楽園爆破の犯人たちへ 破   作:XP-79

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22. 愛の偉大さ、そしてその恐ろしさを知っているか

 ぽこぽこと泡が頭上に逃げていく。この300時間余り、ジェレミアは原始の海を思わせる泡粒をぼんやりと眺めている。

 そうしていると、澱んだ池から滓が抜き出されるように思考が段々と澄んできた。調整が終わりかけているのだろう。体の節々がキリキリと音をたてて、自身をより安定性の高い生き物にしようとしていることが分かる。

 そして身体の安定は即ち精神の安定に繋がっていた。無理な手術のせいで不安定化していたジェレミアの意識は、機械との完全な融合を果たした身体へ立ち返り、元の姿を取り戻そうとしていた。

 意識が戻るに従って、今度は疑問が泡粒のように次々と湧いてくる。まだ体の自由が利かず、他に何をすることもできないので、ジェレミアは自問自答の思索に時間を費やした。

 

自分は何であったか。

―――自分は騎士である。

 

性別は、年齢は、出身は。

―――年齢は26歳。もう少しで27歳。性別は男。出身は神聖ブリタニア帝国。

 

名前は。

―――ジェレミア・ゴットバルトである。そう確信する。

 

 ジェレミア、ジェレミア・ゴットバルト。ジェレミア卿。ジェレミア様。ジェレミアさん。おい、ジェレミア。なあ、ジェレミア。そうか。もう一度確認しろ。はい。お気を付けを。お前もな。

 諦められよ、ジェレミア卿。

 

 自分の名前を口の中で何度も繰り返すと、霧がかかっていた思考に柔らかな朝日が差し込むような温かい感触がした。

 まるで長い間寝ぼけていたような気がする。頭を振ると、まだ脳の底にこびりついていた微睡が振り払われた。

 泥濘から這い出るように意識を取り戻すにつれて、ジェレミアはまず自身の体の異様さに気づいた。

 左半身が赤鈍色の機械に覆われている。なんだこれは、と右手でひっぺがそうとするも、それは体に密着して取り外しができないようだった。

 いや、現実逃避はよそう。寝ぼけていた間の記憶は寄せる波のようにジェレミアへと少しずつ戻ってきていた。

 

 ブリタニアにおける士官学校の学生時代。

 ルルーシュの選任騎士候補として戦場を駆け巡った日々。

 ルルーシュが皇帝陛下に捨てられたことを切っ掛けに渡日した日。

 日本に渡ってから目の当たりにした悪夢。

 2人だけの選任騎士叙任式。

 そして安穏とした日々。あの日々はこれまでの人生中で、幸福という言葉に最も相応しかった。

 幸福を堪能し過ぎた報いか、平和呆けしていた隙を突かれてビスマルクに殺されかけてギアス嚮団へ移送された。

 そこでギアスキャンセラーなる機械を取り付けられ、体の機能の約半分が機械で置換されてしまったのだ。

 その後遺症により正気を失った自分は、2度もルルーシュを殺しかけた。

 

 くそ、V.V.め。ふざけた嘘を吐きおって。

 一歩間違えていればこの手でルルーシュを殺すところだったと思うと額から冷汗が滲み出る。

 意識は明瞭となり、思考能力も戻った。手を握り締めるようと力を籠めると思う通りに動く。ギアスキャンセラーの調整が完全に終了したのだろう。そうと分かればこれ以上この場に留まる必要はジェレミアには無かった。

 ジェレミアは散々に体を弄られた怒気を込めて左手を軋むほどに握りしめ、そのまま目の前のガラスを殴りつけた。

 分厚い強化ガラスは拳を傷つけることもできず、あっけなく飛散し、ジェレミアは流れ出すオレンジ色の液体と共に床へと身を投げ出した。その瞬間に甲高い警戒音が響く。久しぶりに肌身で感じる空気は刺すほどに冷たかった。

 すぐさま立ち上がって周囲を見回すと、あまりに広い部屋が視界に広がった。大学の講義室などよりさらに広い。部屋のあちこちに自分が入っていたものと同じような試験管が生えている。試験管の周囲では、白衣を着た研究者10余名が端末や書類と睨み合いながら、薬品や医療器具を調整していた。

 ジェレミアの担当なのだろう男の研究者が、突然試験管を飛び出てきた被検体へ溜息を吐き鎮静剤を手に取った。

「ったく、またこいつか。もう3回目だぞ」

「またか。薬も効きにくくなってきたようだし、そろそろ鎮静剤の量を増やすべきじゃないか?」

「だけどこれ以上増やしたら試薬検査ができなくなるからな……おい、そっちを持って、」

 鎮静剤を握ったまま伸ばしてきた細い手首を、ジェレミアは軽い力を込めて引っ張った。

 その研究者はあっけなく床に転がった。見かけ通り非戦闘員のようだ。

 驚いて眉根を顰めた男の首に左手をかける。ほんの少し力を入れると、手の中で頸椎が磨り潰される鈍色の音がした。

 

 途端に体をだらんと弛緩させて動かなくなった男を前に、白衣を着た非戦闘員達は一瞬沈黙した。

 清潔な白衣の通り彼らには戦場の経験は無く、何の躊躇も無く人を殺害できる人間など目の当たりにしたことが無かったのだった。優秀であろう彼らの頭脳は動きを止め、現状を理解する努力を放棄した。

 長い間市井で生活していたジェレミアよりも、ギアス教団に籠りきりの研究者達の方が一般市民に近い死生観を有しているということは人生の不可思議な一点であったのかもしれない。

 

「え?」

「嘘だろ、なんで」

「いいのか?」

 ジェレミアは死体の胸倉を掴んで軽々と放り投げた。死体は鈍音を立てて机に飛び乗り、スピッツや注射器をなぎ倒しながら丸太のように転がった。机の中ほどでようやく止まった死体は、舌をだらんと垂らして胡乱な瞳を宙に向けている。部屋の空気が急速に冷えてゆく。

「貴様ら、逃げなくてもいいのか?私は諸君らに復讐する権利があると思うのだが」

 既に正気の埒外である筈の被検体が、人が理解できる言語を喋った驚きにまず彼らは言葉を失った。

 

 それから一拍の後、机に横たわる遺体を見下ろし、その場にいた者たちはようやく現状を理解した。

 ジェレミアのデータは彼らの頭の中に入っている。E.U.戦線で活躍した元軍人という単なるデータであった一文が、現実となり彼らに襲い掛かろうとしていた。

 彼らは背筋を凍らせて、足を縺れさせながら駆け出した。

「う、うわぁぁあああ!!」

「ジャクソンが、ジャクソンが殺された!」

「主任、キャンセラー実験体が意識に錯乱を、」

「警備隊を呼べ!」

「V.V.様に連絡を、早く!」

「………意識に錯乱とは心外な。私は至って正気だ。より正確に言うならば、正気に戻ったと言うべきだろうが」

 

 もうこの施設から2回も脱走した経験がある。それも意識が不明瞭な状態でのことだ。さらにジークフリートが納められている格納庫の場所から、警備隊がこの部屋にやってくるであろうルートまで、ジェレミアは既に把握していた。

 サイボーグと化した肉体を以ってすれば脱出は容易だろう。

 ともかく素っ裸であることが気になり、ジェレミアは部屋の隅に立ち並んでいるロッカーの1つから簡素なワイシャツとスラックスを拝借した。靴は見つからなかったものの、既に生身でない体は瓦礫を裸足で歩こうと傷一つつかないだろう。

 そのまま誰もいなくなった広大な部屋を悠々と歩く。

 

 広すぎる部屋には、ジェレミアが入っていたものと同じような巨大な試験管が20以上も立ち並んでいた。その中には黒人や白人、アジア人、子供から老人まで、人類のコレクションとも言うべき多様性に富んだ人々が押し込められている。

 自分と同じ、ギアス研究の被験者だろうということは容易に想像がついた。

 誰も目を開けておらず完全に沈黙している。死んでいるのかどうかも一目では分からない。

 しかしジェレミアは彼らを凝視することはできなかった。彼らの殆どはジェレミアと同じく、体の一部分、もしくは大部分が機械で換装されていたためだった。

 

 肌と機械の境目から赤褐色をした肝臓を露出させていたり、黒紫色をした一対の腎臓を腰背部から小さな羽のように生やしていたり、硬質な骨と白い血管をでろんと皮膚から垂れ下げていたりと、彼らは見るに堪えない程にグロテスクで、試験管のそばを通るたびにジェレミアは嘔吐感に苛まれた。じろじろと見回すとこちらの神経もやられそうだ。

 並ぶ被検体の中には顔面以外全てを機械で換装された、最早クリーチャーと化したものさえあった。SF映画に登場する宇宙人のような、見ようによっては滑稽な存在に生理的な拒否感を抱かずにはいられなかったものの、しかし嫌悪の目を向けることはできなかった。

 自分の体も程度は違えど同じようなものだ。

 シャツを指でつまんで中を恐る恐る見下ろす。他の被検体と比べればまともな外見をしているが、やはり機械と生身の繋ぎ目にはピンク色の肉が盛り上がり、生身ではありえないエンジンのような駆動音が響いていた。左手を動かすと筋肉の代わりに精巧なバネが人工皮膚の下で動くのが感じられた。机を軽く殴ると簡単に2つに割れた。

 自分は人間であると胸を張って言えるような体ではなくなってしまったようだった。

 その事実をジェレミアは粛々として受け止めた。この光景を前にすると、たとえ肉体が人間でなくなったとしても、人間としての意識が戻っただけでもすさまじく運が良かったのだと思う。

 ぷかぷかと液体の中に浮かぶ異形の被検体たちを見回す。自分は意識を取り戻した。彼らは取り戻さなかった。この2つの間には個人の努力はあまり関わらなかった。全ては運が、宗教的に言えば神が決定づけたのだろう。

 一歩間違えれば自分も彼らのように、ただのクリーチャーとして試験管の中を揺蕩うだけの存在になっていたかもしれない。

 そう思うといくら異形であっても彼らに嫌悪感を抱く気にはなれず、ただジェレミアは彼らを哀れに思った。

 

 立ち並ぶ試験管の間を縫うように歩き、異形の被験者達を流し見る。

 その途中、一つの試験管の前でジェレミアは足を止めた。その試験管に収容されている被験者は他よりも多くのカルテに囲まれていた。

 

 その被験者は薄紅色の長い髪を持つ女性だった。女性というより、幼げな色味を残す顔立ちは少女と形容されるべきかもしれない。

 その少女が誰なのかジェレミアは一瞬分からなかった。最後に会ったのが6年前だからということもある。

 しかしそれ以上に、その人物はジェレミアが知っている容姿とはかけ離れた姿をしていた。

 まさかと思いジェレミアは試験管の前に備え付けられていた電子カルテ端末を開き、少女の名前を確認した。

 こんな場所にいる筈のない名前が画面に浮かび上がる。ジェレミアは慄然として、ほんの数か月前まで高貴な美貌を誇っていただろう少女を見上げた。

 

「――――――ユーフェミア皇女殿下」

 

 その女性はルルーシュの異母妹である、ユーフェミア・リ・ブリタニアだった。しかし今は違う。

 長いコーラルピンクの髪を液体の中で漂わせ、化粧を必要としない華やかな容姿はガラス越しでも変わらず若さを誇っている。

 首から鎖骨にかけての滑らかな肌色は肉体労働とはかけ離れた身分であることを示すようにきめ細やかで白い。視線を下にずらすと、胸は年頃の少女らしくささやかに膨らんでおり、桜色の乳頭が頂上に咲いていた。

 しかしそこから下が存在しない。

 まるで胸像のような姿で、ユーフェミアはガラスの檻に幽閉されていた。

 本来ならば横隔膜を隔てて内蔵があるだろう部分は存在せず、代わりに無数のチューブが胸の下から生えている。チューブは軟体生物の足のように試験管の下へと繋がれていた。

 カルテを見ると、チューブの先には内臓の代替をする人工機器に接合されていると書かれてあった。あのチューブ1つ1つが今のユーフェミアをこの世界に繋ぎとめる鎖の役割を担っている。

 ユーフェミアはこの小さなガラスから生涯出られず、生き続けることを強いられていた。本人の意思はどうあれ。

 あまりに無残な有様に茫然としていたジェレミアは、ユーフェミアの瞼が微かに震えるのを見た。

 ゆっくりと見開かれた瞳は暫くぼんやりと宙を漂っていたが、見知らぬ侵入者へ興味がそそられたのか、徐にジェレミアへと視線を移した。

「………あなたは、」

 消え入るような小さな声をかけられて、ジェレミアは肩を震わせてユーフェミアへと振り返った。

 まさかこんな状態の生物が喋るはずがない、という予想を覆し、ユーフェミアはぽつぽつと口を開いた。微かな声はしかし芯があり、意志の強さを感じさせた。

「あなたは、ルルーシュの騎士……?会ったこと、あります、よね……でもちゃんと話したことは、無かったかな……」

 ユーフェミアは途切れ途切れに話しながらジェレミアの顔をじっと見降ろしていた。片目が真っ赤に瞬いている。ギアスを持っているらしい。

 しかしそれさえどうでもよくなる程に、ジェレミアはユーフェミアに未だ意識が残っていることに驚いていた。

 なんという精神力だ。こんな、若く美しい女性に、いったいどれだけ強靭な精神が秘められているというのだろう。

 

 軍人として訓練を積んでいた自分でさえ、ギアスキャンセラーを取り付けた手術前後の記憶は無い。V.V.の口からルルーシュの名が洩れるまで自我の殆どは消失しており、意識など無いに等しかった。あの頃の自分は意味のある言葉など碌にしゃべれなかっただろう。

 そんな無様な自分と比較すると、今のユーフェミアはどうだ。

 自らの意志で喋り、6年も前に言葉を交わしたことも無いルルーシュの部下を思い出している。

 言葉にすればそれだけだ。しかしそれだけのために、どれだけ非常識な精神力を必要とするのか知っているのは、この世でジェレミア・ゴットバルトしかいなかった。

 半身どころか胸から下全ての臓器を失いながらも強靭な意識を保ち続けているユーフェミアへの敬意をジェレミアは抱かずにはいられなかった。

 片手を胸に当てて、ジェレミアは恭しく頭を下げた。

「お初にお目にかかります、ユーフェミア皇女殿下。ご察しの通り、私は非才の身ながらルルーシュ様の選任騎士を務めさせて頂いている者です。ジェレミア・ゴットバルトと申します」

「そう、はじめまして」

「ええ。お会いできて光栄です」

 こんな異様な空間において礼儀正しくも挨拶を交わした2人は、この奇妙な状況に笑いたくなった。2人とも並みならぬ強靭な精神力を備えているとはいえ、現実逃避に走りかねないほどに追いつめられていた。

 だが笑う暇など存在しなかった。特にユーフェミアの方は。

 ユフィは微笑み、頭を下げたままのジェレミアに声をかけた。

「初めての方に、こんなことを頼むことはおかしい……けど、お願いがあります」

「失礼ながら、私は今この施設から逃げ出そうとしている身です。お力添えになればよいのですが」

「大丈夫です」

 ユフィは笑みを深めた。

「私をここから連れて逃げてください」

 聞きようによってはプロポーズめいたドラマチックなセリフに、しかしジェレミアはただ哀れに思った。

 それが不可能だと理解できる程にこの少女は理性を保っていないのだろう。ジェレミアは出来得る限り限り優しく声を出した。

「ユーフェミア皇女殿下。恐れながら、私には不可能です。あなた様のお体では、ここから逃げることは……」

 ジェレミアはユーフェミアと繋がれているチューブに目を落とした。

 

 このチューブがある限り、ユーフェミアは鎖に繋がれた犬よろしくここから逃げることは不可能だ。だが内臓の殆どを失っているユーフェミアはこのチューブを切断すると死ぬだろう。

 

 突きつけられた現実に絶望するか、それとも泣き崩れるだろうというジェレミアの予想とは反し、しかしユーフェミアは柔らかな微笑みを浮かべたままだった。

「分かって、ます。いいです。死ぬ覚悟は、できてます」

「しかし、」

「このままここに、いても、私は……実験体として、ギアス嚮団の研究に間接的に協力することになる。死んでいるのと、同じ。そのくらいなら、いっそ、逃げたい。死ぬなら、最後に―――会いたい」

 拙い言葉遣いでユーフェミアはジェレミアに訴えた。

 目は必死にジェレミアを説得しようと瞬いていた。その瞳の色がルルーシュと似ていて、ジェレミアはぐ、と息をつめた。

「……お待ち下さい、カルテを見てみます」

 電子カルテに目を落とし、ジェレミアは凡そのユーフェミアの状態を確認した。

 

 士官学校で教わった程度の医療知識では詳細なことは分からなかったが、少なくともチューブを切っても即死はしないようだった。

 その事実にジェレミアはほんの少し安堵し、そして大きく絶望した。

 チューブを切ったら即死すると言えば、ユーフェミアも思い直してくれるかもしれなかっただろうに。

 これでは自分はユーフェミアを連れて逃げるという選択肢しか無くなってしまう。

 ここに残れば嫌でも生きることができるが、彼女の意志の通りに連れ出せば、即死はせずとも数時間ともたずに死ぬと分かっているのに。

 

「ユーフェミア皇女殿下、」

「早く、お願い。警備が来ます」

 急かすユーフェミアの声に、ジェレミアは目を閉じて、煩悶を抱きながら試験管に掌を合わせた。

 

 自分の行いはこの少女を殺すことになる。

 たとえそれが少女の望んだ結末であれ、気分が良いものではなかった。出来得ることならば少女の言葉に耳を貸さずに、このままこの小さな試験管の中にユーフェミアを留めて、その生を長引かせてやりたかった。

 だがユーフェミアの言う通りこのままここに幽閉され続けて命を伸ばしたとして、それは生きていると言える状態なのだろうか。

 理性が戻らず、錯乱した状態であった自身が生きていたかと問われれば、ジェレミアは首をすぐさま横に振る。意識の無い自分などそれは自分ではない。

 人を人足らしめているものは意識でしか有り得ないのだから。

 同じ境遇を経験した者として、死を望む少女を見捨てて逃げることはジェレミアの矜持が許さなかった。

 

「良いのですね。ここから逃げれば、あなたはもっても数時間程度しか――――」

「いいのです。いいです」

 ユフィは目を大きく開いて、まっすぐにジェレミアを見た。

「戦うこと、戦い続けること、そのために命をかけること、平和と安穏だけが人生の全てではありえないこと……戦わなければ、何も得られないこと……そう、ルルーシュが教えてくれた。私は愚かだった……」

 寂し気なユーフェミアから目を逸らし、ジェレミアはガラスを殴った。

 ガラスが飛散する。ジェレミアはガラスの割れ目からユーフェミアの体を引きずり出した。

 そのまま胸の下から伸びているチューブを引きちぎる。

 ぶちぶちとちぎれたチューブの先からは赤や黄色の液体がぽたぽたと漏れ出ていて、それがまるでユーフェミアの命そのもののように見えた。

 ジェレミアはあまりにも軽いユーフェミアを担ぎ上げて、弾けるように走り出した。

「スザクに会いたいの、スザクに……どうか、最後に……」

 そう呟くユーフェミアに、ジェレミアは歯の根をうち震わせて噛みしめた。

 

 

 

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

 

 

 

 砂漠の夜は寒い。

 ランスロットで宙を切り裂くように飛ぶ。

 何もない景色は体が溶けてしまいそうなほどに真っ暗で、星が異様に輝いて見えた。日本やブリタニアでは見ることの叶わない無数の星々を美しいと感じるにはスザクはあまりに気が立っていて、上から自分たちを嘲笑っている腹立たしい何かとしか思えなかった。

 スザクは高度を落とし、黒の騎士団が簡易的な本部を置いている場所へとランスロットを降ろした。そのままコックピットから飛び降りる。

 一時帰投したKMF搭乗者や、KMFの整備兵がスザクの姿を認めるなり嫌悪の籠った視線で睨む。しかしスザクは表情を変えることさえ無かった。

 睨まれるくらいであれば別になんということも無い。

 それどころか売国奴と呼ばわれている自分が黒の騎士団に協力するのだから、ゼロの目につかない場所で暴力を振るわれる程度の覚悟は既に固めていた。

 だが実際には嫌悪や軽蔑の目に晒されることはあっても、直接的にスザクを害そうという輩はいないようである。

 作戦開始前にゼロがスザクを「この作戦における貴重な協力者」と団員達へ説明したからだろう。ゼロからの直接の言葉とあり、嫌々ながらも団員はスザクがそこにいることを認めているようだった。

 

 スザクはゼロへ報告するために足を速めた。

 ルルーシュの下で仕事をするなど、これまで考えたことも無かった。ルルーシュがゼロだと知った後はさらにそうだ。

 だがこうして実際に働くとルルーシュが指揮官としていかに有能かよく分かる。作戦は簡潔かつ明快であり、各部隊へ向ける指示も気持ちが良いほどに切れが良い。さらに兵士への気遣いもあり、疲労した部隊の休憩時間や兵站の備蓄までルルーシュは全てを把握していた。一兵士としてここまで働きやすい環境は無いだろう。

 かといってこのまま黒の騎士団に移籍する気は無いが。

 

 スザクは蜃気楼の傍に立つルルーシュを見つけ、周囲に人がいないことを確認して近寄った。

「ルルーシュ、順調?」

「いや、あまり」

 ルルーシュは力なく首を振った。

 

 着々とギアス嚮団の捜索範囲は広がっているが、よほど厳重に居場所を隠しているらしくしっぽすら出ない。

 相手に気取られるとジェレミアとユーフェミアを人質に取られる可能性もあるため、慎重に慎重を重ねた捜索が強いられることも作戦の進行を遅らせる要因となっていた。

 

 カレンが小走りに駆けてきてぴしりと敬礼した。

「ゼロ、予定通りポイント23からポイント34までは捜索終了致しました。目立った成果はありません」

「そうか……やはりあるとすれば砂漠の中央付近か」

「なんで?」

「地下に空洞がある箇所が存在するんだ。ギアス嚮団はそこに拠点を作っている可能性が高い」

「なら最初からそこに向かえばいいんじゃないかな。捜索範囲があんまりにも広大だと時間がかかりすぎる。ゼロだっていつまでも中国にいられる訳じゃないんだろう?」

「周囲に監視カメラを仕掛けている可能性が高いから、端からちょっとずつ潰しているのよ。で、大体の場所が分かったら突っ込むってわけ」

「短期決戦を挑むのも手だが、ジェレミアとユフィの身柄があちらにある以上危険は避けたい。時間的に余裕が無いのも確かだが……それで、お前の方はどうだ」

「ランスロットで高高度から砂漠の全範囲を見回してみたけど、施設らしきものは無かった。ブリタニアの研究施設があるとすれば、やっぱり地下だと思う」

「そうか」

 ルルーシュは胸から地図を取り出し、思案し始めた。

 微動だにせず思考を巡らしている様子に、遠からずルルーシュはギアス嚮団の場所を割り出すだろうとスザクは確信した。

 ルルーシュと自分が揃って不可能だったことなどこれまで1つも無い。

 しかしそうと知っていても、スザクは焦燥感に身を焼かれる思いをしていた。

ユーフェミアが本当にギアス嚮団に囚われているのか、そして無事かどうかということはまだ分からないのだ。

 

 ジェレミアはギアス嚮団に捕らえられて、正気を失っていた。もしかするとユーフェミアも同じような目に遭っているかもしれない。

 いや、軍人で体力のあるジェレミアだからあの程度で済んでいただけで、ユフィはもっと酷い目に遭っているのではないか。

 そう思うとスザクは今すぐにランスロットでギアス嚮団に奇襲を仕掛けに行きたかった。

 無論、自分が冷静な思考ができていないことは理解している。だからこそスザクはルルーシュに判断を任せることにした。

 たとえ最善でなくとも、ルルーシュは正解へ至る最短の道を知っている。

 

「スザク」

「うん」

「カレン」

「はい!」

「ギアス嚮団本部のある凡その場所を割り出した。強襲する寸前まで気づかれないよう近づくために、お前とカレンには高度70km地点からギアス嚮団へ砲撃を行ってもらう。紅蓮とランスロットの耐久性ならば中間圏にも耐えられる。砲撃により大地に入口が空き次第、突入する」

「砲撃した後はどうすればいいの?」

「勿論突入部隊に入ってもらう。詳細は地下空間の情報がもう少し集まってから伝える。ドルイドシステムを全稼働しているが、ここまで遠距離かつ地下となると情報収集にも時間がかかるようだ」

 ルルーシュは砂漠に立つ蜃気楼を一瞥した。蜃気楼は寸断なく放熱しながら、ドルイドシステムの全容量を使用して稼働させている。ドルイドシステムが人類史上最も優れた情報解析システムであることはルルーシュも認めているところだが、それでもこのままではあまりに時間がかかり過ぎるように思えてならなかった。

 あまり時間はかけたく無い。ゼロとして長く中華連邦に留まっていられないという事情以上に、ジェレミアとユーフェミアがどんな状況にあるのか分からない以上気が急いてしょうがない。

 自分を含め皇族をモルモットとしか見なしていないギアス嚮団が、2人に何をしているのか想像することすら叶わない。

 

 ルルーシュは焦りと共に視線を上空へと向けた。本当に、星が降っているようだ。

 視線を吸い取る濃黒色の夜空が視界を覆い尽くす。端から端まで大小含めて無数の星が鏤められており、嘲るように瞬いていた。

 ルルーシュは眩い星空に、ふと自身の初陣を思い出した。8年前のヨーロッパでのことだった。

 初めて指揮を執った作戦は無事成功したものの、直後に反乱が起こって死にかけた。必死になって司令部を逃げまどい、3階の窓からテーブルクロスをロープの代わりにして飛び降りたのだった。お粗末な逃亡劇に今では苦笑しか湧かない。今見上げている夜空はその時の星空とよく似ていた。小さな人間の小さな幸福を嘲笑うかのように瞬いている。

 星の内の一つが、徐々に大きくなっていることにルルーシュは気づいた。一定のリズムを保って点灯する星はあまりにも人工的な光を保っており、凄まじい速度でこちらに迫っていた。

「―――なんだ?」

「流れ星?」

 ルルーシュにつられてカレンとスザクも同じように空を見上げた。

 数十秒の後、その1点は星の瞬きとはとても思えない程に巨大化し、轟音が周囲に響き渡り始めた。星などではなく、それは人工的に作られた機械だった。オレンジ色の球体をした機体が、真っすぐにこちらへと向かってきている。

 

 ドルイドシステムへ情報解析にかけるまでもなく、ルルーシュはそれが何か気づいた。

 もう2度も見た機体だ。KGF、ジークフリートだ。

 

「ゼ、ゼロ、あれは、」

「撃つな!あれは敵ではない!」

 ジークフリートを目にしたことのある団員はKMFに乗り込もうと体を浮かせたが、ゼロがそれを制止した。

 ゼロ直接の命令とありKMFで集中砲火を浴びせることは思いとどまったものの、それでもこちらへと襲い掛かろうとしているように見えるジークフリートへ数人の団員は悲鳴のような声を上げた。

「しかしゼロ、あれはこちらに落ちてきます!」

「攻撃するつもりなのでしょう、すぐに応戦を、」

「違う、ここに着陸するだけだろう。だが万が一ということもある。俺とカレン、そしてスザク以外は避難しろ!」

 ゼロがそう指示すると、その場にいた団員は戸惑いながらも指示に従って走り出した。

 指揮官であるゼロを残して逃げるという異常事態に疑問を抱いた団員は少なくなかったが、ゼロの指示が間違っていたことはこれまで1度として無かった。ならば今回の命令も何かしらの意味があるのだろうと判断し、枢木スザクと共に立つゼロを背に、頭上の敵から逃げ出した。

「ルルーシュ、あれ」

 茫然とするスザクに、ルルーシュは沸き上がる歓喜に仮面の下で頬を紅潮させていた。

「ああ。ジェレミアだ、ジェレミアが帰ってきたんだ!」

 ジークフリートは頭上50mのあたりで突如として速度を落とした。

 響いていた轟音が止む。頭上で静止したオレンジの果実は、雪の結晶のように緩やかに地面へと降り立った。

 

 ルルーシュは走り出した。ジークフリートの一部が地面に零れて、そこからよく知った顔が降りてきた。

「ジェレミア、ジェレミア、ジェレミア!」

 何度も彼の名を呼び、ルルーシュは息を切らせながらジークフリートへと駆け寄った。

 ようやく会えた、ようやく帰ってきた、ようやく……

 駆けるルルーシュの足は、しかし緩やかになり、歩みを止めた。眼球が脳へと鮮明に伝えた映像から、それが何なのかを理解することを感情が拒んでいた。

 

 ジェレミアは腕に化け物を抱えていた。

 

 胸から上の造りを見るにかろうじてそれが人間であったことは察せられたが、しかし少なくとも今のこの瞬間において、それは人間と呼べるものではなかった。

 嘔気と怖気で足を止めたルルーシュを押しのけ、猛然と駆け出したスザクがジェレミアの腕からその少女を奪うように掻き抱き、地べたに蹲った。

 

「嘘だ」

「―――スザク、」

「嘘だ。嘘だ」

 嘘だ、と繰り返してスザクはその少女を見下ろした。

 ユフィだ。しかし胸から下が無い。華奢な胴体があった筈の場所は、鈍色のチューブが我が物顔で占拠していた。

「スザク、よかった。会えた」

 微かな声にスザクは体の震えが止まらなかった。

 

 何だこれは。嘘だ。

 これは悪い夢だ。きっと。全て夢なんだ。

 ユフィはこんなに小さくない。それに前に抱きしめたときは、こんなに冷たくなかった。

 しかし質の悪い夢にしては視覚も感触も生々し過ぎる。眼球を抉り出したい衝動にスザクは駆られた。

 そうすればもうこんな光景を見なくて済む。しかし眼が見えなくなれば、もうユフィの笑顔を見ることさえ叶わなくなる。どうすればいいのか分からない。どうしたらいいのだろう。

 

 そうだ。僕はいつだってそうだった。父さんが死んだときだってそうだった。

いつだって、自分はこれは夢だと思うばかりで、何にも出来やしないんだ。

 

 ユフィの声は耳を澄ませないと聞こえない程に小さく、命の灯が今まさに消えようとしていることを残酷に証明していた。

「あのねスザク、言いたいこと、あるの」

「ユフィ、ユフィ、どうして、」

「ああ、意識が、私の意識が統合されていく………おねがいスザク、聞いて、」

 体を震わせるスザクへ、ユフィは今まさに落ちようとする夕日のような熱を込めて微笑んだ。

 白くて丸い頬をスザクの胸に擦り付ける。スザクはユフィを抱きしめた。

 他のことは何もできなかった。ただ一言もユフィの言葉を聞き逃すまいと、スザクは耳をユフィの口元へと近づけた。微かに鼓膜を震わせる程度の小さい音がした。

「………スザク、私、幸せ―――」

 ユフィは涙を零した。雫が頬に透明な道を作った。指先で涙を拭いながら、スザクは再度、嘘だ、と呟いた。

 菫色の柔らかい瞳には諦念と愛情が浮かんでいた。死を前にして浮かべる表情ではない。それも体を弄られて、人間としての尊厳も失って、理不尽な死を迎えようとしているのに―――

 憎悪や憤怒を微塵も感じさせない笑みはあまりに悲しかった。そして彼女の笑みは、幸せだという言葉が嘘では無いという何よりの証明になっていた。それに彼女の愚かなまでの純粋性、人を疑わない性質、そういった美徳をスザクは誰よりも知っていた。

ユフィは唇の隙間から息を吐いて、空気を震わせた。

 

「だからスザク、私、何も恨んでないわ――――」

 

 ユフィはゆっくりと目を閉じた。

 体の全ての動きを止めて、彼女は眠る様にスザクの腕の中に体を任せた。

 ルルーシュは静かに首を振ってジェレミアの腕に縋った。ジェレミアは周囲から見えないよう、ルルーシュの肩を抱いた。

 

「ユフィ、ユフィ?」

 スザクはユフィの体を何度も揺さぶった。

 これは冗談で、ユフィは眠っているだけなのだとスザクは本気でそう思っていた。

 何しろ、あまりにも非現実的な光景だった。ほんの少し前まで、これからユフィを救いに行こうとルルーシュと話をしていたのに。

 ゼロと手を組んで、カレンとも協力して、黒の騎士団に交じって。それなのに救えないなどという想像をスザクはしていなかった。

 揺さぶられるが儘のユフィに、スザクは再度、嘘だ、と呟いた。

「ユフィ、ユフィ、ねえ、起きてよ。冗談はやめて、ねえ、ユフィ、」

 スザクの新緑色の瞳が濁る瞬間を目の当たりにして、ルルーシュは怖気が走った。

 

 自分もジェレミアが死んだと思い込んだ時に、スザクと同じような瞳をしていたのだろう。

 傍から見るとスザクの姿は痛ましくもあったが、それ以上に恐ろしかった。

 狂気に走る人間の心情を理解できるのは、同じ狂気に身を置いたことのある人間しかいない。そしてルルーシュはスザクを理解できてしまう種類の人間であった。

 自分とスザクが違うのは、ジェレミアは帰ってきたが、ユーフェミアは二度と帰ってこないという事実がスザクの腕に横たわっていることだ。

 それはスザクにとって何の慰めにもならなかった。

 

「誰のせいなんだ?ブリタニア、それとも、ギアス嚮団?ねえ、ユフィ、教えてよ。お願いだ」

「……スザク、」

「うるさい!違う、こんなの嘘だ!」

「スザク、ユフィはもう、」

「黙れよ!違うんだ、だってユフィは僕や君みたいな人殺しじゃない、だから、だから………」

 スザクは彫像のように美しいままのユフィの頬を撫でた。

 冷たい。触れた指先から温度が消え去り、スザクの中にあった温かいものが流れ去って行く。

「だから、僕は……っ」

 永遠に手の届かない場所へ行ってしまったユフィの残骸を抱きしめて、スザクは割れ響く鯨波を上げた。

 その声は復讐者の産声であった。

 

 

 

 

 

 

破 劇終

 

 

 

 

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