鬼の目にも涙【完結】   作:トマトルテ
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四話:星熊勇儀と愚かな英雄

「あんたが星熊(ほしぐま)いう(もん)か?」

「いかにも、私が鬼の四天王が1人。星熊(ほしぐま)勇儀(ゆうぎ)さ。で、どういう用件だい、人間?」

 

 空に三日月が輝く夜。

 月明かりで金の長髪を輝かせながら、静かに酒を呑んでいた一角の鬼の前に1人の男が現れる。

 人間の出で立ちは、鬼の盃と動き易そうな服しか持たぬ姿とは真逆。

 鎧兜を身につけ、右手には槍。左手には大太刀というあからさまな戦備えであった。

 

「あほうが。人間が鬼に会いに来たらすることは1つ、鬼退治やろうが!」

「――ハ!」

 

 男の当たり前のことを聞くなというセリフに、勇儀は獰猛な笑みを見せる。

 もう、久しく人間との真剣勝負などやっていていなかった。

 しかも、純粋な殺し合いとなれば鬼が活発に動き回っていた時期でもそうはない。

 

「偶には月を(さかな)にしゃれ込もうかと思ってたけど、こりゃ予想外の(さかな)が釣れたね」

「ちゃうわ。自分から漁師の下に現れるんわ、釣られる魚やない。釣り人を喰らうサメや」

「サメだって魚であることには変わらないさ。それにしても、自分から鬼退治(釣られ)に来るなんてけったいな魚だねぇ。(漁師)を喰らえって朝廷(竜宮城)から言われたのかい?」

 

 久方ぶりの人との関わりに勇儀は上機嫌そうに語るが、その瞳に油断はない。

 鬼は人間を愛している。しかし、その姑息な所だけは嫌いだった。

 特に以前、人間に騙し討ちを食らって以来、勇儀は少しだけ警戒するようになった。

 もっとも、小細工など全て踏み潰して勝利するのも鬼としての威厳ある戦いだと思っているが。

 

「変な疑いをかけるなや。俺ぁ、強いもんと戦いたいだけや」

「へぇ…人間の癖に言うじゃないか。だけど、人間がそんな強さを求めてどうするつもりだい?」

 

 心底不愉快そうに自分の言葉を否定する男に、勇儀は面白そうに目を細める。

 こいつは久しく見ていなかった、強く勇敢なものかもしれないと。

 そして、その予感は本物だった。

 

「あほう! 男に生まれたこと以上に強さを求める理由なんぞ要るかッ!」

「よく言った! 人間!」

 

 賞賛の言葉と共に勇儀は勢いよく立ち上がる。

 間違いなく目の前の男は馬鹿だ。清々しいまでに真っすぐな馬鹿だ。

 ただひたすらに、理由すら考えもせずに戦い続ける生粋の愚か者だ。

 

 だが、そんな馬鹿な人間こそが。

 

「ククク…いい男だね、あんたは。(さら)っちまいたくなるよ」

 

 勇儀は好きだった。

 故にそれまでの話せば言葉が通じそうだった顔を拭い去り、彼女は牙をむき出しにして鬼の本能を露わにする。その姿はまさに怪力乱神。人間というちっぽけな存在では到底太刀打ちできるとは思えない。だが、しかし。

 

(さら)うなんぞ面倒なことはすんな。俺が負けたらその場で殺して食ってけや!」

「ハハハハハッ! 本当に剛毅な奴だ。惚れちまいそうだよ!」

 

 男は鬼と変わらない程に獰猛な笑みを見せて笑う。そんな表情に勇儀はさらに上機嫌な顔になり、手にした(さかずき)に酒を並々と注ぎ、人を食ったような笑みを浮かべる。

 

「星熊ぁ…その盃は何の真似や?」

「自分ではめた枷さ。この盃から酒を零せばお前さんの勝利って寸法だよ」

「……ほう。随分と舐めた真似をしてくれるやないか」

 

 相手を見下ろ(みおろ)した態度に、男が身に纏う闘気が跳ね上がる。

 しかし、その肌が火傷してしまいそうになる程の闘気を受ける勇儀は微動だにしない。

 むしろ、これが欲しかったとばかりに牙を剥き出して闘争心を露わにする。

 

「いいねぇ、その殺気ゾクゾクするよ」

「あほうが。すぐにその盃叩き落として本気で戦わせたるわ!」

「アハハハッ! そうだよ、そういう態度の奴が私は大好きなんだよ!」

「じゃかしいわ! すぐに見るのも嫌やって泣かせたるッ!!」

「人間如きが鬼の目に涙を流させるってかい? そいつは―――楽しみだねッ!」

 

 勇儀の言葉を皮切りに、鬼と人間の正真正銘の殺し合いが始まる。

 そして、先手を取ったのは当然と言うべきか人間であった。

 

「まずはその盃からや!」

 

 勇儀の盃を破壊するべく、男が初めに取った行動は実に不思議なものだった。

 

「あん? 地面に向かって刀を振って何のつもりだい?」

「黙って見ときーや! すぐに目ぇ見開くことになるで」

 

 怪訝そうな表情を浮かべる勇儀の前で、男は刀を振ったすぐ手前の地面に手を突っ込む。

 

 ここで話は変わるが、鬼退治には2つのタイプがある。

 1つは源頼光の様に酒で酔わせて寝込みを襲うなどの、計略をもって強い鬼を討ち取るタイプ。

 そして、もう1つは。

 

「いくで―――天地返しッ!」

(マジかよ! ただの人間が腕力だけで、地面を(・・・)ひっくり返しやがった!)

 

 純粋に強い鬼をさらに上回る程に強い豪傑タイプだ。

 

 男は刀で地面を大地から切り離し、あろうことかそのまま馬鹿力で逆さにしてしまったのだ。

 そこには種も仕掛けもない。純然たる己の力のみ。

 その人間とは到底思えない行動に、勇儀は思わず内心であっぱれと賛辞を贈る。

 

 だが、しかし。

 

「鬼を舐めてもらっちゃあ困るねえ!」

 

 その程度で何とかなる相手ならば鬼とは呼ばれない。

 

 勇儀は余裕を見せつけるように、宙に飛ばされ真っ逆さまになった地面に足を突き立てて(・・・・・・・)、立ったまま盃を返して酒を一滴たりとも零さない。それは桁外れの筋力と平衡感覚が無ければ成せえぬ技。まさに、人間離れした技と言えるだろう。

 

 しかしながら、男もまた人間離れした存在であった。

 

「まだ、俺の攻撃は終わっとらんわ!」

「今度は槍の投擲かい!」

 

 全身をバネのように使い、足から背中、腕、そして槍へと力を増幅させた投擲が繰り出される。

 それはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで勇儀の心臓へと迫るが、彼女は鳥ではなく鬼。

 その程度で討ち落とせるはずもない。

 

「本当にお前さんは私好みの男だよ!」

 

 人体構造的に最も避け辛い身体の中央部分への攻撃。

 流石の勇儀もそれには大きく体を動かす必要があり、素直に足場を蹴って大地へと降りて行く。

 未だに酒は一滴たりとも零れず、勇儀は宙で強者の余裕を見せつける。

 だが。

 

「誰が、2回程度でやめる言うた!」

「ハ! 動けない着地間際を狙ってくるとは考えたね!」

 

 男の攻撃はそこで終わりではなかった。

 どんな生物であれ、着地する瞬間には体の硬直という隙が生まれる。

 男はそこを狙い、手に持った大太刀で袈裟(けさ)切りを繰り出す。

 普通ならば、そこで相手は斜めに斬り落とされて死ぬのだが。

 

「だとしても、まだまだ足りないねぇ!」

 

 鬼にはそんな常識など通用しない。

 

 左腕の筋肉に力を込める。

 ただそれだけで、彼女は自らの腕を大太刀を防ぐ盾にしてしまったのだ。

 

「二度あることは三度あるってやつかね? 悪くない刀だけど鬼を斬るにゃあ力不足だ」

 

 皮が裂け、肉へと刀は届くも骨を絶つまでは行かない。

 理不尽。そうとしか言いようがない程に鬼という存在は常識からかけ放たれた存在だ。

 その体は最強の矛であり無敵の盾ともなる。

 このような存在に真正面から勝つなど不可能だ。誰もがそう思うだろう。

 しかしながら。

 

「二度あることは三度あるっちゅうんなら―――四度目をやるだけやろうがッ!!」

「武器を全部捨てた!?」

 

 不可能を可能にするのが人間というものだ。

 男は刀を止められたのを見るや否や、それを捨て去り素手(・・)となって勇儀に殴りかかっていく。

 

 人間は火を持ち武器を使うことで己より強い獣に生存競争で勝ってきた。

 だが、逆に言えばそれは、武器が無ければ人間は獣にすら勝てないということだ。

 ましてや、理不尽の権現である鬼に無手で、挑むなど無謀を通り越して自殺行為である。

 

 そんな常識に囚われていたがために、勇儀は先程の『天地返し』で見せた男の馬鹿力を甘く見てしまっていた。

 

「吹き飛べや、おんどりゃあッ!!」

(この拳を受けたら流石に酒をぶちまけちまうね。今の距離ならまだ避けられる。でも……こんな馬鹿正直な拳―――避けられるわけがない(・・・・・・・・・・)!)

 

 ひたすらに真っすぐな拳。

 鬼に素手で勝負を挑むという蛮勇。

 純粋に自分を殴ることしか考えていない一撃。

 

 そんな真っすぐな情熱を向けられては、鬼として避けるという選択が取れるはずもなかった。

 

「どりゃあああッ!」

「ガ――ッ!?」

 

 そして、顔面に襲い来る爆弾のような衝撃。勇儀は歯を食いしばってそれを何とか耐えようとするが、男の拳は軽くはなかった。すぐに耐えきれなくなりもんどりを打って転がっていく。勿論、手に持っていた盃は地面に転がり中身は全て地面へと消えていく。

 

「……星熊ぁ、あんた」

「………ク」

 

 地面に大の字で倒れ、空を見上げる形になった勇儀。

 その姿を見ながら、男は不機嫌そうな声を零す。

 それもそうだろう。相手を全力で殴り飛ばしたというのに、その相手は。

 

 

「クハハ…アーハッハッハッハッ! 本当に久しぶりに良ーい拳を貰ったよ!!」

 

 

 この上なく上機嫌な顔で笑っているのだから。

 

「ワザと俺の拳を受けよってからに。舐めとるんか?」

「嫌だね、馬鹿にしてなんかないさ。あんな上等な拳を喰らい損ねたら一生後悔するだろう?」

「ふん。全力の拳も効かないちゅうわけか?」

「いーや、効いたよ。思わず泣いちまいそうなぐらい良い拳だった。とは、言ってもお前さんを不愉快にさせたのは事実だしねえ」

 

 勇儀は若干フラフラとした足取りで立ち上がりながら呟く。どうやら、本当に効いているらしいが、表情はむしろ楽しそうにしているため、男の目には先程よりもよほど厄介になったようにすら映る。そしてその予想は、大当たりであった。

 

「お詫びと言っちゃあなんだけど―――鬼の全力、見せてやるよ」

 

 盃で塞いでいた片手が解放されていたことで、鬼を縛るものは何もなくなった。

 その事実を示すかのように、勇儀は獣よりもなお獰猛な表情で牙と爪を打ち鳴らす。

 

「あほう! こっちははなからそのつもりや!」

 

 今まで受けに徹していた鬼が初めて攻めに転じる。

 これほど恐ろしいことはこの世のどこにもない。だというのに、男の闘志は逆に上がる。

 やっと本気で来てくれるか、ガッカリさせてくれるなよ、と笑いながら。

 

「そういやそうだったね。だったらもう言葉は要らないか」

「おう。そないなまどろっこしいことなんか、せんでもええ」

「言葉がなくたって十分」

「後は」

 

 お互いを対等な存在と認め、2人はゆっくりと歩いて距離を縮めていく。

 互いの拳が相手の心臓を抉れる距離。2人は極限まで近づいたところで立ち止まる。

 そして。

 

『拳で語るッ!!』

 

 ただ相手をぶちのめすために、防御を無視した拳の応酬を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 鬼と人間の戦いは三日三晩続いた。

 鬼である勇儀はもとより、人間の男すら常識では語り得ない場所に居たのだ。

 真っ当な戦闘ではあり得ないような攻防が続く。

 

 鬼に対しては一発程度の拳など意味がない。

 ならば複数回殴れば良いと勇儀が拳を撃つ前に左右の拳で二度ずつ、計4発を繰り出す男。

 

 人間相手に小細工をする必要などない。

 ただの一撃当てれば十分とばかりに、自分が受けたダメージ以上の拳を男に叩き込む勇儀。

 

 終わりなどない。終わりたくない。終わらせてたまるか。

 鬼と人間による拳と拳の語り合い。

 もはや、2人は那由多の言葉を交わすよりもお互いのことを理解していた。

 

 だからこそ分かる。お互いに限界は近いと。

 

「はぁ…はぁ…はぁ…お互いそろそろ限界やな」

「そうだねぇ……じゃあ、名残惜しいけどお前さんを倒すとしようか」

「あほうが、最後に泣きっ面になるのはあんたの方や!」

「ハハハ! やれるもんならやってみなぁッ!!」

 

 お互いが同時に構える。防御を捨て、回避を捨て、カウンターの可能性も捨てる。

 最後の一瞬のために、残りの力を全て振り絞って待つ。

 

 そして…その時が来る。

 

「最後は真っすぐやッ! ビビッて避けんなや!」

「お前さんこそ! 腰が引けてショボい拳を出すんじゃないよッ!」

 

 2人が選択した最後の一撃は奇しくも同じ。

 右のストレート。必殺でも何でもない。だが、しかし。

 最後を飾るのに余計な装飾など不要。純粋な想いを乗せた拳に勝るものなどない。

 

 まるで世界がスローモーションになったかのように、互いの目に迫る拳がゆっくりと見える。

 しかし、どちらも見ない。気にしない。無視をする。

 自分の想い()を当てること以外に興味など示さない。

 

 それが目の前の好敵手に対する、最大の礼儀なのだから。

 

「鬼ィイイイッ!」

「人間ッ!!」

『これで終いだッ!!』

 

 ―――全く同じタイミングで互いの拳がぶつかり合う。

 

 本来ならば相手を地の果てまで吹き飛ばす両者の拳。

 しかし、お互いに力が残っていなかったのか。

 はたまた両者の力が相殺されてしまったのか。

 

 2人は吹き飛ぶことなく、ただゆっくりとその場に崩れ落ちる。

 

「はぁ…はぁ…」

「ぜぇ…ぜぇ…」

 

 言葉を発することも出来ずに、ぼんやりと空を見上げたまま息を荒げる2人。

 どちらも満身創痍。先に立ち上がり、相手に止めを刺せるかどうかが勝敗を決める。

 それが分かっているためか、最後の想いで両者は無理矢理に声を絞り出す。

 

 

『参った!』

 

 

 重なり合う鬼と人間の声。

 

「…………」

「…………」

 

 そして、2人共が相手の言葉が聞き間違えではないかと黙り込む。

 どちらも予想外であった。まさか、相手が自分から負けを認めるなどと思っていなかった。

 

「……星熊ぁ、なんの冗談や?」

「ああん? 鬼が嘘なんて言うか。ホントの本当に体が動かないんだよ。そっちこそ、後は私の首を取るだけで鬼退治が完了なんだから、気合入れて立ちな」

「あほう。こっちは体どころか指一本動かせんわ。大体、人間と鬼やったら回復すんのが早いのは鬼の方やろ。あんたの勝ちや」

「その鬼を地面にひれ伏せさせた英雄が言うことかい? そもそも、人間にここまで追い詰められて負けを認めないのは鬼じゃないよ。お前さんの勝ちさ」

 

 お互いに相手を称え、自らが負けたと主張する2人。

 

「フン、そないな理由で勝ちを受け取れるかいな。俺の負けや」

「いやいや、お前さんを鬼退治の英雄として称えないと気が済まないね。私の負けさ」

 

 その後も、あーだこーだと言い合いながら相手に勝利を与えようとする人間と鬼。まるで痴話げんかのようなそれは、永遠に続くかと思われたが、流石に2人の体力が続かなかった。なので、男の方から本当に嫌そうな顔で妥協案的なものが出される。

 

「しゃーない……今回は引き分けや」

「引き分けか……ま、それが妥当かね」

 

 勝負の結果は引き分け。

 取り敢えずはそれで我慢するとしようと、2人は不満を飲み込む。

 

「つーわけで、今度また()り合おうや」

「ククク、再戦か…。まさか、同じ奴と二度も戦えるなんて思ってもみなかったよ」

「安心せい。次でしっかりあんたの泣きっ面を拝んだるわ」

「ハ! そっちこそ、いつ殺されても良いように首を洗っときな。…と、言ってもお互いしばらくは派手に動けそうにないねぇ」

 

 清々しい顔を浮かべながら、2人共が再戦を誓い合う。

 しかしながら、このボロボロの体ではすぐに戦うということは出来ない。

 だが、それでは退屈だ。なので、勇儀は笑いながらある提案を出す。

 

「お前さん、酒は強い方かい?」

「村で一番の酒豪や」

「そうかい、そいつは良い。傷が治るまでは、呑み比べで勝負でもしようじゃないか」

「おう、乗った!」

 

 そうして、始まる鬼と人間の飲み比べ。

 本来ならば鬼が圧倒するはずの勝負もまた、引き分けになるのであった。

 

 

 

 

 その後、男と勇儀は何度も何度も戦い合った。

 しかし、勝負の結果はいつも引き分け。

 そうして、その度に酒を酌み交わしあった。

 

「また引き分けだねぇ……しっかし、鬼と真っ当にやり合うなんてあんた本当に人間かい?」

「失礼な奴やな。どこをどう見ても人間やろうが」

「いやいや、お前さんの戦う姿を見たら普通の人間は鬼か神かと疑うよ」

 

 体にまだ傷の残る男と、妖怪ゆえにあっという間に傷が治ってしまう勇儀の2人だけの酒宴。

 本当に人間かと真顔で聞いてくる彼女に対して、男は不機嫌そうに酒を飲み込む。

 

「俺ぁ、人間や。人間以外の何者(なにもん)でもないわ」

「勿体ないねぇ。お前さんの強さなら武神を名乗れば信仰だって簡単に集められるよ。そうすれば現人神にでもなって私にも簡単に勝てるのに」

 

 そんな男の不機嫌さに気づきながらも、勇儀は無意識のうちに更なる提案を行う。

 まるで、いつまでもこの時間と関係が続くことを望む様に。

 しかし、男の言葉は変わらない。

 

「あほう。俺ぁ、人間として鬼退治をしたいんや。神になったらつまらんわ」

「つまらない?」

「そらそうや。神になって信仰されたら、俺以外の奴の力を使うことになるやろ?」

 

 神とは人々からの信仰を得て力を保っている存在だ。信仰が大きい神ほどその力は大きい。それはつまりは、信仰という形で他の人間から力を貰っているという見方もできる。だから男は自分だけの力ではないと嫌がっているのだ。

 

「そいつはぁ、ダメや。あんたを殺してええのは俺だけや」

 

 星熊勇儀を自分以外が殺すのは許さないという独占欲を持って。

 

「……ククク! なんだいそりゃ? 告白かなんかかい?」

「あほうが、こないな物騒な告白があるかいな!」

「アッハッハッハッ! そいつは残念。お前さん相手なら嫁になるのも悪くないって思ったのに」

「たく…冗談言うなや」

 

 カラカラと大声で笑いながらバシバシと男の背中を叩く勇儀。

 それが男の傷に響いたのか、顔をしかめる。そして、そのせいで。

 

「……鬼は嘘を言わないよ」

 

 普段とはまるっきり違う、普通の女子のような勇儀の声を聞き逃してしまった。

 

「あん? なんか言ったかいな?」

「聞き逃したんなら別に良いよ。当たり前のことを言っただけさ」

「……まあ、あんたがそう言うんならええか」

「そうそう。さ、まだ呑み比べは終わっちゃいないよ。ドンドン呑もうじゃないか!」

 

 そう言って、勇儀は並々と酒の注がれた盃を一気に飲み干してしまう。

 まるで、赤く染まった頬は酒に酔ったせいだと隠すように。

 

 

 

 

 人間と鬼。圧倒的な種族差があるはずの二つの種族。

 しかしながら、そんなものはこの2人には関係がない。

 2人はどこまでも対等な関係であり続け、誰にも切れぬ絆を紡いでいった。

 

「さあ、人間。今日も()り合おう…て、どうしたんだい? 随分と疲れた顔をしてるじゃないか」

「おう…星熊……少し話を聞いてくれや」

 

 ある日も勝負をするはずだった2人だったが、どうにも男の様子がおかしい。

 その様子に勇儀は何事かと、戦うのやめて話を聞くことにする。

 

「お前さん程の男がそんなにやつれるなんて何があったんだい?」

「いや…なあ……村の年寄り連中から早う結婚しろ、結婚しろ言うてせっつかれてな」

「結婚…?」

 

 まさか、鬼と同等にやり合う男を苦しめていたものが、そんなものだとは思わなかったのか勇儀は柄にもなく目をまん丸にする。そのことに男は恥ずかしそうに頬を掻く。

 

「早いとこ嫁を貰わんから、お前はいつまで経っても落ち着かんのやって言われてなぁ……毎日毎日見合い話を持って来られてここまで逃げてきたんや」

 

 誰もが恐れるであろう鬼の住処に、見合い話を躱すために逃げてくる。

 そんな滑稽な男の姿に勇儀は思わずと言った様子で大笑いしてしまう。

 

「アハハハ! 人を喰う鬼よりも見合い話の方が怖いってかい? そいつは難儀だねぇ」

「笑うなや。こっちは割と真剣に困っとるんや」

「ククク…ごめんよ。でも、何で見合い話を受けないんだい? 1人暮らしも楽じゃないだろう」

 

 男の両親は既に鬼籍に入っている。そのため男は1人暮らしとなっているのだから、村の年寄り連中が世話を焼きたがるのも無理はない。だというのに、頑なに結婚しようとしないのは何故なのかという問いに、男は憮然とした表情で答える。

 

「結婚したらあんたに会いに来れんやろうが」

「え?」

 

 男のプロポーズ紛いの不意打ちに、思わず可愛らしい声を零してしまう勇儀。

 それを見て、流石に言い方がまずかったかと男は慌てて補足を加える。

 

「ちゃうちゃう、そういう意味じゃなくてな……ほら、家族が出来たら気軽に殺し合いなんて出来んやろ?」

「ああ…なんだ、そういうことかい。……思わず驚いちまったよ。というか、お前さんも家族を大切にするような常識的な部分があったんだねぇ。二重で驚いたよ」

「人を非常識の権現みたいに言うなや! ……そら、普通じゃないのは分かっとるが」

 

 勇儀の非常識という言葉に拗ねたようにそっぽを向く男。

 しかし、流石に普通の人間とは違うのは自覚しているのか微妙な顔をしている。

 そんな表情を勇儀はニヤニヤと笑って見つめながら、話を続ける。

 

「いやぁ…でも、お前さんが結婚よりも私を取ってくれると分かって嬉しいよ。どうだい? この際だ、お前さんも鬼にならないかい? 人間の面倒ごとから解放されるよ」

「あほう、鬼になったら鬼退治ができんやろうが」

「ハハハ! それもそうだ、盲点だったよ。ま、その気になったらいつでも歓迎するよ」

「人間のまま上の存在に勝つのが楽しいんや。その気にならんから安心しとき」

 

 弱い人間が強くなるからこその誇り。

 それを堂々と言い切った男に勇儀は目を細める。

 

 勇儀もまたその美しさに惹かれたからこそ、人間が好きなのだ。

 だから、男の言葉に納得し、嬉しそうに目を細める。

 だが、人間である以上は鬼と同じ時間を過ごすことは出来ない。

 それを良く知っているからこそ、同時に悲し気に目を細める。

 

 様々な想いが籠った瞳を隠すように、彼女は瞬きをして豪快に笑う。

 

「ハハハ! そいつは残念だ。さ、今日は戦うのは無しにして酒を呑んで嫌なことを忘れようか」

「おう、今日はとことん呑むで!」

 

 そして、全てを忘れて今だけを楽しむために、酒を酌み交わすのだった。

 

 

 

 

 人間と鬼の終わりなどないかのような幸福の日々。

 しかし、分かれや終わりというものは、いつだって唐突に訪れるものだ。

 特に常日頃から命の取り合いを行っているこの2人ならば尚更に。

 

「今日こそ決着をつけたる! 鬼!」

「それはこっちの台詞だよ! 人間!」

 

 今日も今日とて楽し気な顔を浮かべ、月夜の下で殺し合いを行う2人。

 もはや2人の決闘の舞台には草一本たりとも生えてはいない。

 2人の命以外の全てが戦闘の余波で刈り取られてしまったのだ。

 

「早よ倒れんかい!」

「そっちこそとっとと負けな!」

 

 いつものように2人の戦いは武器などでは決着がつかず、無手での決闘となる。

 大地が割れ、天の雲が消し飛ぶような凄まじいぶつかり合い。

 

「星熊ぁッ!」

「人間ッ!!」

 

 あの日の様に最後は真っすぐ。

 何度もぶつけ合い、心を通わせた拳と拳。

 今日もまたぶつかり合うと、2人は欠片も疑うことなく思っていた。

 だが、しかし。

 

「――あ」

 

 その声を零したのはどちらか。はたまた、両者か。

 その拳はぶつかり合うことなく、互いの胸に突き刺さる形で終わった。

 噴き出す鮮血。お互いに全く想定していなかったとばかりに呆ける顔。

 

 なぜこのような結果に至ったのか。

 人間が騙し討ちをした? 違う。鬼が手を抜いた? 違う。

 2人の拳がぶつかり合わなかったのは、お互いが成長していたからだ。

 

 毎日のように限界を超えた死闘を繰り広げて、英雄になれる人間が成長しないわけがない。

 普段、鍛えなどしない鬼が毎日戦えば、成長の遅い妖怪と言えど強くならないわけがない。

 強くなってしまったために、2人の拳は同時に撃ってもぶつかることなく相手に届くようになってしまったのだ。

 

 そう。これはお互いがお互いを鍛え、高みに導いてしまったが故の悲劇。

 

「相…打ち?」

「いや……死ぬのは俺だけや」

「は…?」

 

 男の心臓を貫いてしまった手を見つめながら、ポツリと零す勇儀。しかし、男はその言葉に否定を返す。それに対して、勇儀が納得はいかずに自身の胸元に視線を向ける。そして気づく。男の腕が自らの心臓を僅かにずれて突き刺さっていることに。そして。

 

「人間ならどの道死ぬやろうけど…鬼のあんたなら死なんやろ……」

「ふざ…けんな…ッ。お前―――ワザとズラしただろ!?」

 

 お互いがお互いを貫く刹那の瞬間に、男が鬼を殺さない様に咄嗟に心臓を避けたことを。

 

「ああ……バレるか」

「バレるか、じゃないよ! 鬼が手抜きや嘘が嫌いなことは知ってるだろうが!?」

「そんな怒るなや…俺も咄嗟のことでほとんど無意識やったんや」

「何でだ…? 何で私を殺してくれなかった…ッ」

 

 この男に殺されるならば本望だった。

 昔の様に鬼と真正面から戦える英雄の逸話の1つになれるのなら、それで良かった。

 だというのに、どうしてこの男は自分を殺してくれなかったのか。

 

 そんな後悔と恨みが籠った問いかけに対して、男は恥ずかしそうに笑いながら答える。

 

「鬼は殺せても―――惚れた女は殺せんわ」

 

 その言葉に勇儀はポカンと口を開け、すぐにクシャリと表情を歪めてしまう。

 

「バカ…だねぇ……そんな下らない理由で勝ちも命も譲るかい?」

「咄嗟やって…言うたやろ。差し違える瞬間に気づいたんや……」

「本当にバカだね…お前さんは。そんなことに気づくから負けるんだよ…ッ」

 

 震える声で自らを罵倒する勇儀に男は苦笑する。

 確かに、自分はどうしようもない馬鹿なのだろう。しかし、この選択に後悔はない。

 

「なに…言っとるんや……俺ぁ負けとらん」

「どういう…ことさ…?」

「勝負は…引き分けや。何せ…」

 

 それに、何より。

 

 

「勇儀。あんた―――泣いとるで」

 

 

 鬼を泣かせることが出来た。

 

 男は、呆然とした表情で佇む勇儀の瞳から流れ落ちる涙を、汚れていない方の手で拭う。

 そして、酷く満足気な笑みを1つ残してその腕を、力なく落とす。

 

「おい…おい…! 目を覚ましなよッ!」

 

 勇儀は力なく自分に寄りかかっている、男の死という現実が認められずに叫ぶ。

 しかしながら、それに応える声など有りはしない。

 英雄も妖怪も凡人も死ねば皆同じ。

 

 死人に口なし、聞く耳持たず。閉じた双瞳(そうとう)に写すものはない。

 

「…バカだね…鬼に惚れるなんて…! それどころか、その鬼のために命まで捨てちまうんだから本当にバカだよ…お前さんは……」

 

 だから勇儀は1人でポツリ、ポツリと語っていく。

 声が返って来ることがないという事実を噛みしめながら。

 

「でも…それ以上の大バカ者がここに居るか…。惚れた男を殺しちまった大バカ者が…ッ」

 

 静かに涙を流す。

 嗚咽も、悲鳴も、慟哭も、他には何一つ零さない。

 彼女は、ただ静かに涙と言葉だけを零していく。

 

「この胸の傷も人間なら死ねるんだろうけど、鬼だからどんなに深くても治っちまう。……ああ、今だけは自分が鬼であることが恨めしいよ。人間ならせめて一緒に死んでやれたのかねえ」

 

 お互いの腕が未だに相手に刺さったままの状態で、勇儀は男を抱き寄せる。

 こうすれば、せめて男の魂に何かが届くのではないのかと鬼らしくもない感傷を寄せながら。

 

「お前さんにやるつもりだった命。生き永らえちまったよ…。後を追ってやってもいいけど…お前さんは納得しないだろうね」

 

 ―――あんたを殺してええのは俺だけや。

 

 勇儀は男の言葉を思い出す。

 きっと、男は他の人間に殺されることも、勇儀が自ら命を絶つことも許さないだろう。

 力強い者、勇気ある者、正直な者。全てが揃っていた男の、いや、惚れた男の願いだ。

 

 叶えてやらないわけにはいかない。

 

「私を殺したくなかったんだろう? だったら……生きてやるさ。お前さん以外、誰にも殺されない、誰にも…泣かされない…ッ。そんな鬼として死ぬまで君臨し続けてやるさ」

 

 男へと誓いの言葉を残す。

 何があっても殺されず、もう二度と泣くこともしないと。

 

「でも…」

 

 だが、それでも。

 

「今日だけは……泣いてもいいだろう…?」

 

 今はどんなに頑張っても、悲しみと共に溢れ出る涙を止めることが出来ない。

 

「さようなら……大好きな人間…ッ」

 

 人間の亡骸に音もなく涙を零す鬼が1人、欠けた月の夜に取り残されるのだった。

 




書きたい鬼を書いたのでこの作品は完結ということにしたいと思います。鬼の目にも涙ですしね。
まあ、他のキャラも案はあるのでそういうのは別タイトルで今後書いていきます。
パッと思いついているのは幽香と小町と橙。まあ、その前にオリジナルを書くと思いますけど。

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