架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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番外編:バブル景気終息後の大手金融機関の再編

 バブル景気後の景気悪化が史実よりも緩やかだった為、金融業界の不安定さも緩やかだった。それでも、景気の後退による業績悪化は免れなかった。それにより、体力が弱い会社は淘汰されていった。また、金融自由化とそれに伴う海外の金融機関に対する競争力の強化を目的に、国内の大手金融機関の統廃合が進んだ。これにより、都市銀行・信託銀行・長期信用銀行といった大手銀行は9グループに集約された。このグループの中には、銀行傘下や繋がりの深い証券会社や消費者金融なども含まれた。 

 

 三菱東京フィナンシャル・グループ(MTFG)と三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)、新生銀行は史実通りとなる。

 

 みずほフィナンシャルグループ(みずほFG)もほぼ史実通りだが、山一證券が廃業しなかった事で、山一證券がみずほホールディングス(持ち株会社は後にみずほFGとなり、みずほHDは業務を変更する)の傘下に入る。これにより、みずほFGの証券会社は最終的に「みずほ山一証券」に統合となる。

 

 UFJホールディングス(UFJHD)は、中外銀行と三和銀行の統合によって成立する。両行との繋がりが深い大室信託銀行と東洋信託銀行、大室證券とつばさ証券も参加する。最終的に、中外銀行が三和銀行と合併して「UFJ銀行」に、大室信託銀行と東洋信託銀行が合併して「UFJ信託銀行」に、大室證券とつばさ証券が合併して「UFJ証券」となる。

 UFJグループの経営状態の悪化は発生しない為、MTFGとの統合は発生しない。

 

 りそなホールディングス(りそなHD)は、大和銀行とあさひ銀行(1992年に埼玉銀行、横浜銀行、千葉銀行が合併して成立。この時、本店は東京に移転。この世界では、横浜銀行と千葉銀行が1971年に都市銀行となった)、北海道拓殖銀行が統合して成立したが、史実より1年早い2001年に統合した。また、りそなHDの成立も、史実の大和銀ホールディングスとあさひの株式交換という形では無く、あさひ・大和・拓銀の株式移転という形だった。同時に、各行と親密な地方銀行・第二地方銀行も傘下に収まった。

 拓銀は1997年に経営破たんしなかったが、地盤である北海道・千島・南樺太での土地融資に注力し過ぎて、不良債権処理に追われていた。大和も、1995年にニューヨークでの事件の影響で傾きつつあった為、りそなの成立はあさひによる拓銀・大和の救済に近かった。

 

 あすかフィナンシャルグループ(あすかFG)は、東海銀行と協和大同銀行が統合して成立した。その後、名古屋の財界の要求で存続行は東海銀行を存続行に「あすか銀行」が成立し、本店は名古屋に置かれる。また、東海銀と協和大同と親密だった各証券会社が統合して「あすか証券」が成立した。

 

 あおぞらホールディングス(あおぞらHD)は、新亜グループの3行である昭和信託銀行、日本動産銀行、日本貿易銀行が統合して成立した。その後、昭和信託銀行を存続行として他の2行を合併して「あおぞら銀行」が成立した。

 

 三井住友トラスト・ホールディングス(三井住友トラストHD)もほぼ史実通りだが、成立時期と前身行が異なる。2001年に住友信託銀行と共立信託銀行が合併して「共立住友信託銀行」となり、2006年に三井トラスト・ホールディングスと共立住友信託銀行が経営統合して三井住友トラストHDが成立する。史実では、この時の経営統合は行われなかったが、業務内容が似るあおぞらHDの存在から経営統合が早められた。

 

●みずほフィナンシャルグループ

・みずほ銀行(富士銀行、第一勧業銀行、日本興業銀行)

・みずほ信託銀行(安田信託銀行)

・みずほ山一証券(山一証券、勧角証券、新光証券)

 

●三菱東京フィナンシャル・グループ

・東京三菱銀行(三菱銀行、東京銀行)

・三菱信託銀行(三菱信託銀行、日本信託銀行)

・三菱モルガン・スタンレー証券(国際証券)

 

●三井住友フィナンシャルグループ

・三井住友銀行(住友銀行、さくら銀行)

・SMBC信託銀行

・SMBC日興証券(日興證券、さくらフレンド証券、明光ナショナル証券)

 

●UFJホールディングス

・UFJ銀行(中外銀行、三和銀行)

・UFJ信託銀行(東洋信託銀行、大室信託銀行)

・UFJ証券(大室證券、第一證券)

 

●あすかホールディングス

・あすか銀行(東海銀行、協和大同銀行)

 

●りそなホールディングス

・りそな銀行、埼玉りそな銀行、横浜りそな銀行、千葉りそな銀行、北海道りそな銀行(大和銀行、あさひ銀行、北海道拓殖銀行)

・樺太りそな銀行(豊原銀行)

・大阪りそな銀行(近畿大阪銀行)

・奈良りそな銀行(奈良銀行)

・和歌山りそな銀行(和歌山銀行、紀北銀行(旧・阪和銀行))

・福岡りそな銀行(西日本銀行)

 

●あおぞらホールディングス

・あおぞら銀行(昭和信託銀行、日本動産銀行、日本貿易銀行)

 

●三井住友トラスト・ホールディングス

・三井住友信託銀行(共立住友信託銀行、中央三井信託銀行)

 

●新生銀行(日本長期信用銀行)

 

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 生命保険でも統廃合が進んだ。しかし、景気の悪化が緩やかだった事から、史実の様な中堅生保の大量破綻は起こらなかった(史実では、1997年から2001年の5年間で7社が破綻。内1社は8大生保の一角)。それでも、中堅生保の統合が進み整理が行われた。

 

 この世界では、史実で経営破たんした協栄生命、千代田生命、東邦生命、東京生命が経営破たんしなかった。史実では、協栄、千代田、東邦の3社は経営破たん後、外資に買収され、現在は「ジブラルタ生命保険」に統合されている。東京は、太陽生命と大同生命がスポンサーとなり、現在は「T&Dフィナンシャル生命保険」となっている。

 

 協栄生命は、戦前に生命保険の再保険を目的に設立された。その後、再保険の拡大、連合国系の生命保険会社の契約の引き受けにより規模を拡大したが、終戦直前に生命保険中央会に合併されて消滅した。

 戦後、生命保険中央会の業務の引継ぎを目的に「協栄生命保険」が設立されたが、経営基盤が弱かったが、自衛隊や教職員向けの保険販売を行う事で業績を拡大した。バブル期には高利回りの保険商品を販売する事で規模を拡大したが、バブル崩壊で逆ザヤとなり不良債権が増大し、2000年10月に経営破たんした。負債総額は約4兆5千億円であり、これは戦後最大の倒産となった。

 この世界では、再建時に新亜グループの人員が入り込んだ事で、新亜グループ入りした。その後、1950年に大正生命、平和生命、大和生命を統合して、新生「協栄生命」となった。新亜グループとの繋がりと、国防軍を対象とした保険の販売で規模は拡大し、1980年代には九大生保で下位にいた三井生命と朝日生命に並ぶ程の規模を有していた。

 その後、三洋生命との経営統合で「KSライフホールディングス」を設立し、その傘下に入った。KSライフHD設立後、協栄生命は企業・団体向けの販売が中心になった(反対に、三洋生命は個人・中小企業向けの販売が中心になった)。

 

 千代田生命は、九大生保の一角であるが、旧財閥系との繋がりは比較的薄かった(一応、大倉財閥に近いとは見られた)。史実では、バブル期に積極的な不動産や株式への注力で資産を拡大させたが、バブル崩壊後はそれが裏目となった。逆ザヤや信用不安による契約解約も重なり、2000年10月に経営破たんした。

 この世界では、景気後退が緩やかな事から資産価値の下落は緩やかであり、不良債権の処理も進んだが、他社と比較して不動産や株に注力していた為、一時は危ない会社と見られた。その為、一時的に信用不安に見舞われ、経営が不安定になった。

 経営安定の為、親密行(東海銀行)からの支援や他社との提携が模索され、昭和生命が名乗りを上げた。その後、両社の統合にまで進み、2000年4月に昭和生命が千代田生命を合併する形で「昭和千代田生命保険」が成立した。

 

 東邦生命は、戦前は「第一徴兵保険」と名乗っていた。これは、徴兵保険(子供が小さい頃に加入し、徴兵されたら保険金が下りる)を専門に扱う生命保険会社で、他に有力な徴兵保険会社として富国徴兵保険(後の富国生命保険)、日本徴兵保険(後の大和生命保険。この世界では協栄生命に合併)、第百徴兵保険(後の第百生命保険。後に経営破たん)が存在した。

 戦後、「東邦生命保険」にすると、自衛隊向けの保険販売を行って業績を拡大させたが、協栄生命や千代田生命と同様となった。外資と提携する事で再建を試みたが、契約解消が止まらず資金不足が深刻となった。1999年6月には債務超過が深刻となり、監査法人が「意見不表明」の報告書を提出し(=「決算を信用出来ない」。上場企業だと上場廃止の基準となる)、業務停止命令を受けて再建が断念されて破たんとなった。

 この世界では、千代田生命と同様、不良債権処理は進んだものの、単独での生き残りが出来なくなる程の状態に追い込まれた。その為、他社との提携で生き残りを図り、大室火災海上保険と昭和火災海上保険の両社が名乗りを上げた。その後、2002年6月大室火災と昭和火災と共に「OSインシュアランスホールディングス」を設立し、「OS東邦生命保険」と改称してその傘下に入った)。

 

 東京生命は、野村財閥系の生命保険会社であった。バブル崩壊後の経営危機時にも大和銀行(戦前は「野村銀行」と名乗っており、野村證券と共に中核)からの支援で再建しようとしたが、財務内容の悪化と大和そのもの経営不安から流れてしまい、2001年3月に経営破たんした。その後、太陽生命と大同生命がスポンサーとなり再建した。

 この世界では、新亜グループ系の大同火災海上保険(史実の同名企業とは異なる)と第一火災海上保険が経営支援を表明した事で存続した。2003年に、大和と親密だった富士火災海上保険と共に経営統合が行われ、「日本トリニティホールディングス」が成立し、社名も「日本トリニティ生命保険」に改称された。

 

●KSライフホールディングス

・協栄生命保険

・三洋生命保険

 

●昭和千代田生命保険(昭和生命保険、千代田生命保険)

 

●OSインシュアランスホールディングス

・OS東邦生命保険(東邦生命保険)

 

●日本トリニティホールディングス

・日本トリニティ生命保険(東京生命保険)

 

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 生命保険の再編と同時進行で、損害保険の再編も行われた。損害保険の方が規模が重視される為、生命保険以上に合併や統合が多かった。

 MS&ADインシュアランスグループホールディングス(MS&AD)、SOMPOホールディングス(SOMPO)、東京海上ホールディングス(東京海上HD)は史実通りとなった。そして、中外グループと新亜グループの損害保険が統合して誕生したのが、OS&NTインシュアランスホールディングス(OS&NT)である。

 

 OS&NTは、OSインシュアランスホールディングス(OSインシュアランスHD)と日本トリニティホールディングス(日本トリニティHD)が経営統合して成立した。OSインシュアランスHDと日本トリニティHDについては多少前述しているが、中核企業はそれぞれ大室昭和損害保険(大室火災と昭和火災が合併)と日本トリニティ損害保険(大同火災、第一火災、富士火災が合併)である。

 両社は2000年代前半に成立したが、その後の損保各社の再々編に乗り遅れまいとして、2009年から経営統合に向けての交渉が行われた。その後、2010年に「翌年までに経営統合を行う」と発表された。そして、2011年10月にOSインシュアランスHDと日本トリニティHDが合併した(存続会社はOSインシュアランスHD)。

 この合併で「OS&NTインシュアランスホールディングス」が成立し、大室昭和損害保険と日本トリニティ損害保険はその傘下となった。生命保険の統合も行われ、OS系のOS東邦生命保険と、NT系の日本トリニティ生命保険が合併し、「OS&NT生命保険」となった。

 

●OS&NTインシュアランスホールディングス

・大室昭和損害保険(大室火災海上保険、昭和火災海上保険)

・日本トリニティ損害保険(大同火災海上保険、第一火災海上保険、富士火災海上保険)


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