架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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番外編:この世界の太平洋戦争

 日本時間1941年12月8日、日本はアメリカ・イギリス・オランダに対し宣戦を布告した。後に「太平洋戦争」と呼ばれる戦争が始まった(当時、日本での公式名称は「大東亜戦争」)。

 開戦初日、日本による大規模攻撃は3つあった。時系列で並べると、陸軍によるイギリス領マレー半島への上陸、第一航空艦隊による真珠湾攻撃、第十一航空艦隊によるフィリピン空爆である。この内、マレー上陸とフィリピン空爆は史実通りとなったが、真珠湾攻撃は大きく異なった。

 

 第一航空艦隊による空襲によって、アメリカ太平洋艦隊は大きな被害を受けた。宣戦布告の知らせを受けた事で、将兵に緊急の配備命令が下った。それにより、真珠湾内では将兵の移動で慌ただしい状況となったが、不幸な事にその時に空襲を受けた。これにより、将兵の被害が甚大となり、約8千名が死亡する事となった(史実では約2千4百名)。

 

 また、艦艇の被害も大きく、戦艦4(「ウェストバージニア」「アリゾナ」「ネバダ」「オクラホマ」)が沈没(修理される事無くそのまま除籍)、戦艦6(「サウスダコタ」「インディアナ」「メリーランド」「ワシントン」「カリフォルニア」「テネシー」)は大破着底となり、他にもドックに入渠中の「ペンシルベニア」が損傷した(「コロラド」は本土のドックに入渠中だった為、無事)。これにより、向こう半年間は太平洋艦隊の戦艦部隊は行動不可能となった。

 ここまで被害が拡大した理由は、先述した緊急配備によって中途半端に人員が乗り込み艦を動かした事、被弾しても対処が遅れた事だったが、一番大きい理由は「真珠湾は攻撃されない」と思い込んでいた事だった。

 

 ハワイ攻撃後、第一航空艦隊は再度攻撃か帰投かで揉めた。再度攻撃派は『ここで太平洋艦隊を徹底的に攻撃して、向こう一年間の行動を起こさせない、東南アジアを完全占領するまでは太平洋艦隊に行動させない』というものだった。一方の帰投派は『既に一定以上の戦果は出しており、航空機や搭乗員の被害も意外と大きく、これ以上の攻撃は無駄になる可能性が高い。また、真珠湾に米空母がおらず、所在が分からない以上、この海域に留まる事は危険』というものだった。司令長官の塚原二四三は双方の意見に一理ある事から、何方の判断を採用するか判断しかねていた。

 しかし、ある報告が塚原長官を判断させた。それは、『敵空母発見』である。これは、真珠湾攻撃後に帰投しようとした機体が機位を見失って彷徨っていた所、偶然アメリカの艦載機を発見した。爆装が確認出来た為、進路と逆の方向に空母がいるのではと考えてそちらに進んだ所、その考えが当たり、空母1(「エンタープライズ」)、重巡洋艦3(「チェスター」、「ソルトレイクシティ」、「ノーザンプトン」)を中核とする第8任務部隊(司令官はウィリアム・F・ハルゼー)を発見した。

 『敵空母発見』の報告を受けて、直ぐに別の偵察機がその方面に向かい、詳細な位置と艦隊編制が送られた。塚原長官は『この好機を逃すな!必ず空母を沈めろ!』と厳命し、帰投した第一次攻撃隊と予備機による空母攻撃隊を編成し出撃させた。

 

 日本側に発見された第8任務部隊だが、出来る事と言えば残っている戦闘機を上げて迎撃する事だけだった。発見される前に、前述の攻撃隊や真珠湾への増援などで半数近くの機体が飛び立っていた。そもそも、第8任務部隊はウェークへの航空機輸送が目的でその帰りだった為、事前の搭載機体も少なかった。

 そうして、日本側の攻撃隊がアメリカの迎撃隊と衝突したが、日本側の方が数・練度共に優れていた為、呆気無く突破された。そして、日本側の攻撃は凄まじく、攻撃30分で空母1、重巡2、駆逐艦1沈没、重巡1大破(後に自沈処分)、駆逐艦2中破という損害を受けて壊滅状態となったが、司令官のハルゼーは何とか無事だった。

 これに対し、日本側の損害は3機未帰還、5機着艦後処分という僅かなものだった。

 『空母撃沈確認』の報告を受け、塚原長官以下第一航空艦隊司令部の面々は当初の目的を全て果たしたと考えた。実際、この作戦の目的である「太平洋艦隊の戦艦部隊を長期間動けないようにし、かつ空母を攻撃する事」は達成されたのである。これによって再度攻撃派も満足し、第一航空艦隊は呉に向けて帰投した。

 

 開戦初日の真珠湾攻撃と空母沈没は、アメリカ海軍にとって大きいものだった。真珠湾攻撃によって、太平洋艦隊の主力部隊は向こう1年間の活動は不可能となった。重油タンクが破壊されなかった事は幸いだったが、戦力が無ければ燃料だけあっても意味が無かった。

 それ以外にも、痛い問題が3つあった。1つ目は、空母沈没によって、当時7隻しか無かった空母(太平洋に「コンステレーション」(史実の「レキシントン」)、「レンジャー」(史実の「サラトガ」)、「ヨークタウン」、「エンタープライズ」、大西洋に「ディスカバリー」(史実の「レンジャー」)、「ワスプ」、「ホーネット」)の1隻が消えた。当時の大西洋はドイツ海軍のUボートが大暴れしていた時期であり、対潜哨戒などに空母が使用された為、大西洋から回すのは難しかった。その後、何とか「ホーネット」を太平洋に回したが、これによってUボートが更に暴れる事となった。また、開戦初頭にいきなり空母を失った事でアメリカが空母の運用に慎重となり、マーシャルやギルバートなどで行われた空母によるヒットエンドランも消極的な運用しかされなかった。

 2つ目に、大量の水兵が1日で消失した事である。水兵というのは技術職でありエリートである為、簡単に補充が効かない存在である。それが1日で8千人も消えたのである。その補充の為には、大西洋艦隊からの引き抜きや教育期間を切り上げて出すしかない。その為、アメリカ海軍は終戦までセイラーの数や練度に悩まされる事となる。

 3つ目に、史実と異なり宣戦布告後の攻撃だった為、「騙し討ち」と言えず、ルーズベルトの支持率も高くなかった為、アメリカ国内での戦争支持率は7割程度(史実は9割越え)だった。その為、国内での非戦論が残り続け、「アメリカの団結」を謳えなかった。

 

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 真珠湾攻撃が順調な頃、東南アジア方面の攻略も順調だったが、イギリス東洋艦隊とアメリカアジア艦隊という懸念があった。

 この世界のアジア艦隊は史実の戦力(重巡洋艦1隻、駆逐艦数隻)に加え、巡洋戦艦「レキシントン」「サラトガ」と重巡洋艦1隻が加わっている。巡洋戦艦2、重巡洋艦2と表面上の戦力は大きかったが、内実は寒いものであった。

 レキシントン級巡洋戦艦は40㎝連装砲を4基備え、35ノットの高速を発揮出来るものの、それは竣工当初の話である。開戦時、一部の装甲の増加や大規模補修を受けていない事、対空砲や航空機銃の増設などで最高速力は32ノットに低下していた。加えて、一部の装甲を強化したとは言え、40㎝砲に対する防御力は主要区画に対しては殆ど無く、それ処か20㎝砲で貫かれる恐れもあった。

 また、充分な訓練を行っていない事から、練度面でも不安があった。

 

 これに対する第一南遣艦隊は、天城型戦艦2隻と穂高型重巡洋艦4隻を主力とした。

 天城型戦艦は、元々巡洋戦艦として竣工したが、1930年代の大改装で装甲の強化が行われて、これを機に種別が戦艦に変更となった。40㎝連装砲を5基備え、30ノットの速力を有する。速力ではレキシントン級に劣るものの、攻撃力・防御力共に天城型の方が上回っており、総合的には天城型の方に分があった。

 穂高型重巡洋艦は、鳥海型重巡洋艦(史実の高雄型)の装甲強化版であり、速力こそ33.5ノットと遅くなったものの、魚雷発射管の拡大によって攻撃力は向上している。また、スクリューの変更によって速力が34ノットに向上するなどの改良も行われている。

 

 両艦隊は、1941年12月10日にマニラ湾沖で接触した。アメリカ側は、宣戦布告を聞いて慌てて出撃準備を行ったものの、その直後に渡洋爆撃を受けた。これによって、キャビテ軍港は使用不可能となり、艦隊にも沈没艦こそ無かったものの、多くの艦艇が損傷した。特に痛かったのが、「サラトガ」に2発の爆弾が命中し、その内の1発が煙突付近に命中した事で、最大速力が27ノットに落ちた事だった。

 それでも、南シナ海やジャワ海での通商破壊やイギリスやオランダ艦隊との合流、港外に出て被害の拡大を防ぐ、進行してくるであろう日本軍の迎撃などを目的に12月9日深夜に出撃した。12月に戦争が始まる可能性が高いと言われていた為、出撃の準備が既に整っていた事が、攻撃後直ぐに出撃出来た理由だった。

 

 しかし、第一南遣艦隊はマニラ湾沖でアジア艦隊を待ち受けていた。事前情報で艦隊の陣容や、航空隊や潜水艦からの報告で艦隊の動向は逐一知らされていた。また、フィリピン攻略の為にはアジア艦隊を排除しなければどうにもならない事が分かっていた。

 日付が10日に代わって30分も経たない頃、「天城」のレーダーが艦隊の反応を捉えた。位置や進路からアジア艦隊である事は明白だった。アジア艦隊は、シンガポールに向かおうとしていた。ここに籠もられるとマレー作戦に支障を来たすだけで無く、浮きドックによって修理される恐れもあった。そうなれば、東南アジア海域をその俊足で暴れる事も考えられた。

 そうならない様に、この一戦で片を付ける必要がある。艦隊司令長官南雲忠一は、敵艦隊への突撃を命じた。

 

 アジア艦隊は、レーダーを装備していなかった事からこの動きに遅れた。25㎞前方に敵艦隊を発見した20秒後に発砲炎が見えた。そして、両艦隊の相対速度は46ノット(日本26ノット、アメリカ20ノット)であり、20分程度で距離が0になる程だった。

 第一南遣艦隊が会敵を前提としていたのに対し、アジア艦隊は終始逃げの姿勢だった。その為、ジグザグ航行によって被弾しない様に回避していたが、それが却って逃走する時間を要する事となった。また、「サラトガ」が被弾によって最高速力が落ちていた事もあり、本来なら勝っている速力でも敵わなかった。

 

 そして、砲撃開始から10分程で、先頭を航行していた「レキシントン」に40㎝砲弾が3発命中した。これにより、「レキシントン」の速力は大幅に下がり、12ノットが限界だった。弾薬庫に火災が回らなかった事は幸いだったが、これによってアジア艦隊は事実上シンガポールへの逃走は不可能となった。

 その後、「レキシントン」は更に3発の40㎝砲弾が命中し、その内の1発が後部主砲塔を貫通し弾薬庫に直撃して爆沈した。「サラトガ」も、2発の40㎝砲弾と突撃してきた重巡洋艦から発射された魚雷を3発喰らって大破、その後自沈した。それ以外の艦艇も、重巡洋艦1隻と駆逐艦2隻が沈没、駆逐艦1隻が大破してキャビテ軍港に引き返した。残った艦艇(重巡洋艦1隻と駆逐艦3隻)は何とか離脱し、蘭印へと逃走した。

 一方の日本側の被害は、「天城」に主砲弾が2発命中したものの、大改装時に装甲を強化した事で小破で済んだ。他の艦艇は被害無しという、日本側の完全勝利に終わった。

 

 このマニラ湾沖海戦によって、フィリピン周辺の敵艦隊は事実上消滅し、同日にマレー沖でイギリス東洋艦隊を航空攻撃のみで撃滅した事から、フィリピン・マレー攻略の障害は事実上消滅した。この2つの海戦に勝利した事で、東南アジア攻略は順調に進んだ。

 

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 東南アジア攻略が一段落付いた1942年3月、連合艦隊ではインド洋に後退したイギリス東洋艦隊の撃破が提案された。開戦劈頭にイギリス東洋艦隊は航空攻撃のみで撃滅されたものの、本国艦隊からの増援によって、戦艦5(「ウォースパイト」、「ロイヤル・ソヴリン」、「リヴェンジ」、「ラミリーズ」、「レゾリューション」)、空母3(「インドミダブル」、「フォーミダブル」、「ハーミーズ」)という大艦隊に戻っていた。この艦隊が、ベンガル湾や蘭印周辺で通商破壊をされるのは厄介であり、順調に進んでいたビルマ(現在のミャンマー)攻略作戦に支障を来たす恐れがあるという判断からだった。

 3月26日、スラウェシ島を出港した第一航空艦隊は、セイロン島攻撃の為出撃した。以降の流れは史実通りだが、日本側が既にレーダーを装備している事が、その後の流れに変化をもたらした。

 

 4月5日16時頃、「比叡」の機上レーダー(練習戦艦から戦艦に戻す際に試験的にレーダーを装備)が航空機の反応を捉えた。上空警戒に当たっていた零戦が向かいこれを撃墜したが、既に『敵艦隊発見』の電報を打たれた後だった。また、機体がイギリス軍艦載機のソードフィッシュであった事、飛行進路から陸上基地からのものでは無い事から、イギリス空母機動部隊の存在が確実となった。

 これにより、空母機動部隊探索の為に急遽、多数の偵察機が艦隊から放たれた。特に、航空機が来た方向への偵察に重点が置かれた。これが功を奏し、翌日の偵察でイギリス東洋艦隊の主力部隊を発見した。その為、イギリス東洋艦隊に向けて攻撃隊が出撃したが、トリンコマリー攻撃に備えての準備をしている最中に「敵艦隊発見」の報告が入った為、陸上基地向けの装備での出撃となった。当初、対艦装備に転換しての出撃も考えられたが、転換中に逃げられる恐れがある事から、対陸上基地装備の第一波攻撃で敵を痛めつけた後、対艦装備の第二波攻撃で殲滅する事となった。

 

 この後、イギリス東洋艦隊は第一航空艦隊から二波の攻撃を受けて、戦艦1(「レゾリューション」)空母2(「インドミダブル」、「フォーミダブル」)、軽巡洋艦1が撃沈された。それに対する第一航空艦隊の被害は、戦艦1(「榛名」)が敵航空隊の攻撃で小破し、航空機10機が未帰還であった。

 再び第一航空艦隊の完全勝利であり、イギリス東洋艦隊はは再び事実上壊滅した。その後、日本は再びセイロン島攻撃を行い、ここで空母「ハーミーズ」を撃沈した。これにより、インド洋東部の制海権は事実上日本のものとなった。また、イギリスはこの海戦で空母3隻失い、以降海上航空戦力の不足に悩ます事となる。


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