凋残
夜の暗い森。茂みの陰に身を潜めた二人。一人は双眼鏡のようなものを目に着けている青年、名をゼーラといい、先ほどまで自分たちがいた場所を、姿勢を低くして遠目に見ている。周りの地面から生える少数のクリスタルが目立っていた。
ゼーラの背に深緑色の長髪の少女がしがみついていた。その少女の名をカラン、青年の首に手を回し、ゼーラがいつ走り出してもいいようにしがみつく。その腰からは長い尻尾が垂れており、本来耳がある場所からは横に大きく猫の耳のようなものが生えている。
「ごめんゼーラ、まだ体が思うように動かなくてさ」
カランは少し申し訳なさそうにゼーラに言う。
「いや、それは構わないよ。それに、もしカランがいなかったら今頃僕はあの獣の胃袋の中だ」
ゼーラたちがついさっきまで座って話をしていた場所には狼のような
ゼーラは振り向いて、背にいるカランに問いかける。
「しかしカランは、こんなに暗いのによく周りが見えるね…」
森の中はわずかに月明かりで照らされているだけだった。
「え、うーん…そんなに暗いかなぁ、結構奥まではっきり見えるよ?」
「不思議なものだ、身体の器官も普通の人間と違うのかもね。僕なんてこれがあっても奥の方はやっぱり暗いのに」
ゼーラは双眼鏡のようなものを掴んで位置を直す。
カランは獣たちが漁っている鞄の傍ら、マルタスが寝ていた寝袋の方に視線を移した。寝袋の中には誰も入っていなかった。
「マルタス、あの子最初から獣のことを警戒してたのかな」
数分前獣が現れ、カランが声を上げた瞬間、寝ていたはずのマルタスは流れるように寝袋から身を出して跳び、あっという間に近くの背の高い木に駆け上がった。それから一切の気配を断ち、今どこにいるかすらわからない状況にある。
「いや、獣の奇襲なんて想像だにしてなかったんじゃないかな。マルタスは…訳アリというか。まぁまず無事だと思うよ」
何か含みのある言い方だった。
「十中八九これまで安眠とは程遠い生活をしていたとか、そんなとこかな?」
カランがそう言うと、ゼーラは少し困ったような顔をした。
「わかったよ。もう詮索しないからさ、とりあえずここから離れたいんだけど…」
カランがそう提案するが、
「駄目だ、あの鞄の中には大事な鉱石が入ってるんだ」
ゼーラはそれを拒否した。
「鉱石?」
「マルタスの恋人が病気でね、その鉱石が良い薬になるんだけど…ダンジョンの中層でしか手に入れられない貴重なものなんだ」
「中層でのみ採取可能な薬用鉱物といったら思いつくのは…リアラチナ、マゾナイト、テクタライト…」
カランが鉱石の名称を上げていくと、ゼーラが口を挟んだ。
「それだ、テクタライト、随分詳しいんだね」
「そりゃそうさ、詳しいも何もそれらを発見したのはボクだからね」
「そうかさっき話してたカランの…」
そこまで言ったところでカランが後ろからゼーラの口を手で塞ぐ。そして耳元で囁くように言った。
「振り向かないで、ボクらの後方30mくらい、獣だ。向こうもこっちに気付いてるみたい。じわじわ距離を詰めてきてる」
ゼーラは黙ってカランの話を聞いていた。額から一粒の汗が落ちる。周囲の音を集中して聞いてみるが、風の音とそれに揺られる草木の音しか聞こえてこなかった。カランが手を放す。
「僕には何も聞こえない…」
「そりゃ獲物を狙う獣が音を出して近付くわけないだろ?武器は何を持ってる?」
ゼーラは腿の部分に右手を当てて答える。
「ナイフが一本」
「本命の武器はあそこって訳ね」
獣が陣取る鞄の手前に折り畳まれた弓が落ちていた。
「でも問題ない。来る場所がわかってたらやられることはないよ」
ゼーラはナイフを抜く。さらにカランがゼーラに問いかける。
「魔力を少し分けてくれない…?」
「良いけど、何をするつもりなんだい?」
「今こっちに近付いて来てる一匹を殺ると向こうの二匹もこっちに気付くでしょ?そうなったら面倒だし同時に倒そう」
「…わかった、カランがそう言うのなら」
ゼーラが背からカランを下ろし、ぺたんと座ったカランの手を握る。すると手元が小さく光った。
「よし、これだけありゃ十分。ありがとうゼーラ」
カランの体を一瞬光が包み込み、地面から少し浮く。
「じゃあ行くよ、後ろの獣が近付いてくるタイミングで教えるから」
ゼーラはナイフを逆手に持ち直す。カランはゼーラの左で低い位置に浮遊し、手をゼーラの肩にかざす。
十数秒の時が流れ、カランはゼーラの肩をぽんと叩いた。
「行こう」
カランがそう言った瞬間、二人のすぐ後ろで地面を蹴る音がした。それと同時にカランは信じられないような速度で茂みから飛び出し、ゼーラは勢いよく振り返って目の前の獣を見据える。狼のような獣は牙を剥き、ゼーラに襲い掛かった。
カランはあっという間に鞄を漁る獣二匹の間に入り込み、二匹の獣がカランに気付く間もなく獣の胸に手を当て、魔力を込めた。
ゼーラは刃を上に向けるように胸の前でナイフを構え、獣の顔がナイフの真上に来た辺りで左に体を反らしながら、顎の少し奥、骨の無い部分から脳天に向けてナイフを刺す。
ナイフが獣の脳を深く傷つけたところでナイフを抜きながら体勢を直す。獣は勢いのあるまま地面に生える尖ったクリスタルに顔面を強打し、しばらくの間体を痙攣させた後、動くことはなかった。ゼーラはカランが飛んで行った方を見る。
少し離れた場所には獣が二体倒れており、その間にうつ伏せに倒れているカランがいた。
「うぅぅぅ気持ち悪いぃぃぃ…」
獣の血で染められたカランは、目を回して力なく呟いた。
するとカランの右に倒れていた獣が体を起こし、震えながらカランに牙を剥く。
「カラン!」
ゼーラがカランの名前を呼んだのと同時に、獣の真上から人影が落ちてきた。
「フンッ!」
木の上から落ちてきたマルタスは、両手で持った短剣で獣の首を切り離した。獣の頭が鈍い音を立てて落ちる。
「お前ら随分無茶すんなぁ!びっくりしたじゃねぇか!」
マルタスはかなり焦った顔でカランを見下ろした。
「ごめんマルタス…魔力が足りなかったのかな…片方まだ生きてたなんて」
「いきなり呼び捨てかよ…」
マルタスは短剣を縦に振ってから鞘に収め、鞄の方へ歩む。ゼーラはカランの傍に駆け寄ってカランを仰向けにしてから体を起こしてやった。
「んぁ~ありがとうゼーラ、そっちは上手くいってよかったよ」
カランは獣の血で染め上げられ、獣の周囲の地面も真っ赤になっている。
「一体何をしたらこんな風になるんだい…?」
「獣の中身を心臓を中心にかき混ぜたんだよ。さっきあっただけの魔力じゃ直接触れてダメージを与えた方が確実だったからね。」
疲れ切った表情でそう言った。
「仕留めそこなってたけどな」
獣たちが散らかした荷物を拾い上げながらマルタスが呟く。
「ってかお前、記憶戻ってたんだな」
「カランだよ、よろしく~…」
カランはふらふらと手を上げる。
「カラン…?」
マルタスは荷物を拾う手を止め、カランをまじまじと見た。
「ゼーラ、このままでいいから少し休ませて…」
「カラン、大丈夫かい…?」
ゼーラの言葉に答えることはなく、カランは寝息を立てていた。
帰郷
ゼーラは膝の上で無防備に寝顔を浮かべる少女の獣の耳を触っていた。少女の顔と髪の半分は血で汚れており、辺りが明るくなるにつれ赤色が強調され黒く光っていた。
顔を上げて周りを見渡すと、短剣を片手に周囲を警戒する見張り役のマルタスが眠たそうにあくびをしていた。
「良い眺め…」
下から少女の声が聞こえた。視線を落とすと、綺麗な紫色の瞳と目が合った。
「膝枕だ…ボク今まで生きててよかったよクルト」
目を覚ましたカランは静かに呟く。
「何言ってるのさカラン。おはよう、今日は町まで一気に行くよ」
「わかった…着替え持ってきてハト…」
カランは眠そうな目を擦りながらそう言った。
「え…?」
「え?」
ゼーラは訳も分からず困惑している。カランは我に返り、
「あ、ごめん…寝ぼけてた。なんて昔のことを思い出してるんだろ」
そう言った。
「そう…まぁとりあえず、準備を整えて行こうか」
「ヤダ」
「えっ?」
「もうちょいこのまま」
カランはゼーラの膝の上でまたスヤスヤと寝てしまいそうな勢いだった。そこに大きな鞄を背負ったマルタスが現れる。
「起きろカラン、俺は一刻も早く町へ戻りたいんだ」
カランは目を瞑りながら唸る。
「うぅ~…起きるよ」
カランはゆっくり体を起こし、伸びをした。
「もう体は動くの?」
「多分大丈夫だよ、若干違和感はあるけど…」
カランが立ち上がると、鋭い目をしたマルタスと目が合った。
「…顔に何かついてる?」
とカランが問いかけると、
「そりゃ血がべっとりついてるよ、まぁ気にすんな」
マルタスはそう言ってカランに背を向け、そのまま歩き出した。
ゼーラも荷物をまとめ、カランと共に歩き出す。
木漏れ日が地面をぽつぽつと照らし、森には三人の歩く音と風に揺られる草木の音が静かに響く。
マルタスを先頭に二人は少し離れて並んで歩く。
しばらく歩いていたが、長い坂に差し掛かったところでもマルタスの歩く速度は速く、カランが息を切らし始めた。ゼーラがカランに声をかける。
「カラン、おぶるよ。掴まって」
ゼーラが腰を落としてカランに背を見せる。
「はぁ…はぁ…ゼーラ、ありがとう。」
カランは倒れこむようにゼーラの背に体を預け、ゼーラはそれを支えながら立ち上がった。
マルタスは立ち止まり、その光景を少しイラついた面持ちで見ていた。
「マルタス許してやってくれ、テクタライトが今無事なのはカランのおかげでもあるんだ。」
「それでアメリが死んじまったら本末転倒だ、そうなったらお前ら二人を恨むぜ」
マルタスの恋人のことであろう、マルタスはアメリという名の女性を随分心配していた。
「そういわないでくれ、できる限り急ぐよ」
ゼーラはカランを庇うように言った。マルタスは再び早歩きで進み始め、ゼーラの背でカランが呟いた。
「ごめんね…。一体どれだけの間眠ってたらこんなに体力が衰えるんだろう…」
「なんてことはないよ。僕がおぶればいいだけなんだ。」
「そういえばずっと気になってたんだけど…町へ戻るのに随分急いでるね」
「うん、僕らは町の状況をいち早く知る必要があるんだ。必要であれば町に残ることもあるかも」
「何があったの…?」
「地震だよ。それもこれまでに観測したことのないような大きなものだ。昨日、僕らがチームでダンジョン探索をしていた時に起こったんだ。ダンジョンが崩れるようなことはなかったけど、町の方はタダじゃすまなかっただろう。十五人いるチームを切り離して様子を見に行くことにしたんだ。そこで選ばれたのが夜の行動が得意なマルタスと僕ってわけだよ。」
「地震…そんなのあったっけ…」
「覚えてないのかい…?まぁとにかく、マルタスは一刻も早く戻りたがってるのは前に言った、恋人の安否確認だ」
「なるほど。大体わかった」
カランとゼーラが話していると、前の方で坂を上り切ったマルタスの驚く声が聞こえた。
「なんだよ、これ…!」
ゼーラは坂を駆け上がり足を止めるマルタスの隣にまで来た。そこで目にした光景は異質なものだった。地面は様々な形に割れて盛り上がっており、木々は揃って少し角度を作って手前に倒れていた。
坂の上から振り返って木々の倒れている方角を見ると広大な森が広がっており、二キロメートルほど離れた場所で地面が大きく捲れ上がっていた。
まるで空から何かが降ってきて、バウンドしたそれが二キロメートル先で勢いを消したかのようにカランには見えた。マルタスとゼーラは自分たちの目の当たりにしている光景に理解が追い付かず混乱していた。
「俺たちが歩いてきた場所はなんともなかったのに…」
マルタスが言葉を漏らし、ゼーラが先を急ぐようにマルタスに言う。
―――日もすっかり昇り、荒れた森に終わりが見えてきた。森を抜けると町と森を挟んで背の高いボロボロの鉄格子、しかも森を囲むように横にずっと伸びていた。
鉄格子の中間、三人が真っ直ぐ向かう離れた場所にレンガ造りの大きな門があった。
「はっ…懐かしい。そんなに変わってないや。」
カランが微笑みながら呟いた。
「マルタス…」
「あぁ…」
ゼーラとマルタスが驚愕の表情を浮かべていた。マルタスは柵に向かって走る。
「被害が少なすぎる、森や柵はかなり崩れているのにその奥の町には何の影響もないように見える…」
ゼーラもその後に続き、柵に向かって走り始めた。
柵の奥に見える町の建物は見える限りで損傷が見当たらなかった。
「…おい、なんか柵のところとここ、地割れで分離されてねぇか?」
マルタスは走りながらそう言った。ゼーラが苦笑いしながら返す。
「言ってることがわからないな、規模が大きすぎる」
二人は走る速度を落とし、止まった。
「勘弁してくれ」
マルタスは呆れた様子でそんな言葉を吐いた。柵から十数メートル、三人が立つ場所は底の見えない大きな亀裂で分断されており、柵に近付くことができなくなっていた。
ゼーラの背からカランが手を伸ばして、門の方を指さした。
「人だよ」
カランの指さした方向に数人の人影が現れた。その中の太った中年男性が手を振ってこちらに向かって何か言い始めた。
「あ、おーいゼーラさーん!今簡易橋を架けるからもう少し待っててくれー!」
その男の後ろの門から、分厚く長い木の板を持ってくる人々の姿が見えた。
カランはゼーラに問いかける。
「飛ぼうか…?」
「折角用意してくれたんだ、使わせてもらおう。あと身に着けてる布は頭まで被っておいて」
「…なんで?」
「周りの人がびっくりするでしょ、顔真っ赤なんだし。尻尾もお腹に巻いておきなよ」
「あっそうか…わかった」
カランが準備をし終わると同時に、ずしんという音とともに橋が架かった。