ヒノカグツチからレーヴァテインへ。フランドール・スカーレットの出生にまつわる秘密とは。レミリアが見る八十年前と四百九十五年前の夢が、惨劇と出会いを紐解いていく。フランドールの名前の元ネタの一つと思われるフラムドール(金色の炎)と、フランのレーヴァテインの名前にヒノカグツチという候補があったというところからネタを膨らませた妄想過去話です。ごゆるりとお楽しみください。

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ラ・フラムドール

 妹が二人の人間と戯れている。牙をむき出しにして、奇妙な杖を振り回して笑っている。

 片や人間たちは、妹ほど感情を出してはいない。博麗霊夢は好戦的な笑みを浮かべつつも自分の軽はずみさを後悔している様子だし、霧雨魔理沙は呆れつつもとりあえず今の弾幕勝負を楽しもうと努めている。

 

「一言ですぐさま弾幕勝負に突入とは、相変わらずねえこの郷は」

「本当ですわね。ところで、ケーキはいかがいたしましょう」

「勝負が終わったころにぬるくなってたら、今度はあなたが勝負を挑まれかねないわ。一度下げておいてちょうだい」

 

 自分と妹のフランドール、そして客人の人間二人。お茶会で四人に供された咲夜お手製のケーキは四者四様であったのだが、それが問題だった。

 妹と巫女が一種類のケーキを気に入り、頑なに譲らなかったのだ。そのあとは売り言葉に買い言葉、あっという間に弾幕勝負だ。魔理沙はなぜか面白そうだからと言って混ざった。

 フランドールの弾幕はド派手だ。カラフルな色の弾幕をぶちまけるパワータイプ。自分も似たところはあるが、なんというか違うのだ。フランのそれは小細工を弄して計算したうえでのパワーであり、だるま落としを失敗するタイプなのだ。

 

「自分でも何言ってんだかわからないわ」

「お疲れなのでは?」

「そうねえ。少し眠るわ。終わったら起こしてちょうだい」

 

 昨日は読書に熱中しすぎたせいか、眠気がまぶたにこびりついている。

 レミリアは目をつぶると、テーブルのひんやりとした感覚を頬に感じながら眠りについた。

 

  *

 

 夢を見ている。

これは今からざっと八十年ほど前のことか。

 

「オジョウサマー」

 

 こんこん、とノックの音が響く。浅い眠りと目覚めの間をふらつく感覚。

 

「オジョウサマー。アサデスヨー」

 

 ずずず、という音。きっと自分の入っている棺桶の蓋が動かされているのだ。

 

「オキテクダサ――」

「Shut up!」

 

 レミリアは身を起こすと、一息に小間使いの首をつかんで壁に叩きつけた。

 

「What’s happened!? It’s still morning!」

 

 強いウェールズ訛りでわめき散らすと、小間使いはおびえた様子で片言の英語を話す。

 

「お、オジョウサマ、言った、私、用事、起こせ、朝――」

「ああ、そうだった。ごめんなさいB.B.」

 

 レミリアは自分の命令を思い出すと、あっさりと表情を変えた。ついでに言葉も聞き取りやすいよう意識する。

 

「昨日、この時間に起こすように言ったんだったか。ごめんごめん。お詫びに私のふかふかの棺桶で昼寝してよし」

 

 小間使いを片手で背後の棺桶に放り込んだ。靴をかすめ取るのも忘れない。

 

「オジョウサマ。それで、私、なにする?」

「あー、ちょっと待って。今作っちゃうから」

「作る?」

 

  *

 

「はいできた」

「何、ですか、これ」

「見ての通り、看板よ」

 

『魔法使い求む

 若年の少女の姿をしていること

 一抱えもある本を持っていること

 西洋人であること

 初めて訪れた屋敷のドアを吹き飛ばせること

 以上をすべて満たすものは、看板を持っている小娘に声をかけられたし』

 

 目を白黒させる小間使いをよそに、にんまりと笑みを浮かべてレミリアは命令した。

 

「これを持って広場に立ってなさい」

 

  *

 

 シルクロードの最果て、中国は上海。

 異国という異国を詰め込んだ宝石箱にして無法地帯、上海租界。その一角にある広場で、中華服姿の赤毛の小娘が、英語で書かれた奇妙な求人内容を掲げている。

 道行く紳士淑女はそれを物好きが手品師を探しているものと思い。

 正体を隠した人々は正真正銘魔術師を探しているものと見抜いた。

 

『下らないわね』

 

 そして、その看板を見て、まったく同時に二人の少女がつぶやいた。そして、相手が自分のつぶやきを聞いたことを理解し、片や渋面をつくり、片や眉間にしわを寄せた。

 一人はつややかな紫の髪の、体のラインが出ないローブをまとった小柄な少女。

 一人はきらびやかな金の髪の、素朴かつ上品なワンピース姿の更に小柄な少女。

 片やたった一人で小脇に本を抱えており。

 片や赤と黒の色を基調とした紳士を従え。

 しかし、相手をにらむ視線の奥には同じものがあった。

 

「……」

「……」

 

 二人は同時にその手を繰り出した。

 片や石を形作り。

 片や鋏を形作っていた。

 

「ぐ……」

 

 やむなく、紫色の髪をした少女は歩き出す。

 興味を示し、勝ち取った以上、魔法使いは行かなくてはいけない。そういうルールなのだ。

 

  *

 

 小間使いに連れられ、紫のローブの少女はたどり着いた屋敷を見上げた。

 

「で、ここが?」

「エエ。紅魔館、です」

「……『しゃべりづらいでしょ』」

 

 ぎこちない英語を見かねて中国語で話しかけると、小間使いはこれまた不器用な笑みを浮かべ、こう返した。

 

「『ええまあ。でも、英語以外を使うとお嬢様は大層怒られます』」

「ふうん。じゃ、やりますか」

 

 上海租界のはずれ。魔術的な結界が張られ、案内が無ければ容易にたどり着けない一角。そこにたたずむ紅魔館へとたどり着くと、紫色の髪をした少女――パチュリーはB.B.を脇に置いて魔導書を開いた。

 

「何、する、ですか?」

「ドアをブッ飛ばすのよ」

 

 B.B.が文句を言う暇もなく、パチュリーは略式詠唱で衝撃の呪文を唱えた。不可視の力が紅魔館の正面玄関ドアをぶち破り、轟音と共に館の内部へと叩き込む。

 

「イヤイヤイヤ、何してる! ですか!」

「主人はご満悦のようだけど」

 

 パチュリーが指差した先。千切れたドアを左右に従えて、玄関ホールに置かれた椅子にふんぞり返っている吸血鬼がいる。

 

「Damn good!」

「おほめに預かり光栄だわ」

「いやあ気に入ったよ。よく連れてきてくれた、B.B.」

「……紳士録?」

「いや、beautiful bellだ。そいつはいい音色でなく」

 

 レミリアがB.B.の頭を小突くと、ちりりんと小気味良い音が鳴った。

 

「なるほど」

「歓迎しよう魔術師。私は当主のレミリア・スカーレット。こいつは小間使いのB.B.だ」

「パチュリー・ノーレッジよ」

「よろしくパチュリー。さて、早速だがついてきてくれ。妹がいる。そいつが問題でね……」

「待ちなさい」

 

 地下へと歩みを進めようとしたレミリアの足が止まる。

 

「私を雇おうとした目的も、私に提供してくれる対価も、まだ何も知らされてないわ」

「ああごめん。もうすっかり雇っていた気分になっていた」

「……どういうこと」

 

 レミリアは目を閉じた。

 

「テーブル。紅茶。白磁のような手。一抱えもある本。脇でひしゃげた玄関のドアを直すB.B.」

「何よそれ」

「宿命さ」

「……分かるように説明して」

 

 パチュリーがいら立ち交じりで説明を求めるが、レミリアは意に介さず芝居がかった所作で話を進めた。

 

「とにかく。私は魔法使いを雇おうと思っていたところだった。上海もそろそろ華を過ぎつつある。あと何年かしたら、この館を移したいんだが、地下室ごと移すには本職の魔法使いの協力が必須だからね」

「ふむ」

「で、対価だが……どうする? 金か? それとも拠点が欲しいか?」

「出来ればここに居つければと思ってる。上海での用事は済ませたけれど、次に頼るツテがないの」

「それはいい。屋敷を移すごとに別の魔術師を雇ってちゃ都合が悪いし、一人ぐらい食客を囲うのも貴族(ゾク)っぽくて素敵だ。さて、あなたはここで待っていなさい、B.B.。何かあったら、地下の封印された書斎にいるから」

「はい、ワカリマシタ」

 

 恐縮した様子で頭を下げる小間使いに、パチュリーはねぎらいの言葉を投げておいた。

 

「……『案内ごくろうさま、美鈴(メイリン)』」

「え、あ、『どういたしまして』」

「ふん。召使を甘やかすなよ。私がつけた以外の名で呼ぶなんてもってのほかだ」

「じゃあ、首にする?」

「雇う前から首にすることはできんさ。さ、案内しよう、パチュリー・ノーレッジ」

 

 レミリアとパチュリーは地下へと続く階段に歩みを向けた。

 

「設備は前にいた魔法使いが使っていたものをそのまま使っていい。封印が施してあるから経年劣化はないはずよ。私が見ても畑が違い過ぎて分からないから、お気に召すかはわからないけど」

「いつのよ、それ」

「ざっと四百年前か。百年前にここに移った時は、流れの魔術師に仕事を頼んだから、工房と図書館はノータッチだったし……それ以来、誰も触れてない」

「いいのか悪いのか。で、どこに移すの?」

「日本……は微妙か。これから負けるしなあ、あの国」

「それも宿命?」

「いいや必然だよ。ルーズヴェルトを呪殺するとか面白いことしてるけど、まあ焼け石に水だろう。首相なんて歯車の一つにすぎんさ」

 

 レミリアは1つの扉の前で立ち止まった。

 

「さあついた。ここだ」

「……『ヴワル魔法図書館』、か。趣味の悪い名前ね」

 

 一気にパチュリーの顔が曇ったのを見て、レミリアは内心冷や汗をかいた。前任者とはどうやら知り合いらしい。それも、悪い意味で。

 

「ノーレッジ魔法図書館に変えても私は一向に構わんよ」

「そういう問題じゃないわ。……まあ、中身は期待できそうね。癪だけど」

 

 パチュリーはてきぱきと扉の封印を解きにかかると、五分もかからず扉を開いた。

 

「随分あっさりね」

「あくまで中身の保全が目的だからでしょう。もぐりの魔術師がわざわざ吸血鬼の館の地下に押し入るとは思えないし、凝った防犯を施す必要なんてないわ。ある程度の腕がある魔術師ならあっさり開けられるようにご丁寧に設定してあるのよ……むかつく」

 

 その意図が癪に障ったのだろうか。パチュリーの語気の厳しさに、また冷や汗をかく羽目になった。

 パチュリーは図書館の広い空間を見渡すと、意地の悪い姑のように、手近なソファーの手すりに指を滑らせた。

 

「……ふん」

 

 どうやらホコリ一つなかったらしい。そのままさっさと蔵書をあらため始める。レミリアは長くなりそうだと踏んでパチュリーに声をかけた。

 

「どのくらいかかる」

「……」

「おい」

「…………」

「聞いてるのか」

「………………」

「どのくらいかかるのかと聞いてるんだ!」

 

 テーブルにこぶしを叩きつけながら叫ぶと、さすがにパチュリーも反応した。

 

「……チッ。一時間くらいよ。昼寝でもしてなさい」

 

 それだけいうとさっさと本に向き直った。

 

「それが雇い主に対する態度か……?」

 

 とはいえヒマなのは事実だ。レミリアはソファに横になった。

 

「ああ、そうだ」

 

 ヴワルという名前を見て思い出した。レミリアは手近な本を開いたまま顔に伏せて乗せると、帽子を手にとり腹に乗せた。更に行儀悪く足を組み、右手をソファから垂らす。そして姿勢を落ち着かせると、微睡に身を任せた。

 時はさらに四百年ほどさかのぼる。

 

  *

 

 壁に貼り付けられた父。首から上が無くなり倒れている母。泣き叫ぶ赤子。

 そして、胸に大穴を空けた――。

 

「……朝か」

 

 嫌な夢を見た。いや、夢でないことは分かっている。むしろ、今見ているものこそ夢、夢の中のそのまた夢なのだから。

 

「分かってるんだ」

 

 レミリアはさっさと着替えを始めた。下級の妖怪の侍女もついているが、あまり他者に面倒を見てもらいたいとは思わない。こちとら一年前まで平民の人間だったのだ。

 そして気詰まりな朝食へと赴く。勿論吸血鬼にとっての朝食であり、歩く廊下はもう薄暗い。しかし自分の目はそんな中でも全く視界に困ることなく、自分が吸血鬼になったのだと否応なく自覚させられる。

 

「レミリア」

 

 朝食は家族揃って取るものだが、そこに和やかな団欒などはない。吸血鬼にとっての親子とは、血を吸い吸われた関係を言う。

 父はいかつい顔にいかつい髭の、これぞ貴族という型にはまった見た目の男だ。

 

「未来は見えたか」

「いいえ」

「本当か。もう予定日は近いのだぞ」

「まだでございます」

 

 父は苛立たしげに言う。

 

「まったく。何のためにお前を家に迎え入れたと――」

「お父様。あまりレミリアを責めないでください」

 

 そういうのは兄。兄、なのだが。

 

「我らの中にも、自分の特異な能力を従えきれないものは多いでしょう」

 

 仕立てのいい服の一揃いの上に、梟の被り物が乗っている。

 

「そんなことは分かっている。そのうえでなお、自由に扱えるようになれと言っているのだ」

 

 父は兄の言葉を意に介さない。

 

「あなた。今日はディスワード卿と狩りに出られるのでしょう。あまり苛立ってはいけませんわ」

「むう。それもそうか。さあ、料理がさめないうちにいただこうか」

 

 だが、母の言葉にあっさりと手のひらを返した。いつもそうだ。

 この腹の大きい母に、父はありったけの愛情を注いでいる。そのせいで兄が冷たくされるのはいつものことだ。所詮よそ者の自分はともかく、血を分けた兄まで。

 そう、兄は父と母の間に生まれた子だ。そしてまた一人、母の腹に宿っている。

 これが、流血によって数を増やす吸血鬼にとって、なんと特異でおぞましいことか! レミリアは吸血鬼になってからたった一年で、そのことを思い知っていた。

 ほかの家の『子』はみな、『親』に噛まれた元人間。レミリアと同じように、本質的には奴隷である。

 たとえ吸血鬼同士で交わったとしても、百年に一度子を成すかどうか。そもそも吸血鬼にとって性交は娯楽にすぎず、子を成すための行為ではない。その歴史において、吸血鬼同士の子より、ダンピール――人間とのハーフ――の方が圧倒的に多いと言えば、いかに吸血鬼が子を成すのに向かない種族であるか分かるだろう。

 だがこの父はそれを成した。そしてまたそれを成そうとしている。

 たった一言――母が、『あなたとの子が欲しい』と言ったばっかりに。

 おぞましい。

 おぞましい!

 

  *

 

「おぞましい!」

「まあまあそう言うな」

 

 ごろごろとソファに寝っころがりながらセイジ・ヴワルは言った。

 顔に本を乗せ、腹に帽子を伏せ、行儀悪く足を組み、手を垂らした格好。いつもの姿勢だ。

 

「あなた、いつもその恰好ね」

「これは私が開発した、最も考えごとに適した姿勢だ。今度試してみるといい」

「はいはい」

 

 派手な毛皮のコートに身を包み、首元には白いファー。まるで白鳥のような姿のヴワル。彼女はこのスカーレット家のお抱えの魔術師であり、地下に図書館と工房を構えている。

 そこはある種の独立空間となっており、ヴワルの呼びかけが無ければ小間使い達も気味悪がって入ろうとしない。それがレミリアにとってはある種の救いだった。

 この館の調度品はどれも、母が所望し父が揃えたものばかりだ。この館そのものさえそうかもしれない。それに気づくにつけて、レミリアは館から居場所を失いつつあった。おまけに館の外に父の許可なく出ることができないとあっては、もはやひと時の安らぎもない。

 そんな時、レミリアは賢人(セイジ)を自称するこの奇天烈極まりない魔術師のもとを訪れる。大抵はよく分からない薀蓄や魔術の話をされるばかりだし、研究中は話に付き合ってさえくれないこともある。それでも、わけのわからない話をしたり、放っておかれて一人で本を読んだりしているとき、レミリアは自分の気分が安らぐのを感じた。

 たった一人の友人だとすら思っていた。

 

「それで、妹様。今日はまた父上への愚痴かね?」

「それもある。けど、今日は勉強をしにきたの」

「吸血鬼が子を成すことについて、かな」

「ええ」

 

 人間だったころ、妖怪なんてものは別世界の存在だった。吸血鬼が、魔法使いが、どんな習性と性質をもつものか。それをこの一年で、レミリアに教えてくれたのはヴワルその人だ。

 

「前回は、長く生きた吸血鬼について……だったかな。おさらいをしよう」

 

 ヴワルもヴワルで他人に何かを教えることを、研究の息抜きとしてお気に召しているようだ。よほど忙しくない時でなければ、嫌な顔をせずいろいろなことを教えてくれる。

 

「吸血鬼は基本的に、単純な物理攻撃では死亡しない。更にさまざまな魔術を扱うことができる。霧になり、狼や蝙蝠に変じ、影に潜み、血を操る。ここまではいいな?」

「ええ。でも、そのかわり様々な弱点も持つ。日光、流水、銀、十字架――」

「全てが有効とは限らんがね。それは血統や個人差による。十字架や聖水を恐れない吸血鬼も多いが、しかし日光と流水と銀はほとんどの血統が弱点としている。それはなぜか?」

「吸血鬼とは、元々が病気を発端とする怪異だから」

「そう。日光と銀は消毒に通じ、流水は伝染病を遮断する。十字架は基督(キリスト)の信徒による後付だ」

「現に、私は十字架を触ってもなんともないわ」

「そう。そんな個人差だが、弱点のみならず特技にも存在する。たとえば、先ほど挙げた汎用的な魔法にも得手不得手が存在する。更に、長く生きた吸血鬼にはそれらとは全く別の能力が芽生える場合もある」

 

 ヴワルは身を起こし、宙に文字を描いた。魔術が働き、書架の暗闇の奥から一冊の本が飛んでくる。

 

「たとえば血液を発火させる能力。声で動物を操る能力。嵐を巻き起こす能力。とまあ、おさらいはこれくらいだな」

 

 ヴワルは本に目を通し始めた。そのタイトルは吸血鬼とは全く関係ない。授業は口だけで、自分は読書にいそしむらしい。

 

「この固有能力とでもいおうか。これは実は、長寿の吸血鬼にのみ芽生えるものではない。もう二通りある。分かるかな?」

「……吸血鬼同士の子」

「そう。が、そちらの説明は後回しにしたいな。もう一つは人間であったころから特別な能力を持っていた場合だ」

「私のように、ね」

 

 未来を見る能力。

 

「この場合はもちろん、元からあった能力を強めたものになる場合が多い。物好きな吸血鬼は、特異な能力を持った『子』を自慢するためにこうした人間をわざわざ攫ってくることもある」

 

 レミリアはあうやく、怒りでソファの肘掛けを握りつぶしそうになった。いまだに細かい力加減には慣れていない。

 

「ふう……ごめんなさい」

「構わんよ。話を続けようか……。そしてもう一つ。吸血鬼同士の子……なのだが、いかんせん資料が少なすぎる。身近な例を挙げよう。君の兄だ」

 

 兄。いつも動物の被り物で顔を隠した奇妙な男。

 

「彼の能力は知っているね?」

「能力、というか体質のような気がするけれど」

 

 兄の能力。彼の骨肉は、上質なマジックアイテムの材料となる。彼の趣味ももっぱら自身の肉体をもぎ取ってのアイテム作りだ。

 

「たとえばこのケリュケイオン……。私には過ぎた代物だが、杖代わりにはちょうどいい。間違いなく一級品だ」

 

 魔術師たるヴワルがそういうのだから間違いはないだろう。ぞんざいに本棚に立てかけられた杖は、二頭の蛇が絡みついた意匠を持ち、不気味な赤い輝きを放っている。

 

「君の父上は不気味がって受け取っていないようだけれどね」

「単に、兄様のことが嫌いなのでしょう」

 

 失敗作だから。

 

「そう。吸血鬼同士の子は、例が少ないながらも顕著な共通点を持っている。一つは特異な能力。もう一つは先天的な畸形だ」

「畸形……」

「生憎彼の顔を見たことはないが、きっとそこだろうね。それがきっと、君の父上のお気に召さなかった」

 

 きっと母も、生まれた子の顔が畸形であろうと、受け入れようとしたには違いない。根本的に穏やかな人柄だ。想像できる。しかし父はそれを認めなかった。自分と愛する妻の間に生まれた愛しい子として、兄を扱わなかった。

 そしておぞましいことに、母はそんな父の態度をも受け入れた。

 

「君の父上の愛情も行き過ぎているが、それを受けいれてしまう母上の方にも問題があると私には思うね」

「まったくよ」

 

 愛しい子とは扱われなかったものの、兄は今日まで生きている。父も流石にできそこないの子をすぐさま殺そうとはしなかったのか。それとも、貴重な吸血鬼同士の子として生かしておこうとでも思ったのか。

 

「私の知っている例はあと二人きり。一人は足が初めからなかったが、魔眼を生まれつき持っていた。もう一人は心臓に畸形を抱えていたせいで、碌に生きられなかったようだ」

「吸血鬼が畸形のせいで死ぬの?」

「この畸形はどうにも根強いものらしくね。たとえ体を粉微塵にされようと、畸形がある状態を『元通り』として再生するようだ。更に姿を変えても、違和感なくその部分を補うことはできない。だから君の兄はああして奇妙な被り物をしているんだろう」

「ふうん……」

「さて、今日の授業はここまでだ。授業料を払ってもらおうじゃないか、妹様」

「何のこと?」

「君がここに来て一年になる。そろそろ君の能力のことを聞いてもいいだろう」

「未来を見る能力よ」

「それは知っている。そのために連れてきた、とお父上からも聞いているからね」

 

 そう。レミリアは未来を見る能力を買われてやって来た。

 いや。連れてこられたのだ。吸血鬼にされて。

 

「奥方が懐妊された時、奇妙な流れの占い師の妖怪が現れた。彼はその子を産めば不幸が訪れる、と告げた。まあ当主殿にその場で殺されたがね」

 

 ヴワルは苦い顔で言う。明日は我が身ということか。

 

「それから当主殿はあちこちの予見の才を持つ妖怪を尋ねるも、誰一人としてその『不幸』とやらの詳細を見通すことができなかった。しかし、みな口をそろえて不幸が確かにある、と告げ、お父上の不況を買った。そこで――」

「あなたを頼った」

「そう。そして私は今しがた君にした授業を当主殿にしてやった。その結果が、君だ」

 

 レミリアは怒りに肩を震わせた。

 

「もともと予見の才を持つものを吸血鬼にし、その能力を伸ばす。そのために村一つ滅ぼして幼子をさらうだなんて、私でもやり過ぎだと思うよ」

「その『やり過ぎ』をした吸血鬼の食客を今も続けている時点で、あなたも同罪よ」

「同意見だ」

 

 その顔を吹き飛ばしてやりたかったが、おそらく無駄であろうことは分かっていた。あのおぞましい父と母の住む屋敷の地下で呑気に暮らしているのだ。吸血鬼対策など、それを数えるだけで暇が潰せるほど持っているだろう。

 

「……過程と、結果。私はそうとらえているわ」

 

 レミリアは、本棚に立てかけられているケリュケイオンに、いきなり魔力の弾丸を放った。

 

「おいおい。いきなりどうした」

 

 が、途中でかき消される。ヴワルは指一本動かしておらず、何をしたのか皆目見当もつかない。

 

「一応お気に入りなんだ。滅多なことはしないでほしいな」

「今、あの杖は壊れなかった。何故だと思う?」

「何故って、私が君の邪魔をしたからだ」

「その邪魔を乗り越えて、私が杖を壊そうとしたら?」

「それも邪魔するだろうね。それがどうした?」

「つまり、私は杖をどうやっても壊すことができない。私が杖を壊そうと試みようと、試みなくても、あの杖が無事であることは決まっている」

「それが、結果?」

 

 ヴワルは本を閉じ、顎に手を当ててそういった。こちらに集中するらしい。レミリアとしても、話半分に聞かれるよりは幾分か気分がいい。

 

「理解が早くて助かるわ。そして、その『杖が無事である』という結果にたどり着くまでに、『レミリアは杖を壊そうと試みたが駄目だった』という過程と、『レミリアは何もしなかった』という過程、どちらがあっても結果は変わらないわけね」

「ふむ。君の言いたいことがなんとなくわかって来たよ、妹様。続けて」

「私は、ある『結果』にたどり着くまでの『過程』が無数にあると考えている。逆に言えば、結果が変わらないのであれば、過程の段階で無茶をしても構わない。分かるかしら」

「河の流れだな」

 

 ヴワルはレミリアに指を突きつけた。

 

「河の流れが無数に分かれるとする。穏やかな流れから激流まで様々にだ。しかし、いずれは海にそそぐ。その流れのどれに船を進めても、その合流点を避けることはできない。君が見る未来とは、その合流点の景色というわけだ」

「そういうこと。たとえばティーカップが割れているところを見たとして、それがどうしてなのかは分からない。単に落としたのか、もういらないからと割られたのか、誰かの癇癪に巻き込まれたのか。もしくはその未来を見て、自分で割ってみたのか」

 

 レミリアが挙げた最後の例に、ヴワルは引っ掛かりを覚えたようだ。

 

「ふむ、しかしその場合矛盾が生じないか? 君がもし、ティーカップが割れている未来を見なかったらティーカップを割ろうとはしないだろう。その結果ティーカップは割れずにすむ。ならば、そんな未来は存在せず、その未来を見ることもできない」

「いいえ。最初からティーカップは割れることが宿命づけられているの。私はどっちにしろ割れるなら、とティーカップを割るのよ」

「成程ねえ」

 

 その時、テーブルの上にあったティーカップがひとりでに割れた。中身が静かにテーブルを濡らす。寿命か、はたまた別の原因か。それはレミリアにはわからない。結果だけを知っていた。

 テーブルの上の惨状を無視してヴワルは言葉をつづけた。

 

「『ティーカップに一切手を出さずに議論をする』という過程でも、『ティーカップが割れる』という結果は避けられないのか」

「そういうこと」

「成程よく分かった。役に立たんな」

「そう?」

「見えたところで避けられないのなら、そもそも見る意味がない。むしろ嫌なことが起きると事前に分かってしまう分始末が悪いだろう」

 

 ヴワルの言うことももっともだが、一応の例外があることも伝えておこう。レミリアはテーブルの上を拭きながら言葉を返した。

 

「一応、抗えば抗い切れないこともないのよ」

「へえ。そうなんですか、レミリア」

 

 しかし、それに対する返事はヴワルではなく横手の本棚の方から聞こえた。

 その声に、思わずレミリアは背筋を伸ばした。

 本棚の間から鹿の頭がのぞく。朝食の時とは被り物が変わっているが、この屋敷にこんな格好をするのは兄しかいない。

 

「お、お兄様」

「興味深い。僕にも聞かせてほしいですね。ずっと本を読んでいたので、気分転換にもなる」

「君。入るときはノックくらいしたまえ」

「しました。三時間前に」

「その時は実験中だった。聞こえるようにノックしたまえ」

「無茶を言いますね」

 

 三時間前。ということは、今までの話をずっと聞かれていたのだろうか。レミリアは思わず顔をゆがめた。そんな妹の様子を見て、兄はなだめるような仕草をした。

 

「レミリア。別に僕はお父様の味方というわけじゃないんです。いつも言っているでしょう」

「お兄様。そうじゃない。そうじゃないの」

 

 この兄は父とは違い、レミリアをちゃんと妹として扱ってくれている。出自が違うとはいえ、家族として認めてくれているのがよく分かる。しかし、レミリアにはこの兄に気を許せない理由があった。

 この兄が何を考えているのか、さっぱりわからないのだ。顔を隠しているからではない。もっと根本的な所で心を閉ざし、真意を見せまいとしている。そんな気がするのだ。

 

「それで妹様? 宿命を回避する方法とやら、早く聞かせてくれないかね」

 

 こんな時ばかりは、無神経で好奇心丸出しの横槍が有難い。レミリアは咳ばらいをして仕切りなおすことにした。

 

「え、ええ。かれこれ三年前かしら。私を育ててくれた祖母が、階段から落ちて死ぬ未来を見たわ」

「それは回避できたのかい?」

「ええ。それを見た瞬間から、一瞬たりとも祖母から目を離さなかった。実に丸半月、祖母を階段から遠ざけたの」

「それで、どうなったんです?」

「予知した日に祖母は死ななかったわ。私は宿命を乗り越えた……はず」

「それで、そのおばあ様はどうしたのかね」

「一年後に死んだわ。ちゃんと、寿命でね」

 

 それは『父』の手で故郷がまるごと滅ぶ一年前。幸か不幸か、と言えば、せめて祖母だけは幸せに死んだのだと思いたい。

 しかし今はそれを論じる時間ではない。

 

「問題は、祖母が危機を脱した後に起きたの」

 

 こちらもやはり、忌々しい記憶だ。

 

「五人、死んだわ」

「……偶然だろう。君のいた村がどれほどの人口かは知らないが、そのうち五人が同じ日に死ぬ確率ならば――」

「全員階段から落ち、全員同じ有様で首を捻って死んだわ」

「……対価、かね? 等価交換とはいかなかったようだが」

「ミズ・ヴワルのさっきの例えを借りるなら、海へ出るべき河の流れを捻じ曲げた代償、とでも言うのでしょうか」

 

 兄の言葉にレミリアは重々しげに頷いた。

 

「おまけに私も、死にこそしなかったけれど階段から落ちたわ。傷口から黴菌が入って三日三晩熱病に浮かされて――それでも祖母に、階段に近づくな、階段に近づくな、と言い続けていたそうだけれど」

「健気なものだ。その甲斐あって、君のおばあ様は天寿を全うできたと」

「ええ。だけれど……それ以来、私は一度として、未来を変えようとはしていないわ。割に合わないもの」

「ふむ。それで、妹様。結局のところ例の未来は見たのかい」

「例の?」

「君の父が君を連れてきた理由。妹様のさらに妹が生を受ける日の未来を、だ」

 

 レミリアは思わず、兄の顔(?)をちらりと見た。

 

「……見ていないわ」

 

 レミリアがそういうと、兄が少々わざとらしく手を鳴らした。

 

「ああ……そういえば、そろそろ部屋で進めている触媒の反応が終わるころです。ミズ・ヴワル。今日は失礼しました。今度からは聞こえるようにノックします」

「そうしてくれたまえ」

 

 ひらひらとヴワルは手を振り、ぞんざいに兄を見送った。

 沈黙が落ちる。足音が遠ざかり、扉が閉まる音がした。その時になって、レミリアは自分が息を止めていたことを知った。

 そして体がいまさらのように震えだす。こらえていた怖気が体を満たす。

 

「う、うう、う……」

「どうやら、ただ事でない未来を見たようだね」

 

 ヴワルは紅茶を入れなおしてくれた。滅多にないことだ。いつも散らかしっぱなしの飲まず食わずで、レミリアが暇つぶしに書斎の掃除や差し入れをしてやるくらいだというのに。

 

「あなたがこんなことしてくれるなんて……私の様子は見るからにただ事ではないのね」

「ああ。正直に話してくれたまえ。何を見た。なぜ兄を恐れる?」

「……首から上がはじけ飛んだお母様」

「……続けて」

「引き裂かれ壁にたたきつけられたお父様。そして、胸に風穴を開けたお兄様が……倒れ、血の、海が」

「もういいよ。よく話してくれた」

 

 ヴワルは紅茶を一気に飲み干すと、呼吸を整えた。

 

「見事に全滅だな。いや、違うか。赤子はどうしたんだい。その日生まれるはずの赤子は」

「分からない。見た光景にはいなかった」

「……ふむ。その分だと、誰かが君の家族を皆殺しにしたとしか思えないが……。恨みを買っている連中が多すぎて、どうにも判別しがたいな。下手人の姿は?」

「いいえ。分からないわ。けれど、一つ確かなことがあるの」

「確かなこと?」

「お兄様は、立ち尽くしたまま胸に風穴を開けていた」

 

 それは、つまり。

 

「お父様とお母さまを殺した相手に抵抗しなかった。それどころか、黙って見ていたかもしれない。そういうことでしょう?」

「……なるほどね。君は、兄上が父上と母上に恨みを持っている、と考えているんだね」

 

 ヴワルは眉間に手を当てて考えを巡らせる。

 

「私は違う意見だ。もし赤子が死んでいるなら、より決定的だろう」

「……それは?」

「君の兄上が生まれた赤子に嫉妬した。愛らしい、父上と母上が愛情を注ぐに足る赤子が生まれたのを見て、自分が見放されるのを恐れた。私はそう思う」

「それでなぜ、お兄様が死ぬの?」

「これをあげよう」

 

 ヴワルは唐突にケリュケイオンを引き寄せると、無造作にレミリアに投げ渡した。二頭の蛇が絡みついた杖は予想以上に軽く、慌てて受け取ったレミリアをもてあそぶように手の中で跳ねた。

 

「こ、こんなもの、どうしろというの」

「こいつは上等な魔力の塊だ。投げただけでちょっとした威力になる。魔法で体にしまっておいて、いざという時に取り出すんだ。確か前に暇つぶしに教えてやった魔法があっただろう。それを使えばできるだろう?」

「できるけど、それで何を……」

「兄上を殺すのは君だ、レミリア」

「……」

「分かっているくせに。生まれた末妹は可愛らしく、父上と母上はたいそう喜んだ。君の兄上は自分が捨てられるのではないかと恐れ、末妹を殺そうとする。それを止めようとする両親。ならばと両親もろとも殺してしまう兄上。そして訪れるのは後悔。呆然と立ち尽くす兄上に、君は引導を渡す……いいシナリオだ」

「……止めないどころか、その凶器を渡すなんて。どんな神経をしているの、貴女は」

「そろそろこの館の地下にいるのも飽きたのでね……。まあ、そうだね」

 

 ヴワルが指を鳴らすと、ケリュケイオンから蛇が一本ほどけ、彼女の腕に巻き付いた。

 

「この書斎の後始末にはこれだけあれば十分だ。ふふ、その有様ではケリュケイオンではなくアスクレピオスの杖と言ったところかな?」

「いえ……。フラメルの十字架よ」

 

 レミリアは杖に魔力を込めると、その姿を蛇が絡みついた十字架へと変えた。

 

「吸血鬼退治なら、それが相応しいわ」

 

  *

 

 ありのままを話し、父が兄を殺してしまったは困る。父に伝えた予言は、当然ながらまったくのでたらめだった。

 一週間後。母どころか父すら死ぬ。赤子の安否はわからず、自分と兄はそれを呆然と見ている。

 そう伝えた父は、額に青筋を浮かべ、母の前で怒りを爆発させないように必死だった。醜いものだ。妻に見栄を張るあまり、激情に駆られることすらできないとは。

 

「しかし……その予言の通りだとすると、誰か、私たちに恨みを持つ者の犯行でしょうか。あるいは、悪魔祓いの襲撃でしょうか」

 

 不安そうに母が言うと、父は無理に落ち着き払って答えた。

 

「問題ない。なんにせよ、その日は誰も部屋に立ち入らせなければいいのだ。ご苦労だった、レミリア」

「はい」

 

 心のこもっていないねぎらいの言葉を受け取ると、レミリアはさっさと父の部屋を後にして兄の部屋へと向かった。今までにろくに訪れたことはなかったが、今は兄と時間を過ごしたかった。

 

「お兄様。今、お時間があるかしら」

「いいですよ。どうぞ」

 

 レミリアが部屋に入ると、兄は石造りのテーブルの上で、赤い塊をいじっているところだった。おそらくは、もともとは彼の体の一部であったものだ。またぞろ何かの魔道具を作っているらしい。

 

「お兄様。それは何?」

「プロメテウスの杭」

「……はあ」

「突き刺したものの力を奪い続ける、封印の道具ですよ」

「何に使うの?」

「さあ? たまたま作れそうだったので作っているだけです。そもそも、神話をモデルにしているだけで、名前なんて後付けですからね」

 

 兄は神話に詳しい。ギリシャ、北欧、アラブ、東洋まで、古今東西の神話を頭に入れており、その書物も数多く持っている。いわく、作った道具の名前のネタを仕入れるために欠かせないのだという。

 レミリアがそんな書物の一冊を本棚から取り出し、プロメテウスの記述を探していると、兄が声をかけてきた。

 

「今日はどうしたんですか、急に訪ねてきて。ここに来るなんて珍しいじゃないですか」

「父様に予言を伝えてきたわ」

「へえ。どんな内容なんですか」

 

 熊の被り物をした兄は一向に作業から目を離さず、言葉をよこしてくる。

 

「一週間後に母のみならず父も死に、赤子の安否もわからない……そんな予言」

「なるほど」

 

 兄が手を止めると、机の上には杭が出来上がっていた。先端に鷲が止まったような意匠がある。

 レミリアもちょうどプロメテウスの神話を探し当てていた。人類に火を与え、地上に混乱をもたらしたプロメテウスは、その罰としてカウカソス山の岩盤に杭打たれて封印される。そして、ゼウスの化身である大鷲に肝臓を食い荒らされては再生する責め苦を三万年にわたって受け続けることになる。

 

「ならば、父様は予定の日の間中、母様のいる部屋を閉じておこうとするでしょう。封印用の魔道具を用意しておきましょう」

「ねえ、お兄様」

「はい、何でしょうか」

「……父様と母様が憎い?」

「……どうでしょうね」

 

 兄はそれだけ言うと作業に戻ってしまった。レミリアは兄の背中を眺めたまま、長い時間をそこで過ごした。

 その背中から真意を読み取れないまま。

 

  *

 

 一週間後。兄とレミリア、そして珍しくヴワルまでが、夫婦の寝室にほど近い一室に集まっていた。

 父と母、そして信用のおける医者だけを入れた部屋は、すでに固く閉ざされている。その封印を作ったのは他ならぬ兄である。その巨大な錠前には、ヴワルが適当な魔法を打ち込んでその強固さを証明済みだった。

 

「……そろそろね」

「分かるものですか」

「ええ。別に何か細工をしたわけではないもの。きっと、予言の時間よりも少し前、今頃に……」

 

 言うそばからノックがあった。部屋に角をはやした妖怪のメイドが入ってくる。

 

「先ほど、ドア越しに旦那様からご報告がありました。元気な女の子が生まれたそうです。羽が萎えてはいますが、ほかに外見が奇妙なところはないと」

「……そうですか。報告ありがとうございます。下がっていいですよ」

 

 ヤギの被り物をした兄がぽつりと、代表してメイドに言う。

 その瞬間、レミリアの脳裏に、鋭い痛みとともに映像が割り込んだ。

 頭の破裂した母。切り裂かれて壁にはりつけにされた父。泣きわめく赤子の声。そして、胸に風穴を開けた兄がゆっくりと振り返る。被り物のとれたその顔は……。

 

「待って」

 

 とっさに手を伸ばし、立ち上がりかけた兄の腕をつかんだ。

 

「行かないで」

「……レミリア」

「お父様とお母様を殺すのね。ダメよ。お兄様まで死んでしまう……」

「なるほど……。それが、僕と父に嘘を言った理由だったのですね」

 

 兄はレミリアの手をそっと握った。そこに宿るものを、兄は目ざとく見破った。

 

「これは、やや魔力の量が少ないですが、ケリュケイオンですか……? ミズ・ヴワル、貴女がこれを譲ったとなると、相応の理由があるはず」

 

 ヤギの被り物の向こうで、兄が唇をかみしめたようにレミリアは感じた。

 

「……父と母と赤子を殺した僕を殺す。そのために、レミリアに貸し与えたのですね」

「ふん。予想はしていたが、やはり元は自分の血肉か。分かってしまうものなんだな。ところで」

 

 ヴワルはサングラスを光らせて言う。

 

「妹様。今改めて君がみた光景で、赤子は無事かね」

「え?」

「重要なことだ。はっきりと言いたまえ」

「……赤子は、泣いていたわ」

 

 兄が、レミリアの手を離した。

 

「……いけない」

「お兄様?」

「ミズ・ヴワルはここにいてください。レミリアは僕の後に!」

 

 言うが早いか、兄は部屋を飛び出した。その手に奇妙な手袋をまとわせると、父と母がいる寝室の扉の封印に手をかけた。すると、封印は飴細工のようにあっさりと壊れてしまった。

 

「お父様! お母様!」

 

 兄が部屋に飛び入り、追いついたレミリアが覗き込んだまさにその時。

 首から上をなくした母の腕の中で、赤子が泣き叫び始めた。

 

  *

 

 その少し前。

 

「おお……! なんと愛らしい」

「おめでとうございます、旦那様」

「ああ、あなた……私たちの子は……」

「大丈夫だ、お前。もう少し待ちなさい」

 

 初めて光を浴び、産声を上げながら、赤子はそんなやり取りを聞いていた。

 しばらくして、ついに母に抱き上げられた。ああ、これが自分の母なのだと。ずっと聞いていた心臓の音が、再び間近に感じられる。

 

「ああ、本当に可愛らしい……。あなたそっくりの金髪だわ」

「それに、お前そっくりの目をしているとも。羽が萎えているが……。仕方あるまい。あいつのように、醜い顔をしているわけではないのだ。五体がそろっているのだ、これ以上はあるまい」

「ええ、そうね……きっと、あの子も、レミリアも、この子を妹として可愛がってくれるわ」

 

 そんな赤子の目に、何かが映り込んだ。

 母の頭の中。ふらふらと揺れる、奇妙な「目」がある。

 自我さえおぼろげな赤子は、ただただ興味に突き動かされ、その「目」に手を伸ばし。

 自分の手に飛び込んだ「目」を、きゅっ、と握りしめてみた。

 

  *

 

 レミリアはその光景の前に立ち尽くすしかなかった。血の気が引くのが自分でわかる。

 母は首から上が吹き飛んでいた。そう。まるで、内側から自ら破裂したかのようだ。しかも、再生する兆しはない。

つまりは死んだ。もう戻らない。

そしてその腕の中で赤子が泣いている。きれいな金髪。丸い顔も、小さな手足も普通の姿だ。ただ、その翼のみが萎えて枝のようになっている。

 

「これは……一体……」

「ああ、どうしてお前が、お前がこんなことに……何故……」

 

 父は呆然としている。無理もない。赤子が生まれ、母がそれを抱き、幸せの最中、意味も解らないままに最愛の妻が死んだのだ。

 

「やはり……」

 

 兄はつかつかと首のない母のもとへと歩み寄った。

 

「おい、貴様!」

「お父様!」

 

 レミリアは思わず、兄に詰め寄ろうとする父の前に立ちふさがった。

 

「お待ちください。お兄様に、よからぬ魂胆などありません」

「ありがとうございます、レミリア」

 

 そういうと兄はその手に杭を取り出した。先週作ったばかりのプロメテウスの杭だ。

 そしてそれを――泣き叫ぶ赤子の胸に突き立てた。

 

「な……」

「お兄様! 何を……」

「落ち着いてください、二人とも」

 

 兄が突き刺した杭は、その傷口から炎を噴き上げた。しかしそれが収束すると、赤子の胸には傷一つなくなっていた。赤子もぐったりとしているものの、寝息を立てて泣き止んでいる。

 

「これは突き刺したものの力を封じるための杭です。これで、この子の力を封じました」

「その赤子の……力だと?」

「レミリアの予知は間違っていました。先ほど訪れた新たな予知で、この赤子は泣いていたんです」

「……何?」

「最初は、生まれた赤子が愛らしかったために、もう自分が見捨てられるのだと思い……嫉妬に狂った僕が、父様と母様を殺したのだと思いました。しかし違った。それなら、赤子が生きているはずがない。真っ先に殺すはずです」

 

 兄は、赤子を指示した。

 

「ならば誰が母様を殺したのか? 心中ではない。そこの召使の医師でもない。封印を破った外部犯でもない。となれば、答えは一つ。……この赤子が殺したのです」

「馬鹿な! そんな赤子が、妻を殺しただと!」

 

 父はうろたえた様子で叫ぶ。そんな父から守るように、兄はレミリアを押しのけて前に出た。レミリアは思わずたたらを踏み、母の遺体の上で眠る赤子のそばでへたり込む。

 

「今の炎を見たでしょう。あれは杭から出たものではありません。この赤子の力を示すものです。この小さな体の中には、あれほどの凶悪な力が潜んでいるのですよ」

 

 そして、そのヤギの被り物を脱いだ。その素顔はレミリアからは見えない。しかし、その異形の姿に父がおののくのをレミリアははっきりと見た。

 

「吸血鬼同士が成した子の共通点。一つはどんな手を尽くしても治らない異形」

 

 兄のその顔。そばで眠る赤子の萎えた翼。

 

「そしてもう一つは……特異な能力です」

「ならば……その特異な能力とやらで、赤子が妻を殺したのか」

「そうなります」

「我が最愛の妻を……殺したのか!」

 

 父から膨大な魔力が発せられる。長命の吸血鬼が、今まさに感情のままに暴れだそうとしている。

 

「よくも!」

「レミリア! 赤子を守って顔を伏せなさい! 見てはいけません!」

 

 思わず兄の言う通り、赤子の上に覆いかぶさる。父の怒声と兄の叫び。そして、何度となく剣戟の音が響き……。

 

「もういいですよ、レミリア」

 

 そんな声に顔を上げた時には、予知通りの光景が広がっていた。

 首から上をなくした母。切り裂かれ壁にたたきつけられた父。そして、部屋の真ん中で立ち尽くす兄。

 あとはその胸に、風穴を開けるだけだ。

 

「さあ、レミリア。役目を果たしてください」

 

 レミリアは思わずいやいやと首を振っていた。目の端からこぼれる涙がみっともなく辺りに散らばる。

 

「何故なの。お兄様が死ぬ必要なんてないじゃない」

「こんなことが起きてしまった以上、この家の名が落ちることは免れない。その危険な妹の存在を隠すしかない。そこで、僕が生きていては駄目なのです。生まれたての赤子が母を殺し、父が狂ってその赤子を殺そうとしたなど……あってはならない」

 

 兄は泣いていた。その顔は見えなかったが、レミリアにはわかった。

 

「嫉妬に狂った兄が父と母と妹を殺し……その始末を、姉がつけた。それがもっともいいシナリオなのです。悪魔祓いが大きな顔をしている今の世で、あなたと妹を守るには、この家の名を残すことが必要なんです。あなたがこの家の新しい当主となれば、権威を保ち続けることができる」

「けれど、そんなの……お兄様がどこかに逃げてしまえば」

「逃げてしまえば、予知を捻じ曲げることになる。その余波はレミリアや、その妹に及ぶでしょう。それは僕の望むところではありません。ミズ・ヴワル、後始末はお願いします」

「任せたまえ」

 

 背後からヴワルの声。いつの間にやってきていたらしい。

 

「さあ、妹様……いや、もはや姉上様か。やるがいい、レミリア」

 

 ヴワルの柄にもない神妙な顔を見て、レミリアは意地を張るのをやめた。

 もはや状況は取り返しのつかないところまで進んでしまった。今の自分にできる最善を尽くすほか、ないのだ。

 

「わかったわ」

 

 ヴワルを経て兄から贈られたものを使う。

 

「でも……お兄様。最後に、一つだけ」

 

 レミリアはフラメルの十字架を取り出すと、大きく振りかぶった。

 

「なんでしょうか」

「せめて、この子に、忌まわしい杭以外の贈り物を、お願い」

「……ならば、名前を。ラ・フラムドール……フランドールと言う名を贈ります。どうでしょうか」

「素敵な名前だわ。ありがとう、お兄様」

 

 十字架が空を裂き、胸に風穴を開けた兄が倒れた。

 そして、すべてが終わった。

 

  *

 

 ばたん、と書斎の扉が閉じた。ヴワルが組んだ封印によって固く閉ざされ、レミリアにはどうやっても開けられなくなったはずだ。

 ヴワルはいつも通りのサングラスに毛皮のコート、ファーという白鳥のような見た目だったが、脇には大きな旅行鞄を置いていた。

 

「さて、私は行くよ。君から借りたあの蛇のおかげで、この書斎の中は埃一つなく保たれるはずだ。少々腕の立つ魔法使いなら、きっと役立ててくれるだろうさ」

「ありがとう、ヴワル」

「その子……フランドール、本当に育てるのか」

「ええ。お兄様の遺してくれた封印があるもの。おそらく危険はないでしょう。物心ついたら、ちゃんと力の使い方を教えるわ」

「そうかい。それじゃ、私からもこの子に贈り物だ」

 

 ヴワルはポケットから幾つか宝石を取り出すと、フランドールの羽にそっとくっつけた。萎えた羽に宝石がきらめき、彩りを添えたようにも見える。

 

「綺麗ね」

「それはどうだっていい。こいつは魔力の安定に一役買ってくれるはずだ。この子とともに大きく成長するはずだから、大きくなりすぎたら削りたまえ。粉末は、いい魔術の触媒になる」

「あなたって人は、こんな時まで……」

「ははは。それでは、また縁があったら会おう」

 

 ヴワルが鞄を持ち上げ、これまた派手な鍔広帽子をかぶった。ここで会話が終われば、すぐにでも立ち去ってしまうだろう。

 レミリアはぽつりとヴワルに尋ねた。

 

「ねえ、ヴワル。セイジ・ヴワル。本当に行ってしまうの?」

「ああ。もともと私は君の父に雇われていたんだ。彼が死んだ以上、ここに残る意味はない」

「私があなたを雇いなおすわ」

「それはよろしくないな。この家を私が牛耳っていると勘違いされる。暗黒の世にレミリアあり、と示すには、君がこの家を背負って立たなければいけない。まあ、君の偉大さをふれて回るくらいならしてやれるがね」

「……さみしいわ。私、あなたのことを友達だと思っていたの」

「先生じゃないのかい」

「それも間違いじゃないわ。けれど、父も、母も、兄も、召使たちも友達と呼ぶには違ったのよ。あなただけが、私をただのレミリアとして見てくれたの」

「嬉しいよ、レミリア。私も君のことは良い生徒であり、友であると思っていたよ。だから、さよならだ」

 

 そういうと、ヴワルは振り返りすらせずに去ってしまった。レミリアは眠るフランドールをそっと抱きしめると、悲しげに言葉を零した。

 

「父も、母も、兄も、友すらいなくなってしまったわ。もうお前だけよ。私の妹、フランドール」

 

 その顔は、壮絶に歪んでいた。

 

「お前のせいよ、フランドール! お前さえいなければ! 私の故郷が滅ぶことも! 新たに得た家族や友を失うことも! すべて無かったのに!」

「う」

 

 眠っていたフランドールがむずかり、泣き出す。

 

「うわあああああん。うわああああああん」

「馬鹿! 泣きたいのはこっちの方よ! 馬鹿! 馬鹿……」

 

 そして、二人して泣き始める。

 

「う、うわああああああああああああああああああああん!」

 

  *

 

 夢の中の夢から覚め、八十年前の光景へと戻る。揺れと衝撃が伝わってくる。自分が眠るソファを誰かが蹴っているようだ。

 

「起きなさい」

「うーん、あー?」

「何を寝ぼけているの。そんな恰好で寝ているからよ」

 

 パチュリーの声にレミリアは目を覚ました。

手近な本を開いたまま顔に伏せ、帽子を腹に乗せ、更に行儀悪く足を組み、右手をソファから垂らした姿勢。ヴワルの言う、最も良い考え事の姿勢だ。

 

「それは私の知る限りもっとも効率の悪い睡眠の姿勢よ。本来は帽子を顔に、本を腹に、足を逆に組み、左手を垂らした姿勢こそが最高なの。覚えておきなさい」

「へえ。それは参考になった」

「それと、メイ……じゃなかった。B.B.が呼んでたわよ。あなたの妹が脱走したとか」

「はあ!? それを早く言いなさい! ああもう、貴女はここにいていいわ! 待ってて!」

 

 おちおち思い出に浸る暇もない。レミリアは図書館を飛び出すと、気配を探った。時計塔の近くの屋上。そこにたどり着くと、B.B.が血まみれで倒れていた。抱き起して声をかけるとかすかにうめく。どうにか息はあるようだ。

 

「B.B.!」

「あ、オジョウサマ、すみませ、ん。知らせる、時間、なく、て」

「馬鹿者! くそっ、あの魔女、常識人であってくれ」

 

 レミリアは蝙蝠の群れを呼び出すとB.B.を任せた。パチュリーのもとへと送り届けてくれるはずだ。

 そして、月を仰いだ。満月の中に、華奢な少女の影がある。

 月光を浴びて輝く金の髪。真っ赤な衣装に白い肌。萎えた羽に光る宝石は虹色。

 

「フランドール!」

「あ、お姉さま。こんばんは」

 

 フランは優雅にお辞儀をした。その小馬鹿にした態度がレミリアの癇に障ったが、あくまで抑えて接する。

 

「今は客が来ている。癇癪は後にして頂戴」

「そんな風にできるなら、癇癪とは呼べないわ!」

 

 宝石がきらめく萎えた異形の羽をはためかせ、妹は魔弾を放つ。レミリアはフラメルの十字架を出すと、あっさりとそれを弾いて見せた。

 

「いいわね、それ。何度見てもいい……。うらやましいわ」

「生憎だけど、他人に譲れるものじゃないのよ」

「他人ですって!」

 

 言い方が悪かった。怒りに火が付いたフランはとびかかってくる。長い爪が光の尾を引きレミリアに襲い掛かる。

 

「愛する妹だとか言っておいて! 他人とはひどいじゃない!」

「そういう意味で言ったんじゃない! 分かってくるくせに、この聞かん坊め!」

 

 爪と十字架が交わる。金の髪の向こうに揺れる目が、一瞬炎を帯びた気がした。

 

「……っ」

 

 ぞっとして、フランを十字架で打ちのめす。思わず距離を離した。フランは吹っ飛ばされるままに、館の時計台の文字盤に大の字で叩きつけられた。

 

「あはは。……いいわ。いいわ! くれないなら、代わりで我慢するだけよ!」

 

 頭からだらだらと血を流しながら、フランドールは手近な時計塔の文字盤に手を伸ばした。何をするのかと思えば、その長針をもぎ取ってしまう。

 

「この針を突き刺して、奪ってあげる!」

 

 その激情が熱となってか、時計の針がぐにゃりと曲がり、熱を帯びる。鉄の焼ける音が響き、フランドールの興味を奪った。

 

「あら? これは何……」

 

 フランドールはその場で頭を振り回し、指を曲げ、感覚をつかもうとしている。隙だらけだったが、レミリアも十字架を投げようとはせず、じっと待つ。

 

「この炎……何かが邪魔しているの?」

 

やがてフランドールはそれを探り当て、胸に手を当てた。

 

「これは……封印?」

 

 フランは壮絶に笑うと、胸を服ごと握った。

 

「ずっと気づかなかった。ずっと気分が悪いままだったから不思議だったのよ。けど分かったわ。こんなもの! きゅっとして……ドカーン!」

 

 フランが手を握りつぶすと同時、その手の時計の針から炎が吹き上がった。その熱にあおられたフランの髪もまた、炎のように逆立って揺れる。

 レミリアの脳裏に、兄の言葉がよみがえった。

 

「ラ・フラムドール……」

 

 黄金の炎。なぜ兄が、妹をそう名付けたかはわからない。結局、それを口にすることなく兄は死んだ。だが察しはつく。

 あれだけ古今東西の神話に詳しい兄のことだ。日本の神話にも知識が及んでいただろう。

 母殺しの神。生まれ落ちた直後に、その熱で母を死に至らしめたヒノカグツチ。とっさに兄はそれを連想し、同じ火の神であるプロメテウスをモデルにした杭でフランを封じ込めたのだ。

 しかし今や、封じたものの力を食うための杭は、逆にフランに取り込まれ、炎の杖へと生まれ変わった。ならば、それに与える名前はヒノカグツチではない。

 

「レーヴァテイン」

「え?」

「その炎の杖……それはレーヴァテインという魔道具の残滓だよ、フラン。訳あってお前の体の中にあったものだが、お前に取り込まれてしまったようだ」

「……ふうん。レーヴァテイン、ね。気に入ったわ」

「じゃあ、私のフラメルの十字架はもう要らないか?」

「ええ。そんな縁起が悪いのは要らないわ。もっといいものが手に入ったもの……。ぶっ壊してあげる!」

「上等だ。さあ、かかってきなさい」

 

  *

 

 それから、フランの癇癪を鎮めるのには小一時間かかってしまった。レーヴァテインに文字通り手を焼かれ、炭くずのようになった手足を引きずって図書館に戻ると、パチュリーが眠っていた。もちろん、彼女が提唱した最高の昼寝の体勢でだ。

別のソファには包帯まみれのB.B.の姿もある。すやすやと寝息を立てているところを見ると、どうやら命に別状はない様だ。レミリアはほっと胸をなでおろすと、パチュリーの眠るソファを蹴って揺らした。

 

「おい、起きろ」

「ん……。その分だと、どうやら妹様はどうにかなったようね」

 

 その呼び方に、レミリアは顔をゆがめた。今日はどうにも、あの賢者のことをよく思い出す羽目になる。

 

「妹様、ね。B.B.のことはありがとう。助かったわ」

「礼には及ばないわ。先払いとでも言ったところね」

「ほう。その分だと……」

「ええ。申し分ない設備と蔵書だわ。これからよろしく」

「ああ、よろしく」

 

 パチュリーと握手を交わすと、炭くずのようになっていた右手がとうとうボロボロと崩れ落ちた。思わず二人して笑ってしまう。

 

「ああ、すまないが、妹との顔合わせはまた今度にしてくれ。あいつの機嫌がいいときにね」

「何年先になるのやら……。ああ、あとこれを」

 

 そういうと、パチュリーは干からびた蛇のようなものを投げてよこした。

 

「この書斎の封印に使われていた魔道具の搾りかすよ。心当たりはあるでしょう」

「要らないのか?」

「要らないわ。嫌な奴のにおいが染みついているもの」

「なるほどなるほど……。じゃあ、返してもらおうかな」

 

 レミリアはフラメルクロスを取り出すと、蛇をそっと巻き付けた。その姿が完全なケリュケイオンへと戻る。

 

「ケリュケイオン?」

「ああ。だが、私には宝の持ち腐れでね。よく投げて使う」

「それじゃ、グングニルじゃない」

 

 ヘルメスはオーディンと同一視されることがあるという。パチュリーが思わず口にした名前はなるほど、今のこれにはぴったりだ。

ケリュケイオンに魔力を加え、その姿を変える。蛇の頭は槍の穂先となり、杖は赤く輝く螺旋の槍へと生まれ変わった。

 

「いいねえ、グングニル。さっき妹の得物をレーヴァテインと名付けてきたばかりだ。ちょうどいい」

「じゃあ、貴女が狼に食べられれば、私たちは妹様に焼かれて死ぬのかしら、オーディン」

「狼を雇わないよう気を付けるさ、フレイヤ」

 

 レミリアはその時、パチュリーがどんな風に笑うのかを知った。

 やはり、あの奇天烈な賢人と同じ笑い方だった。

 

  *

 

「お嬢様。起きてください、お嬢様」

「ん……」

 

 忠犬の声で目が覚めた。どうやら懐かしい夢を二重に見ていたらしい。

 

「あー、どうした、咲夜」

「勝負が終わりましたわ」

「ふうん」

 

 随分と懐かしい夢を見たものだ。フランドール、私の妹。その名前と、得物の由来。

 

「ああ、それなら……ケーキを出しておいてくれ」

「ええ。セージを使った香りのいいケーキですから、きっと気に入ってくださると……」

「あー? セイジがどうしたって?」

「セージですよ。香草です」

「……ああ。なるほど。セイジ、パチュリー……。道理で機嫌が悪かったわけだ。親子か、さもなくば師弟か……」

「どうかなさいました?」

「いや」

 

 霊夢と魔理沙に肩を組まれて、ぼろぼろになったフランドールが戻ってくる。その顔は本当に楽しそうだ。

 時代が変わり、土地が変わった。夢に見た日々はもうない。

 

「私の妹は可愛いな、と。そう思っただけさ」

 

 傾いた日の光に輝く金の髪。夜より昼に映えるその色を。

 炎に例えてくれた兄に感謝し、レミリアは笑った。

 



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