魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost   作:hidon

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※2023/12/03 読みやすさ重視の為、一部文章を添削/変更しております。
なお、ストーリー展開には、何も影響はございませんので、何卒ご了承ください。


FILE #54 魔法少女いろは☆マギカ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『人間は、動物と超人のあいだに張り渡された一本の綱である――――

 深淵の上にかかる綱である』

 

――――フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラ』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――花畑・万年桜の木の下

 

 

「はじめまして、というべきかな……? 環 いろは」

 

 一迅の風が吹き、二人の間を無数の花弁が罷り通った。

 視界が一瞬艶やかな桃色に染まった。まるでその光景は、頭上に君臨する超樹が二人の再会を祝福しているかのようであった。

 だが、いろはの顔は、固まっていた。

 出会い頭に囁かれた『久しぶり』とは相反する、その一言によって。

 

「えっ……?」

 

 違和感。困惑。言葉を大事にするねむとは思えぬ、明らかな矛盾。

 

「初めまして……? えっ……だって、さっき、久しぶりって……」

 

「ああ、そうだね。僕は古くから君を知っている。だけど、僕は今、初めて君と会ったんだ」

 

 ねむは機械の様に淡々とした声色ながらも、その口元は吊り上がっており、嬉しさが溢れていた。

 いろはには、何が何だか分からなかった。

 “自分を昔から知っているのに、初めて会った”……って、どういうことだろう?

 

「……君は僕のことを、どれくらい覚えてる?」

 

 不意にねむがそんなことを尋ねてきたので、いろははハッと我に帰る。

 聞くまでもない。

 

「ねむちゃん、貴女はわたしの親友だったよ。 私の妹のういが、神浜総合病院の小児科病棟に入院した時に、あなたと……灯花ちゃんと同じ病室になったの」

 

 話しながら、いろははねむに不審感を抱いた。

 何故なら、灯花の名前を出した時――――一瞬だけ、彼女の瞳が鋭くなったからだ。

 

科学者のエゴイスト・灯花ちゃんと、想像するラショナリスト・ねむちゃん。二人は私とういとは次元が違うぐらい頭が良かった。でも、同室のういとは仲良くしてくれた。私のことを「お姉さん」って慕ってくれてた。よく四人で色んなことを想像して、話したんだよ? ……覚えて、ない……?」

 

「ごめん」

 

 ねむは間髪入れずに、小さく首を振った。

 そんな……と、いろはの顔から喜びの熱が消沈していく。折角再会できたのに、あの輝かしい日々を、覚えていないなんて。

 しかしねむは、青褪めるいろはの顔を力強く見据えて、こう述べた。

 

「でも、それは決して忘れた訳じゃないんだ」

 

「えっ?」

 

 おかしい。自分の知る(・・・・・)ねむは、こんなに違和感のある話し方をする子だったか?

 どういうこと、と尋ねるよりも早く、ねむの言葉が紡がれる。

 

「ふむ……。どうやら君の知る僕と、君の目の前に居る僕は別人のようだ」

 

「えっ?」

 

「僕の手を握ってごらん」

 

 ねむが喋る度に、いろはの混乱は深まる一方だ。

 このままでは埒が明かないと、ねむは、開いた手のひらをいろはに向けて、グッと伸ばした。

 

「端的にだが、僕が何者かを伝えることができる」

 

 口で説明してもいいが、長ったらしくなるのでね――と言うねむの表情は、凍りつくいろはとは対照的に、どこまでも朗らかだ。

 いろはは戸惑いを拭いきれぬまま、指を絡めるように、彼女の手をぎゅっと掴んだ。

 

 ――――景色が一変する。

 

 

 

 

 

 

 

『……君は、良いやつだな』

 

 

『……滑稽だろ? だけど幼稚な私は、本当に“僕”になる日が来ると、信じていたんだ』

 

 

『私は愛する。働き、工夫して、超人のために家を建て、超人を迎えるべく、大地、動物、植物を整える者を』

 

 

『……もうやめてくれ。自分だけが正常であろうとするのは』

 

 

『……だが、それは今の我々には不可能だ』

 

 

『……君の言う通り、我々は自らの“良心”でそれを改善しなくてはならない。節制と貞潔を……我らに与え給うた神への敬意によって、それ自体を愛さなければならない』

 

 

『……わたしの頭の中は、いつの間に、こうなったんだろうか……?』

 

 

 

『ねえ、たまき……』

 

 

 

 

『たまき』

 

 

 

 

 

 

「!!!」

 

 ハッと気がついた頃には意識が現実に戻されていた。

 

 ――――今のは……?

 

 脳が落ち着かない。グラグラと激しく揺れるそれが今にも頭蓋骨を割って飛び出してきそうだ。

 だけど、目の前に居るねむが何者か、分かった気がする。

 

 ――――夢の中でいつも見る、暗い洞窟の様に一切の光が遮られた研究所。

 

 ――――その中で、一度だけ出会ったことのある、白衣の女性。

 

 彼女の言う通りだった。自分はねむを知っていたが、今、初めて会った(・・・・・・)のだと。

 いろははねむから手を離して頭を抱えると、震える目でおそるおそる見つめた。いつの間にか陽が傾いたのか、ねむの顔には陰りが指していた。相貌が暗黒に染まっている。

 

「ねむちゃん……あなたは……っ!」

 

 薄っすらと確認できるねむの顔からは、表情が消えていた。

 

「そうだ、たまき(・・・)。僕は君が覚えている“柊ねむ”じゃない。だけど君の記憶の中に確かに存在する“柊ねむ”なんだ」

 

「!?!?」

 

 目眩がする感覚だった。

 まるで地球の酸素が無くなってしまったかのように、いろはは喘いだ。視界から色彩が失われていき、息苦しさが募る。脳内から血の気が引いて、足元が覚束なくなる。

 どういうことだろうか、これは。

 彼女が、自分の信じていた“記憶”の中の大切な人では無く――――忌々しい“夢”の中で自分を知っていた誰かだった……?

 フラリと――その場で崩れ落ちそうになるいろはの背中を、何かが支えた。

 

<ふむむっ>

 

「えっ!」

 

 体制を立て直し、後ろを振り向いて瞠目する。

 そこにいたのはピンク色の体毛を生やした、小さな犬のような、見たことの無い生物だった。

 大きさ的には、神浜市のみでよく見る“小さなキュゥべえ”と大差ない。

 “それ”が現実には有り得ない証拠に、額にルビーのような紅い宝石が嵌められている。

 

「ありがとう。“月出里”(すだち)」

 

<ふむ、ふむっ>

 

 ねむに名前を呼ばれた謎の動物は、ハサミのように尖った両耳をパタパタと左右に振りながら。

 嬉しそうな鳴き声を挙げて、紅い粒子を纏いながら飛翔した。

 ねむの肩にちょこんと座る。

 

「この子は……?」

 

「助手の一人、【カーバンクル】の“月出里”だ」

 

「カーバンクル?」

 

「伝説の生物だ。覚えてないかい?」

 

 不意にいろはは後ろを振り向いた。

 巨大な九尾の白狐“ヨヅル”は、自分が駆け出した場所から一歩も動かずに、金色に光る両目で二人を見つめている。

 凛然と立っているだけだが、一分の隙も無い。泰然自若とした風格は正に、巨大な観音像の如き神々しさが感じられて――――。

 彼(彼女?)といい、今の月出里といい……いつの間にかねむはポ○モンマスターもビックリする程の伝説の魔物使いにジョブチェンジしたらしい。

 

「ごめん……」

 

 そして、彼女の口から次々と出てくるのは、自分が記憶の断片にも触れないことばかりだ。

 

「むふ、君の記憶の僕とはあまりにも掛け離れすぎてて、頭の整理が付いていかないか」

 

「うん……でも、分かったこともあるよ」

 

「へえ、それは興味深い。是非聞かせて欲しい」

 

「ねむちゃんはねむちゃんだってこと」

 

 いろはは現実には有り得ない世界を一瞥し、微笑みを見せてそう言った。

 

 『虚構に憧れるラショナリスト』――――それが、記憶に有る二人のねむを結びつけていた。

 かつて、重病を患い、病室という箱庭に閉じ込められたねむは、自分が世間から評価される唯一の方法として『小説』を取った。

 体が不自由でも、スマホが一台あれば、その凡人とは隔絶する頭脳に積もりに積もった知識を披露することができると考えたからだ。

 結果的に、彼女が小説投稿専用サイトに上げた作品は、何れも、絶大な人気を誇り、ブックマーク数や評価は未だに首位の座から覆されることは無い。

 

「芯の部分だけは、違わない。貴女がどんな人間になったとしても、“創造するねむちゃん”なのは変わってない」

 

「……君は、僕がこの世界を想像したと?」

 

 いろははふふっと笑みを零した。

 

「だって、ねむちゃん以外に考えないよ。こんな世界」

 

 ねむも、むふ、と笑い返す。

 

「成程。それもそうか」

 

「“大賢者様”ってねむちゃんのことだったんだね?」

 

 そうでなければ、この様なフィクションは生み出せない。

 ねむがいつ、魔法少女になったのか知る由も無いが、その折に大賢者としての素質を持っていたのならば……全て、合点がいく。

 絶大な魔力を以て、この世界を創造し、ヨヅルや月出里といった強大な魔物を従えているのだと。

 しかし、

 

「いや、それに関しては不正解だ」

 

 即座に首を振って否定。

 

「僕はあくまで“教授”としてこの地に居る」

 

 “大賢者”は別にいるのだとねむは答えた。

 

「その……“教授”って何なの?」

 

「神浜市に根ざす、魔法少女生命維持システムを管理・調整するのが僕の役目だ」

 

 そういえば――――と、いろはは思い出す。

 やちよが以前、和泉十七夜の事を話してくれた時だ。

 彼女は、“教授”が創り上げた、神浜市にある魔法少女生命維持システムを世界に広げたい……と。

 

「ねむちゃんが、開発者なの?」

 

「まあ、そんなところだ」

 

 不意にねむは、視線を明後日の方向へ逸らした。そこには誰もいない、無限の花が広がっているだけ。

 だがねむは、「観てごらん」と言って、いろはに促した。

 次の瞬間――――瞠目。

 花畑の中心から、青白い浮遊物――創作物でよく見る、人魂(ヒトダマ)のような形状だった――が出現すると、一直線に、蒼天に向かって上昇していく。

 やがて、太陽の付近まで近づくと――――

 

 刹那、轟音。閃光。爆発。

 

 まるで打ち上げ花火のように豪華絢爛な散花が青空一面に広がった。

 

「「…………」」

 

 揃って空を仰ぎ、“人魂”の行く末を見届けたいろはとねむは、その光景に目を奪われているようだった。

 暫し、呆然とするいろはであったが、不意に鼻を啜る音が隣から聞こえて、ねむを見る。

 彼女は泣いていた。

 そのぼんやりとした半目が歪み、一筋の雫が、つぅ、と零れだした。

 

「ねむちゃん……?」

 

 一体なんだか分からない。

 だが、ねむが泣いているなら心配だ。いろはは声を掛ける。

 

「ごめん。お別れするのが寂しくてね……」

 

 首を振ってねむは答えた。

 

「お別れ……? 今のって、もしかして……?」

 

 まさか、と言いたげに大きく目を開きながらいろはが問いかける。

 頷いてから、ねむはポツリと答える。

 

 

「“死者”だ」

 

 

「っ!?」

 

 仰天の余り、おもわず腹の底から悲鳴があがるかと思った。

 それが定かなら、本当にここは“天国”に相違ない!

 ねむは相変わらず天を仰いだまま、言葉を続ける。

 

「たまき。大昔より桜の木の下には何が埋められていたか、知ってるかい?」

 

 人魂の花弁が蒼穹に吸い込まれる様を見届ける、ねむの濡れた瞳には、確かな憂いが込められていて。

 

「……えっ?」

 

 いろはは、初めて見る(・・・・・)彼女の表情に、一瞬、驚愕も忘れて見つめてしまっていた。

 そして、不意に投げかけられた質問に、我に返り――硬直。

 いきなりそんなことを尋ねられても、頭が回る筈が無い。

 現実に有り得ない光景ばかり目の当たりにしているのだから、凡人の自分が何を言ったところで、ハズレにしかならなそう……。

 

「死体だ」

 

「はっ!?」

 

「梶井基次郎のある短編の冒頭に、こう書かれていた」

 

 衝撃を受けるいろはを意に介さず、ねむはこう続けた。

 

 

 ――――【櫻の樹の下には死体が埋まっている。】

 

 

「知っているかい?」

 

 ねむは涙に濡れた瞳のまま、朗らかに笑って問いかけてくる。

 

 ――――知らない。でも、どこかで聞いたことあるような。

 

「……無いような……うーん……はっきりとは……」

 

 頭を抱えながら、いろはは悩ましく答えると、ねむは、むふ、と含み笑い。

 

「そうか。思い出せないか(・・・・・・・)。まあ、仕方が無い」

 

 ねむは独り言のようにぼやくと、再び天を仰いだ。

 今の一言が、妙に気になった。やはり彼女は知ってるのか。自分の知らないことを。あの忌々しい“夢”の中の出来事を。

 

「……ねむちゃん?」

 

「桜の花が淡い紅色なのは、埋められた死体の血を吸っているからだ」

 

 超樹から無限に舞い散る花弁の一枚が。

 ねむの、そっと差し出された掌の上に、ふわりと落ちた。

 

 ――――なんて恐ろしい話だ。ぞっと背筋が寒くなって、いろはは青褪める。

 

「そんなことが……」

 

「いやいや迷信だよ、たまき。でも、現実に有ったら面白そうだと思わないかい? ここは、僕がその話・「櫻の樹の下には」を基に創り上げた世界なんだよ」

 

「じゃあ、本当にここは……天国なの?」

 

「まあ、似たりよったりだね。ここは、神浜市のどこかで亡くなった魂が眠る場所なんだ」

 

 ねむが再び花畑を見渡し、いろはも合わせるように地表を眺めた。

 無限に咲き誇るリンゴの花々、その一輪、一輪こそが人の魂そのものだと、ねむは説明する。

 

「さっき、空に飛んでいったのは……」

 

「ああ、あれは“お役目”を果たしに行ったのさ」

 

 ねむは説明を続ける。

 

 ――――魔法少女の魔力は燃費が悪い。それは魔法少女であるいろはも重々承知の事実である。

 日常生活を送るだけなら一週間は保てるが、一度魔女と戦闘を交わせば、一気に限界まで濁ってしまう。

 故にグリーフシードは必要不可欠だが、魔女は大量には発生せず、かといって確保するには、魔女が生み出す使い魔を放置しなければならない。

 

「その問題を解消するのが、彼らだ」

 

 ねむは、慈しむような瞳で花畑を見渡しながら、答えた。

 

「人間は死んだ時、葬儀を行い成仏されると謂うがそれは誤りだ。大半はこの世に未練が残り、地の深くに留まってしまう」

 

 所謂、“地縛霊”だね――とねむは付け加える。

 

「極楽浄土へ旅立てなかった魂は、“大賢者”の下へ導かれて“浄化”される。そして、この【楽園】へと誘われる。僕は彼らを説得し、魔法少女の力になってもらっているんだ。七海やちよと朝香美代……神浜の魔法少女は、あまりソウルジェムの穢れを気にしてなかっただろう? つまりは、そういうこと。調整を受けた時、彼らが魔法少女の魂に宿る(・・)んだ」

 

 グリーフシードに変わる、無限の魔力としてね――――と、解説するねむの顔つきが、だんだん得意気になる。

 

「凄い……!」

 

「ああ、我ながら実にファンタジックで、ダイナミックな発明をしたと思っているよ」

 

 いろはにとっては突拍子も無い話だが、その“大賢者”の力が、美代の言葉通りの存在なら――――それにねむの想像力が付与されれば、不可能では無いのかもしれない。

 そういえば……

 

「でもねむちゃん……」

 

 ん? とねむは横目で見た。

 

「本当の大賢者様って、どこにいるの」

 

 ねむは、むふ、と含み笑い。

 

「君は誰に誘われてここに来た?」

 

「えっと……? 夕霧青佐さんに……」

 

 そうかそうか、とねむは嬉しそうに頷く。

 

「僕の居場所は青佐しか(・・・・)知らない。これがどういう意味か、分かるよね?」

 

 アッといろはは口を大きく開けた。ということは――

 

「青佐さんと、仲が良いんだね……」

 

 ――つまり、そういうこと(・・・・・・)だ。

 答えに行き着くと、期待に高ぶっていた頭の熱が急激に冷えていく。

 

「正解。僕は居場所を知ってるが、君に教えるつもりは無い。言えるのはせいぜいヒントぐらいだ」

 

 やっぱり……!

 正直、意地が悪いと思う。

 いろはの両肩がガックリと落ちた。

 

「そうか……やっぱりソレって、教えるとその人の為にならない……から?」

 

「それもある、だがもう一つは、君に“役目”を全うして貰いたいからだ」

 

 眩しい。

 不意に、自分に向かって陽が強く差し込んできて、いろはは目を細める。

 

 “役目”……? そんなもの、いつの間に与えられたんだろうか?

 いや、それよりも。

 私なんてどこにでもいる普通の女の子で。

 役目なんて、こなせる筈も無いのに。

 

「君は……」

 

 頭に満ちる疑問に答えるように、ねむが口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――“主人公”だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『“主人公”……そんなものに、私が……?』

 

『なれるさ。……いや、ならざるを得ない。何故なら“彼ら”が君を選んだからだ。ここに眠る無数の魂が、君と言う新たなる物語の担い手を求め、神浜に誘った』

  

『魂が、私を……!?』

 

『君は成し遂げる為に神浜に来たのだろう、たまき? そして、彼らは君の欲求に応えてくれる。見えないところでね。君は、“運命”を味方に付けたんだよ』

 

『でも……私、そんな大それた人間じゃないよ。みんなの期待を背負ったことも無いし、応えられる筈も無い』

 

『大した謙遜だね。君はまだ何もしていないと言うつもりかい? ……反論しよう、“否”だ。君は既に幾度も状況を変えてきたじゃないか』

 

『あれは……全部たまたまで……』

 

『自覚無き賢者は、誰もがそう宣うのさ。選ばれたということはつまり、君は“主人公”の実力を持っているという事実に他ならない。自信を持ち、胸を張れ。立って歩け。前へ進め。その力で状況を生み出せ。人を動かし、世界を変えろ。全てを味方に付けて、奪われたものを捥ぎ取ってやれ』

 

『…………どうしたらいい?』

 

『まず、七海やちよに会い、大賢者の事を尋ねてみるといい。それがスタート地点となるだろう』

 

 

 

 

 ――――ヨヅルと月出里に誘われて、いろはは帰っていった。主人公の舞台――神浜へと。

 万年桜の木の下には、ねむがただ独り、佇んでいる。

 彼女は、いろはが去り際に残した言葉を思い出していた。

 

 

『ねえ、ねむちゃん』

 

『なんだい?』

 

『ねむちゃんの知っている私って、ねむちゃんと仲が良かったのかな……?』

 

 

 それが、一番聞きたかったことなのだろう。ねむは迷わず頷いた。

 

『――うん。君と僕は“親友”だった』

 

 そう伝えた時、いろはは心の底から安心したのだろう。瞳が頭上に瞬く太陽のように、燦々と輝き出したのだから。

 もう、大丈夫だ。

 

 

「そうだ。例え世界が違ったとしても……僕が僕で無くなっても……君が僕の知らない君になってしまっても――僕達はいつか、きっと巡り会っていただろう」

 

 そんなことを独り言ちながら、ねむは、むふっと小さく不適に笑った。

 何てラショナリストらしからぬ思考回路か。

 でも、彼女を前にすると、そんな運命染みたロマンチズムを感じずには居られない。

 

 ――――不意に、いろはが立ち去った方向を見つめた。

 そこには誰もいない、無限の花畑が広がっているだけ。

 だが、ねむは遠くを眺めるように細くした視線のまま、ゆっくりと口を上下して、

 

 

 

「――――のがれよ、わたしの友よ、君の孤独の中へ」

 

 

 

 と――ある言葉を紡いでいく。

 

 

「わたしは君が毒ある蠅どもの群れに刺されているのを見る。のがれよ、強壮の風が吹くところへ」

 

 

 時間の経過で陽が動いたのか。ねむの顔に、再び影が差し込み、暗黒に染めた。

 

 

「のがれよ、君の孤独の中へ。君はちっぽけな者たち、みじめな者たちの、あまりに近くに生きていた。目に見えぬかれらの復讐からのがれよ。君にたいしてかれらは復讐心以外の何ものでもないのだ」

 

 

 独白される言葉の真意は、彼女以外には分からず。

 

 

「彼らに向かって、もはや腕はあげるな。かれらの数は限りがない。蠅たたきになることは君の運命ではない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 漆黒の仮面の裏に秘めた感情も――――彼女以外、誰にも知り得る事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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