バレンタインあやちさ。

アイドル(idol)
あこがれの的。熱狂的なファンをもつ人。
または、『偶像』『崇拝される人や物』の意味を持つ。

てな感じでアイドル彩ちゃんに掻き乱される千聖のお話。
駄文はご容赦を。無自覚って怖いよね(好き)

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pixivにあげたものを改訂したものです。
最近pixivに入り浸っていたのですが、久しぶりにハーメルンをのぞいたらバンドリ作品めっちゃ増えてて嬉しかったので、pixivに投稿したものの改訂になりますが、ゆっくり投稿していきたいと思います。
感想とかくれたら嬉しいです。


いつか貴女の膝の上に

二月九日 レッスン中

 甘酸っぱい香りが部屋に満ちていた。朝は皆の香水から漂う甘い香りだけだったのに。

 それもそのはず。もう丸一日、このスタジオで練習しているのだから。

「彩ちゃん、またターンで転んだー」

「ごめーん! 脚がクタクタで……」

 汗だくでへたり込む丸山彩は、子供のように無邪気な笑顔を浮かべていた。なんてことはない、と宣言しているように。

「確かに、もうヘトヘトです。お腹も減りました」

「そろそろ休憩……というか、もう時間も遅いですね。終わりにしますか?」

 大和麻弥は私の反応を窺っていた。こういう時、最後の判断をするのはいつも私だった。

「そうね。時間も遅いし、それにパフォーマンスが落ちているのは彩ちゃんだけじゃないし。今日はここまでにしましょうか」

 私がそう言うことで、皆はようやく動き出す。

 いつもそうだ。別に個人で勝手に決めて動いてもいいのに、と思ってしまう。その一因が私の態度や経歴にあることも分かるのだけれど。

「今日はおねーちゃんが練習休みって言ってたから先に帰るねー」

「ジブンも定期購読してる雑誌を本屋さんに取りに行かなくてはいけないので、お先に失礼します!」

「私も、ブシドーのための自主練習が残っているので、失礼します!」

 いつもなら皆で事務所の車を待って帰るところだけど、三人はそれぞれの用事のために一足先にスタジオを出て行った。

「彩ちゃんはどうするの? 一緒に事務所の車を待つ?」

「えーっと……わたしは――」

 目が露骨に泳いでいる。私が大きな溜息をつくと、丸山彩はあわてふためく。その様に、いらつきを覚える。

「だから、その、えっと――」

 誤魔化すなら、もっとうまくやるべきだ。まぁ、彼女に演技の才能はないのだろうけど。本当に、平凡な女の子。

「居残り練習、するつもりだったんでしょう」

 平凡で、健気な女の子。

「あ、あはは――ばれちゃった」

 真実を言い当てたというのに、悪びれる様子もない犯人のように、彼女ははにかんでいた。それにほんの少し、頭が痛くなる。

「さっきも言ったけど、疲労が溜まった状態で練習しても意味がないわ。ちゃんと休むことも必要よ」

「それも分かるけど、やっぱり私が皆と同じようにステージで輝くにはもっと練習しないと」

 “ステージで輝く”という言葉を紡ぐ時だけ、彼女は本当に真剣な表情だった。いつもそうだ。丸山彩という少女は純真無垢にひたむきに、隣に立つ私も驚くくらいまっすぐに『アイドル』というものと向き合っている。だから、それを無下にすることはできない。

「――事務所の車が用意できるまでよ。それと彩ちゃん、明日の実力テストも忘れないでね」

「あー! 忘れてた!」

 板張りの床に倒れる彼女を尻目に、私は階下の事務所に向かった。やっぱり、平凡な女の子だ。それを確かめると、自然と笑みがこぼれた。

 いつもそうだった。

 たったひとり、私の意見とは別に、自分の考えを持って動いている。

 氷川日菜という少女は、観察という目的のために、面白いと思ったことに便乗する。

 大和麻弥という少女は、自分に自信がないのか、アイドルという身分に遠慮を覚えているのか、自分から何かをすることはあまりない。

 若宮イヴという少女もまた、自分に自信を持てずにいる様子で、成長途中といった感じだ。

 他の三人とは少し違う。丸山彩という平凡な『アイドル』という少女は。

 だからこそ、目が離せない。時折、イラつきを感じる。

 もしかしたらこれは、同族嫌悪に似た何かなのかもしれない。

 ふと、そんな考えが浮かんだけれど、瞬き一つで消え去った。

 甘い香りが、またスタジオに満ち始めていた。

 

二月九日 昼休み

「千聖ちゃん、お昼どうする?」

 松原花音が良い香りがするお弁当を片手に、私の隣に立つ。

「ごめんなさい、今日はお昼用意できなかったの。購買に行ってもいいかしら」

「うん。珍しくホームルームの直前に来たから、そうじゃないかと思ってたよ」

「ふふ、花音って変なところで鋭いわね」

 そうして私と花音は、久しぶりに購買を訪れようとしていた。

 渡り廊下を歩いていると、何人かの同級生とすれ違う。既知の間柄ではあるけれど、別段話すことは無い。そっと互いに目を伏せる。いつものことだ。皆、程よい距離をとって生きている。

常に感じる感傷を振り払うと、代わりに隣のクラスの喧騒が耳に止まった。

「私、彩ちゃんからチョコ欲しいなぁ」

「アタシもー。ねーちょうだいよー」

「勿論あげるよ! 皆大切な友達だし」

 ちょっと高めの甘い声。それが丸山彩の声であることはすぐに分かった。そしてどういう場面なのかも。アイドルがチョコを事務所の了解なくあげるというのは、少し危ないような気もするが、相手は同性でありクラスメイトならば、問題はないだろう。

 そう結論付けるが、何故かモヤモヤする。

(――今日の練習で少しだけ注意しましょう)

 そう思ったのも束の間、たった一言で場面は急展開した。

「本当? やったー。彩ちゃんがクラス全員にチョコつくってくれるってー」

 それはほんの冗談だったのかもしれない。けれどもその冗談はクラス中にすぐに広がっていた。

「えー。ちょっと、そんなには作れないよー」

「しかも手作りだってー」

「もー」

 当の本人はあくまで冗談の延長のつもりなのかもしれないが、クラスの外にいても分かる。クラスはもうその気になっている。

(――私には止められないわね)

 切り捨てるように、吐き捨てるように、諦める。そもそも私には関係のないことだ。

「千聖ちゃん? はやく行こう」

 花音が少し先で待っていた。いつの間にか私は足を止めていたらしい。

 私は疲れた顔で再び歩みを進めた。なぜ彼女の会話を立ち聞きしただけで疲れるのか疑問は尽きないが、これで今日の練習でするつもりだった軽い注意は説教に変わったことだけは確かだった。

「はぁ、まったく……」

「どうしたの?」

 花音は喧騒など気にならなかったのか、首を傾げている。

 愚痴の一つでも零したくなったけれど、その行為に建設的な意味を見いだせなかったので、別の疑問を投げかけた。

「彩ちゃんって、クラスの人気者、みたいなものなのかしら」

「そういえば、そうだね。ファンってわけじゃないけど、彩ちゃんと仲が良い子は私たちのクラスにもたくさんいるね。どうして?」

「私や彩ちゃん、パスパレのメンバーって一応芸能人じゃない? だから私はクラスメイトの多くとは程よい距離を保ってるつもりだけど、彩ちゃんにはそういうのなさそうだなって思ったのよ」

「確かに……。千聖ちゃんと彩ちゃんを比べると、千聖ちゃんの方が芸能人、って感じするね。でも彩ちゃんも普通とは少し違うような……」

『普通』とは違う?

 それは違う。彼女は普通の女の子だ。そのはず――。

「どう、違うのかしら」

「ヒッ」

 花音は怯えた表情で固まってしまった。そして気づく。怖い顔になってる。

「ごめんなさい、怒ってる訳じゃないのよ。ただ少し私の認識と齟齬があってね……」

「な、なんだ。すっごい怖い笑顔だったから悪いこと言ったのかと思った……。なんというか彩ちゃんは……魅力的、って感じなのかな」

 魅力的。平均的な身体能力に知性、確かに顔やスタイルは目を引くものだけれど、そこまで魅力に溢れた少女には見えない。それは私の眼が肥えているからなのかしら。

「魅力的、ね。薫みたいなものかしら」

「そ、それを言われると違う気がしてくるよ。魅力でいえば薫さんに敵う人なんてそうはいないし……。蠱惑的、とか?」

「蠱惑的?」

 蠱惑的。人の心をひきつけ、惑わす。という意味だったかしら。

「うん、なぜか惹きつけられる、みたいな」

「ふふっ」

 花音の説明に思わず吹き出してしまう。

「蠱惑的、ね。ふふ、彩ちゃんが聞いたらどう思うのかしら」

「ち、千聖ちゃん! 私が言ったって言わないでよぉ」

「分かってるわよ。匿名のファンからの意見ということにしておくわ」

 花音はホッとした様子で、別の話題に移った。実力テストがどうだったとか、ハロハピがどうだとか。聞いてはいたけれど、曖昧に相槌を返すだけだった。

 私の頭では、玉座に腰を落ち着けている丸山彩という少女に、大勢の人間が救いを求めるように腕を伸ばす様が描かれていた。

 まるで女王だ。女王蜂のイメージでもいい。彼女に蠱惑された者が大勢、彼女に群がっている。それは気味が悪いようで、その実目を逸らすことができない名画のような美しさを持っていた。

 もしかすると、その中には──。

 

二月九日 レッスン中

「十分の休憩よ」

 トレーナーがそう言うと、真っ先に床に倒れ込んだのは氷川日菜だった。

「うーん! 疲れたー! 麻弥ちゃーん、ドリンクちょうだーい」

「はいはい、少し待ってくださいねー」

 大和麻弥はそそくさと日菜の鞄に手を伸ばし、慣れた手つきでドリンクを取り出し、丁寧に日菜に渡していた。まるで主人と召使みたいだ。こんな関係は自分には築くことができないだろうと、何度も思ってしまう。

「千聖ちゃん、お疲れ様」

「あら、ありがとう」

 思っていたところで、丸山彩が私にドリンクを差し出していた。

「別に気を使わなくてもいいのよ?」

「えへへ、千聖ちゃんにはいつも助けてもらってるからね。それに、たまに日菜ちゃんと麻弥ちゃんのあのやり取りジッと見てるでしょ? やってほしいのかと思って」

「? 千聖さんも言ってくれればお持ちしますよ?」

「いいわよ、ドリンクくらい自分で取りに行くわ」

「わー、千聖ちゃんが間接的にアタシを責めてる気がするー。ま、いいけど」

「ジブンは気にしてないので大丈夫ですよ」

 日菜は寝転がったまま器用にドリンクを飲んでいた。その隣で座る麻弥も、これといって気にした様子はなく、そこにいる。それだけで二人の関係が浮き彫りになるので、それ以上は言えない。

「お説教、ですか? ブシドーにおいても、お説教は大切です。師匠からの説教が、窮地を脱するヒントをくれたりするのです。窮鼠、猫を噛む、です!」

「イヴちゃん、ほんの少し違う気がするわ」

 若宮イヴもドリンクを片手に、なぜか正座で待機している。

「お説教といえば、彩ちゃんに少し話が」

 思い出したような風体を装ったけれど、この話をする機会を今日一日窺っていた。露骨に彩ちゃんの表情がビクリとしたが、そんなことは気にしない。

「な、なんでしょう……。さっきのターンでまた転んだことなら、次からもっと頑張るから――」

「そのことじゃないけど、それも反省してね」

「ウグッ」

「彩ちゃん、バレンタインの日大変そうね、って話をしたかったのよ」

 彩ちゃんはキョトンとした顔で首を傾げる。やはり、冗談にしか捉えていないらしい。

「なになに? 彩ちゃんバレンタインに何かするの?」

 日菜は眼を輝かせ匍匐前進で詰め寄った。

「いや、お友達にチョコ配るだけだけど」

「クラス全員に、手作りチョコを、でしょ?」

 彩ちゃんは再びキョトンとしたあと、あっけらかんと笑いだした。

「なんだ、千聖ちゃん聞いてたの? でもあんなのただの冗談で――」

「たぶん、クラスメイトは冗談と思っていないわよ」

 丸山彩の顔から血の気がサッと引いた。その脇で、察しの良い麻弥は苦笑いを浮かべている。

「彩さんからチョコ貰えるってなったら、クラスメイトの方々は嬉しいでしょうね。しかも手作り。それは――冗談のつもりでも信じられてしまうと思います」

 丸山彩のファンを自称している大和麻弥の言葉は、深く丸山彩に突き刺さったことだろう。引いた血の気は一向に戻ってこない。少しだけ胸がスッとした。

「――どうしよう」

「あはは、がんばってねー」

 日菜は面白がる気満々といった様子でゴロゴロと転がっている。

「ちなみに言うと、バレンタイン当日まで登校する予定はないから、訂正も厳しいわよ」

 今日が九日の金曜日で、土日は学校が休みでレッスンもある、月曜日は振替休日で休みとなってるし、火曜日はバレンタインライブイベントがあるので学校は休みになっている。

 次に登校するのは十四日、バレンタイン当日となっている。

「自分を除いても四十人近い人数にチョコを手作り、ラッピングなんて、大変ね」

「助けて千聖ちゃーん」

 涙目で擦り寄ってきた彩ちゃんを抑える。それでも抑えきれず、結局抱き付かれた形で治まった。

「前々から言っていたけれど、クラスメイトとの距離感を大切にしなさい。皆と仲良くなることはいいことだけれど、こういう時大変よ――と、今さらそれを説教しても遅いわね。月曜日の午後はレッスンも休みだから、ラッピングだけでよければ手伝うわ」

「ありがとー!」

 頭をグリグリと脇腹に押し付けられる感触がくすぐったい。そっと麻弥に目を移すと申し訳なさそうな顔をしていた。

「ジブンも行きます、と言いたいところですが、火曜日のライブで使う機材のメンテとチェックがあるので、すいません」

「麻弥ちゃん行かないならアタシもいっかなー。ラッピングって、あんまり、るんっ!てこないし」

「私は行きますよ! 彩さんのためならどこへでも!」

 イヴは今から張り切った様子だ。これで予定は決まった。

「じゃあ月曜日のレッスンが終わった後、場所は彩ちゃんの家でいいかしら?」

「うん! 二人とも本当にありがとう!――でも……」

 彩ちゃんの表情にそっと影が差すのが見えた。それを見て、再びモヤモヤが胸中で渦巻き始める。

「彩ち――」

「はい、休憩終了よ。さっきの続きから、丸山さんは転ばないように気をつけてね」

「「はい!」」

 トレーナーの言葉で、会話はそこまでとなった。

 結局、彩ちゃんが見せた陰りの原因を聞くことはできなかった。

 

 

二月十二日 丸山家

 レッスンが終わり、彩ちゃんの家に向かった。彩ちゃんの家のキッチンからは鼻に突く甘いチョコの香りが漂っていた。ここ数日のチョコ制作の残り香なのだろう。

「これに入れて、リボンで結んで――終わり!」

 彩ちゃんの動作をイヴはジッと見つめ、頷いた。

「分かりました!」

「千聖ちゃんは? 大丈夫?」

「えぇ。それにしても――」

 想像していたより大きい。一つ一つが。市販の板チョコを半分にしたぐらいの大きさだ。

「私はてっきり一口サイズのものだとばかり」

「うん、私もそのつもりだったんだけど、作ってるうちに大きくなってた……」

「コレ、学校持っていくのも大変じゃない?」

「大丈夫、キャリーケーズに詰めていくから」

「キャリーケースで登校……キャビンアテンダントです!」

 イヴはCAにも興味があったのだろうか、嬉しそうだ。

 彩ちゃんもやる気といった様子で、こめかみにズキンと痛みが走る。

「――私も学校に運ぶの手伝ってあげるから、リュックで二つに分けて運びましょう?」

 さすがにキャリーバッグを持って登校する現役女子高生アイドルは目立ちすぎる。

「そんな……ありがとう千聖ちゃん!」

「抱き付く前に、ラッピング!」

 そう言って、作業に取り掛かる。チョコが大きいので、予想していたよりも時間がかかりそうだ。

―――――

――――

―――

「よし、次のお皿で最後だよ!」

 気が付けば、既に時間は5時を過ぎていた。空はとっくに夜に近い夕暮れで、彩ちゃんはいそいそと冷蔵庫から最後のチョコの皿を取りにいった。

「けっこう疲れたわね」

「でも、楽しいです!」

 イヴはニコニコと苦でもない様子だ。彼女も大和麻弥と同じで、彩ちゃんのファンであったと思い、そっと疑問を投げかけた。

「イヴちゃんから見て、彩ちゃんってどんな人?」

「? どうしたんですか?」

 イヴちゃんはキョトンとしている。こういった所は彩ちゃんと少し似ている。影響されているのかしら。

「この前ね、花音とそういう話をしたの。花音から見たら、彩ちゃんは蠱惑――魅力的で、人のこころを引き寄せてるように見えるんだって」

 そう説明すると、イヴは困ったような表情を浮かべた。難しい質問をしてしまったかな、と思い、話題を変えようとした時にイヴは答えた。

「月、とくに冬の月みたいです」

「月?」

「太陽は眩しくて直視できないけど、月は違います。直視しても目は潰れない、それに美しいです。私はフィンランドで悲しい事や辛い事があったら、よく月を見ていました。そうしたらスッと落ち着いて、元気が出るんです! だから、こころを引き寄せるというよりは、落ち着かせてくれる、そんな存在です! それに、冬の月は特に――輝いています。そんなところも、彩さんみたいです!」

「――そう」

 私はそれ以上何も聞かなかった。

 イヴもそれ以上は何も言わなかった。

 もしかすると、イヴ本人も気づいているのかもしれない。

 こころが落ち着くというのはつまり、こころの拠り所となっているということ。

 それはきっと、こころが引き寄せられ、魅了されているということに他ならない。

「おまたせー。このお皿のチョコで最後だよー」

 彩ちゃんは何も知らない笑顔でテーブルに皿を置いた。それがほんの少し、癪だった。

「こんなにたくさん作って、冷蔵庫は大丈夫?」

「うん。ラッピングしちゃえばあとは涼しい場所で保管できるし。でも昨日までは大変だったよー。冷蔵庫の中がチョコでいっぱいで。お母さんに怒られちゃった」

 あははと笑う彼女に、イヴは落ち着きを得ているのだろうか。

 少しだけ、胸が痛んだ。

 

 

2月13日 ライブ後

 

「お疲れ様です。ライブもトークも盛況でした。皆さん、ありがとうございました。明日と明後日はレッスンもお休みですので、ゆっくり体を休めてください」

「「おつかれさまでしたー」」

「事務所の車は準備できているので、着替え終わった方から自宅に帰っていただいてけっこうです。本日はお疲れ様でした」

 スタッフはそう言い残してステージに戻った。まだ機材の撤収が残っているのだろう。

「ジブンは少し残っていきます。見たい機材がいくつかありますので」

「じゃーあたしもー」

 麻弥と日菜は普段着に素早く着替えて、すぐにステージの方に行ってしまった。機材の片付けを見て何が楽しいのかは分からないけれど、いつものことなので気にしない。

「私も、今日は家じゃなくて、家族と待ち合わせをしているので、お先に失礼します!」

 イヴもそう言って、すぐに帰ってしまった。家族との時間を大切にするイヴらしい。

「少し前も、こういうことあったよね」

 私は小さく頷いて、さっさと手荷物を纏めた。彩ちゃんはそれをみて、慌てて荷物を片付けた。

 少し早足で歩くと、それに合わせようと彩ちゃんも早足になる。

 ほんとは距離を空けたいのだけれど、私と彩ちゃんの歩幅では無理だった。徐々に、徐々に距離は詰められる。

 彩ちゃんが隣に来た段階で、諦めて歩みを遅くした。

「千聖ちゃん――何か怒ってる?」

 ピタリと、私は歩みを止めた。

 そして彩ちゃんに向き合い、またカツカツと、強く靴音を鳴らして詰め寄る。

「ちょ、ちょっと千聖ちゃん?」

 彩ちゃんは、怯えたような、困ったような様子で、両手を小さく上げた。怯えた子供みたいだ。だけど、眼はそらさない。だから余計、分かってしまう。

「目のクマ」

「えっ?」

 私の指摘を、彼女は理解できなかったようだった。

「メイクで隠れてたし、お客さんは気づかなかっただろうけど、眼の下にクマができてる。メイクを少し落とした今なら、よりはっきり見えるわ」

「――ごめんなさい」

「そのせいなのか知らないけれど、またターンで転びそうになっていたし」

 実際には転ばず、少しグラついただけなので観客からは何も分からないだろうけれど、練習を共にした私達だから気が付いた。他の三人はクマにまでは気づいていないかもしれないが。いつものこと、なんて思われてるかもしれない。

「それは――ごめん」

 これ以上何を言っても言い訳になる。彼女にもそれは分かっている様子だ。だからこそ、イライラする。

「昨晩、ラッピングが終わった後、明日も早いからって、私とイヴちゃんを早々に帰したわよね? あのあと、何をしていたのかしら」

「それは、その――」

「彩ちゃん、もしかしてクラスメイト用のチョコの他に、部活とかバイト先の人に送るようのチョコを作ってたんじゃないの? 冷蔵庫がいっぱいだって言ってたし、他のものは作れなかったんじゃない?」

 少し黙り込んで、やっぱり悪びれず、はにかむ。

「あはは、千聖ちゃんは何でもお見通しだね」

 高くて甘い、笑い声。

 深い溜息をつくと、彩ちゃんは慌てて取り繕った。

「でも、ちゃんと三時間は寝るようにしたし――」

「そういう話じゃないの」

 ピシャリと突き放す。

「彩ちゃんは、もっと色々なことを見極められるようになりなさい。――今日はそれだけ」

「……はい」

 それで、短い説教は終わり。

 彩ちゃんはすっかり落ち込んでしまい、車が私の家の前到着するまで、一言も発さなかった。私も、何も話す気はなかった。

 彩ちゃんは動揺していたと思う。でもそれと同じくらい、私自身も動揺している。

 私は、なぜ、ここまで彼女に掻き乱される?

 なぜ、ここまで彼女に執心している?

―――――

――――

―――

「それでは白鷺さん、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 運転手がエンジンを吹かしたと同時に、後部座席の窓が開いた。

「千聖ちゃん!」

 振り返ると、彩ちゃんがやっぱり落ち込んだ表情で、こちらを見つめていた。

「――なに? 彩ちゃん」

「おやすみなさい、っていうのと、明日の朝のこと――」

「ちゃんと覚えてるわ。おやすみなさい」

 話を遮るように、私は彼女に背を向けた。

 ほんの少し、胸が痛んだ。

 その晩、久しぶりに、本当に久しぶりに。

 きっと一年ぶりくらいに、あの人に電話をした。

 一コール、二コール、切ろうと思った瞬間に、その人は電話に出た。

『やぁ子猫ちゃん。君から電話をかけてくるなんて珍しいね』

「そうかしら。――少し、あなたに聞きたいことがあってね」

『なんだい?』

 端的に、胸につっかかっていた想いをぶつける。長年の、幼い私を知っているこの人なら、きっと答えてくれる。

「私って、執念深かったかしら?」

『――儚い質問だ。うん、実にはなか』

「かおちゃん? 私は真剣に聞いているんだけれど?」

『ご、ごめん。だからかおちゃんはやめてくれ』

 電話の向こうで赤面する彼女の顔が浮かんで、すこしおかしかった。

「で、どうかしら」

『うん――ちーちゃんは、どちらかというと何事にも執着しないタイプに見えるよ。現実的っていうか、見極めがうまい。だから他の人からしたら、執念深くないように見えると思う』

「そう……」

『でも僕は』

 一呼吸置いて、いつものキザな声色を作って、言葉を続けた。

『そんな千聖に、執念深くなれるものができたのなら、私は嬉しいよ』

「――ありがとう。それじゃ切るわね」

『え、ちょ――』

 携帯を身体と一緒にベッドに投げ捨て、そのまま寝転がる。答えを貰ったような、はぐらかされたような、曖昧な気分だ。気持ちが悪い。

 そのまま、私は眠りについた。

 

二月一四日 丸山家前

 

 二月の朝はまだまだ寒い。

 コートの襟をギュッと握りしめ、彩ちゃんの家に向かった。

 一月ほど前なら、鋭い寒さが目を覚ましてくれたけれど、二月の寒さは圧し掛かってくるように重く、まだ少し眠い。

 家の前に着くと、そこには既に彩ちゃんがいた。

「えへへ、おはよう」

「――おはよう、彩ちゃん」

 鼻を赤くして、少し照れくさそうに笑う彩ちゃんは、荷物を何も持っていなかった。

「鞄は? それにリュックも」

「玄関にあるよ」

「手ぶらで、外で待ってたの? 風邪ひくわよ」

「千聖ちゃんに、コレを一番に渡したくて」

 そういうと、彼女は後ろ手から、そっと赤いハート型の箱を取り出した。ご丁寧にリボンまで付けてある。これはもしかすると――。

「バレンタインのチョコ、かしら?」

「うん。昨日、千聖ちゃんに怒られちゃったけど、パスパレの皆の分は、特に千聖ちゃんへのチョコは絶対に手作りが良かったから」

 彩ちゃんから受け取ったそれは、少し暖かくて、それはきっと、彼女の体温で――。

「――ありがとう。でも、もしかして日曜日に夜更かしして作ってたチョコって」

「うん! パスパレの皆の分だよ。部活とバイト先は流石に手作りする時間がなかったから、市販のチョコにしたんだ」

 けろんとした様子で、丸山彩は言ってのけた。そして、チョコを差し出す。

 私は呆然とした様子で、チョコを受け取る。そして、深い深い、溜息をつく。

「ひ、酷い……。溜息なんて」

「だって彩ちゃん……これじゃあ……」

 怒るに、怒れない。

「あはは、千聖ちゃん、顔すごいことになってるよ」

 彩ちゃんに笑われると、腹が立つ。誰のせいだと思っているのかしら。

「まぁいいわ。ありがとう」

 受け取った箱のリボンを解き、箱の中を覗く。それは白鳥の形をしたチョコだった。

「パスパレみんな、それぞれの特徴を踏まえて作ったからね。千聖ちゃんは白鳥」

 それがどういう意味なのか、私には理解できなかったが、彩ちゃんは嬉しそうだし、私も悪い気はしない。

「――彩ちゃんって、女王蜂みたい」

 ふと、花音との会話で思い描いた、その一部分だけが想起されて、口に出してしまった。

「女王蜂? 女王っていうなら、千聖ちゃんの方が似合う気がするけど」

「違うわよ。私の配役はせいぜいが悪い魔法使い」

 貴女のように人を惹きつけて、多くの人に囲まれるのが女王であり、一人の孤独に溺れるのが魔法使い。

「そうかなー。私はそうは思わないけど」

 彩ちゃんのその言葉は本心に違いない。それゆえに、私は傷つく。傷つき、怒りが湧いてくる。貴女の持つその純真無垢が、どれほどの人々の心を惑わせているのか。

「貴女はいとも容易く、人の心を惑わせる」

 ぽつりぽつりと、溜まっていた何かが溢れだしていく気がした。

「なんで、貴女みたいな普通の女の子が――」

「あれ? 私、怒られてる?」

「えぇ。怒っているわ。貴女は自他ともに認める平凡な女の子なのに、どうしてここまで――」

 そこで、私は悟る。

 それは彼女だからこそ、なのだ。

 それは彼女が『アイドル』だからであり、彼女だけが『アイドル』であったのだ。

「千聖ちゃん……?」

「――彩ちゃん、キスってしたことある?」

「なっ! そんなのしたこと――」

 答えなんてどうでも良かった。

 私よりほんの少し高い彼女の唇に、背伸びでそっと口づけをする。思っていた通り、甘い。

「千聖ちゃん!?」

 彼女の紅潮した頬に、そっと手の平を寄せる。温かい。

「私、彩ちゃんのこと嫌いだったかもしれない」

「え?」

 わけがわからない。そんな表情をしているけれど、それは私も同じだ。

「でも今、やっと好きになれた」

「あ、ありがとう?」

「ふふ、どういたしまして」

 彼女は私のこころを揺り動かしていた。それがやっと分かった。

 だから、後悔させてあげる。

 私を、悪い魔法使いのこころを魅了したんだから、当然の報いだ。

 貴女を、私だけの女王様に。いつの日か。

 そうこころで誓い、一歩退く。

「ほら、はやく鞄とリュックを持って。遅刻しちゃうわよ?」

「え、えぇ?」

 混乱したまま、彩ちゃんは玄関に戻った。

 きっと彼女は、純粋無垢に、全てを受け入れて笑う。

 友達同士の冗談だったでしょ、って具合に。

 だったら私はそれを肯定してあげよう。

 ふと、花音の言葉が思い出された。

『なぜか惹きつけられる』。なるほど、こういうことか。

 私は笑った。素直に可笑しくて。気持ちよくて。

 だけどお生憎様、相手が悪かったのだ。

 私を初めて、執念深くさせたのだ。

 いつか、彼女の全てを、私のものに。

 もしくは、私の全てを、彼女のものに。

 あの名画に描かれていた女王様の、膝の上に。


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