「――――――というわけじゃ」
「……なるほど。それならばおそらくあの少年……ロナンもいるだろう。……おい!」
「ハッ! ウォーターセブンにいるすべての海兵に伝達致しました!」
「よし! 私達も動こう……おい行くぞガープ!」
「何を言うておるんじゃ! 儂はここに残るぞ!」
「それなら安心をし。この子なら逃げ出さないよ。第一ベビーベッドから逃げ出すただの赤ん坊がどこにいるってんだい?」
「貴様ここにいて遊ぶつもりのようだがそうはさせん! ロナンが捕獲されるまで私達も動くぞ!」
「うぉぉぉっ! 離せおかき爺!!!」
大きな声が遠ざかる音がする。
ベッドに寝かされた状態で、機嫌悪く唸っていたリードが、ゆっくりと寝返りをうってうつ伏せになりながら伸びをした。
「うー!」
ここにいては危険だと、彼は本能で理解していた。
ずっと泣いていたというのに、いつも自分を抱き上げて頭を撫でてくれるロナンはいない。
守ってくれる人はいない。ここにいても怖いことしか起きない。
だから逃げないといけない。
あの危険な爺共から、逃げないといけないと彼は本能で分かっていたのだ。
「あっぶー!!」
ゆっくりとうつ伏せ状態から座り姿勢へ変えていき、ベビーベッドの柵を見上げる。あそこを出たらロナンに会える。
そう、なんとなく分かっていたのだ。
「ろーぁー!」
手を伸ばして、ぐっと身体を前のめりにする。
どうすればいいのか分かるのに、どうしようもなく身体が動かない。
考えて行動しているわけじゃない。
ごく普通の赤ん坊だから、まだまだ理解してないことがたくさんある。
だがしかし、ここからどうすればいいのかは本能でちゃんと理解していた。
記憶の奥底に眠る何かがあった。
夢で見たあの時の記憶のようにどうすればいいのか、ちゃんと理解していたのだ―――――。
「ろーぁー!」
ロナンの所へ戻るために、リードは大きく前のめりに腕を上げていく。
愛すべき父のような兄に会うために、柵に顔をぶつけるかもしれない勢いで大きく。
「ろなぁー!」
リードは、その全身全霊でもって、一歩を踏み出した。
柵に手を伸ばして、足に全体重をかけて―――――――
「うぁー!」
生まれて初めてのつかまり立ちを、誰も見ていない間に成した。
それはもう、ミルクを飲んだ後の満足感のようなものを感じていた。
普通の人間が興奮しアドレナリンを出すような感覚に似たもの。やれると思ったことがようやくできたことに笑みを浮かべたのだ。
「……うぅ」
だがしかし、この先が問題だった。
ここから出てロナンの元へ帰りたい。だがどうやって戻ればいいのだろうか。
部屋の扉は開放的に開いている。ただし、海兵たちは慌ただしく廊下を走っているのが見える程度で、この部屋へやってくる人間にロナンはいない。
「きゃぅ!」
つかまり立ちから、ベビーベッドの柵を越えて逃げることなんてできない。そもそも超えることが不可能だ。
―――――――普通の赤ん坊にとっては。
それにそのベビーベッドの下は赤ん坊にとって高く、下手をすれば怪我をしてしまう可能性だってあるのだから。
センゴクたちが彼をベビーベッドに入れて外へ出たのもそれが原因だった。
すぐに戻って来るからという考えもあっただろう。しばらくの間はそこにいて大人しくしているんだよとリードはおつるに言われ、頭を撫でられていたのだから。
「あぶー!」
でも、それで簡単に諦めようとはしないのがリードであった。
赤ん坊だからちゃんと考えず動こうとするのも要因だろう。
一度疲れて座ってしまったが、もう一度頑張って彼は立とうとする。
何度も何度も挑戦し―――――泣きそうになっても立ち上がろうと必死に努力していく。
「……ふぇ」
ロナンに会いたいのに会えないことに彼は寂しさを感じていた。
お腹がすいたのもあった。
頭を撫でられず、ずっとここに寝かされているのもつらかった。
「ふぇぇぇ!」
柵に手を伸ばして、そこから出たいと訴える。
泣きながら早く自由になりたいと訴える。
――――――その声を聞いたのは、誰だったのか。
『ったく、見てらんねー。代われ、―――――――』
聞こえてきた声のあと、瞬きの最中に気がつけばベビーベッドの下にいた。
それは一瞬のように感じた。実際はどうなのかはリードには分からない。
見ていた海兵もおらず、何をどうやったのかは分からない。
だが、それを理解する頭は赤ん坊のリードにはない。
『ほら、逃げんだろ?』
―――――頭の中から響く言葉だった。
言葉そのものを理解するのではない。
心に直接響くその意味に、彼は本能で理解していた。
「ろなー!」
彼の元に会いに行く。
そのために、リードは前へハイハイしながら進んでいく。
『泣き虫は嫌いなんだよ。でも泣くのが赤ん坊の仕事だからな。とっととあいつに会って甘えとけ、――――――』
「あー!」
リードの周りには誰もいない。
でも声は聞こえた。頭の中で直接響く声が聞こえた。
誰なのか分からない声だけど、何故だか彼にはそれがよく分からない感情を思い起こさせた。
後に成長したリード自身が分かることだが―――――その名は、『懐かしい』という感情だった。
それが、始まりだった。