架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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番外編:アジアシリーズ①

 この世界でもアジアシリーズ(※1)は実施された。当初は日本・台湾・満州で行われ、後に韓国・中華民国・オーストラリア・フィリピン・ベトナムが参加した。後に韓国は離脱するが、代わりにロシアが参加した。

 

 アジアシリーズの原型は、1983年に台湾プロ野球開始5周年記念を記念して行われた「日台親善野球」である。これ以前も「日台野球」として日本プロ野球のチームが台湾に来て試合する事はあったが、形としては日米野球に近く、台湾側のチームも社会人・大学連合だった。時期も2月後半から3月頭の為、日本側から見れば台湾キャンプとオープン戦感覚だった。また、プロ対アマチュアの為、基本的に日本側が勝利した為、日本側からすればモチベーションが上がり難かった。

 日台親善野球の場合、台湾職業野球連盟(TPBL)主催であり、日本シリーズ優勝チームを台湾に招待し、台湾シリーズ優勝チームと5試合行われた(会場は全て違う球場)。この年の日本シリーズ優勝チームは西武オリオンズ、台湾シリーズ優勝チームは台南台糖カブスだった。今回はプロ対プロの試合の為、日台野球よりもモチベーションは高かった。

 11月7日に日本シリーズが終わってから1週間後に行われた為、西武の選手達のコンディションは決して万全ではなかった。しかし、ペナントレースで前後期共に2位に5ゲーム以上の大差を付けて総合優勝し、日本シリーズで巨人に勝った西武の勢いは凄まじく、台糖カブスに4勝1敗という成績を収めた。全試合終了後、TPBLから西武に賞金や景品の贈答が行われた。

 日台親善野球の観客動員数はペナントレース・台湾シリーズ以上であり、全試合満席を記録した。視聴率も30%以上を記録し、日本チームの招待費用を差し引いても大幅な黒字だった。日本側も「またやりたい」という返事をもらった為、大成功を収めたと言ってもいい。

 

 しかし、翌年の開催をどうするかが問題になった。当初、日台親善野球改め日台シリーズを日本シリーズ終了後に行い、日本シリーズ優勝チームが台湾に来る形としたのだが、そうなると日米野球と時期が重なる為、日本シリーズ優勝チームが台湾に来れないという問題があった。また、来れたとしても疲労の関係から選手のモチベーションが上がらない事も懸念された。

 その為、「日米野球開催の年は、台湾シリーズ優勝チームが日本に来て日台シリーズを行う」事とされた。日本側もこの内容を了承し、翌年以降もこの形で日台シリーズが行われる事が確認された。

 尚、日台シリーズの主催者も決まり、台湾側は台湾時報と聯合日報が、日本側は読売新聞と大日新聞となった。

 

 翌1984年、この年は日米野球が行われる為、台湾シリーズ優勝チームの台中斗山タイガースが来日した。日米野球終了後に日台シリーズが行われたが、この年の日本シリーズ優勝チームである広島東洋カープが来日した前年のワールドシリーズ優勝チームのボルチモア・オリオールズと5戦していた後の為、本調子では無かった。状態が良い選手と二軍が中心の編成で試合が行われ、2勝3敗で斗山タイガースが勝利した。

 斗山タイガース及びTPBL側は、日米野球があったとはいえ二軍が中心だった事、それですら勝ち越し出来なかった事に大きなショックを受けた。これを機にTPBLの技能向上の為に日本プロ野球やメジャーリーグへの留学や選手の獲得に奔走する事になる。

 同時に選手の負担を考慮して日米野球と隔年で行う事が決められた。その為、次の日台シリーズは1985年、その次は1987年とする事が決められた。

 

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 1985年の日台シリーズは、台湾で開催される事が決まっていた。日本シリーズ優勝チームは阪神タイガースであり、この年の台湾側のリーグ優勝は嘉義三星ライオンズだが、この年は前後期共に三星ライオンズが優勝した為、台湾シリーズが行われなかった。その為、「台湾シリーズ優勝チーム」では無く「台湾側のリーグ優勝」となっている。

 この年は、満州プロ野球(MPBA)から今年の満州シリーズ優勝チームである大連ホエールズが、日台両国の招待で特別参加した。この年にMPBAが2リーグ制になった事を記念して行われた(『番外編:満州プロ野球』参照)。その為、過去2年間に行われた5戦方式では無く、日台戦を3戦行った後に日満戦と台満戦を2戦ずつ行う方式が取られた。戦績は、日台戦は阪神タイガースの2勝1敗、日満戦は1勝1敗、台満戦は大連ホエールズの連勝となった。

 

 NPBとしては、台湾に勝ち越した事よりもMPBAの技能が高い事に関心を持った。日本シリーズで戦った西武程ではないが緻密なプレーを行える技能を有しており、同リーグ内の阪急や大日の様に機動力と投手力の高さを活かしてきた。1980年にMPBAの球団が来日してオープン戦をしたが、その時とは比較にならなかった。

 MPBAは、NPBと肩を並べられるまでに技術が向上した事に喜んだ。勝利した試合は、阪神の先発投手を4回1/3を8失点でノックアウトし、後半もその勢いで押した事で14-4と大勝した。負けた試合も2-3の惜敗だが、強力打線の要所要所で断ち切った為、阪神側のホームランは0本だった。

 TPBLは、未だにNPBとの格差が大きい事を実感した。だが、負けた2試合のスコアはそれぞれ2-6・1-4であり、投手陣が踏ん張れなければもっと点差がついた可能性もあった。投手力については自身を持てるようになったが、今後は打撃の強化とエラーの減少がカギになると睨んだ。

 また、MPBAの力がNPBに並ぶ程である事に驚いた。東西冷戦の中である為、西側優位を見せたかったが、台満戦では全敗(2-7・1-4)、日満戦もトントンであり、寧ろMPBAの方が強いと見せつけられる結果となった。

 

 3者それぞれに思惑はあったが、第3回日台シリーズは成功した。また、台湾にとって満州は近くて遠い存在であり、今回が初めての対戦だった。今回の結果から再度対戦したいという気持ちが強まり、台湾が日台シリーズへの満州の恒常的な参加を求めた。

 意外な事に、両国からの反応は悪くなかった。「西側諸国の強さを見せつける」という政治的な考えも無い訳では無かったが、満州との試合は中々行えるものでは無い為、それを定期的に行える絶好の機会を逃す訳には行かなかった。また、TPBLの技能向上及びNPBの技能の維持には他国との試合を積極的に行うべきとして、今後も続けたい意志を表明した。

 これにより、1987年から満州も加えて試合を行う事となったが、そうなると「日台シリーズ」という名称は実態にそぐわなくなった。その為、新しい名称が考えられたが、今後は他のアジア諸国の加入を見越して「アジアシリーズ」と命名された。

 

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 1987年、第1回アジアシリーズが日本で開催される事になった。この年のそれぞれの参加チームは、NPBは西武、TPBLは基隆台塑ホエールズ、MPBAは四平ドラゴンズだった。

 だが、開催直前に韓国野球委員会(KBO)が「参加したい」と割り込んできた。3者は事前通達無しに参加の要請(実際の文面だと、「要請」より「要求」に近かった)をしても調整に困るし、仮に調整が完了して出場したとしてもプロ野球開催4年目の韓国では台湾にすら厳しい勝負になると見られた。

 そもそも、日台満の3国と韓国との関係は控えめに言って悪く、心情的には参加して欲しくなかったので、様々な理由を付けてKBOの参加を見送らせようとした。

 しかし、KBOは強硬に参加を要求し、内部でも「『アジアシリーズ』という名称だから、アジア地域の韓国にも参加する権利がある」、「韓国の参加を見送らせると、『日台満以外の国は参加出来ない』という印象を与える」という意見も出た為、渋々参加を承諾した。但し、既に今大会の予定は組まれている為、次の大会からの参加となった。

 

 この大会から、試合方式とルールが以下の様に変更になった。

 

・予選として2試合ずつの総当たりを行った後、成績が良かった2チームが決勝戦に進出する。成績は勝利数で決めるが、勝利数が同じ場合は「直接対決の戦績>得失点差>総得点数」で差が出る所で決める。それでも決まらない場合はくじ引きとする。

・決勝戦は1試合のみ行い、勝利したチームがアジアシリーズ制覇となる。

・予選では延長は15回までとし、それまでに決着が付かなかった場合、その試合は0.5勝0.5敗扱いとなる。

・決勝戦では決着が付くまで延長を行う。但し、試合開始から4時間が経過したら新しいイニングに入らず、その時点で決着が付いていなかった場合、翌日に同じ場面から再開する。

・ベンチ入り選手は25人まで、監督・コーチは計11人までとする。

・指名打者が使用可能。

・選手の選出については自国の制度が適用される(例:1987年当時のNPBなら2人まで)。

 

 予選の結果、西武が3.5勝0.5敗、台塑ホエールズが1勝3敗、四平ドラゴンズが1.5勝2.5敗となり、西武と四平による決勝が行われた。試合結果だが、西武が4-1で勝利した。日本シリーズで巨人の隙を突くプレーをした西武にとって、四平は打線はやや上、投手力では同等だが守備走塁の隙がやや多いチームと映り、決勝でも隙を突いて四平を退けた。

 アジアシリーズ初代チャンピオンに輝いた西武には賞金とトロフィー、優勝ペナントが授与された。このトロフィーとペナントは本拠地の武蔵野野球場(※2)に飾られる事になった。

 

 試合が盛り上がりを見せたと同じ様に、テレビ中継も好評だった。日本テレビと千代田テレビ(※3)、TBSの3局による合同放送が行われ、台湾主催試合は日本テレビ、満州主催試合は千代田テレビ、日本主催試合はTBSが放映した。日本主催の視聴率は20%越えで、他の試合も15%程度記録した。

 アジアシリーズはここに確立する事となり、次の開催ではスポンサーに西武グループのコクドが加わる事となった。

 

 

※1:東アジアにおけるプロ野球チーム王者決定戦。参加国は日本・韓国・台湾・中国・オーストラリアだが、2013年にはEU(イタリア)が参加した。2005年にスタートするも、諸事情により2013年を最後に行われていない。

※2:東京都武蔵野市にある野球場。史実の武蔵野グリーンパーク野球場だが、この世界では長期間使用された。

※3:大日新聞系のテレビ局。史実ではテレビ東京との競争に敗れて開局しなかった。


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