架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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番外編:この世界の日本の航空関係

〈大型空港・国際空港〉

 樺太には、県庁所在地・豊原市の中心部近くに豊原空港が置かれている(3200m級1本、2500m級1本)。しかし、軍民共用である事、利用客の増加から拡大が検討されたが、市内に置かれている事からこれ以上の拡大は不可能とされ、1993年から留多加に国際線用の空港が建設された。1999年に「樺太国際空港(略称・樺空)」として開港し、国際線と一部国内線が樺空に移った(新興航空会社やLCCは、最初から樺空に就航)。規模は3500m級2本だが、計画では3200m級を1本追加予定となっており、その予定地の取得もある程度進んでいる。

 

 丘珠空港が2800m級1本の中型空港となった。これにより、国内線と東側の航空会社は丘珠に、西側及び中立国の航空会社と国際線、乗継用の国内線は新千歳と棲み分けが行われる(新千歳は空軍千歳基地に隣接する為、東側諸国の航空会社の乗り入れを認めていなかった。冷戦後もそれが残っている)。

 

 成田空港は、大きな問題が起こる事無く1978年3月に開港。開港当初は4000mと2500mの2本の滑走から成る。その後拡大し、2019年には4000m級2本、3200m級1本、2800m級1本を備える日本最大の空港となった。これにより、国際線だけでなく国内線の成田移転やLCCの拠点化に役立った。

 一方で、羽田空港の拡張は史実通り行われ、5本目の滑走路の計画も立っている。

 

 新潟空港は、ソ連・東欧・北東アジア(満州、北朝鮮、モンゴルなど)など共産圏方面への路線を集約する為(=羽田・成田に乗り入れさせない為)、主要滑走路の長さを3000mに変更する計画が1970年代後半に立案される(1989年に完成)。同時に、建設中だった上越新幹線の空港乗り入れ計画も立案されるが、こちらは地盤や空港の需要、国鉄の財政悪化などから遅れ、2002年12月1日に新潟~新潟空港が開業した(法律上だと信越本線の一部。現実の越後湯沢~ガーラ湯沢の関係になる)。

 現在、ロシア線は成田への移転で減少しているものの、成田の発着枠の上限から東欧線と北東アジア線、東南アジア線は未だに新潟が多い。特に、経済発展著しい北東アジア各国及び東南アジア各国への路線を航空会社が開設を希望しているが、成田や関空の枠の関係から開設が遅れ気味であり、比較的参入し易い新潟への発着便が増加傾向にある。

 新潟県も海外路線の開設に積極的であり、新潟をPRすると共に発着料の値下げやターミナル機能の強化などを行い、日本海沿岸地域の中心となるべく精力的に活動している。また、沖合に拡張して2500m級滑走路を増設する計画も立てられたが、こちらについては2019年時点では検討止まりとなっている。

 

 関空と中部国際空港は、増え続ける航空需要に対応する為、2015年までにもう1本滑走を増設した(正確には、当初予定の早期実施)。これにより、関空は4000m級1本と3500m級2本(内、1本は横風対策用)、中部は3500m級2本を備える。

 

 福岡空港は、増え続ける需要に施設が対応出来なくなった為、史実の佐賀空港の位置に「九州国際空港(略称・九国)」が2000年に開港(同時に、福岡の表示が「福岡/板付」となり、九国は「福岡/九州」となる)。2013年に拡張が行われ、4000m級2本となりターミナルの拡張も行われた。

 尚、福岡の拡張は史実通り行われる。

 

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〈地方空港〉

 千島の空港は、北から順に幌筵空港(幌筵島)、択捉空港(択捉島)、国後空港(国後島)となる。全て軍民共用となっている。この内、択捉空港は米軍とも共用している為、4000m級2本を備える巨大空港となっている(但し、空港ターミナルは小規模)。

 

 豊原、樺空以外の樺太の空港は、北部の敷香に存在する。空軍との共用で、3500m級2本と規模こそ大きいが、ローカル線の運航が主体となっている。

 

 桶川飛行場を拡張して、2010年に「埼玉空港」として開港。これに伴い、百里飛行場の軍民共用化は流れた為、茨城空港は開港しない(その代わり、百里に在日米軍司令部などが移転し、横田基地は閉鎖。跡地は再開発中)。

 小笠原諸島に空港が出来る。父島沖にメガフロートで建設、2008年に開港した。規模は2000m級1本。

 

 長野飛行場が廃止とならず、長野空港として存続する(松本空港は史実通り)。規模は2300m級1本。主に大阪(伊丹)や札幌(丘珠)、福岡(板付)だが、1999年までは東京線も就航していた。

 佐渡空港が拡張され、2000m級滑走路が建設される。これにより、ボーイング737やA320クラスの飛行機が飛来可能となる。実際、新潟だけでなく東京や大阪から1日数往復就航している。

 静岡空港は、静浜基地を拡張する事で2004年に開港。規模は史実と同じく2500m級1本。

 

 普天間飛行場と伊江島補助飛行場は存在しない。そもそも、この世界では沖縄戦が行われなかった為、沖縄の米軍基地は日本空軍と共同利用している嘉手納基地ぐらいである。

 しかし、伊江島空港は史実通り開港する(但し、場所は史実の米軍伊江島基地とやや西側になる)。後に、沖縄本島北部の開発が進むと那覇空港だけでは需要に応えられなくなり、伊江島空港の拡張で対応する事となった。1992年から拡張工事が行われ、1995年に工事が完了して開港した(同時に伊江港や名護港の拡張、伊江島の道路整備なども行われた)。これにより2800m級1本の空港となったが、開港時期が極東危機直前と悪く、就航路線も少なかった。しかし、後に新興航空会社やLCCの就航が増加し、沖縄本島のセカンダリー空港として活用される。

 

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〈日本航空(JALグループ)〉

 JALと日本エアシステム(JAS)の経営統合、所謂「JJ統合」は行われず(JASは日本インターナショナル航空(JIA)と統合)。その為、JAS系の北海道エアシステム(HAC)と日本エアコミューター(JAC)がグループに入っていない。

 また、中華民国(海南島)と中華人民共和国が国連に加盟している為、日本アジア航空(JAA)は設立されず(史実では、JAAは日中国交樹立によってJALの中華民国乗り入れが不可能になった事で設立された)。

 同様に、この世界ではアメリカによる沖縄統治が行われていない為、南西航空(後の日本トランスオーシャン航空(JTA))の設立状況が史実と異なる。史実では、アメリカ統治時代に運行していたエア・アメリカが撤退する事となり、その受け皿という目的があった。この世界では、沖縄方面の航空網強化を図るJAL側と、県内の航空網を整備して欲しい沖縄県側の思惑が一致した事で設立された。尚、琉球エアコミューター(RAC)は設立されるが、JAS系で設立される。

 以上の経緯から、国内線の規模は史実より小さい。主要幹線と準幹線以外の運行は、JASとJIAとの統合で譲渡された以外はかなり弱い。

 

 JASとの統合が行われていない為、「太陽のアーク」は無く、「鶴丸」が使われ続ける。倒産は史実通り。

 

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〈全日本空輸(ANAグループ)〉

 ほぼ史実通り。

 グループの1社であるエアーニッポンは中華民国線を運行せず、国内線のみとなる。

 

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〈日本エアシステム(JASグループ)〉

 日本エアコミューター(JAC)を設立後、1991年に沖縄・奄美路線と西日本路線を分割、「琉球エアコミューター(RAC)」が設立される。また、北海道・南樺太・千島を結ぶコミューター航空会社として「北日本エアコミューター(KAC)」が設立される。

 

 国際線では、日本と韓国、中国との関係が悪い為、史実で飛ばしていた成田ソウル線、成田昆明線などが軒並み存在しない。一方、満州やベトナムなど、東アジア・東南アジアの社会主義国への路線を拡張した。また、史実よりも成田の発着枠が多い為、アメリカ・ヨーロッパ方面への国際線も多く就航する。

 

 国際線の本数が多い事もあり、史実よりも多い利用客の獲得に成功し、史実よりも経営状況は良かった。

 それでも、元々の規模の小ささや東急グループの整理などの状況から、JIAとの統合が行われる事となった。統合対象をJIAとした理由として、運用している機体がJASとほぼ同じである事(エアバス機とマクドネル・ダグラス機が主力)、同じ航空アライアンスに所属している事(ウイングス・アライアンス(史実では設立されず)に加盟)があったが、最大の理由はJALまたはANAとの統合だと他の2社が太刀打ち出来なくなるぐらい巨大になる事を避ける為、つまり国内での独占状態を避ける為だった。

 一方で、JIAとの統合は「地方路線の独占に繋がる」という意見も多かった。その為、批判を躱す目的と地方路線の競争力維持の為、元JASの路線を中心に地方路線の一部がJALに移管された。

 

 JIAとは「経営統合」となっているが、実際は「JIAによる救済合併」という側面が強かった。事実、設立された持ち株会社の名前が「JIAホールディングス」であり、主要役員のポストはJIA出身者に握られていた。

 その後、2005年に組織の変更が行われ、国際線はJIAに全て移管され、ローカル線はJASに全て移管された(国内幹線と準幹線は共同運航)。社名こそ残ったが、国際線や国内幹線などグループの本流はJIAであり、JASは傍流となった。

 それでも、JAS時代からの機内サービスの強化や観光路線の強化を行い、低価格路線を打ち出すなどして競争力強化を行っている。これにより、JALやANAはもとより、新興航空会社やLCC相手に有利な状況を築いており、JAS派の発言力強化に役立っている(実際、JIAホールディングスの役員交代の際、JAS出身者の役員が数人増加した)。

 

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〈日本インターナショナル航空(JIAグループ)〉

 この会社の設立経緯などについては『40話 昭和戦後④:中外グループ(3)』を参照。

 

 今までローカル線と準幹線が主体だったが、45/47体制崩壊後の1987年に遂に悲願の国内幹線(東京大阪、東京福岡、東京札幌など)にも進出した。また、国際線についても計画され、1989年4月に就航する事も決定した。

 その際、「日邦東西航空」の社名が分かりにくいとして改称する事となった。そこで決定したのが「日本インターナショナル航空(JIA)」だった。余りにも壮大過ぎる名前だが、それぐらいの意気込みを見せなければJAL、ANAと肩を並べる存在にならないとして敢えてつけられた。

 就航を前にした1989年3月に改称し、同年4月に成田台北線、成田サイパン線、成田グアム線を就航し、以降、ハワイ線やシンガポール線など東南アジアやオセアニアを中心に拡大し、1991年にニューヨーク線とロンドン線を開設して本格的に国際線に進出する様になる。

 ここまで進出が早い理由として、JIAの主要親会社に京成、阪急、南急、西鉄がいる為である。1990年代は各社が再開発を行っていた時期で資金的余裕は少なかったが、東急と近鉄を主要親会社としていたJASよりは余裕があった。その為、拡大は早く、経営体制も地方路線の赤字を考慮しても良好だった。

 

 それ以外では、1993年に旭伸航空を傘下に収めた。同時に、社名を「JIAコミューター」に改称し、JIAのコミュータ部門となる。

 

 2002年にJASと統合して「JIAホールディングス」を設立、その傘下に入った。その後、2005年の組織構造の変更でJIAは国際線と国内幹線、国内準幹線を担当する事となった。同時に、JIAグループの主要ポストをJIA派が握った。

 再編後、旧JIAと旧JASの路線を再編成し、就航都市の見直しと新都市就航が行われた。同時に、大規模なリストラも行われ、合わせて高収益体制の構築が行われた(JASも同時に同様の事が行われる)。これにより、JIAの経営状況は安定し、海外旅行客や訪日外国人の増加により増益傾向となる。

 

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〈新興航空会社〉

 樺空を本拠地とする「オホーツク航空(OKA)」が1999年に就航。当初は、北海道国際航空(エアドゥ)と一本化する予定だったが、方向性の違いから北海道と樺太で分割する事となった。

 主要企業が親会社についていなかった事から資金面で弱く、数年で経営危機に陥った。2003年に民事再生法を適用し事実上破綻、再建スポンサーとしてJIAが名乗りを上げた。

 その後、オホーツク航空はJIAの下で再建し、2006年に再生計画を終了した。以降のオホーツク航空はJIAの関連会社となり、樺空・新千歳から本州への便の共同運航が行われる様になる。

 また、ロシアとの関係が改善してきた事から、ウラジオストクやハバロフスクへのチャーター便の運航も行われた(定期運航化は実現せず)。

 

 史実では就航しなかったレキオス航空(レキオス)が就航した。しかし、単独で生き残る事は出来ず、大手航空会社の関連会社として存続する事となった。

 レキオスは2002年に就航したものの、羽田那覇線は国内屈指の混雑路線であり、本数の少なさもあって大手との競争力獲得は難しかった。その後、伊丹線や福岡板付線、国際線として台北線を就航するものの有効打とならず、2005年に民事再生法を適用する事となった。

 そのスポンサーとしてJIAが名乗りを上げ、2007年に再建計画が終了した。その後はJIAの関連会社となり、那覇と本土の地方空港を結ぶ路線、那覇と奄美・宮古・石垣路線、那覇台湾の国際線の運航をJIA及びJASと共同運航を行っている。

 

 また、同じく就航しなかったジャパンパシフィックエアラインズ(JPA)と横浜国際航空(AYH)については、1999年に両社を某社が買収して合併、「ジャパン・ウィングス(JW)」となった。

 当初は羽田を拠点とする予定だったが、発着枠の少なさと着陸料の高さから変更し、成田を拠点とする事となった。また、就航先予定地も伊丹から関空及び神戸へ、丘珠から千歳へ、板付から九国に変更するなどして便数を増やせる方向に変更し、LCCに近い路線を採る事となった(但し、スカイマークと同様、「自社はLCCではない」と宣言している)。

 そして、2005年3月に成田関空線が就航した。その後、順次成田千歳線、成田九国線を就航させ、その後も幹線クラスに路線を増やしていった。2019年現在、JWは成田・中部・関空・千歳・九国・伊江島を本拠地として、日本航空業界における台風の目となっている。

 

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〈格安航空会社(LCC)〉

 春秋航空日本が存在しない事を除けば史実通り。

 

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〈コミューター航空〉

 史実通り。


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