架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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番外編:この世界の航空関係②(その他地域)

〈東南アジア(旧東側=ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー)〉

 概ね史実通りだが、機体がソ連製とその後継のロシア製・ウクライナ製になっている。最近では西側製の機体の導入も行われているが、未だに多くはロシア製・ウクライナ製である。

 

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〈南アジア・西アジア・アフリカ〉

 パキスタンは、この世界では東側に所属している為、機体はソ連製が多かった。現在は、旧西側(特にヨーロッパ)との関係が改善されつつある為、エアバス機の導入が進められている。

 アフガニスタンは、長距離国際線が主体の「アリアナ・アフガン航空」と、国内線及び近距離国際線が主体の「バフタル・アフガン航空」の2社が存在する。元々アリアナ1社だったが、1967年に国内線用にバフタルが分離された。共に機体はソ連製で占められている。

 

 イランは、イスラム革命が発生しなかった為、西側のままとなる。フラッグキャリアのイラン航空を始め、多くの航空会社はボーイングやマクドネル・ダグラスなどアメリカ製の機体を導入している。

 イラクは、イランが西側に留まった事で、東側に支援を仰いだ。これにより、イラン航空の機材もソ連製が多くなった。その後、湾岸戦争で多くの機体が破壊されたが、その後の再建で西側製(ボーイング、エアバス)の導入が進んでいる。

 イエメンは、この世界では1971年に社会主義国として統一された。その為、保有機材もソ連製になった。

 

 ソマリランドと西サハラは、この世界では東側で独立した。その為、ソマリランドのフラッグキャリアの「ソマリランド国際航空」と西サハラのフラッグキャリアの「サハラ・アラブ航空」は、当初の保有機材はソ連製だったが、西サハラは東西の緩衝地帯でもあった為、後に西側(ヨーロッパ製)の機体も導入された。

 

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〈旧ソ連〉

 ソ連時代の自助努力による産業の効率化と満州の存在から、ソ連製航空機の性能は向上した。これにより、史実よりもソ連製の機体を採用する国が増え、ソ連が崩壊した後もロシア製やウクライナ製の機体を導入する国が多かった。

 

 ロシアは、アエロフロート・ロシア航空がフラッグキャリアだが、保有機材はロシア製が多い。アメリカ製やヨーロッパ製も保有しているが、全体の3分の1程度となっている。

 また、トランスアエロ航空が倒産せずに存続している。ロシア航空など多くの航空会社を統合した事で存続した。これにより、アエロフロートに次ぐロシア第2位の航空会社となった(史実で2位のS7航空は存在するものの3位に転落)。航空連合「ウイングス・アライアンス」に所属し、スカイチームのアエロフロート、ワンワールドのS7と合わせて、世界各地と航空網で繋がっている。

 

 それ以外の地域の航空会社は、保有機材でロシア製が増えている事を除けば史実通り。

 アルメニアは、史実では自国の航空会社が軒並み倒産してほぼ消滅したが、この世界ではアルメニア政府と満州航空、アエロフロートが共同で出資した新生「アルメニア航空」が2015年に設立された。これにより、約2年ぶりにアルメニアの航空会社が設立された。

 

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〈東ヨーロッパ〉

 史実では倒産したマレーヴ・ハンガリー航空とバルカン・ブルガリア航空が存続する。正確には、新旧分離を行って負債をチャラにしたので、法的には別法人となる。だが、社名や商標、従業員などは引き継がれた為、実質的には存続となる。また、これによりブルガリア航空は設立されない。

 

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〈西ヨーロッパ〉

 ドイツ以外は史実通り。

 

 この世界のドイツは、東西に分裂しなかった。その為、テーゲル空港は開港しなかった(テーゲルはベルリン封鎖が理由で建設された為)。その代わり、ガトウ飛行場が民間に解放され、「ベルリン・ガトウ空港」として整備される(3000m級2本)。また、早くからガトウとシェーネフェルトが整備され、中心部にあるテンペルホーフは拡張出来ないとして早くに国際線が廃止となった。だが、国内に近い事による利便性の高さからシャトル便が多く運行された為、史実の様に閉鎖とはならなかった。

 この世界にもインターフルーク(正式名称は「ドイツ国際航空」)は存在する。史実では東ドイツのフラッグキャリアだが、この世界では戦後に設立された新興航空会社として設立された。その後、LTUインターナショナルを統合して、ドイツ第2の航空会社となった。航空連合はワンワールドに加盟している。

 尚、東西分裂が無かった為、エア・ベルリンの設立経緯が異なる。史実では、西ベルリンへの乗り入れを目的に1978年に設立されたが(当時、西ベルリンにはドイツの航空会社が乗り入れ出来なかった)、この世界では格安航空会社として1995年に設立された。現在も存続しているが、同業他社のライアンエアーやイージージェットに遅れを取っている。

 

 ドイツは、自国で設計されたジェットエンジンを搭載した旅客機の設計を1950年代初頭からスタートした。その結果設計されたのがユンカース152だった。この機体は史実のバーデ152であり、史実ではソ連からの指示で試作機止まりとなったが、この世界では英仏に負けじと行われ、1956年には試作機が完成した。その後、改良が加えられて、1961年にルフトハンザから発注を受けて量産が開始された。

 小型機サイズという事もあり、プロペラ機で運行されていた近距離路線の更新として一定程度の需要があったが、数十機生産されただけで終了した。販売が振るわなかった理由として、この後に出たフォッカーF28の方が性能が優れていた事、小型機としては高価だった事、二度の世界大戦を引き起こしたドイツの航空機に対する抵抗感があった。

 その後、ユンカース152の反省を生かして改めて小型ジェット機の開発が計画されたが、最終的にはオランダのフォッカーとの共同開発に変更となった。その為、この世界ではVFW614は計画止まりとなった。

 

 その後、ドイツの航空機メーカーの統廃合は進み、1984年にメッサーシュミット・ベルコウ・ブロームがフォッカーと経営統合して「フォッカー・メッサーシュミット」となった。また、1995年に経営不振に陥っていたドルニエを買収して合併して「FMDエアロスペース」に改称した。

 これにより、ヨーロッパ有数の航空機メーカーとなったが、実態は弱者連合であり、生産している機体も小型のものばかりだった(ターボプロップ機のドルニエ228とドルニエ328、小型ジェット機のフォッカー100とフォッカー70)。特にドルニエ328とジェット機は他社との競合が激しく(ライバルはボーイング・三菱、マクドネル・ダグラス・大室、エンブラエル、ボンバルディアなど)、開発中のドルニエ728も小型ジェット機であり競合している。

 その為、FMDの経営は苦しいままとなり、EADS(現・エアバス)の設立は史実通りとなる。だが、開発中のドルニエ728が小型リージョナルジェット機「エアバスA200」として2003年から量産体制に入った(この世界ではA318が開発されていない)。A200の大まかな性能はA220とほぼ同じであり、ラインナップが70人用、90人用、110人用の3タイプ存在する。


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