架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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番外編:この世界での諸外国②(東南アジア・南アジア・西アジア)

【史実との違い】

〈東南アジア〉

・カンボジアが満州の影響で社会主義国として成立する。その為、ソ連とも関係が良好となり、ポル・ポトによるカンボジア支配は起きていない。

・ビルマ(ミャンマー)は、1960年代から満州との連携を強め、1977年に親満・親ソの社会主義国となった。

 

〈南アジア〉

・インドが親米国家となり、西側諸国の一員となった。

・インドに代わり、パキスタンが親ソ国家となった。バングラデシュについては史実通り。

・アフガニスタンは、パキスタンと共に早くから親ソ国家となる。

 

〈西アジア〉

・イランは、1979年のイラン革命は発生せず、現在もパフレヴィー朝が続いている。

・イラクは、イランへの対抗を目的に、ソ連の勢力圏に入る。湾岸戦争で政権が倒れた後、親米政権が樹立して安定化に向かっている。

・イエメンは1971年に親ソ国家として統一する。

 

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〈東南アジア〉

・カンボジア王国(カンボジア)

 領土は史実通り。但し、人口は史実よりも2割程多い約1800万人。

 

 1970年のロン・ノル将軍によるクーデターによるクメール共和国樹立までは史実通り。異なるのは、追放されたシハヌーク国王が満州の支援を受けた事である(史実では中国の支援を受けた)。これにより、満州とソ連による支援の下、亡命政府「カンプチア王国民族連合政府」を樹立した。

 その後、内戦によってクメール共和国を打倒し、1975年4月に民族連合政府が首都プノンペンを占領した。これにより、カンボジアの支配者が変わり、国号も「カンボジア王国」に戻った。

 「王国」と名乗っているが、実際はカンボジア労働党による一党独裁体制であり、他の共産主義国と大差無かった。但し、宗教を否定しておらず、立憲君主制の下で社会主義を実施するとされた(イギリスの立憲君主制に、ソ連の民主集中制を足した感じ)。その為、ソ連から反対される事は無かった。

 カンボジア王国樹立の際、クメール共和国の関係者の多くは、国外追放されるか強制労働による思想改造の処分が下った。また、政治路線を巡って対立していたクメール・ルージュの掃討も実施され、3年間に及ぶ掃討戦の末、壊滅させた。

 

 王国復興後、直ちにソ連や満州、ベトナムを始めとした東側諸国が承認した一方、西側諸国は承認しなかった。その後、ソ連や満州の支援で国内の復興や農業の再建が行われた。同時に、食品加工業や木材加工業、繊維業などの軽工業建設の支援も行われた。

 これにより、1980年代初頭には経済は完全に回復し、農業の生産も安定した事で、コメの輸出が出来る程になった。

 また、国内の交通網の整備も進められ、ベトナムとの鉄道の接続が図られた。道路整備も進められ、ベトナムやラオスとを繋ぐ幹線道路の建設も行われた。タイとの鉄道・道路の接続も計画されたが、実現するのは冷戦後となった。

 

 その後、冷戦体制の崩壊によるソ連からの支援の減少、ベトナムとラオスでの市場経済導入に合わせて、カンボジアでも市場経済が導入された。膨大が外資が国内に流れ込み(この頃、西側諸国との国交回復)、人件費の安さと比較的整備が進んでいた繊維業と各種加工業が発展した。軽工業以外では、日本や満州からの支援でバイオ燃料や酢酸エチルの生産が行われている。

 

 軍事力は、基本的に国境警備隊程度となる。かつては、タイ国境付近に比較的重武装な戦力を配備していたが、冷戦崩壊によって大規模な軍事衝突はほぼ無くなった。その反面、国境付近の治安悪化が懸念された事から、非正規戦への適応強化が図られると同時に、軍事力の削減を行って軍事費の削減も図られた。

 

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・ビルマ連邦社会主義共和国(ビルマ)

 領土は史実のミャンマーと同じ。人口は、史実よりも2割程多い約6千万人。

 

 ビルマは、アメリカからの支援を受ける一方、1960年代から満州と接触を行った。これにより、ビルマ国内の社会主義・共産主義勢力は満州とその後ろにいるソ連のコントロールを受ける様になる。当時の政府は余り良い感情を抱いていなかったが、武器や各種軍需物資の膨大な支援があり、国内の武装勢力に対する攻撃が強まり、国内基盤を強める事が出来た事から、表立った反対をしなかった。

 1977年、満州とソ連の後ろ盾を得たビルマ民主労働党によるクーデターが発生、ビルマ連邦社会主義共和国を乗っ取った。以降、中立路線と決別しソ連や満州、インドシナ三国との連携の強化が公表された。

 クーデター後、満州とソ連の支援による農業や軽工業の整備が進められた。元々、農業や林業は発展しており、鉱業の発展も期待されていた事から、直ぐに整備の効果は表れた。コメの生産量は拡大し、綿花や麻、コーヒーなどの商品作物の栽培も行われた。木材の切り出し量や宝石類の採掘も軌道に乗り、経済や輸出品目が多角化した。

 同様に、鉄道網・道路網の整備も進められた。この中で最大のものとして、西部の港湾都市であるアキャブから中部の主要都市マンダレー、ラオス北部のルアンパバーンを経て、ベトナムのハノイに至る道路が建設された。インドシナ半島を東西に貫くこの道路の完成により、ミャンマーとラオス、ベトナムの交流を活発化させ、内陸部の開発促進に寄与した。

 また、今までのビルマ族優遇政策を改め、全ての民族が等しく教育や雇用の機会を得られる様に法整備が進められた。当初、この政策はビルマ族から批判があったが、経済の拡大による雇用創出や周辺地域の民族問題の解消、国民意識の形成などのメリットを説かれた事で、渋々ながら実行された。

 

 冷戦後は、ベトナムや満州と共に市場経済を導入した。識字率の高さや国内の治安の良さを生かして、外資による繊維業や食品加工業など各種軽工業の進出が進んだ。

 現在では、家電メーカーや自動車メーカーの部品工場の進出が見られ、国主導による化学や製薬の振興が行われている。また、21世紀に入ってからは観光開発にも力が注がれ、観光業も発展を見せている。

 

 軍事面では、陸軍が最大規模の戦力となる。これは、長く国境で接する中国との対立、未だに辺境部で残る武装勢力対策から、地上戦力が多く求められた為である。装備は、BMPなどの装軌装甲車が多数を占め、次いでBTRやBRDMといった装輪装甲車が多数配備されている。また、Mi-8やMi-24といったヘリコプターも比較的多く保有している。前述の通り、国境警備や国内の武装勢力が対象の為、戦車よりも装甲車と歩兵が必要な為である。

 空軍と海軍は、陸軍のサポートの役割が主任務となる。空軍は、防空用としてMiG-29が配備されているが、多くはAn-26やMi-8といった輸送機やヘリコプターとなる。海軍は、コニ型フリゲートやタランタル型フリゲートが主力となる。

 

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〈南アジア〉

・インド共和国(インド)

 領土・人口は史実通り。経済力は史実以上。

 

 独立後、暫くは中立路線を取っていたインドだが、朝鮮戦争後は親米路線に転換した。その後、自国産業の保護と育成を行いつつ、アメリカや日本など西側諸国からの支援もあり経済は拡大した。

 1970年代後半から、世界最大の人口と識字率の高さを活かして、西側諸国の工場移転が相次いだ。この世界では、中国の不安定さから投資が弱い為、その分がインドに流れ込んだ。これにより、史実以上の経済の拡大と各種工業の発展が見られた。その為、1980年代後半から「世界の工場」と呼ばれた。

 現在では、外資主導による経済の拡大とそれに伴う民族企業の拡大によって、中間層の拡大や消費の増大が見られる。未だに人口増加が続いている事から、「世界の工場」だけでなく「世界の市場」ともなっている。2010年頃には、名目国内総生産でドイツを抜き世界3位になると見られている(史実では、2017年で7位)。

 

 軍事面では、西側装備で固められている。それでも、アメリカ製やイギリス製、日本製など多種に亘るが、米英日からの導入が主流となっている。

 特に拡大が顕著なのが海軍で、2010年に「老朽化した空母の代替」という名目で、満載排水量4万トン級の空母を2隻保有し1隻建造中となっている(1隻はイギリスに、1隻は日本に発注。1隻は自国建造)。艦載機も、F/A-18スーパーホーネットとAV-8ハリアーⅡが主力だが、2025年までにF-35に転換する予定となっている。

 核兵器については保有しているが、アメリカとのニュークリアシェアリングという形で落ち着いた。その為、独自の核武装は行っていない。

 弾道ミサイルについては、パキスタンやソ連、中国を背後から攻撃する目的から積極的に開発が行われたが、冷戦後は短距離用を除いて全て廃棄された。その代替として、アメリカから格安で各種兵器の購入が認められた。

 

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・パキスタン・イスラム共和国(パキスタン)

 領土・人口は史実通り。

 

 この世界では、インドが親米路線を採った為、インドと対立しているパキスタンは親米路線を採る事が出来なかった。その代わり、親ソ路線が採られ、ソ連製兵器を大量に輸入した。

 冷戦中、パキスタンは南アジアの拠点、インド洋の拠点として活用された。実際、パキスタン南西部のグワーダルがソ連の支援によって軍港として整備され、黒海艦隊と太平洋艦隊から抽出して「インド洋艦隊」が設立された程だった。また、パキスタンとソ連に挟まれたアフガニスタンの親ソ政権樹立にも一役買った。

 冷戦後は、ソ連からの支援が激減した事で経済・軍事の両面で不安定な状態にあったものの、早い段階から各種産業の育成・振興には力を注いでいた為、壊滅的な状態にはならなかった。また、1980年代から外資の導入による経済活性化を図っており、繋がりがあるイギリスを始めとしたヨーロッパからの投資があったものの、多くは人口が多く親米国のインドに流れた為、大きく拡大しなかった。

 現在は、ロシアの復活や民族資本の活性化によって経済が回復している。インドとの対立から外資の導入は依然不安定なものの、アメリカや日本からの投資も少しずつ増加している。

 

 冷戦中、インドと対抗する意味で、ソ連から大量の兵器が入ってきた。それにより、陸軍と空軍は南アジアではインドに次ぐ規模を持っており、現在もそれは変わらない。

 陸軍は、T-62が主力であり、ライセンス生産も行われている。現在、ロシアやフランスからの技術を受けて改良型(砲塔の改良、電子装備の改良など)の生産も行われている。それ以外の装甲車やヘリコプターも多数配備されている。

 空軍は、MiG-21が主力となっているが、年々MiG-29への置き換えが進んでいる。その他にも、MiG-27やSu-17、Su-25も多数保有している。

 海軍は、コニ型フリゲートやタランタル型コルベットが主力で、その他の艦艇も哨戒艇やミサイル艇しか保有していない。だが、海軍航空隊としてSu-24やTu-16、Il-38などの攻撃機や哨戒機を多数保有しており、その対艦攻撃力や哨戒能力は侮れない。

 

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・アフガニスタン民主共和国(アフガニスタン)

 領土は史実通り。人口は史実より3割程多い約4000万人。

 

 史実と異なる動きとなったのは、1963年3月に国王ザーヒル・シャーによってダーウード首相が解任されたが、その後任が親ソ派の人物だった事にある。その人物が首相に就任後、前任者が行っていた急進的な改革は改められ、段階的な改革にシフトしていった。

 暫くは穏健な改革者としての顔をしていたが、それが変化したのは1967年だった。首相が、ソ連とパキスタンの支援を受けた軍部と結託してクーデターを起こした。クーデターは成功した事で、王制は廃止され共和制国家「アフガニスタン民主共和国」となった。

 

 クーデター後、ソ連とパキスタンと同盟関係となり、支援も増加した。国内の政党はアフガニスタン民主同盟が指導政党とされ、それ以外の政党も存在したが衛星政党としてだった。

 クーデター前から行われていた改革はクーデター後も続けられ、農地改革や宗教改革、教育改革に女性の権利の向上などが進められた。その際、宗教関係者や大地主の対立があり、武力衝突に発展した事も少なくなかった。その衝突の鎮圧に協力したのが、満州だった。

 満州は、中満国境での人民解放軍との衝突、国内の馬賊や親中派武装組織の掃討など、非正規戦に対するノウハウが豊富にあり、そのノウハウをソ連も導入した程だった。そのノウハウと多数の教官がアフガンに持ち込まれ、鎮圧に大きく貢献した。

 

 国内の反対派の鎮圧に成功した事、鎮圧する為のノウハウを身に着けた事で、その後の改革は順調に進み、1978年には「改革の完了」が宣言された。その後は、改革中に小規模に行われていた各種産業の育成やインフラ整備が拡大した。これにより、鉱業の開発が大きく進み、銅や鉄、石炭だけでなく、天然ガス、金、ラピスラズリなどの採掘が進んだ。多くはソ連や満州との合弁企業だが、税収や雇用の面で大きな役割を果たした。

 鉱業以外にも、土壌流出を防ぐ目的で行われた植林を活かして林業の発展が見られ、林業に付随する木材加工業や家具製造業の発展も見られた。かつてケシ畑だった地域ではコムギや茶などに転換され、アヘン製造量は年々減少した。

 また、古くから多くの文明が出入りしていた事から、歴史的建造物やその遺跡が多数存在した事から、外貨獲得を目的に観光業も盛んになった。その一環として、フラッグキャリアのアリアナ・アフガン航空や国内の空港設備を拡張して西側諸国を含めた多くの路線を飛ばしたり、首都カーブルにホテルを複数建設するなどした。

 空港の拡張に合わせて、国内の道路や鉄道の整備も進んだ。道路については、国内の主要都市同士を結ぶ幹線道路が多数整備され、ソ連やパキスタンとを結ぶ道路も建設された。これにより、輸出入のルートは確保されたが、輸送量や採算面から効率が悪かった。その為、鉄道の整備も進んだ。

 鉄道のルートは、ソ連側からはウズベクのテルメズからマザーリシャリーフを経由してカーブルへ、トルクメンのクシュカ(現・セルヘタバット)からヘラートへの路線が第一期線として1966年に開業した。その後、カーブル・ヘラート~カンダハル、カーブル~イスラマバード、カンダハル~チャマン(パキスタン)、カーブル~ヘラートの建設・開業が進んだ。これらはあくまで幹線路線であり、それ以外の支線も多く開業した。

 

 冷戦後、ソ連からの支援が減少した事で、一時は経済が不安定となった。それに伴い政治的混乱も生じ、内戦状態一歩手前まで行った。

 しかし、西側諸国からの支援によって1998年には混乱は収まり、その後はアメリカや日本からの支援によって経済と治安の回復が為された。ロシアのプレゼンツはソ連崩壊以降は低下したものの、現在も武器の取引先や主要企業の株主として影響力は維持している。

 

 軍事面では、対ゲリラ戦に特化した装備となっている。

 陸軍では、T-62やT-72といった戦車を装備しているが、主力はBTRやBMP、BRDMなどの装甲車、Mi-8やMi-24といったヘリコプターとなっている。また、目的も「国防」よりも「国内の治安維持」と「国境警備」の方が主任務となっており、歩兵の数が多いのも特徴となっている。

 空軍も、陸軍の任務を支援する為、多くのヘリコプターや輸送機を保有している。MiG-21戦闘機も保有しているが、防空が主任務の為、保有数は多くない。むしろ、対地攻撃が可能なSu-17やSu-25の方が重視されている。

 また、準軍事組織として国境警備隊と国内保安隊が存在する。共に警察系であるが、前者は国境警備を、後者は国内の武装勢力の掃討が主任務となる。国軍は両者と協力して国防や治安維持に当たる事となっている。

 

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〈西アジア〉

・イラン帝国(イラン)

 領土・人口は史実通り。 

 

 史実と異なり、1979年のイスラム革命が発生しなかった為、パフレヴィー朝が続いている。王朝が続いた背景として、1951年のモサッデク首相による海外資本の石油産業の国有化が行われなかった事にある。

 首相は、国内にあったイギリス資本の石油会社の国有化を検討していた。国有化した場合、イギリスは猛反発してくる可能性が高いが、ソ連との関係をつくる事で対処しようとした。

 しかし、朝鮮戦争中にソ連が原子爆弾を初めて実戦使用した事を受けて、ソ連に対する心象が悪化した事から、ソ連を後ろ盾とする事は危険と判断された。その為、当初予定だった国有化案は破棄され、石油によって得られる利益を折半し、石油関連施設の段階的な買い戻しという案に変更となった。

 イギリスはこの案を受け入れ、石油以外の経済部門でも同様の措置を採る事を約束した。この結果、1953年の米英の後ろ盾によるクーデターは発生せず、首相の退任も無かった。また、クーデターが発生しなかった事から国王への権力集中も発生しなかった事が、イスラム革命が起こらなかった要因となる。

 

 国有化未遂後、イランの国内開発はゆっくりとだが進められた。その為、実情に合った経済成長が行われ、特に教育面の向上・改善が優先された。石油輸出による利益がもたらされると、農地改革やインフラ整備、軽工業の整備が進められた。西側諸国からの支援もあり、1970年代には中東で最も経済的に発展した国となった。

 1973年のオイルショックでは、アラブ諸国に代わって西側諸国への輸出を拡大した。これにより、日本とアメリカとの関係強化に成功し、主要貿易相手となりシェアの獲得にも成功した。ここで得られた利益は、軍備拡張、製鉄や自動車製造などの重工業、大学や製薬など科学分野など新分野へ回されたが、依然として民生部門への投資は多く回されていた。

 これにより、国内の不満は抑えられており、宗教関係者との対立も小さかった事もあり、イスラム革命は発生しなかった。それにより、アメリカとの断交は発生せず、その後も西側製兵器の導入が続いている。

 しかし、隣国イラクがイランの軍事力を恐れた事、石油輸出を巡って対立した事から、イラン・イラク戦争は史実通り発生したが、6年で終戦となった(史実だと8年)。

 その後、湾岸戦争ではクウェート解放及びイラク侵攻の拠点として活用され、アメリカや日本、イギリスなどの多国籍軍が駐留した。

 

 現在では、中東随一の経済力を持つ親米国家として、アメリカからの信頼も厚い。実際、暴走しがちなイスラエルや扱いにくい部分があるサウジアラビアよりも言う事が利いており、ロシアの後背を突ける事もあり、中東における陸空軍の拠点となっている(海軍はインド)。

 経済面でも、石油以外にも農業や林業などの第一次産業、鉱業や製鉄、電機に自動車製造などの第二次産業が発展しており、製薬やバイオテクノロジー、情報通信などの新分野への進出も著しい。また、西側諸国の企業の進出も進んでおり、工場を設置するなどしている。

 

 軍事面では、冷戦中はソ連の後背を突ける位置にいる事などから、西側製の兵器が多く導入された。その為、中東ではトルコに次ぐ地域大国であった。冷戦後は、地域の治安が不安定化している事もあり、ゲリラ戦に対する装備の導入が進められている。

 陸軍は、冷戦中からM48やM60の大量導入が行われたが、イラン・イラク戦争で多くが損失した。その後、アメリカや西ヨーロッパからM60やレオポルト1の導入が行われたが、21世紀に入ると老朽化が酷くなった。その為、トルコと共同で戦車の開発を行い、アメリカやドイツからの技術支援もあり、第3世代の主力戦車「ゾルファガール」(トルコ版は「アルタイ」)が完成し、2013年から配備が行われている。戦車以外にも、装甲車やトラック、ヘリコプターを多数保有している。

 海軍は、スプルーアンス級ミサイル駆逐艦の改良型であるコウローシュ級ミサイル駆逐艦(史実のキッド級ミサイル駆逐艦)が主力となっているが、史実ではキャンセルされた5・6番艦が就役した。それ以外にも、ノックス級フリゲートを基にしたアルヴァンド級フリゲートを複数配備するなど、中東最大の海軍力を有している。

 空軍は、イラン・イラク戦争時はF-4やF-5が主力だった。その後、それらが老朽化してきた事からF-16への置き換えが進んでいる。他にも、F-15やF-15Eも多数配備されている。これらは数の多さや練度の高さなどもあり、総合的な戦闘力ではイスラエル空軍以上と見られ、正に中東最強の名を欲しいままにしている。

 

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・イラク共和国(イラク)

 領土・人口も史実通り。

 

 史実では、1970年代からアメリカに接近しているが、この世界ではソ連に接近した。これは、対立するイランが親米国家であり続けた事から、対抗するにはソ連に接近するしか無かった為である。

 一方のソ連も、ペルシャ湾での影響力強化、イランから受ける中央アジア及びコーカサスに対する圧力の分散から、イラクに接近した。

 両者の思惑が一致した事で、イラクはシリアに次ぐソ連の中東における重要拠点となった。これにより、ソ連製兵器が大量に入手する事が出来た反面、西側製兵器は殆ど入ってこなかった(僅かに、フランス製やイギリス製が入ってきた程度)。

 

 その後、湾岸戦争まではイラン・イラク戦争が2年早く終わった事を除けば、概ね史実通りとなる。

 湾岸戦争では、多国籍軍によるクウェート解放後、そのままイラク領内に進攻した。これは、これ以上の対立状態を解消したいイランの考えと、日本など参戦国が増加した事による投入戦力の増加から来るものであった。イラク軍は多国籍軍の侵攻を食い止める事は出来ず、5月に首都バグダッドが占領された事でフセイン政権は崩壊し、戦争も終了した。

 戦後、日米主導でイラクの民主化が行われた。フセイン政権の関係者の多くは戦後の裁判で裁かれたものの、「民主化を手伝えば罪を軽くする」という司法取引を受け入れる形で、多くの関係者が政府・官僚・軍部に戻った(流石に、フセイン大統領以下最重要人物の復帰は許されず、終身刑となった)。これにより、治安の悪化は最小限に収まった。

 それでも、フセイン政権下で押さえつけられていた不満が噴出し、ソ連崩壊による冷戦の終了もあり、1990年代中頃はテロが増加した。その為、最低限の軍事力のみ保有していたが、その後は警察力を中心に軍事力が回復した。

 

 現在では、日米による支援もあり、治安と経済が回復している。20世紀末の極東での混乱に伴うアメリカの一時的プレゼンスの低下によって、再びロシアがパイプを形成するなど変化もあったが、米露両国の緩衝地帯として存在している(実際、経済ではアメリカが、軍事(装備)ではロシアが主導権を握っている)。

 アメリカの仲介もあり、イランとの関係も解消に向かっているが、民間レベルでは未だに不信感は拭えていない。また、近年の対テロ戦を理由とした軍拡も、イランとの対立の一因となっている。

 

 軍事力は、湾岸戦争でほぼ壊滅した。その後、再建されたが治安維持程度に抑えられた。その後のテロ活動の拡大に伴いイラク軍も拡大していったが、かつてとは異なり対テロ戦への装備が多数となっている。

 陸軍は、T-72やBTR、BMPが主力となっている。それ以外にも、ハンヴィーやトラックを多数保有しており、機動力の高い軍隊となっているが、練度が低いのが欠点となっている。

 海軍は、海岸線の短さから哨戒艇が数隻と小規模となっている。海岸線や港湾施設の哨戒が主任務となっており、テロリストによる船舶や港湾施設の占拠に対抗する為、特殊部隊が充実している。

 空軍は、再建後は輸送機やヘリコプターしか保有していなかったが、21世紀に入って戦闘機の導入が行われた。2001年からMiG-29が36機導入され、以降少しずつ増備していき、2010年には200機を保有している。それ以外にも、戦闘攻撃機Su-25、C-130やAn-32などの輸送機、UH-60やMi-26などの輸送ヘリコプター、攻撃ヘリコプターMi-28も数多く保有している。

 

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・イエメン民主共和国(イエメン)

 領土・人口は史実通り。

 

 史実では、1990年にイエメン・アラブ共和国(北イエメン)とイエメン人民民主共和国(南イエメン)の統合という形で、イエメン共和国(イエメン)が成立した(実態としては、北イエメンによる南イエメンの吸収合併)。

 この世界では、1971年にイエメン・アラブ共和国と南イエメン人民共和国の統合という形で、イエメン民主共和国が成立した。

 

 史実との違いは、1962年から70年まで続いた北イエメン内戦において、ソ連と満州が共和派への支援を強化した事で、共和派が内戦に勝利した事である。史実では、共和派を支援したエジプトが第三次中東戦争によって離脱した事で支援が不足し、お互いに決め手を欠いた事で1970年に両者の妥協という形で終息した。

 この世界では、エジプトの代わりに満州が強力に支援した事で、共和派の力が増した。これにより、1969年に共和派の勝利で内戦を終わらせた。

 その後、北イエメンはソ連と満州の影響力が強まり、自然と親ソ国家化していった。そうなると、1967年に成立した南イエメン人民共和国との統合も視野に入った。両者の間で統一イエメンの構想は前から存在し、共に親ソ・社会主義共和制である事からハードルは小さかった。

 その為、1970年から両者による統一の交渉は順調に進み、1971年12月に両者は統合して「イエメン民主共和国」が樹立した。首都は旧・北イエメンの首都サヌアと定められ、国内の政党はイエメン社会党に一本化された。

 

 統一後も、ソ連の中東・インド洋の拠点である事には変わらなかった。また、満州からの資本投下や産業への支援も行われ、漁業と水産加工業を中心に食品加工業の発展が見られた。それ以外にも、砂漠の緑化、満州やイラクなどと共同して砂漠での農業の実施、コーヒー栽培の拡大など農業関係の投資も多く行われた。

 冷戦末期には、満州やベトナムに倣い市場経済の導入が行われた。これにより、ソ連からの支援の減少による経済の停滞が解消され、繊維工場や食品加工工場が増加するなどして雇用の拡大が見られた。

 現在は、ヨーロッパからの観光客の増加による観光業の拡大が見られ、それに付随してホテルや運輸業などのサービス業の拡大が進んでいる。一方、ソマリア沖の海賊対策として、アデンが各国海軍の基地として活用されており、軍向けの産業が興るなどしている。

 

 軍事的には大きな戦力を保有していない。陸軍は国境警備、海軍は沿岸警備、空軍は陸海軍のサポートという役割となっている。

 近年、ソマリア沖の海賊対策として、海空軍の拡張に乗り出している。実際、海軍はロシアから哨戒艇を複数購入する計画が立っており、空軍はMi-14の購入が計画されている。


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