目の前に子供の成りをした少年がいる。
村雨はその少年の肩に鴉の姿で飛び乗り、キョロキョロとまわりに広がる出店を眺めた。
「なぁ村雨」
どこかぼんやりと、ゆらゆら揺れる大きな瞳。村雨は少年のその目が力強く輝くのが好きだった。
「なにー?シノ」
「おれさ、───────」
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「………っ」
はっと瞼を開けると、まだ見慣れない木造の天井があった。
起き上がれば、牡丹の本丸で宛がわれた自分の部屋が広がっている。
まだ私物は少なく、広々とした部屋。
ぼんやりとそれを眺めながら、夢の中で信乃がなにを話したのか、あの先の言葉は何だったのか思い出そうとした。だが、いくら思考を巡らせても思い出せない。
単なる日常の会話だったのか、大切なことだったのか…見た目の変わらない少年の姿は、年月すら感じさせないため、余計にいつのことだったのかわからないのだ。
こうして、少しずつ忘れるの……?
その忘却というモノに、底知れぬ恐怖が芽生える。
村雨になる前のことは、もちろん覚えている。でも、その頃の名前、友達の好きだったもの、兄との最後の会話、少しずつ欠けていった『私』。そこに、信乃の笑顔、傍らの青年の苦笑、鬼の兄弟の漫才のようなやり取り、ふわふわした少女の歌声…───信乃を中心に広がる出会いが、『村雨』を形作った。
村雨はよかった。欠けたけど、得たモノがあった。
でも、信乃のいない『村雨』が欠けたらどうなるのだろうか。なにか残るものがあるのか。
───あぁ、なんで『村雨』は、ここに、いるの…
ふるりと頭を振った。
何を馬鹿なことを考えているのか。
いきなりの環境の変化で、思考がおかしくなっているんだ。頭を切り替えないと…
布団の上に上半身を起こしたままだったことに気付く。
外はまだ薄暗い。まだ朝早いようだ。
村雨は、早めに身支度を整え部屋を片付けると、静かに障子をひく。音もなく、横にすうっと動いた障子の向こうには、まだ朝日を待つ暁の庭。
音をたてることなく廊下へ進み出て、ばさりと漆黒の羽根を広げた。
そしてそのまま屋根の上へと移動し、藍色の空と霞む月を屋根の上にてぼんやりと眺めていた。
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牡丹との契約は刀剣女士としてのものだ。それは降ろされた時に交わしたものだ。でも、村雨という刀は主の願いを叶える刀。代償が時にその主を呪い殺すものであっても、村雨とはそういう刀だ。
信乃の時はちょっとイレギュラー。時を定めない状態で、いや、今はそれは関係ないか。
とにかく、牡丹の願いをまだ叶えるという契約はしていない。
あの日、牡丹やこんのすけ、薬研と話をした結果、ひとまず普通の刀剣として生活を行うということで話がついた。
とりあえず、空が暮れてしまうということで、夕飯や風呂、部屋の割り当てなどやることが多く、ろくに他の刀剣と挨拶を交わすこともできないで部屋に上がってしまったのだった。
そのあとも刀剣が行うことや、本丸のルール、場所の把握などを説明してもらう日々。もちろん戦いにも出た。出てしまった。それはもう、無我夢中の時間だったが、周りはそう思わなかったらしく、なも知れぬ刀から称賛され、困ってしまった。(そのあと、きちんと自己紹介はした。後藤藤四郎というそうな。刀剣乱舞の記憶は薄れていることもあり、自分が推してた初期キャラクターしか覚えておらずちょっと申し訳なくなってしまった)
───そういえば、主が村雨のステータス見て、あらあらとか言ってたけど、そんなに低いステータスだったのだろうか…
明け始めた空を眺めながら、この生活が今後、どうなるのかと村雨は目を細目ながら思いを馳せるのだった。