闇堕ち士郎のリスタート   作:流れ星0111

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第12話

 たった数秒。たった数度の刃の交わりと共に鳴り響く轟音は、明らかと思えるほど傾いていた天秤の全容を見えなくしていた。

 

 振り下ろされた筈の斧剣が床を大きく削ると同時に、少年は破砕した手元の短刀を投げ捨てて、再度同様の武器をその手に握り目の前の英雄に向かい合う。

 その表情に不安げな様子はなく、むしろ浮かぶ不自然なほどの高揚を感じさせる不気味な笑みを張り付けて、少年は振り回される斬撃をほんの僅かな隙間を通すように躱していく。

 

 彩るように少年の後方から放たれる光線は、しかし一つとしてバーサーカーを傷つけるには至らなかった。僅か数回の行使で、キャスターは行使できる威力と状況を判断し、その対象を後ろの少女へと切り替える。

 キャスターは己が召喚しうる兵士程度ではイリヤスフィールを追い詰められないと理解していたがゆえに、直々に殺意を込めた弾倉を装填する。

 

 驚愕に目を見開いたイリヤスフィールは、その様子とは裏腹に冷静にその状況を鑑みて、己に降りかかるキャスターの弾丸に対する防御を前提に魔術を行使する。無論英霊が放ちうる威力の攻撃を正面から受け止めることは不可能であると認識しているのか、本能で自身を護ろうと行動するバーサーカーの戦闘を援護するように立ち回る。

 

 少年が狂戦士の込めた一撃を回避するたびに、僅かに開くイリヤスフィールまでの射線を縫うようにキャスターはその光線を放ち尽くす。

 しかし当然のように狂戦士は易々とそれらをすべて撃墜したうえで、キャスターと位置を入れ替わり刃をふるう少年に再び刃を降ろす。

 

 そのルーティンが数度繰り返された。犠牲となった部屋の内装は酷いもので、壁をぶち破った穴から入る光は怪しげに光っていた内部の光を上書きしていく。

 

 弾け飛ぶ少年の武器がイリヤスフィールの耳元を通り過ぎる。空気を切り裂く高い音と、粒子になる刃。少年の手元から魔術を行使した様子と共に顕現する刃がそれを上書きしていく。

 

 あり得ないと、イリヤスフィールは絶対に揺らがない勝敗と自負を抱えたうえで吐き捨てた。

 

 少年はバーサーカーの剣戟に合わせるように刃を擦り、そして時にその死角へと。また時には危なげにもわずかな身体のひねりのみで。奇妙なほど噛み合った演武かのように紙一重に回避を行っていた。

 無傷ではなかった。明らかに負担のかかるであろう二本の腕は、まだ数分立たないうちに変色して。風圧か、それとも破片がかすったのか、顔を赤く濡らしたうえで、全身にも裂傷が帯だたしいほど刻まれていた。

 

 それでも、その様子は数日前にマスターとしての資格を手にした、ただの魔術師のなせるものではなかった。たとえキャスターの魔術による現代においては異端とすらいえるほどの強化をその身に施されていたとしても。

 そもそも、バーサーカーとの戦闘が成り立つ時点で、それは異端なのだ。

 それはまるでその戦いを、既に経験しているかというほどに、無駄のない戦闘だった。

 

 それは、奇妙なほどに繊細なバランスを保った、戦いだった。

 

 イリヤスフィールは少年を殺す気はなかったが、生かしておく気もなかった。敵対者として立ちふさがるその姿に同情も、ましてや加減などあるはずもなく、五体満足で戦闘を終えることなど微塵も考えておらず、その上で一撃で終わらせてしまえと思っていたほどであった。

 最初は能力をセーブしていた狂戦士は、しかしすでにその余裕を見せてはいない。まだ無傷。まだ欠片も負傷してはいないバーサーカーは、しかし回を増すごとにその剣筋を高めていく。

 

 しかし、それでも少年は躱し続ける。危なげに。しかしその上で顔には邪悪なまでの笑みを浮かべて。少年は砕かれる己の刃と相反するように歩を前に進めていた。

 無論一撃も反撃を試みることが出来ていないが、それでも、それがどれだけの異常性を含有した偉業であるかは理解するのに難くなかった。

 

 キャスターは、その姿を頼りがいがあると感じるとともに、走らざるを得ない恐怖をひしひしと感じていた。

 そこには先ほど陽気で話していたはずの少年の姿は欠片も残ってはおらず、ただ異常にも闘争を臨む化物の姿がそこにはあった。

 

 その姿に脅威を感じたのかはわからない。しかし応えるようにバーサーカーは目の前に移るものを、狩りの対象ではなく一つの敵対者として刃をふるう。

 

 故に、バーサーカーは自身の懐近くに少年が陣取った瞬間を見逃さなかった。

 主の命に逆らうようにして振るわれた斧剣は、今までとは異なった角度で振るわれた。横に、そして面制圧として振り回された一つの壁が、少年に襲い掛かる。

 これまでとは違う、いなすことも躱すこともできない一つの壁が、容赦なく少年の身体に直撃した。

 

 刃ではない鈍い音が響く。そしてその音と共に回転しながら部屋の隅に向かって飛ばされた肉塊が、壁を彩った。

 

 勝手に漏れた小さな叫びに、イリヤスフィールは自分自身で驚く。悲痛に歪んでいる自分自身の顔。脳裏に浮かぶ”間違えた”という文言。そしてそれ以上に、伸ばす手の違和感と共に襲われた未知の感覚と暗くなる視界が彼女に襲い掛かった。

 

 生きているわけがないと、誰しもが確信できる一撃。凡夫の届かぬ一線を示す瞬間が終わったのにもかかわらず、キャスターは目の前の敵対者から目を逸らさなかった。

 

 そしてそれに応えるように、狂戦士に弾丸となった剣が飛来する。個々は力を持たないが、しかし目くらまし程度にはなるであろう宝具の破裂効果がバーサーカーの目元を埋め尽くした。

 

 彩られていた肖像が、ぐにゃりと顔を歪める。

 肉片が、奇怪にも状態を起こす。本来であれば壁のシミの一つになっていたはずの身体は、キャスターの魔術と僅かに残る再生力によって未だ形を保っていた。

 

 立ち上がる怪物は、己の浅黒く不自然にねじ曲がったもう使い物にならない拉げた左腕を引きちぎり、それを無造作にもキャスターの方へと投げる。

 流石にキャスターはその表情を苦々しいものに変えるが、意にも返さず化物は狂戦士の前へと再び立った。

 

 不自然なほど堂々と、死に体以上になった遺骸が立ちふさがるその様子は、面妖でいて痛々しく。それ故に悲壮的だった。

 纏わりついた血の仮面。立っているのが奇跡的とすら思えるほどの打撲傷と裂傷。失われた左腕とその切り口から壊れた蛇口のように漏れ出る生きた水。

 そしてその上で、浮き上がる表情に変わりがないことが、奇妙を超えてひたすらに狂気的だった。

 

 バーサーカーは化物から距離を取った。無論恐れではなく主の命によって。

 その僅かに作られた空白の時間で、キャスターは少年の左腕を止血する。キャスターは少年の既に形を失いかけている左腕を己の格納庫にしまい込み、怒りに震える手を抑えるように杖を握り締めた。

 

 イリヤスフィールは、わずか数分で変わり果てた少年の姿に、口を開くことが出来なかった。

 

 目元を襲うすでに止まった血を、少年は残った右腕で払う。伸ばされた朱い跡が痛々しく目元を涙のように彩るが、少年は構わず再度その手に剣を握り締めた。

 

 その様子に。少年が失った姿に。イリヤスフィールは何か既視感を覚えた。そして、同時に、頬に走る感覚に気が付く。

 

 少女が無意識に差し出した腕をあざ笑うかのように、バーサーカーの振り下ろした斧剣が、再度少年に襲い掛かる。

 それを、身体の軸をずらすことで、本来であれば左腕が残されていたはずの箇所に死が通る。

 

 少年は数歩後ろに下がると、手に持った剣を遊ぶ。くるくると右手の中で回された刃と共に、少年は嘗め回すように今自分が通った軌跡を眺めた。

 

 キャスターも共に少年の僅かに後ろまで距離を取って、閉じた口を開く。

 

「まだやれるわね」

 

 怪訝にも、心配にもとれる声に対して、少年は嗤いで答えた。

 怪物の捻じ曲がる口元が、三日月型に変化する。

 

「当たり前だ。誰に聞いてる」

「坊やが死に体になるから言ってるんでしょう」

「油断した。次はない」

「満身創痍で本当によくそこまで言い切れるわね。それと」

「悪いが予想通りだ。状況は芳しくない」

 

 少年のその清々しい言い切りに、キャスターは緊張の糸がはじけ飛んだように笑った。

 

「なら引く?もう左腕もないし」

 

 こらえきれない笑いを声に変えて、キャスターはそういい放つ。

 絶体絶命であることは変わらず。均衡状態も崩れ始めたにもかかわらず、キャスターは楽しむようにそう少年に問う。

 返すように、少年はその笑みを強め、そして断言する。

 

「愚問だ」

 

 少年の足に力が入ると共に、キャスターは再度同様にイリヤスフィールに向けて弾丸を放つ。

 そこにかばう様子は一切なかった。キャスターは己が運命の大半を占めるであろう男が片腕を無くし、口から血を垂らし、痛覚を失わせた状態にも拘わらず、撤退を選ばなかった。

 

 イリヤスフィールにとって、その光景は蛮勇を超えていた。

 五体満足であった少年とすでにかけ離れていたそれは、しかし無様になりながらも戦闘を継続した。時に転がり、時に必死に身体を捻じり、それでも刻一刻と伸びる戦闘時間が、少年の偉業をさらに昇華させていく。

 

 だが、それでも戦況は動かない。魔力切れはこの程度では起きず、微塵も傷がつかないバーサーカーの姿を見れば、決着などとうについているも同然だった。

 

 それほど有利な状況で、この戦場の舵取りであるはずのイリヤスフィールは、しかしその心は平穏ではなかった。

 

 まるで、拷問をしているような気分だった。哀れにも跳び惑う迷い込んだ獣を、四肢を一つずつ切り離して、そうしてさらに足掻かせているような。

 そして、その引き金を引き続けているのは自分だと、イリヤスフィールは自覚していた。

 

 バーサーカーの振るう腕の風圧で吹き飛ばされ、同時に降りかかる刃を転がるように少年は避ける。すでに破壊した床の破片が、少年の左太ももを綺麗にも貫いた。

 立ち上がる少年は、しかし入らない力を不自然に思い再度足元を見る。右足の土踏まずを貫通するように突き刺さる破片が、少年の動きを阻害していた。

 

 勝てるわけがないのだ。たとえ英霊の援護があったとして。そしてたとえ少年が普通とは逸脱した力を手にしているとしても。

 

 だが、イリヤスフィールの願いとは反するように、少年はまだ変わらない顔色で、足に突き刺さった二つの破片を引き抜く。そして溢れる血を元も子もせず、前へと歩み続けた。

 

 果たして、ここまでで何度の剣戟が交わされ、そして何度砕かれただろうか。

 既に数えきれないほどの投影。片手のみでしかし巧みにもそれらで可能である最大限の能力を発揮し、少年は狂戦士の動きに追随する。

 

 そんな文字通り命を賭して継続し続けた戦況は、しかしたった一手の誤算によって大きく動いてしまった。

 

 バーサーカーが蹴り放った城壁の弾丸を、少年は危なげなく回避する。風を切り裂いた高い音が耳元を掠めていく中で、少年は足元に力を入れようとして、傾いていく視界と共に悟った。

 

 両足にいれたと思っていた力は、しかし片方のみにしか伝わっていなかった。限界を迎えたかのように折れ曲がったそれが、事の終わりを告げているようだった。

 そして、自身が溢した血痕によって、少年は足を滑らす。だらりと力を失っていく感覚に、少年は前へと倒れる視界に逆らうことが出来なかった。

 

 狂戦士は、追い打ちをかけるように、少年の頭部に向けて刃を降ろしていく。

 走らせた一閃は、これまでのどの攻撃よりも少年の命を刈り取るために放たれ、その唸りは、瞬く間に場を埋め尽くした。

 

 それは、誰の目にも映る、終わりの合図であり。そして少年の命の終着点だった。

 

 だからだろうか、ぴたりと一瞬。バーサーカーの動きが止まる。

 確実に命に届いた一撃ゆえに、イリヤスフィールはバーサーカーの行動を無理やり拘束する。

 

 その隙を縫うように、キャスターは越えられなかった狂戦士の壁を超える。

 

 イリヤスフィールは反射的に自分の魔術を使いキャスターに応戦した。彼女の周りを浮遊する鳥たちは刃へと変わり、キャスターに向けて飛来する。

 

 それらを意にも留めず、正面からキャスターは受け止める。本来であれば腕を振るうことすら必要とせず撃墜できるようなそれらに割くタスクすら、今の彼女にはなかった。

 頭部を狙った刃は僅かにそれ、青い髪を僅かに切り裂き、そのベールを破る。露呈したキャスターの表情に余裕はなく、杖すら投げ出してキャスターは少女の心臓部へと手を強く伸ばしていく。

 

 だが、それでも届かない。

 

 ほんの僅か、1秒にも満たない時間で到達できるような距離にもかかわらず、キャスターは影に呑まれる自身の身体を視界の隅に捉え、この先の末路を予見した。

 

 マスターの意志による縛りから解放されたバーサーカーは、状態をそのまま反転させ、捻るように力を込めると、標準を合わせ手の甲を振り抜いた。

 

 だが、キャスターはそれでも回避をしなかった。明確な殺意と害意が襲い掛かる中で、しかし彼女は憑りつかれた様に手を伸ばす。

 

 ガシャンと、金属が擦れる音が響く。バーサーカーの身体を纏うようにして、かかる鎖の拘束具が、狂戦士の行動を僅かに阻害した。

 

 遂に狂戦士は吼える。その咆哮と共に、一瞬だけ時間を稼ぐことのできた鎖はしかし無残にも引きちぎられていく。

 

 そしてさらに威力を増した拳がキャスターに振り抜かれようかというその一瞬。バーサーカーは自身の手首に残る唯一の鎖に僅かにだけ体重がかかっていることに気が付いた。

 

 鎖の先には、倒れ込む少年の姿があった。

 

 少年はその鎖を自分の残った腕に巻き付けて、ワイヤーアクションのように飛びあがる。バーサーカーの生み出した力によって打ち出されるかのように、少年の身体は少女の方へと吹き飛ばされた。

 

 無論無事で済むわけはなく、少年は残された右腕が肩から引きちぎられていく感覚を客観的に受け止めていた。一つ一つ筋繊維が引きちぎられ、情報として伝わる痛みと喪失感が、少年の身体を満たしていく。

 

 ぐちゃりと、受け身も取れず、少年は少女の前に落ちた。その音はあまりにも湿り、また重量のあるものだった。

 すでに刈り取られた意識。何も映さない瞳。流れ出る血の池と、ボロ雑巾のようになった肉塊を、イリヤスフィールは目の前にした。

 

 少女の口から声は漏れなかった。すでに手遅れになってしまったそれに何を抱けばいいのかわからず、ただ自身を温める服の熱が痛く思えて。

 故に、無意識に少年を抱きしめようと、イリヤスフィールは両手を少しだけ上にあげて前へと歩く。

 

 バーサーカーは降り抜こうとした腕を止めた。その立ち位置が、絶妙にも己が主を巻き込んでしまうことを理解した。

 

 その数秒。少年が文字通りその身を賭して生み出した空白によって、キャスターはついに少女の心臓へ手が届く。

 既に余裕のない見開かれた目が、イリヤスフィールの視界を埋めた。

 

 強く、胸に手を押し付けると、キャスターは高らかに、そして強く言い放つ。

 

「チェックメイトよ。いただくわ。その小聖杯」

 

 今にも泣きそうで逃げそうになる少女を制止して、キャスターは魔力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 踏み出した一歩は、信じられないほど軽いものだった。

 乾き張り付いた喉が痛みを発しだしてから、そう時間は立っていない。未だに心臓はうるさいほど鼓動を伝えてくるし、毒のように全身に回る不思議な感覚は、脳をショートさせていた。

 次々と倒れていく同級生を眺めながら、ただその光景を受け入れ始めた自分に少しだけ驚く。

 昨日まで特に感情を抱くことなく、それでも日常の一幕に存在していた人々は、今己の行いによって溶かされていた。

 別に、深い情はないし。手放すことにも手にかけることにも罪悪感はない。

 それでも、そこには何かがあった。何度か話しただけの奴も。同じ部活で日々を過ごしたやつも。ともに何度か笑いあった奴だっている。自分を称賛し、媚びる奴らだって。

 そこには、名の無い日常があったはずだった。

 

 だけど。それらを直視して、もうすでに麻痺した感覚は痛みを伝えてくることはなかった。その代わりに与えられた別の感情は、名付けるにはまだ経験が足りなくて。

 

 聞き覚えのある声がまだ脳裏に響く。

 

 わかっている。そんなことはもう痛いほど。これは、他でも無い僕が引いた引き金だ。

 

 自分に向かって声を荒げ、敵意をあらわにした少女を前にして、強くそう自覚した。

 すれ違うアーチャーを横目に、ナイフを強く握りしめて前へと走る。その先。目の前には、決意したような瞳でこちらを睨む少女の姿があった。

 

 その手にはすでに魔力を内包した宝石が握られていた。容赦のないその姿はすでに殺意であふれていて、あと一瞬ののちにそれは放たれて、己の身体とその後ろにいる女に風穴をあけようとするだろう。

 設定された状況で、彼女がどんな選択を選ぶのか。手に取るように分かっていた。おおよそ万能であり続け、叶え続けた少女が選ぶ選択など、火を見るよりも明らかだった。

 選ばれしものの選択ほど、察するには容易い。英雄的な行動というのは、時にわかりやすく困難であるからこそ英雄足りえるのだ。

 そして、彼女にはそれを可能とする力があった。そして、だからこそできた隙で。一瞬のうちに驚愕に染まる視線が、急かすように足に力を入れさせた。

 

 アーチャーは美綴をその肩に抱えると同時に、反転して番えた弓を引き絞っていた。すでに矢は添えられていて、放たれる一矢は間違いなくライダーとその主を射殺す威力を持つものだった。

 背後から射殺す視線が背に刺さるものの、放たれるはずの弾丸は己が身を貫いていくことはなかった。

 

 自身の背と対応するように視線を回転させるライダーの姿が、見えないながらに雰囲気をとらえる。

 石化の魔眼。使用者の視界のみにならず、使用者を認識した対象にまで襲う硬直の宝具。

 

 敵のマスターがその宝具を正面から受けたのは本当に一瞬で、少なくともその硬直は永遠とは程遠い時間しか生み出さない。更に自身がライダーに補給できる魔力を考えれば、発動が出来る瞬間などほんのわずかの時しかない。

 

 故に、ここで決着を付けなければいけない。そう、決意についてこない足元を必死に前へと動かした。

 

 これほど1秒を長く感じる時は一生にないであろうと確信するほど、ついてこない足元にいらだって。少女の危機感を示す視線と交差する中で、息の吸えない感覚が襲う。頭が沸騰したように熱く、ちかちかと星が舞うように視界は少しだけホワイトアウトしていた。

 

 明確な殺意。明確な害意を抱いて、再度ナイフを握り締める。

 

 ポトリと、少女の手元から宝石が一つだけ落ちる。魔術の行使かと一瞬勘繰るものの、対応できるほど自身の身体能力はすでに残ってはおらず、突き出すようにナイフを首筋に向かい伸ばした。

 

 殺したと思った。この手で、その命に手が届いたと。実際に刃先は確実に彼女の白くきめ細やかな肌を傷つけ、紅い水晶が浮かんでいた。

 

 だが、次に身体を襲ったのは、横から急速に遠慮なく突撃する重量で。僅かな光と共に顕現した弾丸が頬を走っていった。

 熱い感覚が頬に走るのと共に、視界に移ったのは動き出した遠坂と、庇うように自身を抱きしめ足元に力を込める己が奴隷の姿。そして、粒子になっていく何かだった。

 

 ほんの数秒もしないうちに、窓際から押し寄せる閃光。弾丸が線上に空間を彩るのと同時に、身体には正面からの強い圧力が襲い掛かる。

 蹴り開けた扉が奏でた轟音のせいか、耳は少し使い物にならなくなっていた。

 

 ライダーが自分を抱えて走っていると、そう認識するのに数秒かかる。そしてその上で、何が起きたのか認識が出来ない脳みそを回転させる。

 

 ライダーは庇いながら走れる最高速度で階を跨ぎながら移動していく。容赦なく壁ごと貫通して己らの命を脅かす弓矢を躱しながら、わざと人質を多めに集めていた部屋へと退避する。

 それを理解できたのか、アーチャーからの追撃が落ち着いたのを確認して、ライダーは自身の身体を降ろした。

 

 常人に耐えられる瀬戸際の圧力と衝撃をうけたため、意識がまとまらず、立ち上がろうとする足に力が入らなかった。

 

「.......ジ」

 

 離さなかったナイフを置いて、包帯を巻いた指の甲の傷口を思いきり開く。劈く痛みを対価に、曇っていた意識は少しだけ正常さを取り戻していた。

 

「............ジ!」

 

 上がらなかった顔を上へと上げ、何が起こったのか記憶を逆再生する。

 届きかけた刃とは裏腹に、おそらくはアーチャーの宝具かそれに類する能力によってそれは阻まれた。あのままでライダーの動きが少しでも遅ければあそこに残っていたのは遠坂の血液ではなく自身の死体であろう。

 

 倒れそうになる体を無理やり起き上がらせて、この先を考える。今にも向かってきているであろう二人の狩人は、今では立場を真逆としている。刈られるのはこちらだ。精々残っているアドバンテージは、この結界と、そして後ろに転がる人質たちのみ。

 

 そう、近くに転がる女の胸倉をつかもうと

 

「慎二!」

 

 はたかれた頬の感覚が、白く染まりかけていた視界を元通り赤く染めた。

 既に隠された瞳で見つめるライダーの姿を見て、何が起きたのかを察した。

 

 同時に、グッと突然肺に入る力を感じて、己の身体の異常性を自覚した。息を吸えというライダーのジェスチャーに沿って、必死に忘れた呼吸法を試し新鮮な空気を肺の中へと取り入れていく。

 

 鮮明になる意識と共に、力を明確に込めて立ち上がる。顔を逸らして周りを見渡し始めたライダーは、声が聞こえるようになったことを確認したのち、冷たい現実をその口元から吐き出す。

 

「敗北です。慎二。元々不利だった我々が、ここから形勢を覆す手段はありません」

「わかってる。重要なのはいつ撤退するかだ。お前、魔力は十分吸収できたのか」

「出来るのなら後1分ほど。今すぐに撤退しても問題はない程度には」

「それなら問題は、僕たちをあいつらがそうやすやすと逃がしてくれるかだが」

 

 追撃に関してライダークラスよりもアーチャークラスの方が圧倒的に優位であることは議論の余地がなく。そもそもサーヴァント単騎の性能のみを考えても、その有利不利は明白だった。

 しかし、その差を覆さなければ、逃げおおせないことなど最初から察していた。

 

 そもそも最初から、遠坂を殺しきれることなど考えてはいなかった。首を刃が貫いた程度では魔術師である遠坂が殺せるはずもなく、回復手段を保有していることなど考えればわかる。

 人質に取れれば。もしくは彼女らを撤退の二文字に縛り付けることが出来たなら。その目的のみが、あの僅かな瞬間に凝縮されていた。

 

 確認したいことがあった。ただ、そのために、わざわざ遠坂凛を待ち伏せて、その上で危険を承知で敵対をした。

 そしてそれは叶った。明確に、そして期待外れに。そのため、ここにいる必要は本来であれば既になく。もう一つのライダーの魔力補充に関しても、8割がた完了したといっても間違いはないだろう。

 

 にもかかわらず、脳裏に残る違和感と、噛み合いかける歯車の感覚が奇妙にも襲っていた。

 

 半ば無謀にも覚える選択を考えて、震える口を開く。

 

「........ライダー。提案がある」

「聞きましょう」

「アーチャーと遠坂を引き剥がせないか」

 

 近づいてくる敵対者の雰囲気を感じながら、長い髪を振り回すようにして、ライダーはこちらに顔を向け答える。

 

「可能ではあります。意味はないと思いますが」

「頼めるか」

「アーチャーと正面から戦い勝つ余裕は今の私にはありません。それをわかったうえで、言っていますか」

「ああ。どっちを任せるかまでは、言わなくてもわかるよな」

 

 大きなため息と共に、承諾を示す声が目の前の女からは漏れた。

 その瞬間、女は視界から消える。すでに吹き抜けと化していた穴から飛び出た蛇が、上階へと進む音が聞こえる。いくつかの鋼の打ち合う音が響き渡り、そしてそれが去っていくのを確認した。

 

 左右に寄せていた机の一つを、中央へと移動させる。

 床に置いていたナイフを手に取り、僅かに息をする倒れている黄色と緑の縞模様のTシャツを着た女を、中央の机へと乗せた。僅かに息をしており、またかすかに残る意識から見つめる目は、未だ教育者としての様子を孕んでいた。

 

 女の口から洩れる擦れた声は、しかし明確に耳元へと吸い込まれていった。状況を理解できていないのか、それとも理解したうえでそんなことを言っているのか。問いただしたくなる程度には、その言葉は重かった。

 

 過度な力が入っていたのか、それともこれまでのどこかで負傷したのか。砕かれた奥歯の破片が、口内から零れる。

 

 力の入らない女の背を支えるようにして後ろに立ち、その首筋にナイフを当てて前方を眺める。それこそ、僅かにも衝撃を受けたなら、刃が食い込んでしまうほど近づけたまま、来訪者を待った。

 

 正面から、それは訪れた。微塵にも傷つかない赤い外装で、呆れるような視線をこちらに向けながら、男は何も持たぬ手ぶらな状態で教室内へと歩み入れる。

 意識しなければ呼吸できないほど張り詰めた雰囲気と絶望感。背筋から登ってくる死の香と恐怖を何とか押さえつけて、無理やり口を開き言葉を放った。

 

「止まれ」

 

 吐き捨てるようにそう告げた声に、アーチャーは心底期待外れな発言であるのか睨みつけるようにして近づいてくる。

 

 女の首筋から、一筋の赤い線が漏れた。滴り落ちながら肌を彩るように、少しずつながら血液は流れだしていく。

 3メートルほどの空間をあけて、男は立ち止まった。しかしその口から漏れ出た声は、その態度とはかけ離れた、予想を大きく外れるものだった。

 

「殺したければその女を殺せ」

 

 冷たく、そして背筋まで凍り付くほど強い語感で、弓兵はそういい放つ。

 虚ろに見えるその瞳には表情はなく、乾いた声だけがその発言の重みを支えていた。

 

 堂々と立ちふさがる男の姿は、何故だか重なるものがあった。

 

「その代わり、その刃が動いたときが、お前の首が飛ぶ時だと思え」

 

 そう告げると、弓兵は己の手に刃を抱いた。

 その瞬間を、見逃さず鮮明にこの目は捉え、そして焼き付けた。

 ガチャリと、何かがかみ合う音がする。あり得ない。そんなはずはないと考えるのが普通であり、そんな選択が思い浮かぶ方が異端であると理解したうえで、どこか納得する自分がいた。

 

 無駄に力が入り働くのをやめていた表情筋が、ようやく動き出す。心の底から漏れ出た笑みが、緊張していた神経を沸騰させ、興奮に導いていった。

 笑い声が漏れないように口元を少しずつ緩めていきながら、声を出した。

 

「いいのかよ。仮にも召喚された英雄が、この戦争に巻き込まれた被害者を見捨てても」

「ああ。犠牲者が出るであろうことなどもちろん最初から想定していた。故に、お前の先ほどの発言にも理解を示せるし、そこの女一人の命でこの場全員の命を救えるのなら、私は喜んでその首もろとも貴様の首を取ろう」

 

 最も、と男はそう言葉を切る。

 

 ゴキリと、異音が耳元で鳴り響く。不思議にも視界にわずかに映るのは男の表情ではなく、ナイフをつかんでいる手の感覚が、遅れてやってくる痛みとは対照的に遠ざかっていった。

 

 何かが肩に突き刺さる感覚と共に、熱い血の感覚が、脳裏を埋め尽くす。かろうじて横にずらすことが出来た瞳は、己の肩に他人事のように刺さる杭を眺めていた。

 

「がっあぁぁぁぁあぁああぁあ」

 

 声にならない叫びが、口からあふれ出す。味わったことのない異物感と流れ出ていく血の喪失感が、からっぽの中身を埋め尽くしていった。

 痛みを紛らわせようと精一杯口から洩れる嗚咽と涙を目の当たりにした男は、まるで他人事のように乾いた笑いを漏らした後、背中でくの字に曲げた腕をつかみながら口を開く。

 

「刺しておくのが最善だったな。間桐慎二。貴様程度がどれほど力を込めようと、化物である我々の速度に追いつけるとでも思っていたのか。であれば、既に首元に一つ穴をあけていた方がまだ交渉の余地があったというもの」

 

 さて、と男は言うと、肩に突き刺さる小さな杭をぐりぐりと奥に突き刺した。

 アーチャーは慣れているのか、巧みにも与えられた痛みで神経が焼き切れたように熱く、ちかちかと光る視界と意識はまるで自分の物ではないようだった。

 どこか遠くで俯瞰するように、自分の叫び声が、耳元でうるさく思えた。

 

 すると数秒後、アーチャーは強く押し付けるように杭を押し込んだ。貫通する感覚と共に、それが楔のように床と己が繋がれているのを目の当たりにする。

 

「叫び声には流石に反応せざるを得ないようだな。ライダー」

 

 アーチャーの嘲る声を辛うじて聴き、薄れそうになる意識を総動員して顎を床に立てるように顔をあげた。

 紫色の髪は微塵も揺れてはおらず、焦りの見えないその顔からは、逆に安心すら感じるものだった。その僅かに負傷した右腕と、走ってくるもう一つの足音から、敵対した同級生の逸脱差が感じ得て、こんな状況にもかかわらず苦笑いが漏れる。

 

 アーチャーの作り出した短剣が、自身の首筋に当たる。ヒヤッと、それでいて食い込む感覚が襲った。

 

「さて。ライダー。立場は逆転したな」

「.......ええ。それで?」

「余り長らく交渉している時間はないのでな。単刀直入に言おう。解除をしないのなら、今すぐこの男を殺す」

 

 あまり、マスターに遺体を見せたくはないのでなと、アーチャーは言い放ち手に持った短剣を一度引く。切り裂かれた薄皮からは血液がスッと流れ、床を少しずつ濡らしていった。

 アーチャーの言葉は紛れもなく本気だった。故に、今にも到達しそうである己が敵対者がここに足を踏み入れた時には、この首はもう繋がってはいないだろう。

 

 にもかかわらず、ライダーは何の感傷もない表情で、ただ茫然と口を開く。

 

「どうぞ。構いません」

 

 表情が見えずとも、見開いたであろうアーチャーの瞳と、僅かにだが息をのむ音が聞こえた。

 そんなことは意にも留めず、ライダーは言葉を紡ぐ。

 

「既に気づいているでしょうが、その男に回路はありません。故に、私はその男の生死に興味がない」

 

 ライダーは先ほど付け直した目隠しを少しずつ外していく。

 突き放すようなその言葉に嘘偽りはなく、冷たくそして捨てたような態度は誰の目にも明らかだった。

 

「だから、私は助けませんし、貴方がその男を殺すのなら、可能な限りこの校舎の人間たちを食い散らかすだけです。残念なことに殺さぬよう命じていたのは、そこで這いつくばる男である故」

 

 ライダーが、己の武器を構えた音がする。

 既にその姿を視界に収めることはやめていた。見慣れた校舎の見慣れた木造の床の筋が、視界を埋め尽くしていた。

 まるで呪うかのように人に見えてきたその模様を一度笑って、切れそうになった自身の手の感覚に再度集中する。

 

 だから、とライダーは小さくつぶやいて、身体を前傾姿勢へと移していく。

 

 目を開こうとするライダーに対面しながら、アーチャーはグッと足元と腕に力を込めた。

 

 そして

 

「立つのならば、己の足で立ちなさい。慎二。でなければ、ここで死ぬだけです」

 

 そんなムカつく声を皮切りに、左手に持っていたナイフを身体から落とすように右手へと持ち変える。

 

 再度左肩が完全に外れた音と激痛。引きちぎるように持ち上げた身体のせいか、ブチブチと筋繊維を引きちぎる感覚と共に貫通し、突き抜けていく杭。

 身体を反転させるようにして、自身を抑えるアーチャーの肩に焦点を当て、ナイフを振り抜いた。

 

 アーチャーは全てを見抜いた上で既にこちらを無視していた。その神経は全てライダーが宝具を展開するタイミングにのみ注視していた。

 

 ーーーー初めて、人を貫く感覚が、手に走る。肉を掻き分けるように進む鋭利な先端が、少し気持ちいいとすら思える感覚がショートしかける脳にこれ以上ないくらい感覚を焼き付けていく。

 

 ようやくこちらをちゃんと見たのか、その驚愕したような視線が、一瞬だけ交わされたのを確認した。

 口元は、勝手に緩んで声を紡ぐ。

 

 

「ーーーーーほら。立ったぞ。ライダー」

 

 

 ずるりと、そして瞬時に書き換わっていく視界と重圧が、身体を走る。

 

 

 ガラスを突き破った感覚と共に、視界を埋め尽くしていた邪悪な赤が消えていく。結界が解かれた故に、普段と変わらない煌々と光る太陽が、閉じた目を貫通して赤く光る。

 

 身体に走る尋常でない痛みと、ライダーに抱えられているがゆえに伝わる空気の抵抗が、身体の感覚をばらばらにしていく。

 必死に意識をかき集めて、己の肩に突き刺さっているライダーの武装を他人事のように冷ややかに見つめた。

 

「他に方法があっただろ」

 

 じゃらりと己の身体に纏わりつく銀色の鎖が不満だった。

 しかし、ライダーはそんな不平の声に心底うんざりしたようにため息をつく。

 

「はぁ。あのまま貴方の元に走っていって身体を抱えて走り去れるほど、アーチャーが隙をくれると本当に思っているのですか?」

「思ってないけど、お前、流石にこれは乱暴が過ぎるだろ」

 

 ほんの数十秒前、僅かに状態をあげた上半身に向かって、事も有ろうにライダーは容赦なく自身の武器を投擲した。

 貫通した穴に綺麗に収まった彼女の杭は、この身体を挟んで円状にたゆんだ鎖にものの見事に入り込み、まさにアンカーとしての役割を得た。

 そして目を開かぬままこの身体を自分の方へと引っ張り、空中に放り投げたまま移動して窓際にて抱え、窓を背から突き破ったのである。

 

 アーチャーは牽制された瞳故に、マスターと合流せず追撃するか否かで悩んだ結果、解除された結界を見て追撃を辞めた。

 

 一瞬で、それでいてあっさりとした結末だった。

 

 血液が失われ過ぎたのか、朦朧とする意識を無理やり引きずり出すために、肩に刺さる金属を引き抜く。

 すでに麻痺した感覚は、それ以上痛みを伝えてくることはなかった。

 

「.......死にますよ。これ以上の出血は」

「そん時はそん時だよ。その程度の運だったのなら、僕も安らかに眠れることだろうさ」

「.......帰ったら、出来る限りの治療をします。完治はしないでしょうし、この戦いが終わるまでに治るかどうかも怪しいですが」

 

 珍しく深刻な声でそう告げるライダーの言葉は、実感として伝わっていた。

 自分の物でないと誤認するほど痙攣する四肢。身体の先端から先端まで突き抜ける死の寒気は、しかし存外にも心地の良いものだった。

 

 なぜだろうか。壊れていく自分の身体が、何となく心地よく、そして求めていた。

 

「ライダー」

「はい」

「思った通りだった。確証はないし、根拠もないけど。それでも、確信した」

 

 ブラックアウトしていく視界の先に、先ほどと、そして数日前起こした騒動の結末を思い出す。

 

 己の前にナイフを投げ。覚悟を問い。そして、侮蔑と軽蔑を口にして帰った男の姿を思い出す。明確な殺意を教えた、かつての姿とは重ならない異端の姿が。

 あの時の、忘れもしない男の手元に見えた光が、重なっていた。

 

 本来であれば、霊体を傷つけることなど叶わないはずの刃は、見事にこの手にその感触を焼き付けた。

 まさしく、戻れない感覚を、この身に刻み付けた。

 

 死が近く、本当ならば脂汗におぞましいほどの恐怖を共にしなければならない状況下で、しかし高揚する神経は脳裏を沸騰させる。

 

 初めて、意識せずに自然に嗤えた気がした。

 

「ああ。本当に、嗤えて来るよ」

 

 あり得ないと結論づけるのは容易く、信じるものなどこの世のどこにもいないだろう。

 似たような姿。似たような戦法。奇妙な類似点。偶然としか思えない共通点。目を逸らそうとすれば容易で、むしろ信憑性の欠片もない結論の方が暴論に近かった。

 しかし、確信があった。納得した。ストンと奇妙なほどにその事実は自分の手元に降りてきたし、受け入れるのは容易かった。

 

 勝てるわけがない。比べるにも及ばない。同じ土台にすら立っていない。それは、あの遠坂であろうとも変わらなかった。

 

 むしろ、アレと同じ舞台に立てるものなど、この場に一人もいないではないかと。今ままでいったい自分は何と戦わされていたのかと、恐怖よりも先に嘲りが前へときた。

 

 最初から、そして最後まで。あの男に追随するものなど一つたりともなかった。

 

「あいつは」

 

 どのような結末で、どのような回路で、どのような経路で。己が知る男がそうなるのかはわからない。

 

 だが。そんなことはとっくにどうでもよかった。

 

 だって、目の前にした奴は文句のつけようがないほどに。

 

「英雄だった」

 

 今にも消えかける意識の中で、命を賭してまで勝ち得たものは、そんな餓鬼のような結論だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に途切れ途切れの呼吸をするだけの肉塊を、キャスターは抱えて空を駆けていた。

 取り繕うことなく焦るその表情は太陽に照らされており、己の姿を隠すローブをかぶる労力を割くことすら疎むほど、キャスターは鮮烈に帰路を急いでいた。

 

 達磨のようになったそれは、しかし僅かに残る意識を再びその目に宿らせると、小さく擦れたわずかな振動を口から吐き出した。

 

「.......キャス、ター。無事か」

 

 回らない首で、その肉塊はキャスターの輪郭に沿って目を動かしていく。その視線はまるでキャスターのことを慮っているようで。自身の肉体が一体どうなっているのか、わかっているであろうにもかかわらず、それの第一声はその一言だった。

 

 もはや、それはキャスターにとって、気持ち悪さを超えて唯々痛々しかった。

 キャスターは精一杯今自分にできる最大限の嫌み顔を張り付けて、その肉塊の瞳に自分の視線を合わせる。

 

「バカね。無事なわけないでしょ。ボロボロもいい所よ」

 

 しかしその声色か、普段と違う呼吸からか、歯がゆさを感じ取ったそれは、ばつが悪そうに顔を歪めた。

 キャスターは、今すぐ放り投げてしまいたくなるほど、その様子が腹立たしく思えた。

 

「悪いな、結局、こんななりに、なっちまった。我儘に、付き合わせちまった」

 

 そう、肉塊は四肢の内3つを失った体で告げる。擦れた震えはすでに声とすら思えないほどで、必死に絞り出した残り汁を吐き出しているような必死さで、これは音を紡いでいた。

 この様子を、果たして彼の家で待つ人々が目の当りにしたら何というだろうかと、キャスターは想いを馳せる。

 

「.......本当に、治るんでしょうね」

 

 切株からすでに血液は止まっていて、キャスターにできる治療はすでに済んだ跡だった。故に、もしも伝えられたことが誤りであり、この先もこの姿のままなのであれば、戦争終結まで生存できるかどうか怪しいくらいだった。

 

 しかし、自分の肉体をみた少年は、自嘲するように笑った。

 

「治るよ。セイバーとの契約は問題なく継続してる。他の部品も残ってるなら、明日には問題なく動けるようになるはずだ」

「.......自分の身体をそんな」

「使うさ。こんな、化物みたいな力でも、使えるんだから」

 

 キャスターが言おうとした言葉を先取りして、上書きする形で、そう感情の灯らない男は冷たく言い放つ。

 肉塊は、彼の契約者との距離が近づいていくにつれて、その肉体を修復させていく。

 裂傷や打撲痕が、段々と治っていく姿は、驚愕であり壮観ではあるが、しかし見ていて気持ちのいいものではなかった。

 肉体が、不自然にも形を戻していく。その主人の感情や感傷を無視して、自動的にあるべき姿へと修復されていくその姿は、お世辞にも美しいものではない。

 

 不揃いなねじれが、無理にぐちゃりと音を立てて元通りの形へと変貌していく。切り刻まれていた肉体が、ピンクの肌を露出させて意思を持つように引き付け合っている。まるで、肉塊が奏でる交尾のようにそれは蠱惑的で、それ以上に奇怪だった。

 

 何と取り繕うとしても、その姿は化物だった。それは、生命に許されていい姿では決してなかった。キャスターにとって目を逸らすほどの事ではなかったが、しかし、直視するにはあまりにその背景に見えるものは重すぎて、そして凄絶にすぎた。

 

 そんなぴくぴくとバクテリアのように蠢く身体を見ながら、少年は自身を笑っていた。笑えてしまえていた。

 

 それが、どれほど哀れで、そして残酷であるか。理解したうえで少年は尚もわらっていた。

 

 ----あぁ。本当に。化物だな、この身体は。と、少年は他人事のようにつぶやく。

 

 キャスターは、それを叱咤することも、同情することもできなかった。宙ぶらりんになった感情だけが吊るされていく感覚を、噛み砕くようにキャスターは強く歯を噛む。

 

「怒るわね。セイバーは」

 

 拠点についたときの、セイバーの表情を思い浮かべながら、キャスターはふとそう口にする。

 少年にとってもそれが気がかりだったのか、手がないゆえに頭を掻くことが出来ず、困りはてたように先ほどとは違った笑みを漏らす。

 

「できれば、セイバーには見せたくないんだけどなぁ。こんなみっともない姿」

「遂には堪忍袋の緒が切れるんじゃない?外出禁止令が出るかも」

「それは問題だな。買い物に行けなくなる」

「残念だけど、坊やの身体は瞬間接着剤じゃないんだから、この状態でご対面は避けられないわよ」

「.......まあ、女王様の慈悲を信じるしかないかな」

 

 にやりと普段通りのいたずらめいた表情で少年はキャスターに向かってはにかんだ。

 

 その、年甲斐もない幼い表情が、キャスターの感情を少しだけ揺らした。

 だからだろうか、

 

「ねえ。なんで、嗤ってたの?」

 

 そう、己から零れる問いを、キャスターは漏らしてから気づいた。

 

 少しだけ驚くように。そしてスッと意識が薄れていくように、少年の目からは光が消えていく。

 それでも、ちゃんとその問いを聞き届けていたのか、少年は最後に振り絞るようにして声を紡いだ。

 

 たった一言だけ。”戦えたから”と。そうつぶやいて少年は最後に残した僅かな気力すら使い切って、僅かながらの眠りへといざなわれていく。

 

 そんな回答を聞くべきではなかったと、キャスターはその返答を聞いて質問をしてしまったことに吐き気を催すほど自身を嫌悪した。

 

 情を抱く気はなく。この関係性は、己がマスターである存在を救済し、そして自身もこの世界に一つの個として根差す目的を叶えるという一点のみに集約していた。故に、どれほどこの少年が、己が身をまるで使い捨ての玩具のように用いていようと。そしてその果てが決まっていたとしても、対して関係はないのだ。

 

 たとえ、その少年の姿に、自分自身を重ねることが出来たとしても。

 たとえ、その痛々しいまでの歪んだあり方が、どこか似ていたとしても。

 たとえ、己を化物と嘲り、嫌悪したうえでその力を行使できる者だったとしても。

 

 その役割は、自身にはないと、キャスターはその思考を拒絶した。

 

 ”魂食い”。それは、己が魔女であり、そしてそれを受け入れたうえで行使する行為だった。

 もはやいまさら、それを忌避するほど意固地でもないし、誇りや誉などこの身に宿るはずもない。その一線など、キャスターは光を得た時に超えていた。

 

 故に、キャスターは馳せてしまった。

 

 少年が戦いの最中に浮かべ続けた笑みの意味を。

 それを半ば押し付けられ、己の願いを直視せず壊しつくした少女の、饒舌しがたいその表情を。

 

 そのあり方を受け入れたこの小さな少年から、キャスターは目を逸らさずにはいられなかった。

 

 遠目に、しかしサーヴァントには視認できる範囲に、ついには拠点が姿を表す。

 セイバーはキャスターの手元を見ると、スッと目線を下げたのち、後ろに立っていた少女を黙って寝室へと押し込んでいった。

 

 ああ本当に、と。キャスターは嘆息を漏らしながら、暫く使われていない布団に、少年を乗せる。

 蠢く切り口に、ボロボロになった手足をつなげていく。奇妙にも、取り込むようにボロ雑巾のようなそれに噛みついた肉が、それらを取り込んでいく。

 

 その様子をみて、キャスターは疑問視していたことを再確認した。

 

 その哀れな有様で。壊れ果てていたその身体で。

 少年は、二体のサーヴァントに魔力を供給してなお、なぜあれほどの魔術行使を続けることが出来たのかと。

 疑問は、疑念へと膨らんでいく。無限に重なり合う推論が争いを始めて、より目の前の少年が人の皮をかぶった何かであるかのように錯覚させられる。

 

 いったい、少年は、どこからその魔力を調達していたのかと。

 そして、あの時少年が使っていた武装の数々は、一体。どこで。

 

 しかし、その疑念から、キャスターは意図的に目を逸らした。

 

 そして、その化物としての自身を受け入れた器を、遠めにも眺めていた。

 同情しているわけではない。壊れている人間など、キャスターは腐るほど見てきたし、これから生み出すことに何の抵抗もない。

 

 しかし、その在り方と。そしてその願いを。

 ぐちゃりと少女の前に転がった肉塊の、救われたような表情が、焼き付く視界から離れなかった。

 

 

 

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