架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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33話 昭和戦前⑪:日林財閥(8)

 1937年から中国大陸で続いている小競り合いは、1939年に入っても終わる事は無かった。日本軍の進出地域が、上海や北平、広州など中国沿岸部や満州国境に近い主要都市のみである事から、大陸深く進攻した場合よりも兵員の損失や物資の浪費は少ないが、それでも金属や食糧の不足が見えてきて、不要な金属の供出や食糧の配給、ガソリンや石炭の使用制限が実施された。

 また、1938年にアメリカが第二次海軍拡張法(通称、「第二次ヴィンソン案」)、1940年に第三次海軍拡張法(通称、「第三次ヴィンソン案」)と第四次海軍拡張法(通称、「スターク案」「両洋艦隊法」)が成立し、アメリカ海軍もワシントン・ロンドンの軍縮条約に囚われない拡張が実施されると、対米戦が現実味を帯びた。

 1939年からの第二次世界大戦も合わさり、日本は急速に戦時色が強くなった。

 

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 戦時体制が強まっていくにつれ、日林財閥は大きな利益を上げる様になった。その理由は、日林の事業が軍需と上手く噛み合っている為だった。

 日林の主要事業は林業、木材加工、製紙、化学、金融である。それ以外にも繊維、食品、窯業、造船、機械などがあるが、事業の多くが軍需と密接に関わっている(尤も、軍需と関わらない事業の方が少ないが)。

 

 林業と木材加工(合板)は、軍需物資としての木材の利用価値にある。木材は兵器や建築資材の原料として必要不可欠であり、後述する合成繊維の原料や日常的に使用する燃料としても活用される。また、合板も資材や小型船舶の材料として使用される。

 その為、1938年から木材の増産が叫ばれる様になり、国内では俄かに木材景気に沸いた。そして、木材を得る為に伐採も加速した。同時に、合板の製造も拡大し、日林木材工業は一部の家具工場を合板製造工場に転換した。

 

 日林もこの流れに乗り、大量の木材と合板が供給され、木材関連で過去最大の利益を上げた。これは、日本各地に自前の山林を保有している事、高品質の合板の大量供給が可能な事が大きかった。

 一方で、日林は今までの経験から、過剰な伐採は今後の木材供給量を落とす事、植林しなければ土壌流出に繋がる事を理解していた。その為、今まで通り伐採後は植林を行った。

 しかし、今回は伐採の規模が大きい為、成長が早い樹を中心に植樹する事となった。北海道や東北なら、寒冷な気候でも育つポプラにニセアカシア、スギにクロマツなどを植樹し、中国や四国、九州なら、温暖な気候で育つクロマツやアスナロ、サワラなどを植樹する。

 この時、1種だけ植樹するのでは無く、複数種を組み合わせて植樹する事としている。1種だけだと、その種が病気になった場合、その地域のその種が全滅する可能性がある為である。複数種植樹すれば、1種が全滅しても他が残って森林は保たれるという考えである。

 

 これを、他の林業事業者にも連絡した。『現状、切り出す一方では今後の森林資源調達に支障を来たす」と警告も加えて。

 これに対して、反応はまちまちだった。素直に応じて日林式に植樹する所もあれば、「取り敢えず植樹すれば良い」という考えで1種を集中的に植樹する所もあり、今現在が重要だとして植樹しない所もあるなど統一性が無かった。準戦時という非常事態にあってはそうなるのも仕方ないのかもしれないが、日林としては行動してくれる所があっただけでも安心した。

 

 この時の植樹事業が、その後の林政に意外な変化を生んだ。戦後、過剰な伐採が進んだ森林に対し、植樹を行って土壌の流出を抑える事となった。史実ではスギやヒノキ一辺倒の植樹となったが、この世界では地域にあった植樹や複数種の植樹が行われる様になった。

 また、合板メーカーが史実よりも規模が拡大し、原料も国産を求めた事から、木材の長期安定的な供給を目的に林業の育成が強化される事となった。この結果、日本の林業は多少ながらも競争力を持つ様になり、東南アジアからの合板用木材の輸入は減少する事となった。

 

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 製紙は、洋紙の製造など本業については縮小傾向にあった。実際、効率の悪い工場の閉鎖や分散されている工場の集約によって、一部の工場は閉鎖される事となった。

 その代わり、閉鎖された一部の工場では合成繊維(レーヨン)の製造が行われた。これは、レーヨンの原料であるパルプ、製造過程で用いられる硫酸や苛性ソーダなどの薬品を活用出来る為である。

 その為、パルプや薬品の製造についてはむしろ増加した。また、レーヨンの製造や薬品の増産から、繊維や化学との関係が強化され、特に合成繊維に関するノウハウを豊富に持っている京師繊維との連携は密とされた。

 

 製紙と連動した化学と繊維は、軍拡によって規模が急速に拡大した。軍拡によって、火薬から軍服に至るまで大量の需要が発生する。その需要に応える為、増産と工場の拡大が急務となった。その一環で、製紙工場の転換が行われたが、それだけでは膨大な需要に供給が追い付かない。その為、本業の方でも拡大が行われた。

 日林系の繊維会社である京師繊維は、元々綿や麻などの天然繊維が中心だった。しかし、原料となる綿花やジュート、サイザル麻の輸入量の減少によって、需要に応える事が出来なくなった。その為、天然繊維の代替としてレーヨンの製造を行う事が計画された。

 

 京師繊維は、昭和恐慌時に経営が破綻した、若しくは傾いた繊維会社を合併・子会社化してきた。その中に、レーヨンを扱う企業が数社あった為、レーヨンに関するノウハウがあった。この時は、恐慌によって需要が減少していた事から、増産処か減産が検討されていた。その後、満州事変から景気は上向きになり、繊維の需要も増大し、京師繊維もレーヨンの増産に転換した。

 レーヨンの原料はパルプである為、国内でも充分に原料を供給出来た。また、レーヨンの製造原料となるセルロース(パルプの主成分)や薬品は火薬(ニトロセルロース)の原料となる為、化学への進出も行われる事となった。火薬製造は日林化学工業と競合する分野だが、火薬の需要が急増していた為、両社で生産される事となった。

 

 日林化学は、火薬やダイナマイトの増産だけで無く、合成繊維の研究も強化された。これは、合成繊維のノウハウは提携しているイギリスのインペリアル・ケミカル社(ICI)も保有していない為であり(ICIによる合成繊維の製造は戦後)、自主研究によって合成繊維を開発する事となった。

 火薬については設立当初から行っていた為、増産については工場の拡張や新設を行えば問題無かった。実際、日林化学の既存の工場では、周辺の土地の収用を行って規模の拡張を行っており、それでも足りない分は日林製紙で統廃合の対象となった小規模工場を火薬工場に転換して対応した。

 一方の合成繊維は、1920年代後半から研究を行っていたが大きな成果を上げていなかった。これは、基礎研究や知識の不足という原因もあったが、何より火薬や染料と言った薬品に注力し過ぎていた事が最大の原因だった。その為、日林化学による合成繊維の研究は縮小され、研究成果などは京師繊維に譲渡される事となった。これにより、日林化学は合成繊維から撤退した。

 

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 第二次世界大戦前になり、日林では急速に機械、造船、窯業の生産量、生産額が急増した。これらの事業は日林では傍系だが、軍拡による兵器、兵器を生産する機械など重工業系の需要が急増した事で、これらの事業も拡大する事となった。

 機械と造船を担当する日林造船機械は、エンジン製造の下請けと小型船舶の建造が行われた。但し、木造船の建造経験しか無い為、最初は掃海艇や敷設艇の建造のみだった。その後、日林と繋がりがある大室と日鉄が技術提供をしてくれた事で、海防艦や小型の戦時標準船なら建造可能なノウハウを獲得した。

 

 また、この場合の窯業はエンジンに必要となるスパークプラグや、送電に必要な碍子といった特殊陶器を指す。これらは、航空機やトラックの大量配備や、日本各地で発電用ダムの建設が行われた事で大量生産される事となった。特に、日林製の航空機エンジン用スパークプラグは高性能である事で有名であり、大和航空工業に優先的に供給された。この為、日林特殊陶器は工場の拡大が行われる様になり、千葉と徳島に新工場が建設された。

 

 尚、日林製のスパークプラグの大和への優先供給によって、大和の航空機エンジンを採用する機体が増加した事に危惧した三菱重工業は、三菱入りした森村財閥系の日本特殊陶業に高性能スパークプラグの製造開発を依頼した。結果として、日本の二大エンジンメーカーは二大特殊陶器メーカーを育てる事となった。

 

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 上記以外にも、日本林商銀行や日林火災保険といった金融、日林系の電力事業、皮革も急速に拡大した。

 その一方で、食品事業は材料不足によって一部の商品は減産となった。その代わり、戦地への輸送が容易な缶詰の製造が拡大する事となった。特に、皮革と一体の食肉、水産業が盛んな事から魚の缶詰が大量に製造された。これらの缶詰は兵士達に好評であり、戦後も復員した兵士達によって『日林の缶詰は絶品』という評判が立った。その為、製造当初は一時的なものと考えられた缶詰事業は、日林食品の戦後の主力事業となる程だった。


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