一月中にあげるつもりが遅くなり、申し訳ありません。
「ありえねー、何だよ九歳児の先生って、教育実習生にしても若すぎだろ!どんだけ飛び級すりゃあいいんだよ!ていうか、労働基準法に喧嘩売っているだろう!だっていうのに、なんでうちのクラスの能天気共は平然と受け入れているんだよ!
なんだよ、おかしいのは私の方だとでもいうのかよ!」
鬱憤を晴らすかのように、少女はぼやいた。少女の名は長谷川千雨。ちょっとPC関係のスキルに優れており、秘めた趣味があること以外は紛うことなき一般人である。
ただ、彼女には一つだけ明らかに常人とは違うところがあった。ここ麻帆良では明らかに普通では有り得ないことが多々起きるのだが、大多数の人はそれを異常と感じないのである。いや、正確には極一部の存在を除いて、認識をずらす結界によって異常を異常と認識できない。少なくとも常人には不可能だ。
だが、幸か不幸か千雨は異常を異常だと認識できてしまうのだ。本来想定された極一部の例外に該当しないにもかかわらず、彼女は正確に物事を認識してしまうのである。その理由は不明だが、彼女は麻帆良学園都市の基幹システムの想定外のイレギュラーの一つといえよう。
しかし、当然ながら当人にとってはいい迷惑である。なにせ周囲が当然の如く異常事態を普通に受け容れるにもかかわらず、千雨だけは異常と感じ受け容れられないのだから。この周囲との認識の齟齬は、彼女とクラスメイト達との明確な溝となり、自然と人付き合いを悪くしていた。今日現れた新たな担任教師に対する反応などその最たるものと言ってもいいだろう。それによって生じた不満や鬱憤を、彼女はお気に入りの喫茶店で吐き出すことで晴らしているのだ。
「今日はいつもにまして荒れているわね、千雨。まあ、貴女がそう言いたくなるのも無理もない話だけど……。でも、レディたる者がそんなに汚い言葉を使うものじゃないわ」
窘めるように言うのは鮮血の如き紅の髪の美少女である。その美貌は絶妙にマッチしたゴスロリ服と相まって不可思議な艶やかさをもっている。初めて少女を見た時、美少女に見慣れた千雨でさえ、言葉を失った程である。
「あー、勘弁してくれよ、エリザ。ここでぐらい思う存分愚痴をこぼして、羽根を伸ばしたいんだよ」
そう言って、テーブルに突っ伏す千雨。本当に精神的に疲れ果てているのだろう。今にも口から出てはいけないものがでそうな表情であった。
「あははは、本当にお疲れだね千雨ちゃん。まあ、ゆっくりしていくといいよ」
そんな彼女のところに静かに白磁のティーカップが置かれる。そこからゆらりと立ち昇る芳香が、不思議と千雨のささくれだった精神状態を癒やす。
「いい香りだな、マスター。また、メニューを増やしたのか?」
多少精神状態を復活させた千雨は顔を上げて、それを成した人物を見上げる。そこには地味で暗めではあるが、よく見ると整った顔立ちをした青年がエプロン姿で佇んでいた。どことなく個性に乏しく影が薄いように見えるが、れっきとしたこの喫茶店の主である。
「ああ、千雨ちゃんは貴重な常連客だからね。ちょっと頑張ってみたよ」
「いくら常連とはいえ、一人の客に対し手間かけすぎじゃないか?相変わらず儲け度外視な経営しているんだな」
「まあ、所詮道楽でやっている店だからね、構わないのさ」
「マスター達がそれでいいならいんだけどよ……。あ、美味しい」
千雨が多少の心配とともにした苦言にこともなげに笑顔で応じる青年。その様子に、これは駄目だとと悟り、千雨は出されたものを大人しく飲むことにした。頑張ってみたという言葉に偽りはなかったらしい。じんわりと染みわたるような旨味が口の中を踊る。
「それは良かったです。リラックス効果のあるハーブを絶妙なバランスでブレンドした『千雨ちゃん専用スペシャルブレンドハーブティー』ですからね」
思わず口に出していた感想に、笑顔と共に嬉しそう声で応じたのは、いつの間にか現れていた紫髪の清楚な美女だ。その清楚な外見に似合わず、抜群のスタイルを誇っており、千雨も密かに羨んでいたりする。
「あ~、桜さんの作だったんですか。確かにとても癒やされるんですが……まさかそのネーミングでメニューに出したりしませんよね?」
清楚な外見に似合わず、実は結構悪戯好きである彼女の側面を思い出し、念の為聞いておく。
「うふふ、さあ、どうでしょう?」
「ちょっ、勘弁して下さいよ!」
どこか悪戯っぽい笑を浮かべるのを見て焦る千雨。いくらここが穴場的な喫茶店で客が少ないと言っても、千雨が知る限り、数人は知人が客として来ているのだ。自分の名前がついたものがメニューにのったらたまったものではない。
「こらこら桜さん、お客様をあまり誂うものじゃありませんよ。ごめんなさいね、千雨ちゃん」
そう窘める様に言ったのは、これまたいつの間にか現れていた店主の妻であるという絶世の美女だ。別に露出の高い衣装を着ているというわけでもないのにその装いや所作は不思議と色気を感じさせる。出るべきところは出て引っ込むべきところは引っ込んでいるという、まさにボン・キュッ・ボンと形容するのに相応しい肢体の持ち主であるが故かもしれないが。
「ああ、いや、冗談ならいいです。別に怒っちゃいませんよ」
ひとまず危機を脱したことに胸を撫で下ろしながら、千雨はお茶で喉を潤す。そうして一息ついて、四人を見る。自分を見なさいと言うが如く胸を張る美少女に、穏やかな表情でこちらを見つめる青年。どこか悪戯っぽい笑でウインクする美女と太陽のごとく微笑む美女。店主である青年はともかく、クラスメイトで美少女・美女には見慣れている千雨からしても女性陣の美貌のレベルが高過ぎる気がするが、麻帆良の異常さからすれば些細なことである。何よりも彼ら四人は、千雨の良き理解者達なのだから。
(今日も千雨ちゃんは荒ぶっているなあ。どことなく凛を彷彿とさせる……。)
内心でそんなことを思いながら、貴重な常連客である少女を微笑ましく見つめる。愚痴を零してはエリザや桜に弄られているが、楽しそうでもあり、精神的にリラックスできているようで何よりだ。なにせ知り合った当初は、周りを拒絶するように排他的で精神的に孤独であったのだから。
ちなみに、そのあまりの惨状に思わず声をかけてしまったのが、彼女との始まりであったりする。
「もう麻帆良に来て二度目の春か、暦の上ではだが早いものだな」
「そうですね。麻帆良に来て、今日でちょうど一年になります。光陰矢のごとしとは申しますが、この一年は本当に早かったですね」
ふと何気なく零した言葉に、玉藻がしみじみと言う。
そう、もう一年になるのだ。私達が麻帆良に来てから。
昨年の1月に、詠春さんとの話し合いの結果、私達三人は詠春さんの私兵としての契約を更新することにした。その際、麻帆良に派遣されることともに、新たに詠春さんの娘である近衛木乃香嬢の護衛と桜咲刹那嬢の補助という任務が加わったのだが、それに対し玉藻はその恐るべき手腕を発揮し、報酬の大幅な引き上げは勿論、麻帆良への売り込みとこの喫茶店兼家を対価として勝ち取っていた。正直、取り過ぎだろうとも思ったのだが、玉藻に言わせれば、詠春さんが許容できる範囲の限界を見極めていて、これでも遠慮したというのだから、そら恐ろしい話である。
麻帆良に来た当初は、西で過激派を潰したという勇名というか悪名が効きすぎたらしく、麻帆良の防衛戦力の中核を担う魔法先生達に穏健派・過激派問わず、大いに警戒されたものである。今でこそ、麻帆良の長である詠春さんの舅やその懐刀であるタカミチさんを筆頭とした穏健派とはそれなりに友好的な関係を築けてはいる。
しかし、その彼らであっても当初は私達を危険視していたのだ。その警戒ぶりときたら、最初の一ヶ月は常時監視つきであった程だ。
これは、私達の雇用期間中の詠春さんのやや強引な姿勢の原因が私達にあると思われていた為だ。ぶっちゃけ、これについては否定出来ない。私達が扇動したというわけではないが、詠春さんの手元に私達という使い勝手のいい強力な戦力があったからこその強硬姿勢だった点は否めないからだ。
とはいえ、四六時中監視されるなど真っ平御免である。そこで悩んだ末に、考えついたのがこの喫茶『月桜狐』である。店の敷地に玉藻謹製の強固な結界を張り外部からの監視を不可能にし、替わりに喫茶店の客として来るのならば一定の監視も受け容れることにしたのだ。これは私達のプライベートを守ると同時に、客としてくる監視と交流をはかり、そうすることで相互理解をすすめ警戒を和らげることを狙ったものだ。
これが思いの外、奏功した。当初、監視の人員はお堅いガンドルフィーニ氏をはじめ、強面の神多羅木氏、はては麻帆良最強戦力であるタカミチさんなど、武闘派揃いの顔ぶれだったが、今や若手の瀬流彦さんがメインとなっており、後はたまに純粋な客として弐集院さんや明石さんが来るくらいになっている。
もっとも、何の騒動もなかったというわけではない。麻帆良防衛に助力した時、一度だけ過激派の連中に襲撃を受けている。私達は当然の如くこれを撃退したのだが、この際相手に無用な負傷をさせず、無力化に徹したことが、麻帆良というか東の態度を和らげたのは間違いないだろう。まあ、逆にこちらの力量に対する警戒はあげてしまったようだが、これはどうしようもないことだろう。
結局、郊外にあるちょっと穴場的な喫茶店として普通に営業できるようになるまで、実に半年の時間を要した。その間の客は、千雨ちゃんを除けば、監視の人員くらいしかいなかった。どうも人払いみたいなものを店周辺にかけられていたらしい。かけられていた範囲が店周辺というのが、また厭らしい。実のところ、なんらかの術法の存在は感知していたのだが、出向というか派遣社員的な立場である私達は、麻帆良の地にかけられている術法に干渉する権利はない為放置していのだ。これが店自体にかけられていたのなら、こちらも遠慮無く対処できたのだが……。
まあ、そのおかげで麻帆良の穏健派との交流に専念できたと思えば、悪い話ではない。立派な営業妨害だが、別にそれで儲けようというわけはないし、金に困っているわけでもないので構わないだろう。それでも、玉藻と桜は麻帆良への心象を些か悪くしたようだが。
それにしても認識阻害どころか、人払いすら効かないとは……千雨ちゃんはとことん不憫な娘である。玉藻に言わせれば、千雨ちゃんは認識が強固すぎて、それを歪めるものを無意識に排除してしまうらしい。専門的に鍛えれば、意識的に術法を選別して無効化できるようになるだろうとのことだが、彼女からすればいい迷惑だろう。
あれ程、常識にこだわり、普通の生活を望んでいるというのに、麻帆良にいる限り、彼女の願いはけして叶わないのだ。涙を禁じえない。麻帆良外の高校に進学することを薦めるべきだろうか。
あまりにも不憫なのと、お客様第一号ということで、何を頼んでも基本的に彼女からは300円しかとらないことにしている。元々、道楽なようなものだし、他からはきっちりとっているので、彼女の境遇を思えば、これぐらいはいいだろう。
当初、千雨ちゃんは猫被りして言葉遣いも丁寧だったのだが、店内では麻帆良に張り巡られた認識阻害と監視網から逃れられることに無意識のうちに理解したのだろう。そのうち、店に来る度に脱力するようになり、言葉遣いにも遠慮がなくなって、今や週一で来店しその一週間の愚痴を零すようになっていた。
まあ、そんな有様だから、私達も専用メニューなど用意するまでに至った。なにせ、千雨ちゃんが嫌う非常識や有り得ないことの最たるものが、私達自身なのだから。普通に考えて、受肉しているとはいえ、幻想の存在であるサーヴァントがいる喫茶店など、非常識極まるであろうから。彼女の悩みの原因が私達にはないとはいえ、なんだか申し訳ない気持ちになってしまい、彼女にはできるだけのことをしてやろうと思ってしまったのはしかたのないことだろう。
しかも、今はサーヴァントが3人から4人に増えているのだから尚更である。今、現在喫茶『月桜狐』は私、玉藻、桜に加えて、ラカン戦の時に限定召喚したエリザが新しく加入している。これは喫茶店をやるための人員確保と同時に、予備戦力の確保という意味合いがあってのことだ。
数多いるサーヴァントの中からなぜエリザなのかと、玉藻や桜からは非難轟々で大ブーイングの嵐であったが、それでも私が彼女を選択したのは当然それなりの理由がある。
これは限定召喚の際に本人から指摘されて思い出したのだが、私はエリザが入ったキューブを月の裏側で凛から託されており、サーヴァントになった現在も確かに保持していたということだ。これに彼女がキューブに入る直前は私と一時的にとはいえ契約していた状態であったという事情も加わる。
つまり、キューブを開封してやれば、エリザは即座に私のサーヴァントとして、限定召喚ではなく正規の召喚状態で現界できるのである。それも正規の召喚を経ることなくである。ぶっちゃけた話、これが彼女を選んだ最大の理由だったりする。
なにせ、正規の召喚は論外として、限定召喚であってもサーヴァントの召喚などしたら、麻帆良側に気取られる可能性は低くないからだ。召喚に伴う莫大な魔力の余波は、いくら玉藻の結界が鉄壁だといっても、完全に防ぎきれるか怪しいものだったからだ。『SE.RA.PH』を具現化して周囲の空間と切り離せば別だろうが、それでは『SE.RA.PH』から出ることは出来な状態になるので、喫茶店の人手としては使えないので意味が無い。
後は、私達3人全員とそれなりに面識があり、気心が知れているというのもあったが、前者に比べれば微々たる理由である。
まあ、それはさておき、九歳児の教師とは麻帆良も随分と無理をしたものである。作られた経歴は申し分はないとはいえ、よくも保護者達を納得させられたものだ。これも認識阻害の結界の賜物であろうか。
しかも、女子中学とは恐れ入る。なにせ思春期まっさかりの少女達の園である。未だ色を知らない幼すぎる少年には些か以上に敷居が高するというものである。精神的な成長を手っ取り早く促す為なのだろうが、それにしてもやりすぎであろう。詠春さんの舅はドSであるようだ。
ちなみに私たちにも詳細は伝達されている。詠春さんと学園長双方からである。その上で一応の口出しもさせてもらった。特に女子寮で生徒と共に同居させるという案には、真っ向から反対させてもらった。なにせ同居予定であった生徒に、護衛対象である近衛木乃香嬢がいたからだ。彼女が狙われるのは仕方ないにしても、それにわざわざ更なる爆弾を傍に置かれるのを護衛として看過できるわけがない。麻帆良側から一まとめにして護りやすくしたいという旨の主張があったが、こちらからすれば知ったことではない。大体、本当にそうするつもりなら、防備を固めた専用の住居をあらかじめ用意すべきだし、職員寮に入れれば魔法先生もいるし、十分に安全は担保できるとは玉藻の弁である。全くの同感である。まして、こちらからすれば、護るべき対象として同居人の神楽坂明日菜嬢という一般人がすでにいるのだ。勝手に増やされてはたまらない。
無論、神楽坂明日菜嬢は一般人とは言い難いのは把握している。天涯孤独の孤児ということだが、麻帆良に来るまでの経歴はまるで意図的に隠されたかのように不明。本人によれば記憶すら微妙らしい。何よりも、麻帆良最大のVIPと言ってもいい近衛木乃香嬢の同居人であると言う事実。ただの一般人を同居人にする程、詠春さんも学園長も甘くはない。トドメに後見人があのタカミチさんということで、役満である。どっからどう見ても、ただの一般人であるはずがない。
とはいえ、こちらには詳細を隠されているので、こちらも彼女をあくまでも一般人として扱っているわけである。麻帆良側からすれば、事情を斟酌して欲しいのかもしれないが、それは都合が良すぎるというものだろう。説明されない限り、彼女の扱いを変える気はない。
余談になるが、神楽坂明日菜嬢とは顔見知りである。というか、うちに新聞を配達してくれているのが彼女なのである。ちょっと外れた場所にあるため、健脚の彼女に任されたらしい。その労いの為にスポーツドリンクを用意して、渡している。その時、ちょっと言葉を交わしているのだ。記憶の話や身の上話はその際に聞いたものだ。まあ、本人はあっけらかんと語り、大して気にしていないようであった(桜やエリザはそんな彼女の有り様に衝撃を受けていた)。
後に、彼女が人払いの結界を無視していたことが分かったが、今もあえて触れないでいる。彼女が麻帆良にとってパンドラの匣でないとはいいきれないからだ。
そんなわけで、勤労学生でとても努力家の彼女にこれ以上苦労を背負わせるのはどうかとも思ったのだ。
しかし、麻帆良側というか、学園長が同居推進派で中々に頑固で、これについては譲ろうとしない。子供であるということを全面に押し出して、教師という職務に加えて家事など大変な負担であり、誰か世話をする者が必要だと主張したのだ。それなら教師なんてやらせるなよと思うが、それでは話が一向に進みそうになかったので、こちらも妥協することにした。朝食のみ生徒二人の世話になり、それ以外はこちらで提供すると言う条件を出したのだ。
これならば、護衛対象と一般生徒との接触はある程度制限できるし、件の教師の家事の負担もなくせる。その上、朝だけとはいえ同じ食卓を囲む以上、学園長の真の狙いである親しくなるというのも、ある程度は果たせるだろう。しかも、それ以外はこちらが食事の世話を負担し、その間の安全はこちらもちになるのだから。
だが、これには魔法先生達から反対があった。どうも私達を英雄の息子を一時的とはいえ預けるほどには信用出来ないらしい。彼らからすれば、次世代の旗頭になりえる存在なのだから、気持ちは分からないわけではないが、感情論ではなく代替案か対案を示して欲しいものである。それではいらない敵を作るだけだと思う。
結局、すったもんだの末、私達の出した案を叩き台にして、朝食のみ生徒二人、昼食は自力で、夕食は魔法先生(基本的にタカミチさんが担当)ということになった。
申し出を却下されたのが桜も玉藻も微妙に不満そうではあったが、こちらの負担がないのは正直ありがたい。元より私達の申し出は、詠春さんの旧友の息子を頼むという願いを受けてのものなのだから。
「しかし、明日菜さんもこれから大変ですね。九歳児が担任の上、これから朝だけとはいえ食卓で顔を合わせることになるのですから」
私がそんなことをつらつらと思い出していると、いつの間にかすぐ傍にいた玉藻がどこか憂い気にそんなこと言った。彼女なりに明日菜ちゃんを心配してのことだろう。桜とエリザは千雨ちゃんの相手をしているようで、今ここにいるのは私と彼女だけのようだ。
「そうだな。あの年代は色々難しいからな。肉体的に少女から大人になるが、その一方で精神は未だ子供であることが殆どだからな」
「そうですね。そんな身体は大人、心は子供の少女達の巣窟に、心身共に子供な者を放り込むとは、あの御老人も何を考えているやら……」
どうやら、玉藻としては子供先生の扱いについても思うところがあるらしい。
「ふむ、確かに。私だったら、絶対に御免だな。そんな集団の中に男一人とか辛すぎる」
そう言われてみると、厄介事の塊とはいえなんだか件の子供先生に同情したくなってしまうから不思議なものだ。まして千雨ちゃんから、子供先生が担任になる2-Aの問題児ぶりは耳にタコができるほどに聞かされているので、尚更である。
「そうでしょうか?旦那様なら、問題なくやってのけそうですが……。それどころか、無自覚にフラグを立てられて、青い果実をパックンチョなんてことに」
大人しく聞いていれば、こいつはなんてことを言いやがるんだろうか。確かに本物のはくのんならありえそうだが、代替たるこの身がそんなフラグまみれであるわけがない。私は無言で玉藻にチョップした。
「……」
「アイタ!酷いですよ、旦那様。良妻にして愛妻である私に対して、この仕打。はっ、もしや私に飽きられたのですね!桜さんや、エリザに浮気するつもりですね!」
よよよと泣く真似をする玉藻。酷い言われようである。まるで私が多情なロクデナシのようではないか。
「人聞き悪いことを言うな。桜のことがあるにせよ、それ以外は私はお前一筋だ!」
「……本当ですかー?そんなこと言って、千雨ちゃんとか、刹那さんとか、明日菜さんとか青い果実がお好み何じゃありませんか?」
まだ言うか。どうしてくれようか。これは行動で示すしかないか。私は無言で玉藻を抱き寄せる。
「……」
「あーれー、強引に抱き寄せて何をなされるおつもりですか、旦那様?」
抵抗などまるでしなかったくせに。その男を挑発するような挑戦的な物言いをやめい。それでいて、その瞳は情欲に濡れており、その表情はどこまでも蠱惑的だった。これ以上、言わせまいと自然と顔が近づく。どうにもいいように踊らされている気がしないでもないが、ここまできたらそれを言うのは無粋というものだろう。それにこういうのも嫌いではない。
「何をしているんですか?お二人共……」
そうして唇が重なりそうになったところで、般若、いや桜が降臨した。笑顔だが、目が欠片も笑っていない。声音は絶対零度で、周囲の温度が下がったように感じられた。正直、怖い。反射的に私は離れようとしたのだが、そうは問屋が卸さない。
そう、玉藻はここで退くような殊勝な女ではないのだ。問答無用で塞がれる唇、それどころか舌まで入れてくる始末。極めつけに、桜に見せつけるように長いキスをして、玉藻は離れた。
「ごちそうさまでした」
満面の笑みでそんなことすら宣う玉藻。これには流石に桜も堪忍袋の緒が切れたらしい。ムキーと食って掛かる。
「なんてことをするんですか玉藻さん!あそこは普通離れるべきところでしょう!それを私に見せつけるようになんて……許せません!」
「妻として当然の権利です!」
だが、玉藻はどこ吹く風で、むしろ誇るように胸を張ってみせた。
「ッ────────」
最早怒りのあまり言葉にならなかったようで、桜は口をパクパクさせた。そして、俯くと懐からカードを無言で取り出し────って、まずい、あれは!
「桜、落ち着け!流石にそれはまずい!」
「センパイ、離して下さい!あの性悪陰険狐に天誅を下さなければいけないんです!」
桜が取り出したのは、本契約のカードだ。流石に洒落にならないので、必死に止める。
「いやーん、旦那様。玉藻怖いですー」
それにも関わらず、煽るように後ろからぴとりと私に抱きつく玉藻。
ちょっ、洒落になってないんで、勘弁してくれませんかね!
「この女狐────!」
ますます顔を険しくする桜。まずい、このままだと本気でこの店が焦土になりかねん。
そんな状況で、エリザは現れた。彼女まで現れたということは、千雨ちゃんはもう帰ったらしい。いつもより早い気がするが、件の子供先生の歓迎会があるらしいから、その為だろう。
「千雨はもう帰ったわよ。って、何やっているのかしら?漫才?」
んなわけがねー!お前の目は節穴か!
「どこを見ればそんな感想がでてくるんだ?お前にはこの必死の形相が分からないのか?!」
「え、必死なのマスターだけじゃない?BBもキャスターも幸せそうな顔してるし」
「はいっ?」
指摘されてふと見れば、桜はいつの間にかうっとりとした感じで胸に顔を埋めているし、玉藻の抱きつき方も大胆になっている。
────まさかハメられた? そんな言葉が脳裏をよぎる。
「フフフ、見せつけてくれるわよね……」
こちらを見るエリザがジト目になり、声が心なしか低くなったのを感じた。
確かにいつの間にか鎮火したようだが、今度は別の爆弾に火がついてしまったらしい。
女三人でこれなのだから、三十人余りを相手にしなければならない件の子供先生の苦労はいかばかりか。私はエリザの凄まじい圧力を浴びながら、現実逃避気味にそんなことを思ったのだった。
ちなみにこの後、エリザを宥めるためにオールナイトで彼女の歌を聞く羽目になったとさ。