“μ'sをおしまい”にして、五年が経った。
大学で陸上を再開した凛は、今年で四年生。何とか社会人選手として、企業に採用してもらえたばかりだった。他の八人も、それぞれの道を頑張って歩んでいる、
そんな今日は、日付が十一月一日。世間ではハロウィンの翌日であり、新学期初日を迎えた学生達のような雰囲気が、街中から漂っていた。実際に昨日は、充実した一日だったのだ。午前中は授業を消化し、午後は秋葉原の街に繰り出してハロウィンと仮装を楽しみ、夕方から夜にかけては、『矢澤にこ2DAYSハロウィンライブ』の初日に参加してきた。
高校生の頃からの宣言通り、プロアイドルとしてデビューし今回のアキバドームでのソロライブまで実現してみせたにこを、凛は素直に凄い人だと尊敬していた。
「…………むー! にこちゃん何でー!」
“この時以外”は。
今日は、凛の誕生日。花陽を始めとした七人は、日付が変わった直後から電話やらメッセージやら何かしら言祝ぎを送ってくれたというのに。当時の部長からは、一切の連絡が無いのだ。
こんな事は初めてだ。確かに、にこはアイドルとして多忙な日々を送っているし人一倍の努力が必要だ。だが、去年までは毎年どんなに忙しい時期でも電話をくれたのだ。
「μ'sの誕生日なんだから、祝わない訳ないでしょ」
と言っていたのを凛は忘れない。
「むー…………!」
だからこそ、連絡が無いのは納得がいかない。
「確かに、明日もライブあるし早く寝なきゃなのは分かるけど……」
凛の知るにこは、そういう事を言い訳にしない人なのだ。
「…………」
凛はベッドに体育座りしながら、真っ暗なままの液晶を睨み続けていた。
「…………ハッ」
ふと、眩しさを感じて凛は眼を開けた。
連絡を待っていたら、いつの間にか眠ってしまったようだった。
時刻は九時過ぎ。今日は授業は無いので寝坊して焦る必要はないのだが、寝ている間に電話なりが来ていたら、何故出ないんだと逆に怒られそうな気がした。それはそれで、理不尽だとは思うのだが。
「にこちゃんからの連絡が……」
多少ワクワクしながら、凛は枕元に放置したままのケータイを手に取る。
新着、ゼロ。
「……何でにゃー!」
成長した猫の絶叫が、部屋にこだました。
「ホント、にこちゃん酷いにゃ!」
「ま、まあまあ」
ライブ二日目の今日も招待されていた凛は、唯一予定が空けられた花陽とドーム近くのカフェに座っていた。
ライブの招待チケットはμ'sのメンバー全員に送られていたのだが、両日揃って参加できたのは凛と花陽の二人だけだった。昨日は、穂乃果と希もいたのだが。
「結局一度も連絡くれないし、電話しても出ないし、メッセージも未読のままだし!」
ズゴゴ、と三白眼で手元のオレンジジュースを飲みながら、凛は何もない空間を睨む。
「きっと、ライブの準備で忙しいんじゃないかな。にこちゃんにとっても、念願のワンマンライブなんだし」
「それにしたって、一言くらい何か言ってくれてもいいのに! にこちゃん、もしかして凛の誕生日忘れてるんじゃない?」
「それは無いと思うけどなぁ……。にこちゃんはあんな性格だから、口では言わないけどきっとみんなに感謝してると思う。だから、そんなみんなの大切な日はちゃんと覚えてるんじゃないかな」
「じゃあ、どうして何も言ってくれないの?」
そこまでは、花陽にも分からない。にこをフォローしたのは本心だし、自分の誕生日も五年間で忘れられた事は一度も無い。
「それは、私にも分からないけど……」
実際は、メッセージを送る暇も無いほどバタバタしているのかもしれない。アイドルが大好きな身としても、このライブを実現させる為ににこがどれほど努力をしてきたかが自分の事のように分かるのだ。夢を、叶える為に。
「と、とにかく、もうすぐ時間だしライブは楽しも? もしかしたら、終わった後に会ってくれるかもしれないよ?」
「!」
“その手があった”と言わんばかりに、凛の顔が輝いた。
「そっか! 関係者席の凛達なら、それができるかも! 流石はかよちん!」
勢いよく立ち上がり、花陽の手を握る凛。
「その時は、私も一緒に文句言って怒ってあげるね? 『今日は凛ちゃんの誕生日なのです!』って」
「うん! さあ、にこちゃんに文句言いに行こー!」
目的がすり替わっている気がしたが、凛は元気にドームへ向かって駆け出した。
「わわっ、凛ちゃん待ってぇ〜」
矢澤にこのハロウィンライブは、昨日に引き続き大盛り上がりを見せた。
本人の魅力もさる事ながら、スクールアイドル時代に培った確かな歌唱力とダンスパフォーマンス。相変わらず背は低いままだったが、持てる全てを使って、ファンを笑顔にしていた。
ライブの終盤に差し掛かり、
「…………」
凛はふと、目の前のアイドルに憧れている自分に気付いた。
自分では出し切れなかった可愛さと魅力を、全力で届けてくれる。こんな近くて遠くに、憧れの“星”がいたのだ。
これだけで、最高のプレゼントじゃないか。いつしか、凛の中にあったわだかまりは溶けるように消えていた。これが、『矢澤にこ』なんだ、と。
曲が終わり、にこが決めポーズを取る。ドーム全体を揺るがすような大喝采が、凛の耳に響いた。
『あー、ここまで聴いてくれて、みんな本当にありがとう!』
マイクを持ったにこが、MCを始める。
『もうライブも終わりに近くて、にこはとっても寂しい!』
私もー、とか、そうだよー、といった声が散見される。凛もだにゃ。凛は心でそう思っていた。
『でもね、今日はこのまま終わる訳にはいかないのよ。まだ、今日のメインイベントをやってないもの!』
メインイベント?
はてと、観客は首を傾げた。今まさに進行中であるライブとは別に、メインのイベントがこの場にあるのか。凛もまた、同じように疑問符を浮かべていた。
「にこちゃん、何言ってるにゃ……?」
一瞬、にこがこちらに視線を向けた気がした。口元が動いたが、マイクに拾われなかった声までは聞こえなかった。
『今日が何の日か、みんな知ってるかしら? えー、知らない? もうー、しょーがないわねぇ。じゃあ教えてあげるわよ〜』
少し焦らして、会場の笑いを誘う。
「流石ですにこちゃん……。ああやって期待を高めさせて、サプライズの盛り上がりを高めるんだね……!」
ドルオタ根性が発動して目を輝かせる花陽に苦笑しつつ、凛はにこのセリフを待つ。
『今日はね……私がここに立つ為に、絶対に無くてはならなかった日々をくれた、大切な人の生まれた日よ』
そして今度は間違いなく、にこはこちらに向き直った。
『今日はあなたの誕生日よ! 凛!』
ビシッと指を指し、すぐにその手を開いて差し伸べるように伸ばす。
『お誕生日おめでとう、凛』
優しく微笑むその顔を見て、凛は何かが込み上げて来るのを感じた。
『さ、こっちに来なさい。主役はあなたなんだから』
「え、で、でも……」
せっかくのワンマンライブなのに、自分のお祝いよりもファンは歌が聴きたいんじゃないか、と凛が躊躇うと、
「凛ちゃん」
すぐ横で、幼馴染が笑顔で頷いた。
「…………」
凛も頷き返すと、立ち上がってステージへと向かう。
『誕生日おめでと、凛』
にこと対面すると、改めてお祝いの言葉が飛んだ。
「……忘れてなかったんだね」
『当たり前でしょ。毎年欠かさず祝ってんじゃない』
「でも、今年は全然だったにゃ」
『あー……仕方なかったのよ。ここでサプライズする為には、黙っておくしかなかったし……。ハロウィンライブができるって決まった時は、絶対に今日を組み込んで引っ張ってでも凛を連れて来ようって思ってたんだから……』
「どうして、そこまで……?」
『アンタ、自分がどれほどにこに影響与えたかまるで自覚無いのね。言っておくけど、凛がいなかったら私はアイドルを続けていたかも怪しいわ。無茶苦茶で、前向きで、友達想いで、可愛さに気付く大切さを教えてくれて。アンタは私の、恩人なのよ』
「にこちゃん……」
「……恥ずかしい事言わせんじゃないわよ」
「自分で言っただけにゃ」
「うっさい。減らす口も相変わらずね」
「照れた時だけマイク切るなんて、にこちゃんもズルくなったにゃ〜」
「凛だって、口動かしてないとニヤけるんでしょ」
「……それはお互い様にゃ」
揃って吹き出す。
「歌詞、忘れてないわよね? 凛の為の曲よ?」
「勿論にゃ。おーい、かよちーん。一緒に歌うにゃー!」
戸惑いながらも花陽がステージに上がるのを確認した凛は、正面を向く。
懐かしい、景色。全てが輝いていた、あの頃へ。もう一度ここへ連れて来てくれた、先輩に感謝を込めて。
「ほら、マイクよ。曲振りはアンタがしなさい、凛」
大きく息を吸い込む。
『それではお聴き下さい!』
今の私は、可愛いのかな?
今でも、一番可愛い自分に、変身できるのかな?
『Love wing bell!』