架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

64 / 108
久々に本編です。本当に久々なので、設定の多くを忘れていますし、書き方も忘れています。

また、内容に不快になる部分があると思いますが、あまり深く考えないでください。


37話 昭和戦後:中外グループ前史

 終戦後の財閥解体は、大室財閥は勿論、日林財閥、日鉄財閥もこの影響を受けた。その結果、主要企業は次の様になった。尚、この中には、経済状況の変化によるものも含まれる。

 

〈大室財閥〉

・大室本店→解体。1951年に残余不動産を基に「大新不動産」を設立。

・大室物産→「愛宕物産」、「西新商事」など8社に分割されるも、1957年に大合同し「大室物産」が復活。

・大室海運→「大和海運」に改称、1953年に旧名に戻す。

・大室銀行→「中外銀行」に改称、その後は旧名に戻さず。

・東亜貯蓄銀行→都市銀行「協和銀行」に転換(史実の協和銀行と異なる)。

・大室信託→信託銀行「大同信託銀行」に転換、1952年に「大室信託銀行」に改称。

・東亜生命保険→「昭和生命保険」に改称と同時に相互会社に転換、その後は旧名に戻さず。

・日本弱体生命保険→「三洋生命保険」に改称と同時に相互会社に転換、その後は旧名に戻さず。

・大室火災海上保険→「大和火災海上保険」に改称、1952年に旧名に戻す。

・東亜動産火災保険→「昭和火災海上保険」に改称、その後は旧名に戻さず。

・大室重工業→東日本は「大和重工業」、西日本は「大同重工業」に分割。1958年に両社が合併して「大室重工業」が復活。

・大和航空工業→8社に分割される。その後、分割された各社の大合同は行われず、富士重工業や大室重工業に統合される。

・大室化成産業→「大和化成産業」に改称、セメント事業(「大和セメント」)とガラス事業(「大和ガラス産業」)、ゴム加工事業(「大和ゴム」)を分離。1951年に「大室化成産業」に戻すも、分離した事業は統合せず。

・大室鉱業→金属鉱山部門を「大和金属鉱山」、炭鉱部門を「大和鉱業」に分割。1952年にそれぞれ、「大室金属鉱山」、「大室鉱業」に改称する。

・大日新聞→保有する全ての株式を放出。その後、買い戻して影響力を取り戻す。

 その他、大室系の企業は一時的に「大室」の看板を外し、「大和」や「大同」に替えた。また、一部の支店や工場は切り離され、独立した企業となった。その後、多くの企業が1950年代に「大室」に戻した。

 

〈日林財閥〉

・日本林産→解散。林業部門は「東邦林産」、商社部門は「日林物産」として分割。残余不動産を基に、1950年に「日林不動産」を設立。林業部門は、1952年に「日本林産」に戻る。

・日林化学工業→合成繊維や木材加工などを「日東化学工業」として分離。

 

〈日鉄財閥〉

・日本鉄道興業→解散。製造部門は「日鉄重工業」、商社部門は「日鉄商業」として分割。残余不動産を基に、1951年に「日鉄不動産」を設立。

・大同造船→日鉄重工業に統合。

 

____________________________________________

 

 財閥解体によって、重化学工業や商社といった戦争に深く関わっていた企業、国内で独占的地位にある企業は分割された。

 また、実質的敗戦とそれに伴う大規模な軍縮で、軍需が極端に減少した。これにより、今まで主な需要が軍需のみだった企業が大打撃を受けた。

 大室財閥では、大元の大室本店は勿論、中核であった大室重工業が航空機や軍艦の製造に深く関わっていた事から、優先的に解体された。大室物産も、占領地の経済活動に深く関わっていたとして分割され、大和航空工業は、GHQによる航空機の生産運用の中止によって細分化された。

 ただ、大室重工業には造船や自動車といった商品があり、造船は急増する貨物船の需要(戦時標準船の耐用年数が来る為、代替船の需要が急増)に応える為にフル回転しており、自動車の方もトラックや重機が戦後の復興の為に必要になる事から、こちらも製造ラインをフル回転させていた。その為、元・大室重工業の方は比較的安泰と見られた。

 しかし、実際は朝鮮戦争が起こるまで、日本経済の混乱によって各部門の状況は安定せず、自動車部門に至っては危機的状況になった。

 

 大室物産も、「愛宕物産」や「西新商事」など8社に分割された。しかも、「元・大室物産の部長以上だった人物が、3人以上同じ会社にいてはいけない」とされた為、分割された会社から漏れた人達は、新たに会社を興すか別の会社に引き取ってもらう事となった。

 それでも、戦後の復興に当たって、物資の獲得や商品の輸出入に商社の存在は欠かせなかった。その為、分割された各社と新しく興した会社は順調に拡大していった。

 しかし、順調に拡大していると言っても、1社1社の規模が限定されていた為、今以上の取引の拡大や効率化を推進する為には、巨大な1社に纏まる必要があった。それが、「大室物産」の復活だが、これが実現するのは1957年まで待たなければならなかった。

 

 大室重工業、大室物産の戦後は何とか軌道に乗ったが、大和航空工業はそうならなかった。大和航空工業は航空機用エンジンを供給する目的で設立された為、戦後の転換は上手く行かず、小規模な自動車用・バイク用エンジンの製造で糊口を凌ぐ日々だった。また、エンジン以外に目ぼしい商品が無かった為、1950年代に分割された企業の大合同が行われた時期に、大和航空工業が再び設立される事は無く、繋がりがあった大室重工業や富士重工業に統合された。

 

 これ以外の元・大室財閥の各企業は、戦後の苦しい状況でも自助・共助によって、何とか苦しい状況を切り抜けた。財閥解体後も彼らの繋がりが維持されたが、彼らが表立って再び集結するのは、1950年代になってからであった。

 

 この中で特殊だったのが、大日新聞だった。大日新聞は、資本的には大室財閥に属していたが、財閥の御用新聞では無かった。広告こそ出していたが、それ以上の付き合いは無かった。その為、財閥批判はそれなりに行っていた。

 しかし、戦時中の軍を賛美する記事を書いた事から、GHQから睨まれ、その方針を転向する事となった。その間隙を突く様に、社会主義者・共産主義者が入り込み、一時は「アカの御用新聞」とまで言われた。

 ただ、終戦直後のソ連の蛮行が世に知られた事、GHQが方針を転換した事によって、社内に入り込んだ社会主義者・共産主義者は軒並み追い出され、朝鮮戦争における韓国・北朝鮮の実態が判明した事によって、1952年には大日新聞は完全に元の中道右派に戻った。

 また、戦時中に獲得したプロ野球チーム「大日軍」だが、戦後にチーム名を「大日イーグルス」に改称した。だが、プロ野球が再開した時期と大日新聞の内部の混乱の時期が重なった為、思う様な補強が出来なかった。その為、この時期のイーグルスはBクラスの常連だった。

 一時は同じグループの京成電鉄に身売りの噂も出たが、「戦後の大日新聞の象徴とする」という社主の命によって、身売りは無しとなった(だが、株式の30%の譲渡が行われた)。その後、大日新聞の混乱が収まると球団経営に力が入る様になり、戦後のプロ野球ブームとも重なり、以降は巨人や大阪タイガースなどの強豪チームと渡り合える力を持った球団となっていった。

 

____________________________________________

 

 日林財閥は、大元である日本林産が解体された。だが、解体と言っても持株会社としての性格を失っただけであり、林業部門は「東邦林産」として、商社部門は「日林物産」として独立した。その後、1952年に東邦林産は「日本林産」に戻ったが、商社部門は合流せずそのまま独立し、後に大合同なった大室物産に合併された。

 戦後の復興期とあって、木材の需要は膨大だった。その為、木を伐り売り出せば、それだけで利益が出る様な状態だった。

 実際は、経済状況の不安定さによって利益が安定しなかった事、戦時中から行われた過剰な伐採によって、木材資源の不足が目立って来た事などから、今後の経営状況は不安視された。植林は積極的に行われ、史実の様な画一的な植林は行われていないが、日林はこの頃には林業の限界を見ていた。この為、他の事業への注力と、自力で木材を活かせる事業、つまり住宅部門への進出が行われた。

 

 本業の林業とは対照的に、化学や機械などの重化学部門の方は順調だった。軍需産業の為、役員の追放や一部事業や工場の分割、海外資産の没収はあったものの、国内資産の多くは残った。その為、戦後の再生は早かった。戦後経済の混乱によって安定していたとは言えないものの、戦後復興に必要な化学肥料や船舶の需要は高く、その後も業績を伸ばしていった。また、戦後の日本の重化学路線の強化によって、この部門が元・日林財閥の主力部門になっていった。

 

____________________________________________

 

 日鉄財閥は、GHQに日本製鐵(後に富士製鐵と八幡製鐵などに分割)の系列と勘違いされたエピソードがある。勿論、日鉄財閥と日本製鐵に資本関係は無く、GHQにその事を伝える為に、何度も本社と司令部を往復する事となった。

 ただ、このGHQとの交渉の中でGHQ関係者とのパイプを形成する事に成功し、日本語と英語に堪能な人物の紹介や公開しても問題無いレベルでの情報の開示を受けるなど、その後の混乱期を乗り切る為の手段を手に入れた。

 

 日本製鐵との関係が無い事を説明し、GHQとのパイプを作る事は出来たが、財閥解体は避けられなかった。大元の日本鉄道興業は、製造部門の「日鉄重工業」、商社部門の「日鉄商業」に分割された。同時に、戦時中に設立した大同造船は、日鉄重工業に統合された。

 分割された日鉄だが、業績は好調だった。戦時中に酷使された車輛の修繕や新規車輛の製造があった為である。GHQによって新造には制限があったものの、復旧の名目で実際には大量に新造された。特に、電鉄各社向けの63形や各種客車、D51などのSLの需要は大きかった。これにより、日鉄重工業は規模を拡大、後に社名を「日本鉄道興業」に戻し、日本車輌製造や東急車輛製造に並ぶ鉄道車輛メーカーとなった。

 鉄道以外でも、主機の製造経験を活かして、大型船用のタービンのみならず、大型発電機の製造も行われた。だが、このノウハウが生きるのは、もう少し先の話となる。

 

 一方の商社部門だが、こちらは単独での生き残りは不可能と判断された事、大室物産が規模の拡大の為に中堅クラスの商社の統合を行っていた事から、1962年に大室物産に合併された。 

 

____________________________________________

 

 財閥解体によって、大室、日林、日鉄の影響力は大きく減少した。それだけでなく、税制改正によって莫大な量の相続税が掛けられるなどして、戦前程の影響力を発揮する事が難しくなった。

 創業者一族も、この時を境に影響力を大きく失った。大室家や高田家(日林)、日鉄の六家族は、資産の多くを税金に取られ、株式の多くも放出させられた。また、会社からも追い出された。

 しかし、長きに亘って会社を統治していた影響力は大きく、会社からは秘密裏に支えてられていた。また、彼らは創業者一族であると同時に、実業家でもあった。その為、追い出された彼らが一から起こした企業もあり、戦後の混乱で困窮する事は殆ど無かった。


 ▲ページの一番上に飛ぶ
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。