――――イシュヴァール。かつては太陽神イシュヴァラを主神とするイシュヴァラ教を国教とする小国であったが、信仰の自由を保障することを条件にアメストリス国に併合された歴史を持つ。多少排他的な点と教義から錬金術を忌避する習慣があったためアメストリス人とは折り合いが悪かったが、厳格な教えの元に生きているため秩序を重んじ、家族や誇り、約束を大切にする風土から決して民族間の仲そのものは悪いものではなかった。現にアメストリス軍内にもイシュヴァール人が在籍していることからも国家への融和が高いことが窺える。
しかしそれも今や過去の話。現在のイシュヴァールは地獄と化している。アメストリス軍人によるイシュヴァール人少女の射殺を引き金として内乱が勃発し、さらに隣国等の介入もあり泥沼状態となっている。あまりの被害から、学徒動員がなされたり、その後すぐに国家錬金術師の実戦投入という内外を問わず物議を醸す事態に陥ったことからも深刻さが理解できる。
それはさておき、ここはイシュヴァール第20区。第18区に並んで著しく制圧が遅れている地区であり、あまりの指揮の下手さから部下が指揮官を引きずり下ろしたほどである。そんな激戦区に後任及び補充兵として多くの人員が導入された。その中で有名どころと言えば名将として名高いグラマン少将、そして『紅蓮の錬金術師』であろう。そんな集団の中にウィリアム・エンフィールドの姿もあった。
「あー、後釜に入ったグラマンだ。外がうるさいから面倒な挨拶は省くよ。とりあえず、ワシ等がせにゃならんのは、このどん詰まりの状況の打破だが、こいつについてはエンフィールド候補生と紅蓮の錬金術師に腹案があるそうだからそちらに一任する。上からも好きにさせるよう言われてるしね」
「承知しました。候補生如きに配慮頂き感謝に耐えません」
「えーよえーよ。上からのお墨付きだから万一失敗してもワシの責任にならんし、成果が上がれば言う事無しじゃからむしろ感謝しとるよ」
「・・・・えっと、そう言って頂けると何よりです」
「さて、そいじゃあ1030時から行動開始じゃから各自準備にかかること。と、その前にワシから諸君らに一つ申し付けとくぞ。後で報告書出す時に上の反応が怖いから、死にそうになったら死ぬ前に返ってくるように。隣の奴が死にたがってたなら引き摺って帰ってこい。あ、これじゃ2つじゃな。まあ良い、破ったら命令違反で厳罰じゃからそのつもりでな。以上解散!」
「「「「はっ!!」」」」
グラマン少将からの訓示(?)を受けた後、それぞれの持ち場に分かれて散らばっていく。ただ殆どがキャンプの方へ向かう中、20区側へ連れ立って歩いてく者がいた。先ほど話題に上がった『紅蓮の錬金術師』ゾルフ・J・キンブリー少佐とウィリアムだ。
「それでは期待してますよ、エンフィールド候補生さん」
「こちらこそ、今回はご協力感謝します、キンブリー少「――敬語」・・・はあ。あの、さすがに学生が佐官相手にタメ口は不味いのでは?」
「貴方なら増長することなんてないでしょうし、私が許可してるんですから構わないでしょう?キャラが被りますし、どちらが何喋っているか分かり辛いですから」
「・・・あの、少佐が何言ってるのか全く分からないんだけど」
「気にしないで頂きたい。それよりこれから仕込みに入りますのでこれで失礼。そちらも準備は万端でお願いしますよ?」
場所:第20地区
「くそっ!!あの化物共が出てきてから、他の地区の同胞は次々やられていってる。ここに出てくるのも時間の問題だ。どうすりゃ良いんだよ!?」
「馬鹿者!嘆いている暇が我らにあると思うのか。我々が此処を抜かれれば、未だ逃げ延びていない親兄弟たちが奴らの餌食になる。何としても死守せねばならん!」
「ここだけ守れてもどうにもならないじゃないか!?たとえ此処に錬金術師が投入されなくとも、他の同胞を喰らい尽くした奴が来るのは時間の問題だ。そうなったらお終いなんだよ」
「安心しろ。もうじき奴らの優位性は崩されることになる。その時が勝負だ」
「あん?それってまさかここの奥であのバカげた外法の解析をしてるっていうあの・・・?」
「そうだ。イシュヴァラ僧になれなかったあの貧弱な■■■■が今や我らの救世主になろうとしている。あれが忌まわしい錬金術を修めることが出来れば、その時こそ一世一代のチャンスだ。だから良いな!ここだけは絶対に死守せねばならんのだ!!」
「そうか。ここを抑えられれば、たとえ俺達が死んでも家族は助かるかもしれないんだな?俺達の無念を晴らしてくれるんだな!」
「そうだ、だから決して諦めるな。・・・ところで、朝から妙な違和感を感じるんだが、心当たりはないか?」
「ん?そういえばなんかおかしいような・・『コツ、コツ』・・・・そう言えば、このあたりの道って舗装なんてされてたか?」
「まさか。アメ公共はケチだからそんな予算は回してもらえなかったよ。ここらは一面砂利の筈だぞ?どうしてこんなことになってんだ?」
「・・・ひょっとして国家錬金術師が?」
「それこそまさかだ。何の目的があってこれから吹き飛ばす場所の舗装なんてするんだ?我々が逃げやすくするためとでもいうのか。そんな無駄なこと―――」
『敵襲!アメ公共が来やがった――!!』
「またかよ、しつこい奴等だ!――!?何だあれは!?」
「は、早い!?逃げ―――――」
Side ウィリアム
「イイイイイイイイイイイイ良い音だ!!視界一杯の爆炎は見慣れたものですが、戦列を並べた砲兵の一斉射撃の如き轟音は見事としか言いようがない!たしかパンジャンドラムとか言いましたっけ」
「ええ、道が悪ければあらぬ方向に突っ込む欠陥兵器だけど、錬金術で足元を整えてやれば、時速90キロで飛び込んでくる自走爆弾だ。不意打ちされたらまず逃げられないよ。と、話し込んでる場合じゃないね。では我々は予定通り一番槍として突っ込むのであとはよろしく」
「ええ、お任せを。貴方こそヘマをしないで下さいよ?こんな面白い方が死んではつまらないですからね」
・・・はあ。なんだってあんな妙な人に気に入られたんでしょうね?そんなに締め切られていた志願兵枠に入れてもらいに直談判したことが面白いことだったのでしょうか?確かに規定数を満たすまでは、志願兵という名の事実上の徴兵だったようなので選ばれなかった人は安堵していました。そんな中直訴してまで前線に出たがる死にたがりは確かに珍しいかもしれません。
しかしだからといって前線に送られるまでのわずかな時間を態々その死にたがりに会うために使うとは思いませんでした。学校で初めてお会いした時に2,3言葉を交わしましたが、何が面白かったのかあれ以来妙に構ってくるんですよね。お陰で僕まで変人呼ばわりされてしまいそうで不安ですね。え?もう既に手遅れ?そんなバカな。
それはともかく、本当に時間がないので慌てて軍用トラックの荷台に乗り込みます。これはキンブリー少佐にお願いして現地で調達したもので、作戦までの間に可能な限り改造を施した代物です。フレームに注射の様な要領で金属密度を補強し、増加した重量を支えられるようタイヤのゴムやホイールの構造にも手を加えました。それからより速度が出るように最新式のエンジンへと錬成しておきました。露払いはしたので大丈夫とは思いますが、少しでも集中砲火を浴びないように出来る限りのことはしておきました。
「それでは出発してください。恐らく地区の入り口までしか舗装はされていないでしょうから、そこからの運転は細心の注意を払ってください。皆さんに支給した装備なら複数人相手に接近されない限り問題ありません。ですから必ず全員で帰還しましょう!」
「「「「「了解!!」」」」」
ちなみにこの部隊は全員が士官学校から動員された人員で組織された実験部隊であり、この日までの間、前線から送られてきたデータをもとに可能な限り訓練を積んできました。なぜ僕なんかが指揮権を任されているのかについては小一時間問い詰めたいところですが、そのおかげで色々勝手に武装を導入していることに目を瞑って貰っているので文句は言えませんが。
確か噂によればユーリ叔父さんたちの診療所はここからかなり奥にあるらしい。他の部隊が先に到着したらどうなるか予想が付かない。戦争している相手の治療を行っているわけだから、医者としての道徳としては美徳でも、軍人、国民目線からすれば利敵行為に等しい。最悪の場合は恐らく・・・・。一刻も早くここを突破して、一番に乗り込まないと!!
「ふふふ、本当に面白いですよ、ウィリアム・エンフィールド。至って善良な人格を持ち、素質は十分ですが私たちの様な異端者でもない。それなのに今しがた自身の策で大勢の人間を吹き飛ばしたにも拘らず、良心の呵責はみられない。恐らく彼は、自身の優先順位を揺るがせられない方なのでしょうね。周りの人間が言い含めてきたから命を尊重するが、その命に価値を付け区別する。そして最優先事項は何をおいても守ろうとする。例えその次に優先すべきものを犠牲にしてでも。実に私好みの人間だ。これからも良い友人でいたいものですね」
Side out
―――一台の軍用トラックが道を駆けていく。迎撃の布陣を引いていたイシュヴァール人が銃で応戦するが、どこに当てても弾かれてしまい、止めることが出来ない。そこで機転を利かせた数人がまき散らした灯油に火をつけ、炎の壁を作り足を止めることに成功した。そして確実にしとめるため手榴弾を投げ込める位置まで近づくが、突如幌から顔を覗かせた機関銃の凄まじい掃射によって挽肉にされる。そのまま悲鳴のような銃撃を浴びせかけ、動くものが居なくなると車から15人ほどの軍人が降りてきた。
「炎が消えるまで車両を死守せよ!何度も言いますが頭上等の死角だけは注意して下さい。彼らの驚異的な身体能力なら両手だけで壁を登り切って銃撃を躱したり不意打ちが出来ますからね。その代わり彼らの銃の腕は素人レベルです。粗悪品も相まって貴方たちの武装なら確実に防げます。とにかく白兵戦は避けてください!」
その怒声を聞き付けたかのように、あらゆる場所からイシュヴァール人が飛び出してくる。しかしウィリアムの部隊は誰一人として隠れることなく、その場で銃撃戦を始める。イシュヴァール側もいままで交戦してきた経験から、唯の服なのに銃弾をものともしないことを知っているため、露出している顔目掛けて射撃を行う。が、吸い込まれるように顔面に飛び込んでいったはずの弾丸が見えない何かに弾き飛ばされてしまい、驚いて硬直した隙を突かれて逆に頭を吹き飛ばされてしまった。しかもそれが一人ではなく全員であり、イシュヴァール人達は魔術か何かとパニックを起こし始める。
勿論魔術などではなく、正体は軍帽のつばに仕込まれた、ウィリアム特製の特殊ポリカーボネートの防弾プラスチックである。ウィリアムはこの部隊の練度不足と、それから来るパニックによって犠牲が出ることを恐れ、とにかく射的場と同じシチュエーションに持ってくることに腐心した。軍服はすでに普及しており問題ないが、露出した部分を守ることで、白兵戦以外の危機を可能な限り減らすことに成功した。このため、経験皆無な新兵の部隊でありながらも、比較的落ち着いて行軍することが出来た。
しかし敵も百戦錬磨のイシュヴァラ僧。銃が不利と見るや即座に身を隠してしまい、捕捉が不可能となってしまった。
「・・・隊長。奴さん蛇みてぇに音もなく消えやがった。スモークか何か焚かれりゃ俺達はお陀仏だ。ここは早いところトラックに乗って行っちまった方が良いんじゃないか?」
「いえ、取り逃がした敵が想定よりかなり多い。このまま進んで挟撃された方が危険です。皆さんはここから動かないでください。ここは僕が何とかします。念のため左腕はいつでも動かせるようにしていて下さい」
そう言い聞かせ終わるのを見計らったように一発の煙幕弾が投げ込まれた。視界を塞いだこの瞬間を唯一の好機と見做し、一切の躊躇を捨てたイシュヴァラ僧たちが殺到する。彼らの鍛え上げられた心眼をもってすれば、この程度の煙幕は無いも同然。一人残さず始末せんと、まるで鋼の様な拳による手刀、抜き手を叩き込むが―――――それより一手早く鳴り響いた銃声により、誰一人本懐を遂げることなく息絶えた。
「うわぁ・・。一呼吸で8人同時に仕留めるとは、拳銃の腕なら“鷹の目”にも匹敵するってマジだったんですね」
「いやいや、そんなに持ち上げないでください。やっちゃいけないことを色々してこれですから。先輩には到底及びません」
ウィリアムの腕にはまるでサーベルと見紛うほど長い銃筒のリボルバーが握られている。これは以前『下手物倶楽部』で紹介したマテバとは別の角度から性能を追求したものであり、一丁目がショーケース行となったため、そのままお蔵入りしてしまった作品である。この銃はマグナムリサーチというライフル弾を撃てるという変わった品物だ。しかし拳銃の全長ではライフル弾本来の威力を出し切れず、他の弾丸を使った方が威力が出るという欠陥を抱えていた。そこで銃身を15インチまで引き延ばし、強度の問題を錬金術で解決することでライフル弾の威力を存分に発揮できるリボルバーに仕上げた。
尤も、此方にも深刻な欠点が存在する。連射しても壊れないだけの強度を得るにはかなりの高密度が要求され、結果として非常に重くなってしまったのだ。細工を加えても重量5キロにもなるので運用が困難となってしまった。ではなぜ彼がこれを扱えているかについては、今はあえて伏せておくことにする。
「さて、無駄話はここまでにしておいて、そろそろ移動を再開しましょう。想定よりかなり敵の数が多かったので、もしかしたら最初の爆音で普段より前線の層が厚かったのかもしれません。油断は禁物ですが、この勢いに乗って少しでも前線を押し上げましょう!」
ウィリアムの予想は正しく、後の騒動の中核となるある兄弟を死守するため前線に多くの戦力が割かれており、それらが最初のパンジャンドラムの大群と彼らの突撃により粉砕されたため、20区はそれまでの遅れを大幅に取り戻す快進撃を遂げることとなった。しかしこれが某区の指揮官の焦りを増長させてしまい、結果的にアメストリス側の被害が増えてしまうのだが、それはまた別のお話。
――――2週間後――――
場所:イシュヴァール戦線作戦司令部
Side ウィリアム
「ウィリアム・エンフィールド少尉、帰投致しました」
「同じくゾルフ・J・キンブリー中佐、帰投致しました」
あれから2週間が経過し、怒涛の日々を過ごしながらも何とか生き残ることが出来ました。ユーリ叔父さんたちのところへはあともう一歩で辿りつけそうです。ただ、とにかく前へ、前へと戦闘を突き進み続けた結果、いつの間にか候補生から少尉に変わっていた。とてもとても胃が痛いです。まだ十代で尉官とかおかしいでしょう。戦場とは別の意味で叔父さんたちと生きて再会できるか不安になってきました。
「さて、前線から急に呼び戻して済まない。だがこれは目覚ましい成果を上げている君達にしかできない極秘任務なのだ」
そう断りを入れると、目の前の上官方は瀟洒な宝石箱を開き、此方に差し出してきました。中には小ぶりの石が二つ。決しておかしなところは無いのに生理的な嫌悪を掻き立てる緋色の宝石でした。
「これは賢者の石。軍上層部が創り出した機密中の機密だ。よって他言することは絶対に許さん。キンブリー中佐には攻撃における増幅効果のほどを、エンフィールド少尉には才能の補填の可能性及び生体錬金術における可能性のほどを検証してもらいたい」
賢者の石!?錬金術の到達点の一つ、製造方法から効能まで全てが不明であり、最早おとぎ話か何かとまで思われている伝説の人工聖遺物。こんなものが出てくるとは、さすが錬金術大国といったところでしょうか。しかし、才能云々はともかく、生体錬金術?
「君が工学分野だけでなく医療錬金術にも明るいことは既に報告に上がっている。実際に何人もの負傷者を救助しているそうじゃないか」
「・・いえ、医療錬金術は等価交換の法則が特に厳しく、救えたのはほんの一握りの身で、多くの方は見送ることしかできませんでした」
「謙遜する必要はない。数の大小はどうあれ、君は助からなかった命を確かに救ったのだから。まあそれは良い。寧ろそんな君にこそこれは役に立つだろう。賢者の石は等価交換の法則を無視した成果が出せると言われている。もしそれが事実なら、即死していない限りどんな人間も助けることが出来るということだ。君が此処に来た目的を達成するためにもそれは必要不可欠ではないかね?」
そういわれて改めて手の中にある石を注視しました。言われてみれば確かに戦況は佳境に入っています。イシュヴァール側もアメストリス側も相当煮詰まっており、そもそも兵站が破綻しているあちら側ではもう満足な治療も出来ていないはず。いつ誰に危害を加えられるか分からない状況にある今、叔父さん達が身は相当不味い状況にいます。最悪の状況を考えれば確かに心強いですが・・・よく知りもしないものを使うのはやはり抵抗がありますね。知らない内にとんでもない悪行の片棒を担がされているかもしれません。が、そんなものは叔父さん達の無事に比べれば比較にもなりません。
「それと・・・これも念のために渡しておこう」
さらに懐から取り出された一枚の羊皮紙。それを見た瞬間、何も考えられなくなりました。それはもう微かにしか残っていない、幼いころの記憶。母が姿を消した、あの研究所に残されていた一陣の錬成陣。細部が少し異なりますが、あれと瓜二つの模様、これが意味するものは、まさか・・・。
「こ・・れは、もしや人体錬成の」
「―――何故君が其れを知っているのかはいまは問わん。わが国では決して人体錬成を認めていない。だが、君の献身と才能、情熱が失われることはあってはならん。これは軍上層部の総意だ。故に今回に限り戦場で何が起きても黙認することとした。これは君が今までなしてきた多大な功績に対する報酬と思ってくれて構わない。その代わり、これからも誠心誠意軍に仕えてくれたまえ」
正直あまりの代物に頭が付いて来ず、彼らが何を言っているのか碌に覚えていませんでした。もしあの時少しでも冷静さが残っていれば、その場にいた彼らがどれだけ醜悪な表情をしているか、そしてそれがこれから何が起きるのかを、知ることが出来たかもしれない。
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