろ盾がいそうね。壬生さん、セミナーに参加した際に、彼以外に思い当たる人物はいましたか?」

「いいえ。強いて言うなら彼以外であたしたちに指示していたのは司主将ですけど……」

(つかさ) (きのえ)くんね。彼もまた、壬生さんと同じようにお兄さんに催眠をかけられているのかもしれませんが、これは今は結論を出せません。

 ですが壬生さんの話を総合すると、明後日の討論会でブランシュが襲撃してくるのは間違いないでしょう。武力行使による非人道的なテロ行為です。当校の生徒や教職員をはじめ、無関係な人への人的被害は絶対に避けねばなりません。私たちはこれから至急、対策を練らなくてはなりませんが、そこで私から壬生さんへお願いがあります。

 これは生徒会長としてはもちろんのこと、何より十師族の七草家の人間としてのお願いでもあります」

 

 こくりと、壬生先輩の喉が鳴った。

 

「は、はい……」

「壬生さん、せっかく催眠が解けた状態なのに申し訳ありませんが、今日は予定通り集会に参加して、彼らブランシュに接触してもらえますか? 司一に催眠を受けているよう装いながら、明後日は指示に従って彼らを一高に襲撃させてください」

「……え?」

 

 これには俺も自分の耳を疑った。この方は何をおっしゃっているんでしょうか?

 

「警察に言わないんですか?」

「十文字くんにも協力を要請します。彼の十文字家であれば警察にも伝手があるでしょう。だから要請してすぐ動いてくれるならそうします。でもきっと、それは難しいと言わざるを得ません。裏を取っている時間すらありませんしね」

「あたしにスパイをさせる気ですか?」

「そういう方向への期待がないというと嘘になりますが、どちらかというと、こちらに計画が漏れたことをブランシュに悟られたくないという方が強いですね。

 大まかな概要については壬生さんから話が聞けましたから、今夜の集会で彼らから聞いた情報も流していただけると助かります。でもこれは可能ならで構いません。壬生さんは自分の身の安全を最優先にしてください」

「七草会長……ということは、つまり――」

 

 後輩二人の疑問の視線に応えるかのように、七草会長は力強くなずいた。

 

「もちろん、ここで迎え撃ちます」

 

 誰一人、被害がないように、万全の態勢で迎撃する。

 戦いを忌避する感情はもちろんある。それでも戦わなければ守れないのならば、戦うしかない。七草会長の意思表示だ。彼女はもう覚悟を決めている。そして誰も傷つかずに済む方法を模索して、それを確実に実行に移せると踏んでいる。

 可能なのか? いや、可能だとして、俺は戦えるのだろうか。

 

「だから、比企谷くん、壬生さん。私に手を貸してください。お願い」

 

 決して笑顔ではない。けれど悲壮でもない。自分で決めた選択に対して、きちんと正面から向かおうとする力強い視線が俺たち二人を射抜く。

 

「はい、もちろんお手伝いさせてください!」

「い、いや、でも、俺は…………」

 

 即答した壬生先輩とは違い、俺のほうは応えられなかった。

 正直、女子が戦う意思を決めているのに、まったく覚悟が出来ないのは男として情けないことこの上ないが、それでも首を縦に振るのは容易ではなかった。もちろん働きたくないという思いはあるが、誰も傷つかないようにと願う七草会長を前に怠け者を誇示するような度量はない。

 首肯出来なかった最大の理由は、ただ戦いを嫌だと感じたからだ。

 そもそも喧嘩だって嫌なのだ。殴り合いなんて御免だ。痛いのは嫌だ。過去、散々いじめられてきた経験が、俺を痛みに敏感(・・)にさせた。それが心であれ身体であれ、俺自身は痛みには慣れている。慣れてしまった。だから我慢は出来る。俺が被った傷や痛みは我慢できるのだ。

 だけど、それは我慢できるだけだ。

 本音は嫌だ。当たり前だ。傷つきたくない。傷つくのを嫌がって何が悪い。

 それと同じくらい誰かが傷つくのも見たくないのだ。

 自分が与えられた痛みを知るからこそ、他人の痛みも想像できてしまう。そして、それによって感じる痛み(・・)を、俺は我慢できないだろう。一万歩譲って俺が傷つくのはいい。けれど他人が傷つくのを見るのは無理だ。

 だからきっと、俺は戦いなんて出来ないと思っている。

 命を奪いに来ているテロリスト相手に、そんな考えを抱くことは甘いどころかお門違いだということは承知している。銃を眼前に構えて命を奪いに来ている相手に、反抗出来ないのが馬鹿だということもわかっている。

 それでも俺は――

 

「ごまかしはしないで言うけれど、明後日の討論会では、比企谷くんにはとても重要な役割をお願いしたいと思ってるわ。それはきっと、一高のみんなを守るための防衛の要となる」

「…………」

 

 その代わりに、テロリストを傷つけることになる。それに忌避感を抱く俺は、やはり人として間違っているのかもしれない。

 

「当日、比企谷くんが動かなくても、きっと一高を守り切ることは可能よ。ただその場合、誰も怪我なく、ということはできないと思ってるわ」

 

 効率を考えれば、俺が頷くことでその問題は解決する。だがその方法はつまり――

 

「お、俺に背負えってことですか?」

 

 他人の命を? 生徒だけじゃなく、関係のない見知らぬ誰かの命を? 出来るはずがない。言葉に思い切り剣呑さを含ませて問い返すと、けれど七草会長は首を横に振った。

 

「いいえ。一高のみんなの命を背負うの学校側と、私や十文字くんよ。摩利や達也くん、深雪さんでもない。もちろん、比企谷くんに背負わせたりもしない。それは壬生さんも同じ。でも、私たちだけじゃ足元がおろそかになるかもしれない。だから支えてほしいの」

「それは!」

 

 詭弁だ。ただの気休めだ。おためごかしじゃないか、とは口にできなかった。

 俺に七草会長の何がわかる。会長としての責務も、十師族の重みも、何も知らない。戦いが怖いと感じた俺の感覚を、彼女が知らないとでも? 誰だって嫌だ。誰だって怖い。そんなわかったような口を利いて、彼女の決定に異を唱えるだけの覚悟が俺にあるのか。

 本来なら、彼女も守られる側なのに、戦うと、背負うと言った彼女の覚悟に口をはさむ資格が俺にあるのか?

 

「……考えさせてください」

 

 あるはずもなかった。

 言葉はない。声には出ない。

 

「ええ。明後日の朝、答えを聞かせてくださいね」

 

 その優し気な、俺を気遣ってくれているだろう七草会長の声には、どこにも俺を叱責する色などなく。

 だからこそ、俺には守るもの、譲れないものが何もないのだと言われた気がして。

 俺は、生徒会室を出るまで、ついぞ彼女の顔を見ることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございました。
シリアス突入回です。
戦うことをすんなり受け入れる八幡は八幡らしくないと思っての展開でしたが、賛否あるかもしれませんね。
でも尻込みしているだけですので、誰かが危険な目に合いそうなのを見て見ぬ振りできるタイプではない八幡なのです。
次回、「こうして比企谷八幡は覚悟を決める。」

紗耶香の催眠が先に解けてしまったけど、桐原くん、出番あるかな……?
次回もよろしくお願いします。

P.S.
一話アタリ文字数がどんどん増えています。
読みにくかったらすみません。
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