架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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36話 戦時中③:日鉄財閥(6)

 日鉄財閥の中核企業である日本鉄道興業の工場では、大量の機械や兵器が生産された。特に、日鉄の工場では電車や電機の製造経験が豊富な為、電機関係の受注が大量に来た。その為、需要に応える為に既存の設備の拡大や下請けとの連携の強化、外地や占領地での工場の新設と運営などを行った。

 

 日鉄が受注を受けたものの中で特に多かったのが、通信機器と空調機器だった。

 これは、通信技術の向上によって、前線で使用する全ての航空機に安定した性能を持つ航空電話が装備された。また、早くからレーダーの使用が行われた。それらの安定した性能を維持するのに必要な真空管だが、それを製造出来るのが日鉄と東京芝浦電気(後の東芝)の2社だけだった。他の会社も逸品モノであれば同様の性能のモノを製造出来たが、大量生産となると日鉄と東芝に限られた。

 その為、両社による日本における真空管の寡占が進んだが、戦争になると大量の真空管が必要となった。戦争後期の1944年に、両社が持つ真空管の技術を他社に公開する事を軍部が強要した。両社はこれを飲まざるを得ず、東芝は日本電気(NEC)や日本無線(JRC)、川西機械製作所(後に富士通に吸収)などに、日鉄は富士通信機製造(後の富士通)や松下電器産業(後のパナソニック)、大室通信産業などに技術を公開し、技術者を送るなどして増産体制を整えた。

 これにより、高性能な真空管の大量生産体制が整いかけたが、大量生産が始まる前に終戦を迎えてしまい、供給量が揃わないまま終わった。しかし、1944年末から終戦にかけて高性能な真空管の供給量が僅かながら増加した為、本土防空用や機上用レーダーの配備が進んだ事も事実だった。

 

 空調機器の方は、当時はエアコンの製造は無く、冷房も製造されていたが(電車や客車向けに製造経験がある)、専ら扇風機だった。これは、電気があれば何所でも使用出来た事、製造が容易な事、比較的場所を選ばない事などが理由だった。日鉄に限らず、三菱電機や日立製作所などの電機メーカーも扇風機の製造を行い、軍や特殊会社に多数納品した。

 冷房については、大型艦や潜水艦、大型軍用施設(総軍司令部など最重要軍事施設)に限定されていた為、少数生産となった。

 

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 また、海軍との繋がりから船舶用機関の製造経験もある事から、商船や護衛艦用の機関の製造も大量に行われた。しかし、タービンの製造経験しか無かった為、護衛艦用に最も必要とされたディーゼルの製造が出来なかった(代わりに、大室重工業や三菱重工業、川崎重工業が行った)。

 それが変化するのは、1944年に大室重工業が日鉄にディーゼルの技術を提供した事である。これは、商船や護衛艦の大量損失とそれに伴う補充に対し、機関の製造が追いつかなくなった事、燃料の消費を抑える事(同じ馬力なら、タービンよりディーゼルの方が燃費が良い)などから、日鉄もディーゼルの生産を行う事で、少しでも供給量を増やそうというものだった。

 日鉄は、統制型一〇〇式発動機でディーゼルの製造経験はあったものの、それは車輛用であって船舶用では無かった。また、大室が開発したディーゼルは一定の工作精度が要求され、戦時設計で簡略化してもそれなりの精度が求められた。

 その為、製造に間誤付いて予定した量を期間内に製造出来なかった。それでも、ディーゼルの製造経験は大きく、戦後は気動車やトラック用のディーゼルの製造・開発に役立つ事となった。

 

 造船所では、多数の軍艦や輸送船が建造された。今まで、造船部門は利益が出ない分野だったが、日中間の軍事衝突以降、戦時体制が少しずつ強化されていき、対米戦が確実になると、不足しがちな小型艦艇や輸送船の大量建造が計画された。その為、三田尻や千葉、稼働したばかりの大神では連日連夜建造が行われた。

 

 日鉄が建造した艦船の中で最大のものは、大神で建造された大鳳級空母の2番艦「天鳳」だった。1944年に竣工した天鳳は、第三艦隊の主力空母として行動した。

 天鳳以外にも、改雲龍型空母(この世界の雲龍型は、マル急計画で2隻計画され、架空の2番艦「蛟龍」が大室重工業堺造船所で建造、1944年に竣工)である葛城型空母の2番艦「那須」を三田尻で建造している。「那須」は1944年末に完成したが、この頃には空母機動部隊は壊滅状態であり、航空機輸送や哨戒に使われる程度だった。

 因みに、他の葛城型だが、3番艦「笠置」は三菱重工の長崎で、4番艦「生駒」は大室重工の堺で、5番艦「阿蘇」は呉海軍工廠で、6番艦「身延」は川崎重工の神戸でそれぞれ完成し、7番艦「妙義」は三菱重工の長崎で建造中だったが、8割完成した所で終戦を迎え、未完成のまま解体となった。

 空母以外にも、夕雲型駆逐艦を4隻、秋月型駆逐艦を2隻が三田尻と千葉でそれぞれ建造が行われた。また、鵜来型海防艦を4隻、丙型・丁型海防艦や松型駆逐艦を10隻ずつ建造した。

 

 商船や漁船、護衛艦などの建造が行われていたが、上記の様に多数の艦船を建造していた為、既存の施設だけでは需要に追い付かなくなった。その為、日鉄の工場の内、元造船所の工場の土地の一部を活用して、新しい造船所を建設する事が計画された。

 しかし、日鉄単体で行うには余裕が無かった為、土地は日鉄が、ノウハウは日鉄と大室重工が、資金は大室銀行と日本興業銀行が提供し、別会社に行わせる事になった。その目的で1943年に設立したのが「大同造船」である。大同造船の造船所は尼崎と戸畑に置かれ、1944年から稼働した。建造出来たのは海防艦や小型船舶程度だったが、それでも戸畑は丙型、尼崎は丁型海防艦をそれぞれ数隻建造した。

 

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 航空機の生産も活発となった。多くは他の企業の機体のライセンス生産であり、特に愛知の零式水偵が多く生産された。多くは海上警備総隊向けであり、船団護衛や対潜警戒用に当てられた。

 

 一方、自社開発の九七式双発飛行艇は、九七式四発飛行艇(史実の九七式飛行艇)や二式飛行艇の練習機や船団護衛、孤島での哨戒などに使用された。手頃な大きさで整備も容易、信頼性・拡張性が高いなど好評で、多少旧式化している面もあったが、これに代わる機体が無かった事から生産が続けられた。

 一時は、愛知によって双発小型飛行艇が試作されたが(史実の二式練習飛行艇)、九七式双発飛行艇と比較して性能向上が殆ど無かった事から、試作止まりとなった。

 

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 兵器生産を行う一方、輸送力の強化を目的に、鉄道用車輛の大量製造も依頼された。戦時中という事から、極力資材を使用量を抑え、製造工程を簡略化する事となった。一から設計するのは時間が足りなかった為、1930年代から製造していた「日鉄共通規格車輛」を基にする事となった。これにより、国電区間や電鉄会社への大量増備が行われた。

 

 しかし、基が平時の設計の車輛の為、簡易化したとしても限界があった。その為、更に簡略化された電車の設計が運輸通信省(鉄道省と逓信省が1943年に統合)によって行われた。それが63系であり、20m車体に片開き4ドア、薄い外板、座席や屋根板などの内装は徹底的に簡略化など、戦時輸送の為だけに設計された電車だった。日鉄もこの車輛を製造する事となり、日鉄特有の車輛は一旦姿を消す事となる。

 しかし、日鉄の製造担当である初期ロッド150両が終戦までに間に合った事で、戦争末期の輸送力強化に僅かながらに貢献した。また、63系の製造は20m・4ドア車の製造ノウハウの蓄積となり(今まで18m3ドアが最大だった)、戦後も日本車輌や川崎車輛(後の川崎重工業)などと共に日本の大手鉄道車輛メーカーとなる手掛かりを掴んだ。

 

 63系以外にも、D51形蒸気機関車(戦時設計版)、D52形蒸気機関車、EF13形電気機関車の製造も行った。これらは戦争によって生み出された戦時設計の極みと言え、徹底的な簡略化や代用素材の使用、工作精度の低さなどによって低性能は免れなかった。それでも、終戦までにそれぞれ数十両製造(EF13は4両)され、戦争後期・末期の輸送力強化に役立った。

 

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 金融機関の内、日本鉄道銀行は大室銀行に、日鉄火災保険は大室火災海上保険に統合された。これにより、日鉄財閥は自前の金融機関を失い、大室財閥の影響力が強まる事となった。そして、戦後に旧・大室財閥、旧・日林財閥と共に「中外グループ」を形成する事となる。

 

 その一方、日鉄證券は大室證券と合併する事無く独立を保ち続け、戦後は日本鉄道興業と並んで旧・日鉄財閥の中核として歩む事になる。それ処か、中外グループ内で中外銀行(戦後に大室銀行から改称)とグループ内での金融部門の中核を争うまで影響力・資金力が拡大し、グループ内の金融部門が中外銀行派と日鉄證券派に分かれる(住友グループ内の旧・住友銀行と旧・住友信託銀行の関係に近い)程になる。

 

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 日本各地にあった日鉄系の鉄道会社は、他の私鉄に統合されるか国有化された。特に、主要幹線のバイパスになる路線、鉄や石灰岩などの重要資源を沿線に産出する路線、沿線が大規模軍需工場地帯の路線が国有化された。

 その例が、東北鉄道鉱業(石炭・耐火粘土)、南部開発鉄道(鉄鉱石)、中信電気鉄道(鉄鉱石)、防長電気鉄道(石灰岩)であり、それぞれ「葛巻線」、「七戸線・三本木線・五戸線」、「中信線」、「防長線・長門線・三田尻線」となった。これ以外にも、日鉄系の鉄道会社で国有化された路線もある(詳しくは、『番外編:日鉄(+α)による新路線建設』を見る事)。

 尚、これらの会社は路線こそ国有化されたものの、会社そのものは存続している。これは、戦争終了後に路線を戻す予定だった為である。また、鉄道事業以外は買収されなかった為、残ったバス事業や不動産事業を残す目的でもあった。

 

 国有化以外にも、陸上交通事業調整法によって他社に統合された鉄道会社もあった。代表例が、筑波高速度電気鉄道(→京成電気軌道)、南津電気鉄道(→京王電気軌道→東京急行電鉄)、相武電気鉄道(→東京急行電鉄)、南海急行電鉄(→南海鉄道→近畿日本鉄道)である。戦後、南海急行電鉄は独立するものの、多くは合併先の会社の一路線となった。

 一方、日鉄系の鉄道会社が統合した例もある。代表例として、宮城の仙台鉄道、静岡の駿遠鉄道、北陸の北陸鉄道、九州の西日本鉄道がある(詳しくは、『番外編:日鉄(+α)による新路線建設』を見る事)。

 

 因みに、この世界の西鉄もプロ野球団の大洋軍(後の大洋ホエールズとは無関係)を1943年に譲渡され「西鉄軍」としたが、史実とは異なり自主解散しなかった。その為、1944年のプロ野球団の休止の時期まで活動を続け、戦後もすんなり復活した。戦後、西鉄軍は「西鉄ライオンズ」と改称して、戦後のプロ野球で活躍する事となる。


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