仮面ライダーだけど、俺は死ぬかもしれない。   作:下半身のセイバー(サイズ:アゾット剣)

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忘れ物はなんですか。


♩.俺はこれからサービス残業かもしれない。

 覚えていることは、小さなことばかりだ。

 お日さまのようなやわらかい匂い。からめるとほんのりあたたかい指。少したかくて落ちついた声。まぶしいほどにやさしかったあの笑顔。

 彼女が笑うと、俺も笑っていた。

 彼女が泣くと、俺も泣いていた。

 いっしょに笑うとよろこびは二倍になって、いっしょに泣くとかなしみは半分になる──とか、そんな都合のいいことを恥ずかしげもなく語ってくれた。

 思い出せない。二度と触れられない。

 こんなにも愛おしいのに、愛おしかったはずなのに、彼女の顔も名前も、共に過ごした時間さえも忘れてしまった。

 

 失くしてしまったんだ、とっくの昔に。

 俺が俺であるための、一番失ってはいけない、失ってはいけなかった、大切な記憶(もの)を。

 

 見ろよ、この醜態(ザマ)を。

 笑えるだろ。必死こいて戦って、行き着く先がこれだ。死してなお彷徨(さまよ)う救いようのない愚者(バケモノ)。ありもしない理由を求めて、泣き叫びながら、地獄の中でのたうち回っている。

 本当に欲しかったものも、わからないくせに。

 これまで守り抜いてきたものさえ、覚えちゃいないくせに。

 

 何の為に。

 誰の為に。

 

 そんな言葉ばかりが頭の中を巡って、ぐちゃぐちゃに掻き乱す。魂魄は既に思考の外で漂っているというのに、見果てぬ何かを求めて、性懲りもなく問い(ただ)す。

 知るか。うるせぇ。覚えてねぇよ。こちとら死んでんだ。これ以上何も求めるな。何も望むな。勝手に死体が動いてるだけだ。知ったこっちゃねぇよ。もう疲れた。もう動きたくない。失いたくない。奪われたくない。涙は尽きた。血反吐も枯れた。差し出せる代償は全部差し出した。

 それでもまだ足りないのか。まだ許してくれないのか。

 

 この俺に、一体いつまで、ちんけなヒーローごっこをさせるんだ……?

 

 何も守れやしないのに? 誰も救えやしないのに?

 

 いいよ、もう。

 

 俺は獣でいい。何も考えずに済む。心を痛めずにいられる。恋しさも思い出も全部捨てられる。

 

 獣でいい。獣がいい。このまま血の絶海に、何ものにも縛られず、沈んでいたい。

 

 耳を塞いで、目蓋を閉じて、誰にも触れられない深い深い水底へ。

 

 一人っきりで、おちていこう。

 

 今度こそ、帰ろう。帰るんだ、忘れてしまった俺の居場所(おもいで)へ……。

 

 

 

 

 

 〝キミはほんとに仮面ライダーみたいな人だね〟

 

 

 

 ……は?

 

 

 〝いつも誰かのために傷ついて、誰にも見えないところで一人で苦しんでる〟

 

 

 なんだこれは。誰の記憶だ。

 

 

 〝私、仮面ライダーは大好きだけど、孤独を背負うのがヒーローの条件っていうのは、なんか嫌だなぁ〟

 

 

 やめろ。いまさら何を。どうせまた思い出せなくなるんだ。余計な希望を見せるな。俺はこのまま一人で沈んでいきたいんだ。

 

 

 〝だって、独りぼっちは寂しいだけでしょ?〟

 

 

 一人で……ひとりが……。

 

 

 〝キミは意外と寂しがり屋だもんね〟

 

 

 ………………。

 

 

 〝よーし。呪いをかけちゃお。キミが絶対にぼっちになれないビーム。あっ、信じてないなその顔は。私の念力?魔力?的なやつを舐めてもらっては困るよ。輪廻転生しようと永続効果だよ〟

 

 

 ……ああ、なんてものをこんな今際の際に思い出させてくれたんだ。

 

 

 〝絶対に、キミを一人にはさせない。一人では戦わせない〟

 

 

 忘れていたのに。忘れたままでいられたのに。

 

 

 〝それが私の祈り。忘れないで。キミは一人じゃない〟

 

 

 このカラダを突き動かす、戦う理由が、立ち上がる意味が、溢れてくる。

 

 

 〝だから、がんばれ、私の仮面ライダー〟

 

 

 溢れてくるんだ。懲りずに、何度も、何度も。

 ヒドいよね。呪いだってさ。人間なんてみーんな孤独だろうに。それを全否定しちゃってさ。

 

 

 ──……し……ょう……い、ち……っ!

 

 

 ホント困った話だよ。一人にさせない呪いだなんて。プライバシーもクソもないじゃん。陰キャにはキツイよ。会話に詰まるよ。こっちは頭ん中が残念系なんだから、ゴミみたいなギャグと下ネタしか浮かんでこないんだよ。最悪だよ。ヒーロー大失格だよ。おまけにこの性格ときた。意地汚くて、嘘吐きで、甲斐性なしで、ド貧乏で、めっちゃダサくて、めっちゃウザくて……。

 

 

 ──しょういちぃぃぃ!! 思い出せ、津上翔一ッ!!

 

 

 そんな紛い物のヒーローを呼んでくれる人がいる。

 

 

 ──戻ってこい、帰ってこい、お前の居場所はこんなところじゃない!

 

 

 どうやら、俺の孤独はとっくの昔に呪われて、綺麗さっぱり無くなってしまっていたらしい。

 

 

 ──あたしはまだここにいる! 天羽奏はここにいる! お前の(そば)に、お前の隣に! だから、だから……ッ!

 

 

 巫山戯(ふざけ)た呪いだよ、まったく。脳ミソも死んでるだろうに、わざわざぶっ壊れた記憶の断片かき集めてさ。人が気持ち良く居眠りしているところを無理やり叩き起こして、こんなものを思い出させてさ。

 なんていうか、うん、ちゅらいね。仮面ライダーまじちゅらい。

 でも、それでいいんだよね。悲しいことを、苦しいことを、この紛い物の仮面(マスク)はたくさん知っているってことだから。

 

 

 ──思い出せ、思い出してくれ、お前は、あたしの……あたしたちの……ッ!

 

 

 だからさ、もう忘れることにするよ。

 

 

 ──あたしたちの()()()()()()だろぉ!!

 

 

 もう一度、思い出すために。

 

 

***

 

 

 風鳴翼は哀しき超越者(エクシード)を両手で抱擁した。

 恐怖は無かった。後悔も追いかけてこなかった。意識を喪失しているだろう無防備な立花響に向けて、殺気が滲む紅の鉤爪を振るわんとする未確認生命体第三号らしき未知の獣を目にした瞬間から、風鳴翼は緒川慎次の制止を振り切り、()()の目の前に躍り出た。

 そして、心に従うままに彼女は()()を抱き締めた。

 確信は持っていなかった。しかし、立花響を躊躇なく殺めようとする一連の動作に、翼は(かつ)ての第三号(ギルス)が背負っていた慟哭と同様のものを垣間見た気がしたのだ。

 

「魂の自由を取り戻して、仮面ライダーギルス」

 

 祈るように(まぶた)を閉じて、風鳴翼は柔らかな声音で囁く。

 どくん、どくん、どくん──と、彼女の鼓膜には、深緑に彩られた蛮神の飛び跳ねるように荒ぶる心臓の鼓動が響いていた。興奮している。とても正気の状態ではない。次の瞬間には、振り上げられたまま動かない、あの死神が携えた大鎌のような爪で惨殺されたとしても文句が言える状況ではない。

 それでも。

 風鳴翼はそのしなやかな腕で、エクシードギルスを抱き締め続けた。

 

「翼さん、危険ですっ! 離れて!」

 

 背後で緒川慎次が拳銃を構える音がした。

 翼は何も答えなかった。今はただ、時間が許す限り、彼女の胸に宿る心の熱を、溢れんばかりの思いの丈を、心渇いた魔獣の虚ろな胸に伝えるだけだ。

 古代の堕天の獣(ネフィリム)にはそれが叶わず、多くの殺戮が繰り返された。人間(ひと)であることを捨て去り、あらゆる生命を律することなく貪り喰らい、生物としての格を高次元の領域まで押し上げた堕天の獣(ネフィリム)に、人間の域に留まる者の声は当然届かない。もはや届くはずがないのだ。

 神と人が同じ視線で語り合えぬように、獣は獣の道理に従うのだから。

 

「あなたを信じています。必ず帰ってくると」

 

 しかし、そうであったとしても、風鳴翼という少女は直向(ひたむ)きに信じていた。

 

 神や獣とわかり合えることを、ではない。

 

 ただ、()()()()()()を信じていた。

 

「あなたと話がしたい。謝りたいこと、感謝したいこと、怒りたいこともありますし、逆に怒られたいこともあります。日常のこと、友人のこと、仲間と呼べる人のこと、なんてことのない普通のこと、たくさん、たくさんあります……」

 

 言葉だけでは救えない。だが、言葉にしなければ届かない。

 震えるような情動が喉の奥から込み上げてきて、熱い水気を帯びては(まなじり)から飛び出していく。

 

「刃を交えるのではなく、目と目を合わせて、手と手が触れ合う距離で、ゆっくり話がしたい。仮面を脱いだ、本当のギルス(あなた)と」

 

 それは願いだったのか。あるいは祈りだったのか。

 超越者(エクシード)たる蛮神(ギルス)の無骨を象る生体装甲(バイオチェスト)の間に、崩れ落ちるような小さい嗚咽が挟まれる。

 青の少女がのすすり泣く悲嘆の声だけが辺りに粛々と響く。完全に人間性を見失い、今や殺戮の神へと変わり果てた第三号(ギルス)への痛ましいほどの同情が涙となって止め処なく頬を(つた)う。

 確かに風鳴翼と未確認生命体第三号は敵同士であった。

 しかし、同時に二人は共通の(ノイズ)を打ち倒す背中を合わせの戦友(とも)でもあった。それ故に風鳴翼は知っていた。誰よりも理解していた。この()()がどれほど強靭でどれほど不屈であったかを──。

 

 こんなものが、あなたであっていいはずがない。

 

「思い出して……あなたの、仮面ライダーの心を……」

 

 片翼の少女から零れ落ちた熱い落涙が、蛮神(ギルス)の血に塗れた伽藍洞の胸にぽつぽつと降り注ぐ。

 それは一滴(ひとしずく)感覚(ぬくもり)となり、屍の上をなぞって大地に音もなく弾けた。何度も、何度も。泥と血を被った戦士の心を洗い流す慈雨のように、少女の涙は問いかける。

 何の為に、傷ついて。

 誰の為に、捨て去って。

 心すら殺した犠牲の上で背負うその痛みが、あなたの望んだ結末なの──?

 

「────……」

 

 答えない。

 そこには何もない。

 人間(ひと)たらしめる感情を断ち切り、底のない奈落の憤怒に突き動かされ、暴力の化身と姿を変えた超越者(エクシード)に心と呼べる器官は無い。魂は死んだ。思考の必要はない。人間という器の(しがらみ)から解放され、純然たる(ちから)を行使するだけの機械のような生命体と化すことが完全なる進化であり、完璧な命と形容するに相応しい存在なのだ。

 エクシードギルスは、万物の超越者である。

 シンフォギアすら今や満足に(まと)えない少女一人に何ができる。何が変えられる。その声が一体どこに響くというのだ。

 

 わかりきった話だ。何もできない。何も変えられない。どこにも響かない。

 

 一人では願い一つも叶わない。届かぬ想いは鉛の翼となって墜ちていく。片翼の鳥ではどうやっても空を翔ぶことはできないように、それは絶対的な条理として君臨している現実。片翼の少女がどれほど声を、どれほど涙を枯らしたとして、エクシードギルスには決して届かない。

 

 ならば、片翼でなければ。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 もしも、ここに彼を想う祈りが二つあるとすれば──それはきっとどんな不条理にも負けない奏歌う翼となってこの空を舞い上がるのだろう。

 

 ただ、それだけの奇跡(こと)だった。

 

「………………」

 

 だから、それは必然と呼べる奇跡であったのだろう。

 凍りついたように硬直していたエクシードギルスは、振り(かざ)したまま行き場を失っていた血潮の如き鉤爪を、まるで力が抜け落ちていくようにゆっくりと慎重に下ろした。やがて、体の中に(うごめ)く狂乱の猛獣を宥めるように全身が脱力を開始する。指を伸ばし、肩が下がり、仮面は青空を仰ぐように少しだけ上を向く。

 闘志も敵意も、絶えず滲み溢れていた殺気さえも、霧散して消えていくのがわかった。

 

 エクシードギルスは、怒りを放棄したのだ。

 

 怒りだけを残された神が、その怒りを棄て去った。それが何を意味するか、わからないものはいない。

 

 風鳴翼が──いや、ツヴァイウィングが呼び寄せたこの奇跡たる現象は、その場にいたすべての者に信じ難いほどの衝撃を与えた。緒川慎次は無意識に銃口を下げてしまい、事の行く末を見守ることしかできなくなった。雪音クリスはただ啞然と口を開け、考えることもできなくなった。

 そして、遠方から状況を窺っていた櫻井了子は、その光景を前にして自分の眼を本気で疑った。理解できなかった。できるはずがなかった。如何に蘇生を経て進化したとはいえ、根源が(ギルス)であることに違いはない。恐らく、()()()()()()()()。もう自我亡き堕天の獣(ネフィリム)と遜色ないはずだ。それをどうして……どうやってそんな……。

 

「私だって……そんな理想(ゆめ)みたいな奇跡……起こしたかったわ……」

 

 でも、その先にある結末は一つだけだ。

 

「所詮、すべて無駄なのね」

 

 彼女はすべてを悟った表情で踵を返す。

 傷だらけの獣を抱き締める少女を背にして、嘗て夢見た情景を振り切るように。

 

 風鳴翼は耳をギルスの胸郭に押し当てるようにして、暫くの間ずっと彼を抱き締めていた。

 心臓の音色が小さくなっていく。血液の巡りが錆びていく。

 数多の凶刃を備える刺々しい両腕を無気力にぶら下げ、脳髄が溶けてしまったようにギルスは朦朧(ぼんやり)と立ち尽くしていた。白い綿毛のように小さな風に煽られるだけで散っていきそうなほど、今は(はなは)だ弱々しい。呼吸も疑えるほどに微々たるものだ。

 

「………………いきます」

 

 誰に向けてでもなく呟き、風鳴翼はすべてを知る覚悟を決めた。

 両腕の抱擁を解き、(おぞ)ましき獣の(かたど)るその仮面に手を伸ばす。鉄檻の如く堅牢に閉ざされた蛮神(ギルス)の仮面に翼の細い指先が触れると、魔法が解かれたように一変して()()()と黒い粘液に融解した。それは次第に泥でできた人形ように(いびつ)な崩壊を始め、ギルスの悪魔の如き(かお)を少しずつ剝がれ落としていく。

 天牛の顎のように鋭い魔王の冠(ギルスアントラー)は、ぼさぼさの黒っぽい髪に。

 猛虎の牙と見違える銀色の装甲板(クラッシャー)は、裂かれて乾いた唇に。

 獲物を射殺す孤狼の眼光のような真紅の瞳(デモンアイズ)は、穏やかな青年の優しい双眸に変わる。

 

 悪鬼羅刹と相違ないと思われていた超越者(エクシード)たるギルスの被った偽りの仮面が完全に剥がれて、憐れな青年の悲痛に満ちた素顔を露わにしてしまう。

 皮膚は腐った蜜柑のように(めく)れ、頭部から垂れていた致死量の流血は中途半端に凝固して、趣味の悪い厚化粧のようになっている。目を逸らしたくなるほどに生々しくも傷ましいその顔で、ほんの少しだけ恥ずかしそうに彼は笑った。

 

「……驚かないんだね、翼ちゃん」

 

 津上翔一はもう(ろく)に動かない(まぶた)の隙間から、薄い灰色の瞳だけを向けた。

 

「……いいえ。驚いています」

 

 風鳴翼はその潤んだ瞳に隠し切れない涙を含んだまま、普段と変わらない笑みを懸命に返した。

 

「ただ、津上さんのような人が仮面ライダーだったら──と、思っていたので」

「……へへへ。そっか」

 

 本人は笑っているつもりなのだろう。爛れた皮膚から露出する血肉の頬は微かに揺れるだけだった。

 彼が背負い続けていたであろう死にも劣らぬ激痛を想像するだけで吐き気がする。人間に耐えられるものではない。翼は鼻を啜りながら涙をぐっと堪えて、翔一の傷だらけの手を取ろうとする。

 

「リディアンに帰りましょう、津上さん。立花と一緒に」

 

 幾千に及ぶ(ノイズ)を葬り去った魔獣の手掌に翼の指が絡まる寸前で、翔一は膂力の実らない緩慢な動作でそれを払い除けた。

 

「津上さん……?」

「ごめん。俺は、いけない」

 

 そう言って、申し訳なさそうに真っ赤な眉を寄せて、翔一はギルスの怪物じみた右腕を上げた。すると、()()()()と被膜から黒い粘液が無数の糸を垂らし始める。それは死を刻々と数える忌まわしい現象であった。蛮神(ギルス)の装甲たる外皮だけが溶けているわけではない。これは体細胞の緩やかな崩壊である。内側の骨や肉ごと津上翔一を構成するすべての物質が今まさに生存という大きな役割を終えて、母なる虚無へ還ろうとしているのだ。

 止める(すべ)はない。死とは免れないもの。生きているのなら、死ぬこともある。それだけのこと。

 

「見ての通り……お終い、みたいなんだ……」

 

 彼は逃れようのない己の最期を、気まずそうに笑いながら受け入れる。枯れゆく一輪の花が土に落ちるその瞬間を見せられているようで、堪らず目を伏せたくなるような衝動に駆られる。翼には断じて許容できない現実であった。

 

「俺は、最後の最後で、進化を拒んだ。変わりゆく肉体と、それを否定する意思の間では、進化も、停滞も、許されない。破綻するだけ。……よーするに、暴れまくった、ツケだね。しゃーない、しゃーない」

「だったら、尚の事、二課の治療を受けて──!」

 

 涙と一緒(とも)に弾かれた声は、何も語らず、ただ穏やかに細まるだけの瞳の前に消えた。

 風鳴翼とて、理解していないわけではない。彼の命はもう誰の手にも届かない場所(ところ)まで飛び立ってしまったことを。

 星の数ほど巡る果てなき戦いに身を投じ、繰り返される苦痛を耐え抜き、命の蝋を惜しみなく削ってきた津上翔一の身体は限界を迎えていた。いや、限界などとうに超えていた。(むくろ)の脚を引き摺って、まだ握れているかも判断できぬ拳を振り上げ、灰に埋もれた滓のような残り火が空へ舞うその時まで、戦って、戦って、この結末まで辿り着いたのだ。

 (はな)から助かる方法など無かった。

 助けることもできなかった。

 死者は甦らない。これがすべてである。

 この世の真理すら淘汰する超越者(エクシード)へあのまま進化(かわ)っていれば、目前に迫った死は免れたかもしれない。しかし、それは生命の規範から外れた行為であった。蛮神(ギルス)は肉体を生存させるのではなく、死という現象を奪うことで命を永久的に繋げようとした。そこには心も人格も必要ない。だから、津上翔一は進化に抗った。唯一の生き残る道を捨て去った。

 

 人間(ひと)として生きたこの命を、人間(ひと)として死なせるために。

 

「ありがとう、翼ちゃん。俺のことを、諦めないでいてくれて」

 

 誇りだった。

 たとえ、(まばた)きするような短い時間であれど、彼女たちの友人でいられたことは、津上翔一にとって、何物にも代えがたい誇りだった。だから、譲れなかった。最期の瞬間まで、彼女たちの友達として生きていたかったから。

 どうしても、紛い物のこの命を惜しいとは到底思えなかったけど。

 どうやっても、世界にとって不要な存在である認識は変わらなかったけど。

 彼女たちと過ごした一瞬一秒すべての思い出だけは、死んでも譲れない大切なものだったから。

 

 もう二度と失いたくない、大切な記憶(もの)だから。

 

 津上翔一は、死ぬことを選んだのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 空が晴れている。

 気持ちいいぐらいに。

 

 頭も真っ白に澄んで、全身を駆け巡る痛みも和らいできた。

 生まれ変わった気分だね。どちらかというと、これからお陀仏なんだけど。

 

「津上さん……ッ」

 

 翼ちゃんが泣いている。ぼろぼろと大粒の涙がこぼれていく。困ったなあ。女の子を泣かせちゃあ、閻魔さまも地獄で許してくれないぞ。本当は土下座して慈悲を乞いたいんだけど、そんな気力も体力も余っちゃいないんだよね。今の俺ってほら、カピカピの干物みたいなもんだから。(えら)の干物だよ。うん。なんだそのピンポイントな乾物は。食べるとこ絶対少ないよ。

 いま俺にやれることといったら……とりあえず、目の前にある翼ちゃんの頭でも撫でておくか。わしゃわしゃ~……できるほど手にもう力入んないね。つーか感覚ないね。うん。目が死んだら終わりだなこれ。

 

「…………!」

 

 記憶はサッパリないんだけどさ、こうやって頭を撫でてると子供ってけっこー泣き止んだりするんだよって、なんとなく覚えている。手のひらの中にある熱が、しっかりと伝わるからかな? まっ俺の熱がまだこの手に残っているのかは疑問なんだけどね。HAHAHA☆ ……って、翼ちゃんなんかさっきより泣いてない? えっ逆効果? もしかして俺の記憶ネット知識以下? ウゾダドンドコドーン!!

 何はともあれ、その場のノリでやっちゃったけど、なうをときめく翼ちゃんのプリティーヘッドをナデナデできるなんて役得だぜ。ぐへへへ。全国の風鳴翼ファンが死ぬほど羨ましがるよ。俺もう死ぬんだけどね。あっ、後ろにOTONA忍者スタンバってんじゃん。ふぅ……(賢者タイム)。ここが俺のハイライトか。スーパー懺悔ターイムいくよー。ハイク読まなきゃ(使命感)。

 

 ──お前、ここにきてそれかよ……。

 

 そりゃあね、奏ちゃん、これが俺だもん。

 

 ──……そうだな。そうだったもんな。

 

 俺の意識がぶっ飛んでる間に、ずっとシリアスさせられてたみたいだからね。正直、激おこだよ。プンプンだよ。プンプンしすぎてブンブンハローY○uTubeでラーメン一丁あがりよ。だいたい俺はね、重たい話が苦手なんだよ。かる~いやつがいいの。ポテチ食いながら読める感じのがいいの。それをなんだい。勝手に人のカラダ動かしちゃって。俺の身体はガンダムかっての。いや、どちらといえばエヴァンゲリオン? どっちでもええわ。たしかに、ぶっちゃけ、楽だな~って思ったけど、思いましたけども、全自動キリングマッシーンになるなら話は別よ。いいかい。これから色んな高性能なAIが世に出て、人の仕事を徐々に奪っていくってことになるだろうさ。でもね、人じゃなきゃできない仕事ってのはた~くさんあるの。人の心に寄り添うことができるのは同じ人だけ。機械の代わりはあっても、私の代わりはいくらでもいるものってわけじゃないの……って、やっぱエヴァじゃん。アレ? なんの話だっけ? ともかく、俺ァこーみえてもね、ノイズたんムッコロス仕事にはそれなりの矜持もってやってんの。それをあんなね……なんでもかんでも壊しゃいいんでしょ? みたいな感じでやられるとねぇ……さすがに俺も怒るよ。脳死で仕事しちゃダメ。いいかい? ノイズたんはね、まごころを込めて、ついでに日頃の鬱憤も込めて、しっかりとぶっ壊すの。わかる? ここ翔一さんの流儀よ。いまピアノ鳴ったよ。スガシ〇オ流れてるよ。メモとりなよ。まず、礼節を欠かさないこと。挨拶とかね。次に、命には敬意を払うこと。たとえそれが望んで生まれたものじゃなくてもよ。そんで最後が……最後ねぇな。二つしかねぇわ。んまあ、そこらへんをギルス先輩にはしっかり反省してもらわないとね。うんうん。

 

 ──めちゃくちゃ愚痴るな……。どう見ても、これから死ぬヤツの考えてることじゃないぞ。

 

 いや~久しぶりに喋った。あと五千文字はいきたいね。

 

 ──長ッ!? 校長先生か!

 

 おっ、そのツッコミいいね。やっと奏ちゃんのモーターのコイルもあったまってきたわねぇ。

 

 ──嬉しくないなそれ。いや、ちょっと嬉しいかも。

 

 おやおや、まさか奏ちゃんの貴重なデレがこんなところで見れるとは……! これがほんとの冥途の土産ってヤツか?

 

 ──不謹慎なネタが多いなぁ! いや、本人だから不謹慎……じゃない、のか……?

 

 うーむ。しっかし、なんていうか、惜しいっていうか悔しいなぁ~。ここに奏ちゃんのボディがあったら、ツヴァイウィングをダブルナデナデするという前人未踏の偉業を成し遂げて、ワンチャン教科書に載れたのになあ。

 

 ──ははっ、残念だったな。教科書には載らないと思うけど。

 

 いや、待てよ。ここは助かったと安堵すべきか。間違って奏ちゃんのおっぱいナデナデしたら、それはもうモミモミだから一発KOしちゃうもんね。

 

 ──お前、最後の最後までそれかよ!

 

 あたぼうよ! どうせ死ぬならセクハラしまくって死んでやる!

 

 ──開き直んな、バカ!

 

「翼さんっ! ノイズが……!」

 

 翼ちゃんの背後でこっそり響ちゃんを介抱していたハイテク忍者さんの動揺が混じる声。

 名前を呼ばれた翼ちゃんもハッとして即座に周囲を警戒する。すると、四方八方から黒っぽいシミが広がって、そこからみんなの完璧で究極なアイドルことノイズたんがうじゃうじゃうじゃうじゃとステージにスタンドアップ。48とか46が霞むアホみたいな物量だぜ。これなら握手会の待ち時間ゼロで、会場のボルテージも一気に急降下ってワケよ。ヒュー! 人類にゃまだ早すぎるぜ! いやいや、やめてよ。空気読んでよノイズたん。雰囲気台無しじゃん。俺が台無しする前に台無しじゃん。

 

「なんて数……」

 

 翼ちゃんもおめめパチクリしちゃうほどビックリ仰天な数だ。俺はもう首あんまり回したくないから正確な量は計れないけど、さっきの半分くらい? はいるんじゃないかな。ふーん……え? これもしかして自然発生? リモート(笑)じゃくて? あっ……そういやニャン公トリオ放逐したまんまじゃん。絶対それじゃん。ふえぇ……ようやく荷物まとめて帰ろうとしてたのに新しい残業が目の前に置かれたみたいだよぉ……。

 

 ──あーあ。まだ仕事残ってるみたいだぞ。

 

 まっ、予想はしてましたけどね。伊達に何年も仮面ライダーやってきたわけじゃないんで。こんなキレーに終われるほど、おじさん二度目の人生うまくいった試しないんでね。うん。自分で言うのもなんだけど辛っ。でも不幸中の幸いかな。ギリギリ助かった。お腹にブッ刺さったアレ……なんだっけ? デュ……チンチンブルンブルンの剣?

 

 ──デ ュ ラ ン ダ ル ! てか言いかけたろ今!

 

 言いかけてない言いかけてない。とにかくそれが丁度いい具合にエネルギー貯めててくれてさ、あと1ウェーブぐらいは抑えられるかもっていうか、抑えられたらいいなっていうか、抑えてくれないかなぁ~っていう希望的観測を含んだ感じでやらせてもらってます。

 

 ──曖昧じゃねーか。てか、デュランダルのエネルギーで延命はできないのか。

 

 うーん。たぶん、ムリじゃないかな。俺がいま直面してる死はエネルギー不足じゃなくて、突然変異に近い超常的な進化によって強制的に作り変えられた遺伝子とか染色体とかが、中途半端に進化やめちゃったせいで決定的なズレを起こして崩壊してる感じだからね。つまり引き返しちゃいけないところで引き返したってコト。迂闊にBボタン連打した俺のせいだよ。

 

 ──それを言うなら、あたしが翔一に戻ってこいって言ったから……。

 

 ……たし蟹。

 

 ──え。

 

 俺一人じゃあ、絶対あのままエクシィィードエェーックス‼してフィーバーしてただろうし、こんな真夏のアイス棒みてーにドロドロしながら死ぬことはなかっただろし。でも、それいうなら翼ちゃんも同罪ってことになるな。だってほら、二人の声で俺はスヤスヤタイムから起こされちゃったわけじゃん? うんうん。だったら今回悪いのは奏ちゃんと翼ちゃんってことにならない? なるか?(疑問)なるよ(肯定)なるなる(納得)(自己完結三段活用)

 

 ──ちょ、いつもの優しい感じじゃない!? 責任押しつけられてる!?

 

 正体見たりって感じだね。

 

 ──なんのだよ!

 

「……はは」

 

 おっと素で笑っちゃった。もうそんなに体力残ってないって言ってるでしょ。これからイタチの最後っ屁バトルするってのに笑かさないでよ。スタミナもったいないでしょうが。奏ちゃん反省!

 

 ──ええ……あたしが悪いのか……?

 

 そうよ。悪い。すっごく悪いことした。だから、俺がここにいる。津上翔一という存在が、まだここにいる。奏ちゃんのおかげで、なけなしの希望を持った俺が生きている。これはね、本ッ当に困ったことなんだよ。まったくどうしてくようか、この世界一可愛い相棒め。フィリップって呼ぶぞ。

 

 ──ふっ、なんだよそれ。わかったよ。あたしが悪かった。でも、翼も悪いんだよな?

 

 うん。たぶん。

 

 ──じゃあ、もし生きて帰ったら何でも好きなこと聞いてやるよ。あたしと翼で。

 

 なん……だと……?

 

 ──生きて帰れたらな。

 

 オイオイ待ってくれよ。えっ、ええ……え?(再起動) なんでも!?(再確認) もう死ぬの確定してんのに!? 翔一さんとっくに匙投げてんのに!? 打つ手なしって清々しいほどに諦めてんのにぃ!? うわ~ん、やりなおしてぇよおおおおおお~!!

 

 ──だったら、今から生きろよ。それが無理なら、まあ、あたしだけで我慢してくれ。

 

 それはとても温かくて、羽のように柔らかい声だった。

 

 ──天羽奏は津上翔一と生きる。これから先ずっと。そう決めてたんだ。だから、死ぬときも変わらない。

 

 それは決意の声だった。覚悟の声だった。

 

 ──最期まで、あたしも付き合うよ。翔一をひとりにはさせられないからな。

 

 そして、勇気をくれる不思議な声だった。

 

「…………ははっ」

 

 この声に何度救われたことか。何度立ち上がる勇気をもらったことか。

 覚えているか。ああ。覚えているとも。まだ忘れちゃいない。俺の守りたかったものは、まだここにある。

 

「翼ちゃん」

 

 ゆっくりと足底を(こす)るように引き摺って、ノイズの襲来に動揺を隠せない翼ちゃんの隣まで移動する。

 

「頼みがある」

 

 そして、目を合わさず、顔すら見ないで、そのまま通り過ぎる。

 

「まず、響ちゃんを、よろしくね」

 

 ずりずりと反応の鈍い脚を無理やり動かして、何かを察した表情を向ける緒川さんとまだ眠り続けている響ちゃんの横を抜ける。

 

「未来ちゃんには、カッコよく、伝えてほしいな」

 

 なんちゃって──と、冗談を言ってみるも、そんな余裕はどこにもなかった。

 周囲を軽く見渡す。いつの間にか冗談じゃ済まない数のノイズが強固な城壁を築き上げるように立ち塞がっていた。でも、それは割とどうでもいいことで、俺が探していた人物はもうどこにもいなかった。上手く逃げられたようだ。ひと安心である。

 

「あの……クリぃ……じゃなくて……えーと、名前出てこないわ……あー、変なタイツの子、気にかけてほしいな」

 

 言う必要はないだろうけど、一応はね。

 

「それと」

 

 最後に。

 

「奏ちゃん」

 

 振り返って、笑ってみる。

 

()()()()()()()()

 

 お別れを言うために。

 

 ──翔一!?

 

「翔一さん!?」

 

 俺は四本の指を揃えた貫手を、自分の胸に突き刺す。

 悲惨に飛び散る出血さえ気に留めず、手首が埋まるほど深く、深緑の大胸筋の狭間に穴をこじ開けるようにして、俺は俺の身体を(えぐ)り続けた。

 これは自刃ではない。

 超越者(エクシード)として進化したギルスの胸部には新たな賢者の石碑(ワイズマンモノリス)が出現した。これはエネルギーを効率的に体内で循環させる重要な役割を担う器官だ。血液を全身に循環させる心臓の機能と殆ど同質である。俺が辛うじてエクシードギルスの状態を保っていられるのも、この賢者の石碑(ワイズマンモノリス)の恩恵によるところが大きい。

 俺の命を繋いでいる新しい賢者の石碑(ワイズマンモノリス)

 

 これを摘出する。

 

「ぉおオッ……ゔぁアああ……おえッ……がァああああああああああああああああああッ!!」

 

 びちゃびちゃびちゃ──と、黒みがかった血液の塊が傷口から溢れて、止め処なく地面に叩きつけられる。その途端に異常なまでの寒気が全身を襲う。両脚が軸を失ったように小刻みに震えて倒れそうになる。そして、両頬を膨らませて爆発するように吐血した。気道が血塊で詰まったのか、息ができない。消失していたはずの痛覚が叩き起こされ、頭が真っ逆さまに狂いそうだ。痛みで舌を噛み切りそうになる。

 自分の身体を内側から(まさ)ぐる最低の感触が手掌から脳に伝達される。微かに生温かい。人間が生存を可能とする体温は下回っているようだ。

 

 別に構わないさ。賢者の石碑(ワイズマンモノリス)さえ摘出できれば。

 

 ──なんで、翔一……ッ! なんでぇ!!

 

 ごめんね。最後まで噓つきで。奏ちゃんが幸せになる方法、これしか思い浮かばなかった。

 

 ──いやだ……いやだいやだいやだいやだいやッ!!

 

 このワイズマンモノリスは奏ちゃんのために生成したもの。奏ちゃんのものだ。そして、奏ちゃんの肉体に足りなかったもので、器そのものなんだ。奏ちゃんの中に生まれたほんの小さな、だけどそれは確かにアギトと呼べる力は、エルロードによってその魂ごと俺の肉体に移され、俺の中にあるギルスを通して、ようやくカタチを得た。

 きっとこれは本来、手にしちゃいけないものなんだろうけど、今の奏ちゃんならきっと大丈夫。

 奏ちゃんは、俺の戦いを知っている。俺の痛みを、苦しみを、たくさん知っている。

 

 だから、エルさんたちも信じてくれたんだと思う。

 

 俺とおなじように。

 

 ──聞きたくない聞きたくない!! それ以上、何も聞きたくない!! あたしの居場所はここなんだ!!

 

 それは違うよ。奏ちゃんの魂には帰る場所がある。待ってくれている人がいる。それはね、とっても素敵なことなんだよ。

 

 ──だったら、翔一にも帰る場所が、待ってくれている人が、たくさんいるだろッ!! あたしだけ、あたしだけ、置いていくなよぉ……。

 

 ………………。

 

 ──最期まで、そばにいさせてくれよ……。

 

 ありがとう、奏ちゃん。

 

 きっと、この言葉は、どれだけ重ねても、どれだけ大きくしても、伝えきれない。

 心ってものは不便だね。こんなにもそばにいるのに、本当に伝えたいことは伝えきれないんだから。結局のところ、言葉に頼るしかないんだね、俺たちは。

 だから「今まで」なんて寂しいものは付け加えない。

 

 ありがとう。

 

 きみのおかげで、俺はまだ……戦える。

 

 ──待って、翔一ッ!! あたしだって、まだ何も……!! あたしは────…………。

 

「ヴゔゔうぅぅ──……ぅぅゔげどれええええええぇぇぇぇぇぇえええ────ッ!!」

 

 胸部に埋め込まれた賢者の石碑(ワイズマンモノリス)の全貌を掴み取り、それを鉄鎖の如く固く繋ぎ止める血管の束や神経線維を乱暴に引き千切りながら、エクシードギルスの肉体から完全に切り離す。麻酔も効かない状態で自分の内蔵を手掴みで引き抜くような経験は流石に無かったので、俺は意識が飛ぶ前に摘出したばかりの賢者の石碑(ワイズマンモノリス)を風鳴翼へとノータイムで投げ渡した。

 尋常ならざる光景を飲み込むこともできず、驚愕と動揺に思考を揺さぶられ言葉すら選べず、命じられるまま血みどろの物体を受け取る少女の頬にも赤い飛沫が走る。

 

「地獄の、道連れは……俺一人で、いい……」

 

 いつのまにか、天羽奏の声は聞こえなくなっていた。

 

 俺の中にはもう、天羽奏はいなくなっていた。

 

 それでいいんだ。きみの居場所はここじゃない。

 

 もう翔べるはずだ。

 

 どこまでも、どこへでも。

 

 二人なら翔んでいけるはずなんだ。

 

「津上さん、これは……」

 

 ワケもわからず、鮮血に染まった石の(つぶて)を両手で握る少女に、朦朧とした意識で立ち竦む俺は最低限のことしか伝えられない。

 

「そこ、に……天羽奏の、魂と……呼べる、人格が、ある……」

「え……!?」

 

 すぐに理解はできないだろうが、天羽奏の名前は無視できないはずだ。

 

「彼女は、目覚める……その石碑を、天羽奏に」

 

 血が喉を満たして、また嘔吐するようにぶちまける。

 

「奏ちゃんに、返してあげて……それが俺の、最期の願い……」

 

 ダメだ。もう時間がない。

 俺はエクシードギルスでいられない。

 このノイズの大群を足止めできるのは、俺に残された僅かな時間は──……。

 

「い、いい、いけえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええッ!!」

 

 叫んだ。

 もうそれしかないと思った。

 

「津上さ──」

 

 翼ちゃんが泣きながら駆け寄ろうとした瞬間、響ちゃんを肩で抱えた緒川さんが立ち塞がり、もう片方の腕で素早く翼ちゃんを抱きかかえた。

 

「っ!? 緒川さん、離してください!!」

「離しませんっ! あの人の覚悟を無碍にはできません!」

「でも、それでも、私は──……ッ」

 

 そこからなんて言おうとしたのかはわからない。

 

 もう何も聞こえなかった。

 

 誰の声も聞こえてこなかった。

 

 孤独と静寂が、そこにあった。

 

「……ありがとう」

 

 やっぱ、伝えきれないね、この心だけは。

 

『d■oy=\\ous※♪til::°lfi▽△gh+<<t???』

 

 でも、もう言葉はいらない。

 

 拳があればいい。それさえあればいい。

 

「ここから先は、サービス残業だ」

 

 戦え。

 生きているんだと叫び続ける限り。

 

 

***

 

 

 灰燼を被った寂れた礼拝堂で、白衣の男は何の脈絡もなく、長椅子から唐突に腰を上げた。

 裾に絡まる埃を払うことなく、見窄らしく汚れたままの恰好で、両脚を引き摺るように出口へと向かう。その背中は、断頭台への階段を踏み締める咎人のそれである。

 哀れ。

 どこまでも不憫で、報われない。

 しかし、男の眼の色に迷いはない。為さねばならぬことがある。譲れぬものがその先にある。たとえ、どれほどの尊厳が踏み躙られ、どれだけの心傷が身を焼いたとして、未練がましく捨てられないものがこの指先に触れている限り、人は容易く地獄の門を潜る。

 

 まるで、呪いのようなそれを、人はどういうわけか、胸を張って〝誇り〟と云う。

 

 誇りと云い張って、戦い続けるのだ。

 

 〝……往くのか。〟

 

 どうしようもない。どうすることもできない。呆れ果てた諦念の溜息が女の声となって、男の背に優しく降りかかる。男は少しだけ立ち止まるも、振り返らずに淡々と答える。

 

「うん。いってくるよ」

 

 〝その先に、何が待っておる。〟

 

 試すような、諭すような、声色の返答。

 男は惑うことなく即答する。

 

「さあ。知らない。俺は人間だから、未来のことはわからない」

 

 〝見果てぬ晦冥を、盲進するというのか。〟

 

「うん」

 

 〝何故。〟

 

「なんでだろうね。きっと大した理由じゃないんだろうけど」

 

 心底から自嘲するような男の声に躊躇(ためら)いの色はない。あるはずもない。運命や偶然によって掴まされたハズレの紐ではなく、これは自分の意志で選び抜いた一本の道なのだ。傷つくことも、苦しむことも、選んだのは他の誰でもない自分だ。

 逃げることを選ばなかったのは、自分。

 戦うことを選び続けたのも、自分。

 自分の選んだ世界。自分の選んだ理想。ならば、この先にこれ以上の理念は必要ない。いつかどこかで過去の自分がもらったはずの理由が、まだこの魂にも残っているはずだから。

 

 忘れてしまったけれど。思い出せないけれど。

 

 失ってはいないはずだから。

 

 〝また背負うのか。〟

 

「どうだろう。わからない。わからないなあ。でも──」

 

 背負えと言っている。

 背負わねばと哭いている。

 耳を塞いでも、瞼を閉ざしても、心の奥に響き渡る、獣の遠吠えのような醜い音色。身に覚えがないのに、記憶などとうに死んでいるのに、うるさくて、耳障りで、狂ってしまいそうで──……。

 

 だけど、確かに、これは俺の声なんだ。

 

 俺の(こころ)なんだ。

 

 だから、他の誰でもないこの俺が、それから目を背けちゃダメだろう。

 

「俺はこの生き方しか知らないから。最後まで背負えるだけ背負ってみるよ」

 

 男は出口の扉の前に立つ。焼け焦げ、弾痕だらけで、歪んでしまった両開きの扉はドアノブすら見当たらない。

 きっと、この先に待つものは安寧の死とは程遠い破滅的な終焉なのだろう。悶え苦しむ叫喚。傷と痛みの螺旋。煉獄の中へ身を投じるも等しい愚行。やめておけばよかったと後悔することも想像に容易い。

 

 それでも。

 それでもきっと。

 

 固く閉ざされた両開きの扉に手を添えて、小さく息を吸った。

 

「ありがとう。俺はもう一人でも大丈夫」

 

 ゆっくりと扉を開き、光とも闇ともとれぬその先へと一歩踏み出していく。

 

「一人でも戦うよ」

 

 

 

***

 

 

 

 鉛のような瞼を上げると赤い地面が水平線を築いていた。その正体が口から止め処なく溢れる自分の血液だと悟ると、全身の体温が思い出したかのように急激に冷たくなっていく。

 どれだけの時間が経った。まだ思考が許されているということは、それほど時間は刻まれていないのだろう。

 どうやら、身体はまだ死んでいないらしい。

 変身は完全に解かれてしまっているが、辛うじて呼吸ができる。

 もうじき死ぬだろうが、意識ある限りは生きている証拠だ。心臓も動いているのだろう。

 痛みはない。だが、(おおよ)その感覚は残っている。いや、これは痛みなのだろうか。もはや、五感を含む神経の区別は脳で処理されていない。脳に血が回っていないのか。そもそも脳が壊れているのか。どのみち失血で肉体の機能の大半は死んでいる。原因は無数にあって然るべきだ。

 腐りかけた四肢を限られた関節だけで動かすと、思いの(ほか)、芋虫のように鈍く蠢めいた。立てるだろうか。太腿に力を入れる。穴の空いたタイヤのように萎んでいく。骨が逝ったのか。どちらにせよ、起立は厳しい。

 

「…………」

 

 眼球だけを動かして。

 視線を前に。

 血反吐を這うように前へ。

 

『g◇o♪///o°d××ni>>#♯g◎±ht↓↓gi≠l|●|ls』

 

 目を疑いたくなるようなノイズの軍勢が混沌とした嵐のように(ひし)めき合っている。(かつ)てのライブ会場の惨劇を彷彿とさせる圧倒的な物量。(くだん)の首謀者であるフィーネが完全聖遺物《ソロモンの杖》を用いて、無尽蔵に召喚したのだろうか。それとも豹のロードノイズが時空の一端を捻じ曲げて、亜空間より顕現させたのか。どちらにせよ、瀕死のケモノ一匹の息の根を止めるにしては些か大袈裟な数だ。

 もはや、何もかもを無に還すつもりなのか。

 それほどまでにこの世界は無価値も同然なのか。

 否定はできない。できるはずがない。世界の条理は常に幸と不幸の天秤を傾けている。命を与えられた者は、その生涯で抱えきれぬほどの悲苦を背負い、その大半が生きる意味を見出せず、生命の本能に(こうべ)を垂れ、従順に生きてしまう。まるで、産まれた瞬間から脳に植え付けられたように、人は生存を求めるのだ。

 

 辛いこと、ばかりなのに、ね……。

 

 死生観は人によって大きく異なる。個人の培った知識から生まれた思想。それぞれの宗派の教典に基づいた観念。あるいはそれらに何の興味も持たぬ者もいる。生死一つでも価値観は千差万別に散らばっている。命という原始的な概念を後ろ向きに捉える者も、前向きに考える者もこの世界には存在し、そこに答えらしいものは存在しない。

 命の答えはあってはならない。

 命の答えなど知りたくない。

 死にゆく彼は薄れていく命脈の鼓動を聴きながら、命の真理に触れようと足搔いていた。生きた理由が欲しかったわけではない。ましてや死ぬ理由など欲しくもない。ただ、最期にはじめて自分と向き合おうと決めただけだ。()()()()()()と吐き捨てた自分に意味を持たせてやりたくなった。ただそれだけ。

 

(生きて、生きて、生きて……何になるんだろうね……)

 

 答える者も、それを聞く者も、何処にもいない。

 彼は孤独な死を遂げようとしている。

 

(結局、俺には何もわからなかったな……。それがわかれば、俺は俺でいられるような気がしたのに……無理だったな……)

 

 生も死も、命の理由にはならない。

 生きて死ぬ。この一連の活動にそれ以上の意味はない。

 

(無理だったよ……俺はやっぱり……俺が嫌いだ……)

 

 彼は最期まで、自分の命がわからない。

 

 自分の命だけが、理解できない。

 

 なんて、孤独な命……。

 

 

 

 先生、おやすみするの?

 

 

 

 彼の聴覚に突如、優しく囁くような声が響く。

 小さな子供の(つたな)い発音に耳を疑い、驚きのあまり目蓋を上げた。戦塵が舞う施設を埋め尽くす雑音(ノイズ)の大群。人類の生存を許さない殺戮者の巣窟と化したこの場所で、()()は当然のように佇んでいた。

 白い服。

 一つの穢れもない純白の衣服。

 背丈は短く、性別の判断もつかぬほど幼い様相をしている。人種もわからない。白人にも、黒人にも見えてしまう。もしかすると、特定の(かお)を持っていないのかもしれない。

 ただ、彼にもはっきりと断言できることがある。

 

(誰だ……こいつは……)

 

 知らない子だった。

 彼の記憶には何も当てはまらない。初対面である。しかし、事実に反して、奇妙な懐かしさが薄れゆく精神を温かく浸していく。

 

 

 先生、おねむなの?

 

 

 見知らぬ子供は、背後で群がる災害(ノイズ)の不快な雑音など耳に届いていないかのような素振りで、ボロ雑巾のように地に伏せる彼に問いかける。

 先生とは、自分のことだろうか──?

 悪い気はしない。(むし)ろ、収まるべくして収まったような安堵の情感と、得体の知れない懐旧の切なさを覚える。顔に出せるほどの生気は表情筋に残されていないが、頬が自然と弛んだ。

 

 

 先生、がんばったもんね

 

 

 ずっと見ていたかのように、その子供は語る。

 

 きっと見ていたのだろう、この惨めな男の生き様を。

 

 

 だけど、ボクらはね、本当は、先生にがんばってほしくなかったんだ

 

 

 悲しそうに言い放たれるも、彼は何の反応も返せない。

 

 

 ボクらはただ……幸せになってほしかったんだ

 

 

 幸せ。

 

 ()()()()()()

 

 

 ねえ、先生

 

 

 澄み渡るように純粋で透明な瞳が、彼の白く霞んだ瞳孔を離さない。

 

 

 先生の幸せって、なに?

 

 

 知らない。考えたこともない。

 

 

 先生が幸せになるには、どうすればよかったの?

 

 

 望んだ覚えも、ない。

 

「…………はは」

 

 返答の代わりに、渇いた嘲笑が腹の奥からぐつぐつと込み上げてきた。

 

「はは、は……わかっ……てた、つもり……だったのに、なぁ……」

 

 あきれた。

 心の底から軽蔑する。

 命の意味? 驕りが過ぎた。ふざけるな。笑わせる。幸せの一つも口にできない男の命に何が宿る? 何が生まれる? ふざけるな。何もできるはずがない。それこそ空っぽなんだ。あまりに軽い。その命も、言葉さえも……。

 

「言葉に、できな、きゃ……わから……ない、も……同じ、か」

 

 わからない。わからないけど、どこかにあったんだ。それはもう……思い出してはいけないけれど。

 

 もしも、思い出せたら、うれしいな。

 

「さびしいね」

 

 たった一滴だけ、誰かと別れを告げるように──。

 

 そうして、すべての憂いを分かつと、力強く、前を、前だけを向いた。

 ()()()、と動けるはずもない棺桶で眠る屍のような五体の(からだ)に、灼熱で鍛えられた鋼鉄の芯が四肢に(かよ)ったかのように、止まっていたはずの命が再び動き出す。

 それは奇跡か。あるいは最期の意地か。

 弱々しい小刻みの震えを(こら)え、枯れ木のような腕で体と頭を支える。吹けば消え去る(ほの)かな(ともしび)を両手で包み込むようにして、慎重に両脚を折りたたみ、四つん這いの態勢にまで持ち込んだ。

 ぽたぽたと口端から溢れる無情な血液の雫を俯瞰して、彼は何度も自分に言い聞かせる。

 

 立てる。

 俺はまだ立てる。

 

 まだこの足が大地を踏み締め、まだこの手が何かを掴み取ろうとしているのなら、何が何でも応えてやらねばならない。そこに何の意味があって、どんな結末が用意されているのか、わからない。知りたくもない。答えなどなくていい。答えなどなくても、この身体が知っている。この魂がずっと昔から知っているはずなのだ。

 

 津上翔一という紛い物の、生命(いのち)の理由を──……。

 

「ごめんね。こんな、ところまで……付き合わせちゃって……。君は、いつも、俺のことを……守ってくれてたのに」

 

 膝が震える。

 腕が死ぬほど重い。

 頭が()じれて落ちそうだ。

 

「最期に、もうひとつだけ、いいかい……? 俺の、ワガママを……」

 

 子供はまだそこにいる。

 何かを待つように、彼をじっと深く見つめている。

 

「倒さなきゃ、いけない、ヤツがいる……。もう、勝てる見込みは、ないけどさ……」

 

 時限で自壊しない厄介なロードノイズが三体、まだ野に放たれたままだ。これを放置して逝去などできるはずがない。特に黒豹の女王は危険だ。一度の戦闘で理解した。アレは本当に強い。

 たとえ、完全に回復した風鳴翼と立花響が二対一で挑んだとしても到底敵う相手ではない。現時点での彼女らの実力では勝機はないと断言できる。

 では、自分はどうだろう。この朽ちて枯れゆくだけの身体で勝てるのか。答えは決まっている。奇跡が起ころうと無理だ。死を待つだけの肉体にこれ以上の強さは宿らない。

 

「それでも……諦める……わけに、は……いかない……」

 

 諦めない。

 諦めたくない。

 

「だって……俺は……」

 

 皮膚が剝がれた(てのひら)を眺めて、ぐっと握り締める。

 

()()()()()()だから」

 

 その名前は手に負えないほどの重荷であったが、そう呼ばれていることを最初に知ったときは、少しだけ嬉しかった。

 誰かに認められたような気がして。

 この命にも価値があるのではないかと思える気がして。

 

 生きてもいいんだよって、言われた気がして。

 

「仮面ライダーが……命を諦めるわけには……いかんでしょ……?」

 

 真似事だけどね、へへっ──と、痛ましげに立つ姿とは裏腹に、彼は恥ずかしそうに目を細めた。

 

 子供は何も言わなかった。ただ少しだけ嬉しそうに微笑みかけると、小さく頷いて、歩くこともなく、吸い寄せられるように、彼の傷だらけの身体へと消えていった。いや、在るべき場所へと()()()()()()のだろう。

 ずっと守ってくれていた。

 死なせたくないと怒ってくれていた。生きていてほしいと悲しんでくれていた。

 

 紛い物の俺に宿った、紛い物じゃない、俺だけの(ヒカリ)──……。

 

 

 がんばれ、仮面ライダー 

 

 

 とても懐かしい誰とも知れぬ声に背中を押され、津上翔一は泥だらけの顔を覆うように両手を交差(クロス)させた。

 それは人間として偽り続けた仮面を引き裂くための様相(ポーズ)であった。内なる異形の獣を解放させるために人であることを棄てる。闘争は自然の(さが)。殺生は地に芽吹いた(ことわり)。生きることは即ち他者を踏み躙ること。

 不等価に命を殺し、不条理に命を喰らい、不平等に命を続ける。これが弱肉強食たる世界の不変の原理である。命はただ喰らうために存在している。

 だが、愚かな人間だけは命を尊ぶ。そんなものが腹の足しにもなるはずもないのに、命に価値を背負わせる。それは強者にとって足枷だ。

 

 強さを求めるのであれば、人間である必要はない。

 

 獣になれ。より強い獣に。

 

「…………違う」

 

 否定する。

 心から否定する。

 

「命を嗤うことが強さなら、俺は弱者でいい」

 

 苦難に満ちた世界を、懸命に生きる者たちがいる。

 嘆き苦しみ、嗚咽を枯らし、泥の中を這いながら、それでも気高く生きる者たちがいる。

 背負わされた義務や押し付けられた責任でもなく、ただ純粋にこの手で守れる命があるのならばと、危険を顧みず死地へ飛び込んだ少女がいる。長き眠りについた親友(とも)のために自分の心すら騙し、ほんの僅かな平穏すらも断ち切って、修羅の道を突き進もうとした少女がいる。そんな親友(とも)を想いながら涙を流す少女がいる。

 みんな必死に生きていた。

 みんな誰かを想って、今を生きていた。

 

 なぜ、笑うことができる。

 なぜ、捨てることができる。

 

 強さの意味も理由も知らない。命を奪うことが強さだと言うのなら好きにしろ。だが、あの子たちを弱いとは言わせない。想い願い祈りながら、大切な誰かのために今日を生きていたあの子たちを、涙を堪え続けていたあの子たちの心を、弱いなどと言わせない。言わせてなるものか、絶対に……。

 

「弱くても、惨めでも、俺は、俺のまま、変わる」

 

 生きるということを、何もわかっていなかった。

 自分という存在を、どうしても許すことができなかった。

 でも、こんな紛い物の命だろうと、あの子たちのように少しでも生きることができるのなら──いや、願わくば、()()()()()と言えるなら……!

 

「変わる、何度でも! 俺は……ッ! 変わるんだあああああああああァァァッ!!」

 

 全身の細胞が沸騰したように蠢き、白く冷たい肌に溶岩のような血管が何本も鋭く(はし)る。原形を留めていないほど砕かれた骨格が生え変わるように(ゆが)み、(ほつ)れて萎んだ筋線維が再構築を始める。瀕死の躯体が最期の余力を搾り出して、生物の規範を逸脱した超常的な変異を促そうとしているのだ。

 しかし、それは無謀の試みである。

 骸も同然の臓器が急激な変化に耐え兼ねて破裂するかのような激痛を神経に送る。突如として口内に鉄の味覚が溢れんばかりに拡がり、自制などできるはずもなく吐血する。壊れた雨樋のように一気に地面にぶちまけるそれを見て、勿体ないことをしたと静かに反省する。続く第二波は気合いで喉奥に押し込んだ。

 気色の悪い味だ。腐った肉の臭いがする。今にも吐きそうだ。だが、おかげで五感を思い出してきた。指先の冷たさも、体の気怠さも、傷口を撫でる微風も、見下ろす太陽の日差しも、今は鮮明に感じ取れる。

 

 俺の意志に、俺の命が応えてくれている。

 

 津上翔一は荒ぶる心を鎮めるため目蓋を閉じた。死に物狂いで弾ける心臓の鼓動と骨と肉が激しく擦り合う痛烈な鳴動が聴こえる。それらは自らの身体が崩壊していく死の残響と相違ない。溶け落ちた蝋燭に揺らぐ風前の灯火に油を浴びせるようなものだ。これが終われば灰となって消える。所詮は花火のような一瞬の煌めきに過ぎない。その後には何も遺らない。死ぬとはそういうこと。命なんてそんなものだ。取るに足らないちっぽけなものなんだ。

 

 だからこそ、守るんだ。このちっぽけな両手で、守り続けるんだ。

 

 俺の理由はそれでいい。

 

「変、身ッ!!」

 

 十字を爪で引き裂くようにして、眼前で交差(クロス)した両腕を素早く脇下に引き絞る。喀血するほど容赦なく震わせた爛れた喉で、もう何度叫んだかわかないあの台詞を高らかに宣言するように叫んだ。

 

 変わるために。変えるために。

 

 正義(こころ)の仮面を身に(まと)え、紛い物の仮面ライダー……!

 

「…………っ!?」

 

 その時、不可解な現象が起こった。

 幾多にも連なる(まばゆ)い照明が突如として一斉に閃光を弾かせたように、世界は刹那の光輝によって真っ白に染め上げられ、津上翔一に内在する意識もそれに逆らうことすら許されず呆気なく吞み込まれた。

 白だ。

 何もかも白い。

 自分が落とす影すらも光に溶けてしまいそうなほど闇を拒絶した純白の空間。ここが現実の世界ではなく、単なる幻影でもないことを知りながら、津上翔一は永久に拡がる海の蒼に投げ出されたような心境のまま静止していた。焦る必要はない。ようやく向き合える時がきたのだ。

 

 ()()()()()()、と。

 

 やがて、彼の背後から足音が一定の間隔で刻まれる。

 それはずっと遠くの方から、津上翔一の背中だけを見つめて、迷いなく迫ってくる。

 歩調はゆっくりと慎重に嚙み締めるようだった。まるで、距離を縮めることに恐れを抱いているような消極的な足音であったが、一歩ずつ確実に津上翔一が立つ場所へ歩み寄っている。

 

 俺たちは、すれ違ってすらいなかった。

 

 秘めた想いも叶えたい願いさえも異なっていた。互いの表情すら見えないほど遠く、どれだけ叫んでも声は届かず、理解の外にあるものとして無意識に諦めていた。()()が本当に望んでいるものが何なのか知ろうとすら思わなかった。少し考えれば、わかりそうなものなのに──。

 でも、今は違う。

 素直に認めることができる。

 忌むべき力ではない。拒むべき闇ではない。 

 だから、聞こえる。今まで聞こえることのなかった足音が。

 

 ひたすら前に進み続ける、同じ場所を見つめた戦士の靴音が──。

 

 ()()は津上翔一の(となり)に並ぶと、目的を遂げたと言わんばかりに直向(ひたむ)きな歩みをピタリと止めた。白き世界で横一列に並ぶ人間(ヒト)異形(ケモノ)。互いに交わす言葉もなければ、合わせる視線もない。二つの影は一つの方向だけを真っ直ぐ見据えていた。

 

「俺は、おまえだ」

 

 津上翔一は真横に立つ足音の正体を一瞥して確かめることすらせず、一方的に言葉を投げかけた。

 生きる価値と存在する意味を見出せなかった〝心〟と無価値でも無意味でも生きようと足掻いた〝力〟がある。

 死を許容する側面と生に縋る反面。〝心〟は自身の命を蔑み〝力〟は自身の命に強く執着した。両者は一つの生命(いのち)を形成していたにも(かかわ)らず、最初から噛み合わない歯車として破綻していたのだ。

 しかし、一つ腑に落ちないことがある。

 自己の生命を維持するために必須ではないはずの行為──ノイズの捕食活動を〝力〟は率先して促していた。奇妙な話だった。戦姫の奏でる歌に喰らいつき、聖遺物のエネルギーに涎を垂らすことは〝力〟にとって生存に関わる本能的な行動だ。だが、胃袋を満たせないノイズの捕食は(むし)ろエネルギーの無駄であり、結果的に寿命を削るだけだ。ノイズに飢える必要はない。あれは天羽奏の魂を維持するための活動であって、自己の生存という目的とは大きくかけ離れてしまっている。

 

 では、どういう意図があって、()()はノイズを喰らうことに重きを置いたのか。

 

「そして、おまえも俺なんだ」

 

 ()()()()()()

 それがすべてだった。

 

「いこう。俺たちで、仮面ライダーだ」

 

 人間(ヒト)異形(ケモノ)の影が、呼吸すら重なるようにして同時に一歩目の右脚を踏み出した。

 それに続く二歩目の左脚も同じ歩幅と速度で前方に踏み締める。更に一歩、また一歩と、二つの影は互いの脈拍まで完璧に模倣するように前進する。光と影。表と裏。決して相容れない人間(ヒト)異形(ケモノ)が一つの肉体へ収束するように重なり合っていく。

 徐々に速度を上げる。

 人と獣が合わさっていく。

 白に染まった世界を置き去りにして、絶望に塗り固めた現実を斬り裂くように走り出していく。

 暴力(ちから)だけでは猛き獣に過ぎない。理想(こころ)だけでは弱き人に過ぎない。どちらも欠けてはならない。人と獣の境目。二つが交わるその座標には何がある。思い出せ。忘れてはいないはずだ。その胸にまだ傷だらけの正義があるとして、悪しき闇を討つ覚悟があるとして、その(まぶた)の裏側に命賭して守りたいものがまだ見えているのなら──……。

 

 人と獣の境界線を超えていけ。

 

 それが戦士(ヒーロー)だ。

 

『──w$*<<°h□□a:::t↑??!!』

 

 弾け飛ぶ災害(ノイズ)の肉片。

 戦塵に紛れて舞い上がる遺灰の如き煤。

 何が起きたのか、理解も儘ならぬ動揺が雑兵の悲鳴となって崩壊した工場施設に喧しく伝播する。圧倒的な数で勝るはずの群体が自らの根源に絡みついた畏怖を個に向けて発する。ありえない。あってたまるか。奇跡の一言で片づけていいものではない。地に伏せた屍も同然の人間が、なぜまだ戦う力を取り戻している。なぜ、そんな身体でまだ立ち向かおうとしている──?

 しかし、どれだけ劇的な再起を遂げようと、所詮は朽ちて散るだけの枯葉に違いない。程なくして落ち着きを取り戻す災害(ノイズ)の群体は乱戦を見据えて、ジリジリと()()を取り囲むようにして陣形を展開していく。

 

 対して、()()は微塵も焦燥感に駆られていない極めて自然体の出で立ちを保っていた。

 

 たかが瀕死の戦士と侮るなかれ。

 ここに在るのは、英雄(ヒーロー)気取りの紛い物。

 

 筋骨隆々とした逞しい四肢は鋭く、敵を嬲り殺せるだけの筋肉まで発達を遂げている。腰部に巻かれた金色の超因子(メタファクター)に嵌め込まれた賢者の石は死すら跳ね除けんとする碧の光彩を絶えず放ち、瓦礫の山に異形の影法師を伸ばす。

 真紅の複眼は燃える火のように。

 銀色の双牙は怒れる虎のように。

 片膝をついた異形の戦士は音もなく悠然と立ち上がると、頭部から生えている昆虫のような二本の触覚を解放させ、まさに武神と呼ぶに相応しい徒手空拳の構えにて(ノイズ)の軍団に立ち塞がった。

 

 仮面ライダーギルス。

 

 それが放つ死と立ち会うが如き覇気は今までの比ではない。

 楔から解き放たれた荒れ狂う猛獣に恐れるのではなく、武の頂に達した仙人の超常的な眼力を前に平伏してしまう、格の違いを有無を言わさず理解させるような威圧だ。

 天と地ほどの実力の差を、災害(ノイズ)たちは感覚的に察していた。

 間違いなく、自分たちは狩られる側にいる。

 蛙のような姿を模したクロールノイズの一匹がついに戦線から離脱を試みる。たかが一匹臆した程度では多対一の優勢の構図は崩れない。味方はまだ腐るほど潤沢にいる。何の痛手でもない。

 

 背を見せて敵とは反対の方向へ跳ねたクロールノイズが次の瞬間に聞いた音は、()()()()という自身の躯体から生ずる残虐たる破砕の響きだった。

 上空から突然なにかが降りてきた。

 激震と共に丸太のような膝が槍のように突き刺さり、片手で頭部を掴まれ完全に動きを抑え込まれたのも束の間、抵抗の余地すら与えぬ転瞬の間にて手刀が(はし)り、斬首の如くノイズは捩じ切られてしまう。一切の無駄を省いた冷血な処刑人のような圧巻の性能(キレ)。暴力的とまで言える物量の有利を得たノイズの大群に慄然としたどよめきが駆け巡る。

 敵はたったの1体。

 それも押せば倒れそうな瀕死の状態。

 数的な暴力で畳み掛ければそれで終わるはず。

 

 なのに、何故だ……。

 

 なぜ、どこにも勝機が見当たらないんだ。

 

 再び立ち上がる異形の戦士は、鮮血にも似た災害(ノイズ)の残骸たる煤がついた指をパキパキと折りながら、死に臆さぬ力強い口調で言い放った。

 

「逃げるな。俺も逃げない」

 

 そして、仮面ライダーギルスは走り出す。

 

 何の為に?

 誰の為に?

 

 無論──。

 

「最後まで、生きてみる」

 

 二度と失くさぬために。

 

「生きていたと、胸を張って言うために──ッ‼︎」

 

 もう一度、笑顔で会うために。

 

 




忘れ物は取り戻せないけど
代わりのものはたくさん貰ってきたから

……ということで、ここからはギルスじゃなくて仮面ライダーギルスの戦いです。
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