架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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これは、『番外編:この世界でのプロ野球の状況(1980年代~)』の中にある[新たな独立リーグの成立]の部分が違う世界の話となります。


番外編:この世界でのプロ野球の状況(2000年代~:別の世界)①

 名鉄の身売りが表に出る少し前の2003年、各地でプロ野球チームの拡張が計画された。これは、プロ野球チームの本拠地が置かれていない地方に新たに球団を置く事で、低迷しつつあるプロ野球人気の復活、野球人口(プレイ人口、ファン人口双方)の拡大、地方創生を目的としたものだった。

 当時、ロッテが来シーズンに本拠地を東京から北海道に移転させる事が決定し、近鉄の身売り問題が週刊誌レベルであるが世に出てきていた事もあり、球団の本拠地移転がちょっとしたブームとなっていた。その為、「我が町にもプロ野球チームを!」という声は多かった。

 しかし、当時の球団で本拠地を移転しそうなのが近鉄ぐらいであり、それも球団が身売りした場合という条件であった(当時、名鉄の球団身売りは名鉄上層部のみの情報だった)。その為、次善の案として「プロ野球チームの拡張」が各地で計画された。

 

 これに対して日本プロ野球機構(正式名称は「日本統一プロフェッショナル野球機構」)は、「これ以上球団が増えるのは、選手層の薄いチームの増加によってゲームの質が落ちる事、試合数が増えて日程管理が難しくなる事から認められない」として却下された。

 だが、新規参入側も諦めなかった。新規参入のメリットとして、「野球人口の拡大」、「それに伴う市場及びファン人口の拡大」、「地域創生の一環」などのメリットを上げた。また、当初プロ野球機構から出された「二軍相当のチームからなる独立リーグ」案では、独立リーグの選手の待遇や1軍がある球団への移籍の対応などの問題が多いとして、メリットよりデメリットの方が大きいとして反対した。その為、純粋に日本野球連盟(ジャ・リーグ)と国民野球連盟(ナ・リーグ)への加盟を希望した。

 両者の交渉は長引いたが、2004年のシーズン終了前に次の様な決定が下された。

 

・4球団の新規参入を認める。内訳は、ジャ・リーグ2球団、ナ・リーグ2球団とする。

・本拠地の観点から、ジャ・リーグの新規参入組はイースタン・リーグに、ナ・リーグの新規参入組はウエスタン・リーグに所属する事が望ましい。

・新規参入組の親会社を、2005年のオールスターゲーム開催前までに決める。

・2006年のシーズンから、新規参入組のシーズン参加を行う。但し、選手集めの観点から、最初の2年間は2軍戦に限定し、1軍戦は2008年シーズンから参加する。

・選手の獲得方法は、4球団による合同トライアウトによって獲得する。実施は、ドラフト会議終了後とする。

・2軍のみの時の選手の保有上限は40人とする。

・新規参入組は、2008年から3年間は売却出来ない。また、本拠地は2008年から30年間は移転出来ない。

 

 この決定により、両リーグで2球団ずつ、計4球団の拡張が決まった。但し、これは4年後の事であり、また、1年で親会社と本拠地決め、2軍選手集めを行う必要があった。

 

 また、上記とは別に、既存の16球団には次の決定が下された。

 

・2004年から2008年までのドラフトでは、各球団はドラフト指名に際して最低でも6人採らなくてはならない。また、全体の指名人数の制限を通常の160人から変更となる。2004年から2007年は192人、2008年は240人、2009年以降は200人とする。

・2007年ドラフト会議終了後、各球団は新規参入組に選手を分配する事。条件として、1球団に最低2名分配する事、不公平が無い様に4球団への分配人数は同じとする事、最低2名は2007年日本シリーズ終了時点で入団5年以内又は25歳未満である事、故障歴が無い事。

 

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 2004年のドラフト会議終了後、4球団の親会社を決める審査会が何度も行われた。その結果、次の4球団の参入が決定した。

 

〈ジャ・リーグ〉

・埼玉カブス(1軍本拠地:大宮スタジアム(※1)、2軍本拠地:熊谷公園球場)

・新潟アルビレックス(1軍本拠地:新潟県立野球場(※2)、2軍本拠地:鳥屋野運動公園野球場)

 

〈ナ・リーグ〉

・北陸サンダーバーズ(1軍本拠地:金沢百万石ドーム(※3)、2軍本拠地:富山市民球場アルペンスタジアム)

・熊本フェニックス(1軍本拠地:藤崎台県営野球場、2軍本拠地:宮崎県総合運動公園第二硬式野球場)

 

※1:史実で頓挫した約30000人収容出来る球場。現在の大宮第三公園に出来る予定だった。1991年開場。両翼99m、中堅122m、中間120m、収容人数31200人。

※2:史実より2年早い2005年に開場。

※3:史実で頓挫した金沢市に置かれたドーム球場。2006年に開場。両翼100m、中堅122m、中間120m、収容人数32500人と地方球場としてはかなりの規模を持つ。

 

 上記の4球団以外にも、東京や大阪、静岡や松山、岡山など多数の候補が存在したが、それぞれ巨人と西武、、在関西球団、中日、日本ハム、広島との兼ね合いから不適合と判断された。特に東京と大阪は、「地方創生」の観点からも外れている事もあり、第一次選考の段階で却下された。

 その一方、埼玉カブスが選ばれた背景には、関東・甲信越・東北・北海道・南樺太で参入可能な地域が限られる事、その限られる地域の人口だと黒字化が見込めない事、ナ・リーグからジャ・リーグへの移動案は大規模なリーグ再編となり収集が付かなくなる恐れから採れない事などがあり、例外とされた。保護地域とする埼玉県には、西武とロッテの2軍本拠地が置かれており、西武は準本拠地としているが、保護地域の規定は1軍本拠地に限定されていた為、問題無しと判断された。

 

 尚、各球団の親会社だが、新潟アルビレックスはNSGグループが主要株主となり、他にコメリや亀田製菓など、新潟県に本社を置く企業が中心となる。また、運営会社の株式の2割程は市民向けとなっている。

 埼玉カブスも同様に、埼玉県内の企業と埼玉県民の共同出資で設立された。新潟アルビレックスと異なる点として、株主に有力企業が存在しない事である。

 北陸サンダーバーズは、加越能鉄道とアパグループが中心となり、他に小松製作所、不二越、YKKグループなど北陸、特に石川県と富山県発祥若しくは関わりが深い企業が出資している。スポンサーに大手企業が名を連ねている為、他の新規参入組と比較すると資金力は比較的豊富となっている。その一方、株式の1割が市民向けに発行されるなど、「企業連合の球団」という訳では無い。

 熊本フェニックスは、埼玉カブスと同様となっている。

 

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 新規参入組の親会社と球団名、保護地域が決まり、次は選手集めとなった。2005年のドラフト会議終了後に4球団合同のトライアウトが行われたが、既に目ぼしい選手がドラフトで獲られている為、有力選手を獲るのは難しかった。

 それでも、プロ志望届を提出したがドラフトにかからなかった高卒や、能力はあるがドラフト指名されなかった大卒、所属チームが廃部となった社会人選手に「プロ野球選手志望者募集」の案内を出した所、かなりの数が集まった。その為、当初想定されていた選手不足という問題は発生する事は無かった。また、16球団に所属する選手の中には、地元の球団でプレーしたいという選手も少数ながら存在し、これによりプロで戦える人材に厚みが増した。

 こうして、各球団の選手獲得は滞りなく完了し、無事2006年のイ・ウ両リーグの開幕が行われた。

 

 球団増加に伴い、イースタン・ウエスタン両リーグの試合数が変更となった。2004年までは、イ・リーグは6球団(巨人・大日・ロッテ・西武・ヤクルト・京急)による22回の総当たり戦で年間110試合、ウ・リーグは10球団(中日・阪急・サントリー・阪神・日本ハム・ダイエー・名鉄・近鉄・オリックス・広島)による12回の総当たり戦で年間108試合だった。これが、2004年シーズン終了後に名鉄と近鉄が身売りと同時に仙台と長野にそれぞれ移転した事で、両球団がイ・リーグに移転となった事により、イ・ウ両リーグが8球団となった。その為、2005年は試合数が変更となり、両リーグは16回の総当たり戦で年間112試合となった。

 そして、2006年に両リーグで2球団が増加して10球団体制となる為、14回の総当たり戦で年間126試合に変更となった。それ以外のルール(延長戦、DH制)については、そのままとなった。

 

 この年、新規参入組は苦戦を強いられた。プロ経験者がいるとは言え、チーム全体から見れば1割程度しかいなかった。また、所属選手の殆どがプロ未経験である事もマイナスに働いた。球威や変化球のキレ、バッティング技術などがアマチュアとは比べ物にならず、手も足も出ない事が多かった。その為、この年のイ・ウ両リーグの9位と最下位が新規参入組となった。

 この傾向は翌年も同様で、順位も同様となった。しかし、勝率については若干良くなり、前年は2割8分程度だったものが3割台に乗せる事が出来た。

 それでも、プロとアマの差が大きく表れた結果でもあり、1軍戦の結果を不安視された。

 

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 2007年日本シリーズが終了し、いよいよ新規参入4球団の拡張と翌シーズンの1軍戦参入が本格化した。ドラフト会議終了後に各球団から分配された選手の受け入れが行われ、各球団の再編が行われた。これにより、4球団の選手は増加し、プロとして戦った選手を多く獲得した。

 一方で、若い選手が殆どの為、経験不足が不安視された。また、「分配された」という事は「戦力外」と遠回しに宣言された事でもある為、選手のモチベーションもやや低かった。

 しかし、中には「新球団でやってみよう」という気持ちが生まれたり、「まだ野球を続けたい」という気持ちから今まで以上に努力をするなど、全てがマイナスという訳では無かった。

 選手の受け入れの前に、1軍首脳陣の整備が行われた。基本は2軍時代の首脳陣が横滑りの形で就任したが、人数の増加や戦い方の変更などから、一部コーチの変更や新監督を呼ぶなどして新体制を構築した球団もあった。

 

 全ての準備が終わり、全選手の顔合わせという意味で秋季キャンプが行われた。ここでの主目的は「顔合わせ」の為、キャンプの内容は平凡だった。

 それに対し、年明けの春季キャンプは全球団が「猛練習」に励んだ。2年間のペナントレースの結果や戦力的に不十分な現状では、兎に角練習で経験を積んでいくしかないという事だった。また、選手の元所属チームも全て違う事から、チームの雰囲気を知ってもらう意味もあった。こうして、オープン戦が始まるまで練習漬けとなった。

 

 オープン戦が始まると、4チームは大健闘した。埼玉と熊本が16試合、北陸が17試合、新潟が18試合行ったが、全球団が6割台で終えた。また、順位も1桁台で終えるなど(埼玉と北陸が同率4位、熊本と新潟が同率7位)、出だしは好調と見られた。

 

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 2008年から新規参入組も加えて1軍ペナントレースが開幕するが、それに伴い試合数も変更となった。今までは、各チームと20回の総当たり戦で年間140試合だったが、2008年から各チームとの16回の総当たり戦で年間144試合に変更となった。

 当初は、18回の総当たり戦で年間162試合(メジャーリーグと同じ試合数)にしようという案もあったが、これは移動の日程や予備日程の関係からかなり窮屈な日程にない、選手の疲労も大きくなるとして却下された。

 また、試合数変更と同時に、引き分けに関する規定も変更となった。これまでは、引き分けは勝率の計算に含まれなかったが、2008年からペナントレースに限り、引き分けを0.5勝0.5敗とする事となった(1961年以来)。これは、引き分けを勝率計算に含まれない事への疑問点の解消、ゲーム差と勝率の差の差異の解消などが目的だった。

 勿論、「勝率計算が面倒になる」、「今までと違う計算になる事による混乱が生じる」、「上位チームに不利になる」という反対意見もあった。しかし、それぞれ「手計算していた昔なら兎も角、コンピューターが発展している現代なら、勝率計算は面倒にならない」、「それはシーズン前に説明する事が我慢してもらう」、「むしろ、上位チームに発破をかける事となり、ゲームの質が向上する」として反対意見を退けた。

 

 こうして、新規参入組の参戦と一部のルールが改定されて2008年のペナントレースが開幕したが、新規参入の4球団は出だしこそ開幕戦勝利や開幕3戦を勝ち越しで終えるなど出だしは悪くなかったものの、選手層の薄さの影響が早くから現れた。出だしこそ良かったものの、最初から飛ばした影響で後が続かなかった為、シーズン中頃には息切れしてしまった。実際、シーズン前半の中頃は3~6位にいたが、前半終了時には全球団がBクラスとなった。

 特に酷かったのが埼玉と熊本で、前者は1946年の中日と1969年の南海が記録したジャ・リーグ最多連敗記録の15連敗を上回る16連敗を記録し、しかもこの間に引き分けを挟まなかったので、純粋な最多連敗記録を樹立してしまった。後者も、2桁連敗こそ無かったものの、9連敗を2回した。その為、両チームとも最下位となり、9位とのゲーム差も5以上離されるなど前途が不安視された。

 シーズン後半も勢いが上がらず、Bクラスが定位置となった。埼玉は7連敗を2回する、熊本は後期開幕から8連敗するなど最後まで低調で、後期も最下位となった。

 

 一方、新潟と北陸は前者と比較すると試合作りが上手く行っていた。新潟はサントリーとソフトバンク相手に、北陸はライブドア、楽天、ヤクルト、広島相手に良く喰らい付いていた事もあり、前半終了時に新潟は8位、北陸は7位と健闘していた。

 ただ、後半に入ると前半の勢いの反動、他のチームに対策された事もあり負けが込む様になった。だが、大型連敗はする事は無かった事、先述の相手には勝率4割を維持していた事(新規参入組以外の他球団では2~3割程度)もあり、共に9位でシーズンを終えた。

 

●新規参入組の2008年ペナントレースの成績

(球団名:通年順位(前期順位/後期順位):勝ち/負け/引き分け(前期勝敗内容:後期勝敗内容):通年勝率(前期勝率/後期勝率))

〈ジャ・リーグ〉

・埼玉カブス:10:41/101/2:.292

・新潟アルビレックス:9:49/91/4:.354

 

〈ナ・リーグ〉

・北陸サンダーバーズ:9(8/9):50/92/2(28/44/0:22/48/2):.354(.389/.319)

・熊本フェニックス:10(10/10):38/101/5(19/50/3:19/51/2):.281(.285/.278)


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