宇宙色の髪   作:水里露草

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作業BGM/ルナ(はるまきごはん) etc.


後編

 闇の中に溶けた影がある。

 

「――篠ノ之束。女、十八歳。

 家族構成は父、母、妹。

 実家は神社兼剣道場。どちらにせよ歴史は()()()より長い。

 他人に対しては排他的に接しようとしていますが、せいぜい子供の癇癪程度。身内として扱っている織斑千冬、織斑一夏、篠ノ之箒、紬秋水への偏重ぶりもやはり子供じみたものです」

 そこ自体はなんの変哲もない会議室だった。

 ただし明かりはなく、真っ暗な中で一人の女が淡々と資料を諳んじている。

「小学生の頃に偽装した身分で投資を開始、稼いだ資産を元手に調達した材料で工房を作成。

 その後は年齢的に学会への参加を認められなかったため買収した研究員を名代とし、三六〇度に対応した特種視覚センサーやリアルタイム演算による慣性操作装置などの発明品を順次発表。

 成果が認められ参加権を手にしてからは、それらを統合した宇宙開発用マルチフォーム・スーツ『インフィニット・ストラトス』、略称ISの理論を自ら公開。中学二年生でのことです」

『フンッ、忌々しい』

 ザラついた機械的な音声がどこかから響く。

 それはさながら、しゃがれた老人の声だった。

『小娘の妄想で宇宙なんぞへ出て行かれては、儂らの売り物は使えなくなるではないか』

「ご安心を。先日、高校三年生となった彼女は再びISの理論を解説付きで発表しましたが、あまりの荒唐無稽さに失笑される有様でしたので」

『あら、残念。深海へ突入しての隠密的艦隊破壊作戦だとか、はたまた人間大という小柄さを利用した奇襲作戦とか、実現すれば使いみちは色々あったのに』

『実現すればだろう。あまりに常軌を逸した理論だ、鵜呑みにはするな』

『しかしこの……ハイパーセンサーと、PICだったか? 量子変換技術までは技術が足らぬが、それ以外なら十分に再現可能だ』

「……では、計画は実行に移しますか?」

『うむ』

『とはいえ、いきなり篠ノ之束を狙うのも迂闊ですね』

『織斑千冬は周囲との関わりが深いだけでなく、かの天才の親友なだけあって相当な身体能力だ。生半可な兵では返り討ちに遭うのが関の山』

『後で揉み消しやすくするためにも、直接彼女らの弟妹(きょうだい)を狙うのも得策ではありませんね』

「……ということは、やはり?」

『ああ、狙い目は彼だ。頼んだぞ』

 ノイズに塗れた声は、ひ、ふ、みっつ。

 やがてそれらは消え去っていき、一人部屋に残された女――スコール・ミューゼルは優美に微笑んだ。

「――ご随意に」

 

 

 

 

 

「我が聖域、『吾輩は猫である(なまえはまだない)(仮)』へようこそ!」

 篠ノ之神社の鳥居を、ただ束と共に通っただけ。

 そのはずなのに、目の前には機械の国が広がっていた。

「……すっごい」

 僕はこてこての文系脳で、理工学にはさっぱり明るくない。

 だから、すごいパソコンなのかもしれない大きなタワーも、整然と繋げられた緻密な配線も、無機質な扉の格納庫も、ショーケースに収められた機械類も、一歩引いてみると謎めいた乳白色でひと揃いに染まっている。

 煩雑さのない、確かな芯のもとに扱われる機械たちだった。

 ……それはさておき。

「カッコ仮?」

「カッコ仮。安直にIS開発ラボとかじゃつまんないし、かと言って無名なのも嫌だったしね」

 恥ずかしげにそういった束は、いくつかあるモニターの一つ――僕の秘密を明かした日、魔法のように現したディスプレイをちらりと見て言う。

「……とーくんさ、箒ちゃんやいっくんには会った?」

「え、まあさっき挨拶くらいは。どうしたの?」

「実はね、どんな色だったかとーくんの口から聞きたくって、視界の共有切ってたの。録画はずっと回してたんだけど」

「なんとまあ……」

 光栄というか、いじらしくて可愛いというか。

 そんな彼女は、何ごとか躊躇うような面持ちでぽつり。

「だから聞かせて? お話しようよ、とーくん」

「……わかった。お話しよう」

 僕らは友人だけれど、何もかも知っているなんて口が裂けても言えやしない。まだ一ヶ月にも満たない付き合いだ。

「話さなきゃ、分かり合えないもんね」

 自分のことを棚上げして、僕はそういった。

 束は笑ってくれた。

 

 隣り合って座る。肩にことりと僅かな重みが乗ったけれど、二人とも気にしない。乳白色の国をぼんやり眺めている。

 一夏くんの話からしよう、と僕は言った。

「透き通ったコバルトブルーだ。真昼の空みたいな色だった」

「ほほーぅ、青かぁ。束さん的には白のイメージだったんだけど」

「一夏くん自身じゃなくて身につけるものだったら、白はすっごい似合うと思う。きっと空や海みたいになるよ」

「海に白波、空に入道雲。まさに夏かな?」

「そうそうそんな感じ。……あ、そうだ」

「うん?」

「目元とか髪のくせとか、細かいところが千冬に随分似てた。姉弟なんだねぇ」

「そう、そうなんだよ! 私が昔『もしもちーちゃんが男の子だったら』って考えたときの姿そのまんま!」

「夢見ましたか」

「見ましたっ! 初めて会ったときびっくりして、最初からこのテンションだったし!」

「ちなみにその時は二人おいくつで」

「私が十二歳、いっくんが三歳!」

「……もしかしてその妄想、ゆりかごから墓場まである?」

「え、当たり前じゃん」

「うおーぅ……」

 箒ちゃんの話も聞きたい、と束は言った。

「大人しくて、ちょっと人見知りなのに……炎。千冬の青い炎とは違う、もっとギラギラした真っ赤な炎だった」

「かっこいい……流石は箒ちゃん、立派な大和撫子だよ……」

「剣道も頑張ってるし、これから強く綺麗になっていくんだろうね。あ、そうだ束。一つ聞きたいんだけど」

「ん、何かな?」

「箒ちゃん一夏くんに惚れてるでしょ」

「大! 正! 解!」

「応援してあげたいなー。稽古終わりにタオル持って駆け寄るのが初々しくって」

「わかる、すっごいわかるよとーくん……私いつもここから見てるんだけどもー空気ピンクにしたい欲とこの清純さを保ちたい欲がせめぎ合っ」

「そういえば『僕は束と千冬の友達なんだ』って自己紹介したんだけどさ。束とのところで警戒されて、千冬のってところで安心されたよ」

「あの、とーくん? それ言わなくっても良いやつじゃない?」

「それが『是非お伝えください』って言われちゃって」

「うわーん!」

 昔の話を聞かせてほしい、と僕は言った。

「呂律はどうしても回らなかったから流暢でこそなかったけど、小説を読めるくらいに言葉を覚えたのは二歳くらい」

「早っ」

「ふっふーん。更に更に、数学に興味を持ったのが幼稚園に入れられた頃。ミレニアム懸賞問題ってあるでしょ?」

「……うん。名前くらいは僕でも知ってる」

「パソコンの使い方を覚えて、高校数学まではあっという間だった。そこからは毎日毎日、その懸賞問題の証明に勤しんでた。研究の初期費用はそこから」

「すごいなぁ……僕そのくらいのとき何してたっけ」

 昔の話を聞かせてほしい、と束は言った。

「とりあえず親には捨てられた」

「お、おう……」

「で、孤児院に放り込まれたんだけど。視界のことを信じてもらえなくて、説得のために絵を描いたりしてた」

「絵かぁ、束さんはあんまりやったことのない分野だ。得意なの?」

「そうでもない。目前の風景を精確に描ける、ってほどでもなかったし、この視界のまま色をつけたから気味悪がられたよ」

「視界のまま……もしかして、二重に重なってる色相をそのまま描いたの?」

「そう。当然ただの絵の具だから、混ざったらどうなるかなんて言うまでもないんだけど……馬鹿だったなぁ」

「……馬鹿じゃないよ。誰かに理解してもらうための行動が、馬鹿なもんか」

「……そっか。君にそう言ってもらえると、そんな気になるよ」

 夢の話を聞かせてほしい、と僕は言った。

「ついてきて」

 私の夢を教えてあげるよ、と束は言った。

 

 ラボは思った以上に広く、最初に入った部屋から出ると長い廊下があった。

 なんてことない足音が澄んだ響きになる。今は不思議の国のアリスの衣装を着ている束だけれど、きっとガラスの靴だって履きこなせるに違いない。

 少し先を姿勢よく歩くシンデレラは、足音みたいによく通る声で語る。

「歩くのっていい気分転換になるんだ。馬鹿のせいで集中力切れたときとか、何か新しいものを作りたいときとかはうろうろ歩くんだよ」

「おー、クリエイターっぽい」

「ちっちっち、確かに創造的だけどね。束さんはいついかなるときでも、天才的で十全に完全な、この世でただ一人の篠ノ之束という人間なのさ! 肩書じゃあ私を縛ることはできないねっ」

「……ふふっ」

「む、なにさ。笑わなくてもよくない?」

「なんでもない」

 アリスでもシンデレラでもない。今僕の目の前を歩いているこの子は、等身大の女の子なんだ。

「そうだよな、束は束だ」

「……うん。そうだよ。私は私」

 メタリックなウサ耳をつけた、ドレス姿の女の子。

 とても頭が良くて、人の好き嫌いが極端な女の子。

「ついた。ここだよ」

 僕の大事な友達、篠ノ之束の夢。

 

「宇宙開発用マルチフォーム・スーツ、無限の成層圏(インフィニット・ストラトス)

 

 ――そこに、『白』が、いた。

 白。真っ白。飾り気のない、無の色。眩しいほどの純白を纏ったそれが、束の夢。

 

「これで宇宙に行きたい。……どうかな、とーくん」

 

 誇らしげに胸を張る彼女へ、僕が答えることなんて決まってる。

「……僕さ、完全な白、って生まれて初めて見たよ。二つの視界で全く同じ色をしてる」

 それはきっと、彼女の純粋さの証左なんだ。

「誰に憚ることもない、最高に素敵な夢だ」

 あまりにも眩しいから、笑うように目を閉じてしまった。

 いつかこれが空を飛んで、大気を抜けて、やがて宇宙へと旅立つ姿が鮮明に浮かぶようで。

「……ありがとう、束。君の夢を見せてくれて」

 僕なんかが友達でいいのかってくらいの、あまりの格好良さに参ってしまった。

「おみそれしました」

「……とーくん」

 ふわり、と束が抱きついて来る。

 僕も彼女を抱きしめた。

「……ありがとう」

 そんな声が聞こえた気がした。嗚咽をこらえるような小さな泣き声には耳を塞いで、顔を見ないように抱きしめた。

 束を抱きしめた。

「初めて逢ったとき、私の髪の事を宇宙みたいだって言ったよね」

「言ったね。今でもそう思ってるよ」

「そっか。……ねえ、一つだけ約束したいんだ」

「なにかな」

「……いつか」

「…………」

「いつか、本物を見せてあげる。私の隣で、本物の宇宙とこの髪を、見比べてほしいんだ」

「……うん。君さえよければ、僕も隣にいたい」

 

 

 

 

 

「ちーちゃん! 一人で大気圏突破してダイビングよろしく技キメながら再突入するのと適当な人工衛星煽って回るのとどっちが良いかなっ!?」

「まずは落ち着け」

 親友のあまりにも高すぎるテンションに、織斑千冬は思わず頭を抑えた。

 友人である少年が昨日、自分たちの弟妹に会ったとは千冬も聞いた。ついさっきのことだ、忘れるはずもない。

 それからどうしたんだ、と。

 そう聞いてしまったのが運の尽きだったと彼女は後悔した。

 当然のごとくアイアンクローを食らい落ち着いた束は、ギラギラと活力に満ちた顔で言う。

「いかにしてISの成功をとーくんにプレゼントするか一緒に考えて!」

「……息抜きは、もういいのか?」

「もう充分! それよりも、早くISが飛んでるところを見せたいんだよ!」

 ……ああ、良かった。

 そう言いかけて恥ずかしくなり、千冬は僅かに顔を背けた。

「ISを見せたのなら、そのときにお前が身につけて飛べばよかっただろうに」

「駄目だよちーちゃん、白騎士はちーちゃんが装着する前提で作ってるんだから」

「それだけこだわるならアイデアも自分で考えた方がいいんじゃないか」

「だって、ISは私とちーちゃんの作品でしょ? 二人で作ったんだから二人で見せようよ」

「…………」

 二人で作ったのだから二人で考えたい、というのは当然の心理ではある。

 しかしそんな真っ当なものを、しかも束から示されたことに内心驚きつつ……一抹の寂しさにも気付いた。

 ――お前も、少しずつ成長するんだな。

「束」

「ん? なぁに、ちーちゃん」

「……いや、なんでもないさ。気が変わった、私にも少し考えさせろ」

「やったーっ! ありがとうちーちゃん!」

 この場に件の少年はいない。束は夢に賛同してくれた彼に、その成果をサプライズ形式で見せつけようと考えたからだ。そのために千冬は道場で稽古を終えた後、着替える間もなくラボへと拉致された。

 普段なら拳骨の一つも落とすところだが、上機嫌に昨日のことを話す束を見て毒気を抜かれてしまったし、もうそんな気にはなれそうもない。

 千冬はわざとらしく溜め息をついた。

「月に行って、石かなにかを拾ってくるのはどうだ?」

「あー、ちょっといいかも。夢を応援してくれたお礼に月の石とか、ロマンチックだねぇ」

「使われなくなった人工衛星のエンブレムを剥がして、持ち主の国へ送り付けるのは」

「ちーちゃんそういう意趣返し好きなの? でも悪くないね!」

「すまない、取り下げる」

「なんでっ!? あ、じゃあこういうのは? 世界中のミサイルの制御権かっさらって適当な海上へ撃ちまくるでしょー、それをちーちゃんが全部撃ち落とすの!」

「却下だ馬鹿者!」

「あだっ!? ……えへへ」

「なに笑ってるんだ……」

 呆れたように言いながら、千冬も笑顔になっていた。塞ぎ込んでいた友人が元気になって嬉しいのは、彼女だって同じことだった。

 

「うぅーん、結構案が溜まってきたね」

「馬鹿な内容も多いがな……」

 ノートに書き込んでいた案のひとつひとつを眺めていると、実現する気があるのかとさっきの自分を問い詰めたい気分になってくる千冬だった。もっとも、束の方が余程荒唐無稽な案を出しているが。

「お前の案は全て実現可能なのか?」

「うん、もちろん」

「……なら、何も言うまい。この中から選ぼう」

「そだねー、あんまり多すぎても困るし。……よし! とーくんのバイタルでも見よう!」

「は?」

「きゅうけーいっ!」

 立ち上がってパタパタと走り去っていく束を見送って、ISプレゼン案と銘打たれたノートに目を落とした。

「……昔の束だったら、さっきのミサイルの案みたいなのを迷わず選んでただろうな」

 彼女は天才的な頭脳を持って生まれた代わりに理解者に恵まれず、人と心で触れ合うことがあまりに少なかった。

 人のことを省みられる精神性ではなかったかつての彼女なら、どんなに危険な方法でも気にせずに行っただろう。

「今度、秋水になにかくれてやるかな。一夏に料理でもさせるか」

 くつくつと笑う。ああ、その場に自分と、束もいて、賑やかに食事でもできたなら――

 

「……え?」

 

 それは、少し離れたところにいる束の声だった。

 

「えっ、なにこれ。どうしたのとーくん、とーくんっ!」

「なんだ束、何があった」

「とーくんのバイタルがおかしいっ、この時間までなんてことないのに、いきなり気絶してる!」

「なにっ!?」

 ディスプレイを見る束は蒼白になっていた。千冬が駆け寄ると、うわ言をこぼしながら分析をしている――彼女が初めて見る、恐怖に満ちた顔で。

「……多分これ脂溶性の静注……いやでもこの成分はプロポフォールじゃなくて別物? だけどこんな強すぎる薬効なんて何に」

「落ち着け束! 今お前が冷静さを欠いたら何もわからなくなるぞ!」

「ッ……とりあえず、なんかやばい麻酔薬射たれてるっぽい!」

「わかっ……いや大丈夫なのか!?」

「例のナノマシンを薬の分析と中和に回してるからギリギリ大丈夫! 少なくとも後遺症が残るほどの影響は出ない!」

「……状況は、意識を失ったときの様子はわかるか」

「場所はうちに来る途中の道。意識を失う寸前の視界を録画してあるけど、ただ普通に歩いてるだけなんだ。怪しい人物とか一切写ってない……写ってないけど、それが返って怪しい。病気で倒れるなら予兆があるし、何より薬物の反応なんて出るはずがない。

 断言するよちーちゃん。これは拉致、誘拐だ」

 明確な犯罪、それも命を脅かすレベルの事件。

 天才、超人であろうとそんな非日常に慣れているわけではない二人の少女は、夢なら覚めてほしいと思うほどの緊迫感を味わっていた。

「……どうするべきだ、私は」

「それを考える。……まずは情報を集めるよ。何をするにしてもまず、動くのは私からだ」

 束が、つい、と両手を上げる。

 ピアノの鍵盤に手を置こうとするピアニストか、あるいはオーケストラの指揮者のように。

「ごめん、ちーちゃん。どうでもいい話をさせて。落ち着きたいから」

「いくらでも聞く。お前が楽しげに薀蓄を話す姿は、私も嫌いじゃない」

「……ありがとう」

 彼女はその一言を合図に両手を打ち下ろして。

 機械の国の住人たちが一斉に双眸を見開いた。

「……束さんね、天才だからだいたいどんな分野でも結果を出せるんだ。電子工学でも医療でも何でもね。

 でも全部が同じくらいにできるわけじゃなくて、相対的には得意不得意があるの。不得意なのは文学とか心理学で、得意なのが量子力学と電子工学――とりわけナノテクノロジーの分野。その応用がこんな感じ」

 束を包み込むように現れる無数の青いホログラムは仮想キーボード。目の色は白く輝き、その中を小さな文字が嵐となって吹き荒れている。

「今はメインの量子コンピュータを動かす仮想キーボードを操作するのと同時に、頭の中でキーボードを叩く指先をイメージしてそれをホログラムで投影、ハイパーセンサーを応用したARカメラで読み取って操作してる。

 早い話、分身して複数のコンピューターを同時に操作してるんだ」

 指先は淀み無く動き続け、今この瞬間も世界中の情報からたった一人の少年を探していた。

「ナノマシンの役割はホログラムの投影とか通信の中継とか、色々ごった煮で空気中に散布してる。ある程度指向性を持たせた上で飛ばしてるから吸い込んだりすることはほぼないし、体内に取り込んだところで代謝で排出されるから害はない。安心してね」

「いま心配しているのは秋水の安全とお前のメンタル、それから私にできることがあるかどうかだ。気にするな」

「頼もしすぎてキスしたくなっちゃうよ」

「まっぴらごめんだ」

「そりゃ残……念!」

 キーボードが消えて、整理された資料が二人の眼前に投影される。

 それはある衛星写真と、一つの組織について。

「とーくんが攫われる瞬間の写真を見つけた。すごいよね、〇・三ミリ解像度、言い訳のしようもないくらい()()()()()()()()を持ったレンズで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()をずぅっと監視してたよ」

「……は? 軍事レベル……監視だと?」

「アメリカでは数年前まで五十センチ精度より鮮明な衛星写真の公開が禁止されてた、って言ったらわかるかな。しかも解禁されたときでさえ二十五センチ精度、二桁は切らなかったのに」

 束の声から感情が消えていく。

「ちーちゃん、私がハイパーセンサーを発表したときのこと、覚えてるかな」

「……ああ。超々高解像度、かつ全方位に対応したレンズを用いて星間距離を割り出し、宇宙空間での遭難に備えるためのものだと……まさか」

「現行技術じゃコンマレベルの衛星写真なんて、どうあがいたって撮れないよ。

 ……私が中一のとき、今から五年前に開発したハイパーセンサーでも使わなきゃね」

 彼女はかつて、ISに搭載されているハイパーセンサーやPICの雛形とも呼べる技術を発表していた。

 当時はまだISというプロジェクトの発進段階、必要そうな技術のみを先んじて開発していたため、ただ『宇宙産業に使えそうな発明』として発表したのだ。

「ちーちゃん。私ね、ついでに調べたんだ。ハイパーセンサーを使った遭難対策もPICを使ったロケット発射時の反動制御も、宇宙産業には()()()活かされてない。センサーは敵基地を探すカメラや弾道ミサイルの照準、PICはそういう大型兵器の反動制御。

 どっちも白騎士に搭載してるものよりずっと劣るけど、それでも宇宙産業には十分活用できるはずなのに」

「束……」

「それにね、ちーちゃん」

 彼女に従う機械の方がずっと人らしく思えるほど、それは無機質な声だった。

「その組織、亡国機業(ファントム・タスク)って名前みたいなんだけど。第一次大戦頃から武器作ってばらまいてる、いわゆる死の商人ってやつ。

 今の時代でも人操って物操って、少しでも技術が発展したら武器に変えて戦場を売り歩いてる。私の発明を一番最初に軍事転用したのもこいつらだ」

 束の声から感情が消えていく。

 束の脳から理性が消えていく。

 束の心から全てが消えていく。

「……どうして」

 ただ一つ――激情を除いて。

 

「どうして、こんなことにばっかり頑張るんだよぉ!」

 

 内側から爆ぜる怒りが、そんな絶叫になった。

「これだけのことができるなら宇宙にだって行けただろ、もっとすごいことだってできたかもしれないだろ!」

 彼女とて知らないわけではない。今も世界のどこかでは戦争が起きていて、誰かのためを思って編まれた知恵が人を殺していることくらい。

 それでも、それでも期待をしていた。

「どうして人を食い物にすることばっかり考えるんだよ、どうして誰も上を見ないんだよっ、なんとか言ってみろよ、この獣どもがぁ!」

 それを裏切られた怒りが、涙すら焼いていた。

「……もういい、もうたくさんだよ。お前らが人間だなんて認めない」

 彼女にとって人間とは優しく、美しく、ときに我儘で、隣人を愛する生命体だ。

 だが、世に蔓延るこれこそが人間だというなら。

「もう、人間なんてしらな――」

「束、そこまでだ!」

 半ば条件反射のように、千冬は束の胸ぐらを掴んだ。

 それだけは決して言わせてはならないと、そんな声に突き動かされるままに。

「それ以上は絶対に言わせん。他ならぬお前にだけは絶対にだ。その言葉は束、お前自身の今日までを全て否定する言葉だぞ!」

「……るっさいなぁ! ちーちゃんに何がわかるの、私の作ったものが、愛した夢が、全部無為にされる気持ちがわかるの!? 住む場所も料理も、ISのテストパイロットって仕事も、全部、全部全部全部全部人から与えられてるくせに!」

「ああそうだ、私は何もかも人に与えられて生きている! 篠ノ之家や一夏がいなければまともに生きていけんだろうさ。だがなぁ!」

 千冬は互いの額を打ち付けるように、心のうちを相手へと流し込むように顔を近づけて――今にも泣きそうな顔をした、頭でっかちで、純粋で、誰より愛情深い親友の目を見て叫んだ。

「お前が人間を否定したら! お前をただの女の子(にんげん)と呼んだ秋水に、どんな顔をして会うんだ!」

「……それは」

「あんな連中を受け入れろとは言わん。獣のような輩を許せとも言わんさ。だが人間そのものの否定はさせん! それをしてしまったら、秋水に人と呼ばれたお前も、お前に夢を教えられたあいつも否定することになるぞ!」

「…………」

 俯いて人形のようにふっと力が抜けてしまった束を、千冬は優しく抱きとめた。部屋にこもりがちで折れそうなほどに細い体躯は、かすかに震えている。

「束。()の情報は、そこに映っているもので全部か」

「…………まだ、いくつかあるよ」

「ならば見せろ。やることがあるのでな」

「……奇遇だね、ちーちゃん。私も頼みたいことがあるんだ」

「なんだ。これでも忙しい、手短にしてくれよ」

「うん、わかってる」

 長い、長い深呼吸を、ひ、ふ、みっつ。

 顔を上げた束の目には、確かに光が灯っていた。

「ちーちゃん、お願いだ。

 ……一緒に、私の友達を助けてっ!」

「――ああ、承ろう」

 

 

 

 

 

「とーくんが攫われた理由の見当はついたんだ」

 空間投影された資料を指しながら、束は少しだけ早口に言う。

「どう考えてもISしかない。考えたくもないけど、兵器として運用すれば核なんて目じゃない性能になるよ。そもそもどうしようもない悪環境でも問題なく動けるように、って作ったんだし」

「敵は詳しい性能を理解できているのか?」

「まず無理、わかってもせいぜい表面的な部分だけかな。いくつかは私が発見した理論だし、開発だって私レベルのナノテクノロジーは必要だよ。色々役割持たせたナノマシンでパーツ構成してるから」

 淡々と『兵器としてのIS』を分析していく。

 死の商人、武器とその使い時を売る者の立場を――他人の気持ちを考えて、束は結論を出した。

「敵がISを商品として扱うに当たって必要なのは在庫。だけどそれを作れる人は私以外いないから、まず欲しくなるのは私の知識だ」

「……つまり敵の目的は、その前段階。お前を引き込むための人質か」

「だろうね。ちーちゃんもいっくんも箒ちゃんもそれなりに周囲と関わりがあるけど、とーくんはそのへんびっくりするくらい希薄だったし。万が一死なせたところで揉み消しが楽だとか、そんな理由だと思うよ」

 隣のホログラムへ視線を移す。途端、束は忌々しそうに顔を顰めた。

「……で、こいつだよこいつ。このハゲオヤジ。ISを発表したときの出席者を全員洗ったら、こいつだけ過去の主観情報がゼロだった」

「主観情報?」

「子供の頃に書いた作文とか、誰かと撮った写真とか、そういう公的じゃない超個人的な情報を勝手にそう呼んでる。要は、本人しか知らないような情報のこと」

「……作られた経歴通りなら残っているはずの痕跡が一切ないのか」

「そう。まあ束さんでもなきゃ掴めない尻尾だし、しまい忘れるのも仕方ないよね。間抜けで助かったよ」

 束は言わずもがな、千冬もそれなり以上に頭脳明晰だ。残りの資料にも目を通し、その全てを記憶していく。

 確認を終えて千冬が舌打ちをした。

「死の商人という時点で予想はしていたが、政治家も絡んでいるか」

「残念ながらね。結構高い位置にいるみたいだし、警察とかにも圧力はかけられる……というか公的機関のお偉方とはべったり癒着してるから、真っ当に通報とかするのは無意味だと思う。握り潰されておしまい」

「そうだな、真っ当にやればおしまいだ。……だが、手はあるんだろう?」

 千冬はにやりと笑った。

 束もそれに笑い返した。

 まるで子供がイタズラをするように気軽で、それでいて洒落にならないくらい悪辣な笑みを二人は浮かべていた。

「もちろんだよ、ちーちゃん。とびきり派手で、ちょっと博打で、死ぬほど危ない方法がある」

「……聞かせろ」

「なぁに、やることは単純だよ。

 ――ちょっと、世界規模のテロを起こすだけだから」

 あまりにも思い切りの良すぎる提案に、二人して切羽詰まったときの友人が思い浮かんだ。

 

「初めてISを発表したときにね、腹いせに毎日毎日ナノマシンを散布してた時期があるんだ。大気成分をいじって光や音を操作することで幻覚を見せられるナノマシン――五感で受け取る主観的世界を実世界から切り離す、ってテーマだったからワールド・パージなんて呼んでる技術だけど」

「なんてことをしているんだお前は……」

 千冬でさえ把握していなかった悪事である。

 全てが終わったら拳骨だ、と心に決めながら続きを促した。

「これ、世界中のあらゆる軍事施設に仕込んでるんだ。敷地をまるっと覆うように、そこそこな量が宙を舞ってる」

「……風で飛んだりしないのか?」

「多少は。まあISに載せてる量子変換機能とかをどこまで小さくできるか、って研究も兼ねて作ったから、離れすぎると勝手に変換されて元の場所に帰ってくるんだけど」

「……もう何も言わん。それにテロの手段も予想がついた」

「おお? 言ってみ言ってみ!」

「敷地内の人間に幻覚を見せ、知らず知らずのうちにミサイルを打たせるとか、そんなところか」

「ざっつらーぃ! 以心伝心だねちーちゃん!」

 千冬からすれば方法すらよくわからない異次元の手段だが、それでも束ならどうにかするのだろうという信頼もあっておおよそ納得できた。

 しかし、一つだけ引っかかるものがある。

「……お前の見解だと秋水は人質なんだろう。流石にそこまで派手なことをしてしまったら、あいつが危険なんじゃないか」

「大丈夫、その前に電波ジャックして声明を出すよ。『私の技術を悪用する者たちが軍事基地をジャックしたという情報を掴んだ!』みたいな。で、それを逆探知させて交渉の場に立つ」

「お前の名は通用するか?」

「当っ然。天才の束さんは、IS以外でも名が知られているからね!」

「ならば良し。私は白騎士に乗ってミサイルの処理だな」

「うん。流石に通常弾頭以外は飛ばさないし、全部海を狙うけど……とーくんが気にしそうだし、絶対に死傷者を出さないようにできる?」

「私はお前の親友だぞ? やれるさ」

「やだ、かっこいい……濡れる……ッ!」

「ミサイルの前に貴様を殺ってもいいんだぞ」

「申し訳ありませんでしたっ! ……ふふっ」

「……くくくっ、大丈夫そうだな」

「うん。やろうか、ちーちゃん」

「ああ」

 

 

 

 

 

 遠くで爆発するような音が鳴った気がして、僕は目を覚ました。

「ぐ……」

 頭痛が赤く割れて、額を抑えようとしたら腕が動かない。そこでやっと縛られていることに気付いた僕はのろまなんだろうか。

 椅子に縛り付けられているらしい。でもどうして……?

 恐怖がひやりと凍みて震える。腕を締め付ける痛みも、分厚い猿轡の感触も、全身を包む倦怠感も吐き気がするくらいリアルだ。

 ……だけど、そのリアルさが返って明晰夢でも見ているような気にさせてくる。今の僕は案外冷静で、そしてどうしようもなく間抜けだった。

 

「お目覚めかしら、紬秋水」

 

 闇の中に溶けた影がある。

 深い、深い、深海のような群青。暗闇と混ざりあって増していく淀みに目が慣れて、その影が人であると気付いた。

 バチバチと弾ける火花みたいに橙色……いや、豊かな金色のロングヘア。胸元の開いた真っ赤なドレスを着た美しい女性。

 だけれど纏っているのは、どうしようもなく濁った白。束のラボで見た機械の国を、ぐちゃぐちゃに汚したような色だった。

「明かりはないけど窓があるし、夜景の欠片で私がここにいることくらいわかるわよね? 初めましてミスター、私はあなたを攫った者よ」

 赤紫色の妖艶な声だ。愛の言葉を心から言える人の色。この上なく状況にそぐわない声を聞いて、これが話術として身につけたものであると確信する。

 こいつは、(ぼく)を殺せる女だ。

「完全な暗闇にすると、人って発狂しちゃうのよ。だからほんの僅か、顔が見えるか見えないかってくらいの明かりで我慢して頂戴ね」

「ァ、お……ェ……!」

「あぁ、猿轡を噛ませたままだったわね。失礼」

「がぁッ、ぐ、ぅぅ……」

 謝りつつもただ殴られただけだった。外してはくれないらしい。

 不明瞭な視界の中、濁った影はゆらりとズレて小さくなった。硬いものがズレる音がしたから、多分、座ったんだと思う。

 ……どういう、つもりなんだ?

 僕の心を読んだわけではないのだろうけれど、ちょうどよく答えが返ってきた。

「紬秋水、貴方は人質よ。魔法のような発明の数々を生み出した天才、篠ノ之束女史を招聘するためのね」

「……ォ、えィ……?」

「そう、招聘」

 人を攫ってまで人質呼ばわりまでしておいて『招聘』だなんて、随分笑えない冗談だ。

 引き攣った笑いが口の端から漏れて、腹に蹴りを貰った。長い足をお持ちらしい。

 えずく僕を鼻で笑って、ご丁寧な解説が続く。

「彼女が発表したIS、実現すればそれまでの兵器は全てお払い箱になるかもしれない。そこまで言われるほどの大発明よ。今のうちに関連する技術を独占すれば、その利益は果たしてどれほどのものか……って話らしいわ」

 それは。

 それは、彼女の夢を、踏み躙るということか?

 あの真っ白で純粋な夢を、お前の色みたいに?

「……何よ、その目は!」

「ごほっ!?」

 もう一度蹴られた。椅子が倒れて頭を打った。

 女は立ち上がって僕を見下ろしている。

 知ったことか。

 あの子の夢が、そんな風に穢されてなるものか。

「むざむざ捕まって無様に縛られて、挙句足蹴にされているようなグズが、どうして私にそんな目を向けるの!」

 頭を踏みつけられた。何度も何度も。ピンヒールじゃなくてよかった。

 どうでもいい。

「あなたは今、女史が嫌う無能どもと同じように彼女の足を引っ張っているのよ! 私達に捕まって利用されている餌の分際でッ、身の程を知りなさい!」

「ごァッ、ガ、ぁ……」

 そうだ、怒れ。頭に血を昇らせろ。

 わかっている。僕が捕まらなければ、きっと束は夢を目指せたのだ。僕が邪魔をしているのだ。

 視界の群青が濃さを増す。

 怒ってくれ。もっと、もっと、理性が飛ぶくらい。

「……チッ」

「かはっ」

 乱暴なサッカーボールキックを最後に、女は冷静さを取り戻してしまった。

「……なによ、あなた。人質(じぶん)を殺させて交渉を破綻させる気だったの? 本当に一般人かしら」

 バレてしまった。となると、いよいよ僕は束の邪魔をしているだけになる。

 猿轡があるから当然舌も噛み切れない。

 ……今この場で死ぬのは、ちょっと、無理そうだ。

 諦めがついた僕を見て、少しパステル調になった赤紫の声で女が講釈を垂れる。

「親友である織斑千冬でもその弟でも、あるいは女史の親族……とりわけ溺愛している妹でもよかったのだけれど。あなたが一番適任だったから使わせてもらうことになったのよ」

「…………」

「助かったわ。あなたなら万が一死んだところで、悲しむ人は少なそうだし。妹や織斑姉弟よりは付き合いも浅いから、すぐ割り切ってくれるでしょうね」

「…………ォ」

 ――そうか。

 無差別に一人選んだわけじゃなくて、はなから僕を狙ってくれたのか。

 唯一の親友である千冬でも、最愛の家族である箒ちゃんでも、妹の思い人である一夏くんでもなく、僕を。

 死んでも替えが利く、路傍の石みたいな僕を。

「…………あぁ、ィ、ぁ……」

「フフ……せいぜい、見捨てられないことを祈りなさい」

 得意げだ。まさか、それで心が折れると思ったのだろうか。

 僕は束が夢にかける思いを知っている。あれだけのものを作り上げて、宇宙に行くと宣言したのだ。

 こんな奴らの口車になんて乗るもんか。

 きっと()()()()くれるはずだ。

 お前らの思い通りになんて、絶対に上手くいくもんかよ。

 睨む僕を涼しい顔で受け流すようになってしまった女は、退屈になったのかぽつりとひとりごちた。

「それにしても、さすが天才ね。もともとこちらから交渉を持ちかける予定だったのに……なんてことしてくれるのよ」

 ……なんの話だろうか?

 顔がこっちを向いたようだが、教えてくれる気はさらさらないようだ。当然だけれど。

「……ん? 何かしら」

 アラームのような音が鳴って、女は受話器を取るような動きをした。僕の盗み聞きを警戒したのか離れていく。

「はい、こちら…………、……はぁ!? 逆探…………!? ……、…………!」

 なんだろう、焦っている……?

「全員に通達、早急にここから逃げて! あとは手筈通りに……起きなさい!」

「お゛ぁっ、ん、ぷはぁ! ……え、なんで猿轡を」

「繋いで!」

 

『急がなくてもいいよ。もう、とっくに全部知ってる』

 

 ぱっと明かりがついた。強い光に目が眩んで頭の奥が痛む。

 それでも一瞬、慣れ親しんだ宇宙が見えた。

『やあやあやあ! もすもすひねもすー、繋がったかな? 繋がってるよね! 少なくとも私の目には、薄汚い年増の姿が見えてるよ』

 友達の声がする。

『こんばんは、亡国機業(ファントム・タスク)実働部隊モノクロームアバターのリーダー、スコール・ミューゼル。私は……挨拶するまでもないかな?』

「篠ノ之、束ェ……!」

『はーいせーいかーい。とーくん大丈夫!? すぐ助けるからね!』

 束の声がするから、目を開けなくちゃ。

「束、いるの?」

『いるよっ。すぐ近くにいる!』

「……そっか。束が側にいるなら、死ねないなぁ」

 まだ目はチカチカしてよく見えないし、瞼の裏はパレットみたいになっているけれど、そこにいるなら。

 束の前では――あんなに綺麗な夢を描く人の前では、死ねない。

『さぁ、スコール・ミューゼル。とーくんの視界からお前がやったことは全部見ていたし、口の動きから何を言ったのかもわかったし、お前がとーくんを攫った主犯であることも、お前が亡国機業においてはあくまでもただの実働部隊でしかないことも、なんなら本来私とこうして交渉する権利だってないこともぜーんぶ知ってるけど……その上で言おうか。

 お話をしようよ。

 私は人間だからね、知恵つけた猿相手でも、対話くらいはしてあげる』

 やっと目を開けられた。

 僕の身長より縦幅が高そうなモニターには、真っ白な背景と一人の少女。

 春の嵐を浴びていたあのときの少女と、同じ顔をした友達が映っていた。

 世界が終わる、宇宙色。

『私の要求は一つだけ――今すぐにとーくんを返せ』

「そう……ですか。ならばこちらも、最初に要求を明かしておきましょう」

『ふぅん。言うだけならタダだ、言ってみなよ』

「……篠ノ之束女史、貴方と提携してISの生産を」

『なんのために』

 重く、強い語気でぶった斬った。

『……が、抜けてるねぇ。何かしてほしいときは正確な要求をしようよ。特に、赤の他人が相手なら』

 まー束さんも人のことは言えないけどねっ、なんて僕の方へお茶目に舌を出す彼女は無敵だった。

 対して屈辱に美貌を歪める女――スコール・ミューゼルは、それでも怒りに身を任せず理性で動いた。

「失礼しました。……では、付け加えます。

 ISが単騎、少人数での宇宙開発が可能であるほどの性能を持つとしても、現行の宇宙産業にそれを受け入れる土壌がありません」

『まったくもう。もっと頑張れってのにさー』

「……なので、まずその取っ掛かりとして兵器としての運用を望みます」

『……ふぅん』

 茶々を入れたり高圧的に切ったりと銃で撃つような対話をしていた束が、とうとうスコール・ミューゼルの言葉をまともに聞いた。

『……戦争から育ったコンピューター技術が、やがてアポロ11号を飛ばしたように?』

「ええ。まずは受け入れられるところから、我々と共に始めてみませんか」

 僕を攫った奴ら――亡国機業の要求は、結果だけ見るなら渡りに船だ。

 でも、兵器として使うということは。

「ISで人を殺すのか……?」

「……紬秋水、黙りなさい」

 モニターに映る束は笑顔だ。不思議なくらい穏やかで、青とオレンジのグラデーションがずっと奥まで伸びている。

「束、僕のことはいいんだ。君の夢はISで空を飛ぶこと、宇宙へ飛び立つことだろう!? 決して、ISに人を殺させることじゃないはずだ!」

「あなた、いい加減に――」

 

『とーくん』

 

 壮大な音楽の中で一番インパクトのある瞬間が無音であるように。

 どんなに荒れ狂う台風だって、その目はいつも凪いでいるように。

 たった一言、優しく僕の名を呼ぶ声が、とても大きく聞こえた。

『大丈夫だよ、とーくん。なーんにも心配いらないんだ』

 今、気付いたことが一つある。

 モニターに映る彼女は、スコール・ミューゼルには苛烈だけれど。

 僕に対してはずっと、()()()()()()()()()()()()()()()()()笑顔を浮かべていなかったか――?

『ねえ、スコール・ミューゼル。少しは不思議に思わないの?』

「……何がです」

『私は最初に全部言ったよね。お前に私と交渉する権利が無いことも知ってるって。その上で、お話しようかって』

「…………それが」

『不思議に思いなよ。なんで私が交渉権のないお前と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()お前と、こんな呑気に話していたと思う?』

「……ッ、まさか!?」

 風切り音が二つ走って。

 上から下へ押し潰すように壁をぶち抜いて。

 冷えた刀色が、炎のような白を纏っていた。

 夜景を背に立つ、白い騎士。

 

「――迎えに来たぞ。秋水」

 

 フルフェイスのメットを消した僕の友達は、残心を取りながら微笑んだ。

『ちーちゃん……かっこよすぎない? てかまだ座標送ってから三秒も経ってないんだけど』

「ちょうど真上にいたのでな。壁一面を削ぎ落とすように落下してきた」

「めちゃくちゃかっこいいね千冬……僕が女だったら惚れてた……」

「呑気なことを言っている場合か」

「ええ全く、随分呑気ね!」

 衝撃で髪が軽く乱れたスコール・ミューゼルが、僕の側頭部に拳銃を突きつけた。

『あっ』

「紬秋水は確かに交渉材料ではあるけど、別段大切なわけじゃないわ。ここで殺したって代わりがいる。あなたたちの弟妹を狙うのもいいかしら?」

 束がすっごい間抜けな顔をしている。それは多分僕もだ。

 だって、少しも怖くないから。

 千冬が刀を持ち変えていたから。

 片手にただ持っていた刀がするりと持ち変えられていた。自然体からより自然な形に。

 いつでも抜いて敵を切り捨てられる、そんな形に。

「秋水、動くなよ」

「もちろん。千冬、殺さないでよ?」

「ああ、もちろん」

「織斑千冬、あなたが何をしようったって――」

 

 ふっと、風切り音。

 

「……な、ぁ……!?」

 千冬が瞬きより早く、スコール・ミューゼルの片腕を切り落とした音だった。

「許せよ束。命は断たん、人も斬らん。だが、義手の一つくらいは取らせてもらう」

『いいよー別に。流石にそれはコラテラルダメージってもんだし……おぉ!? すごい、人間はそこまで生き汚くなれるんだねぇ!』

 束が煽る。

 落とされたスコール・ミューゼルの片腕からは、血ではなく機械のパーツが弾け飛んでいた。

「あなたたち……よくもやってくれたわね……!」

『……ちーちゃん、もういいや。とーくん連れて帰ってきて』

「ああ。秋水、大丈夫か?」

「うぉっ、とと……ありがとう千冬。せいぜい座り疲れちゃったくらいかな」

 器用に椅子だけを砕いてくれた千冬に担がれながら、僕は怒りに震えるスコール・ミューゼルを見る。

 髪は乱れて、ドレスはぼろぼろで、義手とはいえ片腕も切り落とされた。

 なのに、どうしてまだ逃げない?

「……篠ノ之束」

『……なに呼び捨てにしてくれてんの。様とかつけろよ』

「不思議に思わなかったのかしら? ……私があなたと交渉するにあたって、失敗したときの逃亡手段は考えていないのか、って」

『……げっ!? ちーちゃん、とーくんと早く離脱して! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!』

「なぁっ……!?」

 ――そこからは、スローモーションみたいに見えた。

 千冬が僕を抱え直して。

 束がディスプレイの向こうで泡を食って。

 夜景がびっくりするくらいに朝焼けた黄金色で。

 

「また会いましょう、天才ども」

 

 スコール・ミューゼルが切り落とされた腕を自ら踏み抜いた。

 僕の意識があったのは、そこまでだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前という奴は……」

 現在地、病院。

「思い切りのいい奴だとは感じていたがな、いくらなんでも友の夢のために死のうだなんてのは愚の骨頂だ。そんなこともわからなかったか」

「大変申し訳ございませんでした……」

 全身に包帯を巻かれ全治一ヶ月を宣告され、命は大切にという至極当たり前のことで友達に叱られる高校生がいた。

 僕だった。

「……正直、ああやって捕まった時点で詰みだと思ってて。僕のせいで束の夢が穢されるか、それともその場で殺されるかって二択なら、その、後者の方がマシかなー、なんて……思った次第でございまして……」

「馬鹿者。友を犠牲にしてまで目指す夢に価値があるものか」

 ケイでもそんなことはしないだろうよ、とかぶつくさ言いながら林檎に刃物を滑らせる千冬。

 ……ケイって誰だろう?

「できた。そら、食え」

「…………あの、千冬さん? これはなに」

「……ウサギだ。いいから食え」

「いやこれウサギはウサギでも解体後っていうか」

「食え」

「…………ハイ」

 視界から何から一切合切赤く塗り潰されたのは初めてです千冬様……。

 無残に斬殺されたウサギを悼むように食べながら、砂を噛んだ顔でそっぽを向く解体犯に尋ねる。

「ウサギといえば、束は?」

「あー、束か。あいつは……逃げた」

「えっ」

 えっ。

「先日の件、あるだろう」

「……白騎士事件?」

「その呼び方はやめろ……!」

 白騎士の搭乗者は薄桃色の炎をふしゅーっと噴き出した。

 中二臭いからと恥ずかしがる姿が中々可愛らしいのだが、迂闊にからかうと竹刀で両断されかねないので我慢しているのだ。一応。

 ごめんごめんと謝って続きを促す。

「はぁ……束はあのとき、亡国機業が日本へ向けて撃ったミサイルを迎撃するべくISを派遣した、という声明を出したんだ」

「え、それ逃げるようなことなの? むしろ褒められそうなもんじゃ……」

「ああ。実際、世界的テロリストに立ち向かった英雄扱いになっているよ。

 ただその影響で……箒がな、今まで仲が悪かった反動もあってかなり懐いてくれているらしい。一夏もヒーローだなんだと持て囃したりなぁ。家族も他人も揃って讃えてくるから、こそばゆくって耐えられないんだそうだ。

 自信家なくせに褒められ慣れていないからな、あのウサギは」

「なんともまぁ……」

 らしいといえばらしいのだろうか。

「もっとも、お前と顔を合わせづらいのもあるのだろうが。最後のあの瞬間、少しも取り乱さなかったのはお前だけだったしな」

「…………ん? どういうこと?」

「お前が病院に担ぎこまれた後な。いっちょ前に罪悪感でも感じているのか、見舞いもせずに帰ったんだ、束は。

 それでも心配でバイタルの記録を見ていたら、お前があの瞬間、少しも焦っていなかったことに気付いたらしい」

「あぁー……そんな話かぁ」

「どうせ『束が作ったISに抱えられてれば、爆発くらいはどうにかなる』とでも思っていたんだろう」

「……他力本願すぎた?」

「言っただろう、褒められ慣れていないと。作者以上に作品(IS)のことを信じてもらえたのが、嬉しいやら悔しいやらってところじゃないか」

「ふぅーん……」

 哀れなリンゴウサギをもう一口。

 

『うん? 信用できるよ?』

『君が見てる世界を、私も知りたいんだ』

『……馬鹿じゃないよ。誰かに理解してもらうための行動が、馬鹿なもんか』

 

『大丈夫だよ、とーくん。なーんにも心配いらないんだ』

 

「僕が束を信じられないはずないのになぁ」

「……秋水、その言葉はちゃんと本人へ言ってやれよ?」

「…………やだよ、恥ずかしい」

 今度は僕がそっぽ向いた。

 

 一ヶ月って早いもので、千冬が来たり来なかったり、ときどき一夏くんたちが顔を出すうちに過ぎ去ってしまった。

「……結局、束は来てくれなかったな」

 寂しくないと言えば当然嘘になる。ちょっと住み慣れてしまった病院を出て、空元気のように伸びをした。

 

 僕の五感は、絵具を泳いでいる。

 

 高い薄紫色の空をオレンジの風が駆け抜けた。

 どこかから赤い香りがして、釣られて歩いているうちにエメラルドグリーンの川に出る。

 統一感なんてまるでない視界は、とっくに慣れたはずなのにどこか物足りない。

「……篠ノ之神社でもいこうかな」

 遠くてもわかりやすい、立派な鳥居を目指して歩こうときびすを返して――

「……ん?」

 耳鳴りのような銀色。低いところを飛行機が飛んでいるんだろうか、と頭上を見た。

 

 なんか人参が飛んでる。

 

「……は!? 人参!?」

 とうとう色だけじゃなくて虚像まで作り始めたか、と自分の脳に絶望していると、空飛ぶ人参はよりによって僕の真上で止まりやがった。

 ……ん? あれ、人参って、もしかして。

『…………ーんっ』

 予感を裏付けるように、何かが聞こえる。

『……ーくーんっ』

 遥か上空から降り注ぐこの声は、きっと。

「とーくーんっ!」

 不思議の国のアリスみたいな格好の、うさ耳をつけた友達の声だ。

「束! 君、どうし」

「でゅわっ!」

 ……大好きな友達が目の前まで落ちてきたと思ったら。

 スーパーボールみたいな挙動で()()()空へ跳び上がっていった。

「とーくんゲットだぜぃえあーっ!」

「なんでえええええぇぇぇぇぇぇぇ…………」

 僕は空を飛ぶ半透明なパステルグリーンを知った。

 多分、鳶に攫われる油揚げの気持ち。

 

「ふぅ……久しぶりっ、とーくん!」

「……久しぶり、束」

 唐突なキャトルミューティレーションによって割とグロッキーだけど、天真爛漫な笑顔を見たら、なんかどうでもよくなった。

「元気そうでよかった」

「ぅ……そ、それは束さんの台詞だよ! 攫われるし、煽ってボコられるし、爆発寸前でも焦らないしぃ!」

「束の作ったISを、千冬が装備して守ってくれてたんだよ? 絶対に大丈夫だって、そんなの」

「……っ、……」

「僕が束を信じられないはずないでしょ」

「…………〜〜〜〜っ、生意気ぃ!」

「痛い!?」

 鳩尾に頭突き……!?

 ……頭突き? 鳩尾に?

「束?」

 ぎゅっと、力いっぱいに抱き締められていた。

「…………とーくん、返しなさい」

「な、なにを?」

「ちーちゃんとビミョーに良い雰囲気だったり、箒ちゃんやいっくんにデレデレしたり、そんな病院内の映像をとーくんアイで見た束さんの心配を、返しなさい」

 そう言ってもっと力を強める束に、初めての感情が芽生えた。

 胸の奥がこそばゆくて。

 それがどこか暖かくて。

 なんだか息が詰まって。

 だから、束を抱きしめ返した。

「……よくできましたっ」

「ありがとうございます」

「うん、胸を張りなさいっ。良くできたとーくんにはご褒美があるからね!」

「……ご褒美?」

 褒美があるとは。

 いったい何がもらえるのやらとそわそわしていると、顔を上げた彼女にくすっと笑われた。

「とーくん、忘れたの? 約束してたでしょ」

「約束……え、まさかこの人参って」

「そう、そのまさか!」

 

 機械的な天井が、床が、僕らがいたはずの空飛ぶ人参が透明になっていく。

 

 そ宇宙だった。

 

 こんなにも真っ暗なのに、遥か遠くから無数の星明かりが届いている。

 すぐ近くに地球がある。青かった、なんて言葉も出ないくらい綺麗だ。

 ここが、ここよりもっと先が、束の夢なんだ。

 

「約束したよ、私の隣で宇宙を見るって。……それで、どう見える?」

 子供みたいにキラキラした表情で言う。

「私が夢に見た場所は、目指した場所は、これから向かう場所は――君の目には何色に見えてるの?」

 

 

 

 

 

 僕の答えを聞いた束は宇宙色の髪を震わせて、いつまでも笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 




 夢のお話はこれにてお終いです。
 ありがとうございました。
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