架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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パソコンが壊れた為、今回はスマホからの投稿です。その為、改行などがおかしいかもしれません。


25話 昭和戦前③:日林財閥(5)

 昭和金融恐慌とその後の昭和恐慌で、日林財閥は(金融を除いて)大きな被害を受ける事無く乗り切った。

 本体の日本林産は、震災復興が一段落付いた事で商品の木材の需要が低下し、売り上げも低下した。その為、本業以外の事業、特に金融(日本林商銀行)と化学(日林化学工業)に注力する事で、多角化の推進と収益源の複数確保を狙った。

 これらの方針は当たり、銀行の方は一時危なかったものの、信頼の獲得に成功した事で預金量を増やす事に成功した。化学の方も日本が軍拡路線に進むと火薬や合成繊維などの需要が急増し、この後急激に規模を拡大させた。これにより、日林財閥の主軸が、林業から化学へと転換される一端となった。

 

 一方、本業の強化も忘れず、付加価値の高い合板の製造も強化した(尤も、合板の製造は日林木工が担当)。これは、間伐材や細い丸太などの価値の低い木材の有効利用と、合板の主要輸入元であるロシアからの輸入が減少した事からだった。

 この結果、今まで捨てるか薪にするぐらいしか利用目的の無かった木材を、商品にして利益を上げる事が出来た。加えて、接着剤の開発促進と合板の製造機械の自主製造という副次的効果をもたらし、化学部門と機械部門の更なる強化という結果となった。これにより、1935年に日林木工は機械・造船部門が「日林造船機械」と、家具・合板製造部門が「日林木材工業」として分割した。

 

 日本林商銀行は金融恐慌時、小規模ながら取り付け騒ぎに遭い、一時は預金の2割が流出するという非常事態が起きた。尤も、本店に頭取が出て『当行は破綻しません』と宣言し、支店にもその宣言書が店頭に貼られた事で利用者は安心した。預金の流出も止まり、流出した預金も戻ってきた上、他行からの預金の獲得に成功し、流出直前の1割増という結果となった。

 しかし、その後の昭和恐慌では、取引先の多くが休業や倒産するといった事態によって貸出金の回収が不可能となり、大量の不良債権を抱える事となった。この時は流石に危ないと判断されたが、日林財閥各社による資金援助と大室銀行からの連携によって、この困難を乗り切る事に成功した。一方、この出来事によって日本林商銀行は大室銀行の子会社的存在となり、戦時統合によって大室銀行に統合される一因となった。

 

 日林化学工業も、大戦後の合成繊維や化学肥料の需要が高まると、その増産の為に設備の増強を行った。加えて、事業の多角化も進め、ソーダやアンモニアの製造にも進出した。その最中に世界恐慌が起きたが、大きな影響を受けなかった。その理由は、恐慌後の満州事変とその後の満州開発によって大きな需要が発生した事で、設備投資や恐慌による負債を返済出来た為であった。そして、満州事変以降、日本の軍拡路線が進むにつれ、火薬や薬品の需要も増加し、日林化学も増収に次ぐ増収となった。これにより、日林化学は日本窒素肥料(現・JNC)、日本曹達、昭和電工に並ぶ化学の大手企業となった。

尚、合板製造の結果、接着剤の技術は大幅に向上し、簡単に剥がれない木材用接着剤も既に製造された。この接着剤は他の合板メーカーにも販売され、国内の合板の「剥がれ易い」というイメージは概ね払拭され。また、接着剤の技術向上は、太平洋戦争中の木製航空機の開発・生産にも大きく貢献する事となった。

 

 金融・化学以外にも、拡大した業種として窯業と鉱業がある。茶碗を作るだけでなく、陶磁器の製法を応用して碍子やスパークプラグの製造に進出した。これは、当時の送電網の整備や自動車・航空機の発展に応じつつ、既存の事業を発展させる事で、事業の多角化と収益源の複数確保を目的とした。

 この考えは当たり、当時、黒部川や北上川などの大型河川の開発が行われ、ダムの建設も含まれていた。その目的は治水がメインながら、発電も含まれていた。これにより、送電線が大量に引かれ、碍子の需要も増大した。この動きは、軍国主義化していくにつれ拡大した。軍国主義化に伴う軍拡によって、兵器の生産の為の電力が必要になる為だった。

 また、軍拡や技術革新によって、自動車や航空機が大量配備され、エンジンに必要なスパークプラグの需要も急増した。これらにより、日林陶器は急速に拡大し、1938年に碍子部門とスパークプラグ部門が「日林特殊陶器」として独立した。

 

 鉱業の方も、軍拡が進むと金属や燃料資源の需要が急増した。その為、日林鉱業の業績は拡大し、新しい鉱山の開発も行われたが、1933年に金属部門を「大室金属鉱山」として大室財閥に譲渡した。これは、日林側は「日本林商銀行の救済の対価」と「繋がりの薄い事業の整理」を、大室側は「自前の金属資源の原料の確保」という思惑が一致した為だった。

 上記以外の繊維、食品も景気回復によって、業績は回復した。また、日本林産の商社部門も、日林財閥の企業の業績が回復するにつれ取引量も増大し、林業を上回る収益を上げた。

 

 日林財閥の業績は一時下がったものの、時流に乗る事が出来た事で回復した。しかし、拡大した方向が本業と離れていた事は、日本林産とその祖業である林業の進展の限界が垣間見えた。


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