架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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番外編:この世界での諸外国①(東アジア)

【史実との違い】

〈東アジア〉

・朝鮮戦争の発生は史実通りとなるが、1年で終了する。これは、米ソ両国による限定的核戦争の影響で、両国が妥協した為。領土の分割状況は史実通りとなる。

・韓国の経済発展は諸事情で大きく遅れる(史実の四半世紀程前の状況)。

・北朝鮮は、ソ連の影響下に入った事や後背に満州がある事で、内政的には安定傾向にある。経済も軽工業を中心に発展している。

・旧清朝の領土は、国共内戦の末、中央部が中華人民共和国として成立するも、中華民国の失政や米ソ両国の思惑により周辺部は独立する。これにより、満州・プリモンゴル(内蒙古)・ウイグルはソ連の衛星国として、台湾・チベットは西側の勢力として独立する。また、国共内戦で敗れた中国国民党は海南島と雷州半島に逃れて存続する。

・満州はソ連の政策転換でソ連の衛星国として存続する。

・プリモンゴルとウイグルもソ連の衛星国として独立する。

・香港は独立を選択する。一方でマカオは史実通り。

 

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〈東アジア〉

・大韓民国(韓国)

 領土は史実通り。しかし、後述の人口流出の後遺症から、2015年現在の総人口は約4500万人となっている。また、主要産業も軽工業であり、日米からの投資や技術提供が少ない為、重化学工業の発展が遅れている。その為、史実より経済力が低く、一人当たりの購買力平価では2万ドル程度となる(史実では3万4千~3万7千ドル)。

 

 独立以前から行われた親日派の弾圧、朝鮮戦争や政府の威信の低下が原因で、建国から15年程は人口の流出が激しく、特に技術者、学者、朝鮮総督府からの官僚、軍人などの頭脳が抜けたのが大きかった。また、実業家の国外脱出も多数発生し、斗山や三星などの史実の巨大財閥が台湾に、軍人や官僚は満州に流れた。これらの要因から、その後の経済発展にも影響した。

 その後、多産政策の実施、民族企業の振興、亡命者の帰還事業などを行ったが、資本不足が原因で、経済の拡大は低調だった。資本不足の大きな要因として、日本との関係がこじれたままというのが最大の要因であり、日本からの投資が低調だっただけでなく、日韓基本条約で「補償金は確実に個人に補償する様に」と決められ、事実上の賠償も「日本統治時代に整備したインフラを無償譲渡する代わり、国家に対する補償は今後一切しない」と決められた事で、国家が自由に使用出来る資金が少なかった。

 

 軍事面でも、経済力の低さから大規模な軍事力を保有する事は難しい。一方で、北朝鮮との対立や日本への対抗意識から分不相応の軍事力を保有しているが、装備の老朽化が進んでいる。

 陸軍は史実通りの規模(常備師団22個、予備師団20個、計42個師団)だが、主力戦車がM60とK1の2本立てとなっている。それ以外の装備の更新も遅れ気味となっている。

 海軍も3個艦隊保有しているが、保有している最大の戦闘艦艇が蔚山級フリゲートとその改良型の仁川級フリゲートとなっている。駆逐艦や潜水艦は有していないものの、ソ連や満州、北朝鮮に対する対潜能力は決して低くない。

 空軍も、戦闘機・戦闘爆撃機を各種計500機保有しているが、殆どがF-5とF-4で老朽化が著しい。F-16への更新を検討していたものの、極東危機によってそれが白紙となった。現在は、イスラエルによる改修と他国から状態の良いF-5とF-4の購入、ミラージュの導入で何とかしている状況にある。

 

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・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)

 こちらも、領土は史実通り。経済面では、史実よりも状態は良いが、軽工業が主体となっている。経済が比較的良好という事もあり、総人口も約2800万人と史実の2割増しとなっている。

 

 朝鮮戦争中の出来事が原因で、戦後は経済・軍事の両面でソ連の影響力が強まった。その為、金日成がソ連の心証を悪くしない様にと民生面へ注力した事、分不相応な重化学工業への偏重をしなかった事、それらを後継者が続けた事で、北朝鮮の経済的破滅は発生していない。これが、経済面で良好な理由となる。

 ソ連主導の国際的な分業体制の枠組みに組み込まれ、農業と繊維業が発展した。その後も、食品加工、皮革、木材加工などの軽工業を中心に発展した。

 重化学も発展しなかった訳では無く、日本統治時代からの製鉄業、鉱業、化学工業も発展した。また、工業の発展と後述のソ連軍の存在から軍備偏重とならず、浮いた分が鉄道や道路などのインフラ整備に充てられた。

 

 軍事面では新京条約機構(略称はSTO。西側諸国のアジア・太平洋方面の軍事同盟「太平洋アジア条約機構(略称・PATO)」に対抗して1957年に設立。加盟国はソ連・北朝鮮・満州・モンゴル・プリモンゴル・ウイグル、本部はイルクーツク)に加盟している。その為、冷戦中はソ連軍が駐留していた。現在も対中国の関係からSTOは存続しており、規模こそ縮小したもののロシア軍の駐留は続いている。

 戦力として、陸軍は50個師団を保有し(約半数は予備師団)、主力戦車はT-72と一部精鋭部隊にはT-90が配備されているが、T-90の増備については後述の核開発のペナルティで遅れている。装甲車の数も多く、対地上用のロケットや短距離ミサイルも多数保有している。

 海軍は2個艦隊存在し、クリヴァク級フリゲートが最大の艦艇ながら、哨戒艇やミサイル艇、小型潜水艇を多数有している。有事の際には、満州海軍と共に東シナ海や日本海での通商破壊任務に就く事になっている。

 空軍はMiG-21が主力ながら、MiG-23やMiG-29、Su-17やSu-25などを多数有している。後述の核開発のペナルティで、MiG-29の追加導入やアビオニクスの更新が遅れている。

 中長距離弾道弾は、ロシアの庇護下にある事から開発はされていない。核兵器については、1990年代に開発を行おうとしたものの、ロシアに全力で止められる。それ以降、核開発計画は放棄され、軍事・経済の両面でロシアの統制も強まった。その代わり、ロシアの援助で原子力発電所の建設が進められた。

 

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・中華人民共和国(中国)

 史実の領土から東北部、内モンゴル自治区の大半、ウイグル、チベットの大半、海南島と雷州半島を除いた領土となる為、約513万㎢となる。総人口は約13億5千万人。

 

 かつての清の領土は、ソ連の対中不信、西側のインドの緩衝地帯を欲した事から、満州、プリモンゴル(内蒙古)、ウイグル、チベット、海南島が独立した(海南島は、中華民国が逃げた先)。その為、その分の人口や使用可能な資源が少ない。また、周辺国全てが仮想敵国な為、軍事力に注力しなければならない状況にある。

 建国の経緯から、資本家や技術者、軍人や官僚など国家の頭脳が周辺国に離散した。その後も、大躍進政策や文化大革命による混乱で多数の難民が発生した。この時、官僚や軍人など主要人物の亡命も相次いた。

 その後、混乱は収まり、市場経済の導入で経済の再建を図ったが、頭脳の流出で政策運営が上手く行かず、周辺との対立もあり外資の流入が少なかった。それでも、香港やマカオ、中華民国と接する深圳、珠海、茂名、台湾の対岸の厦門に経済特区が、天津や上海、広州などの大都市に経済技術開発区が設けられ、イギリスやフランスなどのヨーロッパからの投資は比較的多く、アメリカからも少ないながら投資の流れがあった事で、経済の回復があった。

 現在、東アジア・東南アジアではインドに次ぐ人口を有し、経済力も拡大しているが、日本との関係が良くない事、それに伴う日本の資本・技術の移転が低調な事もあり、史実程巨大な経済力を保有していない。石炭やタングステンなどの鉱業、経済特区や経済技術開発区とその周辺での加工業が比較的発展しているが、製鉄や電機などの重工業の発展は遅れがちとなっている。

 人口増加は未だに続いているが(この世界の中国は、人口の流出が激しかった事から一人っ子政策を採用していないが、1990年代から少産が奨励された)、貧富の差は非常に大きい。前述の経済の遅れ気味もあり、内政状況は不安定となっている。

 

 対外状況の悪さから、経済は常に軍備に優先された。現在もその傾向は強いが、却ってそれが経済の低成長に繋がっている。

 陸軍は兵員数では世界最大ながら、装備が古い。戦車は85式戦車と90-Ⅱ式戦車が主力であり、精鋭部隊に96式戦車か98式戦車が少数配備されている。

 海軍は3個艦隊あり、旅大型駆逐艦と江衛型フリゲートが主力となっており、象徴的な艦として深圳級ヘリコプター巡洋艦が存在する(イメージとして、しらね型護衛艦を1万2千トン級の船体に拡大し、中国製の装備で固めた)。また、原子力潜水艦や弾道ミサイル搭載潜水艦を複数保有し、通常動力型潜水艦も多数保有しているが、設計の古さや技術面の問題から西側より2世代は遅れている。

 空軍は、J-10(史実のFC-1)、J-8Ⅱ(中国版MiG-21であるJ-7を双発にしたJ-8の改設計版)、JH-7、H-6(Tu-16の中国版)が主力となっている。数こそ多いものの、原設計が1950~60年代の機体が多く、近代化改修も遅れ気味となっている。

 第二砲兵(ロケット軍)の装備は概ね史実通りだが、周辺との対立の多さから、史実とほぼ同数揃えている(国土が小さい為、実質史実以上配備)。特に、短距離弾道ミサイルのDF-11とDF-15、準中距離弾道ミサイルのDF-21の配備が進んでいる。

 

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・中華民国(海南島)

 領土は、海南島と中国本土の雷州半島、東沙諸島のみ(約4万2千㎢)。事実上、海口が首都となっている。総人口は約1900万人(史実の同地域だと約1600万人)。

 

 1911年の辛亥革命によって成立した中華民国だが、失政や諸外国の介入などで内政が安定しなかった事、日本との戦闘状態、アメリカからの支援の減少、国共内戦で共産党に敗れた事などの要因で、中華中央部から追い出された。中国国民党は台湾への退避を予定していたが、台湾を占領統治していたGHQ(の主体であるアメリカ)から拒絶された為、残っていた海南島と雷州半島に退避した。その際、舟山諸島や金門・馬祖などの地域は放棄された。

 海南島に逃れた後、アメリカを始めとした西側諸国の支援によって国家体制の再編や国軍の再編成が行われた。中国大陸が東側となった為、その防波堤として補強する必要があった為である。また、この時の支援の見返りなどで、台湾の独立を中華民国に認めさせている。

 その後、農業を中心とした国となるものの、徐々に国内インフラの整備が進んだが、重工業の建設の方は低調だった。これは、中国と接する事によるリスク、台湾やシンガポールの方が整備されている事から、外資の流れが低調だった為である。アメリカや日本からの支援があったものの、過去の経緯から支援に積極的では無く、軽工業や鉱業の支援が中心だった。

 

 主要産業は農業、林業、水産業といった第一次産業、鉄鉱石やオイルシェールなどの鉱業、繊維や食品加工などの軽工業であるが、価格競争で東南アジアに負けている。他にも、中国の経済力が低く経済の連動が望めない事、外資が台湾や満州、東南アジアに流れている事などから、経済の成長は鈍化している。観光立国や金融立国を目指したものの、中国と接するリスクや魅力の面で満州や台湾、東南アジアに劣っている事から、観光客の増加や投資の流れも低調となっている。

 その為、国内資本による経済立て直し、中南米やアフリカへの進出による輸出産業や土建業の強化を行っているが、思う様な成果が上がっていない。

 

 経済が不安定な一方、対中国に備える為の軍備を整えなければならないが、整備が中途半端な状況にある。行政や産業の中心は海南島にある為、海軍・空軍を整備するべきだが、雷州半島も有している為、陸軍の整備も必要だった。その為、どちらか一方に注力する事が出来ておらず、数も質も不安定な状況にある。

 陸軍は、M60やCM11が主力となっている。これ以外にも、装甲車やヘリコプターが多数配備されている。部隊の多くが雷州半島に配備されている。

 海軍は、済陽級フリゲートや鄭和級フリゲート(史実の成功級フリゲートだが、ライセンス版では無くアメリカの中古品)が主力だが、その老朽化が問題となっている。その為、自国造船業の振興も兼ねて、フランスとドイツから技術提供を受けて設計された康定級フリゲート(史実の江凱Ⅱ型フリゲートだが、各種装備は西側に変更)と田単級フリゲート(史実の広開土大王級駆逐艦だが、主砲が76㎜だったり、CIWSがファランクスなどやや装備が軽めとなっている)への更新中となっている。

 空軍は、F-16とF-CK-1の2本立て体制となっている。中国からの圧力の意味が殆ど無い為、最新のF-16の導入が可能となったが、航空産業の維持や対地攻撃能力の獲得から、F-CK-1の開発も行われた。

 

 海南島の経済発展中と同じ頃の1974年、中華人民共和国の国連加盟が実現したが、中華民国の国連脱退は無かった。これは、アルバニア決議(中華民国を国連から追放し、中華人民共和国を国連に加盟する。同時に、中華民国の安保理常任理事国の席を中華人民共和国に移す)が否決され、代わりに中華人民共和国の国連入りが可決された為である。

 これは、この世界の常任理事国の席は米ソ英仏の4つ(当初は5つだったが、5つ目を巡って中華民国とアメリカが対立、その結果「常任理事国の席は4つだが、将来的に増やす」とされた)であり、この世界のアルバニア決議は「中華民国の国連追放、中華人民共和国の国連加盟」であった。これが東西両陣営から否決された一方、代わりに日米両国が提案した「中華人民共和国の国連加盟」の方が可決された事で、中華民国と中華人民共和国が共に国連に加盟している。

 

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・台湾共和国(台湾)

 日本領台湾がそのまま独立した為、領土は史実の台湾(中華民国)の領土から金門・馬祖・東沙諸島を除いた領土となり、総面積は約3万6千㎢となる。総人口は約2800万人となっているが、これは史実の台湾の人口より約2割多い。

 

 日本領台湾が大東亜戦争後にGHQによる占領統治の後、1952年に独立した。その後、国共内戦や朝鮮戦争によって発生した亡命者の受け入れや多産の奨励、中国大陸からの亡命者の受け入れに東南アジアからの移民受け入れで人口を増加させていく。

 しかし、経済の拡大に反比例する様に出生率は低下している。移民の積極的な受け入れで人口減少は目に見える形で表れていないが、将来的には急速な高齢化と人口減少に見舞われると予想されている。

 

 人口増加に合わせて産業の振興も行い、独立当初は農業や林業、水産業などの第一次産業が中心だったが、その後は日本やアメリカからの技術支援や投資によって重化学工業が発展し、民族資本の拡大も進んだ。現在では、造船や製鉄、電機に半導体などが主要産業となっており、一人当たりのGDPにおいて東アジアでは日本に次ぐ高さを有しており、先進国と認識されている。

 また、東アジアと東南アジアの中間に位置する事から、両地域を対象としたサービス産業も発展している。当初は貿易や金融、後にITも発展した。現在では、東京・大阪に次ぐ東アジア有数の金融センターや貿易センターとしての地位を確立しており、東南アジア向けに対しては日本以上の情報・地位を有している。

 

 各種インフラについても、主に日本からの技術移転などによって整備された。特に鉄道は、国鉄とほぼ同様に整備された事もあり、初期は111系やキハ10形、後に103系に165系、キハ58系など当時の国鉄の主力車輛のライセンス生産が行われるなど、「日本国有鉄道台湾支社」と呼ばれる程だった。これに伴い、大都市とその周辺部の人口が増加し、大都市周辺のローカル線の通勤路線化も進められた。

 また、早くから道路と一体の地下鉄整備が行われた事で、台北や高雄では地下鉄の整備が進められている。同様に、台中や台南でも行われたが、こちらは輸送量が少ないと見られた事や新時代の路面電車のモデルケースとされた事で、路面電車の整備が進められた。

 鉄道以外にも、台湾西岸部を南北に貫く高速道路、基隆港や台中港、高雄港などの大型港、桃園国際空港の建設によって流通面の整備も1960年代から80年代に掛けて行われた。これにより、流通コストの低下やハブ機能の充実が見られ、製造業やサービス業の誘致や拡大の要因となった。

 

 軍備については、大東亜戦争後から中国大陸が台湾を保有しようと画策していた事から、その抑止力として空軍と海軍の整備が行われた。陸軍については、在台米軍の存在と、上陸されたら撤退する場所が少ない事から、兵力では無く機動力を高めた軍として整備された。

 陸軍は、M60とそのライセンス版であるT-1戦車が主力となっている。老朽化が進んでいる面もあるが、拡張性の高さや自国で部品を供給出来る事もあり、現在も主力戦車となっているが、数年以内に日本製の08式戦車(史実の10式戦車。日本製兵器の投入が史実よりも2~3年早い)を導入する予定となっている。

 海軍は、対空・対潜装備を充実させている。その為、台北級フリゲート(O・H・ペリー級フリゲートのライセンス版)や高雄級フリゲート(史実あさぎり型の改良型。対潜装備を強化している)が主力として8隻ずつ配備され、対空戦の切り札としてイージスシステムを搭載した鄭成功級ミサイル駆逐艦(基となったアーレイ・バーク級よりも一回り小さい基準排水量5500tの船体を採用)を2003年から配備している。

 空軍は、F-16とF-15Eが主力となっている。現在使用している機体が老朽化した場合、F-35を導入する予定となっている。

 

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・満州民主共和国(満州)

 領土は、かつての満州国と同じであり(約113万7千㎢)、首都も新京のままである。総人口は約1億4千万人となっている。後述の経緯から、多民族国家となっている。

 

 1945年6月5日の停戦と同年7月2日の対日戦の終結に伴い、連合国は日本と外地、衛星国の満州を一時的統治を行った後、民主化を予定していた。満州については、一時的統治の後、中華民国に返還する予定だった。

 この予定が狂ったのは、8月8日にソ連が連合国名義で進駐を行った為である。突然のソ連軍の満州侵攻に現地日本軍や日本に展開するアメリカ軍はおろか、アメリカ政府も驚いた。すぐさまソ連への非難と撤退勧告を出したが、ソ連の侵攻は止まる処か加速し、9月には満州全土と朝鮮半島北部を支配下に置いた。

 満州を支配下に置いた後、現地にある工場や鉄道など価値があるものの多くがソ連本国に持ち去られた。また、現地にいた日本人の多くも連れ去られ、シベリアなどで強制労働させられた。

 その後、東アジアでの発言力強化と中国への不信感から、当初予定の満州の中国返還を変更し、衛星国化する事を決定した。その為、ソ連領内にいる日本人を戻したり、ソ連や勢力圏である東欧から移民を送ったりなどして、強引な人口増加を行った。この後、中国での内戦の激化から難民が多数押し寄せ、朝鮮戦争の影響で難民や亡命者などが多数来るなどして労働力や頭脳が集まった。その様な中で、1954年に「満州民主共和国」として独立した。

 

 建国の経緯から、ソ連の影響力が強い。建国当初、ウラジオストクやハバロフスクなどの主要都市が朝鮮戦争中の事件が原因でアメリカの原子爆弾の投下により壊滅的被害を受けた事で、ソ連極東部再建の為に工業力が活用された。これにより、ソ連極東部の工業力・軍事力の代替として活用され、ソ連もその事を認識していた為、援助は常に優先的に行われた。

 冷戦崩壊と共に、満州も民主化が行われた。国号が「満州連邦共和国」に変更となった1989年に、満州社会党が保守派と改革派に分裂した。保守派が「満州労働党」となり、改革派が民主派の一部を取り込み「満州社会民主党」となった。民主派の内、社民党に取り込まれなかった者を中心に「満州民主同盟」が設立された。同年の選挙で、民主同盟が躍進するも過半数を取れず、社民党と二分するに留まった。労働党は1割弱を手に入れるのがやっとだった。

 現在では、20世紀末の極東危機による混乱によって政局が不安定となり、21世紀に入ると復活したロシアによる再衛星国化が行われた。政治的自由は制限されたものの、経済面では制限されなかった為、外資の導入などによる経済発展が進み、それに伴う国内の安定傾向も高まっている。

 

 国民の多くが漢人であるが、日系人や朝鮮人、ロシア人や東欧系、ドイツ系をルーツに持つ人も多い。これは、建国時の人口増加の経緯から、満州独立前にシベリアに抑留された日本人と朝鮮人、ドイツ人を満州に移住させ、更に人口増加の為にソ連や東欧から移民が送られた為、多民族国家となった。それでも、現地に住んでいた多数派が漢人である事、国共内戦で逃れた人々の殆どが漢人である事から、漢人が多数派となっている。

 尤も、教育の充実や生活の保障がされている事、治安の良さなどから、中国中央部への帰属意識は殆ど無く、「満州国民」としての意識形成に成功している。

 

 経済は、建国当初はソ連からの援助で工業化が進み、満州国時代の遺産である製鉄や化学、農業と合わせて発展する。その後も順調に発展し、ソ連・東欧諸国で不足する繊維や日用品の生産拠点や、ソ連の極東開発の基地としても活用される。また、1950年代に国内で相次いで油田が発見された事で、石油の輸出による外貨獲得も進む。それ以外にも、鉄道車両は重機、電子機器に航空機産業などの重化学工業や先端技術産業の発展も見られ、「ソ連16番目の構成共和国」と言われる程発展し、ソ連も満州に信頼を寄せていた事から、最先端技術や特許以外の技術については輸出していた。

 1980年頃から限定的な自由化や市場経済の導入が行われるも、ソ連の衛星国と合って低調だった。この状況が変化するのは、冷戦の終結と天安門事件後の1990年代に入ってからとなるが、極東危機で再び低調となる。

 極東危機後は好調に戻り、良好な治安や整備された流通網、法整備が為されている事もあり、東アジアでは日本に次ぐ地域大国と見做される様になる。

 一方、地下資源については減少傾向にあり、経済発展に伴う資源消費量の増加により、21世紀に入ってからは資源輸入国となる。資源の多くはロシアや中央アジア、モンゴルなどからの輸入に頼っているが、資源や市場開拓を目的に自力でアフリカに進出するなどして、経済面での自立を目指している。

 

 軍事では、ソ連の極東における要として、ソ連からは重要視されていた。その為、満州人民軍には常に最新の装備が供与され続け、民主化によって満州連邦国防軍となった後もそれは変わらない。また、ソ連軍の大規模な駐留が行われた。冷戦後とソ連崩壊後も、STOに加盟し続け、ロシア軍の駐留が規模を縮小させつつも続いている。

 陸軍では、T-72が主力戦車として大量に配備され、T-90も少数の精鋭部隊に配備されている。また、対中国を睨んで対歩兵戦の強化を行っており、BMPシリーズやBTRシリーズなどの装甲車両、Mi-8やMi-24といったヘリコプターも多数配備されている。

 空軍は、冷戦中はMiG-21が主力だったが、冷戦後期にはユーゴスラビア、ルーマニアと1980年代に共同開発した「88式戦闘機・蒼燕(見た目はIAR95、性能はノヴィ・アヴィオン。共に実機は生産されず)」が主力となった。それ以外については、一部精鋭部隊にSu-27、戦闘爆撃機としてSu-17、Su-24、Su-25、大型爆撃機としてTu-16が配備されている。その他、輸送機、ヘリコプターも多数配備されており、東アジア有数の空軍力を有し続けている。

 海軍は、フリゲート艦が主力となっており、自国製の新京型フリゲート(史実「カシュプ」)や大連型フリゲート(パルヒム型フリゲートを拡大したもの)に加え、ソ連製のタランタル型コルベットが主力となっている。冷戦中は日米の潜水艦を、冷戦後は中国の潜水艦や小型艦艇が対象の為、大型艦は有していないが、対潜装備や小型の水上目標向けの装備が充実している。

 

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・プリモンゴル人民共和国(プリモンゴル)

 総面積は約45万5千㎢であり、この領土は史実の内モンゴル自治区から旧満州国の領域と旧寧夏省の領域を除いたものとなる。総人口は約1500万人であるが、同地域の史実の人口は約1200万人となる。

 

 満州事変後、満州防衛や華北分離工作を目的に内蒙古に進出した。1939年に内蒙古に樹立されたのが蒙古聯合自治政府で、これがプリモンゴルの前身となる。

 終戦後、連合国の進駐より先にソ連軍が進駐し、そのまま居座った。その後、中国への返還がされないまま、1954年に「プリモンゴル人民共和国」として衛星国として独立させた。

 独立後、中国から逃れた難民を活用して、ソ連と満州の支援によって緑化と地下資源の開発が進められ、農業と鉱業が主要産業となる。同時に、両国の影響力が強まり、軍事的にはSTOの一角として対中国の最前線となる。その為、ソ連軍の駐留が行われ、中国に対する要とされた。

 冷戦後、1990年に民主化によって「プリモンゴル共和国」となるも、プリモンゴル社会党(旧・プリモンゴル共産党)の影響力が強く、権威主義的体制となっている。その為、報道規制などが残っているものの、石炭やレアアースなど各種資源の輸出で経済が良好な事から、不満は最小限となっている。

 人口の多くが漢人であり、モンゴル系は少数となっている。国民の半数近くが、中国中央部からの亡命者であるが、経済が良好なプリモンゴルに根差して半世紀近く経つ為、中国中央部への帰属意識は非常に低い。

 

 軍事面では、ソ連製の兵器が殆どを占める。民主化した後もロシア製の兵器が大半を占めるが、小火器や電子機器についてはイスラエル製やフランス製に変更される事が多くなった。

 陸軍はT-62が主力だったが、最近はT-72の改良型への置き換えが進んでいる。尤も、仮想敵国が中国である事から、対人戦装備の方に注力されており、BTRやBMP、BRDMといった装甲車両が主力となっている。戦車の方も、対人戦が中心になる事から、イスラエルによる装備の改良が進められている。

 空軍は、MiG-21とSu-17が主力となっており、少数のMiG-29が配備されている。また、対人戦への強化からMi-24やMi-8といったヘリコプターも多数配備されている。

 

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・ウイグルスタン人民共和国(ウイグル)

 領土は史実の新疆ウイグル自治区と同じ(約166万㎢)。総人口は、史実より1割程多い約2700万人。

 

 国共内戦中、ソ連と中国共産党の間で距離感が生まれた。これは、ソ連側は第二次世界大戦中の中国の動きが消極的だった事に対する不信感から、中国共産党側は満州にソ連軍が居座る続けている事に対する不信感から生まれたものだった。その後、ソ連は中国共産党への支援を続けたが、ソ中両者の不信感は解消される事は無かった。

 ソ連が動いたのは、1947年3月の事だった。中華民国の現地政府と、親ソの東トルキスタン共和国の連合政府である「新疆省連合政府」の主要閣僚を、親ソ系の人物で固めた。これに中華民国と中国共産党は激怒したが、中華民国はソ連の支援を受けた現地軍によって撃退され、中国共産党については支援の強化をする事で認めさせた。また、アメリカも表向きはソ連の拡張主義を批判したが、内心では中華民国の存在に幻滅していた事から大きな反対とならなかった。この様な経緯から、1947年に「ウイグルスタン人民共和国」として(ソ連の衛星国として)独立した。

 ソ連の衛星国として独立した事から、軍事・経済の両面でソ連の従属は必然だった。経済面では、ソ連の合弁会社を通じて資源や農産物の生産が行われ、ソ連・東欧圏で不足している繊維や食品加工品の生産拠点となった。軍事面では、STOの一角としてソ連の駐留が続き、対中国の最前線となった。

 冷戦後、1991年に民主化が行われ、国号も「ウイグルスタン共和国」に変更となった。しかし、国家体制に大きな変化は無く、ウイグル民主労働党(旧・ウイグル共産党)による事実上の一党独裁体制が続いている。尤も、国民はそれに不満を持つ事は少ない。

 

 独立後、独立国家としての足場固めに急いだ。ソ連の後ろ盾があるとはいえ、そうしなければ何れ再び中国の統治下になると考えられた為である。その為にはやる事が多かった。

 中国からの難民やソ連構成国の中央アジアからの移民、多産政策で人口増加を行った。この時、ウイグル系やカザフ系などの中央アジア系の人種の優遇政策も同時に取られた為、漢人に対する同化政策という一面もあった。難民や子供には教育を施し、国民意識の植え付けを行って中国への帰属意識を薄れさせた。こうして、半ば強引な国民意識の形成によって、四半世紀もすると中華への帰属意識はごく少数派の意見となった。

 そして、増加した人口を活用して、地下資源の開発や農場開発、牧場拡大に緑化を行った。これらの政策は独立前から行われていたが、独立後はソ連からの支援もあり大々的に行われた。

 これらの政策により、農業、畜産業、鉱業が主要産業となり、それらを支える食品加工業や繊維業も発展した。現在の主要輸出品は、石油・天然ガス、繊維(羊毛・綿糸)、食品加工品(乳製品・ワイン・ビールなど)となっている。特に、石油・天然ガスの対満・対日輸出が好調な事が、政治的不満が少ない理由ともなっている。

 

 軍事面では、装備についてはプリモンゴルと大差無い。ただ、プリモンゴルより中国からの軍事的圧力が弱い事から、近年では国境警備隊としての性格を強めており、哨戒や機動力の強化に注力されている。

 実際、陸軍は戦車の更新や増備は進んでいない一方、BTRやBMPといった装甲車への転換や更新は積極的に行われている。

 空軍も、戦闘機の更新はMiG-29に統一しているが、その数が少ない。一方、Mi-8やMi-24といったヘリコプター、An-26といった輸送機が主力となっている。

 

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・チベット国(チベット)

 領土は史実のチベット自治区から、東部のチャムド・ニンティを除いた領土となる(約122万㎢。中華民国の書類上の行政区画である西蔵地方とほぼ同じ)。総人口は約250万人。

 

 史実との違いは、1951年の十七か条協定が結ばれなかった事にある。これは、朝鮮戦争が1951年3月に休戦した事で、調印予定だったこの協定がアメリカやソ連に睨まれた事で調印がされなかった。これにより、チベットは中華人民共和国への「統合」が行われなかった。その後、同年6月からアメリカとインドの後ろ盾で正式に独立が決定し、国連による一時的な信託統治を経て、1953年4月に「チベット国」として独立した。

 

 独立後、国家体制の整備が進められた。これにより、バチカンをモデルとした国家体制の構築がされる事となったが、四半世紀掛けてゆっくりと行われた。これは、アメリカがあまり関心を持って行わなかった事、急進的な構築は反発が大きくなると判断された事からだった。

 また、アメリカ軍とインド軍の駐留も続けられた。これは、チベット国軍の整備が進むまでとされたが、防衛範囲の広さに対して人口の少なさや予算問題から単体での防衛は不可能とされ、両国の駐留が続けられた。PATOには加盟していないが、オブザーバーとして参加している。

 

 現在では、中国との睨み合いが続いているが、前述のPATOの存在から大規模衝突には至っていない。ただ、小規模な衝突は何度か発生している。

 経済状況は、小規模な繊維業や畜産業、観光業が主体となっている。地下資源の存在は確認されているものの、環境の厳しさや道路整備の遅れ、内陸国故の採掘・輸送コストの高さから開発は遅れている。その為、一人当たりのGDPこそ低いものの、貧富の格差が小さい為、治安の良さも相まってむしろ安定している。

 

 軍備は、国境警備隊程度しか有していない。しかし、チベット軍の兵士の練度や戦闘技術などはグルカ兵並みであり、高地である事も重なり侮れない存在となっている。実際、人民解放軍との小規模な衝突で先頭経験は充分あり、アメリカ軍やインド軍との模擬戦でも勝利を何度もしている。

 しかし、数が少ないので単独では国を守り切れない為、アメリカ軍やインド軍の駐留が続いている。

 

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・香港

 領土・人口は史実通り。

 

 1997年6月30日までは史実通りだが、翌7月1日にイギリスから独立した。中国への返還とならなかった背景に、冷戦期からの中国に対する不信感や経済格差、日本からの海水淡水化技術による水問題の解消があった。これにより、1980年代に行われた交渉で独立する事が両国の交渉で決定した。その際、租借地だった新界を香港に組み込む事も決定し、その補償金が中国に支払われた。

 独立の経緯から、中国は香港を手中に治めようと画策し、香港は中国に対する不信感や恐怖心からそれに対抗した。一方、両国は領事館を置くなどして、何とか外交関係は維持されている。

 

 独立以降の歴史や経済の状況は、中国からの有形無形の介入や妨害があるものの、概ね史実通りとなる。

 一方、軍事は駐香港イギリス軍が主力となり、香港独自の軍事力を有していない。その代わり、警察組織を拡張して治安の維持を図っている。


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