リードはこのところ毎日ロナンがいつもいた場所にいる。時に座り、時に立って。ずっとその場所から離れようとはしない。
そこはある意味たしぎが事務室として使用している場所。
ロナンが書類を手伝っていた机に顎を乗せ、椅子に立ったままつまらなさそうにたしぎを見る。
「なあなあ、ろなんはあしたかえってくるか?」
「それはちょっと無理ね。でも用事が終わったら帰って来るから」
「ようじって?」
「昨日も言ったじゃない。身体をちゃんと調べて、悪い部分を除去するのよ」
「むぅ……ろなんにわるいぶぶんなんてないぞ!」
「あったらの話だクソガキ! 大佐ちゃんを困らせんな! おらガキはどっかで遊んでろ!」
「こら、子供に乱暴は駄目ですよ!」
「つまみ出すだけですってば大佐ちゃん!」
お茶を出しに来た海兵に首根っこを掴まれてそのまま廊下へ放り出される。
そのまま扉を閉められてしまっては、幼いリードが開けるのは難しい。
「……つまんねえ」
ロナンがいないことがつまらない。
他の大人たちは忙しく、リードに構うたしぎもやることがあってあまり遊べない。外出も最近では制限されるし、ロナンに会えないしでリードは物凄く不機嫌であった。
「……ぶぅ」
窓から外へ出て何処かへ行くことが出来たらいい。自分の心の中ではそれができると思っていた。思い込んでいた。
――――――何故か、できるはずのことができない。
窓をよじ登ることさえ困難な幼い身体にリードは苛ついていた。自分ならできるはずのことができないと思っていた。まるで夢の中で出来たことが現実で出来ないような感覚。
幼いからこそ分からないリードの苛ついた心は、ロナンに会えないせいだと思い込む。
それが当たり前なんだとリードは思っている。
「……なあなあ、ろなんはいつかえってくるんだ?」
廊下の先――――――身体全体を映し出す鏡越しに話すのは自分じゃない。
それが普通じゃないことを、リードは分かっていなかった。
「なあおきろ! ねるなよ!!」
鏡越しにリード自身の表情が変化する。
それはすなわち、兄が起きたことの証だった。
リードが表情を変えたんじゃない。己の表情さえも変わっていることにリードは気づかない
「おまえはおれのにいちゃんなんだろ? ならおしえてくれよ!」
『……さあな』
自分の口から出てきた声が、己の兄から発せられたものであることをリードは理解している。
「このままここにいてもつまらねえんだ! ずーっとおんなじことのくりかえしだ! おれはろなんにあいたい! それにぼうけんがしてえ!」
『却下だ』
「けちっ! なんでだよ!」
『それは自分自身が分かってる事だろうが』
鏡越しに自分の表情が少しだけ怒りと苛立ちの込められたものになる。いかにも億劫そうに、片眉を引き上げて。怒りと苛立ちがメインのようだが、それ以外にも様々な感情を押し込んで複雑で疲れたような表情をこちらへ向ける。
己の瞳の奥で、その中に眠る兄の気配を感じ取る。
『リード。お前はただのガキだ。よわっちいガキが冒険だのなんだのできるわけねえだろうが』
「おれならできる!」
『できねえよ舌っ足らずのクソガキ。お前はロナンに守られてばかりの赤子も同然だろ。そんな弱いままで、一人でどうにかできると思うなよ』
「むぅ。なんだよ! にいちゃんもおれのことじゃまだっておもってんのか! どっかいけっていうのかよ!」
『あのなぁ。どっかに行けとか、邪魔みたいなこと言ってるわけじゃねえだろ。良いかリード、弱いままで自由に過ごせると思うなよ。海軍から外に出れない時点でお前は弱いクソガキだ』
「うぅ」
『弱いガキは弱いまま、誰かに守られて過ごせばいい。弱い奴が馬鹿をやれば死ぬのも早いからな』
言い返せず、リードは口をもごもごとさせる。
確かにそうだった。リードにとってはここから脱出することさえ不可能だった。
夢の中では自由に冒険できても、現実は不可能。
一歳の幼い身体では、トコトコと可愛らしく歩くことしかできず、また危ないことをしてもすぐに大人たちが止めてくる。
―――――――――守られることが当然なんだと、兄が言う。
「うぐぐっ……にいちゃんのばかー! けちー!!」
鏡から後ろを向いて走っていくリード。
己を映し出す鏡が見えなくなったことで兄の声は何も聞こえなくなった。
ただ疲れたような小さいため息は聞こえたが……それはきっと自分のものだと思い込んだ。
「なんだよ。にいちゃんもめがねも……けむりんだってあそんでくれねーし……」
廊下をとぼとぼと歩くリード。ただ彼はロナンに会いたかった。ある意味親同然の彼に会って、いろいろと遊びたかった。
「うみにでたらあえるかな」
いっそ脱走した方が良いかもしれない。
そう物騒なことを考えた直前――――――――。
「あ? あの軍艦が沈んで行方不明だぁ? おいどういうことだ、何があった!?」
「……う?」
スモーカーの声に、不意に立ち止まる。
何故かそれを聞かないといけない気がしたから。