「くそ、貴様のような若僧に!」
水干を着た中年の男が忌々しげに吐き捨てる。彼は絶体絶命の危機にあった。目の前にいるのは、自分より遥かに年下の黒衣に身を包んだ20歳位の青年。男が所属する組織の長から差し向けられた刺客である。
「往生際が悪い……。もう、貴方以外の人間の捕縛は終わった。貴方の企みは破れたんだ。貴方も頭領なら、潔く首を差し出すがいい」
「ええい、黙れ!黙れ!新参の貴様如きに何が分かる!?儂こそが長に相応しいのだ。英雄だかなんだか知らぬが、青山宗家の血をひくからといって、東の近衛に婿入りしたような男が西の長であっていいわけがないのだ!」
男は関西呪術協会でも過激派に分類される急進的な派閥の長であり、常々東との融和に積極的な現長詠春を批判し、最高峰の霊地である麻帆良の奪還を声高に主張してきた。一向にこちらの主張に耳を傾けない詠春に業を煮やした彼は、ついに麻帆良への独断での強襲及び木乃香の誘拐を計画するに至ったのだ。
「それは私の知ったことではないな。雇われているとはいえ、我々は西の人間というわけではないからな。そういうことはお仲間に言ってやることだ」
しかし、それも全ては筒抜けだったということだろう。こうして長の私兵が送られてきたということは。
一年程前に長に私的に雇われた三人組の傭兵『月桜狐』。当初は、長の道楽扱いであったが、情報技術の革新や失伝した秘術の復活などの功績で、最近は見直されてきた者達だ。たが、それでも新参者の外部の者達であるという蔑視は抜けず、彼らの力量を疑う者は少なくなかった。なにせ、これといった武辺話も槍働きもないのだから、無理もない話である。唯一、半年前に起きた前過激派筆頭が起こしたクーデター未遂を鎮圧したという噂があったが、眉唾物であった。常識的に考えて、百名を超える精鋭術者を抱えていたかの派閥が、たった三人の傭兵に敗れるなどどうして信じられようか。功があったのは確かもしれないが、主力は長の実家である青山宗家で、『月桜狐』はその補佐を務めたに過ぎないというのが大半の見方であり、その日に京都神鳴流が動いた情報がないなど不自然な点はあったが、そう信じられていた。男もその一人である。
しかし、早晩そのようなことを言う者は西には一人もいなくなるだろうと男は確信していた。半年前と同様に、こうして現過激派筆頭の己がても足も出ずに壊滅させられようとしているのだから。そして、それは間違いではない。この日を境に『月桜狐』は、「長の懐刀」として恐れられることになるのだから。
「貴様らが半年前に前筆頭を潰したというのは、誇張でもなんでもなかったと……。この忌々しい化物めが、貴様らが全ての元凶だったというわけか!」
本拠地の門前に『月桜狐』の三人が現れ、投降を呼びかけてきた時、それを伝え聞いた男は鼻で笑ったものであった。たった三人で何ができると。むしろ、長の私兵を討ち取った余勢をかって、そのまま麻帆良に攻め込まんと意気軒昂ですらあった。
だが、それはいきがった若僧を教育してやれと送り出した刺客達が見るも無惨な姿になって、戻ってくるまでの話であった。刺客達は手駒の内で最強ではないにしても、中堅以上の実力者揃いであったからだ。しかも、万難を排して敵の倍の六人を送ったにもかかわらず、それが敗れたというのだから。
今、思えばここで敵の力量を悟るべきであったのかもしれない。なまじ最強の手駒が手元に残っていたばかりに男は判断を誤ったのだ。
送り返された見るも無惨な刺客達の姿に怖気づく者が出てくる前に事態を収拾せんと、男は長として最強の手駒を用いることにした。万が一にも敗れることあれば後はないが、このまま座して手をこまねいていれば、派閥が瓦解しかねいという危惧を抱いたが故だ。
男の命に応じて、最強の手駒である京都神鳴流の剣士が出陣した。この剣士はあまりに強さに執着し、その為に積極的に戦いを求める様から破門された人間だったが、その実力は折り紙つきである。後ろ暗い仕事であっても、戦いの場さえ与えれば嬉々として行うので、使い易くそれでいて強力な手駒だった。この時、派閥の人間の動揺を抑え、同時に自身の最強の手駒の実力を見せつけるために追随させた視覚中継の式神が、男の最大の失策となる。
最強の手駒があっさりと敗れたからだ。
露出狂じみた格好をした少女にその全身を切り刻まれて、京都神鳴流において一角の使い手であった男は死んだ。その人を遥かに超越したスピードに翻弄され、妖刀・魔剣の類を思わせる切れ味を見せる靴に刻まれて。
三対一ですらなく、サシの勝負で傷一つつけられずに最強の手駒が敗れたのだ。その一部始終を見せつけられて、恐慌するなというのが無理な話だろう。ダメ押しに口パクで「次は貴方の番よ」とかこれみよがしに宣言されて、視覚中継の式神が潰されたことがトドメとなった。
ちなみに、実際には徹がメルトリリスを指揮しており、実質的には二対一だったのだが、式神から視覚のみを中継されていた彼らに、殆ど動きがない徹が参戦していたなど見抜けようはずもなかった。
見ていた者達はたちまちに恐慌状態に陥った。逃げ出そうとする者が続出し、長である男に詰め寄る者さえ出始めた。男は必死に統制をとろうと努力したが、それでも何人かの逃亡を許してしまった。
だが、本当の絶望はそれからであった。
残存戦力をどうにか纏めて、この場を逃れ再起を図ろうと画策してた男の前に、なんと逃げたはずの者達が戻ってきたのである。何を今更と叱責しようと口を開きかけたところで、逃亡したはずの者達からもたらされた情報に男は凍りついた。
本拠地の結界が乗っ取られ、誰一人逃れることができなくなっているというのである。術者十数人がかりで構築された特殊な守護結界をである。それもこの場にいる誰にも、今の今まで気取らせずに。その事実を認識した時、最早誰も言葉を発しなかった。
相手は武で最強たる京都神鳴流を正面から降し、今また術者としての力量も遥かに及ばないことを思い知らされたのである。程度の差はあれ、いずれも自身の力量にそれなりに覚えのある者達であるが故に、それは到底現実と認められるはずもない悪夢であった。
男も含め、彼らは最早死刑宣告を受け、その刑の執行を待つ死刑囚となんら変わりはなかった。最早、彼らに許されたのは、座してその時を待つ以外は破れかぶれの玉砕か自殺しかなかった。曲りなりとも過激派に属し武闘派で知られる者達が多いだけに、待つことも自殺も選ぶ者はいなかった。長である男も、最後まであがくことを諦めなかった。どうにか、外部からの援軍をとりつけるか、脱出する術を見つけようと本拠地の最奥で、あらゆる通信手段を駆使した。
しかし、現実は非情であった。呪的な通信手段は乗っ取られた結界に尽く阻まれ、科学的な通信手段も電波妨害でもされているのか一切通じなかったのだ。そして、破れかぶれの迎撃に出た者達は誰一人戻ってこなかった。ついには男自身の護衛すら送り出し、気づけば残っているのは男一人だけになっていた。そうして、最早玉砕以外為す術がないと悟った男の前に現れたのが、目の前の青年であった。
半年前のクーデター未遂鎮圧を受けて、急進的な過激派の多くがその勢力を大きく減退させた。過激派にいた者には、東との融和をすすめ弱腰に見えることから詠春を嫌っていた者が少なくなかったからだ。そんな弱腰の長が過激派の中でも一番の武闘派として知られた派閥を大鉈を振るって、文字通り壊滅させたのだから、印象も変わろうというものである。
そも男が一見無謀とも思える計画の実行の着手に至ったのも、時を経れば経るほど勢力が減退していき、計画の実行どころか派閥の維持すらままならなくなるのを予期したが故である。つまるところ、男がこんな状態に陥ったのは全て目の前の青年にあると言っても過言ではないのだ。
「くっ、何も理解しておらぬ慮外者めが!長の狗ごときが儂の夢を潰そうというのか!?」
「夢か……。今の今まで見逃されてきたことも理解していない貴方に、長が務まるとは私には露程にも思えないが」
「儂が見逃されていただと!?あの弱腰の長に!」
「そうだ。貴方は実行にまで至らないただの不満屋だったからこそ、今までお目こぼしされてきたに過ぎない」
つまり、それは今まで脅威としてすらみられていなかったことを意味する。それを理解した男はあまりの屈辱に耐え切れず激昂した。
「ふざけるなー!!」
抑えきれぬ憤怒を込め、切り札たる呪符を発動する。男の全魔力を注ぎ込まれたそれは巨大な炎の巨人と化し、青年に襲いかかった。
「参の太刀 轟風!」
しかし、瞬時に巨大な風の刃によって両断される。一撃どころか触れることすらできないままに、核たる符をも斬られた炎の巨人は消滅した。
「そ、そんな馬鹿な……」
あまりの光景に男は後ずさり、しまいには尻餅をついてへたり込む。
「私の目の前で使ったのは悪手だ。核たる符の位置がバレバレだ。予め使っておけば、多少なりとも粘れたろうに」
「化物め!」
目の前で呪符の発動を見ていたとはいえ、爆発的に生まれる炎に惑わされず、術の核である呪符の位置を見極めることなど至難の業である。それをこともなげにやられたのだ。男の言は無理もないことであった。
「先ほども言われたが、酷い言われようだ……。さて、覚悟はいいな」
「……」
あれほどの術をなんなく破りながら、なんの感慨もういていない冷酷な視線の前に、男は最早言葉もなくうなだれるほかなかった。
「半年前に続き、今回は本当にご苦労様でした。最後の最後までお手間をかけさせて申し訳ありません。ですが、お陰様で随分風通しが良くなりましたよ」
「それは何よりです。私共も尽力した甲斐があったものです」
こちらを労うように言う詠春さんに、玉藻がしたり顔で応じる。一見何でもない会話だが、実情はかなり物騒な話だったりする。昨晩、私達は過激派の派閥の一つを潰してきたところであり、風通しが良くなったとは、組織内で詠春さんに逆らう者が少なくなったということを諷喩しているのだ。
何だかんだいっても詠春さんも組織の長である。中々に黒い。それと平然とやり合える玉藻も玉藻だが……。まあ、本人に言うと拗ねるので、言葉には出せないが。
「お約束通り戸籍は用意させて頂きました。しかし、貴女個人の独立した戸籍でよろしかったのですか?」
詠春さんが言っているのは、玉藻を最初から一緒の戸籍にすることもできたということだ。
「どうせなら、婚姻届というものも出してみたくてですね。折角なんですからとことんやりたいじゃないですか」
「なるほど、やる以上は徹底的にということですか。まあ、郷に入れば郷に従えといいますし、こちらとしても手間が省けたので、異存はありません。
それではこちらをどうぞ」
詠春が差し出したのは一つの茶封筒であった。玉藻はそれを神妙に受け取り、中身を確認する。
「貴女の戸籍謄本の写しです。すでに諸々の手続は完了しています。本日この時から貴女は日本国民です。婚姻を結ぶのはもちろん、保険料支払えば年金だって受け取れますよ」
冗談めかして、そんなことすら言う詠春さん。なんだかんだ言って、彼個人としても祝う気持ちがあるのだろう。
「ありがとうございます。本当に嬉しいです」
大切そうに封筒を胸に抱え込む玉藻。なんというか、芝居がすぎる気がしないでもないが、念には念を入れておくことに越したことはない。それに玉藻自身の策だったとはいえ、玉藻だけ戸籍なしの不安定な状態を強いたのは紛れもない事実だ。そう考えれば、あながち演技だけとは限らない。
むしろ、純粋な喜びの方が大きいのかもしれない。
「さて、お三方との契約は本日をもって終了するわけですが、今後はどうなされるおつもりですか?」
「しばらくは三人でのんびりしようかと思っています。この一年それなりにハードでしたからね」
「いやはや、耳が痛いですね。私が不甲斐ないばかりに申し訳ない。
それはさておき、今後の予定は決まっていないということですか?」
「ええ、今のところ他の誰にも雇われる予定はありませんよ。折角三人とも大手を振るって、陽の下を歩けるようになったんですから、久々の日本を思う存分満喫しようかと思っています」
「なるほど、それはいいですね。綺麗どころ二人と一緒にとは、同じ男として羨ましい限りですよ」
「ははは、確かに綺麗どころですけど、二人共我が強くて苦労して……る……」
それ以上は言えなかった。隣に座る二人から背筋も凍るような気配がした為に。
────駄目だ。隣を見てはいけない。どちらを見ても獰猛な笑を浮かべた般若が待ち受けているに違いないのだから。
「いえいえ、女性はそれくらいがよろしいですよ。余り控えめ過ぎるのも困ってしまいますからね。意思表示ををしっかりしてくれる女性は貴重ですよ」
空気を察して如才なく難を逃れる詠春さん。そっちらから振っといて酷くないですか?いや、まあ余計なことを言ったのは私ですけどね!
「そうですよ、センパイ命の私に酷い言い様です。センパイはもっと釣った魚に餌を与えるべきだと思います!」
「桜さんの言う通りです。姉女房は身代の薬とも申します。ご主人様はご自分がいかに恵まれているか、自覚すべきです!」
どっちも向かなかったからって、わざわざ二人して下から覗き込むようにしないでくれませんかね。微妙に怖いわ!
視線を上げれば、詠春さんがこちらを生暖かい目で見ている。視線で助けを請うが、彼は無情にも黙って首を振るだけだった。最早、退路はないというのか。
「ちょっと待って下さい、玉藻さん。姉女房だと私が入らないじゃないですか!?」
「おや、そうでしたっけ?タマモうっかりです~」
さりげに対象から外されたことに気づいた桜が抗議するが、玉藻はテヘと舌を出して自分の頭を小突いた。
可愛いけどあざとい!あざといですよ、玉藻さん。それに年齢的にアウトな気が……。
「く~、明らかにわざとですよね。これみよがしにぶりっこしちゃって!いい年してみっともないと思わないんですか!?」
ああ、桜さんアカン!思っても言ってはいけないところだそれは。玉藻をおばさん呼ばわりしたありす達に、「あはは、よし、徹底的にブッ潰す」と静かにキレていたぐらいの地雷なんだぞ。そのあり方は嫌いじゃないって言っていた相手に対してもそれだというのに。
「ああ~ん、BB……貴女、今なんて言いやがりましたか?誰が大年増ですか!」
「そんなこと一言も……って、実は気にしていたんですね。センパイとの歳の差」
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか!大体私はまだまだピチピチです。玉のお肌にこの完璧なプロポーション、ご主人様もメロメロです!」
おや、きれると思ったら意外や意外。まさか玉藻がそんなことを気にしていたとは……。
「ふ、それでも圧倒的な若さを誇る私が有利ですね!それに貧乳・巨乳・爆乳をとり揃え、サドマゾどちらもいけるなんでもござれの私の対応力には、いくらキャスターさんでも勝てませんよ!」
おいおい、桜さん。君も何言っちゃってるのかな?確かにメルトリリスで貧乳&サド、パッションリップで爆乳&マゾ、BB自身で巨乳&ツンデレと確かに網羅しているが、こんなところで言うことじゃゃないよね!
「ぐぬぬぬ、アルターエゴを使うとは卑怯な!自前のものだけで勝負なさい!」
「リップもメルトも私自身ですから、ちゃんと自前ですよー!」
二人は顔を突き合わせて、どんどんヒートアップしていく。
ちょっ、ここ人の家だからね。君等が本気で喧嘩したら、この屋敷灰燼とかすから!
そんな風に内心で焦っていると、何か強烈な圧力を感じた。ふと視線を上げてみれば、詠春さんが止めてくださいと口パクで要求してきた。詠春さんも、二人の力の高まりを感じたのだろう。微妙に嫌な汗をかいているようだ。
先程は人を見捨てたくせに虫の良い話だと思わなくもないが、発端は私の余計な言葉だし、これ以上二人の恥を他者に晒すのも忍びないし、妻同士の喧嘩を仲裁するのも夫の役目というものだろう。というか、ほっといたら洒落にならないレベルの事情を暴露されそうだ。
「そこまでだ二人共。ここがどこだか忘れていないか?それに私達だけならまだしも、ここには詠春さんがいるんだぞ。私に対する文句なら、後でいくらでも聞く。だから、今は時と場所を弁えろ」
「ご主人様」「センパイ」
「返事は?」
「「ハイ」」
「大変失礼しました」
「ハハハッ、構いませんよ。元気があってよろしい。若者はそのくらいでなくてはね」
神妙に頭を下げる私達を笑って許してくれる詠春さん。まあ、最早おなじみと言える程度には見慣れているであろうから、無理もないが。この程度の無礼を笑って済ませてもらえる関係、この一年の成果といえるだろう。
「みっともないところをお見せしました。良妻として恥ずかしいです」
「なに、貴女ほどの存在でも意中の人がかかれば平静ではいられないと分かったのは収穫ですよ」
「あら、中々の仰り様ですね」
詠春さんの言に口をとがらせる玉藻だが、どの口でそれを言うかと私は思ってしまう。
なぜなら、実は玉藻は意図的に詠春さんの前で桜と私をとりあっての争奪戦というか、喧嘩をしていた節があるからだ。無論、内容については嘘はないだろうし、半分以上素であることも間違いない。だが、その頻度や場面から考えるに、狙ってやったというのも間違いないだろう。玉藻はTPOをわきまえない女性ではないし、礼を欠くような女性でもない。雇い主の前で粗相など本来の彼女からすれば、ありえないことだ。それでも、あえてそうしている以上、そこにはなにか狙いがあるはずである。
この狙いについては、実のところ見当がついている。恐らく、玉藻には私という枷、首輪ががついているのだということを詠春に見せつけるためだろう。玉藻は神霊だが、大妖としての側面も持ち合わせている。それが野放しになっているのは、色んな意味で安心できない。当初私達三人に対する警戒というよりは、玉藻に対する警戒という監視体制になっていたことからも、それは明らかだ。
だが、そんな存在が二十にもならない小娘と一人の男を本気で取り合っていたらどうだろう。玉藻を抑えることは無理でも、私を抑えれば玉藻を抑止することは可能だと考えないだろうか。事実、私は詠春さんとタイマンしたら、負ける自信がある。詠春さんもそう考えたに違いない。その証拠にある時期から、彼の態度から大幅に警戒の程度が低くなったのだから。
「……非常に心苦しいのですが、三人でのんびりというのは難しいかもしれません」
そんなことを考えていると、口調を改めてどこか苦い声で詠春さんがそんなことを言った。
「それはどういうことですかと問い詰めたいところですが……見当はついています。些かやり過ぎましたか」
「ええ、半年前だけであれば良かったのですが、今回の一件で貴方方の実力が表に出てしまいました。最早、西には貴方達を見くびるものなど一人もいないでしょう。それだけならよかったのですが……」
「組織に取り込むべきという意見が出ているということですね?」
詠春さんが言い淀んだ部分を引き受けるように玉藻が続ける。問う形だが、実際には事実の確認だ。
「ええ、たった三人だけで過激派の大半を潰した貴方達を野放しにしておくのはまずいというのが、大勢の意見ですね。貴方達が東に流れることを危惧している者も少なくありません」
「本日をもって契約が満了した以上、私共としてはそんことは知ったことではないとはねつけることもできるわけですが……」
「もちろん、そうされてもこちらとしては文句が言えません。私としても貴方達を敵に回したくありませんから、手出しするつもりはありませんし、そう徹底させます。ですが、それでもちょっかいを出す輩は出てくるのは避けられないと思います」
詠春さんの言葉は真摯なものだった。その言葉に嘘はないだろう。そして、彼の言うとおり、西からのちょっかいはあるだろう。どんなに上が引き締めても、下に跳ねっ返りはいるものである。もとより組織というものは、規模が大きくなればなるほど、末端に意が届きにくくなるのが常であるから、仕方のないことである。
玉藻の言う通り、私達は少し……いや、些か以上にやり過ぎたのである。最後ということではりきり過ぎたのがまずかったか。
「幸い最大の目的だった戸籍も含め、欲しいものは十分に手に入れる事が出来ました。蓄えも十分にありますし、私達がこれ以上傭兵をやる理由はないのですが」
玉藻は頬に手をあてて、さも困ったような顔をしているが、その裏ではほくそ笑んでいるに違いない。なにせ、私達の目的は完全に達成されたているからだ。いや、正確に言えば、詠春さんに雇われた時点で、私達は最大の目的を達成していたのだ。
さて、私達の最大の目的が玉藻の戸籍入手など嘘っぱちもいいところだが、では真の目的とは何か。それは実のところ、西の長である詠春さんに雇われていた実績、職歴ともいうべきものである。私達の実績といえば、魔法世界での賞金稼ぎとしてのものがあるが、あれは基本的にこちらでは通用しにくい。加えて、私達自身が素性の詮索を避けていたこともあり、それ程顔が売れているわけではない。そんなわけで、ぶっちゃけこちら側では無名もいいところであり、どこの馬の骨とも知れない扱いだ。当然、仕事にありつけないことは間違いないし、無名の実力者など要らぬ詮索を受けることも間違いない。
だが、西の長に雇われていたことがあるというだけで、話は一変する。雇われるだけの信用と力量があるという裏付けになり、いらぬ詮索をうけることはもちろん、仕事をこちらから探す必要もなくなるだろうというのが、玉藻の目論見であった。ちなみに、昨晩些か以上にやり過ぎたのだって、最後に大きく名前を売るとともに、下手な輩からのちょっかいを防止するという目的があったというのだから、恐れ入る。
────まあ、真に恐ろしいのは、玉藻はこの筋書きをラカンから詠春さんを紹介された時点で書き上げていたことであろうが。
「ええ、それはこちらとしても理解しています。ですが、お三方の為人を知る者は私も含め極少数なせいか、思った以上に脅威論が強いのです」
玉藻の言い分はもっともなものだったが、「はい、そうですか」といかないとろが、組織の長としての辛いところであった。とはいえ、詠春個人としても、目の前の三人をみすみす逃がすという選択肢はない。
雇ってみて分かったことであったが、この三人は優秀過ぎるのだ。確かに相応の力量を備えているであろうとことは、ラカンと引き分けたことから理解していたつもりであったが、つもりでしかなかったことを詠春は思い知らされることになった。彼らの真価は、個々人の力量は元よりその卓越したスキルの方にあったのである。
大妖である玉藻は、失伝したはずの秘術を知っており、そのいくつかを提供してくれただけでなく、既存の術改良まで行うという術方面では八面六臂の活躍振りだったし、徹と桜は西で遅れがちだった最新の情報技術によるネットワーク網の構築をたった二人だけでやり遂げてしまったのだ。手放すにはあまりに惜しい逸材揃いであった。
「なるほど、あまり深入りしないようにビジネスライクで接していたのが仇になりましたね」
玉藻の言う通り、三人とお個人的な付き合いをしているのは、詠春自身を除けば極少数の例外を除いて皆無に等しい。深入りして西から離れられなくなるのは避けるというのもあったろうし、必要以上の関わりは私兵としての立場上まずいとこちらに配慮してくれたからなのだろうが、何事も万全とならぬのが現実らしい。
「いえ、貴方達の責任ではありません。力量を信頼していたと言えば聞こえはいいですが、実際貴方方に甘えていたという側面も少なからずあります。昨晩も、本来なら私自身が手勢を率いてあたるべきでした。とはいえ、今更後の祭りですが……」
詠春個人の私兵という立場である『月桜狐』は使い勝手が良すぎた。なにせ、ラカンと互角にやりあえる力量の持ち主達なのだ。戦闘において、およそ負けはない。しかも、私兵という立場から、組織による誓約を受けずに詠春個人の意で自由に動かせるというのだから。
昨晩のことにしたって、本来ならば長である詠春自身が手勢を率いて鎮圧にあたってもおかしくないものだったというのに、彼らはたった三人で片付けてしまった。確かに彼らならできると思って任せたのだが、その仕事ぶりは完璧すぎた。正面から挑んだにも関わらず圧倒的な数の差をものともせずに封殺し、挙句敵本拠地の結界を乗っ取り、一切の逃亡を許さないという徹底ぶりだ。脅威論がでるのも、致し方の無いことと言えた。
「いえいえ、私達は仕事を全うしたに過ぎません。あれも契約の内ですから、気に病むことはありませんよ」
労るように言う玉藻がいってくるが、この大妖の言葉を鵜呑みにするのは危険であるとこの一年の付き合いで詠春はすでに知っていた。気に病むなと言いながら、目は欠片も笑っていない。彼女は言外に要求しているのだ。そちらの落ち度なんだから、そっちでどうにかしろと。
────さて、どうしたものか……。
少し時間を遡る。過激派鎮圧の報告を受けた詠春は目の前の三人の処遇について、頭をなやませていた。当初、信頼できるならば正式に組織に迎え入れることも考えていた詠春だったが、ことここに至ってはそれはとれない手段となっていた。私兵という立場であるから、彼らは組織内の事情などに関わりなく動くことができたのだ。そして、あくまでも組織の構成員でないからこそ、組織内の反発を気にすることなくあれ程徹底的に潰せたのだ。
もし、今彼らを組織にとりこめば、反発は必至である。それどころか、間違いなく逆恨みの復讐が行われるだろう。なにせ、半年前と昨晩の過激派鎮圧では少なからぬ死者が出ていおり、その縁者は組織内に多数存在しているのだから。
(しかし、本当にどうしたものでしょう?このまま彼らを手放すのは悪手以外のなにものでもありませんが、かと言って組織に迎え入れるのは問題があり過ぎます。彼らならば、逆恨みなど容易にはねのけましょうが、組織内に無用の軋轢を招くのは避けられないでしょうからね。
とはいえ、このまま私兵のままというのもまずいでしょうね。御老人達は、私個人が彼らという圧倒的な戦力を保有し独占していることが気に入らないようですからね……。まあ、それ以前に彼らが再契約に応じてくれるかという問題がありますが)
『月桜狐』の実力が知られていなかった一年前とは違い、その力量は白日の下に晒されてしまったのだ。私兵として再契約することになれば、伝統や既得権益に固執し自身の地位と利益にしか興味のない老人達であっても、今度は長の道楽と野放しにはすまい。必ず口を挟んでくるであろう。
(この一年大鉈を振るったとはいえ、未だ御老人達の影響力は残っていますし、それに些かやり過ぎた感も否めませんからね)
ここ一年の『月桜狐』の働きと詠春の断固たる態度で、組織内の風通しは遥かによくなったものの、些か急進的であったのも事実であり、伝統や歴史を重視する旧態依然の老人達からの反発は強い。必要なことではあったとはいえ、詠春としてもしばらくは穏便にことを進めたいのが本音であった。
だが、そうなると余計に『月桜狐』の扱いは難しくなる。組織内に迎え入れれば確実に軋轢を生み、それどころか私兵扱いのままであっても、手元においておけば確実に火種になるだろう。それも半端な火種はない。なにせ、ラカン級の実力者なのだ。それを潰す戦力が動員されるとなれば、下手をしなくても戦争になりかねない。
(やはりこのまま私兵としての立場でいてもらうのが一番都合がいいのでしょうが、手元におけないとなると扱いに困りますね。これだけの戦力を遊ばせておくというのもあれですし……。
私兵のまま手元におかず、それでいてその戦力を有効活用するなんて、そんな都合のいい手があるわけが────!!)
そこまで考えて、詠春はあることを思いつく。いや、思いつくというよりは思い出したと言った方がいいだろう。詠春の私兵といっていい存在でありながありながら手元におらず、それでいて本人の意向があるとはいえ結果的に有効活用していると見られている少女のことを。
桜咲刹那、詠春の一人娘木乃香の幼馴染であり、彼自身にとっても愛弟子であり娘同然の存在の少女。今は、木乃花の護衛として麻帆良に派遣されている……と本人は思っているだろう。確かに彼女がその一翼を担っていることは間違いないが、実際のところそこに詠春の真意はない。なぜなら、詠春が木乃香の護衛戦力として期待したのは麻帆良の防衛戦力の方であり、ひいては義父である麻帆良の長の手腕であるからだ。
むしろ、刹那を西から引き離し、木乃香の傍で一人の少女として過ごしてもらうことこそが目的であった。刹那はその特殊な生い立ちから、元々西での立場はよくない。麻帆良への派遣はそれにとどめを刺し、『裏切者』という汚名を被せてしまうことになったが、それでも西に留まるよりはましであろうと詠春が判断する程度には。
(元々、刹那君には木乃香のことだけでなく、一人の少女として学生生活を楽しんで欲しいという思いがありましたし、年長者の実力者が補助につくというのは彼女へのかかる過剰な負担の軽減という意味でいいかもしれません。それに、あれだけの戦力を娘の護衛の為とはいえ東に派遣するというのは東への示威行為にもなりますし、お義父さんへの牽制にもなるでしょう。ふむ、存外に妙手やもしれませんね)
ありえないはずの都合のよすぎる解決策であったが、一度思いついて考えれば考えるほど、これ以外ないように詠春には思えてきた。問題は 『月桜狐』の三人が受け入れてくれるかどうかだが、麻帆良での住居をこちらで用意し、加えて麻帆良、すなわち東にも紹介するということを条件にすれば、頷かせるのは不可能ではないだろう。彼らにかぎって、己の置かれている状況を理解していないということはないであろうから。
そうして臨んだこの話し合いだったが、状況はよくない。いや、詠春自身、己が交渉事に疎いことは自覚していたが、それにも増して相手が悪いというべきだろう。なにせ相手は詠春よりも遥かに齢を経た大妖である。根っからの武人である詠春では策謀はもとより恵、交渉においてももとより勝負にもならないことは分かりきっていった。
(やれやれ、これは相当の譲歩を迫られそうですね。ですが、これも木乃香や刹那君の為です。親として師として、そして組織の長として全力を尽くすとしましょう)
まさか、全て筋書き通りに動かされているなどと夢にも思わない詠春は、断固たる決意を秘めて交渉に臨んだのだった。
年内に間に合わせようと頑張ったのですが、少し強引だったかもしれません。ようやっと次話から舞台が麻帆良へと移ります。一気に時間経過する予定です。