「磨き砂って、これだけですか?」
書斎の執務机に腰掛けたエイトさんの手に握られているのは、猫の顔がプリントされた磨き砂の袋だ。執務机の上に置かれた錬金釜が主人の手元に戻ったせいか、昨日見た時よりも輝いて見えるのだけども気のせいだろうか。
「うん。屋敷にあるのはこれだけだねー」
たまに父さんが、気晴らしがてらに武器を磨くのに我が家に常備されていた磨き砂は、エイトさんが持っている袋の分だけだ。
眉を顰めて、袋の中身を覗き込んでいるエイトさんの感じからして、恐らく量が足りないんだろうなぁ。
「足りねぇのか」
私の心の内を呼んだかのように、ユーリルさんがエイトさんに尋ねる。因みに、あとの天空の勇者組は夕飯の買い出しに行った。買い出しに行ってくれるのは普通に助かることなんだけど、あの人たちは己が勇者であることを忘れているような気がする。
「そうです。錆を取らなければならない伝説の装備はこの四つですよね。だとしたら、僕の見立てでは、一つの装備に磨き砂が袋九つ分が必要になりそうです。あとそれに加えて、特別な成分を保有している鉱石も必要かもしれません」
「えっ!? 一つの武器に磨き砂が九袋!? しかも、なんか凄い鉱石なんかも必要って感じ?」
錬金術の界隈でも名を馳せているエイトさんの見立てなのだから、間違いは無いだろう。けど、錬金する以前に材料を集めるのがとっても大変そうな予感がしてきて、変な汗を私はかいてきたよ。
「特別な鉱石・・・。天空城の壁とかに使われている石材とかか」
「ユーリルさん。それ、絶対マスタードラゴンが許さないと思うよ」
真剣な顔をして、天空城を掘ろうとか言ってくるユーリルさんに秒でツッコんだ。
この人、目がマジだよ。本気で天空城を盗掘しようって提案してきてるよ!
貴方、これ以上マスタードラゴンとの間にある溝を深めちゃ駄目なんだから、喧嘩を売りそうな話は乗れないよね。
しかし、そんな私の憂いをユーリルさんは軽く躱す。
「バレなきゃ問題ないんじゃね?」
「んな訳、あるかー! もう! 勇者の癖になんでそう犯罪者思考なのかなー」
だから牢屋とかに放り込まれたりするんだよとユーリルさんにジト目を向けたら、あの三白眼で睨まれることになった。理不尽すぎる。
「僕が思い付く鉱石も試してみて良いでしょうか?」
ユーリルさんばかりに目をつけていたら、背後から味方の振りをした敵(エイトさん)にグサリとやられるはめになった。
「も、じゃないよ! いやいや。天空城の壁で試したりはしないから。普通にエイトさんが思いつく鉱石だけで試そう! ね?」
まさか、この話にエイトさんも乗ってくるとは思わず、つい大真面目な顔をして首を横に振っちゃったよ。で、そうしたら、そうしたでエイトさんも冗談だよと言いたげにクスクス笑うし。
───本当、この人、いい性格してるわー。天空の三勇者もなかなか曲者だけどさ、この人も大概の曲者だ。
「で、その鉱石ってのは?」
これ以上、天空城についての話を長引かせるとろくなことが無さそうなので、とっとと話題を鉱石の方に変える。エイトさんもそんな私の心境を察してるらしく、からかうことなくその話に乗ってくれた。
「この世で一番硬度を誇る鉱石と言われている───オリハルコンです」
「お、おおおオリハルコン!?」
なんかエイトさんの口からサラッと伝説上の鉱石の名前が挙がったよ!
オリハルコンをよく知らないらしいユーリルさんはイマイチピンと来てないみたいで、首を捻っている。
「おりはるこん・・・? コンニャク芋の仲間か?」
二代目天空の勇者がメダパニにでも掛かっているようだが、残念。私も今若干、メダパニに掛かっている。
そんな私の挙動不審な反応を見て取って、エイトさんは今の世界でのオリハルコンの価値を察したようだ。目を伏せて、「やっぱり、そんなに簡単にいかないか」とエイトさんがボヤくのが聞こえた。
「僕の時代でも、その鉱石はかなり貴重な物でした。が、アンの反応を見る限り、今の世界でのオリハルコンはそれ以上の価値の物でしょうね」
察しの良いエイトさんに、私は水鳥の如く首を縦に振る。
オリハルコン。それは、勇者の武器にも使用されるほどの硬度を誇る至高の素材であり、庶民の手には生涯届くことのない幻の鉱石だ。
太古の昔には、村の牧場とかにも落ちていたようで、時には空島とか言う採掘場所自体が、超自然的な場所で採れたらしい。
だが、それは昔も昔。それこそ、御先祖様達が生きていた頃の話である。
魔物が消え去ってしまった三百年前、ちょうどその頃からオリハルコンに関する記述も史書からは無くなっており、遺物を展示している博物館にさえも、オリハルコンに関する物は見ることが出来ない。
そのことを二人に告げると、エイトさんは困ったように眉根を下ろして、考え込み始めてしまった。
「ってことは、やっぱり天空城から貰った方が早いんじゃねぇの?」
確かに今となっては、若干魅力的にも思えてしまうユーリルさん原案の『天空城盗掘大作戦』。
しかし、それを実行するにはあまりにも代償がデカすぎる。ってか、これ以上、あの城の主《マスタードラゴン》を人間不信にしちゃダメだよ。
「オリハルコンに匹敵する鉱石か・・・。世界を見回ったら見つかるか」
「エイトさん。急にふらっと、世界一周旅行には出掛けないでくださいね。せめて、出掛ける時は一声だけでもお願いします」
「え? あ、もしかして声に出してましたか」
「かなりな。でも、世界一周旅行ってのは良い案じゃねぇのか。俺も久しぶりにあっちこっち行きてぇよ」
「分かります。僕も元々は、体を動かしているのが性にあってまして・・・。なんで、正直頭だけを動かすのって得意じゃないんですよね」
「思ったよか、脳筋だなお前。けど、俺、そーいう奴の方が好きだぜ」
「光栄です。僕もユーリルさんの真っ直ぐさは好きですよ。腹の中に一物を持っている人間よりは断然、好ましいです」
いつの間にか、エイトさんとユーリルさんが仲良く笑いあっていた。ユーリルさんは、ニヒルげに口端を持ち上げて。エイトさんは、花咲くような微笑みを向けて。
互いに通じる者があったらしい二人に、私は仲良きことは良きかなと思いつつも、仲間外れにされているこの状況に、やるせなく方を竦める。
男の人って、女には分からない友好の暖め方するよねー。あー、そろそろこのパーティに女性も加わってくれないかなー。
などと思っていると、急に二人して私の方に顔を向けてくる。
「なので、僕はアンも好ましく思ってますよ」
「まぁ、此奴は猪突猛進に生きてるし。少しぐらいは、腹芸も覚えた方がいいと思うけどな」
「いや、それに関しては、ユーリルさんには言われたくない。マスタードラゴンのこととなると、直ぐ目くじら立てる貴方にだけは言われたくない」
「あ?」
正直、エイトさんからしてみれば、私もユーリルさんもどっちもどっちって奴なんだろうけど、私の矜恃が、このことについてはユーリルさんに負けられないと告げている。
───私はまだ覚えてるぞ。マスタードラゴンと仲の良いレックス君に、信じられないもの見るような目を向けていたあの時のユーリルさんの表情を。
がるるるとメンチを切り合う私達を背後にして、エイトさんは錬金釜に再度向きあっていた。恐らく、私達の低レベルな争いに飽きたんだろうね。
もみくちゃになりながらも、取っ組み合いを止めない私とユーリルさんを背後に黄昏れているエイトさんは、錬金釜の蓋を徐に弾いた。
「・・・・・・陛下なら、ご存知でしたか。オリハルコン以外の鉱石すらも」
***
皆がこの家で寝起きするようになってから、もう何日も日が過ぎた。月影の窓を潜って、あの世界に行ったのが、丁度満月の日。
今、夜空に掛かっている月はまだ半月にもなりきらない丸さの月で、その周りをぶ厚い雲が幾つも漂っている。
屋敷の外は、初夏と言ってもまだ少し肌寒く、風が吹けば身震いしそうになる。
朝の日課になっている素振りの練習場所に来てみると、あの天空の三勇者が椅子にしていた空箱や酒樽がそのままに置いてあるのが見えた。
───多分、明日もそれぞれが彼処に腰掛けて、私の粗末な素振りを観察することになるんだろうなぁ。
ハァと口から思わず飛び出る溜息を留めるのもストレスになる気がして、もう一度溜息を吐く。素振りをするのが嫌になっている訳では無い。だけど、彼等の求めるレベルに応えるのが少ししんどいのだ。
良い所も残念な所も見せてくれる御先祖様だが、その能力は勇者なだけあって、とんでもなくハイスペックだ。
だからこそ、彼等が私に求めるレベルもかなり高い。
二週間ぐらい前までは、ただの町のカフェ店員であった私に突きつけられるには、酷すぎる期待だってことを、あの人達は察する日が来るのだろうか。
───でも、私はそれはそれで嫌なんだ。あの人達が、私には出来ないことだと察して、一瞬だけ失望の色を見せて、その次にはいつもみたいな呑気な面を被って、私の実力相応のレベルにまで彼等の期待値を下げるのも嫌だ。
怖い。
皆を失望させるのが。
私にはどうしたって、彼等と同じことが出来るはずが無い。
そんなことは分かっている。分かりきっている。
だけど、だけど。
皆のそんな顔は絶対見たくないんだ。
気付けば、私は空箱に腰掛けて、両手で顔を覆っていた。辺りがさっきよりも薄暗くなっている気がして頭上を見上げると、月を大きな雲が遮っていた。
だからか、体の端が段々と冷たくなってきている。両手を擦り合わせると、晩秋の時のように爪先に熱が灯るようだった。
「そろそろ、入るか」
この寒さに身を任せて、風邪を引くのも馬鹿らしい。夏風邪なんて引いたら、それこそ大変だ。ユーリルさんなんて、鬼の首を取ったかのように嘲笑ってくるに決まってる。
「ハァ」
今日はなんだか、センチメンタルな気分になっちゃう日だ。
***
外の風から逃れるように家の中へと入ると、薄暗闇に包まれた廊下が私を出迎える。
此処は貧乏貴族の屋敷だ。廊下の明かりと言えども全部に付けて回っていたら、タダでさえ少ない貯蓄があっという間に空になってしまう。
なので、必要最低限の燭台にしか火を入れていないのだ。お陰様で、隅の方はかなりの暗がりになっていて、幽霊の一匹や二匹が蹲っていても気付けないだろう。
───そろそろ、部屋に戻ろうかな。あの四人は多分、まだトランプ大会に興じているだろうけど、使っていい部屋は言ってあるし。
夕御飯が終わった後、最近は喋ることがなくなって暇を持て余しているらしい彼等は、いつの間にかトランプなんぞを見つけてきて、時間があれば皆でやるようになっていた。
皆、勇者や英雄やってただけあって、なかなかに負けず嫌いだから凄い白熱するんだよね、あれ。何回『もう一回コール』に乗せらたことか。流石に連日やってると飽きが来た私は、今回はそっと抜け出してきたけど。
「・・・・・・ん?」
あの四人の負けず嫌いっぷりに呆れていたところで、廊下の奥にキラリと何かが光っているのが見えたような気がした。
いつぞやかの月影の窓が顕現する時に見た、神秘的な青白い光に似た何かが、視界に差し込んだような・・・。
───これは、確かめるしかないよね。
気のせいだったら、その時はその時だ。
「なーんだ、本当に気のせいか」って、自分の見当違いに笑って、部屋に戻ればいい。
ずんずんと迷いない足取りで、その何らかの光が見えた廊下の奥へと向かう。奥には、エイトさんにあげたはずの英雄の槍と正義のそろばんが立て掛けてあるのが、僅かな燭台の火によって見えてきた。
エイトさんも、こういう所が律儀だよねー。
あげたのだから、部屋に持って行ってもらって全然構わないのに。
自主練終えたら、いつも此処に戻しに来てるんだろうなぁ。
『・・・しゃ・・・様』
「───え?」
どこからとも無く聞こえてきたその声は男性のもので、それはこれまでに聞いたことの無い声だった。
『ゆ・・・・・・様。ど・・・・・・に居お・・・・・・か』
絶え間なく紡がれるその声には、途方に暮れたような色があるように思えた。
視界がぐらつく。
歪んだ景色に、頭を抱えた。
見えているものが全て重なり合い、色が端から徐々に消え去っていく。
「な、に、これ」
頭を抱えていた手がだらりと落ちたのが、感覚で分かった。立っていられない目眩に膝を着くが、床に着地した時の痛みは酷く鈍い。
『勇者様・・・・・・ユーリルさん!』
誰かがユーリルさんを強く呼ぶ声を皮切りに、私の意識は完全に事切れた。
***
「あの、大丈夫ですか?」
すぐ真上から聞こえてくるその声は、聞いたことのない男声だったが、とても柔らかくて心地の良いものだ。
起きるのが億劫なくらい、頭の奥が痛い。
チクチクとした痛みとかじゃなくて、響くような鈍痛だ。
凄く分かりやすい例えで言うならば、二日酔いした時みたいな頭痛。
しかし、無事を案じられているのだから、起きない訳にはいかないだろう。
開きたがらない瞼をどうにか押し上げると、薄暗闇の向こう側にやはり見たことのないおじさんの顔があった。
その人は、漸く瞼を上げた私を見て嬉しそうに微笑む。
「嗚呼、気がついたようですね。突然、知らない所に居るかと思ったら、すぐそこで人が倒れていたものですから驚きましたよ」
「・・・・・・あの、貴方は?」
円な目をくりくりと回して、鼻の下に生えている髪と同じ色の青髭を動かさない程度によく喋るこのおじさんは誰だろう?
上体を起こして、辺りを見てみると此処は紛うことなき私の家だ。
つまり、このおじさんは不法侵入者になる訳で・・・。
本当はもっと警戒心を露わにして、詰問するように聞くべきなんだろうけ、私はただ今絶賛体調不良中だ。
しかも、なんかこの人、疑いにくいんだよね。
・・・・・・ユーリルさんと違って、善人顔だからかかな。
思い浮かんだ、イケメンだけども目つきの悪いユーリルさんとは違って、人畜無害そうなそのおじさんは「そうでした、そうでした」と目元を緩めた。
「自己紹介がまだでしたね。私は武器商人のトルネコと申します」
───トルネコ?
あっれぇ。どっかで聞いたことのある名前だぁ。
さっきから私の頭の中で顔が回っているユーリルさんの知り合いに、たしかそんな名前の武器商人が居たような・・・・・・。
過去に読んだユーリルさんの冒険の書と、私の思考回路が結び付き、様々な憶測が思う浮かんでは募っていく。
幽霊として蘇った御先祖様。
夢の世界でだけど、接触できるマスタードラゴン。
まだ生きているイシュマウリさん。
「つかぬ事をお聞きしますが、銀行を経営している奥様がいらっしゃいませんか?」
「え? もしかして、私のことをご存知なんですか?」
「結構前にエンドールとブランカを繋ぐトンネルを掘ったとか・・・」
「嗚呼、その噂ってこんな所まで届いているのですか。いやぁ、そうまで噂されるほどの大したことじゃないんですけどねー」
この人、マジモンだ。
なかなかよくお太りになられてて、何処にでもいそうな行商のおっちゃんの成りをしているけど、この人は、ユーリルさんのパーティメンバーであるトルネコさんに間違いない!
───だとしても、何で此処にこの人が・・・・・・?
有り得ない事態に目が回りそうだが、此処で思考することを止めちゃ駄目だ。
これまでにも、それはもう、沢山妙ちきりんなことはあった。だけど、その度に拙いながらも向き合ってきたからこそ、なんとか非日常の中でも平和を保てている。
───でも、トルネコさんはこれまでの御先祖様と違って、アルバトロスの系譜に連なる人じゃない。
私とは何の繋がりもない人を、どうして呼ぶことが出来たのか?
「どうかしましたか? お嬢さん? そう言えば、まだ貴女のお名前を伺っていないような気がします」
そっと労わるように、肩に手を置かれたかと思えば、トルネコさんの穏やかな声が聞こえた。ふと、放置してしまっていたトルネコさんの方に顔を向けると、相も変わらずニコニコ笑顔を浮かべるトルネコさんの姿がそこにある。
だが、緩められた目には、私を心配する色があった。
「・・・・・・私の名前は、アン・アルバトロス。この家の主人です。トルネコさん、私の部屋に来てください。御先祖──私の仲間に貴方を紹介する前に、話しておかなければならない話があります」
「おや、淑女の部屋に招待ですか・・・・・・どうやら、その様に茶化している場合じゃないみたいですね」
そう言う割には、緊張に強ばる私と対になるようなゆったりとした動きで口髭を撫でるトルネコさんを見てると、体の力がちょっと抜けるのを感じた。
トルネコと言えば、網タイツで『調べる』ですよね(笑)
トルネコの網タイツ姿を怖いもの見たさで見たいと、今でも思っちゃいます