架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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番外編:この世界及び中外グループのサッカー事情(~1970年代)

 中外グループは、野球のみならずスポーツ全般で活躍している。サッカーもその一つで、戦前から保有している企業が多い。日本林産や日本鉄道興業(防府工場)などが保有しており、工場以外にも本社が保有しているケースも多かった。特に、大室財閥系の企業は多く保有しており、大日新聞や大室物産、大室重工業(堺工場)に大室化成産業など多くのチームが保有していた。

 過去形の理由は、多くがJリーグに加盟、つまりプロ化した事で解散した為である。一部はプロ化した後に企業チームを再度設立した所もあるが、多くはプロ化によってそのまま解散となった。

 

 これらのチームが設立されたのは野球部が設立されたのとほぼ同じタイミング(1920年代後半から30年代)だが、多くは1930年代後半に設立された。理由は、1936年開催のベルリンオリンピックで日本代表が優勝候補のスウェーデン代表を破った事、1940年開催予定の東京オリンピックに向けた社会人サッカーの強化とそれに伴う社会人サッカーリーグが設立された為である(※1)。

 リーグが盛況だった事、戦時体制に向かっていく事への窮屈さへの反動からサッカー熱は高まり、1938年には関西でも社会人サッカーリーグが設立された(※2)。関西に工場や本社を置く企業のサッカークラブは、この頃にルーツを持つチームが多い。大室重工堺や大室製鉄もこの頃に設立された。

 

 戦後の1948年、戦前に廃止となった関東と関西のサッカーリーグが復活した。復活に伴い、名称をそれぞれ「関東社会人サッカーリーグ」と「関西社会人サッカーリーグ」に変更し(※3)、関東の方は実業団リーグとクラブリーグを統合した。合わせて、実業団サッカーの日本一を決める全日本実業団サッカー選手権大会も開催された。

 この頃には、戦前にサッカーチームを保有していなかった大室電機産業や日林製紙などでチームが設立された。多くが「社員の福利厚生」が目的で設立された為、お世辞にも強いと言えるチームは数える程しかなかったが、時々リーグのダークホースとなるなどして注目される事があった。

 

 だが、当時のサッカーは人気のあるスポーツではなく、大きく注目される事は無かった。また、当時のサッカーは大学サッカーの方が実力があった為、実業団サッカーはまだまだ注目される存在では無かった。

 尤も、そうであるが故に、チームの強化をする企業が多かった。この後、復興景気や朝鮮特需で企業の業績が上向きになり資金的余裕も生まれ、練習量を増やす事も可能となった。だが、その結果が表れるのは1960年代まで待つ必要があった。

 

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 この世界でも、1960年代のサッカーの人気は今一つだった。当時、大衆のスポーツと言えば野球であり、サッカーはマニアックなスポーツと認識された。1964年の東京オリンピックで日本代表がアルゼンチン代表を破ってベスト8入りしたり、1968年のメキシコシティオリンピックで銅メダルを獲得した事で一定の人気が出たものの、その後は日本代表の成績が伸び悩み、それに伴いサッカー人気も再び低調となった。

 一方で、読売新聞、というより正力松太郎が野球に次いでサッカーもプロ化する計画を立てていた。この構想は1949年から存在しており、1955年に「東京クラブ」が設立されたが、プロ化の目処は立たず数年で解散した。

 その後、読売新聞系のクラブチーム「読売サッカークラブ」が1969年に設立されたが、プロ化については日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)がスタートする1993年まで待たなければならなかった。尚、選手のプロ化については1986年から始まっていた。

 この世界では、サッカーのプロ化の目処こそ立たなかったが、読売新聞がサッカーから撤退する事は無く、東京クラブは「読売サッカークラブ」と名称を変更して存続した。実業団チームとなったが方針は東京クラブ時代から変わらず、何れ実現されるであろうプロ化を目指したチーム作りが続けられた。

 

 日本では全国規模のスポーツリーグは野球が最初だが、2番目はサッカーである。現在はJリーグだが、以前は日本サッカーリーグ(JSL)であり実業団チームによるリーグだった。

 この世界では、JSL以前にも関東リーグと関西リーグはあったが、これは地域リーグであり、全国的なリーグでは無かった。JSL開設に伴い、関東リーグと関西リーグはJSLの下部リーグとなり、関東リーグと関西リーグの下部に各都府県のリーグが設立される事となった。

 1965年にスタートしたJSLは、12チームから始まった。史実では8チームから始まったが、中外系が参入を強く希望した事、それに伴い他のチームも参加を求めた事から、急遽枠が4つ追加された。これによって追加されたチームは以下の通りとなる。

 

・大日新聞サッカー部:埼玉県:足立八潮総合運動公園(埼玉県南埼玉郡八潮町(現・八潮市))(※4)

・読売サッカークラブ:東京都:国立競技場、西が丘サッカー場、駒沢陸上競技場

・日本軽金属サッカー部:静岡県:草薙総合運動場

・大室重工業堺サッカー部:大阪府:長居陸上競技場、和泉中央総合運動公園(大阪府和泉市)

 

 その後は、史実のJSL一部のチームが廃部となったり、住友金属や日産自動車、ヤマハなど多くのチームが参入する。だが、最初の枠が多かった事、読売新聞と大日新聞による広告の効果から一定以上の人気を得る事に成功した。それにより参入希望枠の増加が叫ばれる様になり、段階を経て枠が増加され、JSL最終年の1992年時点には1部16チーム、2部20チームの計36チームから成っていた(※5)。

 

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 JSLの開催に伴い、ある問題が生じた。それは「サッカー場の不足」である。これはサッカーが当時の日本におけるマイナースポーツだった事が原因だった。JSL開催時、東京都内で本拠地となり得る場所は国立競技場、西が丘サッカー場、駒沢陸上競技場ぐらいしか無く、周辺部も等々力陸上競技場、足立八潮総合運動公園、大宮公園サッカー場ぐらいしか無かった。しかも、この世界には三ツ沢公園球技場が存在しない為(※6)、尚更サッカー場の不足は深刻だった。

 その為、早急に本拠地としての使用に耐えられるサッカー場の建設が急がれた。その一環で建設されたのが戸塚と磯子の両運動公園で、共に史実の三ツ沢公園並みの施設を有している。その他にも、ニュータウン開発の一環で運動公園の建設も組み込まれ、1970年代から千葉県鎌ケ谷市(千葉ニュータウン)や神奈川県横浜市港北区及び緑区(港北ニュータウン)、大阪府吹田市(千里ニュータウン)など多くのニュータウン開発地域で総合運動公園(とサッカー場)の整備が行われた。

 

 また、民間資本による整備も進められた。大日新聞と京成電鉄が行政と共同で茨城県猿島郡境町と茨城県筑波郡谷田部町(現・つくば市)にサッカー場を建設し、東京を本拠地とする中外グループのサッカーチームの主催試合を行うなど、積極的な活用を行っていた。中外グループのみならず他のサッカーチームの活用も積極的で、三菱重工や本田技研などのチームの主催試合も行われた。

 他の私鉄も、東武が赤羽線沿線の武州大門近くに、名鉄が西濃線と尾西線が乗り入れる森上に、近鉄が花園ラグビー場に隣接する場所に建設するなど、1970年代は官民問わずサッカー場の整備が行われた。

 このサッカー場の整備に力を入れたのが西武鉄道とその親会社の国土計画興業(国土計画を経てコクド、2006年に解散)だった。毎日オリオンズが本拠地とする武蔵野野球場に隣接する場所にサッカー場を含む総合競技場が建設され、他にも狭山線の終点の狭山湖には野球場とサッカー場が建設された。

 サッカー場の整備と共に、自らチームを持ちたいと考える様になった。当時、西武グループはアイスホッケーや野球などのスポーツ振興に力を入れており、サッカーもその一環で参入する事となった。1977年、武蔵野を本拠地とする「西武鉄道サッカー部」、狭山湖を本拠地とする「プリンスホテルサッカー部」がそれぞれ設立された。

 

 これらの整備により、大都市圏におけるサッカー場の不足は解消された。この当時は過剰な整備に批判があったものの、後のJリーグ開始後はホームグラウンドの問題が少なかった事もあり、後に称賛に変わった。

 

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●中外グループのサッカーチーム(1970年頃)

(チーム名:本拠地:ホームグランド)

[旧・大室財閥]

・大日新聞サッカー部:埼玉県:足立八潮総合運動公園(埼玉県南埼玉郡八潮町(現・八潮市))

・大室物産サッカー部:東京都:国立競技場、西が丘サッカー場

・昭和生命サッカー部:東京都:国立競技場、西が丘サッカー場

・協和銀行サッカー部:東京都:国立競技場、西が丘サッカー場

・大室化成産業サッカー部:神奈川県:等々力陸上競技場、保土ヶ谷公園サッカー場、戸塚総合運動公園、磯子総合運動公園

・大室重工業横浜サッカー部:神奈川県:等々力陸上競技場、保土ヶ谷公園サッカー場、戸塚総合運動公園、磯子総合運動公園

・大室重工業堺サッカー部:大阪府:長居陸上競技場、和泉中央総合運動公園

・大室製鉄産業サッカー部:大阪府:長居陸上競技場、和泉中央総合運動公園

・大室重工業徳島サッカー部:徳島県:大室重工徳島運動場(徳島県日出市(史実では成立せず))、徳島県鳴門総合運動公園陸上競技場

 

[旧・日林財閥]

・扶桑製紙サッカー部(元・日本林産サッカー部→日林製紙サッカー部):愛媛県:日林製紙運動場(愛媛県伊予三島市)

 

[旧・日鉄財閥]

・日本鉄道興業サッカー部:山口県:山口県営陸上競技場(現・維新百年記念公園陸上競技場)




※1:これについては、1932年から始まった関東実業団蹴球大会を実業団リーグとクラブリーグに分けて実現。実業団の方は数十チームが参加する程盛況を極め、6部制のリーグとなった。クラブチームの方も15チームによる3部制となった。1941年を最後に廃止。
※2:架空のリーグ。
※3:史実の同名リーグとは異なる。
※4:プロ野球チーム・大日イーグルスの本拠地である足立球場のすぐ近くにある運動公園。大日新聞と京成電鉄による「筑波本線八幡駅周辺をスポーツパークとして開発する」計画の一環として1958年に開場。
※5:史実の1992年時点では1部12チーム、2部16チームの計28チームから成っていた。
※6:史実では建立されなかった神奈川縣護国神社が建立した為。護国神社予定地が後に三ツ沢公園として整備された経緯がある。

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