架空の財閥を歴史に落とし込んでみる   作:あさかぜ

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番外編:この世界でのプロ野球の状況(2000年代~2010年代:別の世界)②

 2008年シーズンの結果は散々だったが、選手層の薄さから「まあ、こんなものだろう」という意見が殆どだった。その為、首脳陣は留任となり、翌シーズンも同じ体制で戦う予定となった。

 その中で、前期だけとは言え8位で終えた北陸は称賛され、将来の躍進があるのではと期待された。実際、北陸はシーズン後に新外国人や自由契約選手を中心に野手陣の強化に乗り出し、同時に日本ハムをモデルとした育成システムの取入れを行い将来的な戦力強化を行った。新潟も、予算不足から補強こそ消極的だったが、育成モデルについては同様だった。

 また、新潟はヤクルトと、北陸は広島と育成面での連携を結び、新潟はブラジルのヤクルト野球アカデミーに、北陸はドミニカのカープアカデミーへの運営費援助を行い、育成能力の強化を行いたいと交渉した。資金不足に悩んで規模の縮小を考えていた両球団にとってこの提案は有難く、「名称はそのままとする事」など幾つかの条件を出した上で合意した。

 

 そして、2009年シーズンが開幕したが、埼玉と熊本、新潟と北陸で状況が分かれた。

 埼玉と熊本はスタートダッシュに失敗し、早くも最下位が定位置となった。特に熊本は開幕8連敗するなど、早くも首位レースから脱落した。そして、シーズンが終わってみれば最下位で、9位と5ゲーム以上離されるなど酷い結果となった。

 新潟と北陸も、開幕3戦を落とすなど出だしは良くなかったが、その後は相性が良い相手との試合を上手く運ぶなどして少しずつではあったが勝ちを増やしていった。特に北陸は補強が上手く噛み合い、前期を6位で終える事が出来た。

 尤も、後半にバテる事が解消出来ず、土壇場で逆転負けされる事が多くなった。それでも、この年は阪神、オリックス、広島が不調である事が幸いし、それらとの対戦を上手く切り抜けた事で、新潟は8位、北陸は後期7位の通年7位でシーズンを終えた。

 

●新規参入組の2009年ペナントレースの成績

(球団名:通年順位(前期順位/後期順位):勝ち/負け/引き分け(前期勝敗内容:後期勝敗内容):通年勝率(前期勝率/後期勝率))

〈ジャ・リーグ〉

・埼玉カブス:10:49/98/7:.341

・新潟アルビレックス:8:58/92/4:.390

 

〈ナ・リーグ〉

・北陸サンダーバーズ:7(6/7):62/81/1(35/36/1:27/45/0):.434(.493/.375)

・熊本フェニックス:10(10/10):41/99/4(20/49/3:21/50/1):.299(.299/.299)

 

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 球団設立当初は、新球団ブームによって観客動員数が増加していたが、設立から数年が経つと、状況は両極化した。

 全球団が地元密着球団として歩んでいる事には変わりないが、北陸と新潟は多少資金力がある上、育成能力も年々高まりつつあり、その結果も徐々にだが現れている。新潟は、2011年シーズンの通年成績こそ7位だが、前半を4位で折り返すなど、着々と強くなっていた。北陸も、2011年シーズンを前期4位・後期6位の通年5位で終え、かつ初めて貯金ありでシーズンを終えるなど、近い将来は優勝争い出来るのではと見られた。

 

 一方、埼玉と熊本は4年連続の最下位、しかも全て9位とのゲーム差で5以上付けられるなど、「リーグのお荷物」と見られる様になった。負け続きで地元での人気は低下する一方であり、まして、同じ地方に別の球団があるとなれば尚更だった(埼玉は巨人・大日・西武・ヤクルト・京急が、熊本はソフトバンクが同じ地方に存在)。

 資金不足が原因と言ってしまえばそれまでだが、育成や補強で新潟や北陸に劣っているのが最大の原因だった。4年連続最下位という事態に、2011年シーズン終了後にスポンサーが降りたり、運営会社の株を手放したい、つまり身売りという考えが出る様になった。

 

 この時、身売りは表面化していなかったが、週刊誌に透破抜かれた事で表に出た。各マスコミの内容は、「埼玉と熊本批判、新潟と北陸称賛」一色だった。「出資者と出資額の違いこそあるものの、4球団同じスタートを切ったにも拘らず、新潟と北陸は下位とは言え各球団と戦えているのは対照的に、埼玉と熊本はスタートダッシュに失敗して早々に最下位確定というのは不甲斐ない」、「金が無いなら無いなりの工夫をするべきなのに、それも出来ていない」、「注目を浴びる事だけが目的なら、球団を保有するべきでは無かった」など、辛辣なコメントが相次いだ。

 そして、球団の出資者の中にも、株式を手放したいという者が多かった。球団設立当時、リーマン・ショックの影響で景気が一時後退した為、株式公募の当初予定を下回り、残りの株式の引き取り手を探すのに苦労した。その後、景気が徐々に回復していった矢先に東日本大震災で再び一時的に後退するなど安定しなかった。その為、出資者も球団を支援する余裕が無くなり、手放したいと考える様になった。

 

 2012年シーズンが始まる前、埼玉と熊本の両球団は遂に身売りを決意、今シーズンの終了まで身売り先を募集中と公にした。この動きに対し、多くの企業が買収したいと表明した。スポーツの多角化によって野球人気はやや低迷しているものの、試合数の多さや長年人気を引っ張り続けてきた実績などから、企業の広告塔として最適な方法である事は事実である為、新興企業を中心に買い手数多の状況となった。

 特に、巨人戦や大日戦などテレビ中継が多いジャ・リーグに所属する埼玉の方に注目が集まった。その為、早くから譲渡先を決める選考が行われた。その結果、シーズン中頃に譲渡先はIT系のディー・エヌ・エー(以降、DeNA)となる事が決定した。

 一方、熊本の方はテレビ中継がやや少ないナ・リーグに所属している為、当初は譲渡先として名乗りを上げる企業が少なかったが、埼玉の譲渡先から漏れた企業がこちらに流れた。埼玉の譲渡先の選考でDeNAに敗れたプラネットグループ(以降、プラネット)が攻勢を強め、購入額として2番目に高い企業の3倍(225億円)を提示した事から、シーズン後半開催直後にプラネットを譲渡先とする事が決定した。

 当初、両球団は企業名を加える事には消極的だった。元々、市民球団として発足した経緯がある為、企業広告として活用されるのは不本意だった為である。それでも、球団譲渡を優先した為、結局は譲渡先の条件であった「球団名に企業名を追加する」事を飲む事となった。

 その一方、「地域密着球団」としての活動は今後も続ける事を両者は表明しており、地元でのイベント開催を積極的に行う事が約束された。

 こうして、2013年シーズンから、埼玉は「埼玉DeNAカブス」として、熊本は「熊本プラネット・フェニックス」として新たなスタートをする事が決定した。

 

 シーズンの結果だが、この年はジャ・リーグは巨人、日本ハム、ソフトバンク以外の、ナ・リーグは西武と楽天以外の各球団の調子が悪かった為、例年以上に混戦状態となった。埼玉、新潟、北陸、熊本の各球団にとってそれは好機であり、各球団は混戦に乗じて勝ち星を稼いだ。

 しかし、混戦状態である為、負けも同じ様に重ね、特に埼玉と熊本は戦力層の薄さやここ一番での弱さが際立ってしまった。最終的には埼玉は9位、新潟は5位、北陸は前年同様前期4位・後期6位の通年5位、熊本は前期7位・後期10位の通年9位という結果となった。

 

●新規参入組の2012年ペナントレースの成績

(球団名:通年順位(前期順位/後期順位):勝ち/負け/引き分け(前期勝敗内容:後期勝敗内容):通年勝率(前期勝率/後期勝率))

〈ジャ・リーグ〉

・埼玉カブス:9:49/91/4:.354

・新潟アルビレックス:5:68/70/6:.493

 

〈ナ・リーグ〉

・北陸サンダーバーズ:5(4/6):70/68/6(39/30/3:31/38/3):.507(.563/.451)

・熊本フェニックス:9(7/10):52/87/5(30/40/2:22/47/3):.378(.431/.326)

 

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 2012年のシーズン終了後、親会社が変わった埼玉は、早速首脳陣の総入れ替えが行われた。今まで最下位ばかりだったのはお金が無いからだけでなく、首脳陣のやる気が無いのも原因だった。

 その為、就任直後に監督・コーチ全員が引退となり、新しい首脳陣を編成した。この時、監督については人気を呼び込む意味から元スター選手から選ばれる事となり、DeNAは「大日の至宝」と呼ばれた高池直弘が、プラネットは「京急最強の左腕」と呼ばれた豊島遼一がそれぞれ監督に就任した。コーチ陣については監督に一任したが、条件として「コーチとしての実績が充分な人物」を加えた。こうして、新たな首脳陣の編制が行われた。

 また、親会社が変わった事で補強も積極的に行われた。特に資金力が豊富なプラネットは積極的で、他球団とのトレードや外国人選手の獲得が大規模に行われた。

 首脳陣や選手以外でも、育成面や広告面、ファンサービスなど、変更が多岐に亘って行われた。これらの施策により、例年より収益性は向上すると見られた。実際は、2013年シーズンの成績次第だが、少なくとも過去数年間よりは試合内容は良くなると見られた。

 

 2013年シーズンの結果は、彼らの想像より良くはならなかったが、観客動員数など経営面では改善した。

 DeNAは開幕戦こそ勝利したものの、直後に10連敗した。その後は大型連敗こそ無かったものの、ズルズルと負け越した。やはり、首脳陣が変わっても直ぐには影響は表れなかった。結局、この年も最下位となったが、9位と0.5ゲーム差と僅差であった。今シーズンのジャ・リーグが混戦状況にあった事も原因だが、その状況を活かす事が出来た結果でもあった。

 プラネットは、開幕スタートダッシュに失敗して3連敗をしたものの、今シーズンの最多連敗が5連敗となるなど、大きく負ける事は無くなった。選手の意識改革が追い付いていない為、接戦を落とす事が多かったが、トレードで獲得した選手が当たり、大型連敗をしなくなった。その結果、シーズンを9位で終える事となったが、初めてシーズン勝率を4割台で終えたなど、リーグ戦で戦える様になった。

 また、観客動員数は球団初年度越えを達成し、球場での売り上げも好調となった。地元との連携強化や広告の拡大、親会社の変更による変化の期待もあって、開幕当初は満席が続いた。その後は、例年通り負けが多い展開になった事で観客動員数は低下していったが、グッズ販売のラインナップが増加した事で売り上げが伸びた。

 

 新潟は、開幕4連勝と好スタートを切った。このシーズンは投打が上手く噛み合い、前半を3位で折り返した。だが、前半に飛ばし過ぎたのか後半は五分五分となる事が多かった。それでも、シーズン4位と過去最高の成績となり、球団創設以来初めて勝ち越してシーズンを終える事が出来た。

 北陸も、開幕戦こそ落としたものの、その後は5連勝するなど悪くない出だしとなった。こちらも投打が上手く噛み合い、前期を5位で終えた。後期になると勢いが増し4位で終え、通年でも4位となる好成績で終えた。

 

●新規参入組の2013年ペナントレースの成績

(球団名:通年順位(前期順位/後期順位):勝ち/負け/引き分け(前期勝敗内容:後期勝敗内容):通年勝率(前期勝率/後期勝率))

〈ジャ・リーグ〉

・埼玉DeNAカブス:10:60/82/2:.424

・新潟アルビレックス:4:72/65/7:.524

 

〈ナ・リーグ〉

・北陸サンダーバーズ:4(5/4):77/62/5(38/32/2:39/30/3):.552(.542/.563)

・熊本プラネット・フェニックス:9(8/9):59/81/4(29/39/4:30/42/0):.424(.431/.417)




・プラネットグループ
ゲームや玩具、リゾート開発などを手掛ける総合エンターテイメント企業であり、同時に国内有数の独立系システムインテグレーター、不動産会社でもある。
プラネットグループが持株会社で、子会社にゲーム部門(コンシューマー用、アーケード用、ゲームセンター)の「マーキュリー(旧名、プラネット・ゲームス)」、遊技部門(パチンコ・パチスロ、カジノ)の「ヴィーナス(旧名、プラネット・プレイズ)」、不動産部門(複合商業施設、コンベンションセンター、ビル・マンション)の「アース(旧名、プラネット・デベロップメント)」、玩具部門(おもちゃ、模型、アニメーション)の「マーズ(旧名、プラネット・トイズ&アニメーション)」、情報通信部門(システムインテグレーター、会計ソフト、コールセンター)の「ジュピター(旧名、プラネット・コミュニケーションズ)」が主要子会社となる。
源流は、1952年に設立されたカジノ運営会社「太陽商事」となる(この世界の日本では風営法でカジノが合法化されているが、審査が非常に厳しい)。その後、他の中小カジノ運営会社、パチンコ店、ゲーム会社、ゴルフ運営会社などを買収する事で拡大し、リゾート開発や不動産開発などにも進出する。1995年に社名を「プラネット・コーポレーション」に改称、1997年に東証一部上場、2006年に持株会社体制となる。

・高池直弘(たかいけ なおひろ)
1965年2月18日生まれ。神奈川県出身。179㎝、77㎏、A型。
1982年ドラフトで大日に2位指名され入団。入団初年から大暴れし、新人王と首位打者を獲得。入団2年目にはショートのレギュラーを獲得し、打率の高さと足の速さを活かした1番打者として名を馳せる。その後、2003年の引退までに通算2236安打(本塁打87本)、首位打者7回(3年連続含む)、盗塁王8回(3年連続を2回)、ベストナイン6回(2年連続を2回)など数々の功績を残した。引退後、大日の打撃コーチや守備走塁コーチ、2軍監督を歴任。

・豊島遼一(とよしま りょういち)
1965年9月21日生まれ。埼玉県出身。184㎝、84㎏、O型。
1983年ドラフトで京急に1位指名され入団。球速こそ遅いものの(MAXで134㎞/h)、多彩な変化球とバットの芯を外す投球が並外れて上手く、初年から12勝2敗2セーブ(完投2、完封1)という成績を残す。その後は京急のエースとして活躍し、2002年の引退までに通算217勝132敗17セーブ、最多勝利2回、最優秀防御率3回、ゴールデングラブ賞2回などの功績を残した。引退後、解説者を経験した後、京急の投手コーチやトレーニングコーチに就任。

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