架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

72 / 112
原子爆弾が日本に投下される描写があります。投下された場所は、史実では戦後に日本から離れた領土ですが、まだ生き残っている人や親族にいた人などがいるかと思われます。
申し訳ありませんが、「これはフィクションであり、現実とは一切関係無い」と理解してください。


番外編:この世界の諸外国の状況
番外編:この世界の日本


 大東亜戦争を何とか停戦に持ち込んだ日本だが、戦後の道程は平坦では無い処か、山あり谷ありの連続だった。

 

 戦後直ぐは、GHQによる国政への過剰な介入を阻止しようと政治家や官僚が抵抗したり、軍の解体論争が国内だけでなくGHQ内でも勃発するなど、不安定さは戦時中以上とも言えた。それが短期間で終結したのは、国内の共産主義者や反日勢力による武力抗争があり、その鎮圧の為に警察力・軍事力が必要となり、GHQによる統治の甘さもに原因があった為である。

 一時は内戦かと言われた武力抗争も短期間で終結し、その後はアメリカの支援もあり復興に向かった。アメリカは日本を「極東の防波堤」と見ており、第二次世界大戦末期と戦後のソ連の蛮行を見ていた事から、早急な経済と軍事の復活を要望し、その為の支援も惜しまれなかった。その甲斐があり、1949年には「1950年代中頃には戦前経済並みに復活する」と予測された。

 

 そう見られた矢先の1950年6月25日、「朝鮮半島の統一」を掲げた北朝鮮が韓国に侵攻した事により朝鮮戦争が勃発した。史実と同じく韓国軍は釜山に包囲されたが、この世界では韓国は釜山から追い出され、対馬に政府が移転してきた。

 韓国の勝手な行為に日本政府は非難し、国民もそれを支持した。アメリカも日本の肩を持ち、日米両軍の特殊作戦によって対馬から追い出した。

 その後、アメリカ軍傘下の形で日本も朝鮮戦争に参加する事となった。日米両海軍による仁川上陸作戦から始まる反攻作戦によって、北朝鮮軍に壊滅的打撃を与え、38度線以北に撤退させた。

 また、仁川上陸作戦後の10月、援朝ソ連義勇軍(実態はソ連極東軍)が参戦し、対馬周辺での作戦を行おうとソ連太平洋艦隊がウラジオストクから出撃したが、それを日本海軍が一蹴した。「第二次日本海海戦」と称されたこの海戦で、日本国内は久々にお祭りムードとなった。

 

 しかし、それに冷や水を浴びせる事態が起きた。年が明けた1月2日、南樺太の中心都市である豊原市に原子爆弾が落とされた。これにより、豊原市とその周辺部が壊滅した。死者は4万人以上になり、現地に駐留していたアメリカ軍1000人も含まれた。

 前年の第二次日本海海戦への懲罰とされたが、アメリカ軍を攻撃したとしてアメリカが翌日、ウラジオストクに原爆を落とした。これにより、ウラジオストクとその周辺部は壊滅し、都市機能だけでなく港湾施設や軍港の機能も壊滅した。

 ソ連はその報復として1月5日、択捉島の単冠湾に原爆を搭載した潜水艦による自爆攻撃を行った。当時、単冠湾はソ連への監視用に日米共用の大規模港湾施設が建設中であり、その為の建設作業員としてアメリカ軍が多数駐留していた。その様な中で原爆による攻撃を受け、現地にいた住民・作業員・軍人など合わせて3万人近くが死亡した。また、建設中だった港湾施設も壊滅した。

 アメリカは、報復の報復としてハバロフスクとペトロパブロフスク・カムチャツキーに原爆を投下した。攻撃後、「これ以上攻撃するならば、更なる原子爆弾投下も辞さない」という大統領のコメントが発表された。

 流石にソ連も、これ以上の攻撃を受けるのは拙いと理解した。これにより、両者の核の投げ合いは終了したが、この時のトラウマは両者は残っており、核兵器の量的拡大は抑えられる事となる。

 

 原爆投下による多数の死者の発生という事件があったものの、朝鮮戦争によって経済の成長と国家の威信の回復というメリットもあった。実際、これ以降は軍拡やアメリカからの発注で重化学工業が大きく発展した。

 以降、史実の日本とほぼ同じ歴史を辿るが、周辺の緊張が史実以上ある事から、軍事や政治、外交に対しては敏感となっている。また、周辺との緊張が大きい事から、製造業の海外移転も大きく進んでおらず、産業の空洞化も幾分緩やかになっている。

 

============================================

〈領土・人口〉

 史実の日本に千島列島全てと南樺太を足した領土が、この世界の日本の領土となる。その為、領土面積は約42万6千㎢となる。

 

 領土が多い事、戦争中に大規模な空襲を受けなかった事、東南アジアや中国大陸(満州を除く)からの復員・帰国事業が円滑に行われた為、その分の人口が多い。一方、満州や朝鮮北部の帰国事業は進まず、終戦後と朝鮮戦争後に朝鮮人の帰国事業が行われた為、その分の人口が減少する。その為、終戦時の総人口は史実の約100万人程度の増加となる。

 その後、ベトナム戦争やインドシナ各国での内戦に米軍と共に介入した事で、そこからの難民を受け入れるなどして、移民の受け入れが少しずつだが行われる様になる。1980年代以降、労働力不足などを背景に移民規制が緩和され、人口増加に繋がっていく。2015年現在では、約1億3500万人の日本国籍保有者が暮らしており、それとは別に約500万人の移民が暮らしている。

 

____________________________________________

〈政治〉

 戦時中の唯一の政党だった大政翼賛会が戦後になって解散した後、かつての政党が再結成された。立憲政友会の流れを汲む「日本自由党(略称・自由党)」と、立憲民政党の流れを汲む「日本民主党(略称・民主党)」が主要な政党となった。

 尤も、両党は流れを汲むだけで、元政友会所属で民主党に入党した者、元民政党所属で自由党に入党した者もそれなりに見られた。

 また、他にも政党が乱立したが、1950年までにどちらかに吸収された。これにより、日本における2大政党制は確立した。

 共に「親米・反共・自由主義・資本主義」を掲げる中道右派政党であるが、経済や外交の方針でやや異なる。自由党は「大きい政府・公共事業の強化・東南アジアとの連携強化」の傾向が強く、民主党は「小さい政府・製造業や金融業の強化・西ヨーロッパとの連携強化」の傾向が強い。

 

 社会党は成立したものの、日本全体での反共色が強かった為、勢力の拡大は難しかった。また、左派と右派の対立もあり、内部対立で大きな支持を得る事も難しかった。これにより、社会党は左派の「日本社会党(略称・社会党)」と右派の「民主社会党(略称・民社党)」に分裂したままとなった。また、社会党の躍進が無かった為、自由党と民主党の保守合同が発生しなかった。

 共産党は、日本国憲法発足以降、法律で禁止された。その為、多くは社会党に入るものの、一部は過激化した。

 

____________________________________________

〈経済〉

 本土空襲が少なかった事、在外資産の没収が史実より少なかった事(ソ連・中国大陸・朝鮮半島関係は概ね史実通りだが、在米・在英など後の西側諸国の在外資産は一部を賠償に取られるも残った)、戦争が史実よりも早く終わった事から、国富が多く残った。特に、各種兵器や文化財がそのまま残ったのは大きかった。

 また、本土空襲が無かった為、市街地の荒廃はあまり発生していない。市街地がほぼそのまま残った為、開発がやや遅れるが、ほぼ史実通り行われる。それでも、旧市街が存続する為、中心部の開発規制などが多く取られる。

 同様に、本土空襲が無かった為、東京への一極集中は弱まる。東京を中心とする首都圏は政治・行政、名古屋を中心とする中京圏は製造業、大阪を中心とする関西圏は経済でそれぞれ強くなる。その為、大企業の本社機能の東京への集中は弱く、住友グループや三和グループなど関西発祥の企業の東京への本社移転は余り行われていない。

 

 戦後のGHQの経済政策で、戦前の富裕層や実業家の財産は減少するものの、その人達が下野する事が少なかった為、経済人の価値観は連続している。つまり、慈善事業への寄付などが盛んに続いており、企業による社会貢献も多く行われている。

 「お金は貯め込むだけでなく、社会に還元するもの」、「金儲けのためだけに事業を行うものでは無い」という意識が強く、マネーゲームや新自由主義経済に否定的な感情を抱いている。

 

 『「技術力」こそが日本の産業の源であり、諸外国に勝るほぼ唯一の財産』という考えがある為、技術投資が盛んに行われている。それに伴う特許の取得や産官学連携も盛んに行われており、論文の発表も多数行われている。

 技術だけでなく、製造でも世界有数で、特にアジアでは最大規模である。造船や製鉄、化学に電機などの重化学では世界トップクラスであり、半導体などの先端技術、航空宇宙産業などの軍事部門などにおいても同様である。

 

 一方、第一次産業についてはそこそことなった。ジャポニカ米の対米輸出(在日米軍の影響で、日本食ブームが到来)でコメ農家はそこそこ潤っていたが、1960年代になるとアメリカでのジャポニカ米の生産が軌道に乗った事で、日本産のコメの輸出が減少した。日本国内でのコメの消費量の減少もあり、一時は減反政策も検討されたが、オイルショックの影響で政策は変更となった。具体的には、規制されていた企業の農業参入の緩和、高価値商品作物の奨励、飼料米の生産奨励である。これと同時に農協改革も行われ、市場経済に対応した組織作りが行われた。

 農業と連動する形で畜産業の改革も行われる。その為、畜産業の企業化や国産牛肉の高級化路線は早く進み、アメリカ産牛肉の輸入も早まる。

 林業は、日本林産などの林業会社によって、国産木材の奨励が行われる。その為、国内林業の衰退は起きておらず、山林の放棄も少数となっている。

 漁業については史実通りである。

 現在、日本の食料自給率は65%程度となっている。コメは自給出来ているが、それ以外の食糧については輸入に多く頼っている。一方、コメや果物などの農産物が主要輸出品となっているが、アメリカ産などとの差別化として高級路線を取っている。

 

____________________________________________

〈外交〉

 概ね親米・反共外交を展開している。その為、西側諸国との連携を重視している。特にアメリカとの関係は最重要視しており、「日米蜜月」によって太平洋の安定に貢献している。

 

 東アジア・東南アジア方面の外交では、過去の経緯や冷戦構造から対韓国・対北朝鮮・対中国では厳しい対応をしている。冷戦中はソ連との交流も最低限であり、ロシアになってからも同様だったが、

 一方、台湾やタイ、フィリピンやインドとの繋がりは深く、経済・軍事の両面で連携を強化している。

 また、反共政策を採っているが、歴史的経緯から満州との繋がりがある。文化面や経済面では連携の姿勢を見せており、近年では中国の軍事的台頭によって軍事での連携も少しずつではあるが増えている。その満州との繋がりがあるベトナム、ラオス、カンボジアとの付き合いがある。

 

 冷戦中は、朝鮮戦争中の出来事からソ連との交流も最低限であり、ロシアになってからも同様だったが、極東危機の際に日露両国が歩み寄った事で、関係改善に向かっている。

 

 それ以外の地域では史実通りだが、資源(石油)や市場の存在から中東諸国との連携を強めている一方、それらと対立傾向にあるイスラエルとの関係はやや冷却傾向にある。中東関係についてはほぼ国連決議に賛成の立場の為、イスラエルが日本に対して好印象を持っていない事も一因である。

 

____________________________________________

〈軍事〉

 日本軍は軍縮の上で存続する。但し、朝鮮戦争まではアメリカのコントロール下に置かれており、整備も低調だった。また、この頃に士官の教育や武器の規格、階級などをアメリカ側に寄せている。

 朝鮮戦争を境に日本軍の地位が向上し、軍の整備・拡大が急速に進む。同時に、アメリカ軍も極東方面における日本の重要性を再認識し、この地域の集団安全保障を構築する際、アメリカ・日本の二頭体制で行う事を決意する。

 

 冷戦中、日本軍の規模は拡大し、最盛期である1980年代には海軍は3個機動部隊や潜水艦24隻を中心とした大海軍力を有し、空軍は戦闘機・戦闘爆撃機の部隊だけで20個飛行隊展開し、陸軍は20個師団(内、戦車師団2個、機甲師団3個)を有する東アジア最大級の軍事力を保有していた。

 現在では、冷戦の終結で部隊の縮小が行われているが、東アジアでの冷戦が終わっていない為、西日本方面の部隊の縮小は進んでいない。その為、海軍は3個機動部隊はそのままであり、空母型の強襲揚陸艦やイージス艦、簡易イージスと言える防空艦の配備が進んでいる事から戦力的には向上している。

 空軍も、16個飛行隊と数は減少したものの、F-35や国産新型戦闘攻撃機「F-3」の配備が行われている。

 陸軍も、3個師団廃止・7個師団が旅団に改編などの再編が行われたが、装備の近代化や即応体制の強化などで対応している。

 核兵器については、原子爆弾が実戦使用された最初の国という意識から、核武装については否定的だった。一方で、「核兵器には核兵器」という意識もあった為、アメリカとの核シェアリングという形になった。核兵器を搭載しているのは、空母機動部隊の艦載機に限定されている。

 

 東アジア方面の集団安全保障として「太平洋アジア条約機構(略称・PATO)」が存在する。これは、「東アジア・東南アジア版NATO」であるが、史実でも同様の構想は存在したが様々な要因から実現しなかった。

 この世界では、アメリカが日本の重要性を認識している事、日本もそれを行う責務があると認識している事、アメリカと日本のアジアにおける圧倒的なプレゼンツから実現した。原加盟国は、日米に加え、韓国、中華民国、台湾、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイの9か国であり、オブザーバーとしてイギリス、カナダ、フランスが存在した。その後、インドやインドネシア、ベトナムなどの加盟がある一方、中華民国がオブザーバーに降格し、韓国が一時脱退するなど、加盟国に変化があった。

 現在、対外進出を強めている中国をけん制する為に存続しており、南シナ海や中部太平洋、ハワイ沖などでの海軍合同軍事演習や、タイやインドネシアでの陸軍合同軍事演習が行われている。

 特に、海軍合同軍事演習の目玉となるのが、日本海軍を中心とした赤軍とアメリカ海軍を中心とした青軍に分かれて行う模擬空母戦である。

 

____________________________________________

〈教育〉

 概ね史実通りだが、GHQによる教育の変更が無い為、史実の様な自虐史観は極少数意見となる。また、教育勅語は現代語に訳された上で存続し、修身も道徳と名前を変えて存続した。

 その為、道徳観や価値観は否定されていない。戦後の価値観が加わる為、史実の様な価値観や道徳観、民意となるものの、史実よりも考えて行動する様になる。

 

____________________________________________

〈皇室〉

 史実と同じく、戦後の伏見宮系の皇籍離脱は発生しているが、久邇宮家と東久邇宮家だけは離脱しなかった。これは、久邇宮家が皇后の実家である事、東久邇宮家が内親王の嫁ぎ先である事が理由だった。また、戦争が早く終結した事、国内の被害が大きくなかった事から、政府が皇室に充てる予算や皇室財産に余裕が出来、天皇と血縁関係がある宮家は残す方針となった。

 この為、史実で存続した秩父宮家・高松宮家・三笠宮家に加え、伏見宮家の久邇宮家と東久邇宮家の5家が皇族として存続した。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。