架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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番外編:台湾プロ野球

 日本とアメリカとの繋がりが深い台湾では、野球がスポーツで最大の人気を誇っている。1978年から始まった台湾プロ野球は6球団から始まり、1993年には新リーグが結成されて2リーグ12球団体制となった。その後、両リーグは冷戦状態にあったが2000年に両者の和解が成立し、2001年には台湾シリーズが開催される事となった。

 

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 台湾は、戦前は日本領、戦後はアメリカの統治を経て同盟国となった経緯から、野球が盛んだった。特に、高校野球と社会人野球の人気は高く、それに大学野球が続いた。

 また、早い時期から日本プロ野球へ参加する選手が多く、オフシーズンでは温暖な気候を生かしてキャンプ地としても活用された為、プロ野球への関心は高かった。その為、1960年代中頃にはプロ野球構想が浮上した。

 しかし、この時は資金不足から実現する事は無かった。それでも、この時の提案は「今後、台湾経済が拡大して資金的余裕が出てきたら、再度検討する」として保留となった。

 そして、一定程度の経済の発展が見られた1975年に、改めてプロ野球構想が浮上した。以前は経済的事情から却下されたが、今回はその問題はほぼ解決している事、日本への野球人材の流出を防ぐ思惑もあり、遂に実現する事となり「台湾職業野球連盟(TPBL(Taiwan Professional Baseball League))」が結成された。

 尤も、急な開催は不可能な為、3年間の準備期間を経て1978年からスタートする事となった。また、最初から大規模にするとレベルが低くなる為、最初は6球団での実施となり、順次拡大していく方針となった。

 

 こうして、1978年の開催を目処に、6球団の編制が行われる事となった。球団編制は、日本プロ野球に倣い親会社が存在する形となった。その為、親会社の選考が行われた。1年以上掛けて厳選な審査が行われた結果、次の6社が保有となった。

 

・台湾時報(メディア)

・聯合日報(メディア)

・斗山(繊維、食品、化粧品、日用品、商社、不動産、建設)

・三星(繊維、食品、商社、建設、不動産、化学、電機、金融)

・台湾塑膠(化学、日用品)

・台湾糖業(食品、製薬、化学、鉄道、不動産)

 

 6球団の親会社が決まった事で、チーム編成が急がれた。高卒や大卒、社会人の目ぼしい選手の獲得競争となった。この時、高校野球及び大学野球の強豪校や社会人野球の有力チームからの引き抜きは難航したが、強豪とはみなされていない高校や大学の出身者、同様に有力と見られていない社会人チームやクラブチームからはむしろ歓迎された。これは、このまま埋もれさせるには惜しい人材の登用、プロ野球選手の出身校及び所属チームとして名を売ろうという思惑、経営難や方針の変更でチームを解散させる事となった事への受け皿などの目的があった。

 こうして、多くが競合や名門出身者では無い選手が多く集まったが、強豪校出身者や有力チーム出身者がいない訳では無かった。そして、1軍と2軍の編制が完了し、チーム名も次の様に決まった。

 

・基隆台塑ホエールズ

・台北台湾時報イーグルス

・台中斗山タイガース

・嘉義三星ライオンズ

・台南台糖カブス

・高雄聯合日報ドラゴンズ

 

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 親会社決めと並行して、ペナントレースの進め方が協議された。試合数については、24回の総当たり戦(120試合)を行う事で決定したが、リーグ優勝を決める方法が決まらなかった。日本やアメリカの様に2リーグ制では無い為、リーグ優勝チーム同士の頂上決戦は存在しない事から、1シーズン制では盛り上がりに欠けると見られた。その為、2シーズン制にするか全試合終了後に上位3チームで優勝決定戦を行うかに分かれた。

 前者は、「1シーズン制だと、優勝の見込みが無いチームの試合が消化試合化して詰まらなくなる」「ならば、2シーズン制にして消化試合を減らした方が興行的にも良い」「『上位3チームでの優勝決定戦』方式だと、勝率が5割を切ったチームが優勝する可能性があり、その場合、優勝チームにふさわしいのかが問題になる」「また、6チームしかないのに上位3チームが出場出来るのは枠が広すぎる」という意見から、前後期制を推した。

 後者は、「『2シーズン制』だと、前期優勝したチームの後期の全試合が消化試合化する」「上位3チームの枠を巡って各チームが争うのだから、寧ろそれを巡って試合が活発化するから興行的に良い」として、上位3チームによる優勝決定戦を推した。

 野球関係者の意見を聞くなどを行い、日本プロ野球やメジャーリーグでのプレー方式を踏まえた結果、2シーズン制が採用された。これは、上位3チームでの優勝決定戦方式は何処も採用していない事、やはり6チーム中の3チームは広過ぎる事が原因だった。

 

 ドラフトは、1978年のシーズン終了後から行われる事となった。方法はウェーバー方式(最下位のチームから指名が行われる)であり、2位までは競合が発生する。競合した場合、くじ引きで決定する。各球団は10人まで指名出来る。

 また、ドラフトだけでは選手が不足する可能性から、5人までドラフト外で獲得出来る。尤も、ドラフト外入団を巡っての金銭問題が発生した事から、1996年に廃止となった。その代わり、ドラフトでの指名人数が3人増加した。

 

 ペナントレースの進め方が決定し、チーム編成も完了した事で、無事1978年から台湾プロ野球が開催される事となった。ペナントレースの結果、前期優勝は高雄聯合日報ドラゴンズ、後期優勝は台中斗山タイガースとなった。

 その後、両チームによるリーグ優勝チーム決定戦(台湾シリーズ。7戦4勝方式)が行われ、結果はドラゴンズが4勝2敗で制し、初代台湾チャンピオンに輝いた。

 こうして、台湾プロ野球最初の年は成功という形で幕を閉じた。

 

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 1978年から始まったプロ野球の人気は、瞬く間に拡大した。台湾最大級のメディアである台湾時報と聯合日報の存在から、新聞広告だけでなくラジオやテレビによる中継などもあり、生活の中に急速に入っていった。これによりプロ野球人気は急速に高まり、3年目には各球団で黒字が報告されるようになった。

 こうなると、高校野球や社会人野球などからプロ野球へ入りたいと思う選手も出てくるに様なり、入団希望者が殺到した。最初のドラフトでは半数近くが指名拒否となったが、年々指名拒否は減少していった。

 特に、強豪校や名門チームからの入団者が増加する事となり、それによりレベルの向上や更なる人気を呼び込む事となった。

 

 こうしてプロ野球の人気は年々高まったが、その人気にあやかって新規参入を目論む企業が多数現れた。実際、1985年からTPBLへの新規参入の申請が多数届けられている。

 しかし、TPBLは全て却下している。これは、現状ではまだ市場が発展途上であり、現状での拡張を行うのは共倒れとなる可能性が高いと見ていた為であった。今後、状況を見て拡張する予定はあったが、現状では早いというのがTPBLの考えだった。

 尤も、新規参入希望側は「TPBLは既得権益の為に新規参入を拒んでいる」と考えていた。両者の交渉も決裂し、最終的に新規参入希望組が独自リーグを立ち上げる事となった。TPBLが最も恐れていた「急進的な球団拡張」と「敵対関係としての2リーグ制」が実現してしまう事となった。

 

 そして、新規参入組が1990年に「太平洋職業野球連盟(PPBL(Pacific Professional Baseball League))」を設立した。新興企業が中心となって設立されたPPBLだが、どの企業が参入するかで問題となった。どのチームも自身の社名を冠したチームを持ちたいと考えていた為、TPBLと同数の6球団に絞るのは難しかった。

 ある時、ある企業が独り言の様に「各社が出資し、広告を出す形にすればいいのでは」と言った。つまり、共同出資で球団を設立し、出資者の広告をユニフォームに載せるというものだった。

 この意見は好意的な評価を得た。親会社を絞れないならば一纏めにしてしまえばいいという単純だが悪くない考えであり、親会社の経営危機となった際にも球団へのダメージが少ないというメリットがあった。他にも、ユニフォームへの広告を行っていないTPBLとの差別化にもなる事、親会社を冠しない事から地域密着をアピールし易い等のメリットも考えられた為、この意見が採用された。

 こうして、球団設立の目処が立ち、次の6球団が設立される予定となった。

 

・台北ジャイアンツ

・桃園アスレチックス

・新竹ドルフィンズ

・彰化エレファンツ

・台南ブレーブス

・高雄メッツ

 

 球団名が決定した事で、選手集めが行われた。TPBLによる妨害(今後の指名を行わない、編入予定の選手をドラフト外で引き抜くなど)もあったが、アマチュア側が門戸の拡大を歓迎した事で、予定以上の入団希望者が出た。

 実際、名門校や強豪校出身者は余り集まらなかったものの、それらの陰に隠れた有力校出身者が多数集まった。同様に、社会人の方でも準有力チーム出身者が多数集まった。

 これにより、チームとしての体裁も固まったが、監督とコーチについてはどうしても集まらなかった。その為、日本プロ野球、特に国民野球連盟(ナ・リーグ)の伝手を借りて、監督とコーチを紹介してもらった。この経緯から、PPBLの初期のペンチ(監督、コーチ陣)については日本人や日本プロ野球経験者が多かった。

 尤も、PPBLも日本プロ野球におんぶにだっこの状態を続ける気は無く、コーチや監督としての経験を積ませる為に日本やアメリカに多くの選手や希望者を留学させている。

 審判についても同様で、最初は日本の審判員が派遣され、徐々にPPBLの審判を増やしていった。

 

 チーム編成や審判団の育成など、リーグとしての体裁が整った事により、無事1993年にPPBLはスタートした。ナ・リーグ出身者が支援した関係やTPBLとの差別化から、指名打者制度ありとなった。それ以外のルールはTPBLと同様(シーズン120試合、前後期制、7戦4勝方式のリーグ優勝チーム決定戦)となった。

 シーズンの結果は、前期優勝は台北ジャイアンツ、後期優勝は彰化エレファンツとなった。そして、リーグ優勝チーム決定戦は、4勝1敗で彰化エレファンツが制して、PPBL初代優勝チームとなった。

 

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 台湾プロ野球がTPBLとPPBLに分かれて以降、両リーグによる選手の引き抜き競争や二重契約問題が発生した。年々問題は深刻化していき、1996年には親会社を巻き込んだ贈収賄事件が発生した。この影響で、両リーグのコミッショナーに事件に絡んだ球団のオーナーが逮捕される事態となり、スポーツの多様化も合わさり、台湾における野球人気は下火となった。

 これを受け、両リーグを対立関係から並立関係に改める事、同様の事態が発生しない様に両リーグを監督する組織の存在が求められた。1997年には両リーグ間による引き抜きの禁止や契約書の統一、各種規定の統一が実現したが、両リーグを統括する組織の設立は難航し、ドラフト会議の統一は翌年に持ち越された。

 翌1998年、最大の目的であるTPBLとPPBLの統括組織である「台湾統一プロ野球委員会(略・TUBC(Taiwan Unification Baseball Commission))」が設立され、ドラフト会議も一本化した。また、オールスターゲームとリーグ優勝チーム同士の対戦も検討されたが、この時は両リーグ間の蟠りの解消が出来ていなかった事、兎に角リーグ内の膿を出し切る事が優先された為、具体的な方針は出されなかった。

 

 プロ野球界の問題が粗方片付いた1999年の中頃、野球人気回復の手段の一つとして考えられていたオールスターゲームの共同開催と勝チーム同士の対戦の実施が検討された。これは、野球人気の低迷が続いており、新たな人気の起爆剤が欲しかった事から、早期の実現が望まれた。

 尤も、検討が開始されたのが7月とオールスターゲームには間に合わず、優勝チーム同士の対戦もルール作成などや日程、球場の利用調整で手間取り、開催は翌年に持ち越された。翌年となったが、20世紀最後の年を飾る大イベントとなるとして、寧ろこの持越しを歓迎する者も多かった。

 

 そして1999年シーズン終了後、TUBCから公式アナウンスがあった。要約すると次の通りとなる。

 

・2000年以降、TPBLを「台湾リーグ(タ・リーグ)」に、PPBLを「太平洋リーグ(パ・リーグ)」に改称する。

・翌年から、7月にリーグ対抗のオールスターゲームを開催する。尚、選手選出方法は今まで通り郵送による選出とする。

・シーズン終了後に両リーグの優勝チーム同士による台湾一を決める「台湾シリーズ」を開催する。開催方法は、現行のTPBLの台湾シリーズに準じる。

・台湾シリーズ開催に伴い、両リーグで行われるリーグ優勝決定戦は「リーグチャンピオンシップ」と改称し、5戦3勝方式に変更する。

・通年勝率1位のチームが前期優勝または後期優勝をしていない場合、前述のリーグチャンピオンシップを勝ち抜いたチームは通年勝率1位のチームと再び5戦3勝方式で戦う。この場合、先に行う前期優勝チーム対後期優勝チームを「リーグチャンピオンシップ第1ステージ」、第1ステージ勝利チーム対通年1位チームを「リーグチャンピオンシップ第2ステージ」とする。

・オールスターゲームと台湾シリーズにおいて、パ・リーグ主催試合の場合は指名打者制度が適用される。

 

 こうして、2000年にタ・リーグとパ・リーグが開幕した。この年からもう一方のリーグと戦えるとあって、両リーグ共白熱した戦いが行われた。結果、タ・リーグでは前期はイーグルスが、後期優勝はライオンズが制し、パ・リーグでは前期はブレーブスが、後期はジャイアンツが制した。その後行われたプレーオフでは、タ・リーグではイーグルスが3勝1敗で制し、パ・リーグではジャイアンツがストレート勝ちした。

 そして、第1回台湾シリーズがイーグルス対ジャイアンツで行われ、結果はジャイアンツが4勝3敗で初代台湾一に輝いた。台湾シリーズは大成功に終わり、野球人気も回復傾向にあり、今後も継続される事が確実となった。

 

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 リーグ間の統括機関の設立から始まり、リーグ対抗オールスターゲームと台湾一決定戦の開催によって、台湾プロ野球の人気は回復した。更なる野球人気復活の手段として目されたのが、台北と高雄におけるドーム球場の建設である。

 台湾は日本と同様、梅雨や台風が到来する。そして、日本以上に温暖な気候である事から、日本以上の降水量となる。1年の中で降水量が多くなる時期が6月から9月の為、雨で試合中止となる事が少なくなかった。

 実際、雨天中止が多かった事で前期の試合を消化しきれなかったり、後期の試合の多くがダブルヘッダーとなるなど、影響は大きかった。

 この状態を解消する為、真新しさを出す為として、ドーム球場の建設が計画された。

 

 ドーム球場建設計画は1992年からスタートした。先ず、首都である台北と第二の都市である高雄に建設する事は決定したが、具体的な場所が決定していなかった。場所決めに2年掛かり、次にドームの形状を決めるコンペが行われた。このコンペには日本からの参加も多く、東京ドームや福岡ドームのコピー案、当時建設中の大阪ドームやナゴヤドームのコピー案、計画中の札幌ドームのコピー案などもあった。

 最終的に、台北ドーム(仮称)は東京ドーム風の、高雄ドーム(仮称)は大阪ドーム風のデザインとなった。尤も、中身は異なり、台北ドームの場合、中間は116mと拡大した一方、収容人数35,000人とやや小さく建設された。高雄ドームも同様に、グラウンドの広さは大阪ドームと同じ一方、収容人数は32,500人と小さく建設された(この世界の大阪ドームの収容人数は45,000人)。これは、40,000人以上収容出来る球場は台湾には必要無かった為である。

 

 建設は1998年からスタート予定だったが、台湾プロ野球の統合問題や極東危機の影響、1999年の大地震の復興で着工が遅れた。結局、2001年に建設がスタートし、2004年のシーズン前に両ドームが完成した。名前は、仮称がそのまま正式名称となり「台北ドーム」と「高雄ドーム」となった。

 こけら落としとして、台北ドームではイーグルスとジャイアンツの、高雄ドームではドラゴンズとメッツのオープン戦が行われた(台北ドームではイーグルスの、高雄ドームではメッツの主催試合)。結果は、台北ではジャイアンツが、高雄ではメッツが勝利した。

 公式戦では、台北ドームではイーグルスとジャイアンツに加え、ホエールズにアスレチックス、ドルフィンズが主催試合を行い、高雄ドームではドラゴンズとメッツに加え、カブスとブレーブスの主催試合が行われた。この影響で、雨天中止の回数は減少した一方、照明やオーロラビジョンの不調で試合中断となる事が多かった(初期不良が原因だった)。

 

 2004年シーズンの結果、タ・リーグの前期優勝はイーグルス、後期優勝はカブスだったが、通年1位ではドラゴンズだった。パ・リーグでは、前期優勝はジャイアンツ、後期優勝はメッツだった。

 リーグチャンピオンシップの結果は、タ・リーグはドラゴンズが、パ・リーグはジャイアンツが制した。両チームによる台湾シリーズの結果、4勝2敗1分けでジャイアンツが勝利して第5回台湾一に輝いた。

 

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 2005年シーズンから、イーグルスとジャイアンツは台北ドームを、ドラゴンズとメッツは高雄ドームを本拠地とする事となった。しかし、1つの球場に2球団が本拠地とすると利用状況がギリギリな為、以前の本拠地も活用された(奇数月はタ・リーグが、偶数月はパ・リーグが以前の本拠地を使用する)。

 また、他の球団もドーム球場を欲した事から、建設中だった2003年には各地でドーム球場の建設計画が浮上した。各地の調査や立地条件などを鑑みて、建設予定地は桃園、新竹、台中、台南となった。これらついては、台北と高雄の利用状況を見て検討する事となり、2004年・2005年シーズンの両ドーム球場の利用状況から新ドーム建設にゴーサインが出た。先ず桃園と台中で建設する事となり、次いで新竹と台南で建設が行われる事となった。

 

 桃園と台中の建設は2008年から始まり、2011年に完成した。それぞれ、桃園は福岡ドームを、台中はナゴヤドームを参考とした。また、グラウンドの広さも元となったドーム球場と同じ広さが取られたが、収容人数については建設費の節約や過去の観客動員数から30,000人程度に縮小させた。

 完成後、桃園にはアスレチックスが、台中にはタイガースが本拠地を移した。両チームとも、ドーム球場を本拠地とした事でやる気を出していたが、グラウンドの広さや芝の違いに対応出来なかったのか、このシーズンは最下位に終わっている。

 

 新竹と台南の建設開始は2012年であり、2015年に完成した。こちらは、新竹が武蔵野ドーム(史実の西武ドームに相当。但し、武蔵野市に存在し、壁面は存在する)を、台南は札幌ドームを参考とした。こちらも、収容人数を30,000人台と縮小して建設された。

 完成後、新竹にはドルフィンズが、台南にはカブスとブレーブスが本拠地を移した。尚、台南については、カブスとブレーブスが1か月毎にドーム球場と旧本拠地を使用している(奇数月はブレーブス、偶数月はカブスが使用)。移転初年、ドルフィンズは好調を続けてこの年の後期優勝チームとなったが、リーグチャンピオンシップで前期優勝のライオンズに敗れた。また、カブスとブレーブスはAチーム入りこそしたものの、優勝争いに絡む事は無かった。




台湾シリーズの結果(1978~1999)
(西暦:前期優勝チーム―後期優勝チーム(○はリーグ優勝、●は負け):リーグ優勝チームの勝ち数/負け数/引き分け数(ある場合))
1978:〇高雄聯合日報ドラゴンズ―●台中斗山タイガース(4/2)
1979:●基隆台塑ホエールズ―〇台北台湾時報イーグルス(4/1/1)
1980:●台南台糖カブス―〇嘉義三星ライオンズ(4/2)
1981:(台南台糖カブスが前後期優勝した為、開催されず)
1982:〇台北台湾時報イーグルス―●高雄聯合日報ドラゴンズ(4/3)
1983:〇台南台糖カブス―●嘉義三星ライオンズ(4/2)
1984:〇台中斗山タイガース―●嘉義三星ライオンズ(4/2/1)
1985:(嘉義三星ライオンズが前後期優勝した為、開催されず)
1986:●台北台湾時報イーグルス―〇台中斗山タイガース(4/1)
1987:●台北台湾時報イーグルス―〇基隆台塑ホエールズ(4/2)
1988:〇台南台糖カブス―●高雄聯合日報ドラゴンズ(4/2)
1989:●嘉義三星ライオンズ―〇基隆台塑ホエールズ(4/2)
1990:〇高雄聯合日報ドラゴンズ―●台北台湾時報イーグルス(4/1/2)
1991:(台北台湾時報イーグルスが前後期優勝した為、開催されず)
1992:●基隆台塑ホエールズ―〇高雄聯合日報ドラゴンズ(4/2/2)
1993:●台中斗山タイガース―〇台南台糖カブス(4/0)
1994:〇台南台糖カブス―●嘉義三星ライオンズ(4/1)
1995:(台北台湾時報イーグルスが前後期優勝した為、開催されず)
1996:〇台北台湾時報イーグルス―●高雄聯合日報ドラゴンズ(4/2)
1997:●基隆台塑ホエールズ―〇台中斗山タイガース(4/3)
1998:●高雄聯合日報ドラゴンズ―〇基隆台塑ホエールズ(4/1/2)
1999:〇嘉義三星ライオンズ―●台北台湾時報イーグルス(4/1)

パ・リーグ優勝決定戦の結果(1993~1999)
(西暦:前期優勝チーム―後期優勝チーム(○はリーグ優勝、●は負け):リーグ優勝チームの勝ち数/負け数/引き分け数(ある場合))
1993:●台北ジャイアンツ―〇彰化エレファンツ(4/1)
1994:●台北ジャイアンツ―〇高雄メッツ(4/1/1)
1995:〇台南ブレーブス―●高雄メッツ(4/2)
1996:●新竹ドルフィンズ―〇台北ジャイアンツ(4/3)
1997:〇彰化エレファンツ―●台北ジャイアンツ(4/2)
1998:(高雄メッツが前後期優勝した為、開催されず)
1999:●桃園アスレチックス―〇高雄メッツ(4/0/1)

台湾シリーズの結果(2000~2015)
(西暦:タ・リーグ優勝チーム―パ・リーグ優勝チーム(○は台湾一、●は負け):台湾一チームの勝ち数/負け数/引き分け数(ある場合))
2000:●台北台湾時報イーグルス―〇台北ジャイアンツ(4/3)
2001:●嘉義三星ライオンズ―〇桃園アスレチックス(4/1/1)
2002:〇基隆台塑ホエールズ―●桃園アスレチックス(4/2)
2003:●基隆台塑ホエールズ―〇台北ジャイアンツ(4/3/1)
2004:●高雄聯合日報ドラゴンズ―〇台北ジャイアンツ(4/2/1)
2005:〇台中斗山タイガース―●台南ブレーブス(4/1)
2006:●台南台糖カブス―〇桃園アスレチックス(4/0/1)
2007:〇台北台湾時報イーグルス―●台北ジャイアンツ(4/2)
2008:〇高雄聯合日報ドラゴンズ―●新竹ドルフィンズ(4/3)
2009:●高雄聯合日報ドラゴンズ―〇高雄メッツ(4/2/1)
2010:●台中斗山タイガース―〇彰化エレファンツ(4/3/2)
2011:●台南台糖カブス―〇彰化エレファンツ(4/2/2)
2012:〇高雄聯合日報ドラゴンズ―●高雄メッツ(4/1)
2013:〇基隆台塑ホエールズ―●台南ブレーブス(4/2)
2014:〇台中斗山タイガース―●彰化エレファンツ(4/3)
2015:●嘉義三星ライオンズ―〇高雄メッツ(4/2)

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