架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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大変お久しぶりです。数ヵ月ぶりに本編に投稿する事になりました。

韓国のプロ野球についての話ですが、この世界の韓国の扱いは決していいものではありません。そのしわ寄せはプロ野球にも来ました。


番外編:韓国プロ野球

 日本・満州・台湾のプロ野球は盛んだった。日本は明治から大学野球が盛んであり、1930年代からプロ野球が行われた。戦後になって急速に人気が高まり、1960年代に完全にアマチュア野球と人気が逆転した。

 満州も、満州国時代から社会人野球が盛んであり、ソ連占領時代に衰退したが独立後に再度勃興した。1970年にはプロ野球がスタートし、社会主義国でありながら限定的に資本主義を導入している事もあり、東側では珍しいプロスポーツが定着した。

 台湾は、日本統治時代から野球は盛んだったが、独立後にその熱はさらに高まった。また、日本プロ野球のキャンプ地にもなった事からプロ化の計画は古くから存在しており、1978年にはプロ野球がスタートした。

 同じ日本の勢力圏だった北朝鮮もプロ野球こそ発足しなかったが、満州の影響でアマチュア野球は一定の人気を得ている。満州プロ野球のドラフトに掛かる選手を複数人出している実績があり、何度か満州プロ野球の公式戦も行われている。満州プロ野球がエクスパンション(球団拡張)を行った場合、球団が置かれる最有力候補と目されている。

 

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 一方、かつて日本の勢力圏だった韓国でも野球人気は高かったが、日本・満州・台湾と比較するとプロ化は遅かった。経済が低調な事で、プロ球団を持てる企業が少なかった為だった。

 日本の終戦から独立までの混乱、朝鮮戦争、朝鮮戦争後の国内事情の不安定さから人口の流出が止まらなかった。流出した多くが技術者や軍人、官僚に経営者など国家の根幹に関わる人材が多かった為、政治的・経済的低迷が続いていた。この影響で、サムスンや斗山、起亜にSKなどの史実の韓国における大財閥が台湾に逃れる事となった。

 それに加え、独立以後の行動が日米に不快感を与えた事で、外交関係は長い事最低限の関係しか無かった。当然、それは経済にも影響を与え、経済的・技術的支援が最低限となり、輸出入も最低限か韓国の輸入超過だった。

 この結果、韓国経済は史実の「漢江の奇跡」の様な経済発展は見られず、主要産業も農業や軽工業止まりとなった。

 

 それでも、高校野球と社会人野球を中心に野球は比較的行われていたが、日本プロ野球の人気の高さと1978年の台湾でのプロ野球の発足(『番外編:台湾プロ野球』参照)、高待遇を求めてアマチュアの有力選手が台湾プロ野球に流れた事を受け、韓国でもプロ野球を発足しようという動きが浮上した。ハンファやロッテ、三美などの社会人野球チームを持つ財閥が中心となり、1984年に韓国野球委員会(KBO)が設立されプロ野球が開催された(史実より2年遅い)。

 最初に参入したのは以下の6球団の予定だったが、現代と大宇が急遽割り込んだ為、以下の8球団になった。

 

(見方は球団名:親会社:縁故地(本拠地):フランチャイズ)

・MBCドラゴンズ:韓国文化放送:ソウル直轄市:ソウル直轄市・京畿道

・現代フェニックス:現代財閥:ソウル直轄市:ソウル直轄市・京畿道

・青宝ピントゥス:プンハングループ:仁川直轄市:仁川直轄市・京畿道・江原道

・三美スーパースターズ:三美グループ:水原市:京畿道・江原道・北朝鮮全域

・ピングレ・イーグルス:ハンファグループ:大田市:忠清南道・忠清北道

・ヘテ・タイガース:ヘテグループ:光州市:全羅南道・全羅北道・済州道

・大宇ユニコーンズ:大宇財閥:大邱直轄市:大邱直轄市・慶尚北道

・ロッテ・ジャイアンツ:ロッテグループ:釜山直轄市:釜山直轄市・慶尚南道

 

 8球団の内、MBC以外の7球団が財閥系の球団で、MBCは言論統廃合によって韓国放送公社(KBS、日本のNHKに相当)に過半数の株式を握られていた為、事実上の国営放送だった。

 兎に角、1984年に韓国でもプロ野球が始まったが、その際に選手の帰属が変更された。例えば、ある選手がロッテ所属で出身高校がソウルの場合はMBCか現代に分配される様に、出身高校の地域に本拠地を置くチームに分配された。

 

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 KBOのルールだが、史実と大差ない内容となっている。

 

 開催当初のルールだが、指名打者制度と予告先発が採用される。延長は15回まで行われ、15回裏まで決着が付かない場合は引き分けとなり、後日の再試合は行われない。勝率の算出方法は、勝利数/(勝利数+敗北数)となる。

 シーズン展開だが、史実の開催年のルールと同じく、年間16回の総当たり戦を前後期に分けて行う。前後期で優勝チームが異なる場合、シーズン終了後に7戦4勝方式の韓国シリーズを行い、それに勝利したチームがリーグ優勝となる。前後期で同じチームが優勝した場合、韓国シリーズは行われない。

 韓国シリーズのルールだが、こちらは1984年からのルールとなり、第1戦と第2戦は前期優勝チームの本拠地で、第3戦と第4戦は後期優勝チームの本拠地で、第5戦から第7戦はソウルで行う。

 年間の試合数やポストシーズンのルールが若干異なるが、概ね1970年代以降の(日本の)ナ・リーグと同じ様なルールで行われる。

 実際、ルール作りの際に日本のプロ野球を一部参考にしており、ナ・リーグにロッテがいた事からそちらが参考になった。

 

 ドラフトだが、日本プロ野球と異なる点が幾つかある。

 1つ目は、ドラフトが1年に2回行われる事である。日本でも1966年(※1)と2005年から2007年(※2)に2回ドラフトが行われたが、韓国プロ野球では毎年行われる。1回目は6・7月に、2回目は9月以降に指名している。

 2つ目は、縁故地ドラフトの採用である。上記の例なら、ロッテは釜山と慶尚南道をフランチャイズとしている為、その地域の出身者しか指名出来ないという事になる。

 流石にこれだと戦力の不均衡が著しい為、1987年に1回目のドラフトでの指名人数を3人に限定し、2回目のドラフトではフランチャイズに関係無く指名出来る様に変更された。

 

 外国人選手・指導者だが認められていない。国内選手の海外流出を防ぐ為にプロ野球が設立された為、外国人選手を認める事は国内選手の出場機会を減らす事に繋がるので認める訳にはいかなかった。

 

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 こうしてスタートした韓国プロ野球だが、問題は多かった。開催以来人気は高く、観客動員数も年々上昇しているが、技術面での向上が中々見られなかった。矢張り、有力選手が海外、特に台湾に流出した影響が大きかった。

 また、親会社の資金力や縁故地ドラフトによる戦力の不均衡は大きく、現代・大宇・ヘテの3強体制が常態化した。実際、80年代の韓国シリーズ出場チームはこの3チームだけである。

 その為、上位球団と下位球団の観客動員数に大きな差が生まれ、選手の待遇にも大きな差が生じる事となった。その結果、下位球団の1次ドラフトの指名を拒否する事例が相次ぎ、その結果更なる戦力低下に繋がった。戦力の低下は観客動員数の減少に繋がり、親会社の経営悪化と合わせて球団を手放す会社も出た。

 

 1987年、遂に三美スーパースターズと青宝ピントゥスが今シーズン限りで身売りする事が発表された。プロ野球開始以来、両チームは最下位争いをしており、親会社の規模も他球団と比較すると小さい為、早くから手放すのではと見られていた。

 身売りされた両チームだが、プロ野球の人気は高く、良い宣伝になる事からから買収を狙う財閥は多かった。実際、早くも海運・重工系の韓進財閥と化学・電機系のラッキー金星グループが買収に名乗りを上げ、現親会社・KBOも認めた為、今シーズンオフに売却が決定した。

 

・三美スーパースターズ→LGベアーズ

・青宝ピントゥス→韓進マリナーズ

(両チームの本拠地・フランチャイズは変わらず)

 

 下位球団の身売りが行われる一方、1988年に更なる人気の獲得から2年後に2球団の参入が認められた。その親会社の選考が行われ、化学系の錦湖グループと下着メーカーのサンバンウルが認められた。

 また、これとは別に、1989年シーズンオフに双竜重工業に身売りとなった。双竜重工業は現代重工業・大宇重工業・韓進重工業に並ぶ韓国の四大重工の一つであり、これによって韓国の重工全てがプロ球団を持つ事となった。

 

・錦湖ウィングス:全州市:全羅北道

・サンバンウル・レイダース:春川市:江原道

・MBCドラゴンズ→双竜ドラゴンズ

(錦湖ウィングス・サンバンウル・レイダースの設立に伴い、ヘテ・タイガースから全羅北道が、LGベアーズと韓進マリナーズから江原道がそれぞれフランチャイズから除外される)

(双竜ドラゴンズの本拠地・フランチャイズはそのまま)

 

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 1990年に10球団となった事で、試合数と韓国シリーズが変更となった。試合数は16回の総当たり(144試合)に増えた一方、前後期制は廃止となった。

 韓国シリーズは、最初にシーズン4位と3位が3戦2勝方式の準プレーオフを行い、勝利したチームが2位と5戦3勝方式のプレーオフを行う。プレーオフに勝利したチームが1位と7戦4勝方式の韓国シリーズを行う。会場は、第1戦から第3戦は1位チームの本拠地で、第4戦から第6戦はプレーオフ優勝チームの本拠地で、第7戦以降はソウルで行う事となった。

 

 10球団体制によって人気は向上したが、この状況は長く続かなかった。球団数が拡大した事で、薄かった選手層が更に薄くなり、今までドラフトに掛からなかった様な選手でも掛けざるを得なくなった。その為、試合のレベルが向上する処か低下し、1993年に過去最高の観客動員数を記録して以降、増える事は無かった。

 1997年のアジア通貨危機、その後の極東危機における韓国の行動、それに伴う日米の経済制裁によって球団の親会社全てが経営不振に陥った事が、人気凋落を加速させた。中堅財閥のサンバンウルは勿論、韓国最大級の現代や大宇もこの危機によって死に体となり、球団経営など出来る筈が無かった。

 1997年のシーズンオフにヘテ・ロッテ・サンバンウルの3球団が解散となり、翌年には残るチームも解散となり、KBOも休止状態になった。廃止とならなかった理由は、将来的な復活の為だった。

 

 しかし、韓国経済は10年以上回復する事は無く、2012年にKBOは遂に解散となった。また、経済そのものが崩壊した為、社会人野球処か野球そのものが衰退した。

 プレーしたい選手は日本や満州、台湾に活躍の場を望んだが、日本は今までの経緯から韓国人の入国に規制を設けており、密入国が発覚した場合は即時帰還させていた。満州と台湾は密入国がバレなければ比較的問題は無かったが、プレー出来たとしても技術面の格差が開き過ぎており、2軍や社会人野球ですら活躍出来ない選手が殆どだった。

 そうなると、選手としての価値すら無くなった彼らに、野球をする意味は無くなった。多くが野球から足を洗って一市民として生きるか、草野球で満足するかのどちらかだった。

 

 彼らは小さな世界で長い事生きていた為、広い世界に出た時に順応出来なかったのである。




※1:9月と11月に実施。9月のドラフトは国体(この年に大分剛健国体が行われた)に出場していない高校生・大学生・社会人が、11月のドラフトは国体に出場した高校生・大学生・社会人が対象となった。
※2:10月と11月に実施。10月のドラフトは高校生が、11月のドラフトは大学生と社会人が対象となった。

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