架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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今回は随分とゴチャゴチャとなってしまいました。その為、非常に読みづらいですが、多少でも理解していただければ大丈夫です。


16話 大正時代②:大室財閥(13)

 1914年8月1日、第一次世界大戦(当時は欧州大戦と呼んでいた)が勃発した。日本は日英同盟により同月23日にドイツに宣戦布告した。この戦争で、日本は直接的に戦火に曝される事が無かった事、ヨーロッパで膨大な物資が消費される事などから好景気に沸いた。これにより、日露戦争後から続いた慢性的な不況は消え、日露戦争で積み上げた膨大な外債も解消される所か、ヨーロッパの国々の国債を引き受ける様になった。

 大室財閥もこの恩恵を受け、物資の輸出や輸送で大室物産と大室海運が急速に拡大し、他の部門も拡大した。しかし、財閥の中枢にいた忠彦・匡彦・淳彦の三兄弟はある懸念があった。それは、「ドイツの潜水艦による通商破壊で、船舶が撃沈される事」と、「工作機械や電気製品など、日本で製造出来ないものが入ってこない事」だった。

 

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 「ドイツの潜水艦による通商破壊で、船舶が撃沈される事」は、日露戦争の浦塩艦隊の悪夢の再来と言えた。浦塩艦隊の様に、日本近海で暴れまわられる事は無かったものの、地中海や北東大西洋ではドイツのUボートが暴れており、連合国に所属する船舶が相次いで撃沈された。当然、日本も例外ではなく、ドイツ海軍によって靖国丸や常陸丸(2代目)などが撃沈されている。大室船舶でも芙蓉丸(日露戦争後に建造された3000t級商船の1隻)が撃沈されており、数十人の死者を出している。

 

 その為、大室財閥は再び「通商護衛の為の組織作り」を提言している。そして今回も日本郵船が加わり、前回とは異なり三井物産や三菱商事、鈴木商店など大規模商社も連名で提出した。

 この提言は日露戦争後に一度、陸海軍と政府に提言している。この時は、戦後不況や理解不足などで研究程度に留まった。しかし、今回はその時とは比較にならない程厳しい戦闘となり、地中海で通商護衛に当たっていた第二特務艦隊に被害が出た事で、司令官佐藤皐蔵を始め通商護衛派が『今こそ護衛部隊の充実を図るべき』と主張した。

 この議論の中で、『日本は通商立国であり、その為には商船が必要となる。しかし、戦争となればその商船に被害が生じる。それを守るのも海軍の仕事ではないのか』という意見が出された。当初は適当に流されるかと思われたが、日露戦争で第二艦隊に所属していた将校の中からこの意見に賛成する者が出た。そして、この賛成の意見に陸軍と政府も好意的に評価した事から、海軍としても反対する訳にはいかなくなった。

 

 この結果、海軍は第一次世界大戦の終結も踏まえて、計画していた「八八艦隊」の計画を大きく変更した。そして、海軍の作戦目的の中に「戦時における商船の保護」が加えられた。

 

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 「工作機械や電気製品など、日本で製造出来ないものが入ってこない事」は、まだ充分な重工業化が為されていない日本にとっては致命傷だった。造船業や製鉄業は勃興したものの、化学や電機の分野では弱かった。そして、当時の電機産業の主要国であったドイツとの戦争は、それらの輸入が完全に無くなる事を意味した。その為、大室財閥が考えたのは、「機械や電機、化学の技術を海外から導入、もしくは模範による国産化」だった。

 

 こうした考えの下1918年に設立されたのが、電機部門の「大室電機産業」と化学部門の「大室化成産業」である。尚、大室電機産業は、大室重工業(堺造船所が他の造船所や機械工場を合併した事で、1917年に改称)から電機部が独立して設立された。また、大室化成産業は、国内の中小化学・染料メーカーを買収・統合して設立した。

 

 こうして、新たに電機と化学を持った大室財閥だが、新設の両社は規模こそ其れなりなものの、技術力が低い事が課題だった。その為、技術力の向上を目的に、海外の同業者からの技術供与を受けた。大室電機には1922年にドイツのAEGから、大室化成も同じ年に同じくドイツのバイエルからそれぞれ出資を受けると共に、技術供与やライセンス生産を認めてもらった。これは、大室物産が戦後ドイツに再進出した際に、ドイツ企業に『日本での営業を強化しないか』と提案した所、敗戦によって困窮状態にあった企業が新たな収入源を欲した事と合致して成立した。また、古河財閥がシーメンスと合弁で富士電機を設立した事も影響した。

 これにより、海外の新技術の獲得に成功し、国内の他社との競争にも有利になると見られた。




この世界の日本海軍が、艦隊決戦一辺倒から転向した理由は、以前も述べた「浦塩艦隊によって、日本近海を荒らされた事」から来ています。次回当たりで、日露戦争後の日本海軍の事について書こうと思います。

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