餅。
もち米を粒状にして、蒸して、杵で突いて出来上がる食べ物。
正月に食べられる事が多いこの餅だが、何も正月しか食べてはいけない、というものではない。一年中、365日、朝昼晩、いつ食べても、なんら咎められる事はない。
そんな餅を……私の一番弟子である慶が、ボーダー本部の屋上で焼いていた。
「忍田さん、見てくださいよこの七輪。最近買ったやつなんすけど、すげえ良い感じに餅が焼けます。焼けたやつ、忍田さんにも食べさせてあげますからね」
「……そうか」
慶……私は別に、餅が食べたいわけではない。いや、確かに小腹は空いているが、それは今満たさなくてもいいんだ。
少し聞きたい事があると連絡をしたら、『今は屋上で手が離せない』と返事が来たから、渋々屋上に来たのだ。だから、そんな『待っててくださいね、もうちょっとで食べごろなんで』と言いたそうな顔で餅を焼くな。
そもそもこの前、きな粉を派手に溢して叱られたばかりだろ。
言いたい事は色々あるが、どれも今言っても仕方ないと思い、ひとまず慶の隣に座ることにした。
「……この椅子の数、他にも誰か来るのか?」
「来ますね。ウチの隊と盾花呼んでます。これから餅パーティです」
「そうか」
……慶、まさか普段からこうやって隊員やあの子を振り回してるんじゃないだろうな……。
そんな疑問を持つが、期せずして慶が盾花の名前を出したので、それに便乗して聞きたかった事を尋ねることにした。
「慶。今日で盾花桜の仮入隊は終わりだが……お前から見て、あの子はどうだったか?」
「んー……どう、と言われたら、いい子だったって答えますね」
七輪の上に置かれた餅をこの上なく真剣な顔で見ながら、慶は答える。
「性格にヒネたとこは無いし、頭だってそれなりに回るし……目が見えない、ってのが無かったら、まるっきり普通の子っすよ」
「普通の子、か……。一緒に活動して、その辺りに不便を感じたか?」
「いや? あんまり。ずっと戦闘体か……日常用トリオン体? ってやつ使ってたんで、うっかりすると見えてないってこと忘れそうなくらいに、馴染んでましたよ」
馴染んでいた。その言葉を聞き、ほっと胸を撫で下ろす。
「あと、戦闘時の勘は良いっすね。飛び抜けてるワケではないですけど……良い感じに自由な発想ができてる。もうちょい経験積んで、上手く伸びてくれれば大抵のチームで主軸を張る隊員になりそうっす」
「随分と評価が高いな」
「まだルーキーですからね」
伸び代の塊だ、と、楽しそうに付け加えた慶を見て、この数日間は上手くいったのだろうと思った。
配置直前まであの子をどの部隊に入れるべきか揉めた甲斐があった……そう思った瞬間、
「ところで忍田さん。もしかして……盾花の知り合いだったりします?」
なんの前触れもなく、慶がそんな事を言った。
「……どうしてそう思った?」
「何となく。なんか、こう……心配してる感が出てたんで、もしかしたら知り合いかなって」
要するに勘なわけだが……それがまた的を射てる答えだから、内心溜息を吐く。その勘の鋭さを、大学の試験中に発揮してくれ。
視線を慶から外し、空に移してから……あの日の事を……4年前の大規模侵攻の事を思い出し、特別隠すようなことでもないと思い、慶に告げる。
「別に、隠してたわけじゃない。……あの日、瓦礫の中に埋もれていたあの子を見つけたのが、たまたま私だっただけのことだ」
隠していたわけではないが、これを誰かに言ったことは1度も無い。というよりも、私もこの前会議室で彼女と初めて顔を合わせた時まで……彼女の目元に刻まれていたあの傷を見るまで、件の隊員が彼女だということを知らなかった。
「へえ……そりゃ心配になるのも納得っすね。……ちなみに、このことを盾花は知ってるんすか?」
「知らない筈だ。少なくとも、私からは伝えていない」
「ほー……伝えたりしないんですか?」
「言えるわけないだろう」
「……? まあ、伝えてないなら俺からも余計な事は言わないでおきますね」
そう答えた慶は本当に納得して話題に対して興味を失ったのか、餅を焼く作業に戻った。
「いや、慶……お前、自分から聞いておきながら興味を失うのが早すぎないか?」
「別に、興味無くしたワケじゃないっすよ。忍田さんがあんまし話したくなさそうな顔したんで、今はいいかなって思って」
慶の答えを聞き、私はなんとも言えない気持ちになった。
特別隠すことでもないと思いながらも、心の片隅では聞かれたくないと思っていたのを、慶に見透かされていた。
抜けているように見えて、慶は本質を見透かす目を持っている。勉強に不熱心なのが玉に瑕だが……同じ歳だった時の私より色んな意味で恵まれている。
恵まれているからこそ……慶には、あの日私が感じた悔しさにも似た感情を経験して欲しくは無いなと、思う。
なあ、慶……防げたはずの戦いを防げず、そんな戦いで出してしまった被害者を助ける時の、あの何とも言い表しがたい感情を……お前は味わわずにいてくれ。
*** *** ***
忍田さんは餅を1つ食べた後、盾花への伝言を残して屋上から降りて行った。
それと入れ替わるようにして国近と盾花が、2人に少し遅れて出水が屋上に来た。唯我はもう少し時間がかかるらしいが、七輪が今最高に良い状態だから待ってられん。
餅on七輪
餅を焼くには、冷静さと集中力が何より大事だ。
世の中には、
「餅を焼いて膨らんできたらひっくり返せばいいんでしょ?」
と思ってる素人餅焼き人が多いが、俺に言わせたら甘い。
焼いて膨らんできたらひっくり返す。その認識そのものは間違っちゃいないが、一口に『膨らんで』と言ってもその中に更にタイミングがあるし、もっと言えば
だが焼き方と言っても、そう難しいもんじゃない。言っちまえば、焼く餅の厚さ合わせて七輪の火加減を保ってバランスを取ればいいんだが……その見極めは数をこなすしかない。七輪の網が目に焼き付くくらい餅焼きと向き合えば、そのうち見えてくる。
そういう意味じゃ、今のこの七輪の火加減と、用意した餅は最高のバランスだ。奇跡と言ってもいいくらいに、今回用意した餅に対して最高の火加減になってる。
ぱち……ぱち……と、仄かに炭が焼ける音に耳を傾けながら網の中心にある餅を見ていると、
ぷく……
と、あらかじめ入れておいた切れ込みから餅が膨らんできた。
「あ、太刀川さん太刀川さん。お餅膨らんできたよ〜? ひっくり返す?」
そう言って国近が箸を餅に向けるが、
「もうちょっとだけ待て」
俺はすかさずそれを止めて、最高のタイミングを見定めることに意識を向ける。
「……! ここだ」
くるり、と、餅をひっくり返す。
何百、何千と繰り返した動きだったが、その中でも会心の出来だ。やべえ、俺今ゾーンに入ってるわコレ。
最高の火加減と最高のコンディション。
焼き上がる前から確信してる。この餅は、俺の最高傑作になる……!
出来ることなら忍田さんに食べてもらいたかったが……仕事があるみたいだし、仕方ない。
「よーし、もうすぐ第一弾が焼き上がるが……盾花、食うか?」
「いいんですか?」
「おう。むしろこれからバンバン焼くからな。遠慮しないで食っていいぞ」
「わかりました」
焼きたて熱々の餅に手早く海苔を巻き、盾花に手渡す。
「ほい。熱いから気をつけてな」
「はい〜。おお、本当に熱々ですね」
右手で餅を受け取った盾花は、左手に持ってた醤油入りの小皿に軽く餅をつけて、パクっと食べた。
「……! たひはわはん! おいひいれふ!」
「お、そりゃよかった。慌てず食うんだぞ」
「はひ〜」
モグモグと口を動かしてから餅を飲み込んだ盾花を見てたら、まだかまだかと言わんばかりの目でこっちを見てる出水と国近に気づいた。
「太刀川さーん。わたしもお餅食べたいんだけど〜?」
「おーし。じゃんじゃん焼くからもうちょい待ってろ」
網も十二分にあったまったし、火加減が良かったのもあって、餅は順調に焼けていく。途中、遅れてやってきた唯我に有無を言わせず餅を食わせた。普通なら喉に詰まる可能性がある危険な行動だが、トリオン体なら大丈夫だ。多少呼吸が止まっても死ぬことはないし、安心して餅が食える。
ん? この唯我は生身なのか?
出水、助けてやってくれ。
唯我が何とか助かってゼーハーゼーハーと息を切らしていると、国近が、
「ねえ太刀川さん。私もお餅焼きたい〜」
って言ってきたから、俺は餅焼き係を国近に託すことにした。
「おー、いいぞ焼け焼け。でも火傷だけは気を付けろよ」
それだけ言って俺は立ち上がって、七輪から離れた場所に移動した。どうしても火の前にいると、焼きたくなって仕方ねえ。
ボヤにならないように監視しながらボンヤリしてたら、盾花が餅と紙コップを持ってこっちに来た。
「太刀川さん、お隣いいですか?」
「おー、別にいいぞ」
「ありがとうございます」
ちょこんと隣にしゃがみ込んだ盾花は、国近が焼いた餅をモグモグと食べた後に、
「太刀川さん、この5日間ありがとうございました」
笑顔でお礼を言ってきた。
「こっちこそ、5日間お疲れさん。ためになったか?」
「はい、とても。いっぱい学ばせてもらいました!」
「はは、そうかそうか。ま、一つでも多くウチの隊から学べたなら大収穫ってもんだろ」
もうちょい長く居てくれれば、もっと本格的に色々教えることも出来たんだが……まあ、それは仕方ない。
「また何か知りたいことがあれば、いつでも遊びに来ていいからな」
「わかりました。……と言っても、太刀川さんとは個人戦の方で顔を合わせそうですけどね」
「それもそうだな」
俺ほどじゃないが盾花も個人戦に入り浸ってるみたいだし、下手したら毎日顔合わせそうだ。
こうして普通に話せてる分には、盾花とそれなりに仲良くなれたんじゃないかなと思う。最初に忍田さんに頼まれた、
『普通の隊員として接することが出来るか』
って事は何にも問題無さそうだ……と思ったところで、1つ引っかかることがあった。
「……そういや盾花は、なんだかんだでずっとトリオン体だったな」
「ですね。皆さんの前では、戦闘体か日常用トリオン体のどっちかでした」
「だよな。……ぶっちゃけた話だが盾花が来る前までは、目が見えない隊員をどう扱うか色々と悩んだというか……まあ、その辺も込みで盾花を見てやってくれって上から頼まれてたんだよ」
「あー、なるほど……」
言っちまっていいか迷ったが、まあいいだろ。なんだかんだで賢いというか察しが良さそうだし、言っても問題無いだろ。
すると盾花は少し考えるようにして視線を外してから、1つ提案をしてきた。
「なら、今からトリオン体解きましょうか?」
「……いいのか?」
「はい。今でも家にいる時の半分くらいは生身ですし、特に問題は無いですよ?」
「……んじゃ、一瞬だけ頼むわ」
「わかりました」
言うが早いか、盾花はすぐにトリオン体を解いた。
「どうでしょう?」
「んー、どうって言われてもな……」
盾花はさっきまで、生身の服装のままトリオン体に換装してたから見た目が変わるわけでも……と思ったところで、しっかりと閉じた両目と、右目に走る傷が目に入った。
「
盾花はまるで俺の反応が見えてるみたいに、右目の傷に指をなぞらせながら訊いてきた。
「気にならない……って言ったら、嘘になるな。目閉じてると、嫌でも気になっちまうというか……」
「あー……やっぱりそうですよね。んー、どうしよう……やっぱりトリオン体の時だけでも消してもらった方がいいかな……」
呟くように言いながら、盾花は足元に置いてあった紙コップを取ってお茶を飲んだ。コップを掴む手は、全く躊躇しなかった。
「……なあ、盾花。こういう言い方は良くないんだが……本当に見えてないんだよな?」
「はい。右目は完全に。左目も殆ど見えてないです」
「……にしては、なんというか……動きが、こう……まるで見えてるとしか思えないんだよなあ」
素直に思ったことを伝えると、盾花はクスっと小さく笑った。
「それは私の癖というか、慣れというか……でも、見えてないのは本当ですよ」
そう言うと盾花は持っていた紙コップを足元に置いて、空いた左手を俺の前にかざし、そのまま喉元に触れた。そして、
「……っ」
ぶつかりそうになるほど近くまで、顔を寄せてきた。
眼前に近寄ってきた盾花は、笑顔で言う。
「これだけ近くても、今の私は太刀川さんの顔、見えてないんです。なんとなく、顔の輪郭くらいは分かるかな……? って感じですね」
どこか悲しそうに見える笑顔で言われて、思わず言葉を失った。
なんというか、
本当に見えてないんだってこと。
見えてないのがどういうことなのか、理屈じゃなく感覚でぶつけられた。
そんな気分になった。
「……そうか。もう、戻ってもいいぞ」
「わかりました」
トリオン体に換装し直した盾花がゆっくりと目を開いたところで、俺は頭を下げた。
「なんつーか……悪かった。すまん」
この謝罪が何に対してなのか自分でもハッキリとは分からないが、謝らなきゃいけないって思いが確かにあった。
「いえいえ、むしろ私こそ……困らせてしまってごめんなさい、って感じなので……」
ぺこっと盾花も頭を下げてきた。
「……やっぱ、不便なもんなのか?」
「そうですね。不便なのは勿論なんですけど……
「というと?」
そうですねえ……と盾花は考え込んでから、「私が体験したことなんですけど」と前置きをしてから話し始めた。
「私みたいな人が外を歩く時、白杖を使うんですけど……太刀川さん、白杖については知ってますか?」
「なんだっけな……目が見えてない人が使う杖、ぐらいしか分からん」
「まあ、その認識で大丈夫です。全盲に限らず、視覚に何かしらの障害・ハンディキャップがある人が、歩いてる時に自分の身の安全を確保したり、音で付近の情報を確認したり、
「……周りの人に知らせるため?」
「はい」
てっきり見えない人が安全に歩くためだけに使うもんだと思ってたから、最後の1つは意外というか……少なくとも、俺が思いついてない理由だった。
「知らせるために使ってるので、歩く時に敢えて、コツコツって音が鳴るようにするんです。よそ見してたり、他の事に集中してる人にも気付いて貰うために」
「なるほどな。それなら気付くし、近づいてきたら道を空けてあげないと、って思うな」
少なくとも俺ならそうする……そう思って言ったが、それを聞いた盾花は一瞬だけ驚いたような表情をした後、どことなく困ったみたいな顔になった。
「……世の中みんなが、太刀川さんみたいな人だったらいいのに」
「……?」
それはどいうことか、と言いかけた瞬間、
「『うるさい』。それが私が街中で言われた言葉です」
予想外の言葉が、盾花の口から出てきた。
「……は?」
「片手で数えれるくらいですけど、実際にありますよ。外を杖で音を出しながら歩いてたら急に、うるさいって怒鳴られたこと」
「……マジか」
「マジです」
思いがけない告白に、思わずため息が出た。
「なんつーか……居るんだな、そういう奴」
「いやー、仕方ないと言えば仕方ないですけどね。『白い杖を持ってる人は目に障害がある』、それすらどれだけの人が知ってるかって感じですし……」
空を仰ぎ見ながら、盾花は話し続ける。
「知らなかったら仕方ないにしても……怒鳴られるのは本当に怖いんですよね。外がいつもお化け屋敷になってしまうので」
「それは……怖いな」
なんて事ないように言ってるが……想像したら、怖いなんてものじゃないだろ、と思う。そういう恐怖で4年も過ごしたなら……俺だったら性格ひん曲がるかも知れん。
目が見えなくなるってことは、俺が考えてた以上にしんどくて、辛いんだろうなと思ったところで……不意に、さっきの忍田さんのことを思い出した。
(これは……確かに、
俺が忍田さんの立場だとしたら、伝えるのが心底怖いと思う。
盾花は良い奴だから、言わないと思うが……
『あの日、助けたのは俺だ』
と伝えた時、
『どうして、もっと早く助けてくれなかったのか』
『そしたら、こんな目に遭わなくて済んだのに』
そんな風な恨み言を、言われるかもしれない。
盾花が味わったであろう4年間の恐怖を想像すれば、そういう言葉の一つや二つ出てきても何もおかしくない。
人の良い忍田さんなら、そんな盾花から百の恨み言を言われても、すまなかった、と言って謝りそうな気もする。
「しんみりさせちゃって、すみません」
考え込んで無言になってた俺に向けて、盾花は申し訳なさそうにそう言ってきた。
「いや、まあ……気にするな……じゃないか……」
上手く言葉を返せなくて口ごもったものの、
「盾花、その……ありきたりな言葉かもしれんが……俺でよかったら、困った時いくらでも頼ってくれ」
なんとかそれだけは言えた。これだけは言わなきゃと思った。
「あはは、ありがとうございます。じゃあ、困った時は遠慮なく頼りにいきますね」
さっきまでの暗い話題の雰囲気を感じさせない表情で言われて、俺はホッと一安心した。
そして、良いタイミングでというべきか、
「柚宇さん柚宇さん! また焦げてますよ!」
「あれ〜また〜? これでもう3個目だよ〜」
「意外と難しいっすね……唯我、次の餅が焼けるぞ」
「……っ、……っ!!」
餅を焼いてた3人が何かトラブったっぽいな。
「ちょっと行ってくるわ」
「どうぞ〜」
そうして立ち上がったところで、忍田さんから言われてた伝言を思い出した。忘れないうちに伝えておくか。
「そうだ盾花。あとで正式に指令が来ると思うが、伝えておく。明日からまた別の隊に移ってくれ」
「わかりました。どこの隊ですか?」
ワクワクとした顔の盾花に向けて、俺は言う。
「抜群の連携と、他の追随を許さないクオリティのステルス戦闘が武器のチーム……A級3位の、風間隊だ」