架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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番外編:この世界の太平洋戦争⑥

 1944年2月17日、アメリカ機動部隊はトラック諸島を空襲した。これは、今後半年以内に実行されるマリアナ諸島攻撃の為の前準備として、マリアナ諸島の後背に位置するトラック諸島を無力化するものだった。

 しかし、絶対国防圏の外側に指定された為、この地域から日本軍の主力は既に撤退しており、トラックには航空隊(約300機。殆どが戦闘機であり、多くがラバウルやソロモンから撤退した部隊)と小規模の輸送船団と護衛艦、数隻の潜水艦が存在するのみだった。そして、少数ながら電探監視哨(レーダーサイト)が存在した為、接近してくる敵機の存在を確認出来た。

 

 空襲の結果だが、両軍の被害は甚大だった。

 アメリカ軍は、空母の数が少なかった事(空母4、軽空母2。史実の3分の2の戦力)、現地航空隊の抵抗が激しかった事が理由だった。その為、航空機約400機の内、半数近く(232機)が撃墜されるか帰還後に処分する事となった。それに加え、現地航空隊で僅かに存在した攻撃機と昼間に退避した潜水艦による夜襲を受け、軽空母1と駆逐艦2が沈没し、空母1が中破するなど大損害を受けた。

 日本軍も無傷では無く、現地航空隊の3分の2以上の約220機が撃墜されるか地上撃破され、トラック諸島の航空戦力がほぼ消滅した。また、現地にいた艦艇・船舶合わせて7万トンが沈没か着底した。その他の燃料や食糧など各種物資にも大きな被害が生じ、トラック諸島の継戦能力は大幅に減少した。

 

 この空襲で、アメリカ軍は機動部隊の戦力を大幅に減らす事となった。これにより、空襲後に予定していた戦艦部隊による艦砲射撃は中止となり、トラック空襲後に予定していたマリアナ諸島の空襲も中止して撤退した。その後、失った航空戦力の補充に奔走する事となり、約2ヶ月間は活動する事は無かった。

 一方の日本軍も、トラック諸島の航空戦力の再建はほぼ不可能と判断して、現地からの撤退を検討していたが、それより早くアメリカ軍によるマリアナ諸島侵攻が行われた為、撤退も不可能となった。

 

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 1944年6月11日、アメリカ軍はマリアナ諸島のサイパン島に大規模な攻撃を行った。戦艦11(内、高速戦艦は3隻)、空母8、軽空母8、護衛空母14、巡洋艦24という大戦力だった。

 尤も、戦力と比較して、練度は決して高くなかった。航空隊は2月のトラック空襲の後遺症から数を揃える事を優先した為、練度の向上にまで手が回っていなかった。特に、地上支援が主任務の護衛空母の艦載機はそのしわ寄せを受け、艦隊用の高速空母に大量に引き抜かれたりして、一時は戦場に出す事すら難しいと判断される程、練度の低下が著しかった。

 艦隊の方も、未だに開戦時からのセイラーの大量喪失の後遺症と、1944年になってから急速に艦艇が竣工した事によって、練度の向上が見られなかった。また、今までの戦闘によって佐官クラスが大量に失われた事で、戦隊指揮官の不足も著しかった。その為、大西洋艦隊からの引き抜きや、駆逐艦の艦長を昇進させて指揮させるなどして(駆逐艦の艦長は商船隊から充てる)、何とか頭数を揃えたが、経験不足などから実戦での不安が常に付きまとっていた。

 また、マリアナ方面を優先した為、ニューギニア方面の作戦は一時中断となった。この為、東部ニューギニアやビアク島の上陸作戦はマリアナ方面の作戦が完了した後に実行する事となった。一説には、この方面で作戦を行わなかった事が、マリアナ戦で米軍が敗北した一因と言われる様になる。

 

 最初に艦載機による空爆から始まったが、日本側の迎撃が凄まじく、約300機が撃墜されるか帰還後に破棄された。これは、この作戦で投入された艦載機の2割近くに及び、この後の戦闘に支障を来たすレベルだった。また、艦載機の損害が大きい事から、戦艦を始めとした水上艦艇による攻撃が早められた。

 一方の日本側の被害も凄まじく、迎撃に上がった機体約350機の内、250機が失われた。それ以外にも、地上にいた各種航空機計400機の半数が撃破された。これにより、この地域の基地航空隊を統括していた第一航空艦隊の戦力は半減したが、完全に無くなった訳では無かった為、この後の戦闘で活躍する事となった。

 

 アメリカ軍のサイパン侵攻を受け、6月15日にタウイタウイ泊地を出港した。タウイタウイは、水深が深い上に無風状態が多い事から空母機動部隊が訓練するには不向きだったが、蘭印に近い事から燃料の確保がし易い事、マリアナ諸島や東武ニューギニアの双方に進出し易い事から、1943年後期からここで猛訓練が行われていた。また、対潜戦の訓練も同時に行われ、実際にタウイタウイに偵察・襲撃に来た潜水艦を数隻撃沈している。これにより、航空隊の練度は向上し、開戦時程では無いにしろ高い練度を持った部隊となった。

 その一方、航空母艦の数が多い事から、戦力の補充には時間が掛った。第二次ミッドウェー海戦で「蒼龍」を失ったものの、真珠湾を攻撃した残る5隻は残っており、1944年に入ってから「大鳳」、「天鳳」、「雲龍」、「蛟龍」が相次いで戦力化した事で、大型空母は計9隻あった。軽空母の方も、「飛鷹」や「隼鷹」以下各種合わせて9隻と、合計18隻の艦隊用空母が存在した。空母の数が多い事、後方支援能力や育成能力の低さから、どの空母も定数割れしていた。それが解消されたのが、5月末だった。

 

 日本海軍が出撃した日、アメリカ軍はサイパン島上陸を開始した。前述の艦砲射撃によって多くの陣地を破壊したかと思われたが、損害は軽微であり、上陸してきた部隊に対して激しい銃砲撃を加えた。これは、兵力や武器、砲弾や食糧、コンクリートなど各種物資の輸送が順調だった事で、陣地構築が進んでいた為だった。

 連日の激しい攻撃に晒されながらも、日本軍守備隊は連合艦隊が来る事を信じて必死に抵抗した。そして、18日に第二・第三艦隊がマリアナ沖に進出し、マリアナ諸島・パラオに対して「あ号作戦開始準備よし」の電文が打たれた。

 

 この電文を受け取って直ぐ、艦隊と全航空基地から偵察機が放たれた。濃密な偵察網を形成した事が功を奏し、正午前にテニアン島の偵察機が米機動部隊本体を発見した。先手必勝と言わんばかりに、第三艦隊、マリアナ諸島から航空隊が全力出撃した。そして、後詰めとしてパラオやヤップの航空隊はグアム島に展開した。

 アメリカ軍も第二・第三艦隊から発せられた無電を傍受し、近くに日本艦隊が来た事を知った。フィリピン沖に展開していた潜水艦からの報告が無かった為(日本の駆逐艦に沈められるか追い掛け回されて連絡出来なかった)、日本側の展開は予想外だった。その為、慌てて偵察機を出したものの、日本艦隊を発見する事は出来なかった。

 

 18日の戦闘はマリアナ諸島の残存航空隊が第一波攻撃、第三艦隊の艦載機が第二波攻撃となった。お互いが連携を取らずに出撃したが、偶然にも第一波攻撃の最中に第二波攻撃隊が襲来した為、米艦隊は統制の取れた迎撃を取れなかった。

 しかし、米艦隊の対空砲火は濃密で、多くの攻撃機が撃ち落された。実際、第一波攻撃の攻撃機の8割、第二波攻撃の攻撃機の6割が撃墜か帰還後に破棄となり、合計で350機が未帰還となった。

 それでも、空母1、軽空母2が撃沈され、空母2、軽空母2が損傷した(大型空母2は復旧して戦線に残る)。航空機も、艦内で破壊されたものを含め250機が撃墜か艦内撃破となって使用不可となった。

 その後、夕方になった事からこの日の戦闘は終了したものの、航空隊の帰還が夕方から夜になると見られた為、危険を承知で探照灯を付けて航空隊を誘導した。その結果、アメリカの潜水艦が第三艦隊周辺に寄ってきた為、対潜戦闘も繰り広げられた。幸い、潜水艦が艦隊中心部にまで寄ってこなかった為、空母の被害は無かった。

 

 翌19日、両軍は早朝から偵察機を出して、敵機動部隊の位置を探していた。そして、午前中に日本が米機動部隊を発見したが、その距離が非常に近距離だった(航空機で1時間半の距離)。これを受けて、全空母から全力出撃を行い、基地航空隊にもこれを知らせた。

 一方、これだけ近かった事から、アメリカも日本機動部隊を発見した。しかし、日本側より遅れて正午頃の発見だった。こちらも、護衛空母を含むすべての空母から全艦載機を出撃させた。

 

 この日の戦闘は、両軍に大きな被害が生じた。

 日本側は、空母3(「翔鶴」、「愛宕」、「雲龍」)、軽空母4(「瑞穂」、「龍驤」、「日進」、「千代田」)が沈没し、航空機約380機が撃墜か廃棄処分となった。また、これとは別に基地航空隊の約120機も損失した。

 アメリカ側は、空母3、軽空母2を失い、航空機約320機を失った。前日と合わせて、空母4、軽空母4、航空機約700機を失った。

 

 機動部隊の損失も大きいが、戦艦部隊や輸送船団の被害も大きかった。19日の機動部隊同士の戦闘後、日本の戦艦部隊がサイパン目掛けて進行している事が偵察で分かった。この時点で、日本艦隊と輸送船団との距離が100㎞程度しか無く、時間も間も無く夜になる時間であり、当日と前日の戦闘で艦載機を大きく減らしていた為、航空隊を出す事が出来なかった。その為、戦艦部隊が時間を稼いで、輸送船団と上陸部隊の脱出を手助けする事となった。

 日本側は戦艦7(「大和」、「武蔵」、「加賀」、「土佐」、「長門」、「天城」、「赤城」)、重巡洋艦8、軽巡洋艦2、駆逐艦16が突入し、アメリカ側は戦艦8(「サウスダコタ」、「インディアナ」、「コロラド」、「メリーランド」、「ワシントン」、「テネシー」、「カリフォルニア」、「ペンシルバニア」)、巡洋艦4、駆逐艦16で迎撃した。

 2時間に及ぶ戦闘の結果、アメリカ側は戦艦5(「サウスダコタ」、「コロラド」、「ワシントン」「カリフォルニア」、「ペンシルバニア」)、巡洋艦3、駆逐艦7が沈没し、残った艦艇も駆逐艦3を除いて全て損傷した。

 一方の日本側は、重巡洋艦2(「摩耶」、「開聞」)、駆逐艦4が沈没し、戦艦3(「武蔵」、「土佐」、「天城」)、重巡洋艦4、駆逐艦2が損傷した。日本側は、損傷した艦艇を護衛を付けて帰還させ、残った艦艇でサイパンに突入した。

 戦艦部隊が時間を稼いだものの、2時間では全ての部隊を収容する事は不可能だった。その結果、残っていた部隊と輸送船は日本艦隊の攻撃に遭い壊滅した。海上戦闘を含めて、アメリカ軍の戦死者・行方不明者は約7万人に上った

 

 20日、アメリカ軍は全軍の撤退を命令した。日本軍はこれを確認したものの、2日間の戦闘で弾薬・燃料が危ない状況だった為、追撃は不可能だった。

 日本側は、サイパンの占領を防ぎ、アメリカ軍を壊滅させるという目的を達した為、戦術的・戦略的勝利を手にした。しかし、艦載機・基地航空隊で失った約1400機の補充は事実上不可能となり、この地域の航空戦力は壊滅した。また、艦隊の方も多くの艦艇が傷ついた為、その修理の為に数ヵ月は行動不能と判断された。

 

 一方のアメリカ側はもっと酷かった。5度目の機動部隊の壊滅(第一次ミッドウェー、第二次ソロモン、い号作戦、第二次ミッドウェー、今回)、戦艦部隊も壊滅、陸上部隊も壊滅した上、当初の目的だったサイパン島の占領すら失敗した。これにより、太平洋での戦争スケジュールは大きく遅れ、マリアナ諸島への侵攻は先延ばしとなった。一方、パラオ・フィリピン方面の侵攻を進める事となった。

 アメリカにとって、太平洋方面での敗北よりも、ヨーロッパ方面における苦戦の方が痛かった。日本がイギリス軍の戦力を史実以上に叩いた事、インド洋で積極的な通商破壊を行った事で、ヨーロッパにおける連合国軍の戦力が低下していた。その最たる例が、マルタ島への補給作戦の失敗、北アフリカでのドイツ・アフリカ軍団の主力のイタリアへの撤退の成功、ドイツ軍のスターリングラードからの撤退成功、クルスクの戦いでのドイツ軍の勝利である。この為、ソ連軍の西進は停滞し、一部戦力が再編成を兼ねて本国やフランスに戻った。

 ノルマンディー上陸作戦は成功したものの、戦力と優秀な将兵の多くを太平洋方面に取られた事で、陸への効果的な支援を行えなかった。また、上陸した地域を預かっていたロンメル元帥の構想を受け入れて戦闘を行った為、予想以上の抵抗を受けた。この結果、ノルマンディーの橋頭保の確保に成功したものの、20万人近い死者・行方不明者を出しての成功だった。

 

 この2つの戦闘によって生じた約27万人の戦死者・行方不明者という被害は許容出来るものでは無く、議会からの突き上げは激しく、ルーズベルトはショックを受けて倒れてしまった。元々、体が丈夫では無く、開戦以来負け戦の報告を聞いていた為、ストレスによる体調の悪化が史実より早まった。この後、病状が回復する事は無く、職務続行は不可能と判断された。

 これにより、副大統領のヘンリー・A・ウォレスが大統領に昇格したが、1944年11月に大統領選挙が行われる為、任期はその時までしかなかった。また、前任者のルーズベルトの支持率の低さや戦争指導の拙さから、支持率は5割を僅かに超える程度しか無った。

 それでも、ルーズベルト程独善的では無い事、複数の意見を汲んで最適な考えを出せる事から、ウォレスを支持する者は少しずつ増えていった。実際、民主党からの推薦で次の大統領選挙に出馬する事となった。

 

 また、この時の意見交換の中で、枢軸国への対応の変化が生じた。それは、「無条件降伏の空文化」であった。前任者の反省と今までの外交方針を戻す意味で、この内容は衝撃を以て迎えられた。日独両政府はこの意見に消極的ではあるものの賛成を示していたが、軍部の反対が強くそれを言い出せる状況では無かった。これは、日本側はサイパンの戦闘で勝利した事、ドイツ側はノルマンディーで時間を稼いだ事で余力がまだある事で、まだまだ戦えると考えていた事が理由だった。

 アメリカ側でも反対意見が強く、特に国務省は今まで通り無条件降伏を主軸に進める事を主張し、軍部はこれから反撃という時に停戦を持ち出されたのでは溜まったものでは無いという意見があった。また、ウォレス政権の支持率の不安定さからも、この意見が多数派にならなかった。

 その為、この時の停戦は実現しなかった。しかし、アメリカが無条件降伏に拘らなくなった事は、戦争が政治にと移っていく事を示していた。


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