架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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番外編:この世界の太平洋戦争②

 1942年4月18日、日本近海に進出した米空母「ホーネット」から16機のB-25爆撃機が出撃した。アメリカは、日本本土を奇襲的に空襲しようとした。

 しかし、この前の段階から日本の哨戒網に探知されていた為、当初予定していた夜間発艦・空襲は取り止めとなった。また、発艦位置も当初予定より遠方となり、航続距離に不安があった。

 

 一方の日本側は、日本近海にまで米空母が進出した事に驚きを隠せなかった。しかし、発見した位置とアメリカの艦載機の性能から、空襲は翌日になると予想した。その前提で日本近海に哨戒網を張った。

 しかし、同日の11時頃、千葉県のレーダーが太平洋方面から東京に向かう複数の航空機の反応を捉えた。陸海軍は、すぐさま関東の各航空隊に迎撃を命じた。

 これにより、数十機の戦闘機が迎撃に上がり、東京や横須賀などの主要拠点では高射砲の準備が完了した。しかし、迎撃に上がった戦闘機の殆どが旧式の九六式艦上戦闘機や九七式戦闘機だった。ゼロ戦や一式戦闘機は前線で運用されており、後方にまで行き届いていなかった。

 その為、武装の貧弱さや速力の面で不安があり、実際、敵爆撃機と接敵しても会敵機会や攻撃機会の少なさで、3機を撃墜した以外は全て逃げられている。また、帝都空襲を防ぐ事も叶わず、川崎や名古屋、神戸など主要工業地帯も空襲を受けた。

 幸いだったのは、大きな被害が出なかった事、横須賀で空母に改装中だった「大鯨」が被弾しなかった事だった。

 

 この空襲で、陸海軍は大混乱になった。陸軍は海軍に防空の不備を批判され、逆に海軍は陸軍に海上迎撃で敵を捉えられなかった事を批判された。

 また、この空襲によって、2つの計画が実行に移された。一つは、海軍は敵空母殲滅を目的としたミッドウェー作戦を検討する事になる。但し、その前に米豪分断作戦の一環であるポートモレスビー攻略がある為、それが一段落する6月以降に実行する予定となった。

 もう一つは、今まで陸海軍で独立していた本土防空を、新設する「統合防空総司令部」の下で一元化する事となった。本土防空では陸軍の方が主となる為、司令官は陸軍、副司令官は海軍から出す事となった。同時に、陸海軍は防空用の戦闘機(陸軍は重戦闘機、海軍は局地戦闘機)の共同開発や配備を推し進める事となった。

 

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 4月18日の本土空襲によって、ミッドウェー作戦が急遽立案されたが、その前にMO作戦(ポートモレスビー攻略)が実行に移された。この作戦にも空母を用いる事になっていたが、第一航空艦隊の空母は今まで大規模作戦を実施し続けていた為、艦の整備や航空隊の補充などを行わなければならない程疲弊していた。その為、この作戦に参加する予定だった第五航空戦隊の「翔鶴」と「瑞鶴」が参加出来なくなった。

 そこで、代わりに参加する事になったのが、「隼鷹」、「祥鳳」、「瑞鳳」の3隻の軽空母である。史実の「隼鷹」は同年5月初頭に竣工したが、この世界では工業力の向上や早期の戦力化を目的とした工事の促進によって、4月中頃に竣工した。これにより、「隼鷹」と「瑞鳳」を第三航空戦隊に臨時に編入した。

 しかし、完成を急がせた為、一部の工事が完了していなった。また、航空隊の手配が追い付いていなかった為、「鳳翔」や「大鷹」の艦載機を回したり、第一、第二、第五航空戦隊から配置転換させたり、訓練を一部繰り上げて編入するなどして、何とか90機程度を配備する事が出来た。

 尤も、搭乗員の多くの練度が低い事、新型機が少ない事(大半が九六式艦上戦闘機と九七式艦上攻撃機、一部には九六式艦上爆撃機や九六式艦上攻撃機も見られた)から、何処まで戦力となるかという不安があった。

 その代わり、ラバウルでの戦力増強が順調に進んでいた事(この世界では、アメリカが緒戦に空母を失った事で、珊瑚海方面でのヒットエンドランが行われなかった。これにより、2月のニューギニア沖海戦が発生していない)から、ラバウル航空隊による支援が見込めた。

 尚、ポートモレスビー攻略部隊とラバウル航空隊の指揮系統の違い(ポートモレスビー攻略部隊は井上成美中将の第四艦隊麾下、ラバウル航空隊は草鹿仁一中将の第十一航空艦隊麾下)から、「臨時措置」としてこの作戦中に限り、ラバウル航空隊の指揮命令権を第四艦隊に移している。

 

 これに対しアメリカ側は、暗号解読によって日本がポートモレスビー攻略を実行しようとしている事を把握したが(予算・人員の増加によって、暗号解読の精度が向上、この頃には史実と同程度の精度を持つ)、ここに回す戦力の問題があった。「エンタープライズ」は既に沈没し、「ヨークタウン」と「ホーネット」は本土空襲の帰りで珊瑚海に回せない。「レンジャー」(史実の「サラトガ」)は修理中で動かせず、「ワスプ」と「ディスカバリー」(史実の「レンジャー」)は大西洋だった。そうなると、消去法から「コンステレーション」(史実の「レキシントン」)しか無かった。

 アメリカは「コンステレーション」を派遣する事となったが、空母が危険に晒された際はどうするかが問題となった。ここで空母を失う事は今後の作戦に支障を来たす為だが、同時にポートモレスビーを失う事も同様に今後の作戦に支障を来たす恐れがあった。

 

 5月1日、ポートモレスビー攻略部隊がトラック諸島を出撃した。これを受けて、アメリカも「コンステレーション」を中心とした第11任務部隊を珊瑚海に派遣した。7日、予定海域に進出した第二航空艦隊は、周辺海域の偵察を行い、居るであろう米機動部隊を探した。日本時間5時30分、発進した偵察機からの『敵艦隊発見』の電文を受け取った。

 しかし、その報告が「空母、重巡洋艦、油槽船」という歪な艦隊編制から、これが本当の報告か分からなかった。その為、再度同地域の偵察を行う様に命じた所、『空母は誤り、油槽船と駆逐艦のみ』という報告が入った。これにより、機動部隊発見とはならなかったが、油槽船がいる事から確実に艦隊がいると判断され、小規模の攻撃隊を向けると共に(2隻共撃沈)、より一層の偵察が行われた。

 6時50分、待望の『敵空母発見』の報告が届いた。しかも、詳細な艦隊内容や位置まで報告されるなど、確度が非常に高いものだった。第三航空戦隊司令官角田覚治は直ちに攻撃隊発進と、ラバウル航空隊にも出撃を依頼した。

 一方のアメリカも、6時15分にポートモレスビー攻略部隊を発見しており、こちらも直ぐに攻撃隊を発進させている。初めての本格的な空母機動部隊決戦が始まろうとしていた。

 

 初めての機動部隊決戦は、日本が制した。

 日本側は、艦載機部隊の練度の低さから、第一波攻撃隊は「コンステレーション」に対して爆弾2発、魚雷1発しか当てられなかった。しかし、その後のラバウル航空隊による第二波攻撃によって更に爆弾2発と魚雷1発を命中させた。これによって、「コンステレーション」は継戦能力を失い、ガソリンタンクが損傷して、艦内に気化したガソリンが充満した。艦載機第二波攻撃隊の爆弾1発がダメ押しとなり、「コンステレーション」は大爆発を起こした。アメリカ側には「コンステレーション」を曳航する余裕が無い事から、駆逐艦によって自沈処分となった。

 アメリカ側も練度の低さから、当初の目的だった輸送船団を見失った。代わりに発見した機動部隊に攻撃を仕掛けたが、日本は「隼鷹」に装備されているレーダーによってこれを探知しており、迎撃機を多数発艦させてこれを妨害した。それでも、「祥鳳」に2発の爆弾を命中させてこれを大破させている。「祥鳳」は、一時は自沈が検討される程の被害を出したが、賢明な消火活動によって沈没だけは避けられ、護衛を付けてトラックに引き返した。

 

 アメリカは敵空母1隻を大破させたが、逆に空母1隻を失った事で妨害能力を失った。これにより、日本は珊瑚海の敵機動部隊を撃滅したとしてポートモレスビー攻略を続行した事で、目的のポートモレスビー防衛も失敗した。実際、日本は11日にポートモレスビー攻略を実施、16日には陥落させている。

 これにより、日本はオーストラリア攻撃の前進基地を得たと同時に、ラバウルの後方支援基地化に成功した。また、(日本側の視点で)大量の物資や重機を獲得した事で、ポートモレスビーの基地能力の強化に役立った。

 逆にアメリカは、オーストラリア防衛という負担が圧し掛かる事となった。実際、ポートモレスビー陥落後直ぐに、オーストラリア北東部では日本軍機との戦闘が頻発する様になった。

 

 一方、日本はこの作戦での反省点として、空母の脆弱性と各部隊との連携の不備が問題となった。これを受けて、空母の不燃化工事の順次実施と、部隊間連絡を円滑にする法令の整備が行われる事となる。

 

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 ポートモレスビー攻略が成功し、次はミッドウェー作戦となった。この作戦の目的は、第一に出てくるであろう敵空母の殲滅、第二にミッドウェー島の攻略であった。これは、当初はミッドウェー島を攻略して哨戒圏の前身を目的としたもののを、4月18日の本土空襲によって連合艦隊司令長官山本五十六が「敵空母殲滅」を半ば強引に加えた為だった。

 この作戦の要である第一航空艦隊は、インド洋作戦以降休養や整備に注力していた為、艦艇については練度は元に戻った。一方の航空隊は、損耗や多方面への異動によって半数近くが入れ替わっていた。その為、練度の低下が懸念されていたが、艦隊の整備中に猛訓練を行った事で、真珠湾攻撃時程では無いものの高い練度を獲得した。

 

 5月27日、第一航空艦隊は柱島を出撃、2日後に山本長官直卒の連合艦隊主力部隊と第一艦隊が出撃した。この時の艦隊の内容だが、第一航空艦隊は「榛名」がインド洋海戦で損傷した為抜けており、その代わりに「扶桑」と「山城」が編入された。この2隻は、改装によって速力が向上しており、対空火器も増強され、何よりレーダーを装備している事から、空母の護衛に最適と判断された。

 一方の主力部隊は、燃料不足から「大和」、「加賀」、「土佐」、「長門」、「陸奥」の5隻となり、「伊勢」と「日向」は国内待機となった。また、艦載機が無い事から「鳳翔」の参加も見送られた。

 尚、ミッドウェー作戦に呼応する形のアリューシャン作戦は、珊瑚海海戦での第三航空戦隊の損耗から稼働可能な空母が無い為、アッツ、キスカ、アダックの各島への上陸作戦に変更となった。

 

 一方のアメリカ側は、偽電文に日本が引っ掛かった事から攻撃目標がミッドウェーである事、その主戦力が真珠湾を攻撃した機動部隊である事を突き止めた。その為、ミッドウェーに送れるだけの増援を送ったが、それでも戦力不足と見られた。ミッドウェー島の航空機は増援を含めて総計100機、無理を押して派遣する3隻の空母(「ヨークタウン」、「ホーネット」、「ワスプ」)の艦載機は約240機、合計で350機程度だった。しかしに、日本側は約400機あり、練度でも日本側の方が優れていた。

 

 6月5日1時30分、ミッドウェー沖に展開した第一航空艦隊は、ミッドウェー島攻撃隊を出撃させた。一撃を以てミッドウェー島の戦闘能力を消失させ、現れるであろう敵空母機動部隊を捕捉・殲滅する事を目的とした。

 実際、ミッドウェー島は攻撃隊によって戦闘能力をほぼ消失し、攻撃隊もこれを確認している。その為、第二次攻撃は行われず、以降は偵察に専念した。

 4時30分、偵察機が『敵らしき艦隊発見』の電文を打ってきた。内容が曖昧だった為、本物かどうか不明だったが、その方面に偵察機を放ってその真偽を確認する事となった。そして、5時15分にその方面に向かった偵察機から『敵艦隊発見。空母を含む十数隻の艦隊』とその詳細な位置の報告が届いた。最初に報告してきた機体の位置とは大分離れた場所にいたが、空母が出てきたのは好都合だった。

 直ぐに攻撃隊に対艦兵装の装備を行い、発進準備に取り掛かったが、同時にミッドウェー攻撃隊も戻ってくる時間だった為、飛行甲板では攻撃隊の着艦を、格納庫では対艦兵装の装備と飛行甲板へ上げる準備で忙しくなった。6時30分までに攻撃隊は全機着艦し、7時には全空母で敵空母攻撃隊の発艦準備が整った。そして、全空母の攻撃隊は7時25分までに全機発艦、次いで直掩機のゼロ戦が発艦した。

 

 空母攻撃隊が全機発艦した直後、「比叡」や「扶桑」のレーダーが中空から侵入する航空機を探知した。敵空母から飛来した艦爆(SBDドーントレス)だった。この時、多くの直掩機は雷撃機への対応で低空に降りていた為、この攻撃は奇襲になるかと思われた。

 しかし、新たに発艦した直掩機が艦爆に向かった事で、奇襲を受ける事は無かった。それでも、全ての艦爆を落とす事は出来ず、十機程度が艦隊上空に襲来した。対空砲火や直掩機の妨害をものともせず、数機は空母に爆弾を投下した。これにより「愛宕」と「蒼龍」に爆弾が1発ずつ命中した。

 しかし、多くの機体が出払っている事、艦内の機体の多くが燃料が無かった事などから、延焼する事は無かった。「蒼龍」は防御力の低さから中破となったが、「愛宕」は当たり所が良く、爆弾で空いた穴を塞げば戦闘状態に復帰出来た。

 

 敵空母に向かった攻撃隊だが、最初の攻撃で「ワスプ」を撃沈し、「ヨークタウン」と「ホーネット」を中破させた。100機以上(内3分の1は戦闘機)による攻撃は凄まじく、一撃で敵空母は戦闘能力を失った。それでも、空母を完全に撃沈出来なかった事、巡洋艦などの艦艇がまだいる事から、攻撃隊隊長は『再度攻撃を要す』と打電した。塚原長官も『叩ける内に叩くのが戦いの常道』として、ミッドウェー攻撃隊を休養・整備の後に第二次攻撃隊に編成した。

 9時に第二次攻撃隊が発艦し、1時間後には敵艦隊を視認して攻撃に移った。その結果、残っていた空母2隻を撃沈し、重巡洋艦3(「アストリア」、「ニューオーリンズ」、「ペンサコラ」)と軽巡洋艦1(「アトランタ」)、駆逐艦2を撃沈、若しくは大破させた(大破した艦は後に自沈処分)。これ以外にも、重巡洋艦1(「ミネアポリス」)が中破して航行可能だったが、ハワイに撤退する途中で伊168の魚雷攻撃によって沈没した。

 

 2度の攻撃で、米機動部隊は壊滅した。これにより、敵艦隊は海域から撤退し、ミッドウェー島攻略の障害は無くなった。5日夕刻に主力部隊もミッドウェー島沖に到着し、ミッドウェー島に対して3回の主砲斉射を行った。大口径砲の直撃を受けたミッドウェー島守備隊は、この攻撃によって完全に抗戦の意思を失った。翌日に行われた上陸でも、抵抗の意思を見せる事無く降伏した。

 ミッドウェー作戦は、日本の完全勝利よって完遂した。

 

 この作戦で、日本は目的だった米空母を太平洋から一掃した。また、ミッドウェー島攻略に成功し、ハワイに対するプレッシャーを掛け続ける事となった。

 一方、この作戦後の7月13日、山本五十六は連合艦隊司令長官を解任され、同日付で軍令部総長に親補された。これは、彼の我儘をこれ以上聞けなくなった事、彼の能力上、実戦部隊の長よりも軍政又は軍令の長の方が良いと判断された事だった。これにより、永野修身は軍令部総長を退き予備役に編入され、後任の連合艦隊司令長官は豊田副武が親補された。

 逆に、アメリカ太平洋艦隊は手持ちの空母を全て失う事となった。また、ミッドウェーが占領された事でハワイの防備を固める必要が生じ、大量の航空機や対空砲、数個師団が張り付く事となった。これにより、この後に発生するソロモン方面での戦闘での枷となった。


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