架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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番外編:この世界でのプロ野球の状況(1980年代~)

[1980年代後半の日本野球連盟所属球団の大量身売り+α]

 1988年、プロ野球界に激震が走った。ジャ・リーグ(日本野球連盟)の名門球団である南海ホークス、西鉄ライオンズの身売りが発表されたからである。

 この世界の南海と西鉄は、史実と異なり巨人と同じリーグに存在した事でメディアへの露出が多かった。そこに、史実と同じ強さが合わされば、人気の面で巨人や阪神とも対等に渡り合えた。実際、ジャ・リーグのペナントレースは常にデッドヒートしており、50年代と60年代は巨人・南海・西鉄が、70年代と80年代前半は巨人と阪急が常に優勝争いを行っており、時々中日や大日が優勝レースに参加するなど話題に事欠かなかった。

 その為、史実の様な球場がガラガラという現象にはならず、大阪スタヂアムと平和台球場には常に多くの人が入った。これにより、球団の利益はトントンであった。

 

 史実以上の人気を誇った南海と西鉄だが、70年代以降は成績が低迷した。80年代には、日本ハムと共にBクラスの常連となってしまった。それに伴い人気も低下し、利益が出にくくなった。

 また、南海は泉州沖に建設中の新空港(後の関西国際空港)への乗り入れと難波の再開発を、西鉄は佐賀県南部に建設中の新空港(九州国際空港。史実の佐賀空港の位置。4000m級滑走路2本装備)への乗り入れと天神と小倉の再開発を計画していた事から、短期間で纏まった資金を欲していた事も身売りへと傾いた要因だった。

 

 2球団同時の身売りという大ニュースは、直ぐに大きな騒ぎになったが、直ぐに鎮静化した。球団消滅とは異なり、取り敢えず球団が存続する為、反対運動とはならなかった。

 因みに、南海と西鉄の身売り騒動の中で、阪神と阪急も身売りするのではと噂されたが、両者ともその噂を否定した。阪神は、1985年のリーグ優勝と初の日本一を達成した事でファンが急増して身売りの話は白紙となった。阪急も、1960年代から優勝争いの常連でファンも増加傾向にあり身売りをする気は無かった。

 そして、1988年のシーズン終わりに南海はサントリーに、西鉄はダイエーにそれぞれ売却された。名称はそれぞれ「大阪サントリーホークス」、「福岡ダイエーライオンズ」に改称となった。その後、本拠地の移転も行われ、1992年にライオンズは福岡ドームに、1997年にホークスは大阪ドームにそれぞれ移転となった。

 

 1988年にジャ・リーグでの2球団同時の身売りという事件があったが、同じ時期にナ・リーグの方も小規模ながら変化が起きた。それは、大洋ホエールズの身売りである。

 この世界の大洋ホエールズは、阪急と共に西宮球場を本拠地としていた。ナ・リーグでは、近鉄と共に関西の球団として存在したが、最盛期にはジャ・リーグを含めて6球団(ジャ・リーグの阪神・阪急・南海・南急、ナ・リーグの大洋・近鉄)が犇き合っていた関西では存在感が薄かった。特に、阪神地域では阪神と阪急の陰に隠れており、観客動員数では常に最下位に位置していた。商業捕鯨に対する規制の強化もあり、親会社の大洋漁業は早くから球団を手放したいと考えていた。

 その様な中で、リース会社として拡大していたオリエント・リース(現・オリックス)がプロ野球参入を計画していた。これが、球団を手放したかった大洋との利害が一致し、1988年に大洋ホエールズを買収する事が決定した。その年のシーズン終了後、正式にオリエント・リースが大洋から球団を買収し、「オリックス・ホエールズ」となった。

 

【身売りした球団と身売り先】

〈ジャ・リーグ〉

・南海ホークス:1988年にサントリーに売却し「大阪サントリーホークス」と改称。

・西鉄ライオンズ:1988年にダイエーに売却し「福岡ダイエーライオンズ」と改称。

 

〈ナ・リーグ〉

・大洋ホエールズ:1988年にオリエント・リースに売却し「オリックス・ホエールズ」と改称。

 

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[新本拠地への移転]

 1980年代後半、各球団の本拠地の老朽化が深刻化した。その為、本拠地を大改装するか、本拠地を移転する事となった。この内、阪神(甲子園球場)、横浜京急(横浜スタジアム)、名鉄(鳴海球場)、近鉄(藤井寺球場)、広島(広島市民球場)は大改修で対応するか現状維持となった。それ以外の11球団は本拠地の移転が行われた。

 

 巨人の東京ドーム移転、中日のナゴヤドーム移転、ダイエーの福岡ドーム移転は史実通りである。

 足立球場を本拠地としていた大日は、1990年に本拠地を栃木県宇都宮市の宇都宮清原球場に移転した。これは、足立球場の持ち主が京成電鉄であり、京成が足立球場の再開発を計画していた事、宇都宮市が清原球場への誘致を積極的にしていた事、京成が宇都宮までの路線を有している事、巨人との差別化など、様々な要因が絡んでのものだった。移転に伴い、球団名も「宇都宮大日イーグルス」に変更となった。

 西宮球場を本拠地としていた阪急は、1994年に京都市の西京極球場に移転した。これは、西宮球場の再開発と阪神との差別化を狙っての事だった。また、西京極球場は阪急の準フランチャイズの為、かねてから移転が計画されていた。1992年から西京極球場の本拠地かの為の改修工事が行われ、1994年のシーズン前に移転が完了した。移転に伴いフランチャイズが京都府になり、球団名も「京都阪急ブレーブス」に変更となった。

 南海から球団を買収したサントリーは、大阪スタジアムを本拠地として使用していたが、買収当時から解体は予定されていた。その後、1996年のシーズンまでは大阪スタジアムを本拠地とし、1997年から大阪ドームに本拠地を移転した。大阪ドームだが、阪神西大阪線の開業が早かった事もあり、周辺の開発はある程度進んでいた。その為、史実の大阪シティドームの赤字は深刻とならなかった。

 日本ハムは、南急時代からの本拠地である平野球場を使用していた。その後、平野球場の老朽化とそれに伴う再開発を南急が計画していた事、関西に本拠地を置く阪神・阪急・サントリーとの差別化から、四国への移転が検討された。

 その結果、1993年に南急淡路線沿線に野球場やサッカー場を含む総合スポーツ施設の建設が決定した為、そこへの移転が計画された。徳島県も、四国初のプロ野球チームの誘致に意欲的であり、それが創業地が徳島の日本ハムであるのは運命と言えた。その為、誘致の交渉は順調に進み、1994年には徳島県日出市(史実では成立しなかった)の徳島うずしおスタジアムに移転した。この移転に合わせて、球団名が「四国日本ハムロビンス」に変更となった。

 

 この世界のロッテは、巨人と共に後楽園を本拠地としていた。その為、東京ドーム完成後はそちらに本拠地を移した。その後、2004年にフランチャイズを北海道に移し、本拠地も札幌ドームに移った。同時に、球団名も「北海道ロッテアスレチックス」に変更となった。

 ヤクルトは、ロッテが去った後に東京スタジアムを本拠地としていたが、1995年にフランチャイズを千葉県に移し、千葉市の千葉マリンスタジアムに移転した。東京スタジアムの老朽化が酷くなっていたが、その補修費用の捻出が難しかった為(東京スタジアムはヤクルトの保有)、止む無く本拠地の移転となった。そこで、開場したばかりの千葉マリンスタジアムへの移転が決まった。移転に合わせて、球団名も「千葉ヤクルトスワローズ」に変更となった。

 武蔵野野球場を本拠地としていた西武は、球場の老朽化が目立っていた事もあり、建て替えを選択した。球場は1988年から建て替え工事が行われ、その間は準本拠地の所沢市の西武所沢球場を本拠地としていた。その後、1992年に武蔵野野球場の跡地に「武蔵野ドーム」が完成し、同年のシーズンから利用が開始された。

 大洋から球団を買収したオリックスは、買収してから暫くは大洋時代からの本拠地である西宮球場を使用していた。その後、1993年に西宮球場の数年以内に解体が決定されると、新たな本拠地として神戸市のグリーンスタジアム神戸に移転した。1994年のシーズンから使用し始め、球団名も「オリックス・ブルーウェーブ」に変更となった。

 

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[3度目の集団身売り]

 2004年、再び複数球団の同時身売りが発表された。当事者となったのは、共にナ・リーグに所属する近鉄バファローズと名鉄レッドソックスだった。

 

 この世界の近鉄は、1997年に大阪ドームに移転しなかった。これは、大阪スタジアムを本拠地としていた大阪サントリーホークスが大阪ドームを本拠地としていた為である。それでも、近鉄の準本拠地だった日本生命球場の解体から、準本拠地として使用していた。

 その為、史実で近鉄消滅の原因の一つである大阪ドームの高額な使用料は抑えられたが、バブル期の積極的拡大が裏目に出て、2003年3月期の連結決算で8千億円近い有利子負債を抱える事となってしまった。史実の1兆3千億円と比較すると小さいが、それでも近鉄を吹き飛ばすには充分だった。その為、早急な負債の処理が求められた。その一つが球団の売却だった。

 バファローズの赤字は大きいものでは無かったが、不人気が原因でこれ以上の観客動員数の増加が見込めなかった。その為、これ以上保有しても意味は無いと判断され、他社への売却が計画された。

 これに手を挙げたのがライブドアと楽天であった。審査の結果、楽天の方が適当と判断され、2004年のシーズン終了後に楽天に売却された。

 

 楽天が親会社となったバファローズだが、楽天は本拠地を藤井寺のままにしなかった。藤井寺のままでは、近鉄時代と大して変わらない。それでは、観客動員数の増加は見込めないとして、別の場所に移転となった。当初は仙台に移転予定だったが、後述のライブドアとの関係から長野に変更となった。

 そして、買収後の11月に正式にフランチャイズを長野県に移し、本拠地を長野市の長野オリンピックスタジアムとした。球団名も「長野楽天バファローズ」に改称して、2005年のシーズンから新体制でスタートした。

 

 もう一方の名鉄は、名古屋市中心部からやや離れた所にある鳴海球場を本拠地とした。名鉄はAクラスの常連だったが、1988年からリーグ優勝をしていない事、ナ・リーグのテレビ中継が少なかった事から、同じ名古屋を本拠地とする中日ドラゴンズとの人気獲得競争で遅れがちになった。また、バブル終息後の名鉄の経営がやや苦しくなっていた事から、本業への経営資源の投入と不採算事業の整理が行われ、球団も整理対象に含まれた。

 名鉄も球団を売却に出したところ、バファローズの獲得に敗れたライブドアが名乗りを上げた。他にも何社か名乗りを上げたが、最終的にライブドアが成長性があると見込まれて売却が決定した。

 

 ライブドアも楽天同様、本拠地の移転を行った。ライブドアは、現在までプロ野球チームの正式な本拠地が置かなかった仙台市の宮城球場に移転する事とした(ロッテが一時期宮城球場を本拠地としていたが、仮の本拠地扱いだった)。

 そして、2004年シーズン終了後に仙台への移転が順次行われ、球団名も「仙台ライブドアレッドソックス」とする事が発表された。同時に、老朽化が進んでいた宮城球場の大改修も行われた。冬の工事の為、工事の遅れが心配されたが、無事シーズン開幕前に改修が完了した。そして、新体制・新本拠地の下で、2005年のシーズンが幕を開けた。

 因みに、宮城球場の改修はシーズン終了後に逐次行われた。また、球場の収容人数の増加も順次行われたが、球場が公園内にある事から拡張は緩やかに行われた。

 

 ジャ・リーグの方でも、身売りが見られた。福岡ダイエーライオンズの親会社である小売業のダイエーが、バブル期の大規模な多角化や不動産の購入が裏目に出て、多額の負債を抱え経営不振に喘いでいた。その様な中で球団を保有し続けるのは不可能であり、日本一に輝いた2004年のシーズン終了後に球団をIT系のソフトバンクに譲渡した。

 翌年から、「福岡ソフトバンクライオンズ」として新たなスタートを開始する。

 

【身売りした球団と身売り先】

〈ジャ・リーグ〉

・福岡ダイエーライオンズ:2004年にソフトバンクに売却、「福岡ソフトバンクライオンズ」に改称。

 

〈ナ・リーグ〉

・近鉄バファローズ:2004年に楽天に売却、本拠地も長野に移し「長野楽天バファローズ」と改称。

・名鉄レッドソックス:2004年にライブドアに売却、本拠地も仙台に移し「仙台ライブドアレッドソックス」と改称。

 

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[ナ・リーグのプレーオフの一部変更とジャ・リーグでのプレーオフ導入]

 ナ・リーグは、1973年から前後期制を導入した。これにより、シーズン終了後に前期優勝チームと後期優勝チームで5戦3勝方式のプレーオフを行い、勝利したチームがリーグ優勝となる仕組みが形成された。シーズンの勝率が1位では無いチームが優勝する可能性がある、シーズンの勝率は1位だが前期優勝又は後期優勝をしていない為、プレーオフに進出出来ないと言った問題こそあったものの、ジャ・リーグとの人気の格差が拡大していった時期であった為、導入が行われた。

 この結果、ナ・リーグはもの新しさや優勝争いが複数ある事によって、観客動員数が増加傾向となったが、導入から10年も経つと真新しさが薄れ、マンネリ化していった。その為、西武を中心に前後期制の廃止が検討されたものの、他に観客を増やす方法が無かった上、他のチームが優勝争いに食い込みたいとして、現状維持となった。

 

 状況が変化したのは、2004年のシーズン後であった。近鉄と名鉄に代わって親会社となった楽天とライブドアの提案と、かねてから不満であったシーズン勝率1位だが前期優勝又は後期優勝していないチームの救済として、プレーオフの一部変更が行われた。

 それは、今までの前期優勝と後期優勝は廃止となり、プレーオフ前期代表とプレーオフ後期代表という名称に変更となった。そして、プレーオフ時にシーズン勝率1位のチームに1勝分のアドバンテージが与えられた。

 また、シーズン勝率1位のチームが前期代表でも後期代表でもない場合、前期代表と後期代表が3戦2勝方式のプレーオフ実施後、勝利したチームがシーズン勝率1位のチームと5戦3勝方式のプレーオフを行う方式が追加された。こちらも同様に、シーズン勝率1位のチームに1勝分のアドバンテージが与えられた。

 尚、前期代表と後期代表が同一チームになった場合、プレーオフは実施されない。

 

 これにより、プレーオフに進出出来る可能性がある球団が増えた事で、ナ・リーグのペナントレースは盛り上がりを見せた。そうなると、シーズンとプレーオフの観客が増加し、テレビ中継も増加した。

 

 ナ・リーグのプレーオフの興行的成功を見て、ジャ・リーグでもプレーオフの導入が検討された。2007年から導入されたが、その方法が異なった。

 シーズン勝率2位と3位のチームが3戦2勝方式をした後、勝利したチームが1位と5戦3勝方式のプレーオフを行う形である。また、シーズン勝率1位のチームには最初から1勝のアドバンテージが与えられた。プレーオフを勝ち抜いたチームをリーグ優勝扱いとする事から、史実の2004年~2006年のパ・リーグプレーオフと同様だが、進出条件として「シーズン勝率1位のチームとのゲーム差が5以内」があった。

 これは、1位と2位のゲーム差が10以上の大差の場合、シーズン成績そのものが無意味となりかねない為である。プレーオフそのものがシーズン成績の意味を薄めているが、余りに大差だと相手にも失礼だとして、5ゲーム以内という条件が付けられた。

 その為、3位と5.5ゲーム以上離されている場合、1位と2位の5戦3勝方式のプレーオフのみ行われる。2位と5.5ゲーム以上離されている場合、プレーオフそのものが行われない。

 

 この条件が付いた事により、ペナントレースは白熱した。1位は大差を付けてプレーオフの可能性を無くそうとすれば、2位・3位はプレーオフに可能性を繋げようと奮闘した。4位以下は1位から3位のチームに食らいついて、自分の順位を上げたり、上位チームの足を引っ張ろうとした。

 勝率1位のチームがリーグ優勝扱いにならない事への不満は出たものの、興行的には成功だった。また、シーズンが熱戦となった事で、観客動員数の増加にも成功した。これにより、一時は低迷気味だった野球人気の再興に繋がった。

 

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[新たな独立リーグの成立]

 近鉄と名鉄の身売りが表に出たのとほぼ同時期、各地でプロ野球チームの新規参入が計画された。これは、球団の誘致が一段落した為、その次の案として出されたものだった。

 これに対して日本プロ野球機構(正式名称は「日本統一プロフェッショナル野球機構」)は、「これ以上球団が増えるのは、ゲームの質が落ちる事、試合数が増えて日程管理が難しくなる事から認められない」として却下された。

 その一方、「二軍相当のチームからなる独立リーグであれば反対しない」とした。当初の考えとは異なるものの、プロ野球への参入が認められた。

 但し、この時に条件として、東日本に1リーグ、西日本に1リーグの計2リーグまでの参入とする事、1リーグに8球団までとする事、それぞれイースタン・リーグとウェスタン・リーグとの交流戦を行う事、シーズン終了後に合同のポストシーズンを行う事などが決められた。これにより、独立リーグとはいうものの、日本プロ野球機構の影響力が強いリーグとなり、実質的には二軍の拡張であった。

 

 兎に角、プロ野球の拡張が実現した事で、各地でプロ野球チームが編成された。当時、バブル終息後の緩やかな不景気によって社会人スポーツの見直しが行われており、休部や廃部となる社会人野球が多数見られた。史実の様な急激な景気後退では無かった為、休廃部したチームは史実の3分の2程度だが、それでも多くの社会人選手が放出された。その受け皿として、新球団が活用された。勿論、社会人だけでは足りない為、高卒や大卒も集めて、2006年11月に16球団全ての編制が完了した。

 リーグ名は、東日本(南樺太・北海道・東北・関東・甲信越)が「サンライズ・リーグ(略称「サ・リーグ」)」、西日本(北陸・東海・近畿・中国・四国・九州)が「オクシデンタル・リーグ(略称「オ・リーグ」)」となった。それぞれの名前の由来は、「日の出」を意味する英語と、「日が沈む所」を意味するラテン語から来ている。日の出は東側、日が沈む、つまり日没は西側なので、これが適当となった。

 シーズンの流れや試合方式は、かつてのナ・リーグと同様である。つまり、指名打者制度及び予告先発が存在し、前後期制を採用している。前期優勝チームと後期優勝チームとで3戦2勝方式のプレーオフを実施後、サ・リーグ優勝チームとオ・リーグ優勝チームとで5戦3勝方式のグランドチャンピオンシップを行う事となった。グランドチャンピオンシップは独立リーグ版の日本シリーズであり、これに優勝すれば独立リーグ日本一の栄冠に輝く。

 

 こうして2007年にスタートした新リーグだが、最初の数年間は資金不足や観客動員数の少なさによって先行きが危ぶまれた。それでも、ファンサービスの充実やイベントの実施、地域の新聞やテレビへの露出の増加などを行った事により、2010年からは観客は増加傾向になり、数年以内には大半の球団が黒字化するか赤字の縮小が見込まれるという報告が出た。

 シーズン以外では、2010年からはグランドチャンピオンシップ優勝チームとファーム日本選手権優勝チームが対戦する「ファーム・独立リーグ合同チャンピオンシリーズ」が開催された。これは、二軍及び独立リーグの日本シリーズとされ、5戦3勝方式となる。合同ちゃんピンシリーズの開催に伴い、ファーム日本選手権の試合方式が変更となり、1発勝負から3戦2勝方式となった。

 

 また、2012年からはイ・リーグとウ・リーグとの合同オールスターゲームの実施が行われ、名称も「フューチャーオールスターゲーム」に変更となった。試合方式は、延長無しの9回までのダブルヘッダーとし、1日目にオール・イースタン対オール・ウエスタンとオール・サンライズ対オール・オクシデンタル、2日目にオール・イースタン対オール・サンライズとオール・ウエスタン対オール・オクシデンタル、3日目にオール・イースタン対オール・オクシデンタルとオール・ウエスタン対オール・サンライズと変則的なダブルヘッダーで行われる。

 試合数の多さや普段は見る機会が少ない独立リーグの選手が見られるとあって、観客動員数の増加が見られた。その為、1年だけの予定だったが、翌年以降も続けられる事となった。

 

【サンライズ・リーグ(サ・リーグ)】

・青森ホワイトスターズ

・福島ファイターズ

・両羽ダイヤモンズ

・新潟アルビレックス

・茨城アストロズ

・群馬ユニコーンズ

・埼玉カブス

・京浜メトロポリタンズ

 

【オクシデンタル・リーグ(オ・リーグ)】

・北陸サンダーバーズ

・静岡パシフィックス

・滋賀レイカーズ

・大阪エクスポス

・和歌山レンジャーズ

・岡山クラウンズ

・愛媛マンダリンマリナーズ

・熊本フェニックス

 

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この世界のプロ野球チーム(2015年シーズン終了時)

【日本野球連盟】

・読売ジャイアンツ(東京ドーム)

・宇都宮大日イーグルス(宇都宮清原球場)

・中日ドラゴンズ(ナゴヤドーム)

・京都阪急ブレーブス(西京極球場)

・大阪サントリーホークス(大阪ドーム)

・阪神タイガース(甲子園球場)

・四国日本ハムロビンス(徳島うずしおスタジアム)

・福岡ソフトバンクライオンズ(福岡ドーム)

 

【国民野球連盟】

・北海道ロッテアスレチックス(札幌ドーム)

・仙台ライブドアレッドソックス(宮城球場)

・千葉ヤクルトスワローズ(千葉マリンスタジアム)

・西武オリオンズ(武蔵野ドーム)

・横浜京急フライヤーズ(横浜スタジアム)

・長野楽天バファローズ(長野オリンピックスタジアム)

・オリックス・ブルースターズ※(グリーンスタジアム神戸)

・広島東洋カープ(マツダスタジアム)

 

※2011年の東日本大震災を理由に、2011年のシーズン後に改称。




この世界の日本シリーズの結果(1981年~2015年)
(西暦:ジャ・リーグ優勝チーム―ナ・リーグ優勝チーム(○は日本一、●は負け):日本一チームの勝ち数/負け数/引き分け数(ある場合))
1981:〇読売ジャイアンツ―●ロッテアスレチックス(4/2)
1982:●中日ドラゴンズ―〇横浜京急フライヤーズ(4/3/1)
1983:●読売ジャイアンツ―〇西武オリオンズ(4/3)
1984:●阪急ブレーブス―〇広島東洋カープ(4/3)
1985:〇阪神タイガース―●西武オリオンズ(4/2)
1986:〇大日イーグルス―●広島東洋カープ(4/3)
1987:●読売ジャイアンツ―〇西武オリオンズ(4/3)
1988:〇中日ドラゴンズ―●名鉄レッドソックス(4/3/1)
1989:〇読売ジャイアンツ―●近鉄バファローズ(4/3)
1990:●読売ジャイアンツ―〇西武オリオンズ(4/0)
1991:●宇都宮大日イーグルス―〇西武オリオンズ(4/3/1)
1992:●宇都宮大日イーグルス―〇西武オリオンズ(4/2)
1993:●宇都宮大日イーグルス―〇ヤクルトスワローズ(4/3)
1994:〇宇都宮大日イーグルス―●横浜京急フライヤーズ(4/2)
1995:〇京都阪急ブレーブス―●オリックス・ブルーウェーブ(4/2/1)
1996:●宇都宮大日イーグルス―〇オリックス・ブルーウェーブ(4/1/1)
1997:●大阪サントリーホークス―〇千葉ヤクルトスワローズ(4/2)
1998:〇宇都宮大日イーグルス―●西武オリオンズ(4/2)
1999:●中日ドラゴンズ―〇横浜京急フライヤーズ(4/2)
2000:〇読売ジャイアンツ―●西武オリオンズ(4/1/1)
2001:〇福岡ダイエーライオンズ―●近鉄バファローズ(4/2)
2002:〇読売ジャイアンツ―●西武オリオンズ(4/0)
2003:●阪神タイガース―〇横浜京急フライヤーズ(4/3)
2004:〇福岡ダイエーライオンズ―●横浜京急フライヤーズ(4/3)
2005:●福岡ソフトバンクライオンズ―〇北海道ロッテアスレチックス(4/2)
2006:●中日ドラゴンズ―〇西武オリオンズ(4/2)
2007:〇四国日本ハムロビンス―●北海道ロッテアスレチックス(4/2)
2008:●読売ジャイアンツ―〇西武オリオンズ(4/3)
2009:〇京都阪急ブレーブス―●仙台ライブドアレッドソックス(4/2)
2010:●中日ドラゴンズ―〇北海道ロッテアスレチックス(4/2/1)
2011:〇福岡ソフトバンクライオンズ―●長野楽天バファローズ(4/2)
2012:〇読売ジャイアンツ―●横浜京急フライヤーズ(4/2)
2013:●宇都宮大日イーグルス―〇長野楽天バファローズ(4/3)
2014:〇福岡ソフトバンクライオンズ―●オリックス・ブルースターズ(4/3/1)
2015:〇大阪サントリーホークス―●千葉ヤクルトスワローズ(4/2/1)

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