Gloria   作:そげつ@気まぐれ更新

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なんか主人公が痛い奴みたいになった気がする……


第三話『見る、見ない、見る、見ない――』

 ライブ会場に着くと、そこには多くの人々がひしめきあっていた。

「お、おぉ……」

 想像以上の熱気に思わず気圧される。

 どこを見渡しても辺りには人、人、人。ここまで人が多い場所には人生で一度も居合わせたことがないかもしれない。記憶にある限り、最後の人混みの記憶は遊園地でのヒーローショーだったように思う。

 だが、そんなものとは次元が違った。どうやらこのライブは俺が想定していたよりずっと規模が大きいらしい。

 しかし、考えてみればそれもそうだ。フライヤーに書かれていたバンドの数は少なくとも二十以上。三十近くあったかもしれない。それならば、それなりの規模になることは当然と言える。

 人でごった返す入場口をなんとか通り抜けて中に入った。そのままライブステージのある会場まで一気に進む。どうやら目の前にある大きな扉がその入り口らしい。

 重厚そうな扉は今は開け放されていて、中から会場の熱気が伝わってくる。まだ始まる前にも関わらず、観客は興奮しっぱなしのようだった。

 中に入ると、その昂りがより一層強く感じられた。隣にいる友人と談笑する人や、ビール片手に気合十分といった具合で佇んでいる人。雑多な人々が思い思いの格好でこれから始まるライブを楽しみにしている様子が見受けられる。そんな人たちがこの会場を埋め尽くしていた。

 心なし外に比べて気温も数度上がった気がする。そこで俺はかばんから水の入ったペットボトルを取り出すと、一息に呷った。途端に体中からとめどなく汗が噴き出してきたので、タオルであちこち拭う。ついでに帽子も取って額の汗を拭いた。

 ……暑いな。熱中症になりそうだ。

 そんなことを思いながら、俺は会場の一番後ろ、その壁際まで進み、もたれるように背を壁につけた。

 ――ここならステージもよく見えるだろう。

 なんとか場所を確保出来たので、ふぅと安堵の息を漏らす。

 これで、後は始まるのを待つだけだ。

 ステージに置かれたいくつもの機材と、とどまることを知らない観客たちの熱狂を眺めながら、俺は帽子を深く被り直した。

 それから数分後、ライブは定刻通りに始まった。

 トップバッターはメンバーにクマがいるという異色のバンドで、ボーカルやベースが突然観客席に飛び込んだりバク転をしたりするといった衝撃的な場面があったものの、不思議と笑顔になれる楽しい演奏だった。

 バンド名は『ハロー、ハッピーワールド!』だとか。

 なかなか濃い面子が揃っているバンドだった。やたら格好良い○塚歌劇団の人みたいなギターだとか、大人しそうな見た目なのに力強いリズムを刻むドラムだとか。クマのDJは言うに及ばず、ボーカルもベースも非常に個性的だった。

 ところで、ベースの女の子はもしかして北沢精肉店のお嬢さんじゃないだろうか。いつの間にかバンドを始めていたらしい。全然知らなかった……。

 思わぬ場所で思わぬ人物を見たことに俺が軽くショックを受けている間にもイベントは進行する。

 次にステージに現れたのは、先ほど会った二人のうちの一人だった。確か「香澄」と呼ばれていた方だ。

 ……二番手だったのか。

 思いのほか切羽詰まっていたんだなぁ、なんて思っていたのだが、彼女がステージに現れたっきり、しばらくしても他のバンドメンバーが一向に現れない。

 どうしたことかと不思議に思っていたら、もう一人の女の子――確か「有咲」と呼ばれていた方だ――が出て来た。

 まさか二人だけで演奏するのかと驚いていると別にそういうわけではないらしく、有咲さんは香澄さんの腕を取って引っ張ると、そのままステージ上からフェードアウトしていった。

 どうやら順番を間違えたらしい。

 図らずも観客の笑いを取ってしまった二人だったが、出て行くときに有咲さんの顔が真っ赤だったのは……まあ、うん。

 うん。

 彼女の「他人のふりしたい!」という心の内が透けて見えるようだった。さっき会った時も思ったけれど……有咲さんはアレだな。苦労人っぽいな。今頃ステージの袖で香澄さんに説教垂れているのだろうと思うと、苦笑を禁じ得ない。

 その後、バンドをひとつ挟んだ後、今度こそ彼女たちの番が回って来た。

 先ほどのポカなどまるでなかったかのように威勢良く出て来る香澄さんに続き、少し恥ずかしそうな有咲さんと、苦笑いを浮かべるメンバー三人が登場した。

 『Poppin'Party』というバンド名らしい。

 よく見ると、メンバーのうち一人は知っている人だった。パンでお馴染み、山吹ベーカリーの娘さんである。紗綾さん、だったっけ。

 この人もバンドをやっていたのか……何だか、やけに商店街の人を見かける気がする。北沢さんといい、山吹さんといい、あの五人といい……ひょっとして、今うちの商店街ではバンド活動促進キャンペーンでもやっているのだろうか。それとも世間が狭すぎるのだろうか。いや、多分後者だろうけれど。

 あの商店街が「バンドストリート」とか言って街を売り出す日もそう遠くないのかもしれないなぁ、などと未来に思いを馳せていると、演奏が始まった。

 ライブはまだ始まったばかりだ。

 

 ***

 

 その後もイベントはつつがなく進行された。

 ヴィジュアル系バンドやデスボイスで観客を湧かせるバンドなど、バンドごとにそれぞれの特色が強く表れた個性豊かなパフォーマンスを見ていると、当初の目的を思って気もそぞろだった俺も、いつしか純粋にライブを楽しむようになっていた。

 ステージ上のパフォーマーが音を奏でれば、下のオーディエンスがそれに呼応する。演奏者と観客が一体となってライブを盛り上げて行く様子に言いようもなく心が昂る。その感覚は俺が今まで体験したことのない、何とも奇妙な感覚だった。

 ……そうか。

 あの五人も、姉さんたちも、こういう世界にいたんだな。

 今となっては別々の道を歩むことになってしまった人たちを思い浮かべて、俺はそっと目を伏せる。

 彼女たちはきっと、今が楽しくて仕方がないのだろう。

 音楽がある。仲間がいる。応援してくれる人がいる。

 それだけで幸せな気持ちになれるはずだ。

 目を開く。ライブが始まってから一時間半ほど。俺の目的である「幼馴染と姉たちの様子を見る」という目的は未だ果たされていない。

 だが、それで良いのかもしれない。

 彼女たちの輝く姿を見てみたいという思いは確かにある。元々そのつもりで来たのだから当たり前だ。しかし同時に、見てはいけないのではないかという思いも次第に高まってきたのだ。

 俺はかつて彼女たちの前から逃げた。

 自己勝手に逃げた。そして自ら彼女たちを避け、隠れ続けてきた。それは今も同じだ。

 逃げた俺が今更恥じらいもなく彼女たちの前に現れることは本来望ましいことではない。自分の厚顔無恥っぷりにはほとほと嫌気が差している。

 だが、どうしても気になったのだ。

 二年ほど会っていなかった幼馴染たちは今どうしているのか。バンドはうまくいっているのか。

 姉たちは仲良くやっているのか。俺とは違い、音楽という道を選んだ二人はどんな調子でいるのだろうか。

 色々なことが気になって仕方がなかった。音楽には無縁だったし、意図的に関わらないようにしていたこともあって、情報もほとんど入ってこなかった。だから尚更気になった。

 そんな最中だったのだ。昨日、香澄さんに偶然出会ってこのライブの存在を知ったのは。

 ライブなら一観客として大衆の中に紛れることが出来る。直接相対することなく、様子を伺うことが出来る。もし気付かれても、チラシを貰って来てみたら偶然、なんて具合にしらを切り通すことも可能だ。

 これだと思った。渡りに船だと考えた。だから俺はここに来たのだ。

 知りたいという衝動に駆られて。

 でも冷静になって考えてみれば、一見彼女たちに近寄ろうとするこの行為も、結局は一つの逃げでしかなかったのだろう。

 逃げて置いてきた罪悪感に駆られて、しかし直接会う勇気はなくて、挙句の果てに取った行動が影からこそこそと嗅ぎ回るという、酷く醜い自己保身。おまけに香澄さんたちまで言い訳に使おうという卑劣っぷりだ。徹底し過ぎていて、呆れて物も言えない。

 ――もう、帰るべきなのかもしれない。彼女たちをまだ見ていない今のうちに。

 見てしまったら最後、きっと俺は今後もこんなことを続けるだろう。この世界はあまりにも居心地が良いから。

 だが、それは駄目だ。自分の領分を超えてしまっている。自分が許容した範囲を超え、禁忌とされる領域に足を踏み入れてしまっている。それだけは駄目だ。だから俺は今すぐここから立ち去るべきなのだ。

 大丈夫、彼女たちが居た世界は身をもって体感した。素晴らしいものだった。それが分かっただけで十分来た価値があったはずだ。

 来て実感した。やはりここは俺が居て良い場所じゃない。俺がいるべき世界じゃない。俺には俺に相応しい世界というものがある。

 少なくとも、光輝くこの世界とは似ても似つかない、もっと別の世界だ。

 だから、こんな俺が彼女たちの前に再び姿を現して良いはずがないのだ。

 ステージを見る。煌々と光るスポットライトに照らされて、ボーカルの男がいきいきと声を伸ばしている。

 周りを見る。誰もがステージに釘付けだ。腕を高く上げ、全身でビートを刻んでいる。

 ……良いよなぁ、やっぱり。

 最後までいたいと思う自分を押し殺し、俺はもたれた壁から背を起こした。観客たちの隙間を縫うようにして出口を目指す。

 奏でられていた曲が終わり、バンドグループがステージ上から立ち去った時を見計らって、ライブが始まってからずっと閉ざされていた扉に手を掛け、静かに押した。

 人ひとりが通れるくらいまで開け、その隙間に体を滑り込ませるようにして外に出ると、音を立てないようにそっと閉めた。すると、さっきまで耳元で鳴り響いていた会場の喧騒は空気がなくなってしまったかように大人しくなった。暑かったはずの外気は酷く冷たい。ついさっきまで昂っていた気持ちも次第に冷めて行く。

 後に残ったのはいつもの感覚と、ほんの少しの寂寥感。

 ……もう二度と来ることはないんだろうな。

 そんなことを思いながら、ゆっくりその場を後にする。

 外に漏れ聞こえてくる演奏をもう少しだけ聞いていたい。せめて、もう二度と味わうことがないであろうその感覚の余韻に浸っていたい。そんな思いに引き摺られて、もう一度だけ振り返った。

 その時だった。

「もう帰るの? まだイベントは終わっていないのに」

「――! あ、ああ、うん。ちょっと用事でね」

 声をあげなかったことを褒めてもらいたい。

 振り返った先、突然目の前に女の子が現れたのだ。本当に目の前に。その間五十センチくらい。

 それはもう驚いたが、何とか声をあげるのだけは堪えて、いつの間にだとか、何の用だとか、頭の中に渦巻く疑問やら苦言やらも全部押さえ込み、辛うじて当たり障りのない受け答えだけを返せた俺は偉いと思う。

「そう、残念ね……途中で帰らなきゃいけないなんて。だからあんなに悲しそうな顔してたのね」

「いや、別に悲しいとかそんな――」

「あ、そうだわ! ライブの映像があれば後で観られるはずよ! あたし黒い服の人に頼んでみるわね!」

 そう言うと、少女は金色の髪をはためかせて、あっという間に何処かへ行ってしまった。

 嵐のような出来事に暫し呆然とする俺だったが、そこでようやく彼女が『ハロー、ハッピーワールド!』のバク転するボーカルであったことに思い当たった。

 ……何だったんだろう、本当に。

 首を傾げながらも再び歩き始める。

「あの、すみません!」

 すると今度は後ろから肩をポンと叩かれて声を掛けられた。

 なぜだかわからないけれど、今日はやけに他人に話しかけられる気がする。なぜだろう。

 振り返ると、声を掛けた女の子は少し息を乱しながら言った。

「金髪の女の子を見ていませんか? これくらいの背で……」

 金髪の女の子。身振り手振りで説明されたが、十中八九その子は先ほどの女の子だろう。というか絶対そうだ。

「それならさっき声を掛けられて、その後向こうに行きましたけど……黒服がどうとか」

 金髪の子が去っていった方向を指しながら答える。すると女の子は一瞬ギョッとした顔を浮かべ、次にほっとした表情になると、先ほどよりは落ち着いた様子で俺に礼を言った。

「ありがとうございます。……はあ、全くこころってば、今度は一体何を企んでるんだか。ていうか、はぐみもいないし……」

 そしてその子は溜息をつくと、何やらぶつぶつとぼやきながら、俺の教えた方向へ走り去って行った。

 大変そうだなぁ、なんて思いながら忙しそうな彼女の背中を見送って、今度こそ俺も家に足を向ける。心にあった感傷は、今の出来事でいつの間にか消えてしまっていた。不思議なことだ。

 ……そう言えば、金髪の子がライブ中に言っていたな。確か「世界を笑顔に」だったっけ。

 案外あの少女は俺を笑顔にするためにわざわざ話し掛けて来たのかもしれない……いや、それはないな。それは考え過ぎ、自意識過剰というものだ。痛い奴め。

 浮かんだ考えのアホらしさに自嘲しつつ、俺は足早に会場から遠ざかる。

 日は一層高く、夕暮れ時を迎えるにはまだまだ時間が掛かりそうだった。そう思うと、何だか急に疲れやら眠気やらが襲いかかってくる。今すぐにでも体を休めたい気分だ。

 ついでに今日はろくに寝られていなかったことを思い出し、これはもう帰ったらすぐに寝ようと決意して、俺は陽炎揺れる道を急いだ。

 




※12/15 文脈的にしっくりきていなかった部分を加筆、修正。

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