いくつかの部屋を抜け屋敷のニ階に通じる階段を見つけた私はそのまま階段を昇った。ギシギシと不安気な音を立てる階段は一部崩壊しており、足を踏み外さぬ様に懐中電灯で注意深く足元を照らしながら進んでいった。
階段を昇り切ると、今度は長い回廊になっていた。
やや小走りで回廊を進んでいると小さな扉を見つけ、足を止める。
ここはまだ探索していない部屋だ。
そう思い私は腐りかけた木製の引き戸に手を掛けた。
辺りを見渡すとそこは様々な書物が納められた書斎室のような部屋。
およそ八畳半程の広さの部屋に何個かの本棚が置かれ古そうな書物が所狭しとしまってある。
部屋の中央には埃っぽい机があり、何枚かの
草稿はまだ書きかけのようだな。
この屋敷の住人の書いたものだろうか。
『親友デアル
黒澤八重?
何処かで聞いたような名だ。
いや、待てよ。
心当たりがあった私は自身の黒い手帳に貼ってある古い新聞記事を見た。
八重というのは氷室一族失踪後、新たに氷室邸に移住してきた民俗学者の
しかし気になるのは八重の姓が宗方ではなく黒澤になっていること。
宗方と名乗る前の旧姓が黒澤...ということなのか。
『
確か美琴と言うのは宗方良蔵と八重の間に生まれた娘の名前だったかな。
筆者の視点から推理するにこれは良蔵が書いた草稿とみて間違い無いだろう。
内容をひとまず整理しよう。
八重は元々住んでいた皆神村という村で何かがあって良蔵と共に村を出た。
しかし一緒に逃げていた妹の紗重が村から逃げ遅れてしまい、村共々消息を絶ってしまった。
村全体が無くなるような大きな自然災害に遭って宗方らは命辛々逃げ出してしてきたのだろうか。
しかしそうだとすると一つだけ疑問が残る。
この場合、逃亡を手引きしたという一文の説明が出来ないのだ。
自然災害に遭ったのならば文法上、『逃亡』ではなく『避難』が正しい。
本来逃亡とは義務や束縛から逃げ出すという意味で使われる言葉だからだ。
細かい話ではあるが、仮に逃亡というニュアンスで捉えるなら
駆け落ちか?いや......さすがにこれだけの情報では詳細までは分からない。
もしかしたら真実はもっと悲劇的で残酷な結末だったのかもしれない。
宗方夫妻が氷室邸に移住した正確な日時は不明だが確か1920代の半ば程だったと記憶している。
その点を照らし合わせると草稿にある大地震というのはおそらく1923年に首都圏を襲った関東大震災のことを指すのだろう。
関東大震災で一際被害を受けたのは東京と神奈川だった。
震災によって神奈川にあった自宅が震災に見舞われ住めなくなり、住まいを求めて辺境のこの村を訪れたと考えれば概ね合点がいく。
とはいえ住人が全員謎の失踪を遂げた氷室邸は現代風に言い換えれば事故物件のようなもの。
そんな曰く付き場所にわざわざ移住を決めたのは良蔵自身も氷室一族の謎を解き明かしたかったからと言う理由もあるのだろう。
氷室一族に関しては存在していたことが史実として分かっているだけであって詳細が一切解き明かされていないのだ。
もしその全てを解き明かすことが出来たならそれこそ日本の歴史を塗り替えてしまうような大発見になる。
何より民俗学的見地から見てもこれ程恵まれた題材は他にないだろうからな。
『氷室邸ニ住ンデカラ研究ハ予想以上ノ成果ヲ上ゲテイル。此ノ村デモ皆神村同様
これは縄の巫女と儀式に関する記述か。
この草稿に綴られている裂き縄とは縄の巫女の五肢に縄を掛けて引き裂くことで作られる返り血のこびりついた縄のことだと書かれている。
血のこびりついた縄...それはまさしく今私の体を縛っている縄の特徴そのものではないか。
さらに付け加えるなら、裂き縄の儀式で生贄となった縄の巫女の辿った末路と麓の村で起きた変死事件の被害者の死亡状況も全て一致している。
準星「この触れられざる縄が縄の巫女の呪いの証なのだとしたら彼女の目的は一体......!?」
ふと脳内によぎった懸念に私は戦慄した。
しかしもはや一度生まれた懸念を消すことは出来ない。
これから自分に身に起きるかもしれない身の毛がよだつ程に恐ろしい懸念を。
彼女がしきりに縄を用いての殺害に拘るのは、裏を返せば。
縄の巫女は裂き縄の儀式によって全身を引き裂かれ激しい苦痛の中死んでいった。
生きたまま体を引き裂かれるのだ。その痛みは我々の想像を絶する苦痛だったに違いない。
そんな苦痛を出会った人間に無差別に与えているのならその胸中にあった恨みや無念の思いとは一体どれほどの......
ギャアアアアアア!
準星「っ!?」
悲鳴だ。
今の声は...間違いない。
平坂くんだ。
下の階から聞こえてきたぞ。
まさか既に縄の巫女に...
私のせいだ。
私が氷室邸に行くなどと言わなければこんなことには...
無事でいてくれ平坂くん。
私は悲鳴のした方向へ脇目も振らず駆け出した。